◆牧 伸二


昭和32 牧野周一に入門。牧伸二の芸名を貰う。
昭和35 文化枚送「ウクレレ週刊誌」のレギュラー司会者となり「やんなっちゃったぶし」が爆発的な人気を呼ぶ。
昭和38 テレビ朝日「大正テレビ寄席」レギュラー司会者となり、 大好評を得スターダムにのる。長寿番組となり、その後15年間放送は続く。
昭和40 第2回日本放送作家協会賞「大衆芸能賞」を受賞。
昭和44 テレビ東京「マキシンのさあ、お立ち合い」レギュラー。
昭和45 KBCアレビ「マキシンの東芝ハレハレ555」』レギュラー。
昭和47 テレビ東京「紅白ちびっこ、のど自慢」レギュラー・文化放送「歌謡大行進」レギュラー 。
昭和48 日劇「牧伸二ショー」を好演。l0年間好評で続いた
昭和53 NTV「やじ馬寄席」レギュラー 。
昭和60 NTV「お笑いスター誕生」レギュラー 。
昭和61 NHK銀河テレビ小説「タケシくん、はい」。

1998/04月現在の公表履歴より転載

参考リンク:

「芸能タレントの公演依頼を受け付けているサイト」
  http://www.japan-net.or.jp/~y-boc/pro0402.html#makisin

「マキシン・ホームページ」
  http://www.jap.co.jp/makishin/index.html


あんた、誰?(牧伸二さんから思うこと)

僕が、まだ生まれる前から、ウクレレを弾いていた、牧伸二さん。
遠い、遠い過去の、おぼろげな記憶にかすかに残る「やんなっちゃったぶし」。
牧さんのプロフィールを見るまで、この歌のタイトルさえ知らなかった

「やんなっちゃったぶし」は、ハワアン・トラディショナル・ミュージック
「TA-HU-WA-HU-WAI (HAWAIIAN WAR CHANT)」
(タ・フ・ワ・フ・ワイ)というハワイの「悲恋物語」を勘違いしたアメリカ人が明るいリズムで「戦いの歌」として紹介したメロディーにのせた替え歌で、
「あ〜あっあ、やんなちゃった、あ〜んが、あんが、あんが、驚いた!」
という、今や、懐かしい節回しと共に、時節や当時の事件などを織り込んだ小咄や駄洒落で人々を楽しませた漫談です。
(当時、日本全国で知らない人がいないぐらい一世を風靡した、・・・らしい。)

 そして、この漫談に使われた楽器の「ウクレレ」こそが、ウクレレを楽器としての品格を下げたと評する人もいます。しかし、考えてみれば、ギターで漫談を演じても楽器としてのギターの品格を問う人はいません。「エレキ・ギター=不良」と目くじらを立てるPTAだけは未だにいますが、「トニー・谷」が「あなたのお名前なんて〜の?」と使った<そろばん>など、昔は商人の魂とまでいわれ、一般庶民にとっても、昭和40年代まで何処にでもあった「そろばん塾」全盛の時代から、安価な電卓の出現と共に表面化されることもなくなり、今や「そろばん」自体を見たこともない人たちが増えてきています。それでも、そろばんは、今も立派に文化として生きています。 ウクレレだけが 例外では無いはずなのですが。

 ウクレレは、1960年代初頭に「オータサン」が音楽ジャンルを選ばない「ウクレレ・ソロ」として登場するまで、ハワイの民族楽器で、しかも、本場ハワイでさえも伴奏用楽器としてしか用いられていなかったようです。ウクレレを愛してやまないオータサンは、「伴奏楽器としてだけではなく、ソロ楽器としても充分通用するという認識を高めたかった」とあるインタビュー記事で語っています。

 上記、牧伸二さん年代資料の「やんなちゃった節」爆発的人気が、昭和35年とありますが、1960年のこと。当時の日本国内におけるハワイアン・ブーム?においては、形や大きさ、扱い安さ、弾き易さから、誠に親しみやす過ぎた楽器なのでしょうか?。
 それとも、当時ハワイといえば、「遠い、憧れの地」。庶民にとっては、クイズ番組「ロート製薬・アップダウン・クイズ」に10問正解した人だけが行ける「南国の楽園」でした。そのHAWAIIの気分だけでも手に入れる、手頃な代償品だったかもしれません。

 当然、本物のウクレレが簡単に買える時代ではなかったでしょうし、そのころは、やむを得ず、楽器メーカーの他、同じ木材を扱う業種として、家具屋、仏壇屋までもがウクレレを製造していたらしく。彼らはまた、フォークソング・ブームの時にはギターまで製造していたと聞いています。このような粗悪な、楽器とはいえない「玩具?ウクレレ」が濫造された時代があったことも、ウクレレに対する(低い、あるいは偏った)認識の源になっているのかもしれません。

 また、ハワイアン楽器である、スチール・ギターやウクレレを使った、和製ハワイアンバンドが、ハワイアン・ミュージック以外の曲、「誰よりも君を愛す」などの、いわゆる「ムード歌謡」なる曲が国内ヒットを出していた頃でもあり、年輩ウクレレリストのレパートリーは、ハワイアンか、ムード歌謡の場合が(圧倒的に)多く、懐メロよろしく、ウクレレを過去の流行物(ハヤリモノ)的な感覚で見る人もいる。ミニスカートや、パンタロン、などのように、第何次ウクレレ(ハワイアン)ブームなどとして扱われがちである。

 1998年現在、今の40〜50歳代の人たちで、英才教育のバイオリンやピアノを除いて、一般的に学校の音楽授業以外で最初に手にした楽器は、たとえ、遊園地で中に御菓子が入っているような玩具であったとしても、「ウクレレ」である人たちが多いのではないでしょうか。小林旭の映画「ギターを持った渡り鳥」に憧れて、ギターの代わりに買ってもらった「ウクレレ」を背負って遊んでいたという、ある有名俳優(美木良介氏)のインタビュー記事なども記憶しています。 その当時は、御菓子の入った「カメラ」も人気があったようだ。僕のこどもの頃の写真アルバムにはおもちゃのカメラでポーズを取って、「パチリ!」と母のコメントが入っている。

 数年前の某 TV局のテーマ曲「まーめ、まめ、まめ」も軽い扱いに感じました。あかるい、と、かるいでは、全然違うと思うのですが、日本人特有の下卑た、特に大衆に媚びた垂れ流し消費文化だけが目立ってしまう我が国では、致し方無いのかと思うのでありますが、どの世代でも心ある人は必ずいると信じています。


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