銚子飛行場跡


翔天の碑

2003年1月27日、夜勤明けの休みだったので帰ってから寝てました。雨が降ってたけど、午後から銚子飛行場跡に行きました。銚子に行くのは3年ぶりです。
その頃は銚子に飛行場があったなんて知りませんでした。最近銚子に飛行場があったということを知ったので行ってみたくなりました。
鹿嶋市から神栖の工業地帯を走る道路を通り、波崎の海岸側の道路を走って行きました。神栖はすぐ抜けますが、波崎はけっこう長いです。やっと銚子大橋にたどりつきました。午後4時頃になっていました。
利根川を渡ると銚子市です。左側に行くと犬吠埼の方へ行ってしまうので、まっすぐ走って行きます。前方の高台の上に市立銚子高が見えてきます。坂道を上がり市立銚子高前を通過して、まっすぐ走ると右側に翔天の碑の案内板が立っていました。
そこを右に曲がり狭い路地を入って行きました。するとT字路になってしまいました。どっちへ行けばいいのか分からないので左へ行ったら、またT字路です。こっちじゃないかも知れないので、引き返しさっきのT字路の右側へ行きました。すると、前方の突き当たりに古いコンクリート製の貯水タンクがありました。ずいぶん古そうなので、銚子の飛行場と関係あるものなのかも知れません。
周りはフェンスで囲まれていて、近くに翔天の碑はないので別の場所かも知れません。
さっき来た道を引き返したら、途中に案内板が立っていました。気付かず通り過ぎていました。そこを入って行きましたが、翔天の碑はありませんでした。おかしいなと、ぐるぐるあちこち走りまわり、また案内板のある所を入って行き、注意深く左右を見ながら走ってたら右側に小さな公園がありました。その公園の片隅に翔天の碑がありました。やっと見つけました。周りは住宅地で、掩体壕とかはなさそうでした。縦に長く横幅の狭い台地上にあった飛行場なので、滑走路はここから市立銚子高の方向で縦向きにあったと思います。
碑文によると、この地には下志津陸軍飛行学校分教場があったそうです。こあたりは春日台と言い、約40万平方メートルの小規模の飛行場でした。太平洋戦争末期には特攻隊の八紘腸隊が結成され、ここから出撃し帰らぬ人となりました。
この史実を風化させることなく現在の日本の平和と繁栄が、数多くの尊い犠牲のもとに築かれているものであることを思い起こし、二度とこのような過ちをくり返さぬよう、心から平和への願いが天翔ける祈りとなってこの地から津々浦々に及ぶことを念じ、平成5年11月8日に翔天の碑が建立されたそうです。
午後5時ちかくになり、天気が悪いので薄暗くなるのが早いです。ここだけ見て、地球の丸く見える丘展望台とか銚子VOR、ついでに銚子電鉄の電車も撮ろうと思いましたが暗くなるので、また今度来ることにして帰ることにしました。
銚子大橋を渡ると、利根川に鵜やカモメがたくさんいました。ここは鳥の写真を撮るにはいい場所です。
国道124号線を走って、波崎、神栖を通過し、鹿嶋市から北浦湖岸道路を走って帰りました。


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