『西遊記』をめぐるシリーズ 3
  インドはどこにあるのか  だからこそ国際人になってほしい人のためのコラム 15




 中世以前のヨーロッパで「インド」といえば、3つの地域を指し
ていたという。一つは文字通り、南アジアのインド。もう一つはア
ラビア半島。そして残る一つは、何とアフリカの東端、今でいえば
エチオピアとかソマリアのあたりだという。

 南アジアとアフリカじゃ全然違うじゃないか。そう思われるかも
しれない。確かにインドからソマリアまで、陸伝いに行こうとした
ら大変だ。パキスタン、イラン、ヨルダン、イスラエル、エジプト、
スーダン、エチオピア。日本よりはるかに大きな国家も含め、これ
だけの地域を通っていかなければならない。

 ただ一方で、インドとソマリアが思ったより近いのも、また事実
である。地球儀で見れば一目瞭然だが、インド洋をはさんで両者を
直線で結ぶと、高々日本列島程度の長さしかない。そう、昔の交通
は海洋中心だから、ヨーロッパからインドに行く時は、地中海から
若干の陸路を紅海に抜け、アフリカやアラビア半島に寄りながらイ
ンド洋を東進するというのが典型的なコースだったのだろう。そう
いう意味では、これら3地域が混同されて「インド」と総称された
のもわからないではない。

 では、ヨーロッパと並んでもう一つの世界史の主役である中国に
とって、インドとは何を忌みしたのだろう。

 中華思想の塊であるこの国では、古くから周囲の地域を文化的に
遅れた地域として蔑称してきた。ギリシア人が、それ以外の民族を
バルバロイと呼んだのと同じ発想である。

 ただ、その呼び方が面白い。東の野蛮人、西の野蛮人などと単に
方角だけを変えるのではなく、〈東夷〉〈西戎〉〈南蛮〉〈北荻〉
といった具合に、わざわざ下の言葉も言い換えているのである。
 形容詞と名詞とを組み合わせてトータルの単語数を節約する。そ
れが近代西洋的合理主義だとすると、これはずいぶんと贅沢な言葉
の使い方だ。いや、さすが漢字文化発祥の国というべきか。

 もう一つ面白いのは、東夷とか北荻とか呼ばれる地域が、純粋な
東西南北とは少しずれている点だ。
 だから『後漢書東夷伝』に描かれた日本はもちろん「東夷」だが、
同じ言葉で呉や越など、中国南部も指す。「北荻」は満洲地域など
の北東方面、「西戎」はタリム盆地などの北西方面、そして「南蛮」
は揚子江上流あたりの南西方面を指すという。

 さて、『西遊記』の終わり近くに面白い場面がある。
 インドでの留学を終えた玄奘の一行は、如来の命令で八大金剛の
雲に乗って一気にインドから中国へと飛ぶのだが、そこで観音様が
一行のこれまでの受難の数を数えると、81あるべきところが80しか
ない。そのため彼らは、途中で降ろされてしまう。落ちたところが
通天河。これは揚子江の上流地域であり、インドから長安への直線
コーズ上、まさに南西方面だ。要するに「南蛮」地域である。

 ところがその玄奘の見聞を、弟子の弁機がまとめた書物。これは
『大唐西域記』と名付けられている。それも当然だろう。玄奘のル
ートは、ヒマラヤ越えを避け、まず西北に向かっているのだから。
すなわち、往路でのインドは、西戎の果てにあったのである。

 それだけではない。インドから海伝いに来た文化というのがある。
長沢和俊氏が提唱する「海のシルクロード」というのがまさにそれ
だ。中国からそれを見ると、まさに東夷の果てにある文化ではない
か。こうしてここでもまた、「3つのインド」ができあがる。

 西洋合理主義とも、中国現実主義とも違う、〈神秘のインド〉。
 そんなインドは、中国から見てもヨーロッパから見ても、かくも
地理的多様性を持つのである。モダニズムの行き詰まりを越える可
能性としてインドが見直されるようになって久しいが、その神秘性
の一端が、こんなところにも現われているように思う。


                〈クラブ4WD〉加藤良平


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