2003年12月14日(日)第222回フェライン例会報告、


−−「レクイエムとその周辺」−−講師;牧野成史(横浜モーツアルトアカデミー主宰)、

2003年12月14日(日)第222回フェライン例会報告、

「レクイエムとその周辺」講師;牧野成史(横浜モーツアルトアカデミー主宰)、



 フェラインの例会メンバーに加えて、横浜・所沢の合唱団メンバーも加わった40人を超える盛況の中で、牧野先生のお話を聞いた。テーマは「レクイエムとその周辺」と言うことであったが、先生が声楽家・指揮者としてこれまで進んでこられた実践的・体験的なことが多く、熱心さのあまり時間不足になりがちで、用意されたテープやCDも端折って聴く有り様であった。当日はテープレコーダーが故障したため、本稿はメモ による先生のお話の概要となった。サブタイトルは、メモ作成者の方で勝手ながらつけさせて頂いた。

1、初めの頃の「レクイエム」、

 先生が若い頃に聴いた「レクイエム」は、ベームのレコードとかワルターのもの で、それは重い・暗い・長い曲であると思っていたが、しかし、今では決してそうで はないと思っているという話で始まった。牧野先生は、24歳の若さでザルツブルグの 大聖堂の合唱団に入られた。始めに第一曲目として、当時の指揮者アントン・ダ ヴィードヴィチ先生の演奏(1985年8月4日)で「イントロトウス・キリエ」を聴い た。ベームと同じ世代の先生で、このレクイエムは重くて暗い響きを持っていたが、 先生はこの指揮者の影響で、1989年に指揮者になろうと決心なさったという。 次いで第二曲目で、ヒンライナー先生の指揮で「デイーエス・イーレ」「トウーバ ・ミリウム」を聴く。1984年5月20日のカメラータ・アカデミカによる演奏で、先生 が始めてテノールのソロを歌ったものである。旅行先の地方公演であり、ソリストが病気で運良く機会が訪れた様である。元気な若さ溢れる声が聞こえ、今思えば何も分からない ままに夢中で歌ったとおっしゃる。前日このカメラータを振った口の重い故シャンド ル・ヴェーグに良くやったと褒められたそうである。


  2、ジェスマイヤー版について、

 「レクイエム」は ジェスマイヤーが補作した版で、200年も演奏され続けてきてお り、恐らく宗教曲で一番多く演奏された曲であろう。最近、いろいろな改訂版が取り 上げられているが、先生のお考えでは、どれもジェスマイヤー版を越えるものはな く、音として捉えるときジェスマイヤーの版が悪いとするのは行き過ぎであろう。 モーツアルトはスヴィーテン男爵の影響もあって、この曲ではバロックの様式に戻っ て作曲しており、全体の骨組みが概成しているので、「ティト」などでジェスマイ ヤーが手伝ったように、当時の時代性をわきまえ、先生の意向を良く知っていた弟子 達なら、先生に近い仕事が出来た筈であると考えられる。
<BR>  そのため、「レクイエム」は、一緒にいる機会が多かったジェスマイヤーなら補作 しやすかった筈である。しかし、「ドン」や「魔笛」のような当時として新しいスタ イルの音楽では、こうはいかなかった筈である。モーツアルトの当時の骨組みは、時 代性を考えると弟子達にしか理解できなかったことが多いので、現代の人が補作しよ うとしても、モーツアルトの時代には戻れないので、同世代の人でなければ先生の意 向に添った補作は出来ないと先生は考えておられる。
 ここで、三曲目として、牧野先生がテノールを歌いダヴィードヴィチ先生が指揮し た1985年7月の「レクイエム」で、「ラクリモーサ」「ドミネ イエズ」「ホステイ アス」を聴く。深い響きのする演奏であった。


3、「レクイエム」の演奏について、

「レクイエム」を何回歌ったか、40回までは数えたがその後は数えていない。しか し、演奏するたびに、演奏の仕方がありすぎて、どう演奏すべきか分からなくなる。 演奏者にこの前の演奏と違いますと指摘されることもある。20年前はベームの演奏ス タイルがスタンダードと思われていたが、演奏は年代とともに変わるものである。 ちょうど車に流行があって古いものに戻れないように、音楽も変わるものであり、時 代とともに生きていると言える。
 ここで、四曲目として牧野先生がテノールを歌い、三人目の指揮者であるツィフ ラ先生の指揮した1989年11月の「レクイエム」より「ベネデイクトス」を聴く。

 その意味では、ザルツブルグもカラヤンのいた時代とすっかり変わっている。改め て音楽は生き物であり、その時代、その時々の人により考えられ、それをいかに外に 伝えるかが工夫され、大きな流れを作るように、絶えず変化してきている。芸術は、 創作活動とは、およそ同じようなものではないだろうか。


4、同時代の音楽に理解を、

ここでミヒャエル・ハイドンの「ミサ ヒエロニミ」を聴く。モーツアルトは、兄 ヨーゼフ・ハイドンからも弟のミヒャエルからも影響を受け、成長するにつれてこの 二人に強い影響を与えてきた。合唱団でも最近はシリーズで、ハイドンの作品を取り 上げている。モーツアルトの作品を理解するには、時代・時代を一緒に過ごし勉強してきた人々の作品を聴かないと、知ったことにはならない。音楽は恋愛と同じで、音楽に触 れて貰わないと理解することが出来ないからだ。モーツアルトが好きな人は、もっ と二人のハイドンの音楽を知らないと、またベートヴェンを理解するには、もっとハ イドンとモーツアルトを知らなければならない。


5、指揮法を学ぶ、

 休憩後、お話しは次第に熱を帯びてくる。指揮者には大別して、点ないしフレーズ で捉えていく指揮者と、細部よりも全体を捉えていく指揮者とに分かれそうだ。初め のダヴィードヴィチ先生は後者で、途中で細かなところでぐしゃぐしゃになることが あるが、絶えず全体を捉えており、終わってみれば凄く良いというタイプの指揮者で あった。指揮者には立っただけで雰囲気の出る人がおり、名指揮者と言われる人は皆 そうであるが、最近は少なくなった。一方、ヒンライナー先生は、細かなところにこ だわる頑固な先生だった。細部が良くても全体的につまらない印象を与えては意味が ないと思う。

 指揮者にはやはり適性がないと駄目である。それは良くしゃべって相手を説得出来 ること。体で表現できること。それなりの雰囲気を持たねば、甘く見られて皆がつい てこない。お二人の先生では、ダヴィードヴィチ先生の方が理想のタイプである。指 揮者は雰囲気を持たねば駄目だ。この音楽の理想はこうだ。私はそれを感じることが 出来る。こうしてついてきて欲しい。指揮者は大きくつかみ、出来れば何もしない で、流れに任せることも大事である。


6、何故指揮者になったか。

 ザルツブルグの大聖堂で学んだことを、日本に戻って実践する場合に、声楽一本で 日本で分かってもらえるかと言うことを真剣に考えた。周りには指揮を教わる良い先 生方がおられたのも良かった。日本では、団体を作って、自分のやって来たことを実 践し、広めていきたいと考えた。横浜と所沢のアカデミーがそれであるが、横浜は土 地柄からネーミングは横浜モーツアルト・アカデミーとならざるを得ないし、所沢は バッハ・アカデミーの名がふさわしい。最近ではアカデミー・オーケストラが外部か ら演奏依頼されるようにまでなって、嬉しく思っている。  ここで、バッハ・アカデミー管弦楽団の「キリエ」ニ短調を聴く。この曲は二管編 成の大オーケストラの曲で、なかなか重量感のある演奏をしていた。


7、外国で学んで、

 日本で音楽の基礎を勉強し、外国で自分のオリジナリテイを身につける勉強をし て、日本で実践できる、日本人である利点を生かせる良い時代になってきた。外国の 先生が日本に来て、教える時代は終わり、音楽は外国だけで学ぶという時代も終わっ てきた。日本人であっても、われわれのオリジナリテイを持てる時代になってきた。 ドイツの劇場で仕事をしていたとき、シューベルトの「水車小屋」について ドイツ人の歌手仲間から、「この高尚な詩の意味は外国人には絶対分からないから、 歌っても駄目だ」と言われたことがある。あきれてものも言えなかったが、文化とはそんなものではない。何も勉強しないネイテイブよりも、勉強を良くし、意欲に燃えた熱心な外国人の方が、高みに立つことが多い。

 われわれの合唱団が、ザルツブルグの大聖堂で歌っても、高く評価されるように なってきた。外国人だからと排斥するのでなく、感性を互いに共有できる立場にまで なれば、何処でも評価されるようになる。文化とはそういうものである。

 ここで、同じオーケストラの「魔笛」の序曲を聴いた。とてもメリハリのある明る い演奏に聞こえた。先生のお話では、古典の名曲は演奏がしずらいという。それは決 められたテンポの中で、融通し合う部分があり、その兼ね合いが難しいし、遊びを上 手く処理する必要があるからであるという。これらのことは、実例を弾いてもう少し 砕いてお話しを聞かなければ、素人には難しそうな話である。


8、良い演奏が直ぐ側にあることに、気が付いて欲しい。

 ここで未完のオペラ「ツァイーデ」から第三曲ツァイーデのアリアをソプラノの シャルロッテ・ピストアのソロで東京アカデミカ・シンフォニカの演奏で聴いた。彼 女はアメリカ人であるが、ザルツの大聖堂のソリストで、美しい声でアリアを歌って いた。来年2月14日所沢の市民文化センターで行われるハイドンの「天地創造」での ソリストの予定である。次に、ヨーゼフ・ハイドンのネルソンミサより「グロリ ア」の一部を聴いた。牧野先生の指揮、所沢バッハアカデミーの演奏である。ハイド ンのミサ曲をこれだけの水準で演奏できる合唱団は、世界に余りないそうである。先 生だから言える凄い言葉である。

 最後に、今年の10月3日の定期で演奏された交響曲ハ長調「ジュピター」のフィ ナーレ楽章をバッハアカデミー管弦楽団の演奏で聴いた。編成は最小の編成であった が、テンポが良く、クリアな音色を見せていた。宗教曲から出発して、先生もオーケ ストラの皆さんも、新しいジャンルでの評価が得られる時期に来ていると思われる。  若わかしさのある新鮮なモーツアルトが、直ぐそばで聴ける様に、先生も合唱団も オーケストラも一生懸命に頑張っているので、本日の結論として、是非、横浜や所沢 のコンサートに来て頂きたいと言うことであった。


 最後に、幾つかの質問に答えられた。

 キリスト教のミサ曲など一神教の宗教音楽を、異教徒の多い多神教の日本で続ける 意義は?ということについては、本来は教会で演奏するのが正しいであろう。しか し、私はザルツブルグの大聖堂でモーツアルトの音楽の教育を受けてきた。宗教の行 事のことを教わった訳でない。良い演奏をすることが重要であると考えている。モー ツアルトの音楽は、オペラから、器楽曲から、宗教曲まで、ファジーなところがあ り、宗教曲をやっていたり、歌手をやっていると、他のジャンルの曲が良く見えてく る。モーツアルトだからやりたいと言うのが本音である。

 ミサ曲を、実用音楽としてミサの式典で演奏したり、教会で演奏したり、コンサー トホールで演奏したりするが、指揮者としてどう対処するのかという問に関しては、 どのような場でも、演奏会と一緒で同じテンションで演奏するだけで、ミサだからど うこうということはないと言うことであった。

(以上)(04/01/10、文責 倉島 収)



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