
馬主の叫び
|
このコーナーは、旅人さん達のバイクに関するエッセイ集です。 |
わたしがバイクの免許を取ったのは平成7年7月。ライダーとしては遅咲きである。なぜにバイクの免許を取ろうと思ったか。確かにわたしの師匠である、Suzuki HiSpeed Touringライディングマスター「なり」氏の影響もあったが、決定的だったのは「カタナ」の存在であった。
カタナのデザインは賛否両論あり、バイクらしからぬ、時代を超越したものである。わたしはあのデザインにすこぶるホレたのだ。かなりスポーティなバイクで若葉のわたしが乗れるかどうか不安もあったが、どうしても乗りたい欲求は押さえが利かず、かつ師匠の「大丈夫だよ〜。みんな乗ってるもの」の一言で簡単にその気になってしまったわたしは一気に免許取得→「カタナ」購入街道を爆進するのだった。
合計5時間の延長がついたものの、試験一発合格で免許を手にする。その週の休日にはさっそく師匠に付き合ってもらいカタナ物色。物色といっても新車購入しか考えていなかったわたしは、いかに安く値引かせるか、その技を授けてもらいたいがためだけについてきてもらった。結果、ヘルメット、ブーツ、レインウェア、グローブ込みで80万。もちっと安くしてもらいたかったが、ハンパを切ってもらっただけにそれ以上は言えなかった。さすがにカタナは高い。あ、ちなみに買ったカタナは400です。
さすがにCB400SFやXJRなどの人気車とちがい在庫がないようで、浜松のスズキの工場からの取り寄せとなった。発注してから1ヶ月。いや〜長かった。待ちに待ったカタナの納車である。免許取りたてで「40km/hしか出せないよ〜」などと泣き言言いながら町中を一周。舞い上がっていたのかどうか知らんが、納車30分後にさっそくあわや追突。危ない危ない。
それからわたしはカタナを恋人の如く溺愛し、週末といったらソロツーリングである。カタナを買って最初のツーリングは師匠の手ほどきの下峠三昧。さすがにまだ体も慣れてないしライポジも慣れてなくておっかなびっくりで乗っていたが、ちょっとずつ慣れてきた。師匠の指導ツーリングの回を重ねる毎に速度にも慣れ、「40km/hしか出せないよ〜」なんてこと言ってたくせに「慣らしの最終段階だ」などと言いながら高速で140km/h出す始末。もっとも師匠はメーター振りきりでわたしをかっ飛ばしていったが。これが我がチームのツーリングスピード高騰の源であり、チーム名の由来である。
こうしてわたしはソロにマスにとツーリング三昧、わずか1年半で1万kmを乗ることになった。
そんなときに、よせばいいのに無理したわたしが悪かった。バイクの免許を取った翌年に今度は車の免許を取り、それまでは「金溜まるまで買わない」などと言っていたくせにさっそく車がほしくなって買ってしまった。これがアダとなってしまい、あと半年がんばれば完済するカタナのローンが払えなくなってしまった。踏ん張れるだけ踏ん張ろうと思っても、ない金はない。泣く泣くカタナを手放すこととなってしまった。「程度はいいですよ」と言われたが、それでも買い取り価格は15万。総支払額で100万くらいだった愛馬が15万なんて・・・
こうして愛馬と今生の別れをした。それから数ヶ月後、RFを中古で購入するのだった。
わたしの愛馬カタナは、わたしが売った後すぐに売りに出されたそうだ。今頃どこかで元気に走っているのだろうか。立ちコケしたときの傷の付き方ははっきり覚えている。どこかで見かけることもあるのだろうか。まるで別れた恋人との偶然の再会でも考えているようである。
自二免許を取ってすぐに買ってしまったんだね。
自二免許を取ったのは牧場主の影響もあったかな。
もともと、アメリカンが好きで10年位前に一度、免許取得を考えたこともあった。
その時は諸事情で断念した。それから、しばらく「アメリカンに乗りたい!」という
気持ちに火をつけてくれる人もきっかけも無く10年が過ぎた。
ある日、牧場主の後輩がアメリカンに乗っているのを見て、再び「アメリカンに乗りてぇ〜」
となってしまった。
それから、1年間免許取得の為少ないこずかいから少しずつためてから免許を取得しました。
あれこれやっているうちに、ふとバイク雑誌を覗いてみるとそこにはドラッグスターが載っているではないか。
本当に人目ぼれをしてしまい、奥さんに無理を言って買ってもらっちゃいました。
もともと、バイクの性能云々は良く知らないのでスタイリングだけで買ってしまいました。
でも、これだけは言える。SHSTで一番遅いのは僕です。
奴等にはついて行けません。だから、いつもツーリングの時は後からゆっくりついて行くようにしてます。
それから、曲がりません。
自分の運転技術もあるけど、とにかく曲がらない。だから峠がきらいです。
ツーリングの計画がある時は峠があるか確認してから参加してます。
でも、アメリカン特有のあのエンジン音(ハーレーには絶対かなわないけど)、シート高の低さ全て好みに
ぴったり。多少の難点は許せてしまう。「何言ってんだよ!」と思う人もいるかも知れませんが、あまり難しい
事は考えてないので許してください。
とにかく、こいつでゆっくりと時間も気にせず走ってる時が最高だね。
北海道の道は長くまっすぐ(そのはず)。あおるなんて野暮なことはして欲しくないね。
あ、早くマフラー交換しなきゃ!
#彼がDragStarを買ったとき、「俺はアラバマ生まれだぜ」などと言っていたっけね。
#アメリカンは「なり切ってこそ」かっこいいかもしんない。
#あれ?カリフォルニアだったっけか?
オイラが二輪免許を取得したのは、忘れもしない平成…何年だっけ?ド忘れした。
免許証によると平成4年6月らしい。当時で言う中免だが、延長も付かず一発合格だった。
平成3年3月に普通自動車の免許を取得した際も無延長一発合格であった。
これは「延長ついても支払う金がない」という、ある種強迫観念じみた思いがあったからに他ならない。
貧乏パワー、恐るべし。
そんなオイラの一番最初の愛馬はYAMAHA FZ250 フェザーである。
このバイクはとてもコンパクトであり、足つきも大変良かった。余談だが、
当時身長173cm 体重70kg であったオイラが跨ると、「125ccに見えた」らしい。(友人談)
さて、コイツがウチに来たのは教習所通いの最中である。つまり二輪免許よりも早く手に入れたのだ。
最初、「免許とるだけ、バイクはまだ」と思っていたのだけれど、
いつの間にか「免許とるならバイクも買うでしょ」と友人に唆され、
たまたまその友人がバイクを売りたい人を知っていると言うので個人売買で買ってしまったであった。
うぅぅむ、ホントにたまたまだったのかなぁ…。
価格は忘れてしまったが、激安であった。初めてのバイクという事で安くしてくれたのかも知れない。
先輩ライダーに感謝感激である。お顔もお名前も忘れてしまいましたが、ご恩だけは忘れません。
…と何とも説得力のない謝辞はともかく、突然そのフェザー君とお別れする時が来たのでした。
理由は…あれ、何だっけ?転勤するんで売ったんだったかな?
ま、まぁ、理由はともかく、友人の知り合いに個人売買で売ったのでした。
今でも街角でフェザーを見かけると、「ふふん、オイラの乗ってたフェザーの方がカッコイイもんね」と
比べたりすることは内緒である。
で、その次の愛すべきお馬ちゃんはKawasaki ZZ-R 400 なんである。
転勤で横浜にいたとき、「バイクが欲しいよぅ」と長者町あたりの赤男爵へフラリと立ち寄って
衝動買いしたのである。カウルやマフラーに傷が入っていて、
「コケました」というオーラが出まくりであった。
当然、同年式同型他車よりは見劣りしたのだけれど、その分価格が安かった。
ホンの2,3万円の差であったが、確かに同型他車より安かった。
40万円台の価格が並ぶ中、そのボロだけは30万円台であり、
「3」の文字が「買ってぇぇぇっ」と言っている様だった。
まぁ今冷静に考えると、単に貧乏人の気のせいだったとは思うが。
そこからは一瞬の出来事。気が付くと売買契約は成立していた。
あ、ハンコ取りに一回、家に帰ったっけ。永い一瞬もあったもんだ。
このZZ-R 400 ってのは、オイラがずぅっと憧れていたバイクで、
ナリはボロくてもZZ-R 400 のオーナーである事が嬉しく、また誇らしかった。
当然、ローンで買ったので真のオーナーはヤハマオートセンターであったが、気にしてはイケナイ。
さてこのZZ-R 、400ccツアラーだけあって大きい。ヘボいオイラの腕ではすり抜けが結構キツい。
それでもヒィヒィ言いながらアチコチ行った。所沢の某博物館やら横須賀やら、果ては札幌帰省。
ボロくてもエンジンは元気に回るし、何処へでも行ける気がしてたなぁ。あ、ダートはパスね。
そんなこんなで2年弱。転勤で札幌に帰る事になったので、オンボロZZ-Rも一緒に連れて帰った。
だがしかし、北海道には雪が降る。冬の間、走っているバイクなど郵便配達員の乗っている赤カブ
くらいなもんである。元々、バイクってのは趣味色が強いけど、
北海道じゃ完全に趣味の乗り物になる。
そういうわけで、通年使用できる自動車を購入する事になったんだけど、
そうなると貧乏人には車検がある400ccバイクは維持していけないので、
愛馬ZZ-R 400 は豊平川沿いの赤男爵へ売ることになった。
全部貧乏が悪いんだ。いや、貧乏だからこそコイツと出会えたのか。
諸経費込み40万円強だった愛馬は16万円へと姿を変えた。
うぅぅ、結構な金額になりやがって。最後まで可愛いじゃねぇか、チクショウめ。
「大事に乗ってたみたいですね。エンジン絶好調ですよ。」と言った店員の言葉は忘れない。
それからしばらく、自動車のローンも払い終わらないウチに悪い病気が出てきた。
バイク欲しい病である。オイラの場合、この病気が発病してしまった時点で末期症状なケースが多く、
自分で言うのも何だが今回も既に手後れであった。色々と中古車を見てまわるが、どれもイマイチ。
車種を決めずに「良い物があったら」という状態だったので、決まるハズもないんだけど。
そこで車種を考えた。ターゲットはKawasaki BALIUS に決定。
理由は250ccネイキッドで一番好きだったから。そうと決めたら早速中古屋へゴー!
結果、予想通り店先には無かった…。人気車種だからタマ数が少なくて、
入荷してもすぐに売れちゃうんだそうだ。話には聞いていたがこれほどとは。
「こうなったら意地でも」と、豊平川沿いの赤男爵へ出向き在庫を確認してもらう。
全国チェーンの威力で見つけようって作戦である。他力本願なオイラにピッタリの作戦だ。
結果、あった!…でも、、全国で5,6台しか出てこないの?ものスゴイ品薄状態だな。
で、店員が在庫を持つ各店に連絡。「もう売れちゃった」って店があって、
結局3,4台しかない事が判明。と同時に、函館に1台だけやたらと程度の良い物がある事も判明。
年式は結構古いのに走行距離はホンのちょっとで、傷は一切なし。
走行距離なんか、100Km強だとか。オイオイ、それって慣らし運転すら終わっていないぞ。
どうにもアヤしい話なので、躊躇すること1秒弱。
同行していた友人は即決だったと言い張るが、オイラはオイラなりに深く考え込んだのだ。
まぁ、程度が悪いのには慣れっこだし、話半分に考えていたので、結局現品も見ずに契約成立。
赤男爵の都合で1週間以上遅れて納車。引き取りに行って驚いた。
だって新車並みにキレイなんだもん。あ、いや、新車には乗った事ないけどさ…。
というワケで中古車なのに慣らしからスタート。
きっと、このバイクは清く正しい貧乏人のオイラに神様がくれた、天からの贈り物に違いない。
そして現在、天馬BALIUS はオイラの愛馬として共にあり、北海道の短い夏を駆け抜ける。
…となればカッコイイのだけれど、
出不精でショボいライダーであるオイラにとっては宝の持ち腐れである。
#ZZ−Rの売り値、40万から16万の引き取りならええやんけ。こちとらのカタナは
#諸費用込みで100万が15万だぞ。涙も出ないほど悲しかった・・・
前口上)私がバイクに乗ったワケ
そもそものきっかけは、中3の終わりに読んだ連作物の学園小説。
その中に出てくるバイクチェイスシーンを読んで魅せられる。
折しも高校入学と同時に、その本を紹介してくれた友達が免許を取得してバイクを購入。
それに触発されて「免許取ってバイク乗る!」と決心。
親には全くナイショで高1の春休みに原付免許取得。
愛車その1)YAMAHA DT-50
高1の秋からお客さん待遇で参加していたオフロードチームで使用。
元々はメンバーの持ち物で廃棄処分になるところを
「練習用に使ったら?壊してもいいから」の一言で事実上私の専用になる。
ノーマル車ではあったけど、さすがYAMAHAの2ストマシンだけあって
見た目は可愛いのに中身は相当なじゃじゃ馬。落馬した事数知れず。
それでも、でこぼこ道をぶいぶいゆわせながら走る楽しさを教えてくれたマシン。
大学進学のために地元を離れたため、高校卒業と同時に廃車処分決定。
愛車その2)SUZUKI SX125
大学1年の終わりに自動二輪小型限定免許を取得する。
何でそんなメンド臭い真似をしたかと言えば、
その当時住民票をおいていた宮城県では原付→中免という取り方が禁止になり、
原付→小型→中型という段階制になったため(自動車免許を取れば良かったんだけど、
あいにく車には全く興味がなかった。ちなみに中免は大学3年の初めに取得)。
前述の友達のツテを頼み「今度はツアラータイプで」という
私の希望に沿って探し出してくれたマシン。
但し、友達及びその仲間内が寄ってたかっていじくり回したおかげで
「羊の皮を被った200」となる。
変更点1;キャブレーターを1サイズアップ。
変更点2;前後のブレーキはどちらもRH250のものに組み替え。
変更点3;エンジン内シリンダーの組み替えを行った結果、燃費が高速走行時で60km/Lに。
仲間内からは「仙人」の異名をもらう。
バイク乗りにはこの異様さ(笑)がすぐに解ったらしく、
当時「太白区ナンバーの白いSX」と言えば
ちょっとばっかし有名な存在であった…らしい(友人談)。
中低速での安定性をメインとしたために100km/hオーバーでは
多少ふらつく所があったが、80km/h付近での安定性は抜群。
燃費といい機動力といい最高にして最愛のバイク。
DTがロデオ的楽しさなら、こちらは純粋に「走る」事の楽しさ、爽快さを教えてくれた。
大学卒業と同時に後輩に譲渡。聞いた話では今なお現役で頑張ってるらしい。
ちなみにこいつのナンバーは、どういう偶然か私の誕生日と同じ数字だった…。
うーむ、書いてて懐かしくなってしまった。
特にSXは帰省時のアシでもあったので、ちょうど今頃は
寒さに震えながら福島のアパートまで走ったものです。
ジーパンの下にカイロ張り付けていたっけなぁ…。
今まではオフがメインだったから、次に買うのはオンロードがいいなぁ、と
思ってます。SUZUKIのGS-Xなんて学生時代は憧れたものでしたが…。
#ほほぉ、宮城は飛び越し免許取得ができないのか。そりゃキビシイ・・・・
#ときに、GSXといってもいろいろあるが、どれがいい?