戦国談義


『勃発!・本能寺の変〜天下統一の志を継ぐ者は誰だ』

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天正十年五月二十八日。
洛西愛宕山にて明智光秀主催の連歌興行が行われた。世にいう『愛宕百韻』である。そこで明智光秀は信長に反旗を翻す決意を固めたといわれる。光秀の発した余りにも有名な発句



光秀をしてその決意を固めさせたのは一体何だったのか。今となってはその真相を知る術もない。しかし運命の歯車はゆっくりと、しかしはっきりと廻り始めた。戦国史上最大の英雄「早すぎた天才」・また自称「第六天の魔王」織田信長との永遠の決別へ向かって...。


天正十年六月朔日。
明智軍一万三千は毛利と対峙中の羽柴秀吉の救援に赴くとして亀山城を後にした。通常亀山から中国に赴くには西へ向かい三草越を行うが、何故か進路を東に取りその軍勢は粛々と夜の丹波街道を南下していった。


天正十年六月二日。
子の刻。
軍勢は老の坂に差し掛かった。ここは右へゆけば摂津へと抜ける西国街道、左へ行けば京の都。兵卒には「信長公に出陣披露をするため」と告げ軍勢を右に向けた。
虎の刻。
軍勢は桂川に差し掛かった。ここで初めて光秀は本心をその軍勢に示した。 「我が敵は本能寺に有り!」

!!!

一万三千の軍勢が京の町に満ち溢れた。
就寝中の信長勢が異変に気づいたとき、秀満、利三らの率いる明智軍四千余が本能寺を蟻の抜け出る隙間もないほどに囲んでいた。兵力差は一目瞭然。信長は「明智か。ならば是非に及ばず」と言ったという。いつしか本堂から火の手が上がった。燃え上がる業火の中で戦国最大級の英雄はその生涯を閉じた。自ら好んだ幸若舞「敦盛」そのままに...。
また妙覚寺から二条御所に移り必死の抗戦を行った信忠も衆寡敵せず、二十六歳を一期としてその一生を終えた。
光秀の信長襲撃計画はここに完全な成功を収めた。しかし信長を中心として纏まりかけていた全国統一への道筋はいまやまたも混沌とした闇の中に消え去ってしまった。

その夜。
ひっそりと大坂湾を抜け、瀬戸内へと向かう一艘の早舟があった。
艫(とも)に掲げられし旗は「熊野烏」。この烏は神武東征の先導を務めたという伝説の「八咫烏」のこと。その烏が今は闇夜にその姿を隠しながらひたすら先を急いでいた。
「熊野烏」を掲げしは世に名高き雑賀水軍。此度の知らせを一刻も早く盟友毛利家に伝えんがために夜に昼を継いで舟を進めていたのであった。
はたして当代の「八咫烏」は何を導こうというのであろうか...。


天正十年六月三日。
深更。
四国征伐への出港直前に本能寺の変発生を知った長宗我部征伐軍は「明智軍来襲」の風聞に怯え雲散霧消してしまった。 そのため神戸信孝・丹羽長秀・津田信澄はひとまず大坂城に入っていた。この日、夜も更けてから信孝は長秀を自陣に呼んだ。
信孝>「五郎左衛門、待っていたぞ。」
長秀>「若殿、如何なされた?。何か異変でも出来(しゅったい)いたしもうしたか?」
信孝>「いや、他でもない七兵衛が事よ。」
長秀>「津田殿が何か?」
信孝>「そちも知っておろう。あやつは憎っくき日向の婿ではないか。奴が此度の事を知らなかったはずがあるまい?。今は忠義面しているがそれはこちらの虚を衝こうという為のものであろうが。向こうがその気ならわしにも考えがある。それはな・・・・」
長秀>「若殿!それは確たる証拠が有りもうすのか?いやしくも織田家の序列五番手ともあろう御方がいかさまそのようなこと...」
信孝>「五郎左!そちはわしの言う事が信じれんと申すのか?この信孝の下知には従えぬと申すのか!!父上、兄上亡き今誰が織田家を継ぐと思っているのだ!あの愚鈍な三介などに任すと織田家は持ちこたえれんわ!!このわしこそがふさわしい!!。そのわしの命令が聞けぬのか!!!」
信孝の目は血走っていおり、完全に逆上していた。ここで意に逆らうと拙いと長秀は思った。
長秀>「い、いや決して従えぬなどというわけでは...。」
信孝>「ならば早速わしの言うとうりに手配いたせ。くれぐれも抜かり無きようにな。」
長秀>「はっ、...。」
偉大なる父を俄(にわか)に失って自分を見失っている信孝は正常な思考ができなかった。周り全てが敵に見えていた。「やらなければやられる...。」彼の頭の中にはただそれだけしかなかった。
一方、長秀は信孝の言うような事はまずはあるまいと思っていた。しかしながら長秀自身も万が一...と考えないわけではなかった。それに信孝は逆上しており、いちど承諾したからには実行せねば今度はこちらの身が危うい。
「津田殿も御不運な。日向守の婿となったばかりに...。」深いため息をついた後、信孝の「下知」を実行するために方策を考え始めた。
さて、大坂城にいる将兵の中には信孝の醜態に愛想を尽かしている者が少なからずいた。そもそも主将が毅然としていれば軍勢が雲散霧消するはずなどないのである。そのような頼りない大将よりも、この件においては非常に難しい立場に立たされたにも関わらず毅然とした態度を取り続けている「一段の逸物」とも評される信澄のほうが優れて見えてくるのは自明の理である。
ここに大谷主水という者がいた。彼は北伊勢の豪族で信孝の寄騎として此度の四国征伐軍に参加していた。昨今信孝には飽き足らなく感じていたところに「本能寺の変」発生後の一連の流れにおける信孝の周章狼狽ぶりを見て完全に愛想を尽かせた。信孝と長秀の話を脇に控え聞いていたため、信澄に好(よしみ)を通じる好機とこの件を手土産にして早速信澄の下へ急いだ。
主水>「夜分遅くに恐れ入ります。実は急ぎお耳に入れたき話が有りまする。」
と今聞いたばかりの事を話した。
信澄>「まことでござるか?それがしも日向殿の婿ではあるが、亡き大殿の御恩大なる故それにお応えしようとしてまいったに、この信澄を仕物にかけようとは何たる仕打ち・・・。」

信澄は自分が暗殺されようとしているのを知り愕然とした。

同じ頃。

備中高松の日差山にある小早川隆景の陣所ではつい先ほど羽柴秀吉から伝えられた新たな和議条項の是非を協議していた。昨日までとは打って変わってその割地条項を今までよりも緩めようという物だった。
隆景>「何故羽柴筑前は俄に割地を緩めようというのか...?」
織田勢はもうすぐ信長自身が援軍を率いて備中までやってくるのである。その後では信長は和議など聞く耳をもたないだろうし、戦って毛利が勝てる見込みもない。となると信長来着前に和議を結びたいのは毛利の方である。何故向こうから折れてくるのか?集まった諸将誰もが考えあぐねていた。

そこへ一人の近習が現れた。。
近習>「申し上げます。ただ今紀州雑賀より早舟にて植松平大夫殿が参られました。火急の用件につき今すぐ御会いしたいとの事でございます。」
隆景>「雑賀から...?何用であろうか。よし、御通ししろ。」
近習>「ハッ。」
先ほどの近習に伴われて一人の男が現れた。
平大夫>「お初にお目にかかります。それがし雑賀海賊の植松平大夫と申しまする。」
隆景>「それがしが小早川左衛門佐でござるが、火急な用件とは一体何事でござる。」
平大夫>「天下の一大事にござりまする。昨日未明洛中本能寺において織田前右府殿が惟任日向守殿の謀叛により御生害されました。三位中将どのも討死にとの事であります。」
諸将>「何と!?」「真でござるか」「天の助けじゃ!」
隆景>「皆様方、静まられよ。なるほど羽柴筑前が俄に下手に出てきたのは、このことあるを知ってか。おそらくは急ぎ上方にとってかえし、前右府どのの弔い合戦を行おうという腹じゃな。」
それを聞いていた吉川元長は俄然いきりたった。
元長>「前右府どのが亡いとなれば羽柴筑前など恐るるに足らず。和議など必要無し!。わしが一気に備中表から追い払ってくれるわ」
隆景>「少輔次郎どのまたれよ。我が方にとって此度の事は正に天輿の僥倖。今後についてとくと話し合おうではござらんか。植松殿、ご厚意まことに忝けない。これよりわれらにて今後について話し合うゆえ宿所で御寛ぎくだされ。誰か、植松殿を宿所にご案内申し上げろ。」

こうして羽柴秀吉との和睦を前にして本能寺の変発生を知った毛利勢は今後の対策を協議し始めた。
降りしきる雨の中、いつ終わるともなく白熱した評定が繰り広げられていた。



はたして光秀は天下を治められるのか?
それとも織田家臣が弔い合戦に光秀を倒し織田家の天下が続くのか?
はたまた・・・
ひとたび廻り始めた運命の歯車は如何なる結末を導くのであろうか?
その行方は誰も知らない...。







ようこそ「戦国談義」へ。
八月は不肖この森田丹波守がホストを務めさせていただきまする。
明智光秀といえば必ずついて廻るのがこの「本能寺の変」であります。
光秀の行った行為は日本史のみならず世界史を変えたといっても過言ではなく、まさに「歴史の分岐点」というにふさわしい一事なのです。それゆえに事変の直後から様々な議論が繰り返されてきました。
昨今ではその原因について考える人間の数だけ説があるといっても過言ではありません。曰く「野望説」「突発的行動説」「怨恨説」「不安説」「ノイローゼ説」「皇室守護説」「朝廷黒幕説」「秀吉黒幕説」「家康黒幕説」「義昭黒幕説」「伊賀忍者犯行説」「光秀無罪説」その他諸々・・・。
その是非はまた別の機会においておくとして今回私が「戦国談義」を主催するに当たり取り上げたのは「もし、光秀の思惑どうりに事が進んでいたならば一体歴史はどうなったのであろうか」という事です。
皆様ご承知のとうり、光秀最大の誤算は毛利と対峙していて動けないと睨んでいた秀吉がすぐさま兵を退き上方に異常な速さで帰ってくるというウルトラCの離れ業をやってのけた事、世に言う「中国大返し」に他なりません。 ならばそれが起こらなかったとすれば、もしくは起こったとしても上方に帰ってくるのがあれほど迅速でなければどうだったか...

それでは、八月一杯宜しくお付き合いお願いいたします。

平成十一年水無月廿日 森田丹波守





議論の前提条件として以下の点を指定します
壱,本能寺の変は完全に光秀の計画どうり行われたとする。(即ち「実は信長は本能寺を脱出して・・・」「信忠は二条城から脱出・・・」という観点からの議論は今回は対象外です。)
弐.昨今様々に取り沙汰されている「黒幕・共謀者」はいない事とする。あくまでも事を起こしたのは光秀自身ということ。
三.光秀軍(正確には明智家の宿老)以外に事前にこの事があるのを知っていたものはいなかったものとする。
四.津田信澄は自分が暗殺されようとしているのを知ったとする。(注:敵の敵が味方とは限らない。)
五.毛利−羽柴の講和前に毛利家は『本能寺の変』発生を知ったものとする。


以上の点を踏まえた上で皆様の活発な議論をお待ちしております。



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森田丹波守


※“戦国談義”について・・・   “戦国談義”とは、「歴史ネットワーク」を核とし、同サイトに登録しているメンバー(=歴史関係サイト)
  の有志が 「お題」を提案し、各々のBBS上で読者の方から広く意見を募って歴史を楽しもうという企画です。

[ 1999.08.01〜08.31 に集中掲載されました ]


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