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1921年10月21日アーノルドはイギリス、ロンドンの北西部のノーサンプトンに生まれた。
伝統的な靴職人を営む家の出である。
家庭的には両親の音楽的な素養もあり少年時代のアーノルドはピアノを習い、4歳の時にはすでに作曲を始めていたという。

1933年ルイアームストロングに接してからは今度はトランペットが彼の楽器となった。そして、ジャズがその後の彼の音楽に融合する出会いでもあった。
16歳でロンドン王立音楽大学の奨学金を手にしたアーノルドは、ゴードン・ジェイコブに作曲を、当時のBBC交響楽団の首席奏者であったアーネスト・ホールにトランペットを師事した。

1941年マルコムは、オーケストラトランペット奏者としてロンドンフィルに入団を果たし、弱冠21歳で首席奏者となった。
しかし、時は戦時下。最初は良心的兵役拒否者であったがその後自発的に軍楽隊に所属した。しかしながら彼は自分の足をピストルで撃ち抜いて除隊した。
再度オーケストラに復帰したアーノルドは48年まで首席を務め、オーケストラの機能や効果を身をもって習得した。

作曲家として最初に彼の名前が世に出たのは第二次大戦中にさかのぼる。
小管弦楽のための交響詩「落葉樹の林」や今でもよく演奏される「三つのシャンティ(水夫の歌)」などが演奏され、特に序曲「酔っ払いのベッカス」は人気曲となり
オランダの指揮者ベイヌムによって録音が実現したのだ。

そして彼は、1948年新進作曲家に海外遊学を経験させるのを目的とするメンデルスゾーン財団の奨学金を得る。ちょうど結婚したばかりのアーノルド夫妻は、イタリアに向けて旅立ちこのとき以来彼は作曲の道に専念することとなる。

1950年代に入ってからまず彼が名声を手にするのは、生活の糧として作曲した80以上の映画音楽や120以上のTVのための膨大なスコアによってであった。「ノ−・ハイウェイ(1951)」アカデミー賞作曲部門に輝いた「戦場にかける橋(1957)」、「第六の幸福をもたらす宿(1958)」、「サウンド・バリアー(1958)」などが代表作である。
アーノルドの筆は豊富な語彙を自在に駆使しながら彼は斬新で魅力的なスコアを次々と世に送り出していった。
作曲の委嘱も絶え間なく続いたが、多くは映画音楽であった。そうした生活がやがてより純音楽的なものへの欲求を高めていった。

1960年代も旺盛な創作活動を続け、シリアスな面でも傑作が次々と生み出され彼の名声も決定的になった。とはいえ常に平明な作風を貫いたがゆえに、批評家から賛否両論を持って迎えられるという矛盾もアーノルドには付きまとっていた。
なお、この頃から自作のみならず幅広く指揮活動を行うようにもなり、プロムスなどでチャイコフスキーを振ったりしている。また、ロックの帝王ディープ・パープルの協奏曲の初演を支援・指揮したりもしている(1970)。

1970年代は特に前衛的作風が幅を利かせており彼の音楽界での評価は低迷した。しかし、大衆は彼を支持したし、自作を精力的に指揮する姿を前に、批評家達も徐々に彼を正当に評価するようになった。
プライヴェートでは、子供のことで悩まされた時期であったようだ。

1980年代には病気と結婚生活の破綻などで心身ともに苦悩の時期にあり2度までも自殺未遂を犯している。
当然創作活動は低迷し、音楽にも色濃くそれが反映している。

1990年に創作活動から引退した彼は、1993年に「サー」の称号を授与される。

2006年9月23日 85歳を目前に英国ノーフォーク州にて没す。

年齢 事象
1921 0 ロンドン北西部のノーザンプトンにて生まれる
1925 4 作曲開始?
1933 12 ルイ・アームストロングに接しトランペットレッスン開始
1936 15 現存する最古のピアノ小品作曲
1937 16 トランペット奏者としてプロ契約
1937 16 王立音楽校に入学
1941 20 弦楽幻想曲でコベット賞第二位
1941 20 ロンドンフィル入団(良心的兵役拒否)
1941 20 シーラ・ニコルソンと最初の結婚
1942 21 ロンドンフィルのトランペット首席になる
1943 22 最初のヒット「3人の水兵」初演
1944 23 兵役拒否を変え入隊、軍楽隊に属する
1944 23 英国空軍で兄が死亡
1945 24 BBC交響楽団に入団
1945 24 デニスブレインに捧げたホルン協奏曲第1番作曲
1946 25 ロンドンフィルに再入団
1947 26 最初の映画音楽「山岳警備隊」作曲
1948 27 「酔っ払いのベッカス」がベイヌムによって初録音
1948 27 メンデルスゾーン財団の奨学金獲得し、イタリアへ
1948 27 クラリネット協奏曲第1番作曲
1949 28 交響曲第1番作曲
1953 32 交響曲第2番作曲
1955 34 母がなくなる
1957 36 交響曲第3番
1957 36 「戦場に架ける橋」オスカー受賞
1958 37 六番目の幸福の宿作曲
1959 38 ギター協奏曲作曲
1960 39 交響曲第4番作曲
1961 40 交響曲第5番作曲
1965 44 イサベル・グレイと再婚
1965 44 コーンウォール地方に移住
1967 46 交響曲第6番作曲
1970 49 CBEを授与される
1972 51 アイルランドへ移住
1973 52 交響曲第7番作曲
1978 57 交響曲第8番作曲
1982 61 トランペット協奏曲作曲後に作曲を中断
1986 65 ノーフォークへ移住
1986 65 深刻な精神的病
1986 65 交響曲第9番作曲
1991 70 作曲活動から引退
1993 72 爵位を授与される
1996 75 75歳祝賀
2001 80 80歳祝賀
2006 84 英国にて没す

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