北緯44度の街から トップへ

  

三年目のこの街で

私がここ北の国に移り住んでから今年で3年目になる。初めてここの街の飛行場に下り立ったとき、飛行場があまりの小ささにすごくビックリしたことを今でも昨日のことのように覚えている。飛行場から当面の宿舎である学校の寮に行くまでの道のり、私は北の国ののどかな風景に安堵の思いをしたものだった。人口約2万人の小さな街。それが今私の住む北の国。

3年前の春、勤めていた会社が経営上の理由で突如清算したため、私は職を失った。最初、職を失ったときはどうしようかと思ったけれど、「もう1度学校に戻って勉強するのも悪くないなぁ…」と思い試験勉強を始めた。そして学校を選ぶことになったとき、私が高校生のころよりやっていたスポーツが出来るところがいいと思い、そのことを学校選びの最優先事項として志望校の絞込みをした。そして2月のある日のこと、1通の郵便が私のところに舞い込んできた。それは私が今通っている北国コンピュータ学院から入学許可であった。生まれてからずっと住んでいた街、東京を離れることが決まった瞬間でもあった。

私がここに来てまず最初にやったことは、私が所属できるようなチームを探すことだった。東京で社会人リーグに所属していた私は、ここでも同様に社会人リーグの属するチームに入りたいと思っていた。北の国のことが何もわからない私、最初はとても苦労した。学校へ行っていろいろと聞いたこともあった。学校で私の相談にのってくれた人は、ここの街に社会人のチームはあったけれど今は活動してないだろうという。私の年齢を考えると10代の若い人たちと一緒にやるのは体力的にムリだと思っていた。だから北国コンピュータ学院のチームに参加することにはかなりのためらいがあった。しかし、私のここでもプレーし続けたいという思いが失せることはなかったので、8月のある日、北国コンピュータ学院でコーチをしている農業工学の先生の部屋を訪ねた。

北国コンピュータ学院のコーチという人はとっても気さくな人である。ここの学校の先生は街に出てお酒を飲むということをあまりしないけれども、私たちのコーチは違う。夜な夜な街に繰り出し、お酒を飲んでいるのである。そのことは生徒の間でも有名なことで、コーチがいつも決まって飲みに行く飲み屋さんでバイトをする私の友達は、私が飲み屋さんへ行くと「今日はコーチが来ている」とか「来ていない」とか教えてくれる。こんな感じの気さくなコーチなので、私が初めてコーチの部屋を訪ねたときも私に気さくに話し掛けてくれ、9月になったらミーティングをやるからそれに参加してチームに入ればいいとアドバイスをしてくれた。

そしてシーズンが始まる直前の9月下旬のある日、私は恐る恐るミーティングが行なわれている会議室へと行った。会議室に入り、チーム参加に必要な書類を受け取ったとき、私は周りを見渡した。みんなの目が私に向かっていたことを今でも覚えている。なぜなら私がとても目立ったから。私のような体の小さな人がみんなと一緒に出来るのかというような興味津々の目だったかもしれない。そんなみんなの目から逃れるように私は会議室の後ろの方の席についた。しかし、そこに座った私はまた驚くこととなる。私の前には今まで見たこともないような体の大きな人が席についていた。私はその人を見た瞬間、驚きのあまり心臓が口から飛び出すのではないかと思った。なぜなら、東京の社会人リーグにはその人のような大きな人は見たことがなかったから。でもその人以外はみんな普通サイズであったので、これだったら私でもどうにかチームについていけることだろうと思った。

最初の年はチームがいい感じでまとまっていたにも関わらず、意外と負ける試合が多く、いい成績を残せなかった。しかし、私にとって2年目の北国コンピュータ学院は違った。2年目の去年は新入生が今まで以上にたくさん入った関係で、私たちのチームに多くの新入生が参加した。みんな、ここ北の国の出身なので子供のころからプレーしている。頼もしいくらいの新入生たちだった。そして練習以外でも、みんなで集まったり、飲み会をやったりする機会が多く、大所帯でありながらもチームには最初の年以上の結束力が生まれた。私はチームの中では目立つ存在のためか、みんなにすぐ名前を覚えてもらうことができた。そのせいか、去年は一昨年以上に居心地がよかった。

チームがまとまっているということは、自然とみんなの目標も1つに絞られ、選手全員が勝つことに貪欲になっていった。遠征先の試合では何度か負けたこともあったけれど、地元の試合ではほとんどの試合で勝ちを収めていった。北国コンピュータ学院の所属するリーグで3位以内に入ると、春休みに私たちはいつもよりも離れたところまで遠征をすることになる。それもいつもよりも長い時間の遠征。遠征というのは半分遠足のようなもので、試合が終わったあとの飲み会が私たち選手の1番の楽しみである。だから春休みの遠征は選手すべての望みであった。

年が明けて、今年の1月。私たちはリーグの中で3位以内にいたけれども油断は禁物だった。もし1つでも負けたらすぐに4位以下に落ちてしまう。そんな緊張感の中、私たち北国コンピュータ学院は勝ち進んでいった。1月末になっても私たちは3位を維持していた。そして次は遠征先ではこてんぱんに負かされた学校との地元での試合。この試合に負けたら私たちにはあとがなかった。だからだと思うけれど、今まで以上にみんなの心は1つになり、何と信じられないことに私たちは勝ったのである。学内新聞でも私たちの活躍ぶりはかなり大きな記事となり、紙上を賑わせた。春休みに私たちが試合をするかどうかは2月14日に決まる。この1月末の試合を奇跡的に勝った私たちの誰しもが春休みの予定を空けておいた。

今年の2月14日。その日、ここ北の国は吹雪だった。当初予定されていた遠征先での試合もキャンセルとなった。私たちは春休みに行なわれる試合のことで頭がいっぱいだった。順位の最終発表はこの日。朝から誰しもが落ち着かなかっただろう。でも、私たちは今年になってから1度も負けたことがなかったし、春休みはきっと楽しい遠征が出来ると誰しもが内心そうだと思い込んでいたに違いない。午後になって雪がひどくなる。この日の試合が延期されたニュースが先に届いた。みんなで午後からビールを片手に結果待ちの状態。そんなとき、順位が発表された。私たちはどういう訳だか4位に落ちた。勝ち続けていたのに順位が落ち、春休みに行なわれる全国大会への切符を失った。私たちの誰しもが結果に不満だった。しかし1度発表された順位は変わらない。私の全国大会への夢はここで絶たれた。

3年目の今年。チームはこじんまりとまとまっているけれども、去年のものとはちょっと違う。何か問題が起これば空中分解してしまうかもしれない。そんな感じなので今年は全国大会へ行くことはないだろう。もし、仮に切符を手に入れたとしても、私自身が行けるかどうかわからない。ちょっぴり残念だけど仕方がない。この街に住んで3年目。今まで無縁だった全国大会へ行けるかもしれないと思っただけでも私には満足。最初にミーティングに出たときの驚きは今でも忘れないし、チームメートとの間に起こった数々のことも私の記憶の中では決して消されることなく残っていくことであろう。

3年目になるこの街で作った思い出は数知れないものになり、いつまでも私の心に残るものになった。

2003年11月18日(火)

(『第六回雑文祭』参加作品)


補足:
題名は「三年」で始まること(例: 三年目の浮気)
「口から飛び出す」「内心そうだと思い込んでいた」「大会」を、この順序で雑文中に含めること。
  順序を守ること。たとえば「内心そうだと思い込んでいた」よりも前に「大会」を使ってはならない。
  お題はそのまま使うこと。漢字をひらいたり、語尾を変えたりするのは不可。


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