伊藤静男さんの秘蔵写真館(その2)

197513.jpg 1975 1 3
うちのチームの 正月で 場所は
小川友幸選手の家の裏の谷
(小川君生まれてない) 三重県田光町
私38 隣アツシ16 そこから右4人全 日本経験ジュニアー
kTは6人目
この他に 今カントリーハウスの高橋
鹿児島ゲレンデTRIALの高崎君もきてました。
1998.jpg それから24年
前の写真とだいたい おなじ顔ぶれですが ヘルメツト見てくださ い
4人はアツシ のメット ですからマシンも 借り物
気のせいか? アツシが一番おおきく 見 える。
場所は妙楽寺です。
田光は今もターザンが出る 山の奥
小川君はターザン仲良 しです

hensin.jpg

上では1960年から 75年に飛んでしまいました
話しを60年に戻します。

ドリームCS 76 変身

これは 朝霧高原に 自走で モトクロスの 練習に行く 朝です
一度走ってから エントリー を如何するか 決めるため、
タイヤ前後、ハンドル、は交換、
ダウンにしたエクゾーストは 改造時に利用したので
とりあえずそのまま。

春日井市から朝霧まで 1号線で 4時間
20%ぐらいわ砂利道です
野宿して 朝霧のコースを 走った のですが
深いクリークに捕まってもがいて いたのを
「大丈夫ですー?」 とBSAを転がして置いて 引き揚げてくれたのが
富士に向かって走っている 写真のひと

(下に続く)

asagiri.jpg

彼も自走で練習に来ていたのでしょう、ナンバー付きが わかるでしょ

彼が伝説の日本最強の走り屋 故 伊藤史朗です

当時 彼の前を走れる レーサーわ 居なかった ただ 彼のライデングに尽いてゆけるマシンは 日本にも外国にも多く無かった  メカに言わせると、壊し屋 でも彼が 走っている限り 前にでる 日本人は 当時!居なかった。

この時20歳 彼が16で浅間高原レース をライラックで勝ってから4年が過ぎていた この後 BMWで1年  次ぎにヤマハで2〜3年世界を走って視界から消えた・・・・・・・

そうそう 私は 300ccクラスは無理と判断 50ccクラスで出ました 50用のタイヤは資金不足の為  麻ロープ作戦 しかし 途中ロープが チエンに絡んで 結果わ 完走だけでした。

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この写真がその50クラス完走しただけの私です 会場の観衆の雰囲気だけ見せたくて あえてビリ尻を恥を忍んで載せました

当時アマレース黎明期でして 58年にMCFAJ発足以来 2年でモトクロスは全日本2回、浅間のクラブマンロードレース2回、  浜松でオートレース場を借りてダート、を1回 地方草レースでも 年2回のモトクロス か 米軍基地での400mダッシュのドラッグレース。

とにかく MOTO SPORTに飢えていた時代です 何でも見て何でも 見境無く走りました. この日 観衆わ1万わ超えてましたよ!

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これは59年浅間クラブマンの国際レース BMWは伊藤史朗 915高橋国光 そのた後ろもBSAです
メグロや後年W1がモデルとした マシンたちです
特に 915 912 わ バルコム貿易オーナ B リンナーの発案で
BSAゴールドスターの フレームに使い易いスーパロケットバーチカルエンジンを載せて 出場させたのです
 なんと2年後BSA本社がこれを採用してBSA A10 RGS を発売している。
もうひとつBMW R69のフロントフオーク テレスコに変更してある
BMWの売りアルズは 前年浅間の火山灰混りのダートに泣き トライアンプに負けた
それでリンナーさん 古いテレスコを 伊藤のR69に付けた
 残念ながら 伊藤史朗 高橋国光 二人とも このレース マシントラブルリタイアー 皮肉なもんだ!
 次ぎの500クラスでは 18才高橋はゴールドスター 19才伊藤R50sで ワンツウフィニッシュ わ 有名なお話し。
 この前の600クラスにBSAで京都から 小谷 彰23才が走っていた 完走
50クラスでは 生沢 徹16才が2位 二人を合わせると 小谷 徹 京都!
故 彰さんは 生沢に優る スポーツライダにしたくて 小谷 徹と自分の子に徹と付けたのだそうです 小谷監督にききました。


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