フォルツーナの日記帳 その42


メトの『ドン・ジョヴァンニ』


 

                       フォルツーナ


メトロポリタン歌劇場日本公演、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』を聴きました。

2006年6月17日(土)/東京文化会館
演出 :マルト・ケラー
指揮 :アンドリュー・デイヴィス
出演
[ドン・ジョヴァンニ] アーウィン・シュロット
[ドン・オッタヴィオ] マシュー・ポレンザーニ 
[ドンナ・エルヴィーラ]メラニー・ディーナー
[レポレッロ]     ルネ・パーペ
[ドンナ・アンナ]   アンナ・ネトレプコ
[ツェルリーナ]    マグダレーナ・コジェナー
[マゼット]      ジョナサン・レマル
 メトロポリタン歌劇場管弦楽団、合唱団  他

このところ、ヨーロッパの個性の強い演出家による小さな劇場で上演される作品を聴く機会が多く、「演出の趣旨は? 予習しなければ・・・」などとつい構えてしまいますが、今回のドン・ジョヴァンニは、全く異なった姿で私の前に現われました。

3000人を収容するというニューヨークのメトロポリタン歌劇場、ここで上演されるオペラの大きな特徴は、総てのスケールが大きいことと、演出が具体的で解りやすいこと、の2つではないかと思いました。 しかも、どれも水準が極めて高いのが嬉しい。

今回の東京公演は、今が一番の旬な歌手達が勢揃いした豪華なものです。
とりわけ、オペラ界期待の新人A・ネトレプコの人気はたいしたもの、東京文化会館は補助席も出ての大入り満員となりました。

御大レヴァインが肩の怪我のために来日できなくなり、指揮はデイヴィスに代わりましたが、オーケストラは、歌い手に程よく寄り添い一体となった演奏で、重厚な響きと共に素晴らしいものでした。

先ずは序曲、陰陰滅滅とした感じはなく、パワーがあり、爽快なテンポ感が快い演奏で、すんなりと「ドン・ジョヴァンニ」の世界に入り込むことが出来ました。

舞台装置は、絢爛豪華なものを想像しましたが、石の壁を思わせる複数の大きなパネルが移動して中庭になったり、シャンデリア輝く大広間になったり、また墓地にもなるという、まことにすっきりしたもの、照明が暗かったのは残念ですが、落ち着いたベージュが印象的な、センスの良いデザインでした。

時代設定は、衣装やクラシックカーの様子から20世紀前半でしょうか、場所は、マゼットのカウボーイ風が、いかにも西部からやって来たという感じで、これはアメリカでしょう。

歌い手達は、それぞれ自分のスタイルを崩さないで歌っているようでした。
演出家のコンセンプトを基にアンサンブルを重視したヨーロッパの舞台とはだいぶ様子が違います。
中央に狂言回し役のレポレロがいて、あまり派手な演技をしない古風なスタイルのエルヴィラとオッタヴィオ、反対側に感情を激しく表現するアンナとツェルリーナが居て、自分のスタイルがはっきりしない新参者のドン・ジョヴァンニとマゼットが番外で彷徨っていると言う感じです。

★レポレロ・・・パーペ
芸達者なベテランが舞台を引き締めていました。
しかし、お腹の突き出したオジサンではなく、フットワークもよく実にかっこよいレポレロ。下男というより面倒見の良い兄貴分と言う感じで、滑稽味も充分、あまり出過ぎず、はしゃぎすぎず、しかも生き生きと演じていました。
★D・エルヴィラ・・・ディーナー
大柄で、地味ではあるが存在感のある実力派、歌い方に品格があり、気位の高い貴族の女をよく表現していました。 その姿勢を終始崩さなかったのが素晴らしいと思いました。
★D・オッタヴィオ・・・ポレンザーニ 
リリックテナーの様式をきっちりと守って、生真面目で融通の利かない貴族の青年を好演していました。
広い会場に朗々と響き渡るテノールの美声、聞き惚れました。

この2人の“格調の高い歌唱”が今回の一番のお気に入りです。

★ツェルリーナ・・・コジェナー
可愛い村娘が手篭めにされると言うより、実力派のキャリアウーマンが上役を口説いているという雰囲気でした。
よく通る強い声が、活動的で少しふてぶてしい女の子をよく表現していました。
お馴染みの「お手をどうぞ」、「ぶってよマゼット」のシーンで見せてくれた、リアリティー溢れる演技は、投げ捨てられた赤いハイヒールと共に忘れられません。
★D・アンナ・・・・ネトレプコ
華奢で美しい身体、思い切りの良い演技、硬めではあるが芯のある輝かしい声、その、豊かさといい、伸びといい、まさに今花開いた大輪の花という感じです。
昨年のザルツブルク音楽祭では、何十万円ものプレミア・チケットが場外で取引されたとの噂ですが、彼の地でのファンの熱狂も納得できます。
これは全く個人的な感想ですが、私は、今回彼女が演じたヴェズリモ調のモーツァルトを、あまり好きになれません。
★D・ジョヴァンニ・・・シュロット
輪郭のはっきりしない役造りに失望しました。
歌にしても演技にしても、強烈な魅力を撒き散らすD・ジョヴァンニの貴族としての気品とか、別世界の人間の不気味さとかを表現しようという意欲はないのでしょうか?
大柄のラテンなお兄さんがふらっと現われて歌っているという感じで、まったく印象が薄い。
はっきり言ってブー!です。


「オペラでは音楽が完全に支配していて、そのために総てを忘れさせる・・・」とモーツァルトも手紙に書いていますが、見事としか言いようのない声の饗宴は、総てを忘れさせてくれます。

反面、スター歌手勢ぞろいのガラコンサート風の公演で、舞台全体から発せられるオペラに独特のオーラのようなものが少なかったのが残念です。
これを突き詰めてゆくと、背景にあるアメリカ人の好み、アメリカ文化とはと言うような問題に行き当たってしまいますが、それはさておき、この作品をどう解釈し何を表現したいかという造り手の想いをもう少し明瞭に打ち出したほうが、心に響く何かが残るのではないかと思いました。



いささか、我侭勝手な感想を並べましたが、今回のメトロポリタン歌劇場日本公演で、私は、モーツァルトを存分に楽しみました。
そして、オペラの持つ内容の多彩さ、奥の深さは測り知れないものであることを改めて実感し、自分の知識がいかに浅く、自分の感性がいかに曖昧なものかをも思い知らされました。

こうして、“だからオペラはやめられない”とばかり、益々深みに分け入って行くのかもしれません。                              

2006*7*29




      



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