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ヴェルヌに関する名文集

とくに科学書を夥しく読破してノートを作ることで、あの驚嘆すべき科学精神と知識とを身につけたばかりか、進行する小説のなかに組み入れる独特の科学的記述の文体まで発明した点に注意したい。(サルトルの言う「手に汗を握る場面になると、物語の糸をたち切って、有毒の植物やその固有の生棲地の描写をこまごまと述べる」種類の話法だ。)そこにはヴェルヌがシャトーブリアン、バルザック、或るいはポー、ディケンズから読み取った筋金の入った叙事の文体がある。……(中略)……スタンダールと大デューマの作品が彼に小説構成の妙を感得させ、これまで苦心してきた喜劇・オペレッタ等の劇作体験が作中の会話に精彩をあたえた。入念に練りあげた構想は緻密で堅牢な文章で組み立てられてある。省略本などで読んでは(あるいは飛ばし読みをしては)彼の文学の醍醐味に達することはできぬ。《驚異の旅》の真の意味はその「細部表現」の密度にあることを知らねばなるまい。

--- 曽根元吉、『南十字星』(中公文庫)の訳者あとがきより


つい今しがた大人になった私、ずっと以前から大人であった私は、自分の内にある子供という痛ましい死骸の残り少ない断片を探してみようと思った。この子供は相も変わらず草原(ステップ)や大渦巻(メールストロム)、氷原や太平洋に魅せられている。海も、私の生半可な学問も、生活の火もこの子供をヴェルヌから解き放ってはくれなかった。目の見えない私の手はナージャの肩に添えられたままであって、私は今なお彼女を愛しているし、永久に愛していくことであろう。夜の住人である私は、エレンのために黎明の山を願ってやまない。この本を書いたのは、そのことを、つまりこの終わりなき旅を語るためである。

--- ミシェル・セール、『青春 ジュール・ヴェルヌ論』(法政大学出版会)の巻頭より


若きヴェルヌの少々ぎこちない叙述には、まだ芝居がかった台詞を書く癖が目立つが、もっとも厳密で、もっとも実際的で、もっとも現実的な意味での未来予見者の強烈な個性がすでに現れている。彼のこの未来予見能力は確かに、決して作り話をするまいと自覚していることに依る。と同時に、現実が秘めている未来の可能性が明らかになるまで、ほとんど催眠術をかかるのに必要なほど鋭敏な注意を集中して、現実を見つめるところにも由来している。『地底の冒険』の旅行者たちが携行しているルームコルフ装置の構造に注目して胸躍らせる読者ならば、地下鉄に乗る時には必ず、『二十世紀のパリ』に登場する、列車をゆるやかに推進させる電動気送管のシューという音をひそかに耳にするにちがいない。

--- ヴェロニク・ブダン、『二十世紀のパリ』(集英社)の出版者序文より


ヴェルヌの小説からそのなかの科学的言説をとり除いてみたらどういうことになろうか。月世界旅行は月の神話を消し去ったという意味で現実によって乗り越えられ、空中をゆく世界一周は飛行船から飛行機に代って日常茶飯事と化し、海底周遊はヴェルヌの小説中のものと同名の潜水艦によってすでに遠い昔に実現されている。ところが、まことに逆説的なことながら、ヴェルヌにおける虚構の言説に当るものがすでに現実によって取って代られていながら、彼の操る「科学的」言説のほうは時代のちがいという点から見て、今日の読者にとって、かえって彼の小説の虚構性あるいは幻想性を保証する結果になっていることがある。たとえば今日の専門的知識から見れば誤りもあるにちがいないにしても、『海底二万海里』などは、詳細をきわめる海底の動植物の名称と解説によって水族館的知識の宝庫であり、わたしたち一般読者にはときに実態のよく分からない海の生物名の延々たる羅列をたどっているうちに、いつの間にか深海の神秘の世界に誘いこまれるという効果をあげている。

--- 篠田浩一郎、『空間のコスモロジー』(岩波書店)第8章より


last modified on 2004/02/26