私とStepvan

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プロローグ

もう今では記憶があまり定かではないが、高校生時代にそれが町を走っている姿を眺めたようなそうでないような気がする。

真っ白なボディのそれは、軽快なエンジン音を響かせながら高校生の僕のすぐ横を走っていった。
僕は「えっ!」と声にならない声を発して振り返ったが、それは、もう交差点の遥か向こうへ消えてしまいそうになっていた。それが、僕とStepvanのはじめての出会いだった。
次にStepvanを間近で見たのは、社会人1年生のとき。
ある土曜日の午後、名古屋駅の東側にあるパチンコ屋さんの前にそれは停まっていた。初めて僕の前へその姿をじっくりと見せてくれた。
スピードメーターやコンビネーションメーターは運転席と助手席のほぼ中間に位置している。ダッシュボードは真っ平ら。床からはとてつもなく長いシフトレバーがにょきにょきと生えている。
左右に大きなドアが2枚ずつ、リアには上下分割式のハッチとゲートがある。丸い目玉がくりくりと可愛らしい。ボンネットのヒンジもとてもオシャレだ。
Stepvanのサイドボディーは真っ平らで、オーナーが好きなデザインを施して楽しむことができる。僕の見たそれは、どこかのパン屋さんの配達用の車らしい。白いボディーで、ドア部分だけがギンガムチェックになっていた。
よく見ると、エンブレムに「Life」とついている。「Life」と言えば、CVCCエンジンを積み、いち早くマスキー法に対応し、しかも室内居住性抜群とうたわれたCIVICの原形となった軽乗用車だ。その「Life」のバリエーションなのか?
「こんなかわいい車、お金を貯めて絶対買うぞ!」と心に決めていた。18歳だった。

憧れ

最近はRV車が人気で、ブームと言われているが、当時もちょうどRV車ブームだったのだろう。もっとも、当時は「バニング」と言ったし、今のようにメーカー出来合いのRV車なんて1台たりともなかったが・・・・
カーロードだとか、モーターマガジンとか、オートメカニックとかいう雑誌がこぞってRV車特集を組んでいた。まだ、道交法も厳しく、バックミラーを交換しても違法改造車として扱われていた時代だ。大胆な改造なんてまともにはできるはずもないのだが、何の何の南野陽子。とても改造車とは思えないほど奇麗にうまくまとまったデリカ、ボンゴ、キャラバン、ホーミー、ダットラなんかが紹介されていた。当時でみんな100万円以上かけていたと紹介されていた。
そのRVブームがStepvan人気に拍車をかけたのだろう。
カー雑誌の特集でもStepvanの記事がよく紹介されるようになり、元々オシャレでキュートなボディを様々にカラーリングした(中には丸目2灯をダッジ風に角目4灯に改造したものもあり。(ローレルのヘッドライトを使ったのだそうだ))Stepvanが記事になっていた。
僕はそれらの記事を一生懸命チェック、スクラップしていた。そして、昭和54年のお正月には、雑誌の写真をもとに、ラジコンのStepvanを完成させた。

出会い

僕のStepvan好きは、職場の中でも相当有名になっていた。そんなことからある日、いい中古物件があるという話しが入った。結果的にこの「中古物件」を今日まで手放さず乗り続けることになるのだが、当時はそんなこと知る由もない。
昭和54年5月2日、僕は、職場の先輩と一緒に岡崎市の中古車展示場へ行き、売買契約書にサインをした。現金価額で35万円だった。
契約、即、引取りで、その足で陸運事務所まで行き、三河ナンバーを返還し、新ナンバープレートの交付を受けた。新しいナンバーは、「66名古屋え4046」だ。
家に帰り彼女(今の奥さん)に電話。「もしもし、車買っちゃった。赤くて小さいやつ・・・」(^^ゞ

ボディカスタマイズ

昭和48年式のStepvanは、買った後で気が付いたのだが、アルミホイールを履いていた。しかし、2タイプあるグレードはスタンダードで、サンバイザーは運転席にしかなく、AMラジオも付いていない。ヒーターユニットは、内気循環のみの太鼓形をした、実にチープなタイプだった。どうも前のオーナーはサーファーだったらしく、それっぽいステッカーも貼ってあった。

僕のものになって僅か1週間のうちにボディにイエローのラインが、リアハッチにはミッキーとミニーが描かれた。もちろんこのデザインは、僕がいつかStepvanを手に入れたときのためにずうっと前から考えていたデザインだった。ホームセンターへ行き、スプレーラッカーとマスキングテープを買い、大き目のカレンダーの台紙4枚をミッキーさんの図柄がマスキングできるようにカッターナイフで切り抜き、磁石でボディに密着させて自分でボディペインティングした。(今、初めて明かすが、この時描いたミッキーとミニーは、僕と彼女のつもりだった。)

プラモデル発売

出た!青島模型からStepvanのプラモデル。単三電池1本、マブチ130モーターを搭載してちょろちょろ走る。ちょこっと改造有りのレーシングカスタム仕様だが、嬉しい。1箱800円だった。確か4箱ぐらいまとめ買いしたっけ…。

クラブ作ろうよ

駅から自宅までの間に、気の利いたかわいい喫茶店がOPENした。「ぶんぶん」と言った。その「ぶんぶん」に、白のStepvanがよく停まっていた。ある日、僕はそれを見計らってお店に入った。店内にはカウンターに若い男性が腰掛けているだけだった。僕の方からその男性に声を掛けるまでもなく、そちらの方から声を掛けてきた。「ねえ、Stepvanのお兄さん」と。昭和54年11月のことだった。
彼の名は山内君。同じ半田市内に住んでいて、年齢は僕より2個先輩。彼は地元にあと2台、赤と黄色のStepvanを知っている。この近くの教会にも黄色のStepvanが有るので、みんなで楽しいクラブを作ってツーリングに出かけたりしよう。ということになった。もちろん大賛成!!!
昭和55年1月15日、喫茶「ぶんぶん」において「はんだすてっぷばんくらぶ」が誕生した。