
筑波海軍航空基地跡
2003年2月3日
昨夜あられが降りましたが、今日は朝から快晴のいい天気になりました。
午前10時頃、車に乗ろうとしてたら東側からF−15が4機編隊で低空で飛んできました。私の家の上空を通過し百里基地の方へ飛んで行きました。
天気がいいので百里は飛んでるようですが、百里には行かず友部町の筑波海軍航空基地跡に行きました。国道51号線を走り水戸大洗ICから東水戸道路を走り、終点の友部ICから県立友部病院へ向かいました。
筑波海軍航空基地は今まで筑波山の近くにあったと思っていましたが、筑波山よりは笠間に近い友部町にありました。
まず最初に茨城県立友部病院へ行きました。病院の門柱は筑波航空隊当時のものらしく、かなり古そうです。
県立友部病院は昭和35年に開院したので、病院の建物は戦時中からのものではないと思いますが、随分老朽化した建物でした。現在病院の建て替え署名活動が行われているようです。また病院内にはグラウンドもあり古そうな朝礼台がありました。
病院の隣には国土交通省友部航空無線通信所があり、広々とした芝生が広がっています。飛行場はなくなっても、跡地に航空関係の施設があるのはいいことだと思います。友部病院前道路の反対側は柵で囲まれた県有地になっていて、なんとなくここが飛行場だったという感じがします。
航空無線通信所のまわりの道路を走って、何かないか探してみました。杉林の中にある墓地脇に土盛りがあったので、無蓋掩体かなと思ったらコンクリート製の狭い地下へ通じる出入り口がありました。何の目的で作られたのか分かりませんが、ずっと奥まで通じているようです。飛行場跡なので防空壕かも知れません。
そこから狭い道を走って行き、また広い道路に出て左折します。道路の左側が航空無線通信所ですが、右カーブ手前の道路右側に筑波海軍航空隊跡の石碑が建っていました。建てられてからそんなにたってないらしく、綺麗な石碑です。
筑波航空隊は1943年6月開隊し練習機による操縦教育が開始されました。1944年3月、零戦による戦闘機搭乗員養成に任務変更しました。筑波航空基地では黄色い練習用の零戦11型で操縦訓練を行っていました。この零戦は複座型で前席に訓練生、後席に教官が乗りました。
1945年5月、筑波航空基地は紫電実戦部隊となりました。
ここを巣立った若者たちが南方各方面で勇敢に戦って、その殆どが空に散りました。また、1944年10月以降、フィリピン・沖縄の作戦に数多くの者が神風特攻隊員として一命を捧げました。
この地で結成し沖縄戦に出撃散華した筑波隊だけでも55柱を超えるそうです。
1999年6月に筑波海軍航空隊関係者有志が、万感の感情をこめて、その鎮魂を祈り且つ恒久の平和を念じ、この碑を建てたそうです。
石碑を見た後、パチンコ屋の角を左折します。航空無線所内の芝生に何かの建物の基礎らしいコンクリートがありました。
また友部病院の前の道路に出て友部ICから東水戸道路を走って帰りました。
ひたちなかICから国道245号線を走って、勝田に行きました。ワンダーステーションがケーズデンキになってました。勝田のスーパー銭湯に行ったら休館日でした。しかたないので阿字ケ浦温泉へ行きました。
今日は午後6時から鹿島神宮で豆まきがあります。相撲取り、アントラーズの選手やマスコット、ミス鹿嶋が豆をまきます。何か書かれた紙が貼られた袋を拾うと景品がもらえます。温泉を出た後くたびれたので、また午後4時なので30分くらい寝るかと仮眠室で寝ました。目が覚めたら5時になってました。急いで外に出て駐車場から車に乗りました。
那珂湊の海岸上空を百里救難隊のU−125Aが低空で飛んでました。那珂湊から海門橋を渡り大洗を通りました。大洗港にフェリーが接岸していました。大洗から国道51号線に出ました。51号線が混雑していて、車がずっとつながっていました。ずっとノロノロ運転でした。
家に帰ったら6時になってしまいました。でも、本殿でお払いした後豆まきをするので、いつも6時ぴったりには豆まきをしないで少し遅れます。もしかしたら間に合うかも知れないので、家にカメラを置いた後鹿島神宮に行きました。鹿島神宮に着いたのは6時30分でした。車を降り門に向かって歩き始めたら、前からぞろぞろと多くの人たちが歩いて来ました。豆まきは、今終わったばかりのようでした。拾った豆を入れた袋を持った人たちがたくさん歩いてきました。
「白い紙が貼られた袋は当たりですので景品とお取り替えください」とか「お帰りの際は交通事故に注意して安全運転でお帰りください」とか言ってるのが聞こえました。間に合いませんでした。もう少し早く来てれば豆を拾えました。失敗しました。阿字ケ浦温泉で寝てしまったのがまずかったです。
あきらめて帰りました。来年も休みだったら、早めに行こうと思います。家に帰って、眠くなったのですぐ寝ました。
 県立友部病院の門 |  県立友部病院 |
 朝礼台 |  航空無線通信所のアンテナ |
 謎の地下壕 気味悪いので中に入らず |  この土盛りの両側に入口あり 前方後円墳か? |
 何かの建物の基礎の一部? |  筑波航空隊跡碑文 |
03.03.21
朝墓参りした後、友部町の筑波海軍航空基地跡と陸軍水戸東飛行場跡に行きました。
最初友部町立歴史民族資料館に、行ってみましたが休館日でした。入口に「館内の写真撮影を希望される方は係員に申し出て下さい」と書かれていました。また写真撮りに来ようと思います。ここには旧海軍筑波航空基地関係の展示があるそうです。
その後、墓地脇の地下壕に行ってみました。すぐ近くまで杉林が伐採されていました。何かできるのでしょうか。墓地脇の地下壕が壊されなければいいのですが・・・。
その後、周辺に無蓋掩体が残っているらしいので、飛行場跡北側の無蓋掩体を探しました。民家近くに2基ありました。農家の敷地内にあるので外から撮りました。前方が開けているので、離れていても撮りやすいです。
ガソリンがないので、滑走路跡道路脇のスタンドで入れました。ガソリンを入れた後、飛行場跡南側の無蓋掩体を探しました。
高速道路北側の杉林内に1つ見つけました。掩体の近くではシイタケが栽培されていました。他にもあるようだけど、凄い薮の中入って行かねばならないのでやめました。
次は杉林の外に出て高速道路の下を潜って、南側へ行ってみました。道路西側に笹薮に覆われた掩体がありました。その先の杉林内に1基ありました。杉林のずっと奥まで入って行くのはやめて、道路の近くの掩体だけにしました。そこの掩体のある杉林の道路を挟んで反対側にも1基ありました。道路のすぐそばにありました。
掩体を見たので北関東自動車道で、ひたちなか市に行きました。筑波飛行場跡と水戸東飛行場跡は高速道路で結ばれて便利になりました。
ひたちなかICから国道245号線に出て、水戸つばさの塔へ行きました。その後、水戸東飛行場跡を走りました。水戸射爆場返還後も国有地のため、このあたりは入ることができませんでした。開発により自由に通行できるようになりました。ほとんど開発されてしまいましたが、まだ当時のままの土地も残っています。
滑走帯跡や無蓋掩体も残っていました。松林が残っているので、まだ他にも無蓋掩体が残っているかも知れません。
水戸東飛行場跡を見た後、ひたち海浜公園と常陸那珂港の写真を撮りました。
山歩きして疲れたので、ひたちなか市のスーパー銭湯に入って帰りました。ここのスーパー銭湯に来るのは2月24日、雪の降った時に護国神社の帰りに来て以来です。サウナのテレビで、アメリカのイラク攻撃をずっと見ていたので帰るのが遅くなってしまいました。明日は朝早くから仕事なので家に帰ってすぐ寝ました。

滑走路跡にできた道路
飛行場跡北側の無蓋掩体
飛行場跡南側の無蓋掩体
友部町立歴史民族資料館
友部町の歴史・民俗資料を展示する資料館です。
昭和初期の洋風建築の旧宍戸町役場庁舎を利用しています。館内には、考古資料や旧宍戸藩、筑波海軍航空隊に関する資料・農具・民具などが展示されています。
開館時間 午前9時〜午後4時
休館日 毎週月曜日・祝日・毎月末・年末年始
交通機関 JR水戸線「宍戸駅」下車・徒歩10分
車:北関東自動車道「友部IC」より約5分
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