留学体験記 2  須田純子さん

  どこの国の人とも物おじせずに友達になれるようになった。

                     制作:留学ネットワーク

行った期間 約1年
主に住んだ場所 ボストン郊外
主に通った学校 ベッカー短期大学
主に学んだ内容 一般教養
行く前の仕事 電子機器メーカー
帰国後の仕事 上智大学比較文化学部


 「やっぱり大学に行こう」。須田純子さんが高校を出て、とある電
子機器メーカーに入った時、最初に感じたことはそれだったという。
ところがそこから先が普通と違う。納得できる大学に入るには、得意
だった英語をもっと伸ばしたい。そのためにはまず海外で勉強しよう。
それで留学になったという。まだ海外留学が今ほど一般的になってい
ない、1980年代の話だ。

 とはいえ、親の協力は得られそうもない。「反対するというより、
そもそも本気にしていない、という感じでしたね(笑)」。
 では自分でお金もためなければならない。一人暮らしで英語の学校
にも通ってということで、経済的には大変だったのだが、何とか一年
間住むめどはつけた。

 「それで学校選びを始めたんですが、当時はフルブライト検索シス
テムというのがあって、それで探したんです。最初はアリゾナの学校
も考えたんですが、結局ベッカー短期大学に決めたのは、英語学校の
先生が薦めてくれたのと、向こうからの手紙の感じがよかったから。
そして上智大学に単位を移せるのが決め手でした」。
 ベッカーにとっても、日本人を受け入れるのはこの時が始めて。だ
から一層、渡航前も留学中も親切だったのだろう。

 しかし学業の厳しさは別だ。
 「とにかく読んでこなければならない割当が多く、普段はほとんど
それにかかりきりでした。留学生はみんなそうだったと思います」。
 時々MTVを観たり、週末にパーティーをしたりするのが息抜きだ
ったという。「しかし学期が終われば別。そもそもクリスマス休暇と
か、前期と後期の間とかは、寮にいちゃいけないんです。それじゃあ
遊びに行くしかないでしょう?(笑)」。

 それでニューヨークやカナダ、それに留学終了後はカリフォルニア
を旅行したという。「中でもニューヨークは歩くだけでエキサイティ
ングでしたね。街全体がアートみたいなものですから」。
 しかし一番気に入ったのは、住んでいたニュー・イングランドの田
舎町だという。「ビクトリア・スタイルの建築といい、ヨーロッパに
つながる伝統といい、本当に落ち着ける町でしたね。人間も自立して
いるし」。

 帰国後は、希望通り上智大学比較文化学部に編入。そこで日本学を
専攻したという。
 「周りには私と同じ留学帰りが多かったので、その意味では溶け込
みやすかった。ただ、ベッカー短期大学はかなり家族的なところがあ
るんです。一方、上智の比較文化って、日本の大学の中では相当個人
主義的。だからアメリカから日本に来て、普通とは逆のとまどいがあ
りましたね」。

 向こうでとった単位がモノをいい、上智大学は3年で卒業。その後、
英語スクールや国際交流団体に勤める。
 「英語力に関していえば、アメリカにいた一年より、上智の三年間
の方が役立ったと思います。上智の比較文化というだけで、けっこう
通訳とか翻訳とかの仕事が来たりするんですよ(笑)」。

 では、留学で一番資産になったものといえば何なのだろうか。「ど
この国の人とも物おじせずに友達になれるようになったことですね。
海外への見方が柔軟になったというか、文化の受け入れ度が広がった
というか」。

 「(留学の成功のためには)自分の留学の目的が、英語の上達なの
か、大学の勉強なのか。それをまずはっきりさせたいですね。話せる
ようになりたいなら、勉強はほどほどにして、とにかく現地の社会に
溶け込んで社交することが重要だと思います」。そう語る須田さん。
最後に須田さん自身の今後の夢を語ってもらった。

 「今は会議通訳をめざして特訓中です。一番うまくいってもあと3
年はかかるんで、これは気長にチャレンジしています。二度目の海外
ですか?あくまで漠然とですが、心理学、文化人類学、あるいは外国
語教授法を、アメリカのどこかの大学院で勉強できればと思っていま
す。あるいはヨーロッパやアフリカあたりで仕事をするのも面白そう
ですね」。



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