「モーツアルテイアン449の独り言」


新緑の房総鋸山の展望

−房総半島にも、世界一、日本一がありました−

新緑の房総鋸山の展望

−房総半島にも、世界一、日本一がありました−



      1、はじめに

 ゴールデンウイークを利用して、新緑を見たいと言うことになり、家内と二人で久しぶりで房総鋸山へ出かけてみた。うろ覚えの情報であったが、確か連休中に房総の高速道路の開通延伸があると言うことも頭にあった。市原のパーキングエリアで聞いたところ、今日の午後3時から一般開通で、開通区間は僅か一区間(木更津〜君津)であるという。帰りには乗れるかもしれないという情報であった。木更津南インターから鋸山のある金谷までは、うねうねとした国道127号を南下する。海が少し見えるようになるまでは渋滞ののろのろ運転であった。


2、ロープウエイ駅にて、

 有料道路専用の山頂駐車場から10分ほど登ると、ロープウエイの山頂駅であり、そこで東京湾の素晴らしい展望が出来た。金谷港を越えて東京方向や、館山・三浦半島を経て伊豆七島方向を東京湾越しに臨めるはずであったが、生憎の春霞のためか遠くが霞んで展望それほどきかず残念であった。




 駅の食堂で昼食を取り、天気がよいので、有名な石像巡りをして帰ろうと言うことになった。駅の資料によると、鋸山の石材は江戸時代から著名であり、眼下の金谷港から船で東京へと運ばれ、明治時代に建築された銀行・大学・駅などの建築材料として重宝されたという。シシリー島の紀元前のギリシャ神殿の遺跡を見たときに、直ぐ側に巨大な石切場があったことを思いだし、日本では石造りの建物は、石材の調達が出来ないので、どだい無理だと考えていた。しかし、コンクリートが一般化するまでは、やむを得なかったのであろう。





3、山頂展望台にて、

 鋸山の山頂は、標高329メートルであるという。展望台へ向かう途中に百尺観音という大観音石像があった。これは石材を切り出した後の険しい垂直な崖の跡に、石像を彫ったもので、昭和41年に6年を費やして完成したものであるという。発願の趣旨は、一つには世界戦争戦死病没受難者供養のため、また一つには近年激増する東京湾周辺の航海・航空・陸上交通犠牲者供養のためとされる。




 山頂の展望は霞がかかって今ひとつであったが、何処を見ても新緑が美しく房総全体を見通すことが出来た。今日開通する館山自動車道を向かえる館山有料道路が眼下に見えた。 山頂の地獄のぞきという崖の出っ張りも、標高の割には急峻な感じがした。


4、千五百羅漢、

 展望台から大仏広場に向かう途中の山道に、千五百羅漢という1500体の石仏が飾られており、今回初めてこのお地蔵さまを拝顔した。鋸山には今から1300年前に開かれた日本寺という関東最古の勅願所があり、徳川家光の時代に曹洞禅宗となり、江戸時代の最盛期にこの千五百羅漢彫刻の大工事が行われたという。




 中国には懐安大中寺の八百羅漢が著名であるが、鋸山はこれを凌ぐ世界第一の羅漢霊場として遠く海外にも知られているという。これら真心を込めて彫刻された千態万状の尊像は、すべて久遠の滋容を湛える名作であり、貴重な文化財として現在復興中のようである。


5、日本一の大仏さま、

 日本最大の大仏さまは、生憎工事中であった。この大仏さまは、「薬師瑠璃光如来」と称され、宇宙全体が蓮華蔵世界たる浄土であることを現したもので、世界平和、万世太平の大象徴として建立されたという。天明三年(1783)に千五百羅漢を刻んだ大野甚五郎英令が門弟27人と三カ年を費やして完成され、その後自然の風食に耐えてきたが、昭和44年に四カ年にわたる復元工事によって現在の姿に再現されたものである。




   この霊山を管理している日本寺も、改装中であり中には入れなかった。参禅道場の入り口にあった源頼朝お手植えの大蘇鉄が見事な樹形をしていたが、お手植えかどうかは眉唾であろう。私は出身地が札幌であるので、100年を越えるものを見ると、昔からその歴史の重みに圧倒されてしまうのであるが、こんな近くに世界一、日本一のものがあるとは思っていなかった。連休中の一日を新緑の霊山で過ごし、新たな知見を得ることが出来嬉しかった。


6、終わりに、

 4時頃の上りの127号国道は、のろのろ運転の状態であったが、木更津南インターに近ずくにつれ流れが良くなり、本日開通の君津インターでは、がら空きの状態であった。開通直後の高速道路に乗ったのは初めての体験であり、路面に描かれた白線が真っ白であり、路面の状態も完璧で快適な気分であった。


(以上)(2003/05/07)



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