Leipzig


カトリック教徒の夢がローマ法王、イスラム教徒がメッカ巡礼ならば 僕の全ての目標、動機はここ、ライプツィヒでした。
伝記を読むと 決してバッハには良い思い出になる街ではなかったようですが、後世の我々には無数の傑作、中でもマタイ受難曲という名作を生み出した土地でもあります。 この街でバッハは65年の生涯を終えました。

1989年の東独革命はベルリンの壁の崩壊のみが有名ですが、発端はここで「俺達だって人間だ!」 「暴力をやめろ!」と、立ち上がった民衆のデモに始まった事です。 最後にはモスクワからまで見放されたホーネッカー政権の当時としては かなり勇気のある抗議行動だったはずです。 そのせいか、ライプツィヒの人達は自分達の故郷を「Helden Stadt」(英雄の街)と呼んで誇りに思っています。

旧市庁舎

シンメトリックな旧市庁舎の建物。その向こうには名門ライプツィヒ大学の高層ビルが見えます。

この大学も東独時代はカール=マルクス大学と名乗らされていました。

バッハの墓

聖トマス教会内のバッハの墓。 ここに来るために全ては始まった。

聖トマス教会内部

バッハの墓の向こう側にある祭壇

ステンドグラス

教会ではオルガン演奏がされていて、

僕は会衆の席に座り二時間ほど聴いていました。

バッハ像

教会の外にあるバッハ像。

民宿近くの廃墟

市街地の改修工事は急ピッチで進んでいました。

まるでDDRを葬り去っているように。

一方ではこうして荒れ放題の建物も放置されています。

ゲヴァントハウス

ライプツィヒのゲヴァントハウス。

よりによって、嫌いな指揮者だったので行きませんでした。

ここから徒歩数分のSternwartenstrasseという

ロマンティックな名前の通りに 民宿を取りました。

ライプツィヒ中央駅

大阪の阪急梅田駅のように行き止まりのライプツィヒ中央駅。

大掛かりに改修され、今では近代的な建物に生まれ変わったのだそうです。

注意:
バッハの墓をはじめとして、教会内部で写真を撮るのは意外にも許可されている事が多いのは事実です。 しかし、ルールは守りましょう。「フラッシュ撮影禁止」とイラストで書いてあるのに光らせているのは 残念な事にほとんどが日本人でした。

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