「音楽行動研究」掲載論文(1999/8)無断転載厳禁

即興演奏の発達的特徴について

神 原 雅 之

はじめに
1.即興演奏の変容−歴史的概観
2.即興演奏の伝承性
3.即興演奏と言語能力の発達
4.即興演奏スキルに関する実験的研究
おわりに

はじめに

 本研究は、歴史的変遷にみられる即興演奏の特徴およびヒトの成長過程にみられる即興的な音楽能力に関する研究を概観し、その発達的特徴について検討する。
 本論に入る前に、旋律生成における系統発生と個体発生の平行論について触れたいと思う。小山ら(1985)は既報において、クルーゼンによる “幼児の旋律の発展段階にみられる平行現象”について紹介している。この平行論については賛否両論があり、クルーゼン自身も慎重な態度を崩していないが、 彼は既報を総括した上で、人間の初期の歴史と幼児に共通する旋律の発展段階を次のように纏めている(小山ほか、p.183)。

 (イ)確固とした核をもつ滑走旋律としてのラルゲザング
 (ロ)固定した音を伴う二、三音旋律
 (ハ)発展する調的中心を持つ三、四音旋律
 (ニ)五音音階
 (ホ)六音ないし七音に体系化されたモード的な歌
 (ヘ)叫びや呼びかけが慣習化し(ロ)から(ホ)と一致する旋律

 そして「これらの各段階は相次いで生じ、部分的には平行し、または交差するが、 決して逆の順序では現れないという点は一致した見解である」と言う(小山ほか,1995,p.183)。 このように、クルーゼンは旋律の生成に関する平行現象を原則的には排除しない柔軟な態度をとっている。 つまり、この議論の延長線上には「人類学的に定められた音高意識の発達段階が提示されるならば、幼児の音楽教育に重要な示唆を与える」 という可能性を含んでいるからである(前掲書,p.184)。
 それでは、即興演奏における発達過程には同様の平行現象は見られるのだろうか。 本研究ではこの点に焦点を当てながら、既報の概観を通して即興演奏の発達的特徴について検討を加える。

1.即興演奏の変容−歴史的概観−

 まず初めに歴史的な推移の中で即興演奏はどのような変容を辿ったのか概観してみよう。音楽に関する著作の中で“即興演奏”に関する記述に巡り会う機会は稀である。 この背景には、即興は時間的流れの中の瞬時の判断によって生み出されるところの音の連続に特徴付けられ、 それは記譜とは馴染まない保存性の低いものであるという観念があるように思われる。これは即興について記述しようとする著述家の筆を鈍らせる要因となっているように思われる。 そうした中でDobbins,B.(1980)は、古代から現代に至る即興演奏の歴史的概観を試みたユニークな論考を発表している(表1参照)。
 ここではDobbinsの論考を手がかりとしながら若干の考察を加えてみたいと思う。

表1 即興演奏の歴史的概観(Dobbins,1980)−神原要約−

古 代

 複雑な特徴をもつ即興演奏は、古代ギリシャ人と共に西側に始まる。彼らは、自己の娯楽のためあるいは芸術的訓練のために、それを練習した。さしずめ特別の宗教的な祭日は、詩と音楽の両方の即興のための好機であった。しかし残念ながら、この古代の伝統に見られた「特別な技術的知識」は殆ど供されなかった。

中 世

 作曲以前の音楽の中に即興された精巧さの導入は、メリスマ的なグレゴリアン・チャントの発展と共にヨーロッパの伝統の一部となった。そのグレゴリアン・チャントは中世風に和声化(dis canus supra librum)された即興の練習を通して発展されていった。

バロック時代

 即興は17・18世紀のバロック時代そして初期古典派の時代に頂点に達した。全ての教会、宮廷、社会的制度、そして即興演奏の中で栄えた音楽は音楽活動の無くてはならない部分であった。

古典派からロマン派

 古典派の時代では、即興演奏は多くのパートで用いられたけれども、その時代の本質的なフォームの一つとして独奏協奏曲のカデンツァの即時的な考案に限られた。カデンツァの中で、奏者は楽章に書かれたセクションから主題的な素材を自由に発展した。特に、印象的なカデンツアの終わりでまだオーケストラがそれを含んだ場面を演奏し終わる前であっても、聴衆が突然拍手喝采を始めるのも稀ではなかった。それは、おそらく、カデンツァの自由でぐるぐる回る自然さ以上に、ヨーロッパのクラシック音楽の中で、即興の緩やかな衰えを示している。自己に甘く、鈍感な即興演奏家の増えたのは、ピアノ協奏曲第3番ハ短調に始まるカデンツァを詳細に書き、それを強要したベートーベンのせいなのかもしれない。記譜されたカデンツァの標準化は、ヨーロッパのクラシック音楽における即興演奏の実質上の死を意味している。そして、作曲家と演奏家の2つの役割の分離を早めた。

近代から現代

 1960年代の始め、即興演奏への新たな関心は、現代クラシック作曲家の間にみられるようになった。それは自由な無調性、図形楽譜の表示そして種々の方法で音を調節する気まぐれの電気的機械の操作を含む比較的無規律なものであった。しかし、即興演奏の再現は、即時性と西洋音楽との創造的な関係の回復を望む大衆の意志表示のように思われる。リリカルな旋律、慣習的なリズムそして調性的なハーモニーのクラシック作曲家による昨今の再検討もまた同様の方向に向かっているように思われる。

 表1にあるように、長い年月の中で即興演奏のスタイルは大きく変容していった。 古代からバロック時代において(即興は)想像以上に大きな役割を担っていたと推察される。 例えば、13〜16世紀頃の源初的な即興声楽はジメルやオルガヌムに代表されるが、 これらは定旋律に対してある音程の幅を保ちながら対旋律を即興的に歌っていく習慣として伝えられている。 これは対旋律の中で徐々に装飾が施され歌われるディスカントゥスの技法として発展された。 また、アルプス地方に残るヨーデルはフォブルドンとしてこの時代の多声即興を伝承している。 さらにグレゴリア聖歌に代表されるように、複数が同旋律を歌うヘテロフォニーや、相互に歌われるアンティフォニーの技法もこの当時の演奏スタイルを伝えるものである (ブレズゲン,1986)。

 バロック時代では、ポリフォニーが成熟をきわめた。周知の通り、教会オルガン奏者には対位法による即興演奏の能力が求められた。 それは与えられたモチーフに対して対位法を用いて3〜4声の声部を即興的に加えて演奏するものであった。著名なバッハやヘンデルらはこの即興演奏の名手として有名であった。 例えば、バッハの『音楽の捧げもの』はフレデリック卿から与えられた主題を基にしてフーガ的な即興演奏を行ったものと伝えられている。 この様に当時の音楽様式はオルガヌムやヘテロフォニーあるいはポリフォニー及びそれに付された華麗な装飾(variation,figuration)などに特徴付けられる。 即興演奏もこの様式の枠組みの中で試みられた。この時期、楽譜も十分に成熟しているとは言い難かった。例えば、楽譜に書かれた旋律は装飾された旋律で演奏 されることを前提として概略的に骨組みだけが提示されていた(ブレスゲン,p.20)。例えば、バッハは『イギリス組曲第3番ト短調サラバンド』を書いたが、 彼はその後に初版に手を加えて、装飾的可能性を示す一例として詳細に変奏を書き記した。この第2版は当時の即興演奏のスタイルを窺い知る上で貴重なものである。 昨今ではバッハらしさを表現するためにこの第2版が頻繁に取り上げられている。装飾旋律と同様に、室内楽における鍵盤パートも概略的な記譜が記されるに過ぎず、 鍵盤奏者者は通奏低音の楽譜から即座にハーモニーや旋律を即興することが要求された。換言するならば、バロック音楽の心髄を説くためにはインベンション、 フーガ、パッサカリア、シャコンヌ等を自在に発展し、即座に即興演奏する能力が不可欠であると言える。これはバロック音楽の魅力の一つでもある。 しかし今日、かなり塾達した音楽的才能を持つ者でもこの様な演奏能力を備えている者は極めて限られている。それ故にこの時代の作品を完全に複製することはかなり 困難な作業なのである(ブレスゲン, p.112.)。

 数年前に公開された映画『アマデウス』は、古典派時代の音楽生活を窺い知るための好例を提供している。 その一場面では、モーツアルトと彼を取り巻く人々がパーティー会場で即興演奏に親しみ戯れている様子が描かれていた。それはかなり娯楽的色彩の濃いものであった。 このシーンに描かれているように、作曲家と演奏家の区分が不明瞭な時代において、即興演奏の善し悪しは音楽家の資質を推し量る一つの指標であった。 しかし、次第に作曲家と演奏家の分業が明確になると即興演奏の名手は次第に減少していった。その引金となったのはベートーベンと目される。 ベートーベンは『ピアノ協奏曲第3番』のカデンツァを細かく書き下ろし、演奏者にそれを強いた。このように、記譜システムが洗練されるに従って即興演奏の役割は低下し、 徐々にその精神も失われていった。すなわち作曲家によって楽譜に詳細な指示が記されるようになればなるほど、演奏家の即興的な空間は狭められていった。 このことは即興演奏の習慣を衰退させることになった。今日の即興に対するネガティブな評価はこの辺りに一因を見いだすことができそうである。 かくして今日では、バロックあるいは古典派に見られたようなスリリングな即興演奏はすっかり陰をひそめ、唯一音楽学者たちの解釈によって予め準備された様々な版が用いられている。 そして奏者は楽譜に忠実に従う演奏習慣を堅固なものとしている。現代では、むしろポップスやジャズの世界で即興演奏が受け継がれている。クラシカルな音楽では一部の現代音楽で 注目されるようになった。つまり、それは1960年代にアメリカを中心として起こったMMCP(manhattan music cariculum projects)やCM(conprehensive musicianship)などの 音楽教育改革の潮流は、再び我々に即興の意味について考える機会を与えることになった。しかし、それらの試みもなかなか普遍性を得るには至らず、未だ実験の域を脱出するこ とができないでいる。

 言い換えるなら、古い時代において作曲家はそのまま演奏家の役割を担っており、楽譜は概略的な輪郭を記すことで十分に事足りて いた。ゆえに同じ作品も二度と同じように演奏されることはなかった。聴衆は常に新しい作品を聴くことに馴染んでおり、演奏者も意識的に新鮮で驚愕的な演奏に心を傾けたと推 察されるのである。一方で、印刷技術や記譜システムの成熟、そして録音再生技術の進歩によって再演聴取の機会を提供されることとなり聴取スタイルも変容していった。 つまり、完成度の高い感動的な演奏は聴衆が望めばそれに応えられるだけの環境が徐々に整っていった。今日、音楽聴取のスタイルとその機会は格段に拡大しているのである。 即興演奏の衰退はそうした演奏習慣の変化と無縁ではない。

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2.即興演奏の伝承性

 音楽学や音楽人類学の研究報告そして現代音楽の潮流などは、今日的な音楽教育の内容に少なからず影響を及ぼしてきた。 その一つは、“各々の時代、各々の地域の音楽はそれぞれ独自の文化的背景を持っており、その価値は一つの物差しで計ることのできない深い伝統と意味を含んでいる” という考え方に集約されるように思われる。この考え方は、クラシック一辺倒の音楽教育に警鐘を鳴らすものとなった。すなわち、即興はそれぞれに文化的な地域で栄えていたのであり、 今日的に見られる「即興の世間一般の無視は世界的視座からみればむしろ小数派に属している」とみなすことができる(Dobbins,1980)。 彼はその一例として民謡をあげている。民謡は口から口へと歌い継がれる口承性を基礎としているが、それを支えているのは“耳の伝統”である。 わが国の民謡や邦楽そしてわらべ唄などもその一例である。この耳の伝統は、時代、地域、遊びの方法の違いによって、その歌詞や旋律、 スタイルなどは様々なヴァリエーションを持つのである。民謡と同様に、西欧文化に育まれたクラシカルな音楽も、耳によって授けられた耳の伝統の統合を通して発展されてきた。 とりわけ、前述のようにバロック時代の演奏習慣はそれを色濃く残していると言える。 しかし、Dobbinsは「西欧において、耳の伝統は本質的にクラシック音楽との関連で絶えた」と述べる。 その原因は「印刷物からテレビのスクリーンに至るまで、視覚メディアの力に対して、我々の無分別な弱点の明らかな表れであった」とし、 即興演奏の歴史が生活様式の変化に伴う価値観の変容と深い関係のあることを指摘している。

 彼は、アメリカに於ける即興精神の鈍化の傍らで、 アジアの国々にはまだその伝統が息づいているとも述べている。すなわち「ヒンドスターニ語や日本語は、現在でも百年以上も前のオリジナルな古典音楽を正確に再創造す ることができる」のに対し、西欧では「音楽学者たちが今世紀の始めに書かれた音楽の解釈についてでさえ議論している」と言う(Dobbins,1980)。

 確かに我々は、邦楽や民謡の世界において、耳の伝統に支えられた音楽文化を保有している。これらの音楽は、全く正確に同じ方法で二度演じられることは殆ど無い。 そこにみられる繰り返しでの微妙なヴァリエイションは、耳の伝統を手がかりとして、より自然な感じから独自に発展される。しかも、その演奏は土地固有の楽器を随伴し て独特な時間の扱われ方をされ、実に効果的に奏でられる。この伝承的な演奏に見られる特徴についてDobbins は次のように述べている。 「通常、民謡における即興演奏は、 歌のオリジナルな主題の内容に殆ど直接的な影響がみられない。しかし、技術的あるいは理論的な学習よりもむしろ、歌や楽器の演奏にみられる単純なインスピレーション から生み出された抑揚や装飾の仕方に影響がみられる。地理的に異なる地域で演奏された各々は、明らかにリズムや旋律の装飾の聞き取りの違いによって、微妙な解釈の違 いが同じ歌の多くの演奏から聞き取ることができる。多くの民謡の反復的な単純さや自然さは、集団歌唱を通して社会的、文化的な同一性を強化したり、簡素だけれども一 人一人の程度に見合った修養の両方を顧慮している。」(Dobbins,p.39)

 つまり、民謡での即興は、@インスピレーションに導かれた抑揚や装飾、 A反復性や単純性、そして、B個々の能力に応じて演じられる、という特徴を持つ。それは社会的文化的にみても、「自己表現」という基本的な欲求以上の目的をもたない。 それ故に自由な表現が可能となるのである。もう一つの特徴は、音楽(民謡)がそれ単一では存在しえなかったという事実にあるように思われる。例えば、民謡は祭式を成立 させる一部として存在するが、やがて祭式から独立して唄のみが取り上げられるようになった。それは音楽それ自体が美しさや生命力を秘めているからに他ならない。しかし その反面で、唄が祭式と一体化していた状況を無視して扱うことは、音楽の美しさや生命力を感じ取らせてくれる機会を放棄することにも通じる。技術偏重の音楽指導への反 省が叫ばれる我が国の状況の中で、音楽成立のプロセスを(音楽を取り巻く周囲の存在を含めて)総合的に取り扱うことの意味は今日、再認識されようとしている。

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3.即興演奏と言語能力の発達

 言語が技術的・物理的な特性や過程を比喩的に言い表す のに卓越しているように、音楽はムード、情動、肉体的感覚そして意識との直接的なコミュニケーションに優れていると言える。また即興演奏は瞬間的なアイデア、感情 、感覚を直接的に反映して、音楽的イメージを表現する能力と見なされる。例えば、コメディアンが即座に聴衆とやり取りを交わしながら聴衆の心を操り楽しませる卓越 した言語能力を持つように、それと同等の能力として即興演奏を捉えることができる。Dobbinsはこの点に着目して、言語能力の発達過程と即興演奏を関連づけた興味深い 論考を行っている。彼によれば言語能力の発達は概して次のような段階を辿るという。

  1. 孤立した Non-sense-syllable から単語とフレーズを区別する段階
  2. 基本的な語彙は模倣を通して獲得される、そして可能ならば読むという段階
  3. 語彙は会話に適用され、その数が膨らみ広げられる段階
  4. 言語( 言葉)が思考、感情、身体運動といった直感的、無意識的な過程に統合される段階

 ここで重要なのは「4つの段階は相互に依存しており、 この明確な順序が重要なのではない」ということである。例えば、我々が外国旅行をしようとした場合、一般的に読書に必要な多くの語彙を獲得する以前に会話を学ぶ必 要に迫られるが、そこでは場面に応じて既に獲得している語彙の中から最も適当なものが選ばれ使われる。生活における慣例的な会話は、比較的限定された語彙から始め られるし、会話で使用可能となる言葉は“聞く”“話す”という行為に先行されながら、次第に直感的レベルで語彙を駆使する能力が獲得されるのである。“読む”行為 や“書く”行為はその後に親しまれる。音楽的言語の発達もこれと同様の軌跡を辿りながら高められると考えられる。このアイデアを即興演奏に当てて考えてみた時、即 興の発達過程は“聴取”から始められ、聴取の応答として演奏は模倣、反復されながら演じられると考えられる。このシークエンスは重要である。すなわち、楽譜のリテ ラシー(読み書き)能力はある程度進んだ学習段階に位置づけられ、それは聴取による応答に先行されるのである。この読み書きに至るまでの過程で気付かれる点は、聴 取と共に起こされる直感(イメージ)の存在であろう。例えば、シナリオを読んだり、楽譜を手がかりとして演奏する場合、会話の状況がイメージされないときには概し て空虚な表現に陥り易い。同様に、音楽教育の「読み書き」段階のレベルにおいて、イメージを失わないで演奏や会話が演じられることは重要である。

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4.即興演奏スキルに関する実験的研究

 ここでは即興演奏の発達に関する実験的研究を概観してみたい。Kratus( 1991)はこの種の先駆的研究としてMoorhead & Pond(1941-51)の報告をあげている。彼らは2〜6歳児のチャントによる即興や楽器による即興を観察し、音楽経験の 増加と共に即興の中で旋律やリズムを探究する姿を見出した。それは、不均整なリズムパターン、安定した拍、そして単純拍子と複合拍子に特徴付けられたという。そして 、子どもが即興演奏を始めるとき主として音色に注意が向けられること、などを報じている。

 Flohr,J.(1979,1985)は幼児を対象とした2つの実験を行っている(Kratus;1991)。 最初の実験では、オルフ・シロフォンを用いてペンタトニックで即興する4・6・8歳児の行動について調べた。 その結果、年長の即興演奏は年少の即興よりも調的中心により強く向かうことを見出した。 またパターンを即興したり、ムードを伝えるために即興演奏を修正することを報告した。 2番目の研究では、4年間にわたって2〜6歳児がペンタトニック・シロフォンで即興演奏する時の音楽的特徴について調べた。 その結果、幼児が即興演奏を統一するために音楽的パターンを用いることを確認した。一連の研究の結果、Flohrは次のような即興演奏の発達段階を提起している。

  1. 運動エネルギーの段階(2〜4歳)。子どもは自由な等拍の時価や反復音を用いる。
  2. 試験的探索の段階(4〜6歳)。大きな文脈に関わって些細な新しいアイデアを試す。
  3. 形式的特質の段階(6〜8歳)。調性や大きなパターンの反復のような構造的特徴を持つ。

 Reinhardt,D(1990)は、3〜5歳児 105名を対象として、幼児の演じる即興演奏のリズム的特徴について調べた(Kratus,1991)。 実験者はバス・シロフォンで単純なボルドゥンを伴奏しながら、幼児にアルト・シロフォンで全音音階で節を即興演奏するように求めた。その結果、 3歳児よりも5歳児が様々な時価やリズムパターンを多く用いること、そして幼児の多くはとても安定した拍で一定の拍子で伴奏を付けて即興演奏を行ったと報じている。

 以上のように、年齢や経験の増加と共により徐々に秩序付けられた即興演奏に高められることが明らかであった。 このことは、かなり幼い年齢の子どもに対して即興演奏を導入し得る可能性を示唆している。

 Hargreaves(1990)らは、初心者の即興演奏を分析し、3つの方略を見出した(Kratus,1991)。つまり、初心者の即興は@組織的な計画を持たない時間に満ちている、 A厳格なマナーよりもリズムやハーモニーのような一つの音楽的要素が強調される、B即興の流れを変化させながら一つの要素を焦点化する、という特徴を持つ、と述べている。

 Sudnow,D.(1978)は内省的アプローチを用いてジャズ・ピアニストとしての自らの成長を記録に留めている。彼は、彼自身の学習過程を3段階に分類した。 最初の段階では、形式的な方法で演じられるようにパターンの語彙あるいは速力(licks)を高めた。彼が「音を求めるようになる」と呼ぶ第2段階では、 より柔軟にパターンや変奏を用いることを特徴とした。「ジャズに曵かれる」ようになった最終段階で彼の即興はより柔軟で流麗な演奏に高められた、という。 既報の概観を通してKratus(1991)は次のような7つの発達段階を示している。

  1. 探究レベル:生徒は構造のある文脈の中で異なる音や音の組み合せを試みる
  2. 原初的即興の過程のレベル:生徒は、より結合力のあるパターンを作る
  3. 原初的即興を行うレベル:生徒は調性やリズムのような構造的特質について意識するようになる
  4. 流暢な即興:生徒はより自動的で柔軟な方法で楽器や声を巧みに操るようになる
  5. 構造的な即興:生徒は、即興の全体的な構造について目覚め、 即興の輪郭を形作るために音楽的あるいは非音楽的な方略を発展する
  6. 様式的な即興:生徒は、与えられた様式の中で、その旋律や和声、 リズムの特徴を活かして、能力を発揮して即興する
  7. パーソナルな即興:音楽家は新たなスタイルを発展するために、認識された即興スタイルの範囲を超えることができる

 ここに示された即興演奏スキルの段階は、誰もが辿るであろう発達の方向を示している。これは即興演奏導入の手がかり、あるいは各々の段階における評価の 指標になるだろう。

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おわりに

 歴史的な概観に見られる即興演奏の変容(系統発生)は、即興能力の発達(個体発生)とかなり似かよった軌跡を描いているように思われる。 例えば、幼い年齢の時期(2〜4歳)にみられる即興では、Flohrの研究に示されたように自由な等拍リズムや反復音などに特徴づけられるが、 それは自由リズムを基調とする古代およびルネサンス以前の音楽様式を想起させる。また至近なところでは、多声部の旋律を歌おうとしたとき、 初心者の多くは主旋律に引き寄せられ、ついにはユニゾンと化してしまう経験を持つものは多い。これは初期のホモフォニー音楽を連想することができないだろうか。 同様に、4〜6歳頃に見られる「大きな文脈に向かって些細な新しいアイデアを試す」時期は、バロック時代の旋律的装飾や変奏などをイメージさせるし、 さらに年少児に比べて6〜8歳児が「調性や大きなパターンの反復のような構造的特徴を持つ」のは、古典派に成熟した調性音楽の出現を想起させるのである。 このように即興演奏の発達を概略的にみたとき、ここには平行現象を窺うことができるように思われる。しかし、この平行論の中には演奏技能の獲得のような身体的成熟に由来するもの、 あるいは理解や推理といった精神的機能に由来するものも含まれていると考えられる。その意味では現時点において平行現象を同定するのは未だ資料が十分とは言えない。

 ともあれ、ここでみた即興演奏の特徴の中には、音楽教育実践のための重要な示唆が含まれている。例えば、即興の持つ口承性や聴唱性に着目することや、 日常的な行為の中に即興のための素材を見いだすことは有効な視点となるだろう。つまり、何気ない身振りが他者との意思の疎通を促す重要な役割を担っているように 、即興的に行われるボディ・ムーブメントや音によるサインは、音楽表現以前に生起する学習者の感情や意思を明示している。その意味からも即興演奏の導入において即興者 (学習者)の意思(つまり音楽を用いて第三者に何を訴えたいのか)を明確にするように促すことは殊更に重要になるように思われる。

文献

  • ブレズゲン,C.,小沢和子訳 1986 即興演奏の方法 シンフォニア pp.98-122.
  • Dobbins,B. 1980 Improvisation: An Essential Element of Musical Proficiency,MEJ,MENC,Vol.66-5,pp.36-41
  • 小山育之進ほか 1985 西ドイツの就学前教育C 季刊音楽教育研究、44、pp.177-184.
  • Kratus,J. 1991 Growing with Improvisation, MEJ(Dec.),pp.35-40.
  • Peter Shaffer(原作・脚本),PETER SHAFFER'S AMADEUS、Milos Forman(監督),ZaulZaentz(製作)
  • Sudnow,D.,徳丸吉彦ほか共訳 1993 鍵盤を駆ける手 新曜社
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