僕がゼロハンカーの存在を知ったのは、96年5月に朝日新聞で掲載された「やってます面白スポーツ」という小さいコラムだった。「手作り車で時速80キロも」と書かれたリードに、レースの写真が1枚。その年の暮れごろにその新聞の切り抜きがひょっこり出てきて、「うわぁ、なんじゃこりゃ〜」と叫び甲山町役場に電話してパンフ(というかレギュレーションが書かれたカレンダー)を送ってもらった。しかし写真を見てもどうもようわからん。「製作上のお問い合わせはこちら」と書かれたとこ(実行委員長)に電話して聞いてみた。「あのう、ゼロハンカーって、どうやって作るんですか?」「どうやってっていうか、まあ、他のマシンを見て研究してもらったりとかね」・・・やっぱりわからん。
 そうこうしているうちに97年夏。友人の古賀君と広島行きの予定など直前になって相談していたまさに出発直前、たまたま検索エンジンでヒットしたのが小林さんのサイトだった。そこには自分で設計したというマシンの画像が・・・これだ!とあわてて小林さんにメールを送った。「あのう、突然なんですが、ゼロハンカーはどうやって作ったのですか?教えていただけませんでしょうか?」・・・小林さんはていねいな返事をくれた。が、その大半が僕にはチンプンカンプンでさっぱり(ゼロハンカーの構造/小林さんの解説)。これはやっぱ行くしかないでしょ、と高速道路男二人旅に出たのが去年(こちらにその時のレポートがあります)。そして会場で小林さんと会い、いろいろマシンのことなどご教授いただいた上においしいお好み焼きまでごちそうになってしまったわけでした。
 さてそれから1年、僕は「俺達もゼロハンカーを作ろう会」を作ったりなどと張りきってはみたんですが、用地問題、道具問題、技術問題、人数問題、貧乏問題、多忙問題など多くの問題の前にただなすすべもなく月日が流れ1年が経ってしまったわけです。
 つまりマシンの製作にまったくとりかかれなかったんです。それを見かねた小林さんが合同チームの提案もしてくれたんですが、あいにく唯一のメンバーたる友人の古賀君が今大会は欠席ということになり、家族を連れてバカンス気分で行くツアープランもつぶれ、結局、僕ひとりで現地に行き、小林さんのチームに「混ぜてもらう」という形でレースに参加することになりました。まあ、参加といっても何にも出来ないから応援見学のようなもんですけどね。
 さて、当初は高速孤独なドライブを予定していましたが結局、一番安くあがる深夜高速バスで(片道1万円ほど)行くことにしました。新宿西口を20時55分発、約10時間もバスに揺られて土曜早朝の福山駅前に。そこにはドライバーの縄稚さんが僕を迎えに来てくれていたのでした。

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