よきし屋敷
         ようこそ「よきし屋敷」へ。

 

 

よきし新刊情報
 
  

ペルー音楽
中南米音楽

ペルー料理

ペルーの写真

所有音源
(2007/06/10)

ラテンアメリカ探訪
はる

掲示板
リンク
プロフィール

 

別館

神社仏閣を巡る

民音之会徒然
大民

ペーニャ・ハラナ

バンダ・ミ・レイナ

ラテンアメリカ探訪

ヌエバ・カンシオンを振り返って

 

  今日はちょうどニュースで、ベネズエラのチャベス大統領が信任投票に勝利とのニュースがありました。私は興奮しましたよ!!なんせ、このチャベス大統領は、2002年にCIAの画策による軍部クーデターを乗り切って、左翼系、農地を解放して、貧民たちに土地を!!金持ち階層の富の独占を解体する!!をスローガンに
反米路線でこの南米でがんばっている政権だったからです。
そのため、CIAはクーデター失敗したのち、ベネズエラの石油会社などと組んで大規模ストライキを起こし、大統領を罷免するための国民投票を求めて活動しましたが、今回ついにそれも失敗したのです。
  アメリカが次にどのような手にでるのか、わかりませんが、ひとまずチャベスと貧民達の流れが、アメリカ主導のグローバルな流れを押し戻せたことに歓喜です。

  ヌエバ・カンシオン。新しい歌と日本では呼ばれて親しまれたこの運動は、ラテンアメリカに広くみられる大土地制による富の独占と、効率化によって、アメリカがいかに能率的に富をラテンアメリカから吸い上げるか、というシステム(農業だけでなく、すべての分野、近年は水戦争、ガス戦争が活発です)に対する反
対運動から、反米、そして小作農の自作化、そのまま、共産化へと続く左翼系の運動とつながった歌によるムーブメントでした。
  ラテンアメリカはアメリカ合衆国の裏庭などと呼ばれ、今でも植民地状態にあります。アマゾンでは地下資源を狙ったアメリカの企業が、先住民を追い出すために枯葉剤を撒き、布教やボランティアと偽って不妊剤を配って先住民の殲滅を企業、国家単位で進めているのがアメリカです。去年だったか、アメリカで天然ガ
スの輸出をめぐって遂に大統領が倒されましたが、このとき、ボリビアのサンタクルス空港から、アメリカの海兵隊がゾクゾクと送り込まれてきているまさにその最中でした。
  しかし、現在は、インターネットの普及などにより、これまでのような秘密裏の虐殺が難しくなり、アメリカや支配階層も、これまでのように好き勝手にしにくくなってきている現状があります。

  少し話が熱くなりすぎて脱線していますね。
で、このヌエバ・カンシオンのムーブメントが盛り上がったのは1970年代前後でした。キューバ革命が成功し、ラテンアメリカの左翼勢力は、パリの学生運動などとも連動しつつ、貧しい人たちのための政治を!!貧しい人たちのための音楽を!!民族の血を再確認してグローバリゼーションという罠に対抗しよう!!とヌエバ・カンシオンの運動をはじめました。
  その嚆矢となったのが、チリのビオレタ・パラというある女性であったと言われています。
  ビオレッタ・パラは、チリの民族音楽の母とも呼ばれており、チリ全土をまわってチリの音楽を採集し、記録をした人です。性格的には破天荒な人だったようで、仲間も敵もおおい人でした。各地で音楽を採集し、自分でも歌い続けている中で、人々の貧しさと社会の不誠実さを目の当たりにし、民謡をベースにそうした体制を批判する歌なども歌い始めます。もっとも彼女が歌ったのはそういった歌だけでなく、人生や愛などについて、さまざまな名曲を広く作りました。
  また、彼女は刺繍でも有名で、フランスで個展などもしています。こうした国際的な彼女の活動の中で、彼女の歌う歌に徐々に賛同者が集まり、民族音楽をベースとした社会に対する批判の歌、というものが生まれてきます。
  しかし、このビオレッタは、スイスからケーナの勉強に来た20才も年下のヒルベルト・ファブレに失恋し、失意の中ピストル自殺してしまいます。
  このパラ家のペーニャにはチリのヌエバカンシオンや、演劇、文芸家などさまざまな文化人が集まっていました。彼らの中から次に頭角を現したのが、ビクトル・ハラでした。彼は、ビオレッタとは違い、チリ共産党の党員として、党を盛り上げるための歌なども多く作りながら、すばらしい名曲を数多く残します。
  チリでは、この70年代初頭には、このヌエバ・カンシオン運動が頂点に達し、キラバユン、インティ・イリマニ、アンヘル・パラ、パトリシオ・マンスなどさまざまな歌い手がきら星の如く現れます。
  この時期、ラテンアメリカ全土にまでヌエバ・カンシオン運動は波及し、アルゼンチンではメルセデス・ソーサが、ボリビアではルイス・リコやサビア・ヌエバが、ベネズエラではアリ・プリメーラの他にもソレダ・ブラボーやリリア・ベラなどがそれぞれの自国の音楽文化に基盤を置いた左翼歌謡を歌い、人気を博します。
  特にボリビアでは、折しもネオ・フォルクローレ草創期であったため、チリのヌエバ・カンシオンとの相互交流の中で音楽的に洗練された部分がかなり輸入されることになります。
  こうした盛り上がりの中、遂に1970年、世界で初めてチリにおいて選挙によって左翼政党が政権を取り、世界初の選挙による社会主義政権が誕生します。アジェンデ政権です。アメリカは、キューバ革命の成功に続いて、遂にラテンアメリカで選挙で社会主義政権が確立されたということで非常に危機感を感じ、CIAを総動員して揺さぶりをかけます。経済を封鎖し、外向的に圧力をかけてこの政権をつぶそうとしますが、つぶれない。業を煮やしたアメリカ政府は、チリの軍部と結託して1973年9月11日、アメリカ軍と軍事演習をしていた軍隊が突然大統領官邸を爆撃、チリ中を占領し、大統領を暗殺、左翼系の人々をスタジアムに集めて虐殺します。
  この中で、チリのヌエバ・カンシオンの筆頭であったビクトル・ハラは、全身に何十発という銃弾を受けて死ぬことになり、彼は死んで神話となったのでした。
このクーデターを起こしたピノチェトは、その後も左翼関係者とおぼしきものを徹底的に弾圧し、疑わしきは拷問し、死者は街中の壁に密かに塗り込まれるという異常事態へと発展した。
  この時期、ラテンアメリカでは、アメリカの紐付きのクーデターが各地で起こり、アルゼンチンやエクアドル、ウルグアイなどでも同様の自体へと発展した。クーデターによる軍事政権はアメリカ主導の解放経済政策を取り、民族楽器の使用を禁止し、焚書を行い、アメリカ音楽の垂れ流しを推進した。その結果、現在
のチリにおいては、民族音楽が壊滅的な打撃を受け、バラードとロックが音楽の中心を占めるようになります。

  そのころ、革命の起こったキューバでは、ヌエバ・カンシオンの流れを受けつつ、アメリカ的音楽に、批判的な歌詞を乗せて歌うヌエバ・トローバ(新しい吟遊詩人)というムーブメントが起こる。この代表格がシルビオ・ロドリゲスやパブロ・ミラネスなどであった。
  また、隣国メキシコには、祖国を亡命したヌエバ・カンシオンの歌い手たちが祖国へ帰る日を夢見て祖国への歌を歌い続けていた。  そんな中、1979年に、中米ニカラグアで、サンディニスタ政権が革命により誕生し、新たな左翼政権が誕生することになる。ニカラグアではただちに農地解放が始まり、ニカラグアのヌエバ・カンシオンの歌い手、メヒア・ゴドイ兄弟たちが文化省や国営音楽会社などのトップに就任するなど、さまざまな改革が行われる。
  しかし、アメリカはここでもこうした左翼系政府の躍進を許すはずもなく、グリーンベレーを大量に投入。反サンディニスタのソモサ派に武器弾薬を無尽蔵に供給し、その後10年にわたってニカラグアは内戦状態に突入、毎年総選挙によってサンディニスタ政権の存続を問うという戦いを強いられることになる。
  結局、10年間の激しい内戦は国を徹底的に疲弊させ、10年後に遂に僅差でサンディニスタ政権は破れることになる。こうして、キューバに続くかに見えた中米の夢の政権は、アメリカの猛攻の前についえたのであった。

  80年代に入ると、ロックを演奏する学生たちから、ロックによる新しい歌運動というものが始まる。ヌエボ・カントなどと呼ばれるムーブメントだ。この中心はアルゼンチンであり、レオン・ヒエコやビクトル・エレディアなどがその中心的な存在であった。この頃になると、アメリカのラテンアメリカ戦略は世界的な批判を受け、ラテンアメリカの民主化が徐々に始まることになる。
  民主化は一度流れが出来ると押しとどめることは出来ず、軍事政権は次々崩壊していき、その崩壊間際には、ヌエバ・カンシオンが声高に歌われたのであった。
  しかし、一度民主化されると、ヌエバ・カンシオンはファッション的な存在となり、70年代から80年代にかけて持っていた不退転の意志というものはなくなってしまった。

  ヌエバ・カンシオン運動は、その担い手が貧民ではなく、都市に住むインテリ達であり、農民を教化しようとする人々による観念的な運動であったということが言えるだろう。そのため、実際の貧者たちの生活からは乖離し、足に地がついていない浮ついた部分があったことも否めない。
  それでも、この時期のヌエバカンシオンには、数多くの名曲があり、多くの優秀な音楽家たちが、競って名曲を貧しき人たち、報われぬ人たちのために、共闘を掲げて歌ったのである。

  現在でも、このヌエバカンシオンの伝統はラテンアメリカに色濃く残っている。そもそも、メキシコ革命からして、歌による革命であったことを考えると、ヌエバカンシオンの伝統は、独立以前から続くラテンアメリカの特色であったといってもいいすぎではないかもしれないだろう。

(2004/08/18)