●トヨタ・パブリカの苦悩−カローラ以前

トヨタが、大衆を意識して初めて開発した"真の大衆車"が 1961年6月にデビューしたトヨタ・パブリカ(UP10)である。 この車は
・4人乗りで十分なスペースを持つ
・悪路にも高速道路にも十分対応できる
・広い温度範囲にわたって対候性を持つ
・価格及び維持費が安い
という4つの基本コンセプトを実現することを目標としていた。 開発初期には、当時は新しかった前輪駆動方式を取り入れるなど、 新技術の採用にも積極的であっが、信頼性やコストの問題をクリアできず 後輪駆動方式に改め開発を立て直した結果、発売にこぎつけた時には構想から 6年間も開発に費していた。

開発に当っては、 重量軽減とコストの低減、そしてスペースの確保の為に苦心したという。空冷2気筒U型700cc エンジンの設計、 軽合金ダイカスト部品の多用、大型プレス部品の採用による部品点数の低減などの努力によって、 車両重量580kgという極めて軽い車が完成した。

この車のネーミングは一般公募により『パブリック』+『カー』で、 パブリカと命名された。大衆の車パブリカは価格もターゲットユーザーの年収を考慮して40万円を切った、 38万9000円というリーズナブルな値段で販売が開始された。 販売店も大量販売を目指して、1960年10月頃から『トヨタ・パブリカ店』の設立準備を始め、 発売から1年後の1962年には54店を設立した。

しかしフタを開けてみると、パブリカの販売はさっぱり振るわなかったのである。 その理由の最もたるものは、パブリカの商品コンセプトだった。 パブリカが追求したのはストイックなまでの実用性と経済性だった。従って贅沢な飾り物は出来るだけ省き、 実用性を損なわない範囲で可能な限り簡素化して、低価格を実現する事に設計の重心が置かれた。 専門家からは、性能も良く信頼性も高いよい車だ、と評価されたが、 肝心の消費者からは楽しさに欠けた車との判定を下されてしまったのである。 当時のトヨタは消費者が豪華さよりも、低価格を選ぶだろうと予想していたのだが、 実際は少しくらい価格が高くても消費者達は、豪華なムードを選んだのだ。

結局パブリカの不振は、1963年まで続いたが、不振の原因が、『実用本位で、簡素すぎる』として パブリカにデラックス(UP10D)を追加した。この判断はずばり的中して、発売と同時にパブリカは 急カーブを描いて販売台数が延びることとなった。

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