簡略音楽史(西洋編3)

〜古典派時代〜


              
リカミエル婦人像
              (ダヴィッド、1748〜1825)
                単純明快で均斉の取れた美こそ
            古典派の合理主義精神の
       表れとされている


ペルゴレージ バッハの息子たち グルック ハイドン  モーツァルト ベートーヴェン  チェルニー



広くはバロック音楽も古典派(クラシック)ということがありますし,前古典派とも言います。
また,ハイドン・モーツァルト・ベートーヴェンを特にヴィーン古典派ともいいます。
(それは,彼らがヴィーンで活躍したからです。)

バロック音楽と古典派音楽とはまるで違いますからこのように分類しました。

古典派と言えばsonata形式,といっても過言でないくらい形式を重んじた(というより流行)時代です。

 
クラシックとは、簡単にいえば古代ギリシャの人達の美の理想にしたがったということです。
(精神的にはルネッサンスの延長と考えてもいいと思います。)
この「美の理想」が形式の調和であり・類型の尊重だそうです。(なにをいってるかわかりませんね)

バロック音楽を思い浮かべてみましょう。旋律がとびかってます。あらゆる声部(パート)で。
これがポリフォニー対位法技法にのっとった多声旋律)の音楽です。
(メロディの区切りがみつけにくいですね.))

次はモーツアルトの音楽思い出してください。
小節単位で旋律が区切られ、なおかつ主旋律伴奏がはっきり区別できます。

こういう音楽のことをホモフォニー和声音楽)というのです。

このホモフォニー音楽が形式(類型)にのっとって作曲された時代が古典派です。

ポリフォニー音楽モノフォニー音楽とはあきらかにちがいますね。
この違いこそがバロック音楽と古典派音楽の違いです。

この違いの奥にはその時代に生きた人々の思想や社会情勢が必ず関係してきます。
詳しくは説明できませんので羅列だけにとどめます。

  封建制度の崩壊  啓蒙思想  合理主義 
これら全てが互いに影響しあい人の心の現れである芸術も変化していくものと考えます。


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§バロック音楽から古典派音楽へ

  
音楽史ではバッハ没の1750年をバロック音楽の終わりとしています。
しかし突然にバロック時代が終わったわけではなく古典派音楽も突然始まったのではありません。

歌劇にはじまるモノディ音楽が前章で書いたロココ音楽やナポリ派、
そしてバッハの息子達により徐々に音楽全般をモノディ様式へと移行させ

ソナタ形式の古典派へと移行していったのです。


Giovanni Battista Pergolesi
(伊) 1710〜1736

ナポリ派のオペラブッファの作曲者で啓蒙時代にふさわしい諷刺的題材の軽快なオペラを作曲.

インテルメッツォ(幕間劇)として作曲された
「奥様になった小間使い」(1733年)は当時の市民に爆発的な人気を博したそうです。

彼は,オペラ・ブッファを発展させ、モーツァルトの「フィガロの結婚」を生むことのなるのです。

バッハも影響を受けていたといわれています。
バロック時代のイタリアギャラント(艶美・華麗)スタイルの作曲家.

その他宗教音楽「スタバート・マーテル」も作曲しました。
                            


stabato mater dolorosa(羅)
十字架上のキリストを仰ぐ聖母マリアの悲しみの心を歌った三行詩曲.
ロッシーニも曲をつけています。

                     メロディだけですが聴いてみてください♪スタバトマーテル


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Wilhelm Friedemann Bach
(独) 1710〜1784

     バッハの長男。「ハレのバッハ」という。
作風は父に近かったとされてます。才能も1番あったとか・・・放蕩息子・・・?


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Carl Phlipp Emanuel Bach
(独) 1714〜1788年
     バッハの第4子「ベルリンのバッハ」とか「ハンブルグのバッハ」といわれ、
「多感様式」の音楽を開花させ,
     テレマンの後継者となり,古典派ソナタの形式と近代ピアノ奏法の基礎を確立しました。


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Johan Christian Bach
(独) 1735〜1782年

   バッハの末子。「ミラノのバッハ」とか「ロンドンのバッハ」といわれ、
ヘンデル後のロンドンで活躍し,人気もありました。

  幼いモーツァルトがロンドンに来た時の先生であり,モーツァルトに影響を与え,
 
管弦楽にクラリネット
をはじめて採用したのもクリスチャン・バッハです。


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Christoph Willbald Gluck
(独)1714〜1787年



   オペラ改革をした作曲家.

それまでのイタリア式オペラ(歌手中心のアリアだけの音楽)から、
劇の進行に忠実な音楽を作曲しました。
「オルフェオとエゥリディーチェ」がその第1作で、

生徒であった、マリー・アントワネットの後援をうけ,
1774年パリで「アウリスのイフィゲニヤ」を指揮し,パリに旋風をおこしました。 



§ヴィーン古典派の作曲家達とその作品
Classical Viennese School

古典派音楽を大成させたのはハイドンモーツァルトです。
ともにオーストリアのヴィーンで活躍しました。

そしてこの伝統がベートーヴェンに受け継がれ、ロマン派へと移行します。



Franz Joseph Haydn
(墺)1732〜1809年



ハイドンは「交響曲(古典派)の父」とよばれてます。
それは、100曲を超える交響曲で内容や形式を充実させ、

近代の管弦楽編成の基本を確立したからです。

8歳から10年間ヴィーン少年合唱団に在籍
以後伯爵家のヴァイオリン奏者・楽長(エステルハーツィ楽団)を務める傍ら
エマヌエル・バッハの作品を研究
し影響を受け、

古典派音楽を確立しました。
主な作品
交響曲「No.45 告別」 「No.94 驚愕」 「No.100 軍隊」  ピアノソナタ50曲以上
オラトリオ「天地創造」 「四季」   弦楽四重奏曲「ひばり」 「皇帝」   他多数



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Wolfgang Amadeus Mozart
(墺)1756〜1791n年



すぐれた音楽家レーオポルドを父に持ち
6才からはじまったヨーロッパ各地への旅行は
彼の作曲活動にいろんな意味で影響を与えた事は周知の事と思います。

彼は当時台頭しつつあった音楽の様式を音楽旅行で一身に吸収し、
そこから完全に独自な音楽を生み出しました。

初期の作品はナポリ楽派・マンハイム楽派・ロココ音楽の影響を受けてるとされ、
流麗・簡素であり,
後期の作品は人間的な深みが加わり、古典派音楽の美の極地を作り出したと言われてます。

「レクイエム」(死者のためのミサ曲)を書きながらこの世を去ったことは有名ですね。

作品
管絃楽曲328曲(交響曲58曲)  協奏曲55曲  室内楽曲124曲   教会ソナタ17曲 
     ピアノ曲179曲  宗教音楽82曲  劇音楽21曲  重唱・合唱曲62曲  独唱曲97曲etc.

※この時代イタリアでは
ボッケリーニ1743〜1805(室内楽)やチマローザ1749〜1801(オペラ)が活躍しました。



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Ludwig Van Beethoven
(独)1770〜1827


ベートヴェンはオランダのフランドル出身の音楽家を祖父に、
宮廷歌手を父としてボンで生まれました。

幼い頃より厳格な音楽教育を受けたそうです。

そして師ネーフェのもとでバッハを研究した事

母の死父の失職ゲーテシラーシェークスピアカント等の芸術と思想を知った事

さらにはフランス革命の理念etc.が楽聖ベートーヴェンを作り上げたと思います。

彼の生涯と作品については多くの書物が出ていますので私はおおまかに書いておきます。

前期
1792年ヴィーンに移りハイドン等に師事する。
この時代の作品
「ピアノ3重奏」op.1  「ピアノソナタ」op.2 「ピアノ協奏曲第2番」op.19
「ピアノソナタ」悲愴  「交響曲」第1番・第2番 

中期
1800年に入ると耳疾の症状が始まる.ハイリゲンシュタットの遺書を書く
この時代の作品
「エロイカ」 「運命」(交響曲   「ワルトシュタイン」(ピアノソナタ)

後期
耳の症状悪化と共に世間との交渉を絶ち内面に沈潜.
この時代の作品
「ピアノソナタ」op.109以降  弦楽四重奏「ミサ/ソレニムス」「第9交響曲」

ベートーヴェンはハイドンから受け継いだソナタ形式を発展させ改革しました。
(例:五度転調から三度転調へ)
シューベルトはこれを受け継ぎました。
また「ディアベリ変奏曲」にみられる変奏の技法シューマン・ブラームス等に
影響を及ぼしました。


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P.S ピアノを習った事のある人は必ずと言っていいほど耳にするチェルニーについて紹介します.


Karl Czerny
(墺)1791〜1852


ベートーヴェンの弟子でピアノ奏者・教育家・作曲家.

ピアニストとしても活躍しましたが教育に専心、リストを育てました。

ピアノ学習者必携のチェルニー「30,40,50,100,110番」の作曲者です



                             ロマン派へつづく

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2001年3月13日

02/02/18