おちゃしよさん(その1)

私の父は確か、10人きょうだいで稲作・林業・肉牛の繁殖を手がける専業農家に生まれ育って、高校の教員になりました。聖書は良い本と思っている非信者です。

私は学校はまあまあ楽しく通っていましたが、一方では「学校の先生にだけは絶対になるものか」と思っていた記憶もあり、「学校」に対していろんな矛盾した感情を持っていた(いる)のかも知れません。卒業した後、年を経るに従い年々、「学校」という所や「学校の先生」というのは苦手だなぁーと強く感じるようになったのですが、同時に、エホバの証人の組織はちょうど、全世界的規模の巨大な学校のような感じなんだなぁとも思うようになりました。良いか悪いかは別として、もしかすると、「あの学校に受かりたい」と思って受験勉強に励む若者のように伝道者になり、良いか悪いかは別として、「模範的な生徒」であろうとしていた部分があったかも知れません。

父は飾り気ゼロで素朴ですが、融通がきかず真面目で、家でも教員くさく、家族に向かって「何か連絡はなかった?(←妻子からの、という意味)」とあいさつしたり、ひとりで歌は歌っていても、会話してハッハッハ!と声を出して笑うことはない人でした。学校に入るまでは、ほとんど母方の伯父たちのお喋りや笑い声を栄養分にして育ったような気がします。もう少し大きくなって私が父の知り合いにニックネームをつけると、家の中ではそれを使って話すことがあって、この人はもしかすると、本当は面白い人なんだろうか?と考えてしまうような感じでした(わかりますかしら)。

意思の疎通が少なく、互いに相手をどう思っているかも本当のところはほとんどわからない父娘で、例えば、学校の願書か何か忘れましたが、家族が書く書類に「(私の)性格:温厚」と父が記入したのを見て、そうか、私は温厚に見えていたのか・・・と新鮮な驚きを覚えたことがあります。父に対して自分のネガティブな感情をむき出しにしていないというだけの話で、温厚という評価は自分では「?」だったのですが、それでも、私の存在が意識のどこかにあったということですから、ちょっぴり情緒が落着く感じがしました。

父は気が小さいのか、責任感が重すぎるのか、ケチなのか、私と感性が違いすぎるのか、何なのか理解できないことが多かったのは、私のすることに何でもかんでも反対する習慣がありました。もし母の理解や協力がなかったら、成長期の楽しみや貴重な経験は相当、限られていたのではと思います。そんな状況にあって、中学か高校の頃、突然千円札を渡されて「これでクレアラシルを買いなさい」と言われた時と、運転免許を取ることにも反対したのに、23歳の頃中古車を買おうと思って話をした時、突然「もう自分で決めていい年齢だから」という言い方をしはじめた時はインパクトが大きく、ゲッ!!という気持ち悪い驚きと、後からゆっくり込み上げてくる嬉しさが、今でも忘れられません。

エホバの証人になってからは、父と私の間に母を仲介させがちな家族の癖を変えようと思うようになり、なるべく私の感じ方や考え方をもっとたくさん、そして母の解釈や通訳によらず、直接知ってもらおうと心にとめています。父との関わりでわかってきたのは、小額でも良いので「関心」とともにお金をプレゼントすることと、「いいと思う通りにしたら」と声をかけると、意外なほど喜んでくれるということです。思春期の「これでクレアラシルを買いなさい」と23歳の「自分で決めていい年齢だから」は、父なりの黄金律、自分にして欲しいと思うとおりに他の人にしていた状態だったのだなぁ〜と、人間の意外な単純さ?が興味深く感じられました。

父の人柄を見直した(というのも変な言い方かな?)大きな出来事は、私が一人暮らしをして、飼っていた小鳥を死なせてしまった時のことです。ショックと悲痛な気持ちで泣きながら「埋めたいと思うところがない」と電話したら、父の実家の田舎の家のほうに埋めてあげるから「クール宅急便で送りなさい」と言われました。(荷物の中身は小鳥の死体です、となったら、クール宅急便のお兄さんに嫌がられそう・・・笑)その言葉を耳にしたとき、本当にほっとしてありがたく思いましたが、やはり自分で埋めたいと思ったので急遽帰省しました。両親で空港に迎えに来てくれていましたが、二人ともすぐに「どれどれ、見せてごらん」と言って小鳥のなきがらを見、父は(ヒナの時に一度見ていたので)「よく羽根が伸びて大きく育ってるね」とほめてくれました。母は家に着いてから、小鳥のなきがらを手のひらに乗せて微笑みながら撫でていました。埋める場所に記念に植えておきたかったので、小さな木の苗を買って父の実家へ向かうと、父が日当たり良く北風の吹き付けない場所を見繕って穴を掘ってくれました。いよいよお別れと、穴の前で私がとても辛くなっていたとき、父がまたやって来て、庭で摘んできた山茶花のつぼみやスイセンの花をビニール袋から取り出し「顔の上にのせなさい」と言ってくれました。土をかぶせる瞬間の辛さをよくわかってくれているのを感じて、本当に感謝でいっぱいでした。そばに来ていた母も、父の優しい心遣いに涙ぐんで、その死んだ小鳥を「うらやましい」と言っていました