●花冠meetsCOROLLA(TE71)

私が17、8歳の頃はディーラーに通って新車が出る度にカタログを集めていました。 この習慣は小学校高学年ごろから続いていて地元のディーラーではきっとマークされていたことでしょう。 そんな中でも行きつけのディーラーがありました。そのお店の人たちは皆私にやさしく接してくれました。 中でもメカニックのAさんと営業のBさんには本当にかわいがってもらいました。 Aさんはハチロクが好きな方で免許を取って直ぐにハチロクを買った人でした。 (新車を狙っていたそうですが、間に合わず残念ながら中古車だそうです) そんなAさんがある日職場にて白い前期型TE71を磨いていたので私は 「珍しい車ですねー」と声をかけました。 何でもAさん自身が乗ろうと思って購入してきたそうです。 前の持ち主はおじさんで駐車場に放置してあった車のようです。 Aさんもハチロクの祖先ということで興味がわいたようですが、何故かお眼鏡に適わなかったらしく 「乗る?」と私に聞いてきました。カローラファンの私にとってそのお話がどれほど魅力的だったことでしょうか。 しかし、私はまだ高専の学生。アルバイトも出来ず苦しい経済状況の私に車など持てるわけがありません。 それどころか免許さえ持っていなかったのです。私には無理だと返事をしました。 ところが、Aさんは「大丈夫、免許取って乗れるまで保管しといてあげる」と言って下さったので、 私は「それなら大丈夫だ」と思いその好意を受けることにしました。 ちなみに車の代金は10万円。ある時払いの催促なしという条件でした。 アルバイトをしていなかったために、親戚からお小遣いをもらったりといった 臨時収入があるたびに支払いに行っていました。(2003年に完済しました)

その後、免許を順調に取得した後に引き取る日がやってきました。 保管場所は私が昔からお世話になっている友人Iさんの自宅の裏の駐車場です。 隣の県でしたがそこまで積車に載せて運んでもらい駐車場に停めました。 その時私は何とも言えない満足感がありました。 学校でも「TE71買ったんだよ」と自慢気に友人に話していたことを思い出します。 みんなTE71なんて知らないので「ハチロクの一個前のモデルだよ」なんて偉そうにレクチャーしていたものです。 また、既に開設していた「カローラ花かんむり!」内でも TE71オーナーになったことを高らかに宣言し、嬉しがっていました。 保管場所は遠いところでしたが、電車に乗っていったり友人に迎えに来てもらったりしながら 車を見に行きました。見に行ったらエンジンをかけて敷地内で動かしてみるのです。 学校の同級生でメカに強い友達が来てくれて一緒にエンジンオイル交換やLLC交換+サーモスタット交換等々 他にも色んな「メンテナンスごっこ」ことをして楽しんでいたように思います。 夏休み期間中にオフラインミーティングに参加するために仮ナンバーを取得したこともあります。 公道を走らせるためにまずタイヤを履き替えました。これはまたネット経由で知り合ったSさんが 用意してくれたものです。

オフラインミーティングでは、名古屋港まで行ってたくさんの知り合いにTE71を見てもらいました。 みんなは「いい車買ったね」と言って下さいました。お世辞だって分かっていても それが本当に嬉しかったです。自分でもいい車を買ったと思っているのですから。 そのとき、査定士の資格がある方が冗談でTE71を査定してくれたのですが、そのときに 追突されてクオータパネル交換歴があることが明るみに出ました。 確かに触ったらリアフェンダーが分厚くてフランジが二枚ありました。 ショックではありましたが、私のハマりっぷりからすると全く問題にはなりませんでした。 その時で印象に残っているのは、友人Iが全開走行している時にマフラーから ブルーインパルスのように白煙がブワァァァァァァって噴出して来たことです。 僕はエンジンが完全に壊れたかと思いゾッとしましたが停止するとエンジンは 何事もなかったかのように回っています。友人曰く7000rpm位で回していたらしい。 若干回しすぎだけどそれにしても白煙が出るのはおかしいと思いましたが、後々 調べるとエンジンオイルの量が規定値よりもかなり多かったのです。 2T-GEU型エンジンのオイルレベルゲージは非常に見難く、ハッチングも擦り切れて よくわからなかったために入れすぎていたようです。後で抜くと正常になりました。 公道では色んな道路を走らせましたが、一番記憶に残っているのは国道42号線を通って 伊勢湾が一望できるスポットまで行った事です。途中、ワインディングを軽快(?)に通過して のんびりと二車線道路を走り、トンネルを抜けて真っ青な海が見えた時は、本当にTE71に乗って 良かったと思いました。 しかし、そのドライブの時にブレーキが片効きしているのと、マフラーから白煙が上がっていること、 アクセルオフ時に「パンッ」とバックファイヤが出ている事実を知るのでした。 今考えると怖い話なのですが、それでもこの車にどうしても乗りたくて乗りたくて仕方がなかったのです。

夏休みが終わると、ボディカバーをかけてまた放置期間が続きます。 IさんはTE71の面倒を良く見てくれていました。ボディカバーが風で吹き飛んでしまうたびに それをかけてくれたり、交換に必要な部品を取り寄せておいてくれたりしていました。 たまに出かけては点火プラグを換えてみたり洗車してみたり色んなことをしてみました。 帰るときは、別れが辛くて悲しい気持ちになりました。 出来るだけ車を見に行こうとしましたが、 それでも車は乗れない期間が続くと、どんどん状態が悪くなっていくものです。 まず新品だったバッテリーがいかれました。ACデルコ社製の新品でしたが、 すぐにダメになりました。それ以後、長きに渡りSさんが持ってきた使い古しのバッテリーが 大活躍してくれました。 なんだかんだと理由をつけてTE71を見に行きましたが、それでもだんだんと 車体の傷みは激しくなります。 あるとき何だか違和感があるなと感じてスペアタイヤの格納場所を見ると、水溜りになっていました。 アメンボまで住んでいましたので恐ろしい話です。栓を開けてすぐに排水しましたが、 どこからか水が浸入しているようです。 検証するとバックドアガラスのガスケットが劣化して水が入ってきてしまうようです。 これには参りました。

そして2003年、私は大学生になりました。TE71を手に入れて3年が経ちました。 私は、TE71と私のあり方に悩むようになりました。 車を手に入れたときはとにかくうれしくて存在するだけでうれしかったです。 免許を取れば乗れるだろう、と思っていました。しかしそこで現実にぶつかりました。 現実的には勉強が忙しくてバイトどころではありませんでした。 車検代に任意保険代、そしてマンション生活(当時)の為に駐車場の確保など 年間を通して貧乏学生にはとても維持できるような額ではありませんでした。 私に車を譲ってくれたAさんもBさんも、私がここまで忙しい学生であるとは 予想できなかったのでしょう。しかし私は若さゆえの愚かさでTE71を 放置してきました。私の中でもどこかで分かっていたのにごまかして来たのかもしれません。 そこで既にディーラーを退職して独立開業したAさんBさんにTE71を手放すことを話しに行きました。 すると、特にBさんが「とんでもない、好きな車なんだから絶対に乗るべきだ」と言われました。 「安く車に乗るノウハウは私はプロだから知っている。車なら自分の店の敷地に置かせてあげる」 と言って下さいました。私は「もう限界だ」と言ったのですが数時間説得されたので そこまでしてくださるなら、と私は手放すのを考え直しました。 しかし、学校は忙しくレポート地獄、しかも編入の為にチャンス情報もほとんど無い状態で TE71を見に行くことはほとんど出来ません。そのうちボディカバーも破れてしまって (何故か破れるんですよね)車体が風雨に晒されているのが分かっていたのに手を打つことさえ出来ませんでした。 結局、置き場所が変わっただけでTE71が置かれている状況は全く変わりませんでした。

2004年、私は成績不振から留年してしまいました。私立大学の工学部の学費は莫大なものです。 さすがに留年した分の学費を取り戻そうとアルバイトを始めました。 最低でも月に5万は稼げます。それでも授業のコマがガラガラだから出来ることであって 毎日授業が色々とある私にとってはアルバイトは夢のまた夢であることに気づいたのです。 いまやっているアルバイトも来年進級して研究室に配属されれば辞める事になるでしょう。 更に進学すれば、一体いつになればTE71を公道で乗ることが出来るのでしょうか。 こんな状況で私は 「こうなったら、いつか莫大な金額をかけてTE71を復活させてやりますよ!」と生意気なことを 言っていました。自分でもTE71復活が夢のように思えたのです。 車の状態はそんなにひどくないと思っています。エンジンは一発始動ですし。 ただ、それ以上に何処に車を置くのか、どうやって維持費を捻出するのかなど 考え出すともう何も考えられないくらいに思考停止してしまうのです。 そうしているうちに、旧車をお持ちのIさん(ネットで知り合った方です)から メールが来ました。「そろそろ本気でTE71を処分したらどうか?」という内容ですが、 自分でも薄々感づいていたことをハッキリと文字にされてしまいましたのでドキッとしたことを覚えています。 2003年からTE71はホントに放置状態が長くなり、錆が進行してしまいました。 それまで大したこと無かったボンネットの腐食が進み穴が開いてしまいました。 ドアの錆は、AさんBさんに教えていただきながら錆を食い止めたのですがボンネットは手付かずでした。 せめてサビチェンジャーを塗っていればマシだったかもしれません。 しかし自分の置かれた状況では、手も足も出ないというのが本音でした。 TE71はみるたびにそのスタイルとエンジン音に魅せられてしまいますが、 どんなに説得してもらっても手放す覚悟を決めました。 Iさんとは何通もメールをやり取りしてようやく自分でも手放すべきであると納得できたのです。 まずは自動車が維持できる身分にならなければTE71に乗る資格なんて無いと、4年間かかって ようやく身に沁みたのです。乗りたければ、もっと余裕が出来てから旧車ショップでTE71を 買ったって遅くはないのです。

TE71を手放すことを決めてしばらくの後、高専時代のK君から連絡が入りました。 「TE71、手放すくらいなら僕に譲ってくれないか」という内容でした。 彼は私がTE71を手放すことを聞きつけ、連絡をくれたのです。 彼はTE71の「メンテナンスごっこ」に付き合ってくれた友人で彼自身が所有する軽自動車で よく自動車旅行をした仲でした。彼は一足早く某国立大から有名農機メーカーへ内定を貰い、 来年から社会人になるので、経済的バックボーンもあるというのです。 彼は「君が乗れる時まで僕が乗る、それまでは君の為にTE71を維持しておくよ」と言ってくれました。 これほどうれしいことはありません。私が所有する時よりも早く登録できるわけですから、 それだけ車体の傷みは止められるでしょう。今ならまだ間に合うはずです。 私は彼に二つ返事でTE71を譲ることにしました。 お世話になったAさん、Bさんのお店で車検を取得して、友人に譲りました。

白い前期型のTE71をディーラで初めて対面してから5年が経ちました。 TE71は私に色んな事を教えてくれましたが、それと引き換えに車は無残にもボロボロになってしまいました。 そんな中で、友人がTE71の救世主となってくれました。 彼が乗ってくれている間に私はしっかりと勉強して就職し、しっかりとした責任ある立場になってから TE71と再び付き合って行きたいと考えています。

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