私の日記です

2000/11/15
前々日は19時半くらいに仕事を終えて帰ってきた記憶があります。
で、前日は風邪を引いて仕事を休みました。
本当にしんどかったので家から一歩も出なかった・・・。

で、この日・・・。

朝、8時過ぎに家を出まして、「急がにゃ遅刻やぁ」とバイクに跨ると、鍵が入らない。
しっかり、潰されていました。(恕)
取り敢えず、会社に連絡を入れて大遅刻出勤。仕事は山ほど残っているのに早めに帰宅して交番に届けました。

盗難防止装置のメンテナンスはこまめにやらないといけないという事ですな。
(反応が鈍くなっていた)

ハンドルロックだけではなく、面倒臭がらずに色々施錠せなあかんと痛感しました。
学習能力に継続性がないかも。(-_-;)
何にせよ、また修理代に1万以上かかるんやろなぁ。(-_-メ)
捕まる事もないやろうけど、もし、捕まったらどないしてくれようか。

っていうか、少年法の改正をちゃんとやってもらわんとあかんちゅうねん。(-_-メ)

2000/7/29〜30
Jリーグ 2000年セカンドステージ第7節「サンフレッチェ広島vs清水エスパルス」観戦の為、広島に行ってきました。
バイクで広島への観戦ツーリングは何度か行っていますが、考えてみると「ツーレポ」にしていなかったので・・・。

事前に広島在住の二人(タカ&Chimi)に連絡を取りました。
府中市のタカは当日仕事で、仕事後は鈴鹿(8耐)に行くので、昼飯なら一緒に・・・ということだったので、最初の目的とします。

12時過ぎに府中市に到着する為に、5時起床・6時出発と決定。
前日はちょっと栄養を付けようと焼き鳥屋へ・・・行ったのが間違い。
「**(近所のラウンジ)へは今日は行かないんですか?」
「行きませんよ。」
勘定を済ませた後、もう一度、
「本当にこのまままっすぐ帰るんですか?」
「は〜」

で、行ってしまったので、朝は二日酔いでした。(-_-;)

岡山までのルートはいつも通りです。
26号→43号→2号→250号(はりまシーサイドロード)→備前から岡山ブルーライン

ブルーラインでは、時間がありそうだったのでSAの売店ではなく展望台に行ってみました。
レストランは閉まっているようでしたが、横の自販機でコーヒーを買って飲んでいるとオバチャンが出てきて準備をしているようです。

オバ「どこから来たんですか?」
えじ「大阪ですわ。いつ開店ですか?」
オバ「もうすぐですよ。食事したらコーヒーサービスしますよ」
惹かれるものはありましたが、広島で食事の約束がありますからね。(^_^;)
えじ「今日は都合悪いんで、またにしますわ」
オバ「じゃぁ、今度来た時に寄ってね。」

観戦後に帰るときには深夜になる予定でしたけど・・・。(^_^;)

ブルーラインから2号線に入り、福山から府中方面に入ります。
福山東ICの横辺りから渋滞し始め、距離を稼げなくなってきました。
タカの勤務先に着いたのは12時半頃。
道路から覗きますが、タカの姿は見えません。
中のオネーサンが不審げにσ(^_^)の方を見ています。(-_-;)
「あれ?ココとちごたんかいな。」
もう少し走って見当たらないので、タカに電話・・・。留守電になっとるやんかぁ。(-_-;)
「今、市役所前。場所、判らん」留守電に入れた。

今度はChimiに連絡。
えじ 「タカの仕事場って、ココでええんやんね。」
Chimi「詳しい住所とかは知らない」
うーむ。
で、さっきのところに戻って、もう一度確認。 例のオネーサンが声を掛けてくれた。
オネ「タカ君ですか?」
えじ「あ、はい。お願いします。」
あ、呼びに行ってくれたみたい。
と、携帯が鳴った。
タカ「もしもしぃ」
えじ「今、前におんで。」 タカ「あぁ、ほんまぁ。」

やっと無事に会えました。
が、来るのが遅かったので出前を頼んでしまったとのこと・・・。(-_-;)
暫く立ち話をして、近所の食事できる所を聞きました。
タカ「何が食いたい?」
えじ「麺類!」
タカ「お好み焼きは?」
えじ「麺類がいい!」
あれ?コイツσ(^_^)が「メン食い」っツー事知らんかったかいな。(^_^;)
まぁ、朝ほど苦しくはないにせよ、二日酔いが残っているし、ココは意地でも麺類でしょう。(^_^;)

で、タカが太鼓判を押したラーメン屋の場所を聞いた後、広島への道順を聞きました。
タカ「(地図を指して)こー行って、ココを左ですぐ右に行って・・・」
えじ「(覚えられへん)もっと判りやすい道ないん?」
タカ「2号線に出れば判りやすいけど、混んでへんかなぁ」
えじ「うーむ」
タカ「(立っている道を指し)この道(486号線)ずっと行くと走りやすいで」
後日の再会を約して、取り敢えずラーメン屋に向います。

昼時ということもあり、ラーメン屋はめちゃ混み。
カウンタに一人分の空席を見つけ、座ります。
背凭れもないので、ライディングジャケットも着たまま「味噌ラーメン」を食べて汗だくになりました。
味は美味しい部類かなぁ。(^_^;)細目で堅めの麺がGoodでした。
店の外に出て、Chimiに連絡。
えじ 「今から向かうから、判りやすい待ち合わせ場所決めて。」
Chimi「地図ある?2号線のこの川を越えたこの角にセブンイレブンがあるから、そこがいいかな。」
えじ 「そこに着いたら電話したらええの?」
Chimi「近くやから電話くれたらすぐ行く。でも、そこからはだいぶあるよ」

何はともあれ、走り出します。
暫く行くと、その道は信号も殆どなくなり、ワインディングのなかなかな道になりました。
関西の南のほうに住んでいる人は、和歌山の広域農道を思い出して頂ければ判りやすいと思います。

Chimiは「遠い」ってゆーとったけど、ホンマに遠いなぁと思い始めた頃に486号線は終わり、続いている道(375号線)の案内板に「東広島」の文字を見つけて南下しました。
地図で見ると判りますが、486号線って、蛇行してんねんね。(-_-;)

2号線に出ることができて、ほっとする間もなく、Chimiとの待ち合わせ場所探しが始まります。
ご存知のように広島は河口の町ですから、東西に走っている2号線は何本もの橋を渡ります。
で、Chimiが「この川とこの川の間」と判りやすく教えてくれていたので、割とすんなりセブンイレブンが判りました。
と、着く頃に携帯に着信。
バイクを停めてヘルメットを脱ぐ頃には切れていましたが、Chimiからの電話でした。
電話すると、
Chimi「遅いから迷ってるかと思って。」
えじ 「今、着いた。」
Chimi「じゃぁ、すぐ行く。」
えじ 「赤いバイクに赤いヘルメットね」
Chimi「SPADAならすぐ判る」
実はChimiとは初対面・・・。(^_^;)ドキドキ\(-_-;)

煙草を一服する間もなく、自転車に乗って颯爽と到着しました。
第一印象は「思ったよりだいぶ若い」かな。(^_^;)
あんまり暑いので、彼の家に行くことにしました。
クーラーの効いた所で休めるのは取っても嬉しい。(^_^;)
その近くの彼の家に行くと、話題は今日の予定から。

えじ 「試合終わってから飯でも食おうか」
Chimi「うん。その後、帰るん?」
えじ 「その積りやけど。」
Chimi「雑魚寝でよければ泊まって行ったら?しんどいやろし。」
おぉ、Chimiの顔が天使に見える!(大袈裟)

17時頃、Chimiに見送られて、ビッグアーチに向かいました。
向かう前にサンフファンのY氏に電話してみると、「今日は万博」との事。
彼から、「トルシエ日本代表監督がビッグアーチに行っていて、挨拶するらしい。」という情報を得る。

峠越えの県道は、いつものようにビッグアーチに向かう車が列をなしていましたが、思ったよりスムーズに到着しました。

当日は「TOPS広島」のイベントがあったらしく、ビッグアーチの周辺では屋台が出ていたりして結構な盛り上りでした。
屋台のそばやビールで腹ごしらえをしてスタジアムに。
ピッチを見ると「TOPS」の選手らしき人達が行進している。
先頭近くにサンフのサテライト選手の顔が見える。
観客席に知人をみつけたらしく、真っ黒な顔に白い歯を見せていた松下裕樹が印象的でした。
森崎浩司の顔も見える。
っつう事は今日はベンチに入っていないのかぁ。(^_^;)

行進が終わってから、会場にトルシエが来ているアナウンスがあった後、御大登場です。
颯爽と壇上に上がると、四方に手を振って拍手に答えていました。
で、スピーチ。
後で聞くと、こういう事は彼の場合珍しいのだそうです。
挨拶を終えた後、花束を渡しに来たTOPSの選手(女子バスケ?)にキスをしていました。(さすがフランス人)(^_^;)
サンフ・エスパ両サポから「トルシエ・ニッポン」コールが何度も・・・。(^_^;)

試合のほうは、後半35分に出た、キャプテン上村健一の40m超ロングシュートでサンフが勝ちました。
気になったのは応援風景。
高校生くらいのボンボンを持った応援団がチアガールみたいな事をしていました。
サッカーには似つかわしくない。(-_-;)
チアガールは嫌いじゃないけど、止めて欲しいぞ。(-_-;)

また、峠越えをしてChimi宅に向かいます。
真っ暗なつづらおりは、なかなか迫力です。
前を行く車に取り残されると真っ暗になってしまうし、後ろの車が無理な追い越しをかけてきそうで非常に怖い。
40km/h程のゆっくりしたペースだったので、スムーズに麓に辿り着けました。

Chimi宅への道も迷うかと思ったけど、意外にすんなり着いて自己満足。(^_^;)
家の前に着いた時に、もう一度電話を入れました。(22時半頃)
「バイクはロックはしておいたほうがええんかなぁ」
実は、いきなり行って、彼女でも来ていて、「まだ戻らんやろうから」といけない状態に遭遇したくなかったんやったりして。(^_^;)
まぁ、そんなこともなく、(^_^;)\(-_-;)あるわきゃねって
ファミレスへ食事に出ました。
イヤに混んでいて、待たされたりしましたが、満腹になって機嫌よく帰宅。
Chimiが所用で外出する事になった後も、一人でTVをザッピング。
広島なので、今日のサンフの試合を特別に流している局がないかと思いましたが、1局だけそれっぽい番組がちょっとあっただけでした。

Chimiの帰宅後、梅酒で乾杯して、雑談。
MTVを見ながら雑談。
「もう寝ようか」
と、電気を消した後も雑談。

気が付くと、夜が明けてました。(-_-;)
「腹減った。ヨシギュウに行きたい」
という訳で、電話帳やネットのタウンページ、iモードのタウンページを駆使して検索。
場所を確認して(西広島駅のそば)Chimiの車で出発。
所が、あるべき場所にない。(-_-;)
#後で地図を見たら「ないやん」と直前でUターンした交差点を曲がってすぐの所にあった。(-_-;)
で、またiモード検索。
また、あるべき場所にない。(-_-;) よくよく住所を確認してみると、結構遠いらしい。
でも、腹が「吉野家仕様」になってしまっているので、取り敢えず向かうも、途中で別の牛丼屋をみつけて、いきなり駐車場にギュィ〜ン。

初めて入った店ですが、なかなかでした。
眠気を覚ます為に七味をたっぷり入れて食べました。 所が、眠気は去った筈が、帰宅してみると、満腹感からまた睡魔が・・・。
天気が不安定で「降ったり止んだり」状態だったのと、レインウェアを持ってくるのを忘れたので、再び電話帳で検索。
「南海部品があった筈」
で、またChimi車でお出かけ。
南海部品では、家においてあるモノよりガッチリした本格的レインウェアを購入。色は「赤」・・・に惹かれたけど、バイクもメットも赤なので、モスグリーン系統のものを一万円ほどで・・・。
で、「ブーツカバーはどうしますか?」
うーむ。
長距離やし、濡れるのもイヤやしなぁ。
で、結局購入。五千円ほど。
思わぬ出費や。(^_^;)

Chimi宅に戻り、「お邪魔します」が「ただいま」になりかけている・・・。(^_^;)
お土産として「もみじまんじゅう」をリクエストされていたので、土産物屋が開くであろう10時頃にいよいよ出発する事にしました。
雨は「パラパラ」ですが、準備するに越したことはない。
で、Tシャツ・Gパンの上に着てきたライディングジャケット(結構ごつい)、その上にレインウェアの上下。ライディングブーツを履いた後に上からブーツカバー・・・。
全部装着すると、それだけで汗だくになりました。Chimiの撮ってくれた記念写真を見たければココ

Chimiに見送られて、いよいよ出発。
土産物の為にまず向かうのは広島駅。(^_^;)

駅前の郵便局に駐輪して、駅の中をメットとタンクバッグを抱えてドカドカ歩く姿は、さぞ異様だった事でしょう。
タンクバッグの中は暑くなるので、饅頭は宅配便で送付。
駅の隣のコンビニでハイカを購入。

本当に汗だくで、雨も小降りでしたが、「走り出したら涼しくなる」と判断し、いざ、出発。2号線へ。

東広島に向かう道中で、もはやサウナスーツ状態で、意識も朦朧としてきたので、給油がてらGSへ。
「一服させて」と建物に入り、雨具を全部取ると、Tシャツは絞れる程の汗でビショビショ・・・。(-_-;)
結局、買ったものは全てタンクバッグ行きとなりました。(-_-;)

行きと同じ格好になって走り出すと涼しいの何のって。
この涼しさを感じる為に暑い中を我慢したと言っても通用する程でした。

でも、疲れ切っていたので、途中から山陽自動車道に入りました。
SAで休憩できるので、下道よりもだいぶ楽。
これで、行きに約束した展望台のレストランへは行けなくなりました。(^_^;)

さて、この日、台風の余波とかで、無茶苦茶強風が吹き荒れていました。
バイクという乗り物はご存知のように横風に滅法弱いです。
ふらつくのみならず、平気で1mくらい横に飛ばされたりします。
しかも、σ(^_^)の乗っているSPADAは「軽い」事を売りにしている程。
当然、100km/hも出すとタイヤのグリップが極端に落ちます。
ですから80km/h程でクルージングするのですが、そうすると後ろからドンドン抜かれる事になります。
左側(走行車線)の左側の轍を走っていると、同じ車線を車が抜いていってとても怖い思いをするので、右側の轍を走るようにします。
ところが、左側からの突風で右の追い越し車線に飛ばされるのが怖いし、突風で左側の轍まで飛ばされた時に後ろでイライラと待っていた車が「これ幸い」と同じ車線を抜きに来るので、結局少々の凸凹は我慢して轍の間を走る事にしました。
ギャップで飛ぶので、突風で飛ばされる事も少なくありませんけど、別の車線までは行かないのでだいぶ安心です。(^_^;)

普段でしたら、高速走行時はアクセルもギアも殆ど弄らないので大変楽なのですが、ギャップ走行の場合はアクセルワークでバランスを取るので非常に疲れます。
そのうち、右腕が痛くなってきたので、SA毎に休憩して一服。
山陽姫路東で高速を降りる頃には握力もだいぶ低下していました。
2号線はいつものように大渋滞。
摺り抜けの嵐です。(^_^;)

家の近くに帰り着いて、うどん屋に入る頃には、箸も持てない状態でした。(-_-;)

何はともあれ、事故もなく(ってゆーのが無事って事か)帰って来ました。

とにかく今回は
Special thanks to Chimi and 壁紙(謎)

2000/1/2
早朝の起床です。
恒例の箱根駅伝の為に通行止めにされる前に箱根を越えようと考えたからです。
箱根越えの国道1号線は「路面凍結注意」の標識が到る所にあります。
きっと、夏でも標識はそのままなんでしょうけど、本当に凍結していると怖いのでノロノロと進みました。ですから、本当に凍結していたかどうかは定かではありませんが、凍結しいてもおかしくないほど早朝の箱根は寒かったし、路肩に雪の残骸らしき塊も見掛けました。
何はともあれ、早朝の箱根は空気も美味しく、(と言いつつ排気ガスで汚している身ではありますが)、つい、鼻歌も口ずさんでいたりします。
「はっこねぇのやっまはぁ♪天下のケン♪」
うーむ、箱根の歌って新しいのはないやんね。(^_^;)

朝霧の芦ノ湖を横目に箱根を越えると静岡県。
前日もそうですが静岡は暖かい。
箱根のひんやりした空気を越えてきたので余計にそう感じるのでしょうか。
沼津から先は前日のコースを逆に辿ります。
行きもそうでしたが、富士山は雲を被っていて見えませんでした。
日頃の行い?(-_-;)

浜松辺りで11時。
名古屋に昼頃着ける見込みが立った所で、名古屋の友人に電話しました。
「暇かぁ?昼飯でも食おうや」
「暇ちゃうて。行かんならんトコあるで。けど、昼飯くらいならええよ」
「行かんならんトコ?忙しいんやったら、無理せんでええで」
「初詣行くで」
「あぁ。デートやったら、邪魔したら悪いなぁ。」
「ちゃうて。一人やて。」
「そしたら一緒に行こうや。あかんの?」
「ええよ」
という訳で、名古屋に入ったら再び電話という事になりました。

豊川稲荷や熱田神宮の「初詣渋滞」に巻き込まれそうにはなりましたが、そこはバイクの特権。いつものように摺り抜けを多用して、時間通りに名古屋到着。
早速連絡を入れ、熱田神宮付近で待ち合わせということにしました。

合流して(彼は車)、近くの百貨店(何処やったっけ)のパーキングに駐車し、σ(^_^)はその近くの区民会館みたいなところ(当然休日で閉まっている)に駐輪すると、百貨店内で昼食です。が、めぼしい所は混んでいるので、結局喫茶店でピザ&パスタ&生ビールということになってしまいました。(^_^;)

熱田神宮は思ったより混んでいなくて、明治神宮の混雑振りを想像していたσ(^_^)はちょっと肩透かしでしたが、お御籤売り場だけはラッシュ並みの混雑でした。(^_^;)
友人は「お御籤は絶対に買う」と、行列に立ち向かって行きましたが、「そこまでして買わんでも」というσ(^_^)は行列の外側で待っていました。

初詣に行ったら屋台やろ。
と、屋台に繰り出して、五平餅やら手羽先やら味噌カツやら・・・。
ビールと一緒に「名古屋の味」を満喫しました。
ん?手羽先はなかったんやったかいな・・・・(忘れた)

名古屋駅に新しくできたビルの展望台で「おのぼりさんごっこ」したり、バーに入って「ちょっと一杯」したりして旧交を温めた後、名古屋を後にして大阪に帰って来ました。
どんなルートを使って帰って来たかを覚えていないのは、酔っ払っていたからではなく、その時から時間がたっているので忘れてしまったからです。

「それじゃ『ツーレポ』にならない」という意見は却下。
そーゆーのもあるのです。(断言)

ミレニアムソロツーリング【前編】
きっかけは、大晦日の「ミレニアム・チャット」でした。
ニフティの某サッカーフォーラムで1999年大晦日の23時から年越しのチャットをしていたときでした。
σ(^_^)がサンフサポである事は、そこに来る殆ど全員の人が知っていて、翌日(元旦)の天皇杯決勝が東京の国立競技場で開催される事も全員知っています。
で、入って来る人は皆、
「えじさん、国立へ行くんじゃないの?」
「チャットなんかしてていいの?」
等と聞いてくるので、その度に
「何日か前まで元旦にはY2K絡みの仕事が予定されててチケット買ってない」とか、
「今から行ってもチケットが」とか、言っていたのですが、日本時間22時のシドニーの年越しが無事だったのをテレビで見ていたし、チャット中の年越しも呆気ないほど何事もなく過ぎたので、気持ちはグラグラ揺れていました。
そこに背中を「ポン」と押す台詞。
「チケット完売というニュースは入ってきていないので、絶対ある筈」
十人ほどいた中で、2人にそう言われると、行かない訳にはいかないでしょう。(^_^;)
試合を見に行くというK氏とも、携帯番号の交換したし。
ってな訳で、深夜1時出発と決めました。
#試合開始まで12時間あったら行けるやろ。

普段のσ(^_^)の格好をご存知の方は自明のことですが、赤いトレーナーが定番です。ところが今回の対戦相手名古屋グランパスのチームカラーが赤なので、それを着て行く訳にはいきません。
レプリカユニフォームを慌てて探したのですが、何処かに紛れこんでしまっていたので、仕方無しにサンフレッチェロゴ入りのトレーナー(ブルー)を着込み、「カチカチしゃもじ」だけタンクバッグに詰め込んでいざ出発です。

お金があれば、翌日一番の新幹線で行った方が早いし疲れません。
そこをわざわざ深夜に出発するのですから、懐具合は知れたものです。
最初から東名高速で行く気は更々ありません。(^_^;)
生駒の山越は流石に辛いので、西名阪は使う事にして、後は名阪国道から1号線・23号線・1号線と、夜の東海道を上って行きます。

名古屋市内で、新聞配達の光景を見かけたので、スポーツ新聞でも買って名古屋側の情報を知ろうかと考えたのですが、真っ赤なバイクに真っ赤なヘルメットはグランパスカラーとはいえ、サイドにはしっかりサンフレッチェのステッカーが貼ってあるし、タンクバッグも紫なのでサンフ色です。何となく気後れして湖西市(静岡県)に入ってから朝飯という事で「よしぎゅう」となりました。
それまでにも何度もコンビニに入っては暖かい飲み物を飲み、前で一服して走り出す事を繰り返していたのですが、店の中の暖かい所で飲み食いできる幸せは格別です。普段、食べ慣れている筈の朝定食が美味しい事といったら・・・。(^_^;)
「静岡県内でのみ有効」の牛丼割引券を貰いましたが、記念に貰っておきました。(^_^;)
浜名バイパスで2000年の初日の出を横目に更に東上します。
自動車専用道という事で、駐停車禁止でパトカーもうろうろしていましたが、パトカーは「ミレニアム暴走」警戒なのか路駐には見てみぬ振りです。
山程の車が路駐して、朝日を待っていました。
浜名バイパスを走行中に昇り始めた朝日は、磐田バイパスの頃にはすっかり登り切って、暖かくなってきました。夜間の震えながらの走行が嘘の様です。静岡県が暖かいのか朝日が暖かいのかは判りませんが。(^_^;)
掛川バイパス・藤枝バイパスと百円玉をつかうバイパスを快調に飛ばしたのですが、清水を過ぎ、沼津に入る頃に不安を覚え始めました。
その頃既に時刻は9時。
13時試合開始の1時間前には国立競技場に着いていたいのに、間に合うかどうかぎりぎりに思えたのです。

σ(^_^)が東京に住んでいたのは彼是十数年前。(^_^;)
その頃は免許を持ってなかったので、東京の町を走るのは初めてです。
加えて、東京の地図を持っていなかったので、素直に国立競技場に辿り着いてバイクを駐輪できるかというと、甚だ自信はありません。
ってな事を考えながら走行するうちに、「高速に乗った方が安全」という結論に達しました。
で、沼津から東名高速に乗り、東京料金所から甲州街道を抜けて神宮外苑。国立競技場に到着したのは、11時頃になっていました。
競技場を一周して駐輪できそうな場所を物色したものの、結局東京体育館前に駐輪する事に決めました。

チケット売り場には殆ど並んでいる人がいなかったのですが、携帯でK氏と連絡を取り、「国立で試合がある時に皆がいつも集まっている場所」というところに連れて行って貰いましたが、代表の試合ではないからか、誰もいませんでした。(-_-;)
まぁ、K氏とも初対面でしたし、これ以上初対面の人が増えても顔と名前が一致しない可能性が高かったのですが・・・。(^_^;)
σ(^_^)は自由席で、席を確保しなければいけなかったので、指定席のK氏と別れて観客席に移動しました。

【試合内容のほうは省略】

試合後、K氏と「例の場所」で待ち合わせて、やはりチャット仲間のY氏とも合流しました。Y氏の友人氏も一緒です。
「軽く一杯」
という事で、新宿まで4人で歩きました。
σ(^_^)が昔住んでいた南新宿辺りを過ぎ、西新宿までは、懐かしい町並みですが、いかんせん、ライダーブーツは長距離歩くには適していませんね。(^_^;)

西新宿で元旦から営業している居酒屋を見つけて、4人で乾杯しました。
セリエの話題やらリーガの話題やら、勿論今日の試合の「ピクシーワンマンショー」やら、楽しい話題だったのですが、疲れ切っていたσ(^_^)は途中でダウンしてしまいました。(座ったまま、暫し仮眠)
どうも失礼しました。m(__)m>その際は・・・。

元旦から銀行が開いている筈も無く、現金に乏しかったσ(^_^)がカードで支払いをし、3人から現金を戴くという我が侭も言ってしまいました。m(__)m

バイクに戻る為に新宿駅から中央線に乗ったのですが、停めてある駅を間違えて一つ戻った等というどうでもいい話は内緒です。

その後、東京や近辺に在住の友人(と思われる連中)に連絡を入れるも、全員連絡がつかないか、連絡がついても「お客さん来てるから」・・・。(-_-;)
しゃーないので、取り敢えず帰途・・・。

横浜を抜ける頃、どうしようもなく眠気が襲ってきたので、高速のICなら休憩できるかもと手近な入り口に向かいました。
で、その途中にみつけたのが「二宮温泉(セドル健康ランド)」。
仮眠できそうなのでラッキーでした。
風呂や温泉に浸かって、疲れを取って、毛布一枚の仮眠です。
Zzzzzzz

《後編へ続く》・・・と思う(^_^;)\(-_-;)

10月末
タイヤ交換しました。
結局赤男爵で。
貧乏人は選択肢が限られているかも。(^_^;)

皮むきも終えて、順調に乗りこなせているのではないかと自負しています。
ただ、タイヤツルツル状態が長かったせいか、先日の転倒が身体に恐怖感を与えているからか、以前の様にカーブでバンクできていないような気がします。
徐々にカーブの出口でアクセルを開け気味にできてきたりはしていますが、根本健大先生の「バイク“乗れてる”大図解」のようにはなかなかいかないものです。(^_^;)
「ブレーキングリリースで曲がる」なんて簡単そうに書いてあるけど、難しいです。
やっぱりσ(^_^)は“一生カメ一筋”ライダーなんだろうか・・・。(-_-;)


10月の日記(月記?)
とりあえず、回復傾向なので、次のターゲット。(^_^;)
タイヤのスリップサインが「うーむ」状態なので交換を検討中です。
いつものバイク屋や近所の別の店で見積をして貰ったら、「3万弱」・・・・・・。
高いっちゅうねん。
で、堺の「赤男爵」行ったら2万強。
この差はどこから来たのか判りませんが、赤男爵では「今付いてるのと同じやつ」と指定したのでこの値段になったのかもしれません。
要するに、中古車で店頭に出ているものは安いし磨り減ったままのタイヤで、タイヤ交換を希望してきたら何ランクか上のタイヤを勧める。という事なんでしょうね。(^_^;)
まぁ、峠を攻めたりするわけじゃないので、(その割に走行距離は半端やないけど)安いタイヤかなぁ。
でも、燃費や安全度や疲労度や操縦性に直結する部分やからちょっと奮発してもいいかなぁ。
でも、またZeaLみたいに「高いメンテした途端お釈迦」にならんとも限らんしなぁ。

と、悩んでいる最中です。
識者の意見を求む。
って、こんな所で「独り言」書くよりニフティのFBIKE辺りで質問した方が早いか。(^_^;)
あそこのチャットでも「常連」を覚えてきたとこやし。(^_^;)\(-_-;)

1999/9/22
「リハビリ」初体験・・・。(^_^;)

リハビリ前に診察を受けましたが、ワイヤを抜いた2本分の穴のうち1本は塞がっているとかで処置せず。
もう1個の穴も、消毒して「バンドエイド」を貼っただけ。(医者が本当に商品名を言った)(-_-;)

で、本題の「リハビリ」です。
肩をほぐす意味でもあるのか、待っている間に暖かいバスタオルを肩に乗せられました。
これにどんな意味があるのかは識者の見解を待つとして・・・。(^_^;)\(-_-;)
肩の上はポカポカと・・・・熱いやんけ!
待つ事10分あまり。
バスタオルがぬるくなる前に呼ばれました。

「ハイ、前から上に腕を上げてみて下さい。・・・あ、ここまで上がりますか。回復順調ですねぇ。ご自分で何かリハビリしてました?これならリハビリの時間もあまり長くないかもしれませんね。」
腕の曲げ伸ばしや、上げ下げを10分程やったでしょうか。
「今日は初回なのでこれくらいにしておきましょう」
という、池野めだか風台詞で呆気なく終わりました。

自分ではリハビリなどした記憶がないのでいろいろ考えてしまいました。
バイクに早く乗りたい気持ちが回復を早めているのかとも考えましたが、違うようです。(^_^;)\(-_-;)

思いついたのは、某所のオフ会。
「岸和田だんじり見学オフ」に参加したのです。
勿論、曳く訳ではないのですが、人ごみの中に飛び込む勇気もないので2次会からの参加でした。(^_^;)
その2次会が何と「すき焼き」・・・。
想像してみてください。
右の二の腕を脇腹に密着させてバンドで固定し、肩が動かない様にしたままで、肘から先だけトレーナーの裾から出し、箸でテーブルの真中の鍋を突つく。
とっても「無理な体勢」だと思いませんか?
きっとこれが「リハビリ」になったのでしょう。(^_^;)
「食べ放題」の元を取ろうとする旺盛な食欲のなせる「技」だったのか。(^_^;)\(-_-;)

「食い意地が張っている」という意見は、却下します。(^_^;)\(-_-;)おんなじことやんけ

1999/9/20
ワイヤが取れました。
折れた鎖骨の固定の為に入れたワイヤ(針金)を抜く作業の日が来てしまいました。
月曜日で休み明けのせいか、いつもより混雑気味の待合室で待つこと1時間。
「麻酔もかけずに抜く」と聞いていたので、どきどきモンでした。
もしかしたら、朝からどきどきしていたかもしれない。
考えて見てください。
身体の中から「異物」が出て来るんですよ。
「排泄」にせよ、「出血」にせよ、「出産」にせよ。身体から出るのは有機物と昔から決まっています。(まぁ、最後のは経験したくともできませんが)
ワイヤといえば金属。無機物です。
身体から取り出すだなんて、想像できますか?
しかも、麻酔なしだという・・・。(-_-;)
大の大人をどきどきさせて影で喜んでいるのではないかと思うほど、待っている時間は長かった。

で、診察室に入ります。
いつもの様に、主治医の横に看護婦と看護士。
ワイシャツを脱ぐときに看護婦がニコニコ言うんです。
「今日は抜粋ですね」(ハート)
看護婦という職業は確かに笑顔が命みたいな部分があります。
入院中の患者などは、その笑顔に救われる部分も少なくないでしょう。
でも・・・、でも今日は辞めてっていう気分でした。(-_-;)

おとなしく肩を露出して椅子に座ると、ガーゼを剥がします。
いつも、ガーゼの交換や傷口の消毒をしてもらうときと同じ手順です。
でも今日はその後が違います。
主治医の手にはペンチ・・・。
覚悟を決める間もなく、肩から出ているワイヤの一端を挟むと、「グイ」
思わず手に汗を握る一瞬でしたが、思いがけず「スッ」と抜けました。
「あれっ、U字型の一本のワイヤが入ってる訳違ごたんや」
と、思う間もなく、もう一本を「ガチ」
「こっちは骨に触れてるからちょっと痛いかも」
等という主治医の言葉が聞こえたかと思うと「グイ」「スッ」・・・。
3秒ほどでしょうか。
呆気なく抜けてしまいました・・・。
「ガーゼ当てとくから、レントゲン室の前へ行って待ってて」
ガーゼを仮止めしましたが、血も出ていません。
ワイシャツを羽織って、荷物を持ってレントゲン室へ。
レントゲンを撮って、診察室前の待合室へ戻ると、程なく呼ばれて、
「今日は消毒だけしておきますけど、穴から出血があるかもしれないのであまり動かさない様に。水曜日から徐々にリハビリを始めましょう。」
朝からのあの気合いは「いずこへ」(byチャーリー浜)といった感じ。

リハビリに対する一抹の不安はありますが、拍子抜けして帰り支度をします。
久し振りに通す背広の右袖。
先日の様に電車で座っていて、右横の座席に座ろうとしたおっさんに袖ごと座られて死ぬほど痛かったのもいい思い出になるのでしょうか。
脇が密着していないだけでこんなにも涼しいものなんでしょうか。
等と、感傷に浸って着終わると、看護士のお兄ちゃんが「はい。これ」と何やら手渡してくれました。
見ると、見覚えのある針金2本。
記念に貰いました。
何に使えっちゅうねん。
ま、「記念」か・・・。

何はともあれ、「全治」に向けて1歩前進です。

1999/8/25
退院してきました。

8・21 事故&尾鷲に入院
8・22 尾鷲を退院&近所で診察。
8・23 近所に入院&手術
8・25 退院

という、慌しい日程でした。
鎖骨の骨折箇所にワイヤを入れて一直線に伸ばすだけという、割に簡単な手術だった為、その程度で済んだのでした。

それでも全身麻酔での手術といえば、医療事故のニュースが多い昨今の事、流石に不安で眠れないままに手術前の事故説明に長い文章を書いてしまいました。(^_^;)
それなのに肝腎な入院予定日数を書き忘れ、某所では見舞いオフの計画もあったようですが・・・。(^_^;)モウシワケナイ

前回の全麻手術は一年半前。
その時は結構な手術だった為か(4時間以上かかった)手術室に向かう前に予備麻酔というのをやり、その時点で意識がなくなってしまったσ(^_^)ですが、今回はちょっと違いました。
病室からベッドのままカラコロと手術室に入ったはいいけど、手術台との高さの差が結構あってσ(^_^)を上げられないらしく、
「自分で起きてそっちの台に寝てくれる?」
緊張感はσ(^_^)の中で盛り下がって行きました。(^_^;)

麻酔医の話が聞こえます。
若い女性らしい麻酔医(マスクで顔は見えない)が担当らしく、σ(^_^)の腕につけられたルートの前に立っているのですが、喋っているのは隣に立った男性医師でした。
「初めてやからアンチョコ見ながらやるか」
(初めてぇ?まぁ、隣のオッサンはベテランっぽいからええか)
「予備麻酔は何ミリ?」
「・・・」(新米女医の声は聞こえず、相当緊張している模様)
「行ってみようか」
「・・・」
「さて、本番。量は?」
「???」(ガサゴソ書類を捜す音)
「体重は?」
「???」(ガサゴソ)
(あ、そういえば、今回入院してから身長体重は言ってないぞ)
男性麻酔医が、σ(^_^)の耳元で声を掛けます。
「体重はどれくらいですか?」
「70弱だと思います」
「計算して」(女性医に)
「・・・」
「そう、じゃ、いってみよう」
σ(^_^)の意識はここまでです。
予備麻酔で意識がなくなっていたらどうなっていたのでしょう。

気が付くと病室のベッドでした。
やはり、その晩も「ボルタレンサポ25mg」のお世話になった、痛みに弱いσ(^_^)でした。
病室の人間模様は色々面白いことがあったりしますが、差し障りがあると困るのでここには書けません。(^_^;)
入院生活は退屈以外の何物でもなく、可愛い看護婦の動向や美人患者の噂などに花が咲いている様です。(可愛い類の人間模様)

退院後の今のσ(^_^)の状態といえば、右肩に入れたワイヤの端が2本出ています。
で、右肩と肋骨をを固定する為に右の二の腕が胸に固定されています。
固定しているのは「トカチャンクニチャンベルト」のような幅広のベルトですが、結構暑いです。
外したままではいけないらしく、仕事に行くときもワイシャツの上から固定し、上着を左腕だけ通しての出勤になりそうです。

用語解説:ルート
入院や手術の経験者なら判ると思いますが、点滴などは何種類もあるので、その度に静脈に針を刺すようなことはしません。予め一本だけ刺しておいて、そこにルートと呼ばれる器具をつけます。ルートは逆流しにくい構造と何本かの入り口でできていて、同時に点滴をする事もできるようになっています。麻酔薬もこのルートから注入する訳ですね。σ(^_^)の場合は手術部位が右肩だった為、左手の腕時計の文字盤のあるべき場所の10センチほど上でした。

こけちゃいました。(C)谷口選手
1999年8月21日 広島に「サンフレッチェ広島vsヴェルディ川崎」を見に行く積りでした。
ところが、目が覚めたら昼。
行き付けのうどん屋の親父には、
「行く積りやってんけど、こんな時間になってもうてん。」
と言ったのですが、親父曰く、
「アンタやったら、今からでもバイク飛ばして行くん違うん」

すっかりその気になってしまいました。(^_^;)
飯だけ食いに行く積りで出てきたので、ジーパンにTシャツという軽装です。
いつも遠出するときに着ているGW(ゴールドウィン)のライディングジャケットは、肩と肘と背中にパットが入っていて、しかもゴアテックス素材という摂津の「レーシングワールド」(二輪用品店)で清水の舞台から飛び降りてしまった買い物だけのものがあるのですが、これを取りに帰る面倒を厭ったのがそもそもの間違いでした。

いつもの様に大阪市方面に北上して、広島へ向かうルートに乗りましたが、そこでフト考えました。
σ(^_^)が大阪から見に行く事によって、「川崎戦は客が入る」等と間違っても川崎の連中には思われたくない。
で、180度方向転換して和歌山に向かいます。
あまりにいい天気だったので、「太陽が呼んでいた」のでしょうか。
26号線を南へ和歌山市まで。
さらに42号線をひたすら走ります。
目標は42号線完全制覇。
西名阪で帰れれば紀伊半島を一周や!

勝浦辺りで日が暮れかけてきたので、宿を取ろうかとも思いましたが、
「まっすぐ走るだけやし、問題ないやろ」
と、走り続けたのが第二の失敗。
疲れているのだから体裁など考えずに宿を取って、ゆっくり温泉に入っていればよかった。

新宮までは海沿いの道ですが、三重県に突入する辺りから42号線は峠道の様相を増してきます。
外灯もない峠道はライトをアップにしないとカーブが曲がれません。
対向車が来たり、前の車に追いついたときにはライトをローに戻します。

その時は、後ろから猛スピードで迫ってきたバンがあったので、道端に避けて先に行かせて後ろから下り坂にかかった所でした。何百キロも走っていると時々感じる瞬間ですが、猛スピードが出ていて(70キロくらい)しかも、ブレーキングもせずに下っているのでさらに加速しているにも拘わらず、前の車も同じように加速し、カーブのR(半径)が変わらない為に、自分も前の車も止まっているような錯覚に落ちるときがあります。
これは確実に目が疲れている証拠なので、道端に止まって一服しようと思った時でした。

「ブレーキでスピードを落として、道端に寄って、止まる」
疲れからでしょう。こんな簡単な事ができません。
「ブレーキでスピードを落としながら道端に寄って」しまいました。
たちまち、道端の砂利にタイヤが乗ってロックし、転倒してしまいました。
思わず腕時計を見ました。
19時47分。広島ではハーフタイムに突入した頃でしょう。

身体はあちこち痛くて立ち上がれません。
車で通りかかったオッチャンが二人係りでバイクを起こしてくれました。
救急車を呼ぼうかとは言って貰ったのですが、聞くと、尾鷲まで5分くらいの場所という事なので、エンジンもかかることだし、ゆっくり走り出しましたが、右のバックミラーが曲がってしまい、まともに後ろが見えません。
加えて、全身が痛い痛い。
擦り傷になって血が滲んでいるところに風が当ると、めっちゃ沁みる。
やっとの事で交差点まで降りると、後ろには車が列になっています。
青信号になっても、全ての車を先に行かせないと発進できません。
やっとの思いで尾鷲の街中に辿り着いたときに、消防署が目に付きました。
消防署なら救急病院の場所も知っているでしょう。
で、飛びこみました。
「すみません。救急病院、どこですか?」
血だらけのσ(^_^)を見て、消防署員が何人も出てきます。
一人が外に出て道を教えてくれる間に他の一人がσ(^_^)のバイクを見ています。
「行けるか?」「救急車は何やから、普通の車で送って行こうか?」
などと言われましたが、断って救急病院に着きました。

結果。
右肩鎖骨骨折。
背中側の肋骨を数本骨折。
肘や膝に擦過傷多数。

勘のいい方はお気付きでしょう。
「例の」ジャケットを着ていれば防げた傷ばかりです。(-_-;)

転倒した場所を聞いて、医者が言いました。
「あそこから自力でバイクで来たの?」
「はぁ」
「痛くなかった?」
「痛かったっす。半泣きでした」
「だろうねぇ。救急車呼ぼうとは思わなかった?」
「助けてくれた人が『5分で尾鷲』って言ったもんで・・・」
「5分で着いた?」
「いえ。2〜30分・・・。」
「だろうねぇ。で、消防から連絡入ってるけど、消防署に行ったんでしょ?」
「はぁ」
「何故、消防署まで行っておいて、救急車で来なかったの?」
「・・・」
「痛くてバイクなんか乗れる状態じゃなかった筈だよ」
「はぁ。痛かったっす」

今、書いてて気付いた。
久保竜彦(サンフレッチェ広島)のような受け答えや。(^_^;)

生まれて始めて「失神」というものも経験しました。
看護婦さんや外科医・整形外科医に囲まれて、治療しながら事情聴取(状況説明)をしていたときに、ふっと、立ち眩みのような状態になりました。
「あ、立ち眩み」と、口にした瞬間、血の気がさぁっと、音を立てて顔から引いていきました。回りにプロがいっぱい(と言うかプロしかいない)という状況は、今考えると幸運としか言い様がありませんね。
転んだ直後にそんな事になっていたら、道路から逃げ出す間もなく後続車に轢かれていた事でしょう。
倒れるσ(^_^)の身体をベッドにそのまま仰向けにして、瞬く間に点滴の管が付けられ、入院手続きが取られ・・・。
入院しました。

手術になるかもしれないという事で、親に連絡が入れられ、父親が翌日に来る事になりました。
神戸から尾鷲まで、電車を乗り継いで何時間かかるのでしょうか。
米軍のB−29が神戸を空襲したとき、必ず、尾鷲上空を通って行ったという話を読んだ覚えがあります。
そんな事をツラツラ考えながらも、うつらうつらしては痛さで目が覚めます。
看護婦さんが見かねて「ボルタレンサポ」をくれました。
去年の3月以来の「ボルタレンサポ」。忘れてなかったし、痛みも収まり、明け方はぐっすり眠れました。

さて、翌21日。
朝飯が8時頃届きましたが、起き上がる事はできません。
ヘルパーのオバチャンに助けてもらって、やっと起き上がりましたが、箸も持てません。
よく、「箸より重いものは持ったことがない」等といいますが、鎖骨を折ると本当に箸も持てなくなるのですね。(^_^;)

尾鷲の看護婦さんは訛りがあって味があります。
時々何を言っているのか判らないのも愛嬌です。(^_^;)

後は、会社の上司に連絡したりしながら、父親の到着を待ちます。
待ち草臥れて、うとうとし掛けた頃、ナースコールで起こされました。
「今回は右肩ですよね。左肩の鎖骨を折ったのはいつ頃ですか?」
「10年以上前です」
宇都宮に住んでいた頃、自転車に乗って帰宅中、前からきたゲンチャと正面衝突してビューンと吹っ飛んで電柱にタックルして折ったのですが、同部屋の人達がナースセンターとσ(^_^)のやり取りに耳を欹てている中でする話じゃありません。

その時の状況も思い出しました。
ぶつかった相手のゲンチャのニーチャンが申し訳なげに、
「メモして控えておいてください」
と出した免許証に目もくれず、
「大丈夫だから」
と、壊れたチャリンコを押して帰ったのでした。
「壊れたチャリンコくらい弁償して貰えば良かったかなぁ」
等と、自分の鎖骨が壊れてしまった事にも気付かず、普通に歩いても20分余りの道程を2時間半かけて・・・。

考えたら今回も同じような状況やないの。
あの時は生まれて初めての骨折で、折れたときの痛みや、その時の腕が上がらない事を鎖骨の骨折に結び付けられなくて、翌朝、目が覚めたときに余りの痛さに病院に行って骨折ということを知ったのですが・・・。
今回、病院でレントゲンを取る前に看護婦が傷口を見て、
「あぁ、いっちゃってそうな感じ」
というのを聞いても「嘘やぁ」としか思えなかったσ(^_^)は、成長がないのでしょうか。

そんな事をウツラウツラ考えているうちに、またまどろんでいたらしく、
「大丈夫か?」
と、親父に起こされました。

「遠いところを申し訳ない」
などと間抜けな挨拶をするσ(^_^)に、
「お母さんからの伝言や」
「・・・」
「もう、バイク乗るの辞めぃ」
「・・・」
「30も過ぎてるのにバイクなんかにばっかり乗っとらんと・・・」
「・・・(車にせいとか言うんかな)」
「乗るのは『女』にせい」
をいをい・・・・。

尾鷲で手術して何日も入院するのはイヤだと、σ(^_^)がダダを捏ねたからか、大阪の人間は大阪で手術を受けた方がいいと医者が思ったかは判りませんが、大阪に戻って手術する事になりました。
尾鷲から松坂までバスで2時間。
松坂から難波まで近鉄特急で2時間。
南海線で大和川を越えたときに親父が言いました。
「希望どおり大きく一周してきたやないか」
確かにそうなんやけど。
後半は希望とちゃうし・・・。

去年の春に気胸で入院した病院に入院する事に決まりました。
折れた鎖骨をワイヤで固定するらしい。
外科のナースも一人は知っているのは心強いです。(病棟に翌日の入院の連絡を入れる時にσ(^_^)の年齢を一つ若く言ったのは、彼女が資料を見ずに去年の記憶で喋ったからでしょう。そんなにインパクト強かったか?)
主治医もお馴染みの顔。(またバイクで転んだの?はないと思う)

初日の明日、手術するという事で、今から食事抜きです。
下剤も飲みました。
後は身を清め・・・・られない。(;_;)
鎖骨を折った経験者は判ると思いますが、一人で服が脱着できないんですね。

紀伊半島を炎天下に半周してきた泥だらけ汗まみれのまま。
失神したときに全身の毛穴からものすごい量の汗をかいたのが乾いたまま。
手術を受けてきます。
全身麻酔なのでσ(^_^)は気付かないでしょうが、全身洗浄したときの看護婦の声が聞こえてきそうで怖いです。
そんなに難しくない手術らしいですが、2年連続で全身麻酔手術はやはり怖いです。
脚などのときは、部分麻酔で解説しながらやる事もあるやに聞きますが、(本当か?)首のすぐ下の鎖骨の場合、そうもいかないでしょうね。

そんな訳で、明日から何日間かネットを離れますが、その後、また、アホ話が書き込めることを祈ってください。

痛さと暑さで手術前に参ってしまいそうな手術前日。(8/22)深夜

1999/7/15
先週土曜日に走ったときも、帰りに家に向かう坂道でエンストしました。
疲れているのでクラッチの繋ぎが甘かったのかなぁ。
朝の発進もイグニッション一発ではなかなかかかりません。
うーん、不調やなぁ。
加速も益々悪くなって来ました。
信号待ちからの発進でも、一気に1万回転位まで回さないと加速しません。
あっという間に4速7〜80km/h程まで出さんとあかんのは、疲れるし危ないし。でも、出さないと40km/h以上なかなか出ません。

しょうがないので、またバイク屋へ行きました。

結論、エンジンが「寿命」のようです。
1年前に中古で買ったとはいえ、オドメーターはまだ2万キロ。
途中、メーターケーブルが断線して届くまでオドメーターが進まなかった事もあります。
暴走族に盗まれて「キャツラ仕様」にされて捨てられていた事もあります。
チェーンも寿命で、カラカラ音がします。(これは消耗品なのでしょうがないですね)

「エンジンを入れ替えるよりは、中古の程度のいい奴のほうが安いですねぇ。」
「実は掘り出し物の250が入っているんですよ」
絶対、カモにされてる気がする(-_-;)

でも、実際買い換えないとどうしようもないし、12万円+2万円(登録諸費用)+消費税は魅力です。
赤男爵などに見に行っても、こんな値段ではありません。

うーん。「安物買いの銭失い」かなぁ。

何はともあれ、今週末から愛車が「SPADA」になります。

1999/7/10
1999/7/10

「納豆の日」
ってな事は全然関係なく、久し振りに走りに行ってきました。

「ちょっとその辺を」といった積りで、タンクバッグには「大阪・神戸・京都」っていう近辺都市図を入れ、とりあえず向かうは大阪市内。26号線(国道・以下同様)を北上します。

今日の目的としては、「バイクの調子を見定める」「天気が良かったのでたまたま走りたかった」など、色々な要素が絡み合っていて、一言で言えば、「気の向くまま走りたかった」といったところでしょうか。(^_^;)\(-_-;)

大阪市内で給油してさらに北へ向かいます。
実際は北東の方角でしょうか、三田から福知山方面に行きました。
176号線って、阪急宝塚線・JR福知山線などを縫うように、また中国自動車道と絡み合うように福知山に続いています。今年の春に思い立って日本海まで行こうと思ったときには、あまりの寒さに福知山で引き返した経験のあるσ(^_^)としては「リターンマッチ」ですね。(^_^;)\(-_-;)チャウヤロ

福知山ではちょうど昼時だった為、春にも入った喫茶店で昼食を取りました。別に可愛いオネーチャンがいる訳でも、特別美味しかったわけでもなく、単に探すのが面倒だっただけ。(^_^;)
食べたメニューもその時と同じ「カレースパゲッティ」・・・。
自称「めんくい」のσ(^_^)としては当然の選択でしょう。

昼食後、3桁国道に飽きたσ(^_^)は9号線を西に向かいました。
山口方面ですが、例によって理由はなし。(^_^;)\(-_-;)ナインカイ
基幹幹線のため、トラックなどの大型車両が多いのですが、彼等は道路情報に詳しいので少し距離を置いて安心してついていきます。飛ばす所は飛ばし、落とす所は落とす。
バイクの調子は相変わらずいいのか悪いのか判りません。
信号待ちから1万回転位回すと調子よく加速しますが、それ以下ではなかなか加速しません。そんな事に気を取られていると、久し振りに恥ずかしい「空ぶかし」を経験してしまいました。(^_^;)
バイク乗りなら必ず経験する(と思いたい)加速中にギアがニュートラルに入ってしまう無意味な騒音です。判らない人は近所のバイク乗りに尋ねてください。必ず経験があるはずです。あると思う。あるんじゃないかな。あるっていってくれぇ。(^_^;)\(-_-;)

別に砂丘を見たくて鳥取まで行ったわけと違うけれど、鳥取市内に入った頃に日も傾いてきて、そろそろ帰りを心配しだします。
同じ道を引き返すのは絶対嫌なので、「岡山方面」の看板をこれ幸いと、53号線を南下します。
途中、黒尾峠(鳥取と岡山の県境)の「ドライブインちこ」で、職場へのお土産を買い、ただひたすら南下します。
なかなか走りやすい道でした。
岡山に着く頃には日もとっぷりと暮れ、53号線を走りながら考えていた、「岡山ブルーライン」から「播磨シーサイドロード」を走る計画はやめにして、2号線をひたすら東へ向かうことにします。
2号線のバイパスを走ったのは実は初めてだったりしますが、安い割に走りやすい有料道路だと思いました。
こまめに料金所があったりしますけど。(^_^;)
まぁ、150円とかの値段ですから・・・。(^_^;)

家の近所までたどり着いたのは23時頃でした。
非常に疲れていたσ(^_^)としては、そのままバタンキュー・・・の筈が、誰かにこのアホなソロツーリングの話を聞いて貰いたくて飲みに行ってしまったのでした。(^_^;)\(-_-;)

ヘロヘロで帰って、電話線を引っ掛けて家のモジュラージャックは壊してしまうし。(-_-;)(お陰で電話も不通になってしもうた)

何はともあれ、「アホな無計画ソロツーリング」の話でした。
「ツーレポ」にもなってないなぁ。(^_^;)\(-_-;)

治ったのかなぁ
バイク屋に一泊の入院修理を依頼しました。
で、翌日取りに行くと、
「キャブのバランスが崩れていたので交換して整備した。」
と、¥21,000かかりました。

調子の方は・・・・よくなったのかなぁ。
よく判らない。(^_^;)
とりあえずは順調のようにも見えますが、どうも不安定です。

青切符を貰った結果
さて、スピード違反で捕まった場合、皆さんはどう思うでしょう。
「ついてないなぁ」と思うでしょうけど、σ(^_^)もそうでした。臨時の余計な出費が一万二千円・・・。全く気分はブルーになります。「もう二度と捕まるもんか」と、スピードメーターを必要以上に注意するのは人情でしょう。
制限時速の60km/hを絶対オーバーしないというのは土台無理ですし、危険なことです。でも、限りなく制限時速に近いスピードでした。
そうなると・・・エンジンの回転は押さえ気味です。エンジンの調子はドンドン悪くなりました。
4気筒のうち、1気筒死にかけている感じなのですが、行き付けのバイク屋さんに持っていっても
「プラグが被ってますので、交換しましょう」
「低ギアで回転数を上げ気味に乗ってください。」
等というばかりです。
プラグを交換したばかりで、被るなんていう事があるかどうか、勉強不足の為かσ(^_^)は知りません。が、「眉唾」ではあります。
今度の週末、一日そのバイク屋に預けてみて、改善しないようならバイク屋を変えて、別のバイクを買う事にするかエンジンのレストアをして貰おうと考えています。

自分で何とかする「スキル」があればええんやけど・・・。(-_-;)

きっかけは4月30日
あれは忘れもしない今年(平成11年)の4月30日の日。
朝、いつものように通勤でZeaLを走らせていました。
阪神高速関西空港線の下を、「助松ジャンクション」から会社までは、通称「大阪臨海線」です。ちょうど貝塚から泉佐野(関西国際空港)までの区間が開通したばかりで、車両通行量も増え始めた頃でした。
この道は片道2〜3車線で、車の平均速度は80km/h位です。(制限速度は勿論60km/h)
要するに「80km/h以下の速度で走っていると怖い道路」です。
バイクで走っていると必ず経験する、「普通に走っている同じ車線を猛スピードでむりやり抜いて行く暴走車」は100km/h以上出しています。
泉大津市内の、とある交差点。信号待ちで先頭に立ったσ(^_^)は、加速で四輪車に差をつけるべく、一気に80km/hまで引っ張ります。車と同じ加速で並走することがどれだけ怖いか知っているバイク乗りは、みんなやっていることでしょう。(四輪車しか乗らない皆さん。バイクが信号待ちで摺り抜けて前に出て、信号と同時にかっ飛んで行くのにはこういう理由もあるのですよ)
で、引っ掛かってしまいました。>鼠捕り (-_-;)
速度超過24km/h反則点数2点の「青切符」です。
人差し指の指紋を取られて(拇印ともいふ)、筆跡鑑定されて(署名ともいふ)、1万2千円也の請求書を渡されました。(国庫納付金なんたらかんたらともいふらしい)
相手は「飲み屋で私服で会ったら楽しくお話できそうな」婦警さん。
制服を着て狭苦しいワゴン車に連れ込むんじゃなしに、私服のときに自家用の車に連れ込んでよぉ。(^_^;)\(-_-;)
なんていう余裕なんて全然ありません。
同時にワゴン車に連れ込まれて、隣で「おっさん警官」と「お話」しているオニイチャンの目の前を見ると朱色の紙が・・・。55km/hの速度超過って事は115km/hで走っていた訳やね。気持ち良かったやろうね。(^_^;)
「5月7日までに反則金相当額を納付してください。」
「期限までに納付しない場合は門真か光明池の交通反則通告センターに・・・」云々、いつもの呪文を唱えられ、朝から気分は最悪です。(-_-メ)
ゴールデンウィークの中日に真面目に出勤してこの有様。しかも支払うべき日は実質二日間しかない。指摘すると、「そうですね、日にちがなくて申し訳ありませんけど」・・・(-_-メ)
ここ何年かゴールデンウィーク前はついていない。
去年はバイクを盗まれたし、一昨年は事故って廃車になったし。

99年06月02日 04時57分55秒


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