はずかしすぎ!!音楽ちょっといい話、笑っちゃう話、…恥ずかしい話

もはやいやはや…
C先生を観察しておりますと、世の中実に間の悪い人がいるものだとつくづく思います…

昨年12月、ノートル・ダム・ド・パッシー教会で40年近くオルガニストを務めたラファエル・タンビエフ氏の引退記念演奏会、氏のオルガン演奏と、氏とともに長く教会のミサで歌ってきたプロ合唱団員による宗教曲の演奏会、これは感動的でしたが、その終了後、会場におられた先生が、

「やっぱりちゃんと訓練された声と音楽による宗教曲ってのはいいわよねえ!もう素人のコーラスは…この教会にも合唱団があるけれども、いやはや…」

そのすぐ後ろにその指揮をしているオッサンがいるのを認めた私、気が気ではありませんでした…
2002年01月21日 05時13分38秒

リテイク!
レジーヌ・クレスパンのソプラノ、エルネスト・アンセルメ=スイス・ロマンド管弦楽団によるベルリオーズ『夏の夜』とラヴェル『シェエラザード』のカップリング録音は、あまたある録音のうちでも最も優れたものの一つであり、これを聴いたことのないフランス音楽ファンはもぐりだと断定したいぐらいですが、クレスパン女史から伺った録音秘話。

『夏の夜』2曲目の『バラの精』この曲は特に優れた演奏だと思いますが、この曲の最後の、息も耐えんばかりのつぶやき、

「すべての王が嫉妬したバラ、ここに眠る」

の部分、アンセルメ氏が、何度も、

「もう一度取り直しましょう!」

とおっしゃる。

見かけと反対で神経質でためらいがちのクレスパン女史、

「ううん、何がマエストロのお気に召さないのかしら?」

と、いろいろ歌い方を変えてみるのですが、アンセルメ氏無情にも、

「取り直し!」

8回目にとうとうクレスパン女史、精も魂も尽き果てて、

「あの、マエストロ、何ががいけないんでしょうか?」
「ほら、最終フレーズで息漏れみたいな声になるでしょう、あれを取り直そうと…」
「でも、マエストロ、あれは表情を出したいとわざとやっているのですが」
「何だ、そうだったんですか、ハハハハハ。よろしい、それでは、その表情は一番最初のテイクのが一番良かったから、それを取りましょう!」
2002年01月21日 05時07分35秒

曲は人なり…?
アンリ・デュティユー氏を街中でお見かけしたことがあります。パレ=ロワイヤル広場の横、アルフォンス・ルデュック楽譜店の袋を下げながらゆったり歩いておられました。サン=ルイ島からなら歩いて来れなくもない距離ではありますが…

ところでピエール・ブーレーズ氏は、15区、セーヌ川をはさんで国立放送局の対岸、日航ホテルなどのある近くの、いささか無機的な超高層ビルのアパルトマンにお住まいです。…この辺も作風にあっているというべきか…

ある時、放送局横、橋の近くのカフェのテラスにおりましたら、ブーレーズ氏が放送局から出てきて、前を通り、橋を渡って行かれました。

その歩き方たるや、セカセカセカセカと、「元気がある」とも言えますが、まるで、

「アンダンテもカンタービレもない」

というふうにも見えるせわしなさ…

「ある人のムーヴメントの感覚と、その人の曲のムーヴメントとが、あざといくらい一致していることがよくある。」(三善晃著『遠方より無へ』所収「プレザンスとアプサンス」)
2001年10月29日 19時04分57秒

誤った情報…?
一体に住居費、生活費は東京よりも安い…にしても、パリ市内というのはヨーロッパの中ではかなりお金がかかるほうでしょう。高級住宅地には、古くからの桁外れのお金持ちがたくさん住んでおります。

パリ中央、セーヌ川にはさまれたシテ島、サン=ルイ島もそのひとつ、とりわけサン=ルイ島は、…以前橋一つ隔てたところに住んだことがありますが(市が持っている音楽、美術研究家用のアトリエ、でなければとても住めません^^;)、もう溜息の出るようなものでございました。前にここに書いたアルゲリッチ女史のおばさん、岸恵子さんなどのお住まいもある、ということです。

音楽家では作曲家アンリ・デュティユー氏もここに住んでおられるそうです。

…で、タイトルのお話ですが、情報は伝わるうちに間違っていくことがある、だから気をつけなくてはいけない、ということで…

Ya●oo『はずかしすぎ!!』トピに続けて書いていた「人間話せばわかる」と思っていた頃(T_T)ころ、デュティユーの名前が出たついでに、こう質問されました…

「デュティユーって、島で一人暮らししてるそうですけど本当ですか?」
2001年10月29日 18時52分34秒

自作自演は最高の解釈か?
というと、そんなことは全然ないのです(汗)

ドビュッシーが自身で伴奏した「巷に雨の降るごとく」テクニック的に難しい曲でもあるのですが、「おっとっと」な部分がありますし、プーランクはピアニストとしてかなりの腕前であったと思われますが、自作自演の録音を聞くと時にずいぶんミスタッチがあったり、他人が演奏するときには断じて禁ずるルバートをたっぷり聞かせたり…

これが「指揮」などということになると、もっと大変だったりしますね。かつてNHK-FMで聴いた、三善晃先生がご自身で指揮された合唱組曲『五つの童画』など、ものすごいルバートのつけ方に合唱団もピアニストもいささか慌てているのが目に見えるような演奏で、これがあの作品を初演再演している東京混声合唱団と田中瑶子先生でなかったら、もっとものすごいことになっていたのではないかと思われます…

ラヴェル自身が指揮した時の逸話もあります。協奏曲を自分で指揮して、あまりの満足感から?没我の世界に入ってしまい、曲が終わっても気がつかず2拍子を6回空振りしていたとか…
2001年10月11日 04時14分05秒

時代考証
音楽マンガ、音楽ドラマというのがたまにありますが、どうもあまり感心したものでないのが多いですね。まあ、どの分野を題材としたドラマでも専門の方から見ればおかしいものがあるのでしょうが…

自宅でピアニスト(日本人)と練習しておりまして、一区切りついたところでテレビをつけたら、「Lady Oscal」なるアニメが始まりました。これは「ベルサイユのばら」でありまして(実にたくさんの日本製アニメが放送されています)、さすがに題名を直訳することはフランス人にとってためらわれたのかと思われますが、なんとなく見ておりましたら、オスカルがいきなり

「黒塗りのフルコンサート」に向かって、

「バッハ2声のインベンション第一番ハ長調」

を弾き始めたのであります。

時代はフランス革命近い頃、ということは1780年代ですか…バッハがそんなころフランス人に知られていたかどうかも疑問だし…

あの時代にあんな楽器はないッ!!
2001年10月04日 01時43分29秒

マダム・ラ・カタストロフ2
C先生に関してはネタがたくさんあります。

最近でもまた新しいエピソードがありまして…これはつまり、以前の再録ではないわけでして、つまりは相変わらずいろいろな目にあっておられるわけですな(笑)

ある女性声楽家のサロンコンサートで伴奏されることになったのですが、前もって声楽家から、

「アンコールにはぜひ先生がピアノソロの小曲を一曲弾いてください」

との依頼。で、そこそこポピュラーな小品を用意して、さて当日。

会場のピアノは今時のものではなく、ERARDの骨董品…これ自体はいいのです、うちにも第一次大戦頃生まれと推察されるERARD氏が6月から鎮座ましましております…しかし、cis(do♯)の音が一つ出ないことが判明。

アンコール用に先生の用意された小品は、

「ショパンのワルツcis-moll(嬰ハ短調)」

つまり、曲がその音を含む和音で始まりその音で終わるわけで、それが出ないと曲にならないわけですな…

演奏終了後拍手する聴衆に向かって先生、

「申し訳ありません、私の意思にピアノが答えてくれませんで…」
2001年10月01日 17時48分12秒

さすが音楽の町…?
私が勤め始めるずっと以前のエピソードですが…

かつて、フランス国立管弦楽団、フランス国営放送合唱団がロリン・マゼール指揮のもとベルリオーズの作品でザルツブルク公演に出かけたときのことです。

演奏会は成功裡に終了し、数人の合唱団員が遅い食事に繰り出しました。演奏会後のお客さんでにぎわうレストランに入った団員たち、ボーイに向かって、

「ええと、フランス国営放送のものだけど…」

そう言いかけたとたん、

「おお、どうぞどうぞ、さあこちらへ」

と、賑わうレストランの中央、大きなテーブルに案内されました。

「ううむ、予約したわけでもないのにこの待遇。さすが、音楽の町ザルツブルクだなあ」

などと感動してテーブルにつきました。

ところがしばらくしたら、レストランの入り口に、絶世の美女を侍らせたマゼール氏と、フランス国立管弦楽団の責任者が現れ、

「フランス国営放送のものだが…」

…そう、こちらの方々が予約をしておられたのですねえ、実は…

ボーイ長、顔色を失いましたが時既に遅し。

隅のほうの小さいテーブルにマゼール氏や取り巻きが肩をすぼめて押し込められているのを見て、合唱団員一同、

「ププッ!」
2001年10月01日 14時27分29秒

マダム・ラ・カタストロフ
世の中には、ご当人の人格、才能その他と何のかかわりもなく災難に見舞われる人があるようです。

オルガンコンサートの最中に停電に見舞われたC先生もどうやらそのお一人のようで、ナディア・ブーランジェ→アンリエット・ピュイグ=ロジェと歴代錚々たる顔ぶれのパリ国立高等音楽院伴奏科教授の候補にもなったほどの才能でありながら、まあ年がら年中オモシロイ目にお会いになる…

約束どおりの時間に現れようとすると必ず問題が起こるのもよくあることで、この先生の授業は時間通りには必ず始まりません。

で、冬の寒い時に夕刻セーヌ川の橋の袂で待ち合わせをする、こういうちょっと考えたら健康に悪い約束をなさるのもどうかと思うんですが、そういう時に限って得てして先に到着してしまうのですな、こういう星めぐりの方は…

で、こういう時に限って相手が何らかの事情で現れない…と…

しばらく待っておられますうちに日も落ちてまいりまして、そうしたら待ち人の代わりにストリートガールが現れ、

「ちょいと!ここはあたしの縄張りだよ!」
2001年10月01日 14時14分16秒

考えてみると不思議な話
18年からこちらに住んでいて、歴史上有名なフランスの作曲家と同姓、という人に出会った記憶がありません。

アクサンのないFaureフォールという名字はわりにありますが、フォーレ、遺族以外に存じませんし、サン=サーンス、グノー、ビゼー、デュパルク、ショーソン、ドビュッシー、ラヴェル…う〜む、誰にも会ったことがない…

「RHONE-POULENC」日本で「ローヌ=プーラン」などと、勝手に語尾の「C」を発音しないことにされている化学薬品会社(半可通がよく「フランス語は語尾の子音を発音しない」などと調べもせずにこういうことをするのは困ったものです…「サン=サーン」「デュパル」「ラヴェ」「ブーレー」…ああ気持ちが悪い)このプーランクは、作曲家の一族ですし、ケックランというのも、プジョーの中で勢力をもつ一族ですから、みんな親族。

例外はもちろんあります。シャルパンティエCharpentier、もともと「大工」を意味するこの姓は、割合によくあるもので、そのために世紀を離れて二人の作曲家が出たのでしょうね。
スイス人作曲家ですがフランク・マルタン、これは実に多い名字です。

楽譜の出版社でしたら、デュランと言うのは日本で言うとマルタンと同様に「田中、鈴木」のように多い姓。

他の分野でしたら…仕事の同僚に「ルソー」も「ボワイエ」もおりますし、女医さんで「デュヴィヴィエ」という方に会ったこともあります。

してみると…まあ偶然もあるのでしょうが、フランスの作曲家というのは珍しい姓が多いんでございましょうか?

日本の場合は…日本洋楽史中もっとも功績のあった作曲家が「山田」ですものねえ…
2001年09月05日 15時52分21秒

同名
リヒアルト・シュトラウスがイギリスBBCラジオのインタビュアーに、

「あなたは何年に『美しく青きドナウ』を作曲されましたか」

と質問されたことがあるそうですが…

伝統も奥も深い、「これが指揮出来なければ一流ではない」ドイツ音楽で「すら」これですから、まして、「感覚的」で、「まともに向き合って聴くものではない」フランス音楽の場合、もっとすごいことになります。(カギカッコ内はYahoo掲示板や2Chの「論客」のご意見です。アホか

「『テ・デウム』にオペラ『ルイ-ズ』…シャルパンティエってずいぶんいろいろなスタイルで曲を書いたんだなあ」

300年も生きたのかッ!!
2001年09月05日 15時31分33秒

非人間的?
教会のオルガンについてのお話…

先だって、店主敬白にも書きました教会で行われた結婚式で歌った時のことですが、最初は古い教会の方で執り行われることになっていたのが、オルガンの電源を入れてもモーターが回らず音が出せませんで、直前に新しい教会のほうへ全員移動して挙式となりました(;^_^Aヒューズが飛んでいたようです。

オルガンにも電気を使う…というのはモーターで空気を送るわけですが、それが万一作動しなかった場合…カバイエ=コルの大オルガンがあり、歴代有名オルガニストが専属だったサン=シュルピス教会では、オルガンの後ろにまるで大きな水車小屋の中のようなしくみがあります。万一の停電の際、教会の使用人が大きな踏み段を踏んで空気を送るのですね。

もっと小さな規模のオルガンだと、それこそ自転車の空気入れのような仕組みがあります。

わが私淑するC先生、優秀な方でありながら「マダム・ラ・カタストロフ」の異名をとるほど年がら年中いろいろな目にあわれる方ですが、ある教会でのオルガンのコンサートでも、オルガンに通電トラブルがあり、教会の作男さんが演奏中空気ポンプを押すことに。

ところが気の毒なことに、曲目は現代曲で、だんだん作男さんが疲れてきて空気を送り込むテンポが遅くなったところで、曲目はクライマックス、両肘を使ってのクラスター。

たくさん鍵盤を押せばその分空気が必要なのも道理で、ところが気の毒な作男さん、くたびれて十分に空気を送り込むことが出来ず、先生がクラスターを弾いたとたん、

「プゥ〜〜ッ!…スカ〜ッ」

と音がしぼんでしまい…

作男さん後ろからあえぎながら、

「ま…まだ終わりませんかあ〜っ」

あとでC先生この話をされて曰く。

「こういうことから見ても現代音楽は時として非人間的であることがわかります」
2001年09月03日 23時30分56秒

Et son maitre?
さて、お犬様のご主人のほうはと申しますと、大変良い方なのですが、時々フシギなことをなさるのです。

ある晩先生、ゆっくりご自宅でくつろいでおられますと、ある指揮者から切羽詰った電話。

「もしもしMさんですか。実は今日のオペラ公演で、チェンバロ奏者が突然事故で来られなくなっちゃって、代わりに弾いてほしいんです!とにかく時間がないんで、オケピットですから、もう着の身着のままでいいですからおいでくださいませんか!」
「わかりました、すぐ行きます!」

…とおっしゃって、タクシーで劇場に駆けつけてこられたM先生の姿を見て指揮者唖然。

そこには、ネグリジェの上にガウンをはおり、スリッパのままのM先生が…

「だってあなた、着の身着のままで良いといったじゃないの!」
2001年08月26日 00時29分47秒

La voix de son maitre...
これは英語では《His master's voice》、つまり、『チコンキの犬』(by五代目古今亭志ん生)のことであります。

パリ音楽院オペラ科の先生、バスバリトンの故グザヴィエ・ドゥプラーズさんは、プーランクの『カルメル派修道女の対話』初演メンバーでもありましたが、このクラスのシェフ・ド・シャン(コレペティという言葉はフランス語なのにフランスでは使われません。まして「コレペテ」(某Ya○oo)などと言う言葉はない)、つまりコーチピアニストの女性C・M先生がいつも連れていた白い犬がなかなかの代物でした。

普段はとてもおとなしいのですが、オネゲルの曲を聞くと怒り出すのです。オネゲルの曲になにか動物を刺激する要素でもあるのでしょうか…

ある時、一生徒がフランス歌曲コンクールに出場することになり、M先生と練習。ところが彼女は1曲オネゲルの歌曲を入れておりまして、その曲の前奏を先生が弾き始めたとたん犬が怒り出し騒ぎ始め…

先生、犬を抱き上げて、

「おおよしよし。この子はね、コンクールに出るんでオネゲルの曲を歌わなくちゃいけないの。…もしコンクールで賞を取ったら、おまえにビスケットを買ってくれるそうだからね、辛抱おし」

「ビスケット」と言う言葉を聞いたとたんお犬様耳をぴくりと動かし、それからは静かになったそうです。

人間の子供より耳も聞き分けもいい犬…
2001年08月26日 00時25分54秒

経歴詐称
パリの地下鉄は、本来都市交通の意味で「METROPOLITAIN」と呼ばれ、略して「メトロ」と呼ばれております。

メトロの駅構内や、電車の中で、歌ったり演奏したりして乗客から何がしかのお金をもらう人はたくさんおりまして、中にはクラシック音楽をやる人もいます。

こうしたなかで、「オペラ」駅構内で歌っていた声楽を勉強していた人、幸運にもあるオーガナイザーの耳にとまり、演奏会に出演することになりましたが、その経歴に曰く、

「メトロポリタン・オペラ出演」
2001年08月24日 03時28分09秒

知らぬこととは言いながら・4
ベルリッツ=パリのドイツ語の先生には、何人か大変音楽好きの方がいらっしゃいます。

ある時、この中のお一人のところに、ティスランさんとおっしゃる女性がレッスンを受けに来ました。

ティスランさんが音楽好き、とりわけドイツリートに詳しいとわかった先生、思わず話が弾んでしまいます。

で、ティスランさん曰く。
「私の伯父もドイツリートを歌いますのよ」
「ほう、それは結構なご趣味ですな」
「伯父の場合趣味と言えますでしょうか…伯父ジェラール・ティスランは、芸名をスゼーと申しまして…」
2001年08月23日 03時34分38秒

知らぬこととは言いながら・3
前に話題にしましたパリ音楽院の声楽史、これと声楽科のための和声分析の授業をされておられたのが、優れたピアニストでありシェフ・ド・シャン(コレペティという言葉はフランスではなぜか使われません)であるS・C先生、ピュイグ=ロジェ先生の高弟であり、オルガンピアノ作曲なんでもござれなのですが、…まあいろいろなめにあうお方でして…こちらでのネタも豊富にくださいます。

先生、オルガンのコンサートを南仏で行われまして、成功に終わったのですが、あとで先生に愛に来た聴衆の中のご婦人が、

「実は私の叔父もオルガンを弾いておりましたの」
「まあ、それは結構ですこと」
「コシュローと申しますが」
「…」
2001年08月23日 03時29分56秒

知らぬこととは言いながら・2
件の彫刻の男、またあるとき曰く。

「今度オレの作品が売れることになってさあ」
「よかったねえ」
「サン=ルイ島に住んでる大金持ちの南米系のおばあちゃんなんだ。で、姪がピアノ弾くんだってよ、えーと、たしかアルゲリッチとか言う名前だった」
「…」
2001年08月23日 03時25分57秒

知らぬこととは言いながら・1
私は1983年にフランス政府の給費をいただいてこちらに来ることになったのですが、当時は音楽二人、美術二人でした。

美術のうちの一人はパリ市の持っている音楽美術研究家のためのアトリエ、国際芸術都市CITE INTERNATIONALE DES ARTSに住んでいました。後に私も2年近く住むことが出来ましたが、ここはセーヌ川をはさんでサン=ルイ島と向かい合う、パリ中心でありながら高級住宅地で、ノートルダムなども散歩の範囲、実にいいところでした。

…で、このアトリエに住んでいた彫刻の彼がある日私に曰く、

「美術関係のフランス人の知り合いで、ちょっとフシギなやつがいるんだけど、こいつがこのあいだ友人だといって、またフシギな男を連れてきてさあ」
「ふ〜ん」
「ピアノ弾きなんだってよ、ミシェル・ベロフとか言う名前だったんだけど、知ってる?」
「…」
2001年08月23日 03時22分24秒

本番中は…
本番となれば、何があっても進行せねばなりません。オペラにせよ、演奏にせよ…

クレスパン女史のお話。

歌われた役はトスカ。いよいよ、第2幕の山場、隠し持ったナイフを突き出…そうとするのですが、後ろ手にもっている間にドレスの後ろの折り返しの留め金かどこかにひっかかってしまって取れなくなってしまいました。

音楽はどんどん進行していきます。

スカルピア、歌の合間に小声で、

「どうしたんだ、早く刺せよ」
「取れないのよ!」

万事休す、とうとうスカルピア胸を押さえて

「助けてくれーっ!」

トスカ、手ぶらのまま、

「死ねッ、呪わしき男よ。これがトスカの口づけだ!」

翌日の新聞評。
「スカルピアが恐怖のあまり心臓発作で死ぬ演出は初めて見た」
2001年08月22日 23時57分45秒

オペラの題名
学生のほうにもとんでもないのがいまして…

先生「プーランクのオペラを二つ挙げなさい」
生徒「『対話』…」
先生「『対話』…って、何の『対話』?」
生徒「ええと、…ティ、ティ、ティ何とかの『対話』」
先生「違います!『ディレジアスの乳房』と『カルメル派修道女の対話』でしょうが!」
生徒「私『ティレジアスの対話』だと思ってた」
先生「…もし『ティレジアスの対話』だったらもう一つはどうなるの!…おお神よ、お許しください…」
2001年08月21日 15時32分55秒

試験問題
巴里音楽院声楽科必修の「声楽史」学年末試験の、問題のほうに問題があったことがあります。

"Dans quelles operas les heroines ne meurent pas?"
アクサンが出ませんので請うご容赦

「ヒロインが死なないオペラはどれか」

…なんだかクイズ番組のようなこの設問もどうかと思われますが、その上に誤植があり、
「meurent」が「ment」になっておりました。

「ment」というのは「mentir」(嘘をつく)という動詞の三人称単数現在であり、これでは三人称複数現在の主語と一致しないので意味をなさないのですが、無理に訳せば、

「ヒロインが嘘をつかないオペラはどれか」

試験会場に現れた先生、

「この問題は破棄しますので答えなくてよろしい」

ある生徒いわく、

「そりゃそうだ、そんなオペラは存在しないんだから」
2001年08月21日 14時41分03秒

新曲?
「フランス式オーガナイズ」要するに、ぐずぐずアナだらけのオーガナイズのことです(爆)

個人のレヴェルでならそれもご愛嬌…なんですが、学校のレヴェルでそれでは困りますね。

ある年の巴里音楽院ピアノ科入学試験課題曲発表。

「ベートーヴェン・ピアノソナタ第33番」

まだ新作を発表されていたとは存じませんでした…
2001年08月21日 14時24分42秒

プロ意識
日本ほどではないにせよ、個人商店がチェーン、スーパーにとって代わられる傾向はフランスにもあります。

かつて楽譜店やレコード店では、怖い年配の店員なんかがいて、客に自由には探させてくれず、その代わり曲目や作曲者について具体的に質問すればたちどころに出版社や在庫状況などを答えてくれたものです。

今はそういう人がいなくなり、自由に探させてはくれますが、そのかわり知識のない店員も増えましたねえ…

「バッハのCDはどこに並んでいますか」
「バッハ?ヨハン=セバスチャンですか、それともオッフェン?」
2001年08月20日 14時24分31秒

オペラもいろいろ…
オペラ劇場にもいろいろありまして、ミラノスカラ座やパリオペラ座ですと高級感もあり、お客様方もお上品なのですが、地方によっては…

マルセイユの劇場の聴衆はとにかく派手なのが好き、雰囲気も…まるで大阪の寄席のようなノリ、野次を飛ばすことも辞さないなのであります。

当地ご出身のレジーヌ・クレスパン女史のお話ですが…

1-現代オペラの場合

プレリュードが12音音楽で「ピーッ、ポーッ…パーッ」と始まりますと、客席から…

「おいおい。このオペラ、きっと好きになりそうだぜ!」

2-予算削減?

『ローエングリン』クレスパン女史はエルザでデビューしているのですが…

ローエングリンが白鳥に乗って厳かに登場すると、客席から野次。

「おやまあ、この前のアヒル色を塗り替えたんだね!」
2001年08月20日 14時12分14秒

瞬間湯沸し器ピエール・ブーレーズ
「ブーレーズも丸くなったものだ」とよく言われます。

まったく「とんがり」で誰とでも喧嘩していたブーレーズ、かつてはいったん怒り出すとものすごかったのですが、最近は好々爺然としてきまして、いつぞやはポンピドゥ-現代藝術センターの近くをバゲット(フランスパンね)を突っ込んだ手提げ袋を下げて疲れた足取りで歩いておられました(^_^;)

若い時のイカリ方ですごかったのは、南仏のアンドレ・ジョリヴェ主催フェスティヴァルでのジョリヴェ夫人との口げんか。

前々からいろいろ感情のもつれのあったブーレーズとジョリヴェ夫人、フェスティヴァル会場の楽屋口廊下で出くわし、

「ブーレーズさん、あなたとは一度きっちりお話をつける必要がありそうね!」

「あのね奥さん、あんたは本当にアホです。あんたの脳みそなんかどうせその頭に乗っけてる犬のクソぐらいのサイズしかないんでしょう」

ジョリヴェ夫人悲鳴を上げ、それを聞きつけて駆けつけたジョリヴェがブーレーズに殴りかかり…と言う話を、プーランクが他人に当てた手紙の中に面白おかしく書いておりまして、「プーランク書簡集」(Fayard刊)におさめられております…

なお前にも書いたように、プーランクは自身では割合古典的な作曲家でしたが、前衛音楽の活動には積極的に興味を持ち、ブーレーズが結成した「ドメーヌ・ミュジカル」の定期会員申し込み第一号がプーランクだったそうです。

…で、同じ書簡集に収められているブーレーズからプーランクあての手紙の出だし。

「定期会員の会費お払込ありがとうございます。これで私も、ジョリヴェとの裁判費用が支払えることでしょう…」
2001年08月19日 21時50分11秒

ミディ気質
「MIDI(ミディ)」と申しましても、これは「南仏」のほうのお話です。

ダリウス・ミヨーはエクサンプロヴァンス出身、冬でも日に焼ける南仏気質で、この辺が6人組の中でもちょっと毛色の違った印象を与えるかもしれません。

開放的でいつもポジティブ、現在でもマドレーヌ未亡人はずっと同じところに住んでおられるのですが、モンマルトル界隈のブランシュ広場の近く。

この辺はまあ実に猥雑な地区でありまして、ムーラン・ルージュもありますがいろいろな○EX SHOPですとか、小さなメリーゴーラウンドがあったり、朝から夜半までけたたましいところです。

ミヨー氏のお宅は真下の通りにそのメリーゴーラウンドがあり、夏になると、一日中音楽がかかっているその上で、窓を開け放って作曲の学生のレッスンをしていたとか…

時にはステレオで自作の交響曲、最初から最後までフォルテの曲をかけ、生徒たちはそういう家の中と外からの大音響でレッスン後はふらふらになっていたそうです…
2001年08月19日 20時48分41秒

ありがたい助言
故矢代秋雄先生も師事された、パリ音楽院作曲科教授トニー・オーバン、この方ご自身はクラシックな、とても親しみやすい作風の方でしたが、ダリウス・ミヨーの音楽が好きではありませんでした。

フランシス・プーランクにもちょっとそうした発言がありますが、20世紀の中葉に生きた作曲家で割合にクラシックな作風を持っていた人というのは、ミヨーのようなタイプに微妙な感情ま、やわらかい表現で書いておきましょう(^_^;)を持っていたようです。

自身のクラスで、オーバン先生、生徒たちに、

「親愛なる生徒諸君、もし何も作曲のアイディアが浮かばなかったらだね、まずこういうものをつくりなさい」

と、右手で美しいロマンチックな和音の連結を弾いていきます。

「…で、次にこういう伴奏をつけなさい」

と、左手で右手と違う調の伴奏を…

「こーゆーふうにポリトナール(複調)にしてミヨー風にすれば、聴衆が高級な音楽だと思ってくれるからね」
2001年08月19日 05時58分21秒

やめんかッ!
フランス6人組の一人ダリウス・ミヨーは、ユダヤ人ということもあり、また本国フランスでもうひとつ評価がされなかったこともあって長い間アメリカオークランドに生活していました。

あちらではフランスと反対に、大変に敬意を払われていたもののようで、ある日のこと、市内のホテルにミヨーがやってきて、エレベーターに近づくと、エレベーターボーイが慌ててフロントに言いつけ、エレベーターの中のスピーカーからミヨーの曲が流れるように手配しました。

エレベーターに乗り込んだミヨー氏、自作の曲が流れてくるのを聞いて、急にエレベーターボーイにつかみかかり、

「こんな曲を流すのはやめんかッ!!」
2001年08月19日 05時46分43秒

フランス小噺
フランス小噺…というとすぐに艶笑小噺が思い浮かぶ、
という方多いんじゃないでしょうか。

無理もない、私もそうです(笑)

実際には一番多いのは、外国語に訳しようのない語呂合わせで、その他、艶笑、スカトロジーなんぞが結構多いですね。

で、こういうものをみなネタとして持っていて、競って話して受けようとするわけです。

仕事の最中にも、

「ね、ね、面白い話があるんだけど」
「…またきっとお下品な話よ、いやねえ…ちょっとだけね」

と言いながら仕事部屋から出て行き、その話を聞いてきて、仕事をおいといて居合わせる人に話す、というのは日常茶飯事であります。

たとえその場所が、パリ音楽院声楽科のレッスン室であり、レッスン中に話しに現れたのがジャン=ミシェル・ダマーズ氏であり、わざわざレッスンを中断して部屋の外まで聞きに行き、後でその話をレッスンを中断して生徒に話して喜ぶのがイレーヌ・ジョアキム女史であったとしても…です。
2001年08月19日 01時09分58秒

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