
問 題
我々は、主に視覚に頼って生活している。中でも、奥行き方向の距離を、目の網膜には1点として写るにすぎないにもかかわらず、知覚することができる奥行き知覚に頼っているといえる。奥行き知覚と呼ばれるが、わかりやすく言えば、遠近感である。もし、この感覚がなくなればどうなるだろうか。遠近感とは、距離感でありそれをなくすということは、例えば、人は物をつかむことが非常に困難になり、また、歩くことさえ安全ではなくなるということだろう。ここでは、「なくす」という表現を使ったが、実際、奥行き知覚とは、もともと人間が生まれ持っているものではないことがG. バークレイ(1709「視覚新論」)によって説明されている。バークレイによれば、両眼視差や、輻輳、調節などが対象の距離とともに変化すること、また、それらに伴う筋運動感覚や、それと同時に得られた他の経験との間の連合によって奥行き知覚が成立すると説明されている。
さて、ここでその遠近感というものが確かに感じられる実験がある。それが、幾何学的錯視の1つであるミューラーリエル錯視である。本実験ではこの錯視図形を用いることになる。幾何学的錯視とは、刺激図形の布置に関する空間的・幾何学的特性に応じて、見えの大きさ、形、方向などに歪みや変位が生じる現象をいう。他に、以下のように分けられる。
対比錯視:同じ大きさのものが、それより大きなものと隣接するときは、小さなものと隣接するときよりも小さく見える。(エビングハウス)
同化錯視:同じ大きさのものが、それとわずかに異なる大きさのものに隣接するときは、それと似て見える。(デルブーフ)
分離錯視:分割された距離は分割されない距離より大きく見える。(オペル)
角度方向錯視:線が他の線と交差すると、その方向がずれて見える。ふつう鋭角は、過大視、鈍角は過小視の方向にずれる。(ツェルナー)
このような幾何学的錯視の大部分は19世紀末に考案されたもので、当時は空間知覚の特殊問題として、ここの錯視がどうして生ずるかという興味本位に扱う傾向が強かったが、その後ゲシュタルト心理学などによって、錯視に見られる刺激と知覚のずれは、錯視現象固有の問題というよりは、日常環境を含めて広く視知覚一般に生じていることが強調されるようになった。すなわち、我々は外界の出来事を実際どおりに見ることはまれで、刺激と我々の知覚にずれが生じているのが普通である。従って、刺激と知覚とのずれが著しい幾何学的錯視を研究することは、視知覚とくに空間知覚の一般法則・統一理論を見出すための有力な手掛かりを提供することになる。これまでいろいろな試みがなされてきたが、誰にも受け入れられる統一的理論はいまだに提出されていないのが現状である。しかし現代の錯視研究には共通している点があり、いずれの幾何学的錯視も同時に提示されたいくつかの図形部分の間の相互作用に基づいて生じたものとみなし、その相互作用が刺激布置条件の組織的変化に伴ってどのように変化するか、という関数関係を求める方向にある。
目 的
ミュラー・リエル錯視図形において、斜線(付加線)の長さ、及び斜線と主線との角度のそれぞれが、錯視量に及ぼす効果を調べる。
方 法
刺激条件:ミュラー・リエル錯視図形を用い、次の各条件について測定した。

図1. ミュラー・リエル錯視
用いる刺激図形は、図1.に示すもので、内向図形の側は主線の長さが100mm一定、外向図形は主線の長さが連続的に変化できる。前者を標準刺激(standard stimulus: S.S.と略す)、それに対して後者を比較刺激(variable stimulus)という。その他の刺激の条件はすべて等しくした。実験は明室でおこなった。
手続き:調整法に従った。実験者は、任意の図版を取り、比較刺激が標準刺激よりも明らかに長く(または短く)みえるようにして、被験者(subject: Sと略す)に手渡した。被験者には、手にした刺激図形が自分の視線に対してほぼ直角になるように刺激図版を片方の手で支えさせ、もう一方の手で比較刺激(外向図形の主線の長さ)を静かに変化させていって、標準刺激と等しい長さにみえる点を求めさせた。もしも、比較刺激を変化させすぎて、標準刺激よりも短く(または長く)なりすぎたら、引き戻し、また長すぎれば押し縮めると言うように、自由に変化させて、両刺激が等しい長さにみえる点をできるだけ正確に決めさせた。決め終わると、実験者がその値を記録した。
このように、調整法では、比較刺激の変化の方向を調整の途中で自由に変えられることができるのであるが、調整の出発点に関して、比較刺激のほうが明らかに短いところから始める上昇系列(ascending series)と、逆に明らかに長いところから始める下降系列(descending series)の2つが考えられる。それを組み合わせることによって、系列誤差を除く配慮をした。また、両刺激の空間的配置条件の影響(空間誤差)を相殺するために、標準刺激を被験者から見て左に置く場合と、右に置く場合とを設定した。したがって、この両者の組み合わせ4通りそれぞれ2回、計8回の測定をおこなった。
以上の手続きにより、各条件の図形のついて測定するが、その際、条件の測定順序はランダムに定めるようにした。
実施上の注意:(1)上にあげたように、図形の空間的配置の影響や系列効果を除くために、次のように実験の順序を考慮し、片寄らないようにした。
1.標準刺激左・比較刺激右・下降系列
2.標準刺激左・比較刺激右・上昇系列
3.標準刺激右・比較刺激左・上昇系列
4.標準刺激右・比較刺激左・下降系列
5.標準刺激左・比較刺激右・下降系列
6.標準刺激左・比較刺激右・上昇系列
7.標準刺激右・比較刺激左・上昇系列
8.標準刺激右・比較刺激左・下降系列
また、刺激図形を被験者に手渡すときに比較刺激の最初の長さが毎回同じにならないように注意した。
(2)実験者は、被験者に対して、物理的に等しい長さを求めるのではなくみえの長さを比較するよう、また、図形を全体的に観察し、主線の部分だけを抽出して比較するといった態度をとらないよう、十分に教示した。
(3)観察距離が変わることで条件を乱すことがないように、被験者には、常に腕をいっぱいに伸ばした距離で図形を観察するようにさせた。
(4)実験者が測定値を被験者に知らせないように気をつけた。また、結果について、被験者にほのめかしたりすることも避けた。
結果の整理:測定結果は、比較刺激が標準刺激と物理的に等しい点(100mm)からどれほどずれているか、つまり錯視量を示したものである。
実験終了後に各条件ごとに、平均値(mean: M)と標準偏差(standard deviation: SD)とを算出した。また、PSE(point of subjective equality)とは、主観的等価値のことで、標準刺激の主線の長さの物理的な値と主観的に等しく見える値という意味である。
結 果
表1と、図1から、A、B、@の順に、実際の長さより短いと判断した量が多いことがわかる。また、Aと@から、判断した長さの平均の範囲は74.1mmから81.5mmであることが示されている。
表1. 一定角の時の斜線の長さによる見た目の量の違い
斜線の長さ |
@15mm |
A35mm |
B45mm |
斜線の角度 |
30° |
||
1 |
-20.7 |
-27.3 |
-28.3 |
2 |
-20.3 |
-27.8 |
-29.7 |
3 |
-18.3 |
-27.3 |
-24.5 |
4 |
-13.8 |
-19.0 |
-19.5 |
5 |
-15.3 |
-26.5 |
-20.5 |
6 |
-20.8 |
-26.5 |
-27.0 |
7 |
-19.8 |
-25.7 |
-26.3 |
8 |
-19.3 |
-26.8 |
-23.7 |
M |
-18.5 |
-25.9 |
-24.9 |
SD |
2.5 |
2.7 |
3.4 |
PSE |
81.5 |
74.1 |
75.1 |
図1. 斜線の長さと主観的等価値
表2と、図2から、C、D、Eの順に、実際の長さより短いと判断した量が多いことが分かる。また、CとEから、判断した長さの平均の範囲は71.0mmから79.2mmであることが示されている。
表2.斜線の長さが一定の時の角度の違いによる見た目の量の違い
斜線の長さ |
30mm |
||
斜線の角度 |
C15° |
D30° |
E60° |
1 |
-31.0 |
-26.8 |
-17.2 |
2 |
-28.5 |
-32.3 |
-22.0 |
3 |
-31.2 |
-27.8 |
-27.0 |
4 |
-26.0 |
-22.5 |
-16.3 |
5 |
-27.5 |
-25.3 |
-20.7 |
6 |
-31.2 |
-26.7 |
-21.8 |
7 |
-29.3 |
-28.8 |
-23.8 |
8 |
-27.3 |
-23.0 |
-17.5 |
M |
-29.0 |
-26.7 |
-20.8 |
SD |
1.9 |
3.0 |
3.4 |
PSE |
71.0 |
73.4 |
79.2 |

図2.斜線の角度と主観的等価値
考 察
斜線の角度が30°の時、斜線の長さが15mmのものと35mmのものとを比較すると、15mmのものより35mmのもののほうが7mm(SD=2.7)程度、見た目の量が少なくなるという傾向が見られる。同じように35mmのものと45mmのものを比較してみると、35mmのものより45mmのもののほうが1mm程度、見た目の量が多くなるという結果が見られるが、条件別に比較してみると、そこにはその傾向は見られなかった。これらから、斜線の角度が同じ時、斜線の長さが短くなるほど錯視量は少なくなることがわかる。しかし、斜線の長さが長くなるほど錯視量が多くなるということは言えない。一定の長さを超えると、斜線はそれ以上には錯視には影響しないということが考えられる。その影響を与える斜線の限界の長さが、主線に比例する長さなのか、それ自体の長さなのかは本実験では明確にされなかったが、おそらくその比率は10:3(100mm:35mm)〜10:5(100mm:45mm)の間であることが推測される。
また、斜線の長さが15mm、35mm、45mmのいずれの場合にも、条件4(標準刺激右・比較刺激左・下降系列)において最も錯視量が少なかったことがわかる。さらに、これは後の斜線の長さが同じで、斜線の角度が違う場合にも当てはまっている。バークレーが奥行き知覚を説明する際、調節、輻輳、両眼視差を要因としているが、その中でも両眼視差が、この条件4の結果に関係しているのではないかと考えられる。両眼視差とは、両眼が水平方向に約6cm余り離れて位置するために生じる、両眼に映る像の差のことである。これが何らかの影響を与え、右より左にあるものの方が短く見えるということが考えられる。条件8も同じ条件で、条件4より明らかではないが、そこに同様の傾向が見られる。しかし、条件3と7にその傾向が見られないことから、全くの偶然か、あるいは上昇・下降系列が関係していたのではないかと推測できる。推測はできるが、上昇系列と下降系列がどんな影響を及ぼすものかはわからなかった。いずれにしても本実験では、そこに位置効果がはたらいているかどうかは推測の域を出ない。
次に、斜線の長さが30mmの時、斜線の角度が30°のものと45°のものを比較したところ、条件2を除いて2mm(SD=3.0)程度、見た目の量が多くなるという傾向が見られる。同じように30°のものと45°のものも比較してみると、30°のものより45°もののほうが6mm(SD=3.4)程度、見た目の量が多くなるという傾向が見られる。これらから、斜線の長さが同じ時、斜線の角度が狭いほど錯視量は多く、広いほど錯視量は少なくなるということがいえる。また当然、斜線の角度が0°、90°のとき錯視は起こらなくなるということがいえるが、0°に近づくほど緩やかに錯視量は増加し、90°に近づくほど急激に錯視量は減少していくことがわかる(表2.)。
参 考 文 献
心理学の基礎知識 1970 東・大山・詫摩・藤永 有斐閣双社
心理用語の基礎知識 1973 東・大山・詫摩・藤永 有斐閣双社
ミューラー・リェル錯視外向図形における経験の効果 1952
東 洋 心理学研究 22 111-123.
ミュラー・リャー錯視に関する文献の整理 1952 島田一男
心理学研究 23 111-123.
錯視図形―見え方の心理学― 1984 今井省吾 サイエンス社