「アダルト・チルドレン癒しのワークブック」(西尾和美・学陽書房)のp.182-3に挙げられている
次のような権利を、他の人に対して、自分自身に対して、認めることができているでしょうか?
- 私には、いままで得ることのできなかった安定した生活をしてよい権利があります。
- 宣教にたくさんの時間をかけられるようにするためにと、安定した生活をする権利を放棄する仲間もいます。それはたぶん、協会の出版物の中で、そうすることには大きな報いがあるという励ましを見て、ヨッシャ、という気持ちになった人なんだと思う。
- 安定した生活をすることと物質主義に陥ることを結びつける書き方がされているのを目にすると、安定した生活をすることに対して、短絡的に罪悪感を抱いてしまう人がいるかも。
- 私には人生に楽しみを見つけ、いまこのときをエンジョイし、この喜びを長くもちつづけてよい権利があります。
- いまこのときをエンジョイし・・・っていうと、「ただ飲んだり食べたりしよう。明日は死ぬのだから」という、刹那的な生き方を戒める聖書の言葉が頭に浮かんで、ブレーキがかかってしまう。
- でも聖書には、生活から喜びを得るのは神の賜物だとも書いてあります。エホバの善良さを味わい知れとも書いてありますが、人間には、神の善良さをしみじみと感じる、いろんな場面や状況があると思う。
- 私には、健全な環境でリラックスしてよい権利があります。
- 私には、健全な人たち、場所、状態を求めてよい権利があります。
- 家族以外の人でも、会衆の違う人でも、JWではない人でも。
- 私には、自分にとって安全でないことや、心の準備ができていないこと、イヤなことに「ノー」と言ってよい権利があります。
- 親子・夫婦のように頭の権が関係している時でも、会衆の長老と成員の関係でも。
- 私には、まわりの人たちの身体的または精神的に危険な行動に加わらなくてよい権利があります。
- 私には、新しいことにチャレンジし、適当なリスクを引き受けていく権利があります。
- 私には自分の思考、態度、行動、言動を変えてよい権利があります。
- 変えてよい権利がある、と自信を持っていれば、辻褄を合わせようとして話を歪めたり、言い訳をしたりする必要はなくなり、自分の言動の影響を受けた人を思いやる余裕も生まれる。
- 私には、間違ってもよい権利があります。
- 私には、できないことがあってもよい権利があります。
- 〜だから、できなくちゃいけないんだ。と思い込んでしまう(役割・肩書きの重圧)
- 私には、害になるような人間関係から去ってもよい権利があります。
- 私には、相手からバカにされたり見下されたり、皮肉を言われたり、攻撃されたとき、会話を止めてもよい権利があります。
- 弱さでも卑怯なことでもなく、犠牲者の役を降りるだけの勇気と賢さのしるし。
- 私には、私のすべての感情を感じる権利があります。
- 感情そのものに良い悪いはなく、体の熱・汗・鳥肌・動悸・疲労などと同じような、生理的なものなので。
- 私には、自分のからだから出るメッセージ、自分の決断力、第六感を信じてよい権利があります。
- 私には、人間として、情緒的にも、精神的にも、身体的にも、スピリチュアリティーの面でも成長していってよい権利があります。
- 私には、自分の考えや感情を、健全な方法で安全に主張していい権利があります。
- 「立場上言えない」なんていうのは、ちょっと不健全ぽい。表現する方法を考えていきたいな。
- 私には、自分に必要な時間と場所をとって癒しをしていい権利があります。
- 利己的というのとは、また違うと思います。自分を大切にできない人がいると、身近な人がいつか深く傷つくことになるかも。
- 私には、親や他人から学んだもののなかから良いものは自分のものとし、悪いものは捨てていってもよい権利があります。
- 私には、自分の生き方、自分の個性を大切にして、他人の目を気にしなくて良い権利があります。
- 「他の人の良心」っていうの、なんか厄介だ・・・(爆)
- 私には自分を愛し、自分の世話をし、自分の居場所をつくってよい権利があります。
- 私には、自分のバウンダリーを守り、相手に侵入せず、相手から侵入されない権利があります。
- バウンダリー・・・・自分の時間・空間などの都合や、自分の所持品に触れる・使う時の意思確認、自分の体や心のプライバシーを尊重される権利。
- 私には自分が幸せになってもよく、私の回りの人にも幸せを分けてもよい権利があります。
- すべての人が同じことをしたいと思うとは限らず、あることについて、誰もが同じ幸福感を感じるわけでもない、それが多様性の面白いところ。
- いつ誰と交際し、結婚するのが幸せなのかは、結局のところ本人が試行錯誤して自分で納得しなければならないものだと思う今日この頃。
- 私には、自分だけでなく、自分のあとから続いてくるアダルト・チルドレンがもし求めれば私が学んだことを伝えてもよい権利があります。