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小野路/小山田地区は、多摩市・八王子市と隣接する町田市の西北に位置して多摩丘陵の南部周縁を成す。司馬遼太郎を真似て『道』のウンチクを語るなら、「小野路はかの近藤勇と由縁の深い土地である。独立独歩の旺盛な多摩郷士たちにとって、幕末の混乱期は自らの野望を成就させる絶好の機会でもあった。大政奉還までの一時期、多摩丘陵に縦横にはり巡らされたそこかしこの道から、多くの多摩郷士の子弟たちが青雲の志しを胸に抱き、江戸あるいは京都へと旅立ったのであろう」。てなカンジになるのだろうけど、『弁士、見てきたように嘘を言い』だ。信じちゃぁイケナイ。
が、信じてよいのは、この丘陵一帯からは旧石器時代の遺物が出土し、縄文早期〜晩期/弥生・古墳時代/中世の住居跡が数多く発掘されていることだ。青森県・三内丸山遺跡の発掘調査で、縄文人が栗/胡桃/漆を植林していたことが判っている。ここ多摩丘陵からも縄文時代の大集落のムラ跡が発掘されていることを考えれば、多摩の縄文人も『植林』や雑穀類の『耕作』を行っていたであろうことは容易に想像することができる。そしてここ小野路と隣接する野津田地区からは鎌倉期に造られた街道跡が発掘され、その一部は現役の生活道路として今なお活用されている。つまりこのあたりというのは、1万年あまりの悠久の時代からヒトが継続的に生活しており、営々と先祖たちが造り守ってきた「森」や「道」が残されていることになる。
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