SANTA's H.W.sub_(index-lovepf) [Since 2001/4/08]_[2011/06/07 更新]


愛のペイ・フォワード拡大計画

愛を広げよう

あなたの愛を次の人に伝えよう

あなたの愛がドミノ倒しのように

世界に広がる

あなたの決心が世界を変える


あなたは  人目の愛の伝道者です。(^-^)

(since 2001/04/08 : counter 2002/03/23)


 映画『ペイ・フォワード』をご覧になりましたか?
主役のハーレイ・ジョエル・オスメント君かわいかったですね。(^^)・・・・・えっ?そういう問題じゃない?失礼しました。(^^;
 あの映画の中では、相手の人が望むことをしてあげていましたよね。でも、本当に広げていかなければならないのは、見かけの優しさや親切ではないと私は思っています。

 たとえば、『苦言を呈する』という言葉もあるように、本当に相手のことを思ったら、相手が望むことではなく、むしろ相手が嫌がることをすることになってしまうこともありまよね?

 大切なのは、相手やその瞬間を肯定しているか?受け入れているか?
ということだと思います。私は、それが愛だと思います。広げていくべきなのは、その心、意識です。それが拡がって行くと、変わったのは私たちひとりひとりの意識であるのに、世界が変わってゆくことになります。なぜなら、世界とは、個人の集合体だからです。
そして、それが一定の数を超えたとき・・・・・百匹目の猿現象が。

 以前に、ここの掲示板であったお話です。その方は
「世界には日々の食べものにも困っている人がいる。そんな状態では、瞑想もできないから、ボランティアをしてよくしていきたい」と言っていました。

 でもね、私が思うに、まずその人の考えは現状否定から始まっています。そして、貧困の中で生活している人々を自分達では何もできない弱い人達だと感じているのではないでしょうか?

 私の定義では「助けること」と「救うこと」は違います。「助ける」というのは、相手が自分の自由意志で立ち上がろうとしたときに手を貸すことです。
 ところが「救う」というのは、手を貸すのではなく、立ち上がりたいという望みはあるけれど、自分で立ち上がろうと決心していない人の望みをまるまる叶えてあげることです。それは、その人の自立を助けるどころか、逆に自立の芽を摘むことになりかねません。

 その違いがどこから生じるかといえば、その現状を肯定しているか、否定しているかだと思います。人の場合であれば、相手を信頼しているかどうかということであり、そして最終的には、神と呼ばれることもある大いなる力を信頼しているかどうかだと思います。

 現状を否定していたら、その状態で在ることを許せませんから、すぐさま救いたくなるはずです。
 しかし、ニューエイジ思想では、すべての出来事は、自分の霊的成長のために(ハイアーセルフとしての自分)自ら引き寄せている、創造している、といいます。偶然はなく、すべては必要・必然・ベストタイミングなのです。どんなときも、ほんの小さなことにも大いなる力とでも呼ぶべきものの配慮があるのです。そして、神(大いなる力)はその人が背負えるだけの荷しか背負わさない、といいます。
否定的感情が続く時は、気づきや成長のチャンスなのです。神様が与えてくれた贈り物だという人もいます。

 しかし、自由意志が私たちにある以上、大切なのは、自分で決心することなのです。愛のある人、現状を肯定できる人、受け入れられる人は、待つことができます。いつまでも優しい目で見守ることができます。立ち上がることを強制するのではなく、勧めることができます。それが無条件の愛です。そんな愛の意識から、何かをしてあげたいと思ったとき、それは無償の愛です。

 そのためには、まず自分を本当に愛することが必要です。あるがままの自分を認め、愛することができた時、あなたは生き生きと輝き始めます。あなたが愛として輝いているとき、その輝きは、自然に周りに広がっていきます。でも、それに一言添えて、1人ではなく、2人(映画のように3人でなくても良いんです)に伝えたら、そしてその人がまた同じように次の人たちに伝えたら・・・・・

 

傍から見ると犠牲に思えるようなことも、

自分を犠牲にするのではなく、自分がそうしたいからそうする。

「無償の愛」ですネ。(^^)

そんなとき、あなたに「ありがとう」と感謝の言葉を言う人に、

一言言ってあげてください。

(ホントは声に出さなくでも、心の中で言うだけでもいいんです)

「私は私のしたいことをしただけなんです。だからお礼はいりません。

替わりに、その感謝の気持ち、愛の気持ちを持って

誰か別な人に、同じように

その愛を何かかたちにしてあげてください」と。

 

 この計画は、世界に戦争や争い、飢餓や貧困、暴力や虐待など不幸な出来事・状況がたくさんあるから、それを何とかしたいというような否定的動機から始まったものではありません

 本当は不幸な出来事・状況などというものはないのです。すべてが中立です。不幸に見えるのは、あなたの意識がそれを否定しているからです。そういう観念を選択しているからです。

 あなたが、本来中立な出来事に意味付けをしています。
中立の出来事にあなたが意味を与える、するとそれはあなたの中に、自分が与えた意味をもって存在することになります。肯定的な意味を与えれば、肯定的なものとして、否定的な意味を与えれば、否定的なものとして。

『あなたが与えたものが、あなたが受け取るもの』なんです。(^^)

 

 この計画の前提には世界をまるごと受け入れることがあります。つまり統合意識拡大計画でもあるのです。たとえば、現状が私達の霊的成長のためにあるのだと肯定して受け入れ、そして次にしたいこと、つまり次の選択、創造をするのがこの計画なのです。受け入れる理由が人それぞれに違ってもかまわないと思います。大切なのは受け入れた上でしたいことをすることです。

 たとえて言えば、ここにカレーの材料があって、『カレーが食べたい』と思ったのなら、誰でも次の選択としてレーを作るように、今、磨かれないダイヤモンドのように輝くことを忘れた愛があって、『その愛が輝く姿を見たと思ったこと』から、始まりました。(^-^)あなたも愛に輝く世界が見たいですか?

 もし、以上の趣旨にご賛同いただける方は、以下の条件を再度ご確認の上、あなたにできることでご協力ください。

 重ねて申し上げたいのは、
「絶対的な善悪があることを前提に、その善をなす、というような物事を二つに分けた一方だけを選択するこれまでの二極化の価値観」
をやめ、『善悪などは相対的なものであることを認識して、まるごと受け入れるという新しい時代の価値観』を選択する、ということなのです。それを分離意識(二極化意識)から統合意識への転換、と私は呼んでいます。

 

 以下に簡単な説明をつけましたが、特殊な言葉を使っていますので意味が理解できない方は、このサイトの『幸せを感じるニューエイジな生き方』での説明を参考にしてください。また、このサイトの『はっぴー掲示板』などでお問い合わせください。

愛のペイ・フォワード拡大計画の参加条件

(分離意識から統合意識への転換)
(旧パラダイムから新しい時代のパラダイムに再定義)

1.あるがまま(今・素)の自分を愛する(受け容れる)、と決心する。
(無条件の愛の最初の一歩。
それは条件付で自分を愛するのを止めるってことですね。

2.今の瞬間のすべてを愛する(受け容れる)、と決心する。(無条件の愛)
(これが一番大切です。言いかえれば「善も悪も受け入れる」ということなのです。)
(すべて同じ価値、今の状況では今のすべてが最善、すべて神様の贈り物と分ること)
(仏教的に執らわれない心になる、といってもいいと思います。)

3.(2により現状を否定せず)
 今の状態に感応して自分がしたいと感じたことをする、と決心する

(しかし、結果に執らわれない・・・2に戻りどんな結果も受け容れる)
(自分の奥から湧き上がる宇宙・神からのメッセージに従うということ)
(本当の自分を表現する、創造するということ)
(宇宙の流れと一体化するということ)
(無償の愛)

 後は、2と3を繰り返すことになります。

すべてに「決心する」が最後についているのは、
そう決めた自由意志を尊重するということです。
それは、そう思いながらもできないことがあったとしても、
それはそれでいいじゃないか、
できないことも受け入れよう、ということです。
大切なのは、愛へ向かう自由意志の方向性です。

自由意志が統合に向いているか、分離に向いているかということです。

※ この生き方を「ヒカリズム」と呼び、それを生きる者を「ヒカリスト」と呼びます。
※ 光の存在としての自覚を持ち、光り輝いて生きる生き方です。

 

愛のペイ・フォワード拡大計画の参加条件についての簡単な説明

 2の「すべてを愛する(受け入れる)」については、
『なまけ者の悟り方』という本のあとがきに山川紘矢さんが書かれた
この言葉がわかりやすいと思います。

 そもそも「さとる」とはどういうことなのでしょうか?
本文中にも説明がありますが、このことは人によって、それぞれ定義、解釈が異なることでしょう。

私が学んだことは、
「枠をはずす」あるいは「限界を設けない」そして「すべてを愛する」ということだと思うのです。

「こうあるべきだ」
「何々でなければならない」
「これは正しくて、あれは誤りだ」
「この方が上だ」
「この方が得をする」
「勝つ方がいい」

というような自分の体の中に根をはっている判断基準に一つひとつに気づいて、

「この世には何でもあり得る」
「良いも悪いもない」
「さとってもさとらなくてもいい」
「今の自分が最高」
「この世はこのままで素晴らしい」

ということが体の中から湧き上がってくることではないでしょうか。

つまり、すべてを受け入れ、愛する、ということです。
そうすると地獄のような状況にいると思っていたのが、実は天国にいたことを発見するのです。

だって、この世には太陽も月も星もあり、空気もあり、緑の木々もあり、花もあり、鳥は歌い、蝶は舞い、ありとあらゆる植物もあり、本当にすごいところなのですから。

(タデウス・ゴラス 著/山川紘矢・亜希子 訳「なまけ者のさとり方」地湧社刊 P119〜P120)

 出来事は中立ですから、本来良いこと、悪いことというものはないわけです。
それなのに自分で良いことと悪いこととか正しいこと、間違ったことのように二つに分けています。それ自体は別に問題ではないのですが、それを絶対視して、それ以外の見方を認めなくなってしまうと問題なのです。

 それは、あたかも、本来、表も裏もない石ころに対して自分の価値観で「こちらが表(善、良い、正しい、美しいなど)」と決めつけて、他の見方を認めないようなものです。あなたが表と決めたとたんに、裏が生じます。そして表だけを受け取ろうとしますが、それは無理です。石ころを丸ごと全部受け取ることが必要です。
 別な言い方で説明すれば、「すべてを愛すると、決心する」とは、こんなふうにもいえます。

光と闇、美と醜、正義と悪、
これら全ては
前があるから、後ろがあるように
ふとした拍子に
変化してしまうものだ。

大切なのは
そのどちらにも とらわれる事なく、
その表裏一体
全てを 受け入れる覚悟を持つ事

 (武井宏之「シャーマン・キング」第9巻P95)

 神との対話には、悟りについてこう書いてあります。

宇宙で起こることはすべて、完璧に起こるべくして起こっている。
<中略>
すべてに完璧さを見るなら
−あなたが賛成できることばかりでなく、
(とりわけ)賛成できないことでも完璧だと考えるなら−
悟りを開いたことになる。
<中略>
悟りとは、「ありのまま」を批判せずに受け入れることから始まる。

(『神との対話3』3P186)

 なんとなく、おわかりいただけてきたでしょうか?(^^)

 すべてを愛する、そのことを自分に向けたのが、1の「あるがままの自分を愛する(受け入れる)」ということです。
 「今の欠点だらけの自分を愛することなどできない」、という方がよくいます。しかし、それでは「〜になったら愛する」という条件付きの愛になってしまいます。それでは愛ではなく、取り引きです。

愛とは、あるがままを受け入れる、つまり無条件のものです。

 長所というのも、自分が素敵だと思う誰かを基準にして、それを良いものとして目標にしているということにすぎません。しかし、すべての人の個性が同じだったらかえって困るでしょう?個性が違うから意味があるのです。本来、どれが優れているということもないのです。長所、短所というのも相対的なもので、状況が変われば、短所と見えていたものが長所に変わることもあります。そういうものは、すべてただ個性なのです

その説明には、淀川長治さんのこのお話がわかりやすいと思います。

「暗くなるまで待って」という映画があるでしょ?
かよわい盲目の女がギャングに襲われて死を覚悟する。
もうダメと思った時に「君にしかないものがある」という神の声を聞く。
それはなんと「目が見えないこと」だったんですねえ。
明かりを消して部屋を真っ暗にした結果、彼女は助かった。

(『生老病死の旅路』読売新聞社=編より)

 ある条件のもとで、欠点、短所だと信じて疑わなかったことが、実は条件が変われば長所にもなり得る。それが、シャーマン・キングで述べられている「光と闇、美と醜、正義と悪、 これら全ては前があるから、後ろがあるように  ふとした拍子に 変化してしまうものだ。」ということです。山川さんの「この世には何でもあり得る」「良いも悪いもない」ということです。短所などないからこそ、一見短所があるように見えるあるがままの自分も無条件に受け入れられるのです。

 また、あるがままの自分というときの「あるがまま」には、二通りの解釈があります。簡単に言えば、悟る前の、今現状の欠点だらけに見えている自分。そして悟った後の自分です。

 多くの人は、悟るとは、何かこれまでと違った優れた存在になることだと勘違いしています。ですから、欠点を無くすように自分を変えていかなければならないと思い込んでいます。
 ですが、そうではないと私は思います。悟る前も悟った後も自分は何も変わっていないことに悟った後に気がつきます。よく言われるのが『悟ろう、悟ろう』と思っている間は、悟ることができない、と言うことです。『悟ろう、悟ろう』と思うということは、悟ることがよいこと、悟らない自分は劣ったもの、という分離意識があるということだからです。ですから、山川さんは、
「さとってもさとらなくてもいい」と言っています。逆説的ですが、そのことに気がつかなければ、悟れないのです。

 『悟る』とは、ただ『統合意識』になることです。つまり、ただ「すべてを愛する」ことができることが『悟る』ということなのです。それは、何かができるようになるとか、個性を変えるというようなことではなく、何も否定しなくなった『素の自分』(になる、ではなく)で在る、ということです。それがあるがままの自分なのです。
 つまり、もう一つの『あるがままの自分を愛する』ということは、『素の自分、そのまんまの自分を愛する』ということなのです。シッタカブッタというマンガのタイトルにもありましたよね。『そのまんまでいいよ』って。それが悟りなのです。簡単なことなのです。

そして、そのまんまの自分とは統合意識、つまり、神と同じ意識、愛のことだと思います。

催眠療法で光の存在はこう語ります。

D:「人間って、何ですか?」
C:「愛そのもの・・・・・本当は」(P78)

D:その光に尋ねてください。「人間は、何のために生きているんでしょうか?」
C:成長するためだそうです。
D:「成長して、人間は、最後には何になるのでしょうか?」
C:光になるそうです。(P209)

D:「人間は何のために生きているんですか?」
C:「勉強するため」
D:「勉強していったら、最後には何になるんですか?」
C:「神に」(P261)

飯田史彦、奥山輝実共著「(光との対話が人生を変える)生きがいの催眠療法」PHP研究所刊より)

 また、自分がそのまんまでいいのなら、すべての人がそのまんまでいいということになります。だから、そのまんまの自分を愛する人は、誰かに「おまえはもっと良くなるべきだ、こう変わるべきだ」というようなことは言いません。ただ、その人が否定的感情にとらわれて苦しんでいる時、「受け入れることでしか、それは解決できないよ」と言います。

 そして、悟らない自分がいなければ、悟る過程を体験できません。そのために悟る前の自分、本来悟っていること(愛で在ることを)を忘れている自分がいるのです。まず、それを認めてください。それが、山川さんのいう「今の自分が最高」ということだと思います。

3の「現状を否定せず、その状態で自分がしたいことをする」というのは、1の「あるがままの自分を受け入れる(愛する)」から導き出されることです。

 これまでは、自分で自分の価値観に従って何かしたいと思っても、親の反対や世間体でやめたりすることがあります。それは親の価値観や世間の常識のためにあるがままの自分の気持ちを否定しているということです。あるがままの自分を本当に愛し、受け入れることができたら、そこに湧く自分の本当の思いも同じように愛し、受け入れることができるはずです。ただ素直に、あるがままの本当の自分の思いに従いましょう。ということです。
 もちろん、それがバランスのとれた素晴らしい思いであるとは限りません。その場合、その結果は、否定的な感情や思いをもたらすでしょう。否定的感情や思いがあるということは、必ずそれをもたらした「〜であるべきだ」「〜でなければならない」というようなある考えに対するこだわりがあるはずです。「〜であるべきだ」「〜でなければならない」という限定から、現状がはみ出していたから、否定しているはずです。

 ですから、その否定的感情、思いを受け入れた上で、もうそれを味わいたくないと思えば、その「〜であるべきだ」「〜でなければならない」というこだわりを手放せばよいだけなのです。『どっちでもいい』と思えたなら、否定する必要はなくなりますから、否定的感情も起きません。そうやって受け入れことが愛することになっていくのです。

 もし、自分の正直な思いを否定してしまったら、それはもう自分を生きていないということに等しいと思います。かけがえのない自分を大切にし、瞬間、瞬間を大切に生きましょう。

 

分離思考が問題な理由

分離思考ではなぜいけないのでしょう?
 まず、分離思考になったから、統合思考へ向かう体験ができるのですから、それ自体が悪いことだということではありません。それは必要なことなのです。

 何が問題なのかといえば、それぞれの人により価値観が違うということは、「善悪」や「正しい、間違い」という判断が、それぞれの人によって違うということなのに、分離思考とは、自分の価値観を基準にして「善悪」や「正しい、間違い」という判断をし、それに執らわれ、それしか認められない、ということだからです。さらには自分の正しさを他の人に押し付けようとすることになるからです。

 例えば、バーミアンの石仏を破壊したイスラム教の人たちは、自分たちが信じるイスラム教の教えに従って、偶像を破壊するという「正しい」ことをしたのです。しかし、別な価値観をもった人は、それを悪いことだと言ったわけです。それが争いに繋がるのです。

 それを防ぐためには、すべての人が同じ価値観を持つか、それぞれの人が別な価値観を持つことを受け入れるか、以外にないと私は思います。そして、実現可能なのは後者だと思います。そして、それはある意味、大きな意味ですべての人が同じ価値観を持つことだともいえると思います。

 誰かが、自分の価値観とそれに基づく判断の絶対的正しさを主張し、周りの人を変えようとするのならば、それは、その人が世界を征服し、支配者になって、すべての人を従えるまで続くことになります。それができなければ、どこかで挫折し、否定的感情を味わうことになります。

 そして、実際は死を含め、人の力の及ばないことがあるわけですから、たとえ世界の支配者になったとしても、挫折を味わうことは避けられないのです。

統合意識を勧める理由

 一方、受け入れること、愛することは、その瞬間から幸せになれます。

 多くの人は、幸せとは、なにか自分の外にあるもの、周りの環境、状況のように考えていますが、それは間違いです。
 幸せとは、心の状態です。否定していないときの心の状態、または、肯定しているときの心の状態です。

 否定していませんから、否定的感情が湧くことはありません。穏やかな心でいられます。

光の存在は、こう言っています。

D:「本当の幸せって、どういうことですか?」
C:「なかなか幸せだとは感じられないものだけれど、穏やかさの中にいるということこそが、本当の幸せなのだ・・・・・」(P236)

飯田史彦、奥山輝実共著「(光との対話が人生を変える)生きがいの催眠療法」PHP研究所刊より)

分離意識を選ぼうが、統合意識を選ぼうが、それは本人の自由であり、自由意志に任されています。ですから、山川さんは、「さとってもさとらなくてもいい」と言っています。(これには深い理由があると思いますが、それには触れません)

 ただ、分離意識では必ず、否定的な感情を味わうことになり、統合意識(すべてを受け入れる意識)を選択すれば、穏やかな心、幸せでいられるということです。

それを山川さんは、
つまり、すべてを受け入れ、愛する、ということです。
そうすると地獄のような状況にいると思っていたのが、実は天国にいたことを発見するのです。
と言っていますね。(^^)

 

統合意識について

これまで、あった分離した概念を統合していくのが統合意識です。

例えば、ある部族には、3までの数字の概念しかなかったそうです。
数を数えると「1.2.3.たくさん、たくさん」
3つをこえたら、すべて「たくさん」だそうです。

そうなると6つでも7つでも、同じことです。
それと同じように自他の概念区別が統合されれば、 自分でも他人でも一緒になります。
それが自他の概念が統合されたということです。

実際は、そこまではっきりと自他が統合されることはないでしょう。
しかし、身内(本来、自分の身の内という意味から来ています)や親友であれば、つきあいの浅い他人には遠慮して言えないことも、
言えるようになるということは、誰しも体験していますよね。

 また、統合意識、悟りというものは、一度なったらずっとそのままということはありません。
人生とは、毎瞬、毎瞬選択の連続です。
その選択の瞬間に「イエス(Yes)」と肯定し続けることが必要なのです。

その選択のときに統合意識かどうか(統合思考をするかどうか)ということなのです。

悟り(統合意識)と感情

 よく質問されるのが、「悟ると感情がなくなるのか?」ということです。

 悟っても、悲しみも苦しみも心の痛みも辛さもそのままあります。悟ると、ただ自然になります。悲しいのにそれを認めなかったり、怒りをこらえたりしません。

感情とは、考えを元に、出来事(思うことも含め)をきっかけに生じるものです。考えがある以上、感情はあります。しかし、考えに執らわれていなければ、それは自然の感情として、数十秒で消えます。

感情はありますが、悲しみや怒りに振り回されることもありません。
いつでも、そこから自由なのです。失恋の痛みをもう少し味わいたいと思えばそれを味わい、この楽しさの中に、喜びの中にいたいと思えば、それをします。

仏教学を含めたインド思想の世界的権威、中村 元がこんなことをおっしゃっています。

 人間には生きている限り、迷いがついて回るものです。
生きるということは、さまざまな選択の連続ですから、不断に迷いが起こることは避けられません。
私もしょっちゅう迷っていますよ。(笑)

しかしですね、古い仏典を見ますと、
悟りを開いた後のお釈迦様に対してさえ、悪魔は何やかやと誘惑を続けていたとかいてあるのです。
 一般には、お釈迦様はすべての誘惑を断ち切って悟りを開いたと思われがちですけど、
どうもそうではないらしい。
むしろ、一生の間、こころを悩ますこともあったようなのですが、
日々の暮らしにおいて、迷いながらも、絶えず反省をし、努力を続けるなかにこそ、
悟りはあるということなのではないでしょうか。(P13)

(『生老病死の旅路』読売新聞社=編より)

 

ヒカリストとして生きる覚悟

ヒカリストの生き方は、統合思考に基づきます。これまでの生き方は分離思考に基づきます。
したがって、まったく正反対の(エネルギーの)方向性を持ちますので、
これまでの考え方に固執している人には理解できないために、
非難されることが出て来ると思われます。
以下の『神との対話3』の抜粋が参考になるかもしれません。

わたしになろうと努力しつづけるには、わたしを否定しなければならない。
あなたがたは、その努力をしたいだ。すべてになっているものにはなれない。
だから、否定というのは重要なことだ。
役に立つ道具(ツール)だ。
だが、そうでなくなればべつだ。(P319)

<マスター>は、幻想を見つづけようとする者が否定することを知っている。
幻想を終わらせようとする者は受け入れる。

受容、宣言、立証。これが神への三つのステップだ。
ほんとうの自分を受け入れる。
それを全世界に向かって宣言する。そして、あらゆる方法で立証する。(P319)

人生はすべて、自己の立証だ。
しかし、この立証はあなたにとって最大の挑戦になる。
自己を否定するのをやめれば、今度は他人があなたを否定するだろう。
あなたが神と一体であると宣言したとたんに、他人があなたは悪魔と組んでいると言い出す。
あなたが最高の真実を述べたとたんに、他人があなたは最低の冒涜を語っていると言い出す。
そして、おだやかに自分の悟りを立証したすべての<マスター>と同じように、
あなたは崇拝され、同時に罵倒されるだろう。
尊敬され、さげすまれるだろう。
たたえられ、、責めさいなまれるだろう。
循環を断ち切ったあなたを、幻想に生きている者はどう考えればいいのかわからないのだ。(P320)

 説明が難しかったかもしれません。しかし、それを実行することは決して難しいことではありません。完璧でなくても良いのです。ちょっとしたことで良いのです。臨死体験したときにベティ・イーディーさんが高次元の存在に見せられた以下の例を参考にしてください。

『そこには、なにか善いことをしているわたしの姿がありました。
善いことといっても、わがままを出さなかったという程度なのですが、
それがドミノの波となって外へと広がっていきました。
わたしがやさしくしてあげたその友人が、今度はその友人に優しくしてあげる、
こんなふうに連鎖が続いていくのです。
まわりの人の人生は、愛と幸せが増すばかりです。
こうなったのも、わたしのちょっとした行ないがあったからです。
みんなは、ますます幸せになっていきました。
幸せになったおかけで、人生の歩みも前向きで意義のあるものになっていきました。
わたしの心の痛みは、喜びにかわりました。』
(ベティ・イーディー著「死んで私が体験したこと」から)

 これだけ読むと、やっぱり「善いこと」をしたり、「やさしく」すべきなんだ、と思われるかもしれません。我慢して善いことをしたり、やさしくすることは、実際は心の中で否定しいるということです。この場合のベティ・イーディーさんは、今という瞬間をすべて受け入れた上で、したいことをしたら、それが「善いこと」であり、「やさしさ」だったということなのです。

 ご賛同いただける方は、はっぴー掲示板に書き込んでいただくか、メールをいただけたら、賛同者リストに掲載したいと思います。
その際、下記の賛同者リストに
掲載を希望される項目と内容をご記入ください。特に指定がない場合はわたしの判断で記入させていただきます。

とりあえずバナーを作ってみました。良かったら使ってください。
(もっとも調和が取れていて美しく安定した比率といわれている黄金率になっています)
(リンク先はここか、または以下)
http://www.geocities.co.jp/Milkyway/4017/index.html#lovepf

「愛のペイ・フォワード拡大計画」の説明に飛びます。

愛を広げよう

あなたの決心が世界を変える


賛同者の方々(賛同者リスト)

ハンドルネーム
(Mail)
名前 ホームページ その他コメントなど 賛同日
  ☆☆☆☆☆     ☆☆☆☆☆☆
         
るり     「人は何の為に生きているのだろう・・?」という疑問から始まった探求。
  やっと今ここに辿り着きました♪
2003/05/12
moon ちゃいるど     素のままの自分を生きるってなんてシンプルで楽しいんでしょう。光の仲間が気付かぬうちにどんどん増えていくペイフォワードの感動を私も生きたいと思います。 2003/05/09
たーくん     私は、行動して示します。だって、楽しいだもん! 2003/04/27
Minoru     素晴らしいご提案です。参加させてください
自分のすべてを受け容れ 天真爛漫、天衣無縫に 慈愛の共同創造に参画します。
2003/03/26
shio   マグダレナ シンプルなんだよね、本当に大切な事は、とてもシンプル。
だけど、理解の深化がないと、その本当の素晴らしさにはなかなか気付かない。
【愛のペイ・フォワード拡大計画の参加条件】3項目は、全ての基本だね。
どんな時もあれを思い出し、それを基準にすればいいんだなーって思ったの。
2003/03/09
AKIRA     ただ光で在ることを選択いたします。   2003/01/04
ちこ     愛に輝く世界って素敵! 2003/01/03
ぴぴちゃん     そうだ わたしのなかにもひかりがある
わたしのなかのひかりを もっとかがやかす 決心をしました
2003/01/02
不二子   Venus。。Palace とても素敵な考えだと思うので、私も参加希望したい 2002/06/10
ナン   angel room ペイフォワードは大好きな映画です。3回見てしまいました。
この映画のように....と夢見ています。
2002/06/01
ひまわりん     やっと このメッセージに触れるところまで
成長してきたのかな ♪
2002/05/29
高橋 泉 泉のほとり   2002/5/10
piyopiyo-tori   PIYOPIYO-TPRIi’S WEBSITE    
サンタのタケ
タケちゃん
鶴見武敏   さんたさんの「はっぴーわーるど」自体が素晴らしいプレゼントになっています。
私は、友人たちに、このHPをシェアーする事からペイ・フォワードを始めます。
 
ルナ   にこにこしましょう    
さちこ        
まっちゃん 松浦 一朗 ICHIRO30'S WEBSITE
ソウルメイトの部屋
   
hiland        
bambi      
まなりん   サブカル日記    
PJSAKAI。   PJ'S HOME    
倫(りん)fuji3        
mayo   paraiso    
きみどり     私の置かれた場で、私のまわりに広げていきます。 2001/06/21
なお   LOVE SPACE    
さんた   さんたのはっぴーわーるど   2001/04/08

※ 参加いただく際に、上記3つの決意以外一切の条件はありません。

※ 3つの決意自体も強制されることはありません。

※ 参加者リスト掲載も強制ではありませんし、掲載内容もハンドルネームだけでも構いません。

※ バナー掲載の義務もありません。

※ 他の義務もありません。「この世には何でもあり得る」

※ 賛同者リストへの掲載とは、あなたのためのものです。
それを希望し行動に移すというひとつの儀式のようなものなのです。
その儀式によって、あなた自身の決意がより確かなものになるはずです。
3つの決意を実践されることで、素晴らしい人生を送られることを願っています。


● Site Map

Main index

▲ Page top

あなたからのメールは最高の贈り物です。(^o^)

トップページへ

幸せ感じるニューエイジな生き方のサイト 「さんたのはっぴーわーるど」