
マッチ棒社会とマザーボード社会 だからこそ国際人になってほしい人のためのコラム 2
アメリカに長年暮らしていた友人が、面白い話を聞かせてくれた。ア
メリカでは、特に田舎を車で走る場合、ガソリンは入れられる時に入れ
るのが鉄則。しかしついそれを怠って山の中に乗り入れてしまった時の
話である。
案の定、街まであと5マイルというところで、ついにガス欠。通る車
に救いを求めるハメになってしまった。ローカル道路とはいえ車社会な
ので交通量はそれなりに多い。ほどなく一台の車が止まってくれ、街ま
で最低限必要なガソリンを買ってきてくれることになった。
で、戻ってきた車からガソリンを入れ、その代金(1ドルもしないだ
ろうが)を含めて、お礼に何か渡そうとしたのだが、相手はお礼も代金
もどうしても受け取らないという。彼がいうには、「私は貴方が困って
いたから助けた。これは当然のこと。そのお礼は私にするのではなく、
今度もし同じように困っている人がいたら、あなたがその人に同じこと
をしてやってほしい」。
無論、〈ちょっといい話〉で終わらせるためにこれを持ち出したので
はない。アメリカ社会の成り立ちを考える上で、こんなにいいエピソー
ドは他にないと思うからだ。
「他の人にお礼をする」とはどういうことか。多分、恩恵は社会から
受けたのだから、お礼も社会にする、ということだろう。これはまさに
フィランソロピー(博愛、特に近年は企業の社会貢献の意味で使われる
ことが多い)の考え方であり、またボランティアの発想である。すなわ
ち、アメリカには、まず社会という〈マザーボード〉があり、人間関係
とは実は、人間とそのマザーボードとの関係なのである。その意味で、
〈マザーボード社会〉といってもいいだろう。もちろん、実際問題とし
ては、知り合いもいれば赤の他人もいるのだが、それはたまたま知って
いるかどうかにすぎないのである。
一方、それに対して日本はどういう社会だろう。日本には〈身内意識〉
というのがあり、〈名刺を交わした間柄〉だと話をしやすい。一方で、
〈他人〉という言葉は、英語のストレンジャーに比べて、どこか冷たい
ニュアンスを持つ言葉である。
すなわち、二人の人間の間には、身内または他人というはっきりとし
た関係があり、そういった関係が重層的に張り巡らされることで、社会
の秩序が作られている訳である。近年よく聞く〈贈与社会〉も、そんな
特別な間柄の中で続くギブ&テイクであり、冒頭のガソリンのエピソー
ドとはまさに好対照だ。
この日本型社会に一番近いモデルをあえて探すなら、マッチ棒を組み
合わせて作った、船や建物の模型なのではないかと思う。二人の人間の
間のダイレクトな関係をマッチ棒に見立て、その関係の積み重ねで構成
される社会。この意味で日本は〈マッチ棒社会〉と呼ぶことができる。
「旅の恥はかき捨て」なんていう言葉もあるが、これもまさにこうい
った、絶対的な基盤が不在の社会の中を生き抜く一つの知恵だろう。
マッチ棒社会とマザーボード社会。もちろんどちらが良い悪いの問題
ではないし、また厳密な定義でもない。しかし、恐らく外国人にとって
入り込みやすいのは、マザーボード社会だろう。原則的にすべての人を
平等に受け入れてくれるマザーボードの存在は、レイトカマーには心強
いに違いない。
一方、マッチ棒社会の楽しさは、「縁」があることだ。この「縁」と
いう言葉を英語で説明しにくいのは当然かもしれない。しかし、国際化
に直面せざるをえない現代、マッチ棒社会の良さを捨てるかどうかは別
として、我々がそういった社会に暮らしているということは、しっかり
と自覚すべきであろう。
〈クラブ4WD〉加藤良平
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