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岳人舞蹴 真冬の気温に近づくであろう標高2800Mの高山に登るにはそれなりの防寒着が 必要になる。その分重くなった荷物と、タダでさえ希薄な酸素なまりきった30歳の エンジンに悲鳴をあげさせる。 そこには周りの紅葉を楽しむ余裕などどこにもなかった。 それでも無心で登る。 「山登りとは、人生そのものだよ。」 ・・・と誰かが言っていた。 登り始めたら、登りつめなければいけない。その場からひきかえすにしても、 同じくらいの体力が必要になるだろう。休み無く歩きつづければどこかでバテるし、 休んでばかりでは頂上は見えてこない。 その山の頂上に登ってしまえば、周りの山も見えてくる。あの山にも登りたくなる。 「何でこんな苦労してるんだろう・・?」と、登っている時には思っても、後から いい思い出になる。 「ヤバイ」と思ったら、勇気をもって引き返す勇気がいる、これは頂上に登るよりも 勇気のいることだ・・・・ ・・・なるほど、確かに人生そのものなのかもしれない。 北アルプス 常念岳。 安曇野にピラミッドのようにそびえるこの山の小屋で、平成2年から4年まで、 3シーズンにわたり夏季アルバイトとして世話になった。 お盆時期の最盛期には、400人を超えるアルピニストで賑わうこの山は、登山口から 4時間半程度で小屋に至ることのできるファミリー登山のメッカでもある。 そこに7人くらいの従業員と、25人くらいのアルバイトが切り盛りをするのである。 400人も泊まると、山小屋は戦場と化す。 一度に80人が同時に食事を行い、6畳ほどの狭い部屋には10人以上の登山者が 寝るのだ。当然、布団は2人で一枚、もっと混む小屋になると5人で2枚の布団。 山小屋は「もう一杯です」と言って宿泊を希望する登山者を拒むわけにはいかないのだ。 アルバイトはそんなとき、食堂、廊下で寝ることを余儀なくされる。 戦争のような夕食が終わり、片付けが終わるともう夜の9時を回る。そこから従業員の 食事が始まり、アルバイト達は静かに食事を済ますと、そこから懐中電灯を持って 満天の星空の下へ出かけ、就寝している登山客の迷惑がかからない場所まで行って 酒を片手に語らい、歌い、さっきまでの激務のうっぷんを晴らすのだ。 そして山小屋の朝は早い。4時には朝食の準備にはいり、登山者を送り出す・・・・ アルバイト長を経験した2年目のシーズンには、「管理職なんて絶対にやりたくない!」、 そう思ったものだ。 私はその小屋でのアルバイトを通じ、「働く」ということはどういうものなのか?ということを 大いに学んだ。うまくサボる方法も学んだし、まわりと協調しなくては仕事は回らない! ということも学んだ。 今回、転職の休暇にこの「常念小屋」に行くことを選んだのは、これまでに無いくらいに 悩んで決意した転職、新しい職場へ向かうにあたって、多感な時代にすごした場所で あのころの初心を思い出すためだった。 霧の立ちこむ沢を歩きつづけ、常念山頂直下にある常念乗越(のっこし)に這い上がると、 秋の青空とともに、雪を纏った「槍ヶ岳」が私を迎えてくれた。思わず「ウォー!」と声が出る。 この豪快で美しい岩峰には、「日本のアイガー」と別名がつけられ、多くのアルピニストの憧れの 的になっている。私も中学生の時に槍ヶ岳に登ったが、槍の直下から見上げる頂上の姿は 「豪快」のひとことだった。さらに北穂高岳、奥穂高岳も美しい姿を見せてくれた。 小屋では私がアルバイトしている時代から従業員を続けている「杉さん」をはじめ、スタッフの 方々が出迎えてくれた。初対面の方がほとんどだったが、昔のアルバイトということで みな笑顔で出迎えてくれた。私のことを「純公!!」と可愛がってくれた親方には会えなかったのが 少し残念だが。 杉さんは昔からアルバイトの統括役で、「こらぁ!おまえ等仕事しろぉ!!」とか「ウッセーぞ おまえ等!!」とよく怒られたものだ。そんな杉さんも白髪が増えてしまったが、「オゥ。良く来たな。 何年ぶりだ?だいたいオマエは顔ださなすぎなんだよ!」とイキナリ悪態をつかれた。 昔のまんまだ。 昼食のカレーを軽くたいらげ、常念岳の反対に位置する「横通岳」に登ることにした。 私は常念の岩肌バリバリの男性的な山も好きなのだが、横通岳のどこか女性的な曲線を見せる 山容のほうがすきなのである。 そこで夕日が沈むまで、山々を眺めつづけ、当時の思い出に浸った。 その日は泊り客もいなかったので、従業員のみの夕食が始まった。 杉さんが開口一番、「おぅ、あの看護婦の嫁さんは元気かぁ!?」と私に聞いてきた。 私の嫁は看護婦ではない。昔の私の彼女と間違えているようだ。確かに、私がアルバイトを 卒業した翌年、看護学校に行っていた彼女をアルバイトに送り込んでいた。そのことを覚えて いたのだ。 「あっ、そうだったっけ??ワリィな!!せっかく忘れていただろうにな!!」 女性のスタッフの木村さんが「もー、杉さん、山田君の奥さんがこの場にいなくて良かったね!」と 相槌をうつ。この木村さん、私が過去、結婚直前に今の嫁と常念に登ったときにいたスタッフで、 今でも年賀状や近況をおくってくれるオバさんである。そのときはたまたま杉さんは下山していて 嫁には会っていなかったのだ。 夕食が終わり、片付いたころ、私は小屋のロビーにあたるところでタバコを吸っていたところに、 夜間電源に切り替えた杉さんが顔を出した。 「おぅ、山田、一本くれよ・・・」 「あれ?杉さんタバコ吸ってたっけ?」 いつもはタバコを吸わない杉さんだが、おもむろに火をつけて、ゆっくりと吸い始めた。 「それにしても・・・山田ぁ、よく転職なんて決意したなぁ。NTTなんて堅い職場だし、度胸いただろ?」 そう聞いてきたので、私は転職を決意したことを話し始めた。 家族のこと、単身赴任のこと、今の会社の状態・・・杉さんは頷きながら聞いていた。 「そうかー。オマエなりに悩んで出した結果なんだなぁ。」 「まぁ、確かに結構度胸はいりましたけどね。でも、どっちの道を選んでも後悔したりすることは あると思うんですよ。この判断が正しかったかどうかは、今は分からないですけど、10年もすれば 正解だったのか、間違いだったのか分かるんじゃないかと思ってます。」 そう言うと杉さんは静かにこう言った。 「まぁな、後悔しない人生なんて絶対に無いと思うわ。重い軽いは別にして、だけどよぉ、山田ぁ、 オマエは自分のためにと言っているけど、家族と一緒に暮らすのが目的で転職したんだろ? じゃ、その時点でオマエの判断に誤りなんて無いはずだぜ?10年後に正解が出るって言うけど、 だいたい、オマエの言う「正解」って何よ?10年なんて待たなくても、結果でてるんじゃねぇのか? 悩んで出した答えじゃねぇか。俺は支持するし、誰も、ましてや本人だって「間違いだった」なんて 言えねぇんじゃねぇのか?」 翌朝の常念は素晴らしい朝焼けになっていた。 少し寝過ごした私は慌ててカメラを片手に小屋を飛び出し、乗越にむかった。 「山田さーん、太陽でちゃうよー!!」 一足早く乗越にいた若い女性の従業員が促す。なんとかご来光には間に合った。 アルバイトしていたときでも、これほどの雲海と朝日には数えるくらいしかお目にかかれない。 一泊でこれを拝めるとは、なかなか私もついている。 やはり悲鳴をあげる私のエンジンに鞭をうち、必死で常念の山頂まで行った。 過去、様々な山の頂に立ったが、ここからの眺望は北アルプス随一だと私は思う。 「初心に帰る為の登山」も終わりが近づき、小屋を後にする時間になった。 従業員の方々に「お世話になりましたー」と声を掛けて回った。木村さんは玄関でカメラを持って 待っている。 私は杉さんを探して屋外にあるエンジンルームに行った。 「杉さーん、帰りますわ。ありがとうございましたー。」 「おーぅ、もう帰ぇんのか?また来いや。」 エンジンルームから姿は見えないまま声だけが聞こえた。 木村さんと小屋の入り口で記念撮影をし、「じゃ、また・・・」と挨拶をしているところに、さっきまで エンジンルームにいた杉さんも作業ツナギのままで出てきた。 「山田ぁ、来年も来るんだぜ?」 「そういわれたら、来年もこなきゃーだね。」 小屋を後にした。 山のシーズンももうすぐ終わりである。この常念小屋も2週間後の11月の連休が終わると、小屋を 閉める作業に入る。降雪期は無人の非難小屋に姿を変え、次シーズンのゴールデンウィークまで 主のいない小屋になるのだ。 昨日、息をきらせて昇ってきたばかりの沢を駆け下った。 2時間半ほどで登山口に到着して振り返ると、さっきまで目前に迫っていた常念岳と横通岳が遥か 彼方の霧の中にぼんやりと見えた。 今回は本当に行ってよかった・・・ 絵で見る「岳人舞蹴」 重いから心してみてね。 ページ1 ページ2 ページ3 ページ4 ページ5 |