三善晃先生

拝啓

 三善晃先生、はじめまして。私はコール・ゆうぶんげんという岡山で活動を行っている合唱団の一員です。実は私どもの合唱団にて近々(6月28日)「嫁ぐ娘に」をメインステージに持ってきた演奏会を行う予定にしております。私たちはこの「嫁ぐ娘に」の楽譜について、練習を行ってきて、いよいよ本番間近という状況です。実は、演奏に先立ち、教えて頂きたい事がいくつかあります。「嫁ぐ娘に」の楽譜について、色々と団員と相談してみたものの、はっきりとした答えが出ないまま今日の日を迎えてしまっていたのが実状です。突然この様なお手紙を送りまして誠に失礼かとは思いますが、もし宜しければ色々御教示願いたいと思いますので私宛の封筒を同封しておきます。質問について色々とコメント下されば幸いです。 また、もし先生の御都合が宜しければお話を伺う時間を与えていただければ幸いです。その際は是非、先生の所まで伺いたいと思っておりますので職場にでもお電話いただければ幸いです。誠に不躾で申し訳ありませんが、宜しく御願い致します。

敬具

コール・ゆうぶんげん
高野芳治  平成10年6月14日(日曜日)
勤務先 住友金属工業(株) 設備技術部 設備設計室
住所 兵庫県尼崎市東難波町2-17-85住友金属甲東寮222-A
電話 06-411-7686(職場)、06-481-1273(寮)、010-225-3586(携帯)
電子メール ykono@mb.infoweb.ne.jp (kouno-ysh@aw.sumikin.co.jp)
HomePage http://ww1.tiki.ne.jp/~kendzsi/Ubungen.html (コール・ゆうぶんげん)
http://village.infoweb.ne.jp/~fwgd0962/
http://www.geocities.co.jp/Milkyway/6021/index_u.html

質問1:「この組曲の出来た背景及び製作過程について」

 楽譜の裏表紙に「日下部吉彦プロデューサー、高田敏子さん、田中さんと私の四人は、この企画の発芽から完成まで、常にそれぞれの専門的立場を越えて作業を共にした。」とありますが、」この"専門的立場を越えて"、というのはどういうニュアンスなのでしょうか?。一般的には詩が先にあり、その詩との出会いによって音楽が生まれるケースが多いように思っています。私の理解しているこの"専門的立場を越えて"というニュアンスは、
「まず"こういった合唱曲を作ろう"という企画があったところから始まり、歌詞が出来上がり、それと音楽との出会いにより、再度歌詞を練り直したり、楽譜を練り直したりしながら、最初に描いた企画の方向を向かってその作品が生長していった。」
という具合に理解しております。そういった理解で問題無いのでしょうか?。

回答(from:三善晃先生)

 お考えの通りです。プロデューサー、詩人、作曲家が、お互いに「餅は餅屋」で干渉せずに自分の持ち分だけ仕事をする、ということではなかった、ということです。高田敏子さんの場合、そういう共同の仕事をさせていただくことが、他にも《5つの動画》などでありました。私の疑問や注文に対し、快く聞いて下さるときも、ご自身の真意や詩句の背景を教えて下さるときもあり、私自身の仕事が深められたり新鮮になったりしました。


質問2:「"2.あなたの生まれたのは"のソロの部分の強拍の設定について」

 メゾソプラノに登場するソロで、"わたしはおののき いたみにたえ まっている いのっている"の部分ですが、譜例2Aの如く設定されていますが、"いたみにたえ"という言葉の重心が3/4という拍子の重心(強拍)とずれているのですが、これは何故この様に設定されたのでしょうか?。譜例2Bといった具合で設定すると"いたみにたえ"だけ見ると重心のずれはなく、普通の楽譜のように感じられるのですが?。
譜例2A
譜例2B

回答(from:三善晃先生)

 ソロの旋律だけを見れば、ご指摘の通りです。
しかしこの旋律は、男声の和音進行および声部進行(特にTen,とBarの内声音律と分かち難く連動しています。「いたみ」がCes,Des,Esと歌われるとき、和音進行がAs上の6度和音(Cesを含む)の第1展開形からG上のドミナント(Des,Esを含む)第1展開形に「開く」ことで、痛みの「苦痛」と同時にその痛みに内包される「喜び」の意味や情感が、男声の「音楽」との協調によって表現されることを願っています。つまり、「い」の肉体的な「苦しみ」は、「たみ」で精神的な救いに開放される。それを自然に運ぶのが、男声の対旋律であり、和音進行なのです。
 ですから、小節線による強拍・弱拍の律動だけで解釈せず、言葉のストレスと同時に音楽全体の表現性(表現力)を総合的に汲み取って下さるようお願いします。


質問3:「"3.戦いの日々"の中で楽譜に間違いだと思われる所があるのですが、、、」

 細かい内容になりますが下の譜例1の雲マーク部ですが、テノールの音は"E"で宜しいのでしょうか?。出版社が♭を付け忘れたとか言うことは無いのでしょうか?。
譜例2

回答(from:三善晃先生)

 「お」はEsです。


質問4:「"3.戦いの日々"のテンポ設定について」

 この戦いの日々はLentoのテンポ指定が冒頭にあり、Allegroの部分を経て、"そうだ"の部分で再びテンポプリモの指示(譜例3)があり、冒頭のLentoに戻ります。その後、テンポ指示が無いまま「俺の手は〜」の男声ソロの部分を経て再びテンポプリモの指示があるのですが、この最初のテンポプリモから2回目のテンポプリモの間のテンポは演奏者側で自由に設定して下さい、という主旨なのでしょうか?。男声ソロの部分は流れるように作りたいので、私は少し早めのテンポを設定しようと考えているのですが、先生はどの様にお考えでしょうか?。
譜例3

回答(from:三善晃先生)

  2回目の[テンポプリモ]の前に[Meno mosso]が2小節あるので、再びそのテンポを設定しています。勿論、それまでの男声ソロのテンポを自由に(速めに)することは有り得ると思います。


質問5:「"3.戦いの日々"の構成について」

 この戦いの日々については、最初のテンポプリモ(譜例3)までの部分を前半、残りを後半部分として捉えると形式の上では2部形式ということになるのだと思うのですが、詩の構成も音楽の構成も少し違う気がします。。この"3番"は先程の区分で言うと前半の部分は特に歌詞も錯綜するような形で楽譜を書かれていますが、3自体をどの様に構成されたのか(4人で)、そしてそれの狙いは何だったのか、教えて頂きたいです。(質問自体も漠然としていまして本当に申し訳ありません。)

回答(from:三善晃先生)

  詩の「やめて!」で囲まれる第1部分が妻・子たちの「銃後」と呼ばれた世界。それがLentoとAllegroの2部に別れます。前半は「願い」、それが絶叫に高まり、後半はその「願い」が奔流となる。「そうだ!」は、その聞こえるはずのない声に応える夫・父たちの戦地の声。「そうだ!」で始まり、「黒髪を愛した」まで。その最初は(妻たちが思い描き、後日検証された)戦地の兵たちの状況。続いて夫たちの「銃後」への思い、思い出。こうして海を隔てて妻たちと夫たちの声は呼応し合う。続いて、その呼応ゆえに、戦地の「おれの手」が銃後では「まぼろしの手」となり、第2部分の最初と対になる。[Meno mosso]はそれらすべてを「世界の闇」として歌い、最後に曲冒頭の「やめて!」に戻る。構造を図示すれば、
第1部[A-B]−第2部[a-b-a]−[統括]−第3部[A}
という2重の3部構成になります。


質問6:「"4.時間はきらきらと"で歌詞の中に出てくるサルビアは何故サルビアでないと、、、」

 先日合唱連盟の雑誌に三善晃先生自ら"ここで登場してくる花はサルビアでないといけない理由"がある、、と書かれていたと思います。私の知る乏しい知識では、サルビアは夏に咲く赤が非常に鮮明な花だ、という程度の事しか分からなく、サルビアでなければならないという必然性は理解できておりません。申し訳ないのですが、何故サルビアでないといけないのか御教示下さい。(この歌詞の中で出てくる"時間""光"の関係についてもどの様にお考えか教えて頂きたいです。

回答(from:三善晃先生)

 サルビアの深紅の花に母は二つのイメージ(表象)を感じています。一つは勿論その華やぎ。娘が享受している幸せ、その幸せゆえの母自体の幸せ。一つは戦時に流された夥しい血。その二つを結んでいる「時間の流れ」。その絶え間無く続く「流れ」のなかに、人々の死があり、また若者たちの幸せもある。その「流れ」の無限の内包を、一挙同時に表現している深紅の花。いま、時間は、「幸せ」を恋人たちのまわりに運んで「キラキラと」流れている。それがどんなに希有で貴重なものであるかを、おそらく若者たちは知らない。知らなくていい。しかし、母は、「燃える」サルビアの深紅にそういう「幸せ」を知らず、経験することなく死んでいったかつての若者たちがいることを思わずにはいられない。でも、今、それは言うまい。そういう思いが、第5曲の最後の言葉になって娘に語りかけているのです。

 ちなみに、フッサールの現象学では、燃えさかる一本の樹木に、人は樹木の生きてきた過去をさまざまと見る。また、その樹木が燃え尽きたあと、人はその樹木が今年も花を咲かせることをまざまざと思い描く。ということを提起した「ノエシス」と「ノエマ」という言葉があります。


質問7:「この組曲全体の構成について」

 この組曲の構成についてですが、まず全曲全て調性記号がついていません、それは日本的なものをイメージしたから故に??調というイメージを植え付けたくなかったからだと感じています。日本の音階にもやはり支配的な音、中心的な音はあると思っています。 

 日本的な音(和音)と西洋の和音の違いは、西洋の和音の場合はある周波数の音の3倍、5倍といった具合に一つの音に対して組み立てられているのに対し、日本的な和音は5度の関係を重視し、中心となる音の近傍の5度音を集めて一つの響きを作るといった感じに近いように感じています。間違っているのでしょうか??。(この辺りは自分で勉強せねばならない部分なのですが、、、)


 この組曲において、どの様な事を考えられ、調性的なものを選定されたのか、教えて頂きたいです。やはり西洋音楽にあるような右の絵に出てくるTSDを考慮に入れ、Gis−Dの対角をイメージしていらっしゃったのでしょうか?。

回答(from:三善晃先生)

  この組曲の調性設定には、二つのアプローチがあったと思います。一つは、すべての調性がそれぞれ固有に持っている(絶対音によって構造化される)世界(色、風景、物語り、質感)に、音楽の表現を託そうとすること。これは、例えばベートーヴェンが何故《悲愴》を"c-moll"で書いたか、ということにつながります。この組曲の広い意味での調性設定もそれと同じです。
 もう一つは、例えば5度関係などを理論的な原理として調性を構築すること。これは、組曲のそれぞれの曲の内部構造に関係しています。
 あえて調性記号をつけなかったのは、繊細な転調や頻出する非和声のため、記号を設定するとかえって臨時記号が繁雑になるからでした。
 従って、全体の調性設定に高野さんが図示されたような5度圏の力学関係は想定していません。むしろ、何故冒頭がGisであり、それがGになり、Aに帰着するのか。それらの調性移動が構造的な音列としてどのように機能するのか。ということを発見していただきたいと思います。それによって、作曲するということが、この場合、五つの詩を心身の機序として把握(精神化・肉体化)することであったことを理解していただけると思います。


最後にありがたいお言葉。。from:三善晃先生


高野様と合唱団のご活躍をお祈り致します。