お父さんの話          このコーナーについて


ゆうやさん  (その1・メールにてご寄稿)

******こんなときとても嬉しかった******


はじめに、うちの父は未信者です。強く反対はしませんが
あまり良くは思っていないです。
これは私が排斥になったときのことですが、母が怒り狂いまして
「大学辞めて実家に戻ってきなさい」と言われました。
さすがに辞めるわけにはいかないので、しばらく休学するという形で合意しました。
もうしょうがなく・・・
父になんて言ったらいいのだろう(未信者の父には到底理解できる理由ではないので)
と考えながら実家に帰ってみると
父はそんな私の様子を察知したみたいで、
何も聞かず何も言わずに、今までも一緒に暮らしていたかのように
自然に迎えてくれました。            
そしてまた家を出て行く時には「しっかりがんばれよ」と声をかけてくれました。
理由もしらないまま・・・。
不満がいっぱいあっただろうに、私を尊重して辛抱してくれた父にとても感謝しています。
ありがとう!


詠利さん
(その1・「JW親子に優しいBBS」へのご寄稿)

お父さんの話募集ってあったのでお父さんの話させて下さい。
私からみれば物静かで物事をじっくりと考え的確な判断の元に家族を導くそんな頼もしい父親です。彼は神権家族になってからも事業主でありました。会衆内での役割も家庭内での責任も事業主としての業務も全てきちんとこなし、どの場所でも人に慕われるスーパーマンの様な父親は私の誇りでもありました。そんな彼もやはり不完全でありました。私が9歳の頃、強く暖かく大きかった父の体は癌に蝕まれていました。無輸血手術で開腹したものの進攻が早く手の施しようがないとう事でした。その後末期症状になり相当な痛みを抱えていたにも関わらず父は医師や看護婦、お見舞いに来た会衆の人を絶えず笑わせていました。大手術の後、ずっと心配して待っていた長老兄弟の顔を見て一言「喉が…乾いた。真理の水を…ビール飲みたい…」って。父の病名を知らされていなかった私は毎日父の病室を訪れ交換ノートをしていました。大きな川沿いの真っ白な小さな箱の中私と父はわずかな時間を共有し子供ながらに父のぬくもりを感じていました。ある日父はノートにこう書きました。「お父さんは今大きなデキモノが体の中にあってとても痛い思いをしているよ。でもこの痛みを知った事を悔やんではいない。その分人の痛みが判るようになるんだから。人に優しくなれるから。詠利もこれからたくさん痛みや苦しみを味わった時はその分だけ人に優しく思いやりを持って生きてゆきなさい」この言葉を残した数日後父は激痛によるショック死(心不全)によりその鼓動を止めてしまいました。容態が急変して看護婦さんが担当医を呼ぼうとしたのに「明日の朝まで我慢するからいい」と言って最後の最後まで「痛い」と一言も言わずに亡くなりました。ベッドの脇の「日ごとに聖句を調べる」には当日の朝の聖句まできちんと赤鉛筆でアンダーラインがひいてありました。意識朦朧の中引いたと思われるゆがんだラインを見た瞬間は今でも鮮明に覚えています。
父がノート
に残した言葉は今でも何度も読み返し、その度に自分の生き方を見つめ直しています。そんな意味で彼は今でも私の立派な父親です。


史緒さん(その1・緑青さんのHPの掲示板より転載させていただきました)

はじめまして、緑青さん。
先日メールさせていただいた史緒と申します。
お父様と山登りをなさったのですね^^)お疲れのようですが、でも とても楽しそうでなによりです。

実は、私の父は7年前に癌で亡くなりました。
父は、未信者でした。
私と弟と母の3人が集会や奉仕に出かけている間、ずっと家でテレビを観ていた父。

今朝、私は 父の夢を見て、目が覚めたら泣いていました。・・・ごめんなさい、お父さん。
あんな寂しがりやのお父さんを、一人だけ残して家族全員で夜の集会にまで出かけてしまってて。もっともっと、配慮と感謝を示すべきでした。

今日は、罪悪感に押しつぶされそうです。
こんな心の傷を残さないためにも、今、お父さんと楽しい時間をいっぱいいっぱい持ってくださいね。




確かに何もかも順調で余裕があって健康な時ならば、自分一人が集会へ行く事自体、それほど負担でもないんですよね〜。(行きたい気持ちがあればですが^^;)
でも、私は今悔やんでいるんですが、家に残されて一人テレビを見ている父親の事など考えると、寂しかっただろうな、お父さん。帰宅後の家族の話題もやっぱり集会での出来事とかになってたし。

それほどまでに、絶対の位置にあった週5つの集会だから、、今度は自分が病気で動けなくなってしまった時、「組織の言うとおりに出来ない・・=エホバのご意志を行っていない」と自分を責めてしまい、(もちろん周囲からも責められ)行き場を無くした私がいました。

今なら、病気なら堂々と集会休むし、父親と旅行のためにって集会休んだでしょうけど、、すでに父は亡くなり、私は健康を失い不活発。もっと早く気が付いたら良かったな



レモンティーさん(その1・「おちゃしよのBBS」より転載させていただきました)

今年から・・・

明日は父の日だね。
証人になってから、母の日も父の日もなくなった。
その分両親には、できるだけなにかにつけ気づかいを示しと思う。
でもやはり未信者の父や母は、物たりなっかた様だ。

すっかり年老いた両親に、今年の母の日にはエプロンを父の日にはカッターシャツをプレゼント。
心からの感謝の言葉をカードに添えて。
思いもかけないプレゼントに母はたいそう喜んでくれた。
時間指定で、もうそろそろ届くであろう父へのプレゼント、
父は喜んでくれるだろうか・・・。


こんなに喜ばれるとは

おちゃしよさん こんにちは
15年ぶりの父の日のプレゼントに、父は子供のように歓喜していました。
サイズもピタッリだった様でアリガトウ、アリガトウを繰り返していました。
一時は・・・いやいや今もきっと思っているに違いないくだらん宗教にはまったバカ娘と・・・口も聞いてくれなっかったこともあったのに。
こんなに喜んでいただけるとは。父と母、健康で長生きして欲しいなと思いましたよ。


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