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「横断歩道と哲学と私」

横断歩道で止まる事、それは哲学だと思います。

どういうことかというと、横断歩道は車と歩行者の交差点ともいえる場所ですから、
お互いの主張がぶつかるところでもあります。
「車」という乗り物を抜きに考えると人対人ですから、
それぞれ対等な立場で自らの主張をぶつけあってもいいと思います。
この場合の「主張」というのは「どちらが先に通過するか」ということですから
先に通過したい方が態度で示して、一歩前に出るということでもあります。

ところが、ここに「車」というものが登場してくると話はまったく変ってきます。
もし歩行者が横断歩道を渡ろうとした時に車が突っ込んできたら、
歩行者は轢かれてしまうので、歩行者は車を避けなければいけなくなるということです。
大切なのは横断歩道で車を止めるという事は、歩行者に対して車を凶器では無くすることです。
同様に車道と歩道の区別が無い道を走る時、歩行者の近くではできるだけスピードを落として
歩行者に対して恐怖感を与えないようにするのも大切だと思います。
車の方から歩行者に譲歩するのは、車の方が色々な意味で「力」があるからです。
強者が弱者に力を振るうのは、時代劇でよく登場する「悪徳お代官様が、貧しい百姓から厳しく年貢を取り立てる」のと同じですよね。

さらに、歩行者は「車が通り過ぎた後に渡ればいい」と思っている人がいたら、それは違うと思います。
この考え方は、自分(車)の都合を相手に押し付けているだけの意見です。
歩行者が自分から「車が通り過ぎるまで待とう」と思うのと、他の人から「待て」と強制されるのでは大きな違いがあります。
子供の頃、これから勉強しようと思っている時に、親から「勉強しろ」と言われると急に勉強する気がなくなるのと似ていて
結果は同じでも、行動を起こす人が自発的に「やろう」と思わなければ、押し付けでしかないのです。

信号のない横断歩道で歩行者が待っていたときに
後続車がいなくて、自分の車がたった一台だけだったとしても停止線で止まるというのは
歩行者に対して敬意を示しているのです。
効率優先で考えるとたった一台ならそのまま通過した方が早いと考える人もいるかもしれませんが、
横断歩道で待っている歩行者に対して「自分の運転している車は凶器ではありません」とアピールすること、
すなわち「歩行者が自由に横断歩道を渡る権利」を尊重することが大切なんだと思います。

これこそ歩行者の安全と権利まで含めた保護の精神ですし、車を運転している人間の義務だと思います。
それに一分一秒を争うのではなく、一期一会の歩行者とのコミュニケーションも良いものですよ。

 
さて、ちょっとネガティブなストーリーで、
例えば「信号の無い横断歩道で自分が止まると、他の止まらない車が・・・・・」で始まる理由を挙げて
それを、さも大げさに表現して「だから止まらない」という言い訳をするのは、とっても気分が悪いです。
なぜって、それは自分の義務を棚に上げて、
しかも自分以外の人の責任まで把握しているような意味合いにもとれるので
とてもおこがましい事だと感じるからです。
だって車を運転している人はみんな免許をもっているわけですから、立場的には平等ですもの。
もちろん歩行者も安全確認せずに、無闇に横断歩道を渡るのは無責任だと思います。

まずは横断歩道で止まった上で
「信号の無い横断歩道で自分が止まると・・・・・」の「・・・・・」の部分にならないようにしてみたいですね。
そして注意して考えなければいけないのですが、「他の車が止まらないから」と言って自分が止まらないと
逆に「他の車を運転している人」から同じセリフを言われることになります。
そうですね、誰かが最初にその言い訳のループを断ち切らなければ、
「他の人が」、「他の人が」という言い訳のループが続いてしまいます。
まずは自分ではじめの一歩を踏み出さなければ何も変わりません。
そして「車の効率」ということで「後続車の迷惑になる」などと考えるのは無しです。
なぜなら、後続車や対向車はアナタと同じ「車」に属していますから
「車」が「車」のことを考慮するよりも、まず第一に「歩行者」を優先させなければ歩行者保護は到底実現できません。
「車の効率を優先させなければ」という錯覚にとらわれていると「横断歩道での歩行者保護」という本質を見失うことになります。

錯覚にとらわれていると「止まると後続車に迷惑を掛けるかもしれない」なんて八方美人的な考えに陥りやすく
シワ寄せは弱者である歩行者にいってしまいますよね?
周りに流されず、自分の意思と責任を持つこと、すなわち、ある意味で「悪者」を引き受けられる勇気が必要だと思います。

そして、横断歩道をまったく無視して行く人達と、なんだかすれ違ったような感覚があるのですけれども、感じたまま綴ると
「横断歩道での歩行者優先」「直進車が右折車に道を譲ること」は似ているようですがまったく性質が異なることだと思います。

横断歩道を渡ろうとしている歩行者を発見して、自分の方が先に通過できると思ってアクセルを踏んだときに
歩行者も同様に自分が先に渡れると思って小走りしてしまうと、
スピードが出ている車はもはや歩行者にとって安全ではなくなっています。
車に乗っている以上、どんな場合も歩行者と対峙するようなシチュエーションにはなってはいけないのです。

 
止まった時、結果的に歩行者が先を譲ってくれることもあると思います。
ちょうどデートなどお店のお勘定を払う時に「私が出すよ」とお財布を出したら、
相手が「ここは俺が払うから、次はおごってよ」と言ってくれると、ありがたくおごって貰うことができますよね。
それと同じで、まずは車が止まらなければいけないのです。

特に日本人は遠慮がちで奥ゆかしい人が多いので、車が通り過ぎるまで待っていようとしますが、
やっぱり、力関係が強い方から先に譲歩して、相手の先回りをして気を配ってあげられると礼儀正しいと思います。
そして歩行者がエスカレーターに乗るような感覚で横断歩道を渡り始められるように、
横断歩道の近くを走る車は歩行者のタイミングに合わせて減速したり一時停止したりして、
歩行者が自然に横断歩道を渡れるようにできるといいですね。

 

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2000-2008 文:りあ