PORT JUBILEE AGAIN
独り言のページ
12/24/06

今年も後わずかで終わろうとしています。このホームページも長らく更新していなかった事もあり、掲示板の書き込みもなく淋しい一年でした。。 昨晩は友人に誘われて、フォーク,ブルーグラスのクリスマスの集まりに参加してきました。夜の9時に会場に行ったのですが、会場は個人の住居で、既にどの部屋も満室状態、その各部屋ではグループが出来て、思い思いに好きな曲を演奏していました。その人数は猶にに60名は超えていたと思います。まず、案内された一室が楽器のケース置き場で、何十という楽器ケースが山積みになっています。早速ギターを出して二階の小さな部屋に入り込みました。そこでは、既にプロのバンジョー奏者とギタープレーヤー、フィドル、マンドリン、大きなベースを抱えたベースマンが演奏しています。聴衆は約3名、参加者のほとんどは皆プレーヤーです。僕もギターを持っていきなり演奏の輪の中に入りました。歌と楽器のソロとが交互で演奏されるのですが、必死でギター奏者の手元をみながらギターを弾いていると、いきなり目配せでソロが回ってきました。ここで、怖じけては日本男児の恥と、下手な演奏でも頑張って参加、要するにうまくても,下手でも参加する事に意義があるのです。。といってもプレーしてるほとんどの人は、プロか、それに近いセミプロの人たちですから、歌詞カードも楽譜もなく延々と演奏が出来るのですが。歌のハーモニーもその場で即興とは思えないくらい奇麗にハモってくれるので、歌っていてもとても心地がいいものです。少なくとも、会場の4ー6カ所でそういったグループが演奏していました。以前、このページで紹介した、フォークのグルーも参加していましたが、今度パーティーは人数もレベルも数段階大掛かりな物でした!何時も、人前で歌うのに、練習が少なかったとか、音響が、PAがと言い訳を並べる自分が凄く恥ずかしく思えてなりません。音楽の,特にフォークソングの原点はこういった地道な音楽の愛好家の上に成り立っているのだとつくづく感じました。しいては、それが流行に終わらない本来の音楽活動かなと再認識させられた集まりでした。僕は知らなかったのですが、演奏者の中には日本でもな前の知られえたバンジョー奏者が演奏していました。写真を貼付しましたのでご覧ください。。名前はロジャースプラングさんです。

8/5/06                                                     

久しぶりの独り言になります。目下起こっているイスラエルとレバノンの戦争で多数の一般人が亡くなっていますがアメリカはなかなか仲介に入ろうとしません、現在唯一イスラエルを抑えれるのはその原動力になっている武器dん約を供給しているアメリカしかありません。中東の問題はイスラエルがアラブの土地に居座ったところから始まり、国連で決められた地域から拡張政策を取ったところから始まっています。現在起こっているアラブ諸国とアメリカとの摩擦も元はと言えばこのイスラエルとの対立から源を発しています。アメリカはこの問題を大きく考えて和平工作に必死で対応してきました。しかし最近の方向はイスラエルサイドに傾倒した政策をとり、対アラブには一部の石油、軍事産業以外は冷たい政策をとっています。このままの状態が長く続けば続くだけ、ゲリラの力を強靭なものにして行くだけで、強いてはアメリカ国内でのテロが起こる可能性も増して行く事と思います。

無理矢理始めたイラク攻撃も、民主主義の国を作ったといっても形ばかりで市民戦争になって来ていると言うのは一般の見解のようです、アメリカの駐屯は益々難しくなり、イスラエルの過剰なレバノン攻撃は反米運動、親ハズボラとなってイラク情勢は益々混沌としてくると思います。この情勢下でもブッシュは2週間のバケーションに入り、デリケートな対応策はライス長官に任せきりです。今、しっかりとイスラエルを押さえ込めば少しはアラブからの信頼も取り戻せる事の出来る最大のチャンスでもあるのですから、なんとか素早い行動に出てもらいたいと思っています。もしこの戦争の短期解決の糸口が見つからない時は、もっと長く規模の大きなアラブ、イスラエル(アメリカ)の対立の長期化が間違いなくおこり、益々多くの一般市民、子供たちの犠牲者が増える事と心配しています。

12/4/05                                                     

今年も終わりの時期に来ました。何かすべてが停滞しているような気がしてなりません、1年間いろいろな事があった割には前向きな事があまりなかったように思います。アメリカも今回の戦争が間違った情報のもとに始められたものである事を認めながらも、いざ責任となった場合はすべてが曖昧になってしまっていますし、政府内の諸々の問題(汚職、情報漏洩)と言った問題もずるずると引き延ばされているような気がします。ただ、一般国民の間では間違った方むかっている事だけは少なくとも理解しだしているようです。問題は対抗する野党の政策がはっきりとしないところが日本と良く似ているところかもしれません。野党、与党の明確な政策の差が一般国民には理解出来ないところに問題があるのでしょうね。

今回は今世の中を騒がせている構造計算偽造の話をアメリカにいる者の立場から考えてみたいと思います。     建物/内装の工事をする為には、施主、建築家、構造設計家、設備設計、建設会社、内装工事会社、建築局、と言った諸々の人間、機関が関係してきます。これを大きく分けると施主、設計/企画、施行会社、工事認可機関と4部門に大きく分かれるわけです。順繰りに行くと

1)施主が場所と資金を用意し、2)設計/企画会社に依頼し青写真を作りエンジニアが構造計算、設備設計をし、3)これを建築局に工事申請をし、4)正しいと認められた場合工事認可を受け、5)工事を施行業者が行う。

施主にとって一番信頼しなければならないのが建築家である事がこのシステムを作り上げる上で大事な事です。また、建築家、建築局、施行会社の3者は常に利害関係のない立場におかれている事がお互いの内容をチェックする為にも最低限必要な条件です。

今回の問題はこの基本理念がすべてつぶされており、立場が逆転、利害関係はすべてに関わってきており上記のチェック機能が全く働いていないところにあると思います。

施主は安ければ良いと施行会社に丸投げ、施行会社は利益を求めて構造設計家に手抜きをさせ、構造設計家は施行会社に雇われているので無責任にも手をぬく、申請を受ける認可機関も官庁の下請けで責任感がなく、どの部分をとっても責任をとれる人がいない。実はこのいい加減なシステムで平気に発注している施主に大きな問題がある事をしっかりと認識すべきだと思います。

話を聞いていると施行会社、構造設計家、工事認可機関に問題ありと騒いでいるようですが、これでは話がたらい回しにされていくだけで、実はこれらすべてのシステムが直らない限り改善はされることはないでしょう。まずすべき事は、これらを容認して発注している施主本人が一番問題である事を再認識する所から始めるべきだと思います。一昨日、日本のテレビ関連の人からアメリカのシステムについて聞かれました、日本とアメリカとの違いとはとの質問でした。大きな違いは誰が主導権を持つかです。まずは施主、その次がアメリカでは建築家、その後に施行会社となります。日本では、施主の次に来るのが多くの場合(一部著名建築家を除いて)建設会社がきて、その後に建築家となります。大手建築会社が優遇されるのも、土建国家と呼ばれる日本の構造体質から来る物でしょうね。アメリカではちなみに軍事産業でしょうか?

今回の一番の被害者はこれらの全てを押しつけられたマンションの購入者だと思います。彼らは一切このような問題とは一切切り離された立場の被害者ですから。某知事が『安物のマンションを買ったのも悪い。』と信じられないコメントをTVで話しているのを聞きましたが、耳を疑いました。。安くて良いマンションを買いたいと皆が思うのは当たり前の事で、その物件に基準以上の耐震設備があるかどうかは、買う人の選択かも知れませんが、少なくとも国の決めた最低の基準もクリアー出来ていないのは論外でしょう。

1/17/05

新年になったと思ているうちに既に半月が経ってしまいました。何とかダボーズのライブにはと思っていたのですが、仕事の区切りがつきそうにありません。誰かライブのビデオを作ってNYに送ってくださーい!ニューヨークも今年の冬は暖冬かなと思っていた矢先、またまた、ウインターストームが襲って来てます。今晩あたりは華氏の0度になりそうです。摂氏のー17度くらいかな?結構寒いものがあります。こんな時に屋外でライブしたらきっと指が動かないだろな!なんてくだらない想像をしたりしてます。ステージでにあがって手が思う様に動かない(金縛り)状態になった事があるのですが、そんな感じなのかなと思たりもしてます。話はとびますが、あと数日で大統領の宣誓式がありますね、あと4年これで本当に大丈夫なのかと真剣に考えてしまいます。。。。。と言ってるうちにもう正月も終わりですね、(書くのをさぼってました.)実は久しぶりに4年前の掲示板の書き込みを懐かしく読んでみました。まだ、初々しい感じが書き込みの言葉のなかからも感じ取れます。あの頃は『書き込み』になれてなかった人もたくさんいましたね。最初にこの掲示板に書き込んだのが2001年の6月29日です。9/11の少し前になります。あれから、色々とありました。あっという間でした。あれ以来、世の中がすっかりと変わってしまった様な気がしてなりません。戦い、殺しあいによって、利益を得る人、戦い、殺しあいによって、政権を維持しようとする人、戦い、殺しあいによって、民族がまとまると思っている人、いずれにしてもそれらとは全く関係の無い人たち、子供たちが犠牲になっているのは許せないですね!

11/13

9/30付けの独り言を掲載するのを忘れている間に大統領選は終わってしましました。ブッシュの圧勝でした。アメリカは東西両海岸地域は民主党指示、中部、南部は共和党指示と明確に分かれています。今回の選挙は特色が明確に表れています。1)今回の共和党の勝因は宗教団体(キリスト教原理主義)の力が大きく影響している事。2)今回の投票率は60%に達したこと、学生達の若い人が積極的に参加している事。3)かなりのアメリカ人が現実の政策、政治に対してそれ程の理解をしていない事。特に、経済、内政に関しての感心が低い。もしブッシュ大統領がこの選挙をもって現行の政策がアメリカ国民に受け入れられたと錯角して突き進めるようになると、世界中で大きな問題が出てくるのではととても心配です。大統領選後、イラクのフェルージャでは激しい攻撃が再開され多くの人が命を落としています。また開戦以来10万人以上の一般 イラク人が死んでいるとの報告もある様です。イラクに平和が訪れるまでにいったいどれだけの犠牲が必要なのでしょうか?これからの4年間は今までと異なって、宗教観、圧力団体に影響されずに知的で且つ人間的な政治を進めてほしいと願っています。殺戮はどんな事があっても避けてほしいし、地球温暖化による色々な災害が起る事をもっと真剣に考えて欲しいし、一部の企業の利益を優先する事無く幅広く公平な政策を取ってほしいと思っています。まー、これらは難しい注文なのかも知れませんね。日本もイギリスのようにアメリカの飼い犬と呼ばれないような独自の信念をもった政策を進めてほしいものです、出来るかな?

下のウエブサイトはRACHEL CORRIEというガザでイスラエルのブルトーザーから難民の住居を守ろうとして死んだ女性の活動家の残したメールです。時間のある時にでも読んで下さい。考えさせられる事が多くあります。

http://www.rachelcorrie.org/emails.htm

 

9/30

目下アメリカは時期大統領選で毎日テレビでの討論会が絶える事がありません。前回はブッシュ大統領がフロリダで辛くもゴア候補を、相撲で言う”うっちゃり”で勝った事もあり、今回はそれ以上に双方気合いの入った接戦になっています。今までは、民主党にも共和党にも余り興味がなかった僕ですが、前回の大統領選の最終段階での先進国とはおせいじでも言えない醜い争いを見たこともあり、今回の大統領選にはかなりの興味を持って観戦しています。アメリカは国自体がこの二人の候補者によって2つに分断されていると言えると思います。特に、イラク戦争(共和党はテロとの戦いと言っています。)はベトナム戦争の再来の危険性を人々が感じだしている事もあり、日々の成り行きが選挙の大きな鍵になっている事は事実です。アメリカでは『politcally correct』という言葉があります。日本では余り聞かない言葉かも知れませんが、宗教、政治、人種の話は結構気をつけなければなりません。話している相手が正反対の意見を持っていたとしても、相手を傷つけない配慮がいると言う事なのでしょうか?僕は、現在は民主党を応援していますが、親しい友達のファッションデザイナーはガチガチの共和党支持者です。政治の話をすると意見が会わないので出来る限りその話題は避けています。一般 の話では決して言い争いに発展する事はありません。クリントン大統領までの両党のやり取りは、現在のように右左に大きく差がなかった様に思います。今の両党はお互いのけなしあいが全面 に出ているように思われます。また、共和党の戦略はかなり攻撃的で、メディアを含めたネガチブな戦略でしたが、今回は民主党もネット、映画といったメディアをとおして大きく反発をしています。マイケルモアー、スプリングスティーン等が先頭になって民主党を応援しています。

6/16/04 絵本「戦争のつくりかた」 か らの抜粋です。 今のアメリカも日本もとても不安になります。

あなたは戦争
がどういうものか、知っていますか?
おじいさんやおばあさんから、                                                                
むかしのことを聞いたことが                                                        
あるかもしれません。
学校の先生が、戦争の話を してくれたかもしれません。                                              
話に聞いたことはなくても、                                                     
テレビで、戦争している国を見たことなら、 あるでしょう。                                              
わたしたちの国は、60年ちかくまえに、                                                   
「戦争しない」と決めました。                                                             
だからあなたは、戦争のために なにかをしたことがありません。
でも、国のしくみやきまりをすこしずつ変えていけば、                                                
戦争しないと決めた国も、                                                            
戦争できる国になります。
そのあいだには、 たとえば、こんなことがおこります。                                             
わたしたちの国を守るだけだった自衛隊が、                                                   
武器ぶきを持ってよその国にでかけるようになります。
世界の平和を守るため、                                                              
戦争でこまっている人びとを助けるため、                                                     
と言って。
せめられそうだと思ったら、先にこっちからせめる、                                               
とも言うようになります。
戦争のことは、                                                                 
ほんの何人かの政府せいふの人たちで決めていい、                                                 
というきまりを作ります。                                                               
ほかの人には、 「戦争することにしたよ」と言います。                                              
時間がなければ、あとで。
政府が、戦争するとか、戦争するかもしれない、と決めると、                                           
テレビや新聞やラジオは、                                                            
政府が「こう言いなさい」と命令めいれいしたり、                                                
発表したとおりのことを言うようになります。                                                   
政府につごうのわるいことは言わない、                                                       
というきまりも作ります。
みんなで、ふだんから、                                                           
戦争のときのための練習をします。                                                       
なんかへんだな、と思っても、                                                        
「どうして?」とは聞けません。                                                          
聞けるような感じではありません。
学校では、 いい国民こくみんは何をしなければならないか、                                          
をおそわります。                                                               
どんな国やどんな人が悪者か、もおそわります。
町のあちこちに、カメラがつけられます。                                                      
いい国民こくみんではない人を見つけるために。                                                 
わたしたちも、おたがいを見張みはります。                                                  
いい国民ではない人がまわりにいないかと。
だれかのことを、 いい国民ではない人かも、と思ったら、                                           
おまわりさんに知らせます。                                                         
おまわりさんは、                                                                
いい国民ではないかもしれない人を つかまえます。
政府は、 お店の品物や、あなたの家や土地を、                                                 
軍隊ぐんたいが自由に使える、                                                          
というきまりを作ります。
いろんな人が軍隊の仕事を手伝てつだう、                                                  
というきまりも。                                                              
たとえば、飛行機ひこうきのパイロット、                                                      
お医者さん、 看護師かんごしさん、建物たてものを作る人、                                             
ガソリンスタンドの人、 トラックの運転手うんてんしゅさんなどです。
戦争には、お金がたくさんかかります。                                                     
そこで政府せいふは、                                                             
税金ぜいきんをふやしたり、                                                          
わたしたちのくらしのために 使うはずのお金をへらしたり、                                           
わたしたちからも借かりたりして、                                                       
お金を集めます。
みかたの国が戦争するときには、                                                       
お金をあげたりもします。
わたしたちの国の「憲法」は、                                                           
「戦争しない」と決めています。
「憲法」は、 政府がやるべきことと、                                                    
やってはいけないことを わたしたちが決めた、                                                  
国のおおもとのきまりです。
戦争したい人たちには、つごうのわるいきまりです。                                          
そこで、 「わたしたちの国は、戦争に参加さんかできる」と、                                         
「憲法」を書かきかえます。
さあ、これで、わたしたちの国は、 戦争できる国になりました。
政府が戦争すると決めたら、                                                           
あなたは、                                                                
国のために命を捨すてることができます。
政府が、「これは国際貢献こくさいこうけんだ」と言えば、                                             
そのために命を捨てることができます。
戦争で人を殺ころすこともできます。
おとうさんやおかあさんや、 学校の友だちや先生や、                                                  
近所の人たちが、 戦争のために死んでも、                                                  
悲しむことはありません。                                                           
政府はほめてくれます。                                                             
国や「国際貢献」のために、いいことをしたのですから。
人のいのちが世の中で一番たいせつだと、                                                     
今までおそわってきたのは間違まちがいになりました。
一番たいせつなのは、                                                          
「国」になったのです。                                                            
もしあなたが、                                                                  
「そんなのはいやだ」と思ったら、                                                       
お願ねがいがあります。
ここに書いてあることが ひとつでもおこっていると気づいたら、                                            
おとなたちに、                                                               
「たいへんだよ、なんとかしようよ」と 言ってください。                                                      
おとなは、「いそがしい」とか言って、                                                        
こういうことになかなか気づこうとしませんから。                                                   
わたしたちは、 未来をつくりだすことができます。                                                   
戦争しない方法ほうほうを、えらびとることも。
 
これは、空想にもとづく作り話ではありません。
すでに施行されている法律や政令、審議中の有事関連法案(2004年5月20日現在)、
今後整備が予定されている法の内容などを踏まえて書かれた物語です。
P5: 日本国憲法(1946年11月3日)前文、第9条
P6: 自衛隊法(1954年6月9日)
PKO協力法(1992年6月19日)
テロ特措法(2001年11月2日)
イラク特措法(2003年8月1日)
立法化を検討中の自衛隊海外派遣恒久法
武力攻撃事態対処法(2003年6月13日)
国会答弁(2003.1.24 石破防衛庁長官)
P8: 武力攻撃事態対処法第9条1項、4項、6項
改正安全会議設置法(2003年6月13日改正)
第2条1項4号、5号、第4条、第5条3項
テロ特措法第4条、第5条
イラク特措法第4条、第5条、第6条
P10:国民保護法案第50条、第101条
特定公共施設利用法案第6条5項、第17条、第18条
P12:国民保護法案第42条
P14:国民保護法案第43条、「心のノート」(2002年4月22日)
P16:国民保護法案第98条 犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に 対処するための刑法等の一部を改正する法律案第3条
入国管理局ホームページhttp://www.immi-moj.go.jp/
改正警察法(2004年4月1日)
P18:自衛隊法第103条1項、2項 自衛隊法施行令等の一部を改正する政令(2003年10月8日閣議決定)
米軍行動円滑化法案(米軍支援法案)第15条
P25:危険業務従事者叙勲制度(2003年5月20日閣議決定)
 
4/18/04 フォークソングの集り

久しぶりの独り言です、先日友人に誘われてローカルなフォークソングの集まりに参加することになりました。ニュージャージー州のごく一部のローカルな集まりで週一回の集まりがあって、メンバーの家を転々と移っているようでした。20名程が円になって座るといきなり一人がギターを片手に歌いだします。参加資格は自分の番が回った時に躊躇せずに歌う事にあります。メンバーのそれぞれはプロからど素人までが集っていて、結構上手い人からギターは3コードしか知らない人もいます。歌い終わるとその人が上手だったかどうかはまったく関係なく、その曲が、その歌詞がいかに良かったかを誉めてくれます。ついつい技術に走りがちにな自分にとってこういった地道な活動は結構刺激になりました。これからは上手い下手は別 問題 として色々なところで躊躇なく歌えるように頑張りたいと思います。

8/7/03 阪神ファンの皆さんへ!asahi.comからの抜粋記事です。

色々な応援があるのですね。

満員のスタンドで目を閉じると、背後から襲いかかるような大歓声に鼓膜が震え、鳥肌が立った。  先月下旬、阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)の右翼席に座った。阪神―ヤクルト戦の試合開始と同時にあえて目をつぶり、音に耳をすませたのには、訳があった。  この春、JR甲子園口に近い自宅にいて、遠くで地鳴りのような音がするのに気づいた。南の窓を開けると、甲子園の歓声だった。しかし、2キロは離れている。聞こえることに驚いた。  阪神の伊良部秀輝投手(34)が甲子園の応援を「世界一」と言ったのは、その10日後だった。彼の言葉に刺激されて、右翼席に何度か通 った。そして、1人の男性と出会った。 歓喜の応援が阪神タイガースの快進撃を後押しする。甲子園は来年、開設80周年を迎える=兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で  前園博隆さん(31)。前列で目を閉じ、声援を送っていた。全盲のため、ラジオ中継をイヤホンで聞き、プレーを思い描く。「野球は感じるものです」と言った。  音だけの甲子園。それはどんな世界なのだろう。知りたくなり、前園さんの隣に座って、私も目を閉じてみたのだ。  5回が終わり、「六甲おろし」が響いた。いろんな歌声が聞こえる。幼い声、よく通 る声、しわがれた声。  声を合わせる人たちの笑顔がはっきりと、見えた気がした。 □               ■  試合の数日前、前園博隆さんの神戸の自宅を訪ねると、甲子園の阪神戦にはもう17年通 い続けている、と教えてくれた。  「みんなが一つになる熱気は、他では味わえません」  機能訓練士を務める前園さんは71年秋に生まれ、「未熟児網膜症」で失明した。甲子園を強く意識したのは、盲学校小学部6年の時だったという。  難病「ネフローゼ症候群」を患い、入院していた。寝たきりの日々。唯一の楽しみが、ラジオから流れる阪神戦の中継だった。病室で歓声に耳をすませると、甲子園が別 世界に思えた。  85年、阪神が日本一になった時の「六甲おろし」が忘れられない。甲子園で歌いたい――。あこがれを胸に翌秋、退院を果 たし、甲子園通いを始めた。 甲子園球場に照明がともった。タイガースを見守り続けた観覧車は、「阪神パーク」の閉園とともに動きを止めた=兵庫県西宮市鳴尾町4丁目で  前園さんにとって、甲子園はどんな空間なのだろう。尋ねると、「チームに声援を送りながら、実は自分が励まされる場所。『六甲おろし』はお互いの応援歌です」と言った。  一緒に観戦したヤクルト戦。阪神がサヨナラ打を決めた。歓声が耳に突き刺さる。目を開けた。周りは総立ちで握手を交わし、肩を抱き合っている。やがて、4万を超える観客が「六甲おろし」を歌い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

5/29/03『マッチョ』

数日前、TVの番組で戦場で写真を撮り続けている報道写真家の話を聞いて凄く感動したので少し書いてみます。僕が興味を感じたのは彼の話の中で出て来た『マッチョ』という言葉でした。その写 真家は戦場に入って写真を撮ると言う行為は彼の気持ちの中では『マッチョ』な行為と感じていたのです。とても男っぽい(少し女性からは非難を受けそうですが!)勇敢な行動と思って戦場に臨んだわけです、しかし戦場の全てを見、写 真を撮って無事に戻った時にはその『マッチョ』は何処かえ消え失せてしまったと話していました。本当の戦場では数多くの人間が傷つき、死んでいくわけで、とりわけ幼い子供達が無惨にも殺され、あるいは足を失い、両手を失っている現実を見た時にそれまでもっていた彼の『マッチョ』はどっかへ吹っ飛んでいってしまい、虚脱感だけが残ったと話していました。今回のイラク戦争前後にはアメリカ国内にも数多くの『マッチョ』人間が表面 に出てくるようになりました、ニュースキャスターでさえそういった態度を出す人もいてます。大統領も一生懸命に『マッチョ』さを全面 におし出して演技をしています。しかしこれらの人たちはこの写真家の様に打ちのめされるような現実を体験していないわけです。最近こういった『マッチョ』人間を見るたびにこの写 真家の話しが脳裏を走る様になりました。

4/14/03

NYもやっとの事で春が来そうです!今年は例年にくらべて雪の多い冬でした。4月に入って雪が降ったのも驚きでした、と言っても僕は日本で桜を楽しんでいましたが!一方ではイラクでフセイン政権が抹殺されてしまいました。この落差の大きさに少し戸惑いを感じています。
アメリカの新聞ではAP通信の取材班が米軍戦車から砲撃を受け死者が出た事とかは余り大きく取り上げないのに、人質から解放された米軍兵の話題ばかり取り上げ大騒ぎです。又、一方では150人近い合同軍戦死者と何人か分からないくらいのイラク人死者の事はほとんど沈黙です。残忍な戦争の現実は出来るだけ隠して、綺麗事とお涙頂戴的な話題ばかりを取り上げ、戦争の正当化をはかろうとしているみたいです。
戦争と言う手段による大量殺人は正当化できるが、テロと言う形での殺人は正当でないと言う変な理論が成り立っています。日本を原爆という恐怖で降伏させた事は、今でも成功例とアメリカは考えています。今回のイラク戦争も同様に考えて作戦を立てたと聞きました。でも、いかなる理由であれそこには数万、数十万人の犠牲者があった事はしっかりと肝に命じるべきでしょう。何時になったら争いのない時代が来るのでしょうね、人間が世の中にはびこっている間は難しいのかも知れませんね。
3/28/03
「破壊されるのは私みたいな子供」 13歳米少女が反戦スピーチ
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「イラクの子どもたちはどうなるの?」
 
   イラク爆撃というと、何を思い浮かべますか。軍服を着たサダム・フセイン、あるいは銃を持つ口ひげの戦士たち、それともアル・ラシッドホテルのロビーの床に「犯罪者」という言葉と一緒に描かれたジョージ・ブッシュ元大統領のモザイクでしょうか。
   
   でも、考えてみて下さい。イラクの2400万人の国民の半分が15歳より下の子どもなんです。1200万人の子どもです。私みたいな。私はもうすぐ13歳になります。だから、私より少し大きいか、もっと小さな子どもたちです。女の子じゃなくて男の子かもしれないし、髪の毛の色も赤毛じゃなくって茶色いかもしれないけれど、とにかく私みたいな子どもたちです。だから、私のことを見て下さい。よく見て下さいね。イラクを攻撃するときに考えなきゃいけないことが分かるはずです。みんなが破壊しようとしているのは、私みたいな子どものことなんです。
   もし、運が良かったら、一瞬で死ねるでしょう。91年の2月16日にバグダッドの防空壕(ごう)で「スマート(高性能)」爆弾に殺された300人の子どもみたいに。そこでは、爆風による激しい火で、子どもと母親の影が壁に焼き付けられてしまいました。そんなに運が良くなければ、じわじわと死んでいくのでしょう。ちょうど今、バグダッドの子ども病院の「死の病棟」で苦しんでいる14歳のアリ・ファイサルみたいに。アリは湾岸戦争のミサイルで劣化ウランによる悪性リンパ腫ができ、がんになったのです。

 もしかしたら、痛みにあえぎながら死んでいくかもしれません。寄生虫に大事な臓器を食われた18カ月のムスタファみたいに。信じられないことですが、ムスタファは25ドル程度の薬で完全に治ったかもしれなかったのに、制裁で薬がなかったんです。

 死ななかったとしても、外からは見えない心理的な打撃に悩みながら生き続けるかもしれません。91年にイラクが爆撃されたとき、小さな妹たちと一緒にやっと生き延びた恐怖を忘れられないサルマン・ムハンマドみたいに。サルマンのお父さんは家族みんなを同じ部屋で寝させました。そうすれば一緒に生き残れるか、一緒に死ねると思ったからです。サルマンはいまだに空襲警報の悪夢を見るのです。

 アリみたいに独りぼっちになるかもしれません。アリは湾岸戦争でお父さんが殺されたとき3歳でした。アリは3年間毎日お父さんの墓を掘り返しました。「大丈夫だよ、お父さん。もう出られるよ。ここにお父さんを閉じこめたやつはいなくなったんだよ」って叫びながら。でもアリ、違うの。そいつらが戻ってきたみたいなんです。

 ルアイ・マジェドみたいに何の傷も負わなくてすむかもしれません。ルアイは、湾岸戦争のおかげで学校に行かなくてもよかったし、好きなだけ夜更かしできたと言います。でも、教育が受けられなかった彼は今、路上で新聞を売ってやっとなんとか生きています。

 これが自分たちの子どもたちだったらどうしますか。めいだったら? おいだったら? 近所の人だったら? 子どもたちが手足を切られて苦しんで叫んでいるのに、痛みを和らげることも何もできないことを想像してみて下さい。娘が崩壊したビルのがれきの下から叫んでいるのに、手が届かなかったらどうしますか。自分の子どもが、目の前で死ぬ親を見た後、おなかをすかせて独りぼっちで道をさまよっていたらどうしますか。

 これは冒険映画でも、空想物語でも、テレビゲームでもありません。これが、イラクの子どもたちの現実なのです。最近、国際的な研究者の一団がイラクに行って、戦争が近づいていることが、向こうの子どもたちにどう影響しているかを調査してきました。

 彼らが話した子どもたちの半分が、これ以上何のために生きるのか分からないと語っていました。本当に小さい子どもたちでさえ、戦争のことを知っていて、心配していました。5歳のアセムは「銃や爆弾がいっぱい来て、お空が冷たくなったり熱くなったりして、みんないっぱい焼けちゃうんだよ」と言いました。10歳のアエサルは、ブッシュ大統領に「たくさんのイラクの子どもたちが死にます。それをテレビで見たらきっと後悔する」と知ってほしい、と言っていました。

 こちらの小学校のことを話します。私は、人とけんかをしたときには、たたいたり悪口を言ったりするんじゃなくて、「自分がどう思うのか伝えなさい」と教えられました。相手の身になったらどう感じるのか、理解してもらうのです。そうすれば、その人たちはあなたの言うことが分かって、やめるようになります。

 いつものように私は、どう感じるか伝えたいと思います。ただし、「私」ではなく、「私たち」として。悪いことが起きるのをどうしようもなくただ待っているイラクの子どもたちとして。何一つ自分たちで決めることはできないのに、その結果はすべて背負わなければならない子どもたちとして。声が小さすぎて、遠すぎて届かない子どもたちとして。

 私たちは、明日も生きられるか分からないと考えるとこわいです。

 殺されたり、傷つけられたり、将来を盗まれると思うと悔しいです。

 いつもそばにいてくれるお父さんとお母さんがほしいだけなんです。

 そして、最後に。私たち、何か悪いことをしたでしょうか。わけが分からなくなってるんです。

 (文中の数字などは原文のまま) (03/27 18:34) 


2/24/03
グラミー賞を久しぶりに見たのは、やっぱりあのSimon and Garfunkelが聞きたかったからでした。高校生の時に初めて聞いた廃盤セールで見つけた『Wednesday Morning, 3AM』の中に在るあのSound of Silenceがいきなり流れて来ました。まだ、ロックバージョンのSound of Silenceは発売されていないときでした。40年近い時間の流れが嘘の様に感じる一瞬でした。目を閉じると、その時間を隔てた遠い世界に引き戻されていました。しかし目をあけるとそこには現実の世界が存在し、時の流れを冷静に表していました。今回のグラミーで特に感じたのは40年のサイクルがひとまわりして、次の新しい40年がスタートしたと言う事です。賞をとったノーラジョーンズは23歳のsinger song writerで、先日からラジオでよく流れていて、Janis Ianが歌ってるとばかり思っていた人でした。また、もうひとりの男性singer song writerのジョンメイヤーは18歳でこの二人のスピーチがとってもよかった。ノーラジョーンズは『自分の曲がポピュラーミュージックとは思ってなかった。』とコメント、ジョンメイヤーは『こんな賞をもらうにはまだ若すぎるからもらえるだけの才能がそなうようにこれから頑張る。』とコメントしていました。賞をとり慣れたプレーヤーと違ってこれらのコメントが非常に新鮮に感じたのは僕だけでしょうか?音楽の一つの方向性がハッキリと表れた今回のグラミー賞でした。
1/27/03
1/18の夜、日下さんのお通夜に参列させて頂きました。PJ Again の時にはすでに闘病されていたと聞いていたのですが、そのあとに思いもしていなかった米田君が逝ってしまいその後古川君と続いて、日下さんはもしかして病気に勝って大丈夫なのではと期待していた矢先でした。高校生の我々にとって憧れのバンドがタイニースパロウズでした。PJに入ったのは、フォーク系ではタイニィーとKGフォークカルテットがPJで頑張っていたからかも知れません。運動部上がりの我々フォースには大学でのスポーツと音楽の両立がどれ程大変かよく分かっていました、それを見事にお手本の様にこなされていた日下さんは我々の憧れの的でもありました。最後まで、音楽をそしてスポーツを愛された日下さんの最後のライブは聞けませんでしたが、残された者皆で彼の意志を受け継ぎ1人1人の力が尽きるまで音楽を演奏し続けてほしいものです。日下さんもきっと天国から我々を見守っていてくれる事と思います。御冥福をお祈りします。

1/08/03
またまた、あっという間に1年が経ってしまいました。NYで起った多発テロからもう1年以上が過ぎようとしているにもかかわらず、世界中で起っている争いは悪化するばかりで何の解決策もとられていないように感じます。昨日の新聞のコラムにブッシュ大統領の『悪の枢軸』演説を書いた人がパールハーバー直後のルーズベルト大統領の演説からコピィーをして引用したとの話が載っていました。あくまでもイラクに戦争を仕掛ける正統性を訴える為の演説であったようです。また、NYでは徴兵制度を復活すべきと言う意見の議員までも出て来ています。1970年頃にまたさかのぼっていっているような気がしてなりません。この30数年皆何をしていたのかと考えてしまいます。音楽をとうして、戦争の不条理さを考えさせられた我々にとって今の世界情勢は、時代に逆らって昔の暗黒時代に戻っているような気がしてなりません。恐いのは現在のほとんどのアメリカの指導者は戦争を経験していない事で、唯一いるとするとパウエルくらいでしょう。戦争を肌で感じた事のない国にはその悲惨さが理解出来ないのだと思います。いずれにしても少しでも平和な年になってほしいと思います。
12/12/02
NYはいよいよ本格的なクリスマス商戦に突入です。どの店もごった返しています。この調子で24日の夜までギフトを買い漁るのだろうなと冷めて見ています。日本の年末年始とは異なりアメリカはクリスマスと1日しか休みにはなりません。その合間に買い物をしなければならないわけですから皆大忙しです。まして、クリスマスはパーティー、贈り物の用意。そして総てのサービスしてくれる人たちにチップをあげなければなりません。ドアマンから、駐車場の人、郵便配達人から、ビルの管理人、ゴミ回収の作業員と切りがありません。昔の様にクリスマスキャロルを歌ってなどという悠長なことはやっていられないのです。世の中せわしくなったとつくづく感じます。と言うわけで、この時期は好きに馴れないのが現状です。一度で良いから静かなクリスマスを過ごしたいなといつもこの時期が来ると感じます。『bar humbug!』
10/2/02
9/15日に3回目のPJ COMING DAYが催されました。今回は六甲アイランドのファッションマート内のホールで400名近くの人が集り楽しく過ごす事が出来ました。僕も東京の友達と飛び入りコーナーに出させてもらい久しぶりに心地よい緊張感を味わう事が出来ました。執行委員の皆様、裏方の皆さん有難うございました。今回の同窓会を聞いて各バンドの実力が次第に上がって来たのを肌で感じた気がします。それだけ皆の音楽に対する思い入れが強くなって来た表れなのでしょう。東京から来てくれたた友人達もPJのレベルの高さに感服していました。これからも益々の磨きをかけてほしいものです。ただし、PJはあくまでも音楽を通じての友好の場所である事も忘れないでほしいと思っています。プロのコンサート、ライブではなくあくまでもアマの物である事が前提であってほしと個人的に思っています。演奏する以上は上手くやりたいし、良い反響がもらいたいのは当たり前ですが、それが大前提ではないと思っています。PJを通じて知り合ったバンド仲間、友達が好きな時に集り歌ったり、話したり、食べたり、飲んだりして共通の楽しい時間を過ごすだけでも、大いにPJの意義がある様に思うのですが!出来たら月に一度でも定例でどこかのライブハウスでPJのメンバー達での演奏が聞けると嬉しいいなと思ってます。
9/8/02
いよいよあと1週間でPJのカミングデイですね。実は昨晩当日の夢を見たのですが米田が新しいギターを持って来ていました。夢の中なので何の違和感もなく話をしてたのですが、カポの話とかギター弦の話とかしていざ演奏の段階で夢は終わりました。ギターはトラ柄の木でした。『お前、阪神ファンか?』と冗談を言ったのを覚えています。何の歌を歌おうとしてたかは思い出せませんが、一緒に演奏をしようとしていたのは確かでした。今回も彼が会場に来ているのは確かだと思いますよ。皆さんの楽しい演奏を楽しみにしてます。
8/28/02
いよいよ9月15日が2週間後とせまって来ました、去年はNYのテロがあり大変な時ではありましたが、前回のPort Jubilee Againの余韻もあり、本当に有意義な集まりでした。又、僕にとってこの集まりは米田の追悼の意味もあり毎年のこの同窓会の集りが末永く継続してくれる事を大いに期待してます。また、少し先には大きなイベントの企画もあるようだし、皆が音楽を通じて話題を共有しそれぞれの置かれた環境、状況から一時でも離れ童心に戻って楽しめる時間が持てれば、どんなに素晴らしいかと何時も思っています。裏方で準備をしてくれている皆さんに心から感謝し、素晴らしい集まりになる事を楽しみにしてます。万障繰り合わせて参加出来る様にスケジュールの調整をしています。行けるようになったら、NYでバンドを組んでる友人も連れていき是非歌いたいと思ってます。
7/11/02
6/17の夜にPJの同士が集って米田の追悼会を持ちました。全員が集る直前に風もないのに2重ドアの内側のトビラが開き皆米田が聞きに来たと信じてました。きっと、遊びに来たのでしょう。歌を歌いワインを空けて騒ぐ事が多分米田も喜んでくれる事だと信じています。カントリーミュージックとワインの好きな米田でしたが、『おれ、歌うまなってん!』と自慢してた歌は聞けずじまいでしたが、出来る限り代って歌ってやろうと思ってます。米田がきっかけとなって出来たこのPJのホームページですから、皆生きてる内に楽しく交友をもって好きな音楽を楽しみましょう。バンドを組んでいる東京の友達も大学のフォークソング同好会のOB,OGが集って結構楽しそうにやってます。PJの輪は学校を越えてもっと広い範囲につながっているのですから大事にしたいものです。
5/31/02
最近のPJの掲示板は賑やかになってきましたね。昔からのメンバーと新しい友達がネット上ではありますが交流を持てる事はとても嬉しことです。基本的に”皆で楽しく”が基本なので参加して自分の意見、話題を書き込んでから総てがはじまると思います。総ての話を尊重して仲良くやっていきましょう!それと来月の6/18は早くもこのPJのホームページを作るきっかけとなったなった、米田陽一の一周忌になります。ファースが中心となって6/17の6時PMから打出のウッドストックで追悼会をしようと思っています。米田の為に皆で歌って騒げればそれで良いと思うのですが参加希望の方は柿本まで御連絡ください。会費は4000円です。楽器をもって集って下さい。僕も参加します!!
3/25/02
日本では桜は満開との話を聞きました、例年より人足早い春の訪れの様ですね。NYの春はある日突然訪れます。一昨日は雪が降りましたがその次の日には春のような天気と一日一日が目まぐるしく変化してゆきます。今年の冬は例年より暖かい冬でした、降雪量も少なくNY近辺のスキー場は草々に店じまいをしたところが多い様です。雪の少なかった年は必ず水不足になります。(当たり前)すでに、ニュージャージー州では、節水のおふれが回って来ました。お風呂はためるなとか、車を洗うなとか、Dishwasherを使うなとか、かなり具体的です。お風呂の好きな我々夫婦にとってはかなり厳しいいおふれではありますが、皆、以外とこういった事には協調性があり、おふれの効果はまずまずの様です。NYは緯度が青森当たりなのであと2ー3週間で本格的な春に入っていくのでしょうね!来週から3週間は僕独りと2匹(ななと息子の順)の生活、実は3匹かも!どうなるか今から心配しています。
1/8/02
今年は平和な年になってほしいものです。
また一年があっという間にたってしまいました。2001年はニューヨ−カーにとって生涯忘れる事の出来ない年になってしまいました。もしかすると世界中の人も同じように考えているのかもしれませんが!無差別テロは絶対に許される行為ではないのは誰に聞いても同じ答えが返ってくるのですが、こと戦争となった時には色々なコメントとなって返ってきます。ほとんどの自由主義社会の人間はアメリカの絶対的な報復を即座に認めました、これは確かに感情的になっていた事も大きく影響していると思います。しかし、本来ならば少なくとも『何故』と言う基本的な疑問が起るのが普通ではないでしょうか?アメリカが徹底的に叩いたフセインも今回のビンラディンももとはと言えばアメリカの利権を確保するためにアメリカがつくり出した怪物です。アメリカの資本主義は世界の富を統べて吸い上げ、その他の未開発、開発途上国を奴隷のごとく扱っています。表向きには救済をうたっていますが現実は資源の確保と言う利点からくらべれば微々たる支援でしかありません。そして今ある多くの問題は総てと言って良い程パレスチナのユダヤ人対アラブ人の争いに戻るのではないでしょうか?ただ、唯一の救いを感じれたのはパレスチナ人とユダヤ人が反戦デモを合同で12月の終わりに行ったとのニュースを聞いた時でした。その時感じた事は、国家同士、政治家同士では決して一般市民が望む本来の平和は創れないと言う事です。今日のニュースで15歳の高校生がフロリダで軽飛行機をビルに突っ込ませて自殺したとのことで、遺書からビンラディンへの同調を表していた様です。まわりの人間は単に友達もいない救いようのない単独行動と話しています。でも、彼がどうしてそういう行動をとらざるをえなかったかは言及を避けています。現実は正月早々に一人の若者が命を失ったと言う事です。
12/3/01
とあるアメリカの小学校の先生が生徒に渡した資料とのことです。
 
もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、
全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。
その村には…

57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ人
8人のアフリカ人がいます

52人が女性です
48人が男性です

70人が有色人種で
30人が白人
70人がキリスト教以外の人で
30人がキリスト教

6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍

80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません
50人は栄養失調に苦しみ
1人が瀕死の状態にあり
1人はいま、生まれようとしています
1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け
そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています

もしこのように、縮小された全体図から私達の世界を見るなら、
相手をあるがままに受け入れること、
自分と違う人を理解すること、
そして、そういう事実を知るための教育がいかに必要かは火をみるよりあきらかです。

また、次の様な視点からもじっくり考えてみましょう。

もし、あなたが今朝、目が覚めた時、病気でなく健康だなと感じることができたなら…
あなたは今生き残ることのできないであろう100万人の人達より恵まれています。

もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や苦悩、
あるいは飢えの悲痛を一度も体験したことが無いのなら…
あなたは世界の5億人の人達より恵まれています。

もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問
または死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことができるなら…
あなたは世界の30億人の人達より恵まれています。

もし冷蔵庫に食料が有り、着る服があり、頭の上に屋根があり、
寝る場所があるのなら…
あなたは世界の75%の人達より裕福で恵まれています。

もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、
家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら…
あなたはこの世界の中でもっとも裕福な上位8%のうちの一人です。

もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら…
それはとても稀なことです。

もしこのメッセージを読むことができるなら、
あなたはこの瞬間二倍の祝福を受けるでしょう。
なぜならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて、
その上あなたはまったく文字の読めない世界中の
20億の人々よりずっと恵まれているからです。

昔の人がこう言いました。わが身から出るものはいずれ我が身に戻り来る、と。

 お金に執着することなく、喜んで働きましょう。
  かつて一度も傷ついたことがないかのごとく、人を愛しましょう。
   誰もみていないかのごとく自由に踊りましょう。
    誰も聞いていないかのごとくのびやかに歌いましょう。
     あたかもここが地上の天国であるかのように生きていきましょう。
 

11/9/01

あっと言うまに冬が来てしまいそうです。NYは炭疽菌で大騒ぎしています。意外と一般人はあまり気にしてないみたいです。アメリカはこの時とばかりありとあらゆる爆弾をアフガニスタンに投下してるみたいですが、アルカイダが本当に戦うべき相手なのかどうかも疑問です。また、アメリカ国内は保守派が天下をと っ たように騒いでいますが、意外と一般市民は冷静に見ているかもしれません。しかし、この時とばかり報道の自由に口出しをしたり、コントロールしようとしたり行動があからさまで目を覆いたくなるようなことばかりです。日本は日本で、現状をつくり出した旧体質から一向に抜け出そうという意気込みはいっさい見られず、もっと失政を追求すべきマスコミも安易な報道ばかりで、肝心のニュースもほとんどが娯楽番組化してしまって、冷静な自己分析さえ出来ない状態で、本当に国として立ち直れるのかとここでも不安に感じるのは僕だけではないと思います。まあこう言った不満だらけの社会で、少しでも安らぎがとれるようにこのホームページが活されると良いなーと思うこの頃であります。

9/24/01

9/15のPort Jubilee Coming Dayは280名の人が集まり和気あいあいの中無事に終了、それぞれがそれぞれの思い出を作れたようで、その後の本掲示板の訪問回数と書き込みの数に驚いています。今回の同窓会は余りにも色々なことが起り、何とも感慨深い集まりになりました。NYをたってすぐに起った多発同時テロでは巻き込まれた一機に家内がもともと乗る予定だったこともあり、出発が2日違いとは知っていたものの、本人と確認がとれるまでは冷や汗ものでした。最後まで家内はこのPJComing Dayに参加を諦めなかったのですが、結局どの飛行機も飛ぶことが出来ず、断念しました。来年は必ず参加して歌いたいと思っているみたいです。このテロで数多くの犠牲者がでていますが、日が経つに連れその悲惨さが実感として分かるようになってきました。国、民族、そして宗教と、その対立の代償を常に支払うのは非力な一般民間人の様な気がしてなりません。ただ、力だけでの報復だけではすべての解決にはつながらず、益々泥沼化していくのではと懸念しています。

9/4/01 MODERN FOLK GANGの横田兄よりPJ古代のポスターをおくって頂いたので掲載します。懐かしいですねー!



MODERN FOLK GANGの横田兄さんからおくって頂いた、PJのアンチークポスターです。珍しく野外のナイターのコンサートです。当時は東京のスチューデントフェスティバルとの交流がさかんで、ブロードサイド、森山良子、キャッスルアンドゲイツといったバンドが頻繁にPJにゲスト出演されてました。このポスターは1966年のものとのことです。

8/23/01
 



NYも益々秋らしい天気になってきた今日この頃です。このシーズンは観光客の姿の目立つ時期ですが、年々若返っているのが分かります。事務所のあるSOHO地区もここ数年の間にありとあらゆるお店が開店、シャネルからヴィトンの様な高級ブティックからOld Navy, H&Mといった量販店にいたるまでごちゃごちゃになりながらひしめきあっていると言う感じです。株、ネット関連業種が不調なわりには、建物はそこら中で建築され13ー14年まえの不景気な時代を連想させてくれます。すべての値段が上がってしまい、NY市内に住むことはかなり厳しい状態になっていますが、はたしてどれだけ続くものか疑問ではあります。レストランもブティックも住宅もここ数年ですっかり衣がわりしてしまいました。昔からのブルックスブラザースでさえ軽快な商品とディスプレーに変わり、新店舗はすっかり今様の店造りになっています。また、いつの日かトラッドがもてはやされる日がくるのでしょうが、その日もまだまだ先のような気がします。ただしそれに反発するように、現在若者の間ではアコースティックな音楽が流行ってきています。先日も車の中でPPM をかけていたら、ガススタンドの若い男の子が『誰が演奏してるの?』と聞いてきました。きっと、凄く新鮮に聞こえたのだと思います。どんどんと変わる新しい時代と古き時代の復古と入り乱れて文化は成り立っていくのでしょうね。

7/30/01 米田君の奥さんからの書き込みを読まれていないPJのメンバーの為に掲載します。

米田 佳世 - 01/07/04 00:43:48:
PJの皆様、夫 米田陽一の発病から天に帰るまでの五週間、陽一と私達をあたたかく見守って下さったことに、先ずお礼を申し上げたいと思います。  前夜式、告別式と二日間本当にたくさんの方が陽一にお別れに来てくださり有難うございました。 残された私達は「こんなに大勢 涙を流してくれる友達がいたんや!これって凄いことやで!お父さんってこんなに惜しまれていったんや!!」と勇気と元気をいただきました。  亡くなる5週間前に進行性でしかも末期の直腸癌と主治医からつげられました。死を受け入れるにはあまりにも短い時間しか残されていませんでしたが「子供達4人に何か伝えるべきことをかんがえないかんな」と気にかけておりました。何も言葉は残しませんでしたが臨終の時子供達ひとり ひとりが「こんど生まれてくる時も お父さんの子供にしてね。このメンバーでうまれてこようね。」と泣きながら言うのを聞いて陽一は家族に充分伝えた。陽一パワーみたいなものが家族に受け継がれたと感じました。 PortJubileeのオーディションで出会って 31年結婚してから28年大好きな夫とすごせたことをとても幸せに思っています。陽一は確かに素晴らしい人で、私は、陽一によって私の内面にあるよいところを自然に引き出してもらったと思います。でも、これからは、自分の中に生きる価値をみつけなければいけないよと、私に光の中から陽一が呼びかけているように感じます。 胸が張り裂けそうですが、だいじょうぶです。  皆さん 本当にありがとうございます。         
 2001年7月4日  米田 佳世

 



7/12/01

先日亡くなってしまった米田の写真が出てきたので掲載します。彼とは中学1年生の時からタッチフットボールで臭い部室をともにし、毎日練習に励んでいました。高等部にあがっても同じ様に臭い思いを供にしたのですが、親友の猪飼の影響でフォークソングの洗礼を受け、それ以来運動と音楽と難しい両立をすべく頑張ります。大学では高等部時代に腰を痛めた僕と異なり、真剣にアメラクの世界に入った米田ですが、再三の肩の負傷で、腰骨からの移植の手術をうけますが、最後にアメラクを断念、再び、音楽の世界に戻ってきます。この写真は、1997年の9月に関学高等部アメフト部のNY遠征試合に付き添って来た時のものです。丁度、この写真を撮った日の朝、ダイアナ妃が死んだニュースが流れました. 右の写真はフォースのメンバー清水のお店に食事に行った時のものです。今から思うと、米田とゆっくりと時間を過ごしたのはこれが最後でした。

7/5/01

初めてホームページを立ち上げたのですが、分からんことばかりで苦労してます。依然会社の人間が作ったホームページを改良したことはあったのですが、いざ自分で立ち上げるとなると時間のかかるものですね!余り懲り過ぎると仕事にさしさわるといけないので、程々にしています。なにせ、日本とニューヨークという時差があるので、すぐに電話で教えてもらうわけにもいかず。バンド名だけとっても、メンバーの名前が思い出せなかったり、バンド名も出てこなかったりで少し時間がかかりますが、我慢してください。また気がついた情報をメールか書き込みにてお知らせ下さい。また、このページで個々のメンバーの寄稿を掲載しますので簡単なメッセージをメールでお送りください。謝礼はありまへん!!

6/29/01

このページを作る気になったのは、古くからの友達がわずか一月半という短い間にこの世を去ってしまった事と、彼が最後に楽しみに僕に言ったのが9月15日にPJの会で皆に自分も歌って、お別れを言いたいという内様を皆に伝えたいからでした。本人はその時点ではまだ半年は生きれると信じていた様です。彼と、PJとは切ってもきれない縁があったのでしょう。本当に音楽が好きな人間でした。最後に、好きな音楽に浸りながらあの世へ旅立ったことと思います。今後も、せっかくのポートジュビリーという伝統ある、コンサートの集まりなのですから、もっと手軽に各バンドの交流を引き続き深め、末長い付き合いができる為にも、PJ独自のホームページが必要と思い、米田の供養の為も含めて監理していくつもりです。他のグループも多種他様のホームページをもっています。出来るだけ頻繁にアップロードしていきますが、皆さんからのヘルプがないと情報不足では成り立ちません。コメント、資料、写真等をwebmaster宛に送って下さい。皆さんの健康を心から祈って止みません。

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