**** Rush 'jet-lagged' during shoot ****

◆◆◆ 撮影中は時差ぼけだったラッシュ氏 ◆◆◆(2007年5/25 ビバリーヒルズで行われたインタビュー) 





ジェフリー・ラッシュには、選択肢があった。
10ヶ月間 特に何もしないでカリビアンでのんびり過ごすか、またはオーストラリアの家に帰って、
仕事をするために、世界で一番長い通勤ををするか のどちらを選ぶかであった。

彼は通勤を選択した。
しかしその通勤は、2本連続の「パイレーツ オブ カリビアン」シリーズの撮影期間中、
メルボルンからセント・ビンセントの往復を8回繰り返し、
彼が記憶していた計560時間をはるかにこえる通勤時間を記録したのである。

2本の映画は背中合わせにに連続して撮影された。
今上映されている『アット・ワールド・エンド』では 中心人物の役まわりである一方、
今回のシリーズの『デッドマンズ チェスト』ではたった1シーンしか出番はなく、
それもたった6語しゃべっただけであった。

「まったくなんと言っても幸運だったよ」と彼は笑いながら思い出していた。
「僕は家族と生活するために通勤する事を選ぶことで、
家族から離れてビーチに寝そべる生活を10ヶ月するよりも、良い休暇をすごせたんだ。
例えば3日間撮影をして、そしてオーストラリアのうちに帰って3週間すごす、そしてまた撮影に戻る。
という生活をコンスタントに繰り返したんだけど、ただ その間中ずっと時差ぼけ(jet-lagged)だったんだ。」

この選択は賢明な選択だった。空いた自由時間を利用して かれはなんとか他の2本の映画に出演する時間を絞り出した。
1本は3週間枠でオーストラリアで撮影した「キャンディ」。
もう1本は2週間半のスケジュールでスピルバーグ監督が彼をマルタに飛ばせて撮影した「ミュンヘン」である。

しかし、旅を常にし続ける生活には大きな代償をもあった。
「ジョニーとクラーケン(実際はブルーの毛布だけどね)といっしょにいる浜辺の1シーンの時、
台詞の半分まできて、その後どうしても動詞がわからなくなってしまったぐらい、僕はひどい時差ぼけだったんだ。」
《Rag注:ジェフリーはセリフを完璧に覚えて撮影に臨み、NGを出さないことで有名です。
だからこれは彼としては有り得ない事態だったのでしょう》

 彼のこうした経験は、2本同時のパイレーツシリーズのような巨大な映画製作にかかる
膨大な物流業務が影響して生み出されたものだった。
このパイレーツシリーズでは大げさではなく700人もの昼食が必要だった。
また120人の海賊がひかえていたし、屈強なスタントは50人もいた。海上部隊には約150人ぐらいいたが、
彼らは、ブラックパールや他の海上の船舶を操るだけでなく、海上の30マイルも離れた基地に、荒れた危険な海上を、
朝4時に何百もの人をフェリーで運ばなければならなかった。

「4ページのせりふのある6人のためにこれらの全ての人々がいたんだ。
だから映画の最期にクレジットを流すのに10分もかかってしまったんだ。」
 ビバリーヒルズホテルの彼のスイートルームで私達が話している間、
広報担当者に細かく決められたインタビューやプロモーションの仕事で
ひっきりなしのスケジュールにもかかわらず、ラッシュ氏は和やかでとても好意的だった。
「パイレーツ オブ カリビアン:アット ワールド エンド」のなかでは 彼は死からよみがえったキャプテン・バルバッサとして 
他のどの俳優よりも出番が多い。

 「バルボッサはまさに政治家で、他の誰もが本当にのぞんでなくても強引な方法や人をだます事で
自分の思った事を成し遂げる人物だ」と彼は説明する。
「At World's End は 第一作目 2作目すべてを通して煮詰まって来ていた15のプロット・ライン(ストーリー進行に必要なせりふ)を
明確にさせた。
そして 最後にキャラクターはみんな、自分の場所に帰り、物語は完結する。」

ラッシュ氏は気取らない、分別のある俳優で、彼の今のすばらしい成功は、永い下積み生活のご褒美だと受け止めている。

トゥーンバの小さな町で生まれ、そしてブリスベンで育った。
1971年に初めて舞台にたち役者生活を始めた。
それからロンドンで演出家のコースを終了し、家に帰る前にまたパリで2年間、パントマイムを学んだ。
彼は25年以上堅実に舞台や、オーストラリアのテレビで仕事をしてきた。
しかし1996年 シャインで奇人のピアニスト ディビッド・ヘルフゴットの役を見事に演じ、
オスカーでの最優秀男優賞を含むあらゆる賞を総なめにするまで、国外では無名だった。

最高のときがやってきたのだ。
彼は1988年 女優のジェーン・メネラウスと結婚し、現在15歳のアンジェリカと12歳のジェ―ムスという2人の子供を育てることに
当時は、四苦八苦していた。

  「僕は舞台公演で1週間 700ドルもらっていたんだ。
そして運良く長い公演の仕事を貰ったとして年間だいたい30週間、公演にでられた。
でも貯金はできないし、どうやって子供たちの教育資金を作って行けるか心配だった。
そしてついに神々が僕に微笑んでくれた。前に比べて収入が増えたんだ。
その金でまず第一に滞った支払いを払ったね。」と彼は笑った。

家族は昔に比べると、メルボルンの別の地域の大きな家に住んでいるけれども、彼の生活はそんなに大きな変化はない。
まだ車を運転しないし、彼の服装の好みや趣味は高価なものではない。
「僕らは比較的質素な生活を続けているよ」と彼は語った。

彼は彼の希望の役を自分で選んでいる。
パイレーツシリーズの仕事の後、新たな時代コスチューム映画「The Golden Age」を撮り終えた。
この映画はトロントの映画祭で今年上映される予定である。"Elezabeth"の続編でエリザベスが統治した20年間を取り上げている。

ディズニー広告宣伝部の要求から解放されると(パイレーツ・オブ・カリビアンのプロモーションの仕事から解放されると) シドニーで,
一般的には知られていない劇作家”イオネスコ”の「瀕死の王 EXIT THE KING」を演じるために1シーズン舞台に戻る予定である。

「その後ね。 そう よくあることなんだけどね。次の企画はどこで何をするかわからないんだ」彼は続けた。
「多分 家にいるかどこか別のとこにいるかもしれない」
「どこにいようと問題ないね。また別のところに通勤するだけのことだから。」

元サイト記事: The Star.com


              

*** 翻訳/cocoさん 有り難う御座いました!


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