「天正戦記」


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第一話 備中高松の宴

月が高く空を駆け、地上に繁栄の姿を映し出す。高松城を水没させている湖上に。城主・清水宗治の心中やいかん。
運命の早舟が瀬戸内を奔り、毛利陣中に届けたもの。それは、新しい月の到来だった。
6月2日。本能寺の変、起こる。
翌日深夜、優勢に戦局を進める羽柴秀吉の陣中に、弟・小一郎秀長が参上。
「兄者、なにやら怪しいものを捕らえ詰問したところ、このような書状をもっておりました。どうやら、毛利の陣とまちがえてさまよっていたようです」
「密使か」
「おそらく。東からの使者ゆえ、相手が誰かわかりかねまする。拷問にかけておりますが、その書状の中身を見れば、わかるのでは」
信長より中国方面軍を預かり、毛利軍と高松城を挟んで対局を続けていた秀吉は、この書状で涙する。しかし、黒田官兵衛の、
「しっかりなされよ。いよいよあなたさまが天下を取るのです」
という一言により、むくむくと湧きあがってくる野心が、寂寞の情を越えた。
「官兵衛、毛利との和睦の件を進めよ」
「条件は……備中・美作・備後・伯耆・出雲の割譲と清水宗治の首でいかがでしょうか?」
官兵衛は狡猾なまでに秀吉の考えを読んだ。
毛利に信長横死の事実を知られてはならない。この講和は平和的でも制圧的な目的で結ばれるわけではない。羽柴軍団が京に引き返すための時間稼ぎなのだ。したがって、弱気な姿勢を見せてはならない。
「よかろう」
秀吉はもう石田三成を呼びつけて、道中の手配を命じていた。

同じ頃、毛利陣中はおだやかでなかった。
「黙れ、隆景ッ」
「いいえ黙りませぬ。今ここで筑前守に攻撃することはままなりませぬ。むしろ、和議に応じて、恩を売るが毛利家のためです」
「筑前は天下人になれぬわ」
「可能性はゼロではありませぬ。当方に火急を報せてくだされた雑賀の者には悪いが、当方は知らなかったことにして騙されるべきです」
雑賀よりの報せに続き、安国寺恵瓊を呼び出す使者が羽柴方より舞い込んできた。その後から、ずっと吉川元春と小早川隆景はこんな調子だった。
小早川隆景は遠い視野から次の天下人にもっとも近い秀吉に恩を売って毛利家の安泰を図ろうという。一方の、吉川元春はこれまで侵略された毛利領を取り戻す、延いては先年に因幡鳥取城にて地獄絵巻の中で自害した一門の吉川経家の弔い合戦をするという。前者は御家のため、後者は武士の意地・誇りのため、どちらも戦国武将の正しい主張であるから、決着などつくはずもない。さらに、二人は毛利家中のトップ2である。これに口だしできるものなど限られている。
その一人が一族総領・毛利輝元であるが、彼の御仁はずっと黙したままだったが、
「輝元さま、お二人の論議は終わりそうにありませぬな。ここは、輝元さまの意見でもって毛利家の総意となさられよ」
と、安国寺恵瓊が論争の一瞬の隙間を縫って発言すると、やっと輝元の唇が開いた。
場にいるものすべてがその唇に注目する。
「わしは……祖父の遺言に従って、筑前守を追撃する」
なんとも含みのある言葉だったが、吉川元春に賛成との意味に違いない。元春は何かいわんとして立ちあがった嫡男・元長を制して、弟を見やった。
「承知しました。これより、羽柴軍追撃の入ります」
小早川隆景はあっさりと了承した。諌言申したてることは山ほどあっても、輝元は当主である。輝元と元春の選択もまた、毛利家の道であるのだ。
「ふぉっふぉっふぉ。どうやら結論が出たようじゃの」
「お願いします、恵瓊老。とりあえず……」
「わかっておる。講和に乗ってこればよいのじゃな。……じゃが」
「我が属将・清水宗治の切腹は避けられぬ条件でしょう。それがしとしては、宗治に事実を伝えた上で散らせてやりたい。あの男は、もう死を覚悟しております」
隆景は家臣の置かれている立場に涙した。

安国寺恵瓊が羽柴陣中に赴いている頃、清水宗治にも水中を潜って城内に入った使者によって事実がもたらされた。
「輝元公以下には、重々の返礼を申しあげてくれ」
宗治はそんなことを言った。
「我が、散り華。敵味方、十万将兵の視線を集める舞台を与えてくれたことを」
翌日午前中、高松城の湖に一艘の小舟が浮かんだ。
すでに秀吉は宇喜多軍を岡山に返しているし、毛利家は戦闘準備に追われている。

  憂世をば今こそ渡れ武士の
     名を高松の苔に残して

清水宗治は毛利・羽柴双方に願われ、惜しまれつつも自害した。彼が死ななければ、何も始まらないから。宗治は一点の曇りなき武士を成し遂げた。



第二話 猛追

毛利・羽柴の講和成立は双方の利害を覆い隠すだけの、見せかけに過ぎなかった。秀吉は京へ取って返すために、毛利の追撃が邪魔だった。毛利家は秀吉を追撃するための準備と油断を誘うためである。

宇喜多勢一万が岡山城に入った頃合いを見計らって、羽柴本隊が東へと進み出す。日付が変わって午前二時になっていた。本隊は、岡山・姫路を経て一直線に畿内に入るつもりで、わずか三日を予定していた。
「急げ、急がぬかッ。上様の仇を討つのは我らぞ。飯も糞も走りながらせよ。遅れるものは捨てておく。隊列の邪魔になると感じたものは勝手に離れよ。咎めはせぬ」
秀吉の最初の試練は岡山までだった。その間に毛利の追撃があれば、タイムロスにつながる。しかし、岡山を越えれば、追撃があったとしても先発した宇喜多勢が効いてくる。なんとしても明け方までに岡山を越える必要があった。

小早川隆景本営。

「よいか、岡山だ。岡山まで羽柴軍を追撃する。敵を全滅させることはかなわぬかもしれぬが、時間を稼げればよい」
毛利・小早川の軍勢は今か今かと追撃の下知を待ちつづけていた。岡山までの追撃の指揮を執る隆景も、時間との戦いに焦りの色を隠せない。羽柴軍が完全に陣払いするまでは動けないのだ。

六月五日午前四時。

秀吉は落馬していた。
「なんじゃとッ!」
「真でござります。毛利の追撃隊が後列を攻撃しています。すでに蜂須賀正勝さまが引き返して殿軍を務めておりまする」 「小六が……ならば、わしらは先を急ぐ。岡山じゃ……岡山じゃ」
秀吉は新しい馬に乗りかえると、ふたたび駆け出していた。
その頃、羽柴軍団の猛将・蜂須賀正勝はもっとも難しいとされる退却戦を繰り広げていた。退いては止まり矢玉を撃ち、また少し退く。
「おのれ、毛利め。約定を違えたかッ」
自分たちのことを棚に上げる正勝であった。
追撃する小早川隆景には余裕があったが、蜂須賀勢の殿軍をなかなか崩し切れず、羽柴本隊との差は広がるばかりだった。
「手を緩めるな。あのような戦がいつまでもできるはずもないわ」
隆景の言う通り、蜂須賀勢は次第に数を減らし、殿軍の役を担えなくなっていた。

朝日が昇る頃、地に血の雨が川となり蛇行してた。毛利・小早川の追撃は岡山城近くまで続いたが、宇喜多勢の迎撃が現われると、潮の引くよりも早く引いていった。秀吉のタイムロスは大きなものではないが、人的被害は大きかった。殿軍を請け負った蜂須賀正勝の戦死である。さらに、毛利に謀られたという精神面も痛打となった。これから先も追撃と戦わねばならないことが否めない。
「毛利に使者を送れ」
「約定を違えるとはどういう了見か、と。……無駄です。おやめなされ」
苛立ちのつのる秀吉を黒田官兵衛がなだめていた。
「後は宇喜多の岡山城があります。かような心配は無用かと。それよりも、他にやっておくことがあります」
「池田恒興と摂津衆の調略なら任せる。走りながらやれ」
と、秀吉は仮眠を取りにいった。

深夜の追撃を果たした小早川隆景は、笹ヶ瀬川の西岸で小休止を取っていた。
(あとは兄上がうまくやるだろう。我らは岡山をにらんでおけばよい)
毛利家の追撃はまだこれからだった。
追撃に参加しなかった部隊は瀬戸内を船に揺られて、移動中である。船上に立つ吉川元春に闘志の炎が宿していた。
(毛利の牙がどれほど狂暴かということを教えてくれるわ)
 吉川勢四千、彼らが秀吉の最大の誤算になる。



第三話 山崎へ

六月三日の夜空は、前日の夜空と何ら変わりない。未明にかけて起こった、本能寺の惨劇など歯牙にかけない夜空の姿は、誰のためにも同じように心を澄み渡らせる。それは、当事者の光秀にも、中国戦線に立つ秀吉にも、毛利家の面々にも、そして信長の血を引くものたちにも同じように。

羽柴・毛利の講和会談の席がもたれている頃である。四国遠征のために結集された一万四千の軍勢は大坂にあり、三七郎信孝・丹羽長秀の両将が率いていた。信長の三男である三七郎信孝は、本能寺の変が起こると父の弔いよりもまず己のために動いた。同行していた従兄弟の津田信澄殺害を企てたのだ。この企てを三七郎の家臣から密告された信澄は当然憤った。
(このわしを殺害するとは……わしが日向守に連動していると思ってのことか)
信澄は光秀の女婿であるから、疑われる可能性は十分にあったが、それ以上に、後継者争いに加わりかねない信澄を三七郎信孝が抹殺しようとしたのだ。
(わしが動かせるのは三千、岳父どのは……)
兵力差を計算した結果、信澄は大坂城を脱した。もちろん切り開いての脱出であるから、小規模ながら戦闘も起こった。
「奴を逃がすなッ」
「若殿、津田どのが向かった先は京の方向ですぞ。もしかすると、日向守も近くに来ているかもしれませぬ。追撃よりも、味方の混乱を鎮めましょうぞ」
丹羽長秀に諭されてまわりを見ると、兵たちの動揺は大きかった。
「ぬうう、七兵衛め。光秀もろとも討ちとってくれる」
三七郎信孝は苦虫を噛みしめながら、城内に引き返した。その後の動きはさすがに信長に才能を認められただけのことはあった。四国への先発隊として送りこんであった三好康長へ救援を差し向けて阿波の拠点を保ち、長宗我部元親へ書状を送って休戦を呼びかけた。自軍を落ちつかせると、摂津に駐屯している池田恒興や中川・高山の摂津衆に合流を指示している。

六月六日。

この日までに近江・山城の主要な城を制圧した明智光秀は、朝廷への接近と細川や筒井などの諸大名へ協力を呼びかけていた。大坂を脱した津田信澄は義父・光秀と合流すべく、京へ向かっていた。
(このまま京へ入ってもおもしろくない。わしの手で三七郎を打ち倒してやる)
と、信澄は明智軍団の力を借りることを思いついた。光秀は信澄が大坂を脱したことを知りつつも、安土城を動いていない。それを信澄が動かすのだ。山崎の天王山に布陣した津田勢三千は、安土へ向けて使者を発して信孝軍団との対 決を迫った。その結果、光秀は安土城を明智秀満に預けて、一万六千の軍勢を率いて山崎への移動を開始したのだ。一方、大坂の三七郎信孝も、
「筑前は中国で毛利の追撃を受けていると聞く。父の仇討ちはわしが中心になって行なうべきもの。五郎左、我らも山崎へ出るぞ」
と、あわただしく動きはじめたのだった。



第四話 木綿と米の誤算

岡山城で休息を取った秀吉は、新たに戦略を練りなおしていた。毛利の追撃を抑えるために本隊から兵を割かねばならないし、畿内のほうも動きが見られた。
「どうする、官兵衛」
「毛利の追撃がどこまで本気か測りかねます。蜂須賀隊からの報告によれば、吉川の軍勢は参加してなかったようですし、解せぬこともあります。とにかく、明るいうちに駆けるとしか申せません」
さしもの黒田官兵衛も毛利が反撃の牙をむくとは思っていなかった。毛利家宛ての使者を捕らえたのだから、毛利が情報を握っているはずないと確信したのが大きな過ちだったのだ。
「官兵衛、池田らからの返答は?」
「なんとも……。それよりも、大坂を脱した津田信澄の動き次第では、我らは蚊帳の外に置かれるやもしれませぬ」
「三七郎が仇討ちの旗印になるか……まずいな」
本来なら中国から返してきた秀吉が旗印になって明智光秀を倒す算段だった。思わぬ毛利の追撃によるタイムロスがこれ以上つづけば、畿内に戻ったころには合戦が終わっている可能性さえありうる。
「とにかく、姫路までが勝負だな」
かくして、羽柴軍団一万五千はふたたび岡山を発して東へと駆け出したのだった。

池田恒興。
言わずと知れた、信長の乳兄弟で、その忠誠心は家中において右に出るものなし。本能寺の変を知ったものの、独自で動くだけの器量のない恒興は沈黙を守っていた。
「父上、三七郎さまから山崎に向かうようにとの書状が届いております。上様の供に仇を討とうとのことです」
嫡男の元助は乗り気だった。
「元助よ、わしは上様のためなら何でもできた。御家を捨てることもな」
「父上……?」
「信孝さまは上様の子息の中でもっとも才気にあふれたお方だが、上様ではない。無条件に手を貸すことなどできぬ」
恒興の言わんとするところは、誰が後継者になるかを見極めねばならないとのことだ。
「すんなり行けば、三七郎さまに相違ありませぬ。それがしは山崎へ向かうべきかと」
「山崎で負ければどうなる。信雄さまも健在だが、明智方についた津田信澄とて後継者の資格は持っておる」
「では、父上は三七郎さまが敗れると」
「副将に五郎左がついていたとしても、日向は家中一、二を争う実力の持ち主じゃ。中国の筑前か、北陸の匠作どのでなくては日向には勝てまい」
ならば池田恒興ならばどうなのか。信孝軍に加わったとしても、光秀には勝てない。恒興はそう自分を含めて判断していた。

六月九日。
先に山崎に現われたのは信孝軍であった。その兵数は一万。対する明智光秀は夕刻になって勝龍寺城に入った。その兵数は一万五千、加えて天王山に布陣する津田勢三千。
「なぜ、池田恒興は来ぬッ。五郎左、使者はちゃんと送ったのであろうな」
丹羽長秀はうなずいたものの、悪寒を感じていた。
(池田も摂津衆も信孝を見限った。これでは勝てまい)
歴戦の長秀であるから、光秀の力の程もよく知っている。その差が兵力差をさらに広げることも。
「ともかく、もう一度使者を送ります。それまでは、守備的に務めて決してこちらから打って出ないように」
このままでは勝てない。しかし、時間を置いても援軍はおそらくないし、寄せ集めの軍勢であるから士気が落ちて脱走も考えられる。
(わしは貧乏くじを引く運命にあるのか……)
丹羽長秀は己の運命の幕引きを感じていた。


Written by Tenyo(天陽様作) 摂津村重伝




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