宝永地区に伝わる民話

其の弐

 

木の芽峠の山賊のはなし

―兄を改心させた弟の真心―

 

 ずっと昔のことです。

 今の宝永三丁目の興宗寺の祖先にあたる住職に大そう恩を受けた菊屋五平と言う百姓が居ました。

 恩というのは、病気でなくなった父の葬式を行うときに、貧乏のあまり、どこのお寺も引き受けてくれなかったのを興宗寺の住職の情あるはからいで、無事すませることができたことです。

 葬式をすませた、初七日の日、五平はつくづく考えました。

「このような田舎では一生貧乏するしかない。いっそのこと、わずかの家屋敷をしまつして江戸へ出て一働きしてみよう。」

 そして江戸へ出た五平は、わき目もふらずに十二年間働きつづけました。

 貯えもできた五平は、ある日主人に、

「父の十三回忌の法要をしとうございます。しばらくお暇を下さい。」

と申出ますと、主人もその孝心に大そう感心して多額の餞別を渡してくれました。

 喜び勇んで故郷へ帰る途中、木の芽峠ですっかり日が暮れてしまいました。

 しかたなく、山中の一軒家に泊めてもらいましたが、これがまた、山賊の家で、ためたお金もいただいた餞別もすっかり奪いとられてしまいました。

 五平にとっては泣くに泣かれぬ気持ちだったでしょう。

 それでも、護身用にと山賊にたのんで錆び刀一本をもらった五平は、福井には戻らず再び江戸に足を向けました。

 主人の家に戻って、事情を話しますと主人は、気の毒そうな顔をして、

「大変であったな。気を落とさずに働いて、もう一回、やり直してごらん。それにしても山賊からもらったと言う刀を見せなさい。どうも並みのものではないらしいよ。」

と言って刀を手に取りました。そしていろいろに調べて見ると驚きました。素晴らしい名刀だったのです。何百両もする業物だとわかりました。

 刀屋がどうしても売ってくれと言うことで売りましたが、それは山賊に奪われたお金の何倍にもなる金高でした。

 何年かの後、再び主人に暇をもらって、五平は福井の道を急ぎました。

 そして再び山賊の家を探しあてて、山賊にあいました。

「あなたに頂いた錆び刀は、実は天下の名刀で大そうな値段で売れました。これは私がもってはならないお金です。私の奪われたお金は差し引いて、残りをあなたに返します。さあ受取ってください。」

 これには、山賊も驚いてしまいました。

「お前というやつは・・・・・正直というのか、馬鹿というのか・・・・・一体どこのどいつだ。」

 山賊の問いに五平は、故郷のこと、自分のことを話しました。

 すると、山賊の顔色がかわり、やがてはらはらと涙をこぼして申しました。

「ああ、何と言うことだ。お前はわしの弟だ、自分の父親の葬式もしないで、こんな所にいて・・・その父親の法要の金まで奪うなんて・・・・・わしは事情があって、父や母や家まで捨てて、このような悪事を働いている。恥ずかしいことだ。」

「父が死ぬとき私に申しました。『お前には一人の兄がいる。家をとび出して悪事を働いている不孝者だ。この子を真人間にするまでは、わしは死ぬにも死ねない気持ちだ。兄に逢うようなことがあったら、どうかこのことを伝えてくれ。』と。」

五平も涙にくれて、そう話しました。

「すまない、申し訳もないことだ。故郷に帰ろう。帰って父の霊を慰めて、今までの不幸をお詫びしよう。さあ。」

かたく心をきめた兄は弟をせかしました。

 こうして前非を悔い改めた兄は弟と連れ立って故郷に帰り、ていちょうな父の法要をいたしました。興宗寺の住職に対しても、今までのごぶさたを詫び手厚いお礼もいたしました。

 兄は今までの悪事を正直にお上に申し上げましたが、お上でもその改心をほめて、軽い刑ですませてくれました。

 これらの子孫は今日でも続いて、栄えておられます。

 この村に、菊屋と言う姓の家はほかにもあってそれぞれのお寺の門徒なっていますが、御幣の子孫だけは今でも興宗寺の門徒になっています。

参考文献『福井むかしばなし』