02.08.04新規

(9)「耳をすませば」にはまれば
〜もうアタマ グジャグジャ〜

アニメマニアではありませんし、映画もほとんど見ません。
こんなワタシクがつい最近TVでやっていた「耳をすませば」を偶然見てすっかりはまってしまいました。ドーッと感動したわけではないのですがその後もシンドローム状態です。TV放映後一週間のあいだにDVDとフィルムコミックと原作本まで揃っていました。
これを見たあとは身の回りのどうでもいいことがひどくくだらなく感じるという副作用(効能か?)があります。
いったいどうしてここまではまってしまうのか考えてみました。
ここの記事は個人的なアタマの整理のためにつくりましたのであまり参考にならないでしょう。
原作本以外の参考資料を見ないで書いているので解釈がとんちんかんなところもあるかも知れませんが、ワタシクの珍解釈だと思って下され。

ところでこれを「耳すま」と略すのはやめなさい!! (←と怒る最後の世代(笑))

作品についてのものすごく適切なサイトがあり大変参考にさせていただきました。ここです。
ストーリーの説明などは省略させていただきます。








これが京王5000系(上北沢-八幡山)

・地球屋〜帰り道(聖司の本好きについて)
 
「お前なァ本の読み過ぎだよ」「自分だっていっぱい読んでるじゃない」の後、帰り道に至る間、聖司も物語好きだということ(もちろん先に図書カードに名前を書くためという話は別)について話したのだろうか。
 原作では聖司は絵を描くということで童話や夢物語が好きという点がしっかり現れているが、映画の方ではあまりこの点が出ていない。
 このため『お前ホントに本読んどったんか?』というつっこみがででしまう(笑)。
 本当は原作のように絵の方がしっくりくるのだが、そうするとカントリーロードが演奏できなくなるか、、。
 バイオリン作りでなくても絵を描きながらアトリエにバイオリンがあってというのでもよかったのかも、、。

・屋上のシーンの時の教室では、、、

  雫が聖司に呼び出され屋上に行っている間、クラスのやじうまどもは後を追いかけていったが、あの杉村は残っていたはずである(そうですよね?)杉村は朝のシーンで雫をおいていったのでもう雫に関心がなくなったと思われがちであるが、夕子と雫の会話「ゆうべよそのクラスの男の子と歩いてたって?」に反応するところ、聖司が面会に現れたときに見せる表情からして杉村は完全にはさめていないと思われる。「だれだあいつ!?」と思ったに違いない。夕子も彼女の性格からして残って弁当の番をしていたはずなので「原田、あいつ誰だ?」ぐらいはきいたかもしれない。杉村の心中を思うととても切ない。もう以前のように杉村と接することが出来ないと思う雫の姿もまた心打たれる。

・ラストシーンのあと
 
このテの物語は卒業シーンで終わりそうなものだが、ラストはまだ秋なので卒業までは時間がある。雫は持ち前の突進で期末試験で大挽回をはかり、内申点をあげることは容易に予想が付くであろう。雫と聖司の残り少ない日々は刻々と過ぎていく。
ところで聖司は本当に卒業したらイタリアに行ったのだろうか? などと考えると世のファンの方は怒るだろうなぁ(笑)。続編など考えたくありませんね。

さらに「幸せな時間」の最後の最後に"…でも もう少し ここで "とむすんでいる。←コレだ!!
この物語、多くの特に若い方が感想を持たれるように、ホントは夢に向かって純粋に前向きに生きようとする姿に共感するところなのだろう。
しかし、しばし郷愁の時間に遊んでしまう。時の流れは止められず、明日が来るのもわかっちゃいるんだが、もう少しこの世界にいさせてという気持ちがこんなに「はまらせた」のだろう。作った側も実は大人を泣かせてこそ「我が意を得たり」と思っていたりしてね(笑)。

「こーんなことホントにあるわけないだろ!!」とシラケることなくこの世界にはまれる自分にほっとします。「磨くとかえってつまらないものになってしまう」ものもあるという西老人の言は我々には強く印象に残るものがあります。誰が何といおうと原石の部分は〜たとえそれが悪いものだとしても〜隠して持っておきたいです。

とりあえずそういう結論にしておきましょう。
もう夏休みなんてこないけど夏休みの宿題をやった気分です。
(2002.8)



夏でもあるし、このページのテーマ曲が、みんなのうた「遠い空」になってしまいます。
ビルが建ち並ぶ景色に昔遊んだ里山を思うあたり、ここの光景とぴったり合うのでは?

ここまでおつきあいしていただいた方ありがとうございました。お気づきの点ありましたらメール下さい。


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