ショスタコーヴィチ

<(1906〜1975)20世紀でもっとも重要な交響曲作曲家。ソ連。新古典派から出発し、モダニズムの時代をへて特徴的な作風を確立。さらに前衛的な要素を盛り込む一方でマーラーの影響下に深い情緒的なものや哲学・思索的な要素を加え、晩年まで変遷を続けた。36年に始まるソヴィエト共産党からのいわゆるジュダーノフ批判を受けてその作風には社会主義レアリズムと言われる伝統的で平易な作風が「うわべだけ」貼り付いた。当局指導に基づくその態度は迎合的でいながらも節々に諧謔が感じられる作品によって真意でないことを窺わせる。ただこの社会主義レアリズムの理念に沿った作品群の中でも、第二次大戦を挟んだ5、7番シンフォニーはそれぞれ「革命」「レニングラード」と呼ばれ今も親しまれている傑作であり、必ずしも全てが負の方向に動いていたわけではない。オペラから独奏曲まであらゆる種類の作品を産み出しており、それらも高く評価されている。>

:ショスタコの典型的なサイン。違う書体のものもあるみたいです。

交響曲第1番交響曲第4番交響曲第5番「革命」交響曲第6番交響曲第7番「レニングラード」交響曲第8番続き


交響曲第1番

トスカニーニ指揮NBC交響楽団(RCA)LIVE

アンファン・テリブルなショスタコーヴィチがレニングラード音楽院の卒業制作として昭和2年に発表した
作品である。ニコライ・マルコが初演、プロの面々は冷淡だったものの、一般大衆には受けたそうである。
それがラジオ放送され、世界的指揮者であるトスカニーニやワルターなどに着目されるきっかけとなったと
いう(トスカニーニは決してショスタコーヴィチを認めていたわけではなかったのだが)。冒頭いかにも
ティル・オイレンシュピーゲルな感じのペットソロがいきなりシニカル。人を食ったような調子はずっと最後
まで続く。たしかに面白い。しかし今聴いてみると、そんなに公衆にアピールしたとは思えない。新鮮な部分は
あるし(やたらとソロ楽器を裸にして歌わせるところ、ピアノや打楽器を多用するところ)、マーラ
ーの影響はそこはかとなく現われているし、何度か聞けばそれなりに良さはわかるが、とくに後半、まるでミ
ャスコフスキーの初期のように半音階的でうねうねした音楽は決して人好きするものではない。トスカニーニ
の即物的な演奏で聞くと晦渋でわけがわからない音楽にすら聞こえる(これは余りにモノラルモノラルした録音
のせいでもある。トスカニーニはこじんまりとした録音のせいでかなり損していると思う。この盤を聴くときは
ぜひ大音で聴量くべし)。一方でモダニズムの一派には中途半端と一蹴されそうだし、新古典的と言うには洗練
されてなさすぎる。まあ若書きだから仕方ない。ショスタコーヴィチが交響曲の分野で己を確立するまではまだ
2曲の実験的交響曲を経なければならないのだ。
ところでこの作品はとても西欧的である。ロシアふうの主題がなくはないが印象は薄い。半音階的な旋律や動きは
むしろ初期シェーンベルクやリヒャルト(ワグナーでもいいですが)シュトラウスあたりを思わせるし、でろで
ろしたところはまるでスクリアビンだ(ロシア人ですが同じ西欧かぶれということで)。ただひとつ、執拗な刻み、
トッカータふうのタカタカ走句は爽快で独特だ。ウィリアム・テルのエコー、ショスタコが映画館で死ぬほど演奏し、
ついには己の通奏低音として生涯使い続けることになった、とても軽快でシニカルな音線。トスカニーニ盤は
こういうタカタカした音楽を再現するには音が潰れすぎである。そのあたりでもどうしても物足りなさを感じる。
7番の録音でもそうだったけれども、明晰でディジタルなショスタコの音楽はあまりに茫洋とした録音ではダメ
になってしまう。また、この作品に限っては多少大袈裟な表現で旋律を際立たせる操作がないと、わけわかめに
なりかねない。なんだか曲紹介と演奏紹介が混在してしまったけれども、終演後ブラヴォーが叫ばれてはいるが、
無印としておきます。何度も言うようだが、ぜひ大音量で耳を澄ませて聴いてもらいたい。でないとほんとにわ
けわかめ。

○ロジンスキ指揮クリーヴランド管弦楽団(COLUMBIA/LYS)1941/4/1

これはロジンスキの「凄いほう」の録音だ。異常な凝縮力、きわめて緊密なアンサンブル、ぐいぐい押し進む推進
力、何よりオケの「やる気」が凄まじい。しっかり実の詰まった音響に、はじめNYPかと誤解したほどだ。冒頭
からドライヴ感に満ち、弦が走り出すと音楽は強烈な奔流となって耳を圧倒してくる。私の盤は例によって音飛び
がすさまじいが、あまり気にならないほど流れは安定しており、強力な演奏ぶりだ。緩徐主題においてもあまり
しっとり聞かせるというふうではないが、情緒は音楽そのものからじわっと染み出てきている。ドラムロールや
ピアノの打鍵といった打楽器的な要素が目立つ曲だが、ふつうの指揮者がやると骨のように細い本流の上に離れ浮
き上がってしまって空疎な感じを覚えるのだが(それを狙っているのだろうけど)この演奏では速い速度に載って
さらにドライヴ感を煽るものとなっており、今まで聴いてきた中でもっともしっくりいった。この曲はショスタコの
作品としてはけっして上に置けないものだが(マニアックな評論家の中には最高傑作とする人もいるようだが)、
こういうしっかりした演奏で聞くとこれはこれでひとつの完成形を示しているように聞こえる。名演だが録音マイ
ナスで○としておきます。イタリア盤で一回CD化した。

○シルヴェストリ指揮ソヴィエト国立放送管弦楽団(MONITOR/MELODIYA)LP

擬似ステレオのなりそこないのような録音で音場が偏り非常に聞きにくいが(MONITOR盤)、我慢して聴いてみると、これが
なかなかイケる。曲の面白味を最大限に引き出して即興的ともとれるような思うがままの演奏を繰り広げる、
この奔放さこそがシルヴェストリの魅力なのだ。この曲にはこういう恣意的な解釈があっている。シルヴェストリ
はどぎついが掴み所の無い指揮者という印象があったのだが、この演奏には「どぎつい」と言うほど野卑な音は
聞かれないし、ロシアオケにしてはむしろまとまった演奏と言うことすらできよう。うまくできている。ピアノの
走句が明晰にとらえられており、とても楽しめた。録音マイナスで○ひとつ。

スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(RUSSIAN DISC他)1966(1968?)/12/30LIVE

うーん、いまいち。比較的明晰で適度に起伏の有る演奏だけれども、聞きづらい。音色があけっぴろげで耳に
つくところもあるし、まああまりこの曲に関しては必要の無いことかもしれないが、「深み」に欠ける気もする。
派手であるがゆえに曲の本筋がわかりにくくなってしまっている。細かい動きがアバウトな感じがするのは
録音のせいかもしれないが、もっと合奏力がほしい。集中力がほしい。力感溢れるエネルギッシュな演奏を信条
とするスヴェトラーノフの、まだ昔の録音だから仕方ないが。無印。

ロヴィツキ指揮ウィーン交響楽団(FONTANA)LP

きのう人を二人弊す夢を見た。何ともいえない朝だった。そんなアタマにショス1はじつにシニカルにひびく。
プロコフィエフの古典とのカップリングだが、使用している部品にそうそう差はないと思うのだが、まったく
異なる視座にある、対照的と言ってもいい2曲。やっぱりこれはマーラーだよなあ、とショス1のほうを聴いて
思った。生硬だが同時代の他人の新古典的交響曲と比べると、旋律をソロで繋いでいく腕や和声感覚に独特のも
のが既に芽生えていて段違いに聞ける曲になっている。旋律といえば1楽章の鄙びた第二主題、いいなあ。マー
ラーふう舞曲だ。ロヴィツキとウィーン響は相性がいいようで、かなり集中力の高い演奏が繰り広げられている
が、それほど個性的ではなく、ウィーンらしさも余りない(そのかわりウィーン響にあるまじきアンサンブル力
の高い演奏となってはいる)。いい演奏だとは思うが、私の盤は音飛びだらけのヘタレなので(またかい!)い
ちおう無印。というかこの盤ホコリを寄せ付けないスーパービニールとかで出来ているらしいのに、この音かい
(いちおうステレオ)。うーむ。CDになっているとは思えないが、なっていたらウィーン好きは聴いてみても
いいかも。ウィーンのショス1は珍しいのでは。間違っても国内廉価盤LPはだめっすよ。

ジュスキント指揮英国ナショナル・ユース管弦楽団(PYE)1957/1LIVE・LP

録音が貧弱すぎる。盤面も荒くかなり聞きづらい。希少価値があるようだがジュスキントの
指揮は引き締まったものでオケも年に似合わずシャープで熟達した技を聞かせている。この指
揮者はマニアがいるようだが私はあまり聴いたことがないので詳細記述は控えます。どこか焦
燥感のある棒が曲の持つささくれだった感情表現と巧く溶け合っている。最初と最後があまり
に無造作で荒っぽいが、中はマトモです。とくにあっさりした終わりかたに戸惑うような拍手
がばらけて入ってくるのが印象的だった。録音さえよければだが。無印。

◎チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(EMI)1994/6/2,3LIVE・CD

このブカッコウな曲が実に立派に響いている。ソロが多く軽く薄い響きの楽曲であり、そこが良くも悪くも特徴的なのだが、チェリにかかるときちんと組みあがった響きというか、がっしりした、なおかつとても前進的な音楽に仕上がる。これはたぶんこの曲の演奏史上もっとも「交響曲らしい」演奏であり、ショスタコであるかないかに関わらず、素晴らしい音楽である事を再認識させるにふさわしいものとなっている。軽妙さはないが私はむしろそのほうが好きである。演奏的にもとてもしっかりしていて過不足はない。最後鷹揚なブラヴォーがかかるが、もっと熱狂的に叫んでもいい中身の詰まった聴きごたえたっぷりの演奏です。◎。

*********************************

バーンスタイン指揮

ニューヨーク・フィル(SONY)1971/12

シカゴ交響楽団(DG)1988/6LIVE

*********************************

◎ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(BERLIN CLASSIC,ETERNA/EDER CLASSICS)初出1963・CD

胸のすくような演奏ぶり、その表現の厳しさに背筋ピーン。ここまでオケを緊張させないと成り立たない曲だ
ったのか。個人技のツギハギのようなところのある曲だから、下手に何かやろうとするとスグ瓦解する。それ
が今まで私がこの曲を敬遠してきた主な理由であるわけで、ここまで精緻にきっちりやると途端にまばゆい輝
きを放つようになるものなんだなあ、と目を見張った次第。ただ、ショスタコに通常求められるモノとは違っ
ていて、半音階的な妖しい旋律線にもその違いがはっきり顕れている。確かにこれはこれで完璧な個性を備え
た名曲で、トスカニーニやワルターの興味をひくだけのものはあるが、スクリアビンの世界からそう遠くない、
演奏効果の大きさに比して何かを伝えようとする力がいまいちな感じがする。映画音楽のようでもあり、同時
期の蚋蚊のようにひしめく西欧もしくは新世界産のシンフォニーの聴感に近い。借り物のような感じ、バタ臭さ
が違和感を感じさせないでもない。・・・とそう思いながらも終盤の機関銃のように鋭い音響に激しく戦慄して
たりするのだけれども。すごい演奏です。あっというまに聞けてしまった。録音も良好。◎。


交響曲第4番

<「批判」を恐れ作曲家自ら総譜を撤回、初演は雪解け後の1961年、実に25年ののちににコンドラシンにより行われた。今ではマーラーの正統の後継者としてショスタコーヴィチが描き得た一大交響曲として人気を得ている。>

ロジェストヴェンスキー指揮

◎ウィーン・フィル(CINCIN)1978/4/16LIVE

プラウダ上での批判をへて総譜撤回され、26年をへてやっとコンドラシンにより初演された
、ショスタコーヴィチ初の大作交響曲である。意外と旋律性に満ちており、マーラー的な絵巻物
が次から次へと繰り出される面白い曲だ。3楽章制で、短い中間楽章とブリッジ状の両端楽章という外形
だが、聴感的にはもっと細かい分節に別れているように聞こえる。1楽章はかつてアイスクリーム
のCMで使われた、打楽器要素の強い印象的な(中国風な)開始部から軍隊行進曲ふうの息の長い主題、
このあたりでぐっとつかまれる(つかまれなかったら多分あとの音楽も楽しめない)。
アレグロからプレストという目の回るような音楽はあまりに多彩すぎてかえってわかりにくいという
印象も与えかねないが、集中力の高い「巧い演奏」で聞けばお腹一杯楽しめよう。中間楽章はスケルツォ
ふうでもないちょっと不思議な印象の楽章。3楽章ラールゴはショスタコーヴィチがよくやる「尻
すぼみ構造」の先駆でもあるが、「ウィリアム・テル」のエコーや、爽快な旋律を含むアレグロ部が
織り交ざり(但しショスタコーヴィチの常として爽快なフレーズは一回だけ顕れたきり消える)、
全体としては晦渋さというものはそれほどでもない。寧ろシニカルな笑いをさそう。
ひびきの不思議さ、とくに鳥の声を模したフレーズが織り交ざったり、終結部のように不気味な静けさ
のなかに鉄琴のひびきだけが支配する印象派的な音楽も聞き物だ。フレーズの執拗な「繰り返し」が
みられたりするが、「優秀な演奏で」聴き通してみるとそれは意味があって繰り返されているのであり、
この大曲にはそもそも不要な音符がひとつもないのである。7番
など名作であっても冗長と思われる部分があったりして、4番のほうがむしろ隙の無い曲だったりするのだ。
総じてマーラーの精神分裂的感動路線を引き継いだ優秀な作品といったところで、5番ほどの凝縮も
7、10番ほどの円熟もないものの、この時期のショスタコーヴィチにしか
書けなかったであろう、瑞々しい感性と深い思慮のバランスのとれた名作なのである。
ロジェストヴェンスキーの指揮はソヴィエト文化省管弦楽団とのメロディヤ録音で知られるが、外面的
要素が強く、録音も演奏もスカスカの印象は否めない(でも私はこの録音ではじめてショスタコにハマ
った)。対しこの演奏のぎっちり中身の詰まっていることといったらない。いや、これまでこの曲に
好意的に書いてきたのは、あくまでこの名演が念頭にあるからであって、ほんとうはそれほどの曲でも
ないのかもしれないが、このような異様な雰囲気に包まれた演奏で聴いてしまうと、どうしても贔屓目に
見てしまう。ウィーン・フィルは録音が悪いため音色感があまり感じ取れないが、その機能性の高さ、
指揮者に対する全幅の信頼とその証しとしての物すごい集中力はびしびし伝わってくる。その譜面の、ひとつひとつの
音符を愛して下さい、と言ったのはバルビローリだが、ここではショスタコーヴィチが譜面にのこした音符、
そして休符すらも全てそこで主張すべきことをしっかりと主張できている。ウィーン・フィルの魔術的な
腕を堪能できる。また、ロジェストヴェンスキーのスコアの読みは巧く(深いかどうかはわからないが)、
長ったらしい音楽をいかに面白く聞かせるかというすべを知っている(そういえばこの人も「ブルックナ
ー振り」だ)から、たとえば細部に拘泥して全体が見えなくなるような下手なマネはしない。とても
巧い舵取りだ。とにかくこの曲の旋律のひとつひとつがいかに鮮やかに浮き彫りにされているか、一度
聴いてみて欲しい。楽団員の何人かが感極まってポルタメントをかけてしまうなど、ショスタコの演奏
では異例だろう。録音は悪い。ステレオだが半分擬似っぽいぼやけた録音である。しかし、これは奇跡的な
名演である。

ソヴィエト文化省交響楽団(MELODIYA)1985

スカスカな演奏だったおぼえがあるのだが、改めて聞くとこれはこれで面白い。
骸骨がカラカラと踊るような演奏、これもまたショスタコーヴィチそのものである。
ソロ楽器には技術的に難があるところも散見され、弦にかんしては響きが薄い(プルトが少ない)
のだが、解釈自体はけっこう娯楽的というか、「見え易い」。ウィーン・フィルの
ライヴと解釈はほとんど同じといえる。スタジオ録音ゆえ静かな場面での「響き」が
美しく聞こえる。最後の鉄琴の呟きが余情をのこす。まあまあ。

*********************************

○バルシャイ指揮西ドイツ(ケルン)放送交響楽団(brilliant)1996/4/16,24,10/24

まあ真面目な人はこの演奏を選ぶべきだな。オケも精緻、指揮者も神経質、これで演奏が高水準にならなけ
ればおかしいわけだ。作曲家も神経質だから言う事無し・・・のはずだが、たぶん、ステレオセットの前に
正座して1時間余りを過ごせる人か、スコア片手にCDのトラックを行き来する熱心な研究家以外には、
「きれいな演奏だねー」とか、「精密器械のようだ」とかいう感想のほかに、残るものが無い。飽きる。
あ、いや、
ロジェヴェンの娯楽的演奏を知ってしまったからこういう因縁をつけてしまうだけで、評価としては○ひ
とつつけときますのでご勘弁を。個人的に余りにひっかかりなくすんなり聞けてしまったのが気に入らな
かっただけなので。。すんなり聞ける演奏ができるだけでもすごいですよね。と弁解口調。

コンドラシン指揮モスクワ・フィル(MELODIYA,VICTOR)1966

初演者による演奏だが、余りに力強く強引な演奏ぶりゆえに、細かいニュアンスや幻想味がスポイル
されてしまっている。これはコンドラシンのどの演奏にもいえることで、この4番だけとりわけ、
というわけでもないのだが、このような長く連綿と音の列が続いていくような音楽を描くにはちょっと
一本調子すぎて飽きてしまう。1楽章アレグレットのえんえんと盛り上がりが連なっていくダイナミック
な音楽ではとくに、えんえんとうるさすぎて、ずうっと同じ大きな音が続いていくのにヘキエキして
しまう。いや、私見としておくが、初演者の演奏だからといって最良の具現になるとはかぎらないという
ことを付け加えておく。ちなみに手元にあるのは悪名高きビクターの全集版で、録音は正規盤にしては
悪すぎる。音が左に偏ってみたり(いちおうステレオである)、音場が極端に狭く感じたり、聞きづらい
ところ少なからずである。現在分売されているものは音質がかなり改善されているはずで、それで聞いたら
印象は変わるのかな、とも思った。無印。

○オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(SONY)1963/2/17

ショスタコ4番にしてはずいぶんと早いうちに録音されたものである。オーマンディのオケは文句の
付けようのない技巧と気合を持っているが、1楽章はいささかおとなしめ。少し飽きる。だが録音が
すばらしく、それが実感されるのが2楽章。完璧なアンサンブルをありのままにクリアに収録しており、
なかなか聞かせてくれる。最後の静寂の中の打楽器等アンサンブルの
響きがすばらしくクリアにとらえられている。ステレオ効果も万全だ。3楽章もがぜん面白くなって
くる。贅沢な組み合わせによる贅沢な演奏、何かひとつ足りないような気がしつつも、完璧な音響
バランスの上で繰り広げられるショスタコーヴィチ展覧会、最後まで飽きないことうけあい。
総じて娯楽的演奏の範疇に有る演奏と受け止めたが、それを好む好まないは貴方次第!


◎ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(WEITBLICK)1969/5/20LIVE・CD

物凄い統率力だ。とにかくこれは凄絶な名演で、オケに対して恐怖政治をひいたケーゲルの鬼のような形相が見えて
きそうなほど緊張感に満ちている。その異様な緊張感が長い曲の最後までずっと維持されているのがまた凄い。
ケーゲルの突き刺すようにシャープな発音、水も切れるような恐ろしい棒さばきが産み出す音楽の凄絶さにまた
悶絶する。こんな4番あっただろうか。モノラルであるせいかひときわ音が凝縮され強烈な印象をあたえる。
解釈が凄いとかそういうレベルではなく、これはこうでしかありえないのだ、という説得力だけでもうおなか
いっぱいである。この曲が面白いと思ったのは今までロジェストヴェンスキー盤だけであったが、このケーゲルの
ギリギリの精神状態の示す凄さは別の天球にあって強烈に訴えてくるものがある。一度聴き出したら止まりません。
全体設計の巧緻さにもまったくお手上げというか、こういうふうに演奏して欲しい、というツボを悉く押さえた
演奏ぶりで、わかりやすさの面でも聞き物である。うーん、ボックス売りであることが惜しい。◎。


交響曲第5番「革命」(1937)

<20世紀交響曲の代表格であり古今東西いたるところで演奏され続けてきた曲である。ショスタコーヴィチが当局に
対する防波堤として書いたとの伝説もあり、いかにも”狙った”箇所が随所に見い出されるものの、クライマックスが
終楽章前半にきてしまったような謎めいた構成(有名な「証言」を信ずれば”擬似”クライマックスということになる
のだが)、全楽章の諸処に顔を出すやつれた諦観など、影絵のようにぼうと浮かび上がる作曲家の素顔に、背筋が寒く
なる。この時代この国でマーラーへのオマージュを書き続けたことも恐ろしい。かりそめのモダニズムから脱皮し自己
に誠実な音楽を書き始めた矢先、当局との衝突にあったショスタコーヴィチ。マクベス夫人や4番交響曲での恐ろしい
経験が乖離する二重人格的作風を産み出した。それは少しどっちつかずというか、”どちら側”から聞いても中途半端
・・・というより未完成・・・に聞こえてしまうこともある。5番はこの感が強い。物凄く抽象的な言い方をすると、
包括するものは大きいはずなのに、それを全て出し尽くすことなく尻切れにばっさり切り落とした、だから龍頭がずら
っと並んでいても、裏返すと退化した手足が申し訳に突き出ているだけで、たまに不格好に大きな足や、無数に枝別れ
した尾が垂れ下がったりもして、・・・奇形。・・・19世紀末から20世紀の音楽の流れとして、怪奇趣味というの
は確かにある。モダニズムやダダ、おおざっぱだが「現代音楽」そのものも普通の人間にとってはとても奇ッ怪な音楽
だ。しかし、ショスタコーヴィチのそれは、自ら進んで奇形化した頭でっかちのオンガクとは少し違う。これは、・・
・「公害」の結果だ。>

ホーレンシュタイン指揮ウィーン交響楽団(VOX)

ホーレンシュタインは同じウィーン響・VOXでマーラーやブルックナーの中仲渋い名盤を作っている。ではショスタ
コは?といえば、余り成功していないと言わざるを得ない。何を言いたいのか甚だ不明瞭である。ホーレンシュタイン
の棒はウィーンの風土によって何の影響も受けていない。朴とつとし、とても流麗とはいえないぎくしゃくした流れは
ザンデルリンクにも似て表現主義的ですらあり、ブルックナーなどでは強みになるけれども、この曲に関しては、今一
つ中途半端になってしまった感がある。

同曲の要求する音がウィーンの艶めかしさとは程遠い所にある事も、同演奏への違和感を昂じさせる。奇妙に音の軽い
終楽章も又聞きづらい。が、ショスタコーヴィチがムラヴィンスキーを「何もわかっていない」と酷評した「という」
テンポ表現、盛り上がるところでの劇的なアッチェランドが、無い。前半に山が無い。そのため最後まで平板な演奏に
なってしまう感は否めないが、ショスタコーヴィチの「真意」を見抜いた読みの深さと贔屓目にいえるかもしれない。
・・・真意に括弧を付けたのは、これすらも果たして作曲家の本心だったのか、今となっては確かめるすべがないから
だ。仮面は1枚とは限らない。

*********************************

ロジンスキ指揮

◎ロイヤル・フィル(westminster) /◎クリーヴランド交響楽団(lys)1942/2/22

ロジンスキの定番。オケに漲る緊張感、充実した響きそして情熱的な棒は、 どちらの盤でもかなりのカタルシスを与
える。常識的解釈という言葉が妥当かどうかわからないが、古典作品のように構築的に表現された演奏であり、いうな
ればベートーヴェン的交響曲の表現だ。 何か深読みをしている奇異な演奏ではなく、伸び縮みするルバーティッシモ
な演奏でもない。ただ即物とも又違う(多分3楽章など少しいじってもいる)。空回りする熱気ではなく、 深い情感を
伴っている。全編オケの共感が胸に迫るほどに白熱して届いてくる。クリーヴランド盤2楽章の躍動、3楽章の弦楽器の
歌は5番演奏史に残るものだろう。 4楽章はややテンポを落とし、踏みしめるような表現が意外でもあり、緊張感が和
らいだ感もある。それでもロイヤル・フィルにくらべてこちらのほうが オケの総合力は強いような気もする。只チェ
ロが弱く感じたのは多分録音のせいだ。トータルなバランスはロイヤル・フィルに分がある。どちらも捨て難い。

ニューヨーク・フィル(ARCHIPEL)1946/2/24LIVE

物凄く音が悪い。そうとうの覚悟が必要な録音。演奏はまったくもって直球勝負。こんな速さ、無茶だ。即物的
演奏とかいう言い方自体すらもう越えてしまっている。速いうえにさらに走る。ブラスはやりやすいだろうが弦
は大慌てだ。まったく揺れずこの速さというのはもう思い入れとかいっさい無しに「早くうちに帰りてえ〜」と
思っているとしか思えない(?)。間違っても初心者向きではないです。当然のことながらライブ録音。

*********************************

ボルサムスキー指揮ベルリン放送交響楽団(LE CHANT DU MONDE)

奇盤で有名な盤だが思ったより意外と実直。但し4楽章は意味のわからない急激なテンポ操作がしばしば織り混ざり独特だ。その結果はオケの当惑ぶりが想像できる粗雑な仕上り。最後にいったん音量を落として壮烈なクレッシェンドをかけるやりかたはあるていど成功している。全曲中、2楽章がよくできているほうだろう。とにかく意外に正統な部分の目立つ印象だった。イタリア盤で一度CD化しているとのこと。

*********************************

ムラヴィンスキー指揮

レニングラード・フィル(ICONE)1984LIVE

○レニングラード・フィル (DREAMLIFE:DVD)1973レニングラード・ライヴ,2003年発売

○レニングラード・フィル (NHK,Altus,KING)1973/5/26東京文化会館ライヴ,2000年7月発売

両端楽章が素晴らしい演奏というのはたくさんある。ムラヴィンスキー盤でも、終楽章などロシアン・ディスクの極度
に集中力の高いライヴのほうがカタルシスを感じやすいだろうし、1楽章冒頭の軋んだイキみぶりには少々ひいてしまう
(多分録音が生々しすぎるせいだろうが)。だがこのライヴ、中間楽章が何物にも代え難い光彩を放っている。2楽章の
斬り込むようなリズムはデジタル・クリアな録音と実にバランス良く噛み合って、ガシガシと踊る。増して印象的なのは
3楽章、崇高な祈りの音楽、ムラヴィンスキーらしい清廉な響きの中に、実に意外ともいえる「情感」が息づいている。
同ライヴ全般に、「運命のメトロノーム」は微妙にしかし確実に揺れて、旋律とその流れも自然に浮き立つようで、ム
ラヴィンスキーにしてはかなり抒情性が感じられるものとなっているが、 3楽章のそれは殊更迫ってくるものがある。
痛切な響きは決して悲鳴の泣き声にはならない。佇み沈黙する叫び。ピアニッシモの密やかで繊細なハーモニーは、葬
送の黙祷に凪いだ教会伽藍を思い起こす。終盤、マーラー性を排したムラヴィンスキーの、最もマーラー的な響きを聞
いた気がする。旋律性が消え響きだけが空を流れるような場面、ピアニシシモの光の中にマーラーの10番やフランツ・
シュミット4番のような諦念を感じずにはおれなかった。この世界、 2楽章の激烈なリズム性とのコントラスト、終楽
章のいきなりのプレスト攻撃(ライナーにもあるが、あっというまに加速しそのまま突き進む)とのコントラストが少
し「ありすぎる」ようにも思える。しかし同盤、個性という点で従来知られていた録音より突き進んだ感があり、聞い
て決して損はしない。パートソロで思ったより突出しない低弦や、ひきずるようにテンポをずらす金管ソロ楽器など、こ
こまで音がディジタルに鮮明でなければ聞こえなかったような瑕疵が聞かれても、屁でもない。突き刺すようにクリア
な音に溺れよう。

レニングラード・フィル(le chant de monde,PRAGA)1967

ムラヴィンスキーの演奏はまず安心して聞ける。いつもどおりの解釈、いつもどおりの
演奏。完成度は高い。ただ、この録音は音が悪い。・・・ということで余り上位には
置けません。

レニングラード・フィル(RUSSIAN DISC)1966

レニングラード・フィル(RUSSIAN DISC)1965/11/24

レニングラード・フィル(MELODIYA/BMG)1938末〜39初

レニングラード・フィル(DOREMI/BMG/MELODIYA)1938/3/27-4/3・CD

ムラヴィンスキーの初録音にして同曲の世界初録音というもの。初演より5ヶ月しかたっていない湯気
の立つような録音だ。貴重な古いSPからの板起こしである。BMGで日本盤CDの特典として
世に出たが、今はDOREMIレーベルから他の古い録音と併せて発売されている。これがなぜ特典盤
として売値を付けられなかったのかは聞けばわかる。雑音の洪水、ぎくしゃくした音楽、薄くてまとま
りのないオケ、乱れる音線。これはムラヴィンスキーの名誉に掛けて発売すべきではなかったものと思
う。全てが全て録音のせいとは言えない。手探り感がかなり強く、音楽が流れていかない箇所が目立つ。
若きムラヴィンスキーの苦悩が現われているようだ。後年の充実した演奏とは掛け離れた「バラケ感」
が強く解釈的にも工夫が感じられない。ちなみにレニングラード・フィルの首席指揮者の座を勝ち取る
のは同年9月のコンクールでまさにこの曲を振って直後のことである。マスターが残っておらず国内生
産された数少ないSPをもとに復元された同曲最初期の録音、参考記録としての価値はある。無印。

*********************************

クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(ASdisc)1948/3/16live

知る限りクーセヴィツキー唯一の録音で興味深かった。しかしどうも粗い。
ライヴだからしょうがないのだが、弦楽器などに雑味を強く感じる。
両端楽章の異様な速さは何か目的があるのかなんにも考えていないのか、
独特だが成功しているとは思えない(特に終楽章、拍手は盛大だが)。
なにかやみくもに焦燥感に駆られたような感じがする。3楽章はなかなか
深みを出してきているが、なにか足りない気もしないでもない。
全体を覆いつくす暗い色調は録音のせいかもしれないが、一種のカタルシスを
求めて聴く曲なのに、余りに素早く駆け抜けて終わる終楽章はどうも
気になる。うーん、お勧めではない。

*********************************

スヴェトラーノフ指揮

ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA・VICTOR/ZYX)1977/8・CD

ステレオなのはいいが分離が良すぎて気持ち悪い。そのせいかアンサンブルがバラバラに動いて
いてまとまらないような印象を受ける。スヴェトラーノフの録音にしばしば聞かれるスカスカ感を
ここでも感じてしまうのだ。録音のクリアさが更にその感を強くさせる。終楽章などどこに盛り上
がりどころを持ってきているつもりなのか、意図がよく見えない。そんな設計上の疑問も感じる
一方、ただ、3楽章の深淵を覗き見るような恐ろしい音楽には感銘を受けた。晩年、静寂の中に
その芸術の神髄を込めたスヴェトラーノフ、この時代にして既にピアノの音楽を意識して作って
いる。全般に悪くはないが良くもない。そういうところ。ZYXはCDです。

○ソヴィエト(放送?)交響楽団(LUCKY BALL:CD-R)1983/10/20LIVE・CD

邪悪な表現のうまいスベトラならではのものがある。1楽章や4楽章の攻撃性ったらない。録音は篭りがちで特に弦楽器が遠くブラスやパーカスに潰されがちなのは痛い。そんな録音のせいか荒さが目立つような気がしなくもなく、2楽章にはそんな粗野なアンサンブルがささくれ立った印象を与える。ハープが大きく入って独自の美麗さを発しており耳に留まった。3楽章も美しい響きがサーというノイズで大分台なしになっている。だが緊張感は伝わってくる。客席のノイズが殆ど入らないのだ。その場その場の美しさに従事し全体として何が言いたいのか今一つ伝わってこないが、明るい高音域中心のハーモニーはいかにもスベトラらしい楽観性を感じさせる。4楽章は思ったほどではないがドガシャーンと盛り上がる。ペットが外しているが後愛嬌。弦楽器の刻みに乗ってブラスにより吹きあげられる最後の盛り上がりが遅いテンポで雄大に、強引に?築かれるのは予想通りだが効果大。ブラウ゛ォが一斉に叫ばれる。スベトラにしてはやや半端な感じもするが○。

ロシア国立交響楽団(CANYON)1992/6・CD

ソヴィエト・ロシア系指揮者によってやりつくされた曲であるが、
この演奏で最も耳を惹いたのが終楽章だった。前半、胸のすくような
走句が一旦頂点へ向けて駆け上がるところ、敢えてそれほど盛り上がりを作らず、
じわじわと盛り上がる終盤のクライマックスへの大きな流れを造り上げている。
前半部分を「証言」でいうところの「強制された歓喜」と位置づけ、
人間性の回復という真の歓喜への経過点としているかのようだ。
弦楽器、とくにヴァイオリンセクションの薄さが目立ち、オケ全体的に
やや悪いコンディションにあるように感じるが、それでもスヴェトラーノフの
真情の篭った演奏になっており、注目すべきものを持っている。

*********************************

○ミトロプーロス指揮NYP(SONY/CEDAR,THEOREMA)1952/12/1STUDIO・CD

これはなかなかの名演である。音が飛んだり裏返ったりする部分があり興をそぐが、全体の充実度にはいささか
の傷にもなっていない。物凄く特徴的な解釈である、とか技術的に無茶苦茶巧い、とかいうたぐいのものではない
が、非常に集中力が高く、確信に満ちた強靭な棒と力強い表現力には感服する。この曲に飽きてしまって久しい私
は、久し振りにこの曲を通して聴いて、とても満足した。2、4楽章の充実した演奏というのを物凄く久し振りに
聞いた気がする。ミトロプーロスの恣意性についても言及しておくべきだろうが、まあ、本質を損なう事にはなって
いないから、省略します。終楽章はあほみたいに歓喜で終わったりしかめっ面で変な解釈を施したりすることなく、ま
正面から取り組み、明暗のコントラストをつけずに一気に登り詰め、終わる。ミトプーは明るくない。「くすんだ解
釈」を施すことが多い。これもそのひとつだ。でも晦渋にならない手綱さばきの巧さがミトプーの本領。
聴いて損はしません。○。

*********************************

バーンスタイン指揮

○ニューヨーク・フィル(sony)1959/10/20

○ニューヨーク・フィル(sony)1979/7/3&4東京文化会館live

後記ウィーン盤のほぼ直後にあたるライヴである。名演の誉れ高いものだ。前進力が
あり、熱気あふれる演奏ぶりであり、その点ウィーン・フィルのものとは聴感がことなって
いる。知らず知らず引き込まれ、気がつくと全曲ききとおしている、それだけの説得力の
ある演奏だ。(ライナーにも同じ事が書いてあった(笑)。)この人の演奏には「物語」が
ある。ストラヴィンスキーのような作曲家には噴飯ものだろうが、音楽がひとつの悲劇的な
物語を語っており、その語り口に引き寄せられる。ウィーン盤同様やはり弱音部のそこはか
となく哀しい音楽にとくに惹かれる。3楽章の美しい音楽にはなにか失われてしまったものたち
への哀悼の祈りを感じる。バーンスタインはウィーンとの演奏よりニューヨーク
との演奏の方が板についているように思う。丁々発止の動きが魅力的だ。録音の素晴らしさ
もあいまって、これは確かにバンスタの「革命」白眉の演奏といえよう。

ニューヨーク・フィル(SYMPOSIUM)1945/1/28

横浜のタワーレコードはなかなか掘り出し物が有るし、詳しい店員がいるようで
各平置きCDに細かい紹介文がつけてあって楽しかった。対して横浜HMVは広さの
わりに出点数が少なく(平置きばっかり)駄目になってしまった。詳しい店員といえば
昔はお茶の水ディスクユニオンだったが(昔新宿ディスクユニオンがあったころ、
べらぼうに詳しい店員がいたが、今はどうしているのだろう)、クラシック館を移動
してからなんだかちょっと店的にダメになったような気がする。とくに新譜の売り場がひどい。
でも中古屋としての所蔵点数は膨大で、LPも圧倒的に多いし、貴重な店ではある。
渋谷タワーも細かい紹介文で知られ、ひいきにしていたところ
だったが、さいきん文章が悪ノリがすぎてかえって購買意欲を削いでいる。ただ、点数は
抜群である。渋谷HMVはだんだんと充実していってるかんじだが、紹介文は全店舗共通の通り一遍の
もの。値段は今やHMVのほうが安いかも?
今はなき渋谷WAVEに六本木WAVE、特に六本木はマニアック路線一直線だっただけに
なくなったときは非常に残念だった。
銀座山野楽器はちょっと面白いものがあることも希にあるが、それほど多くない。
銀座HMVは平置きの安売り中心の店になっている。
新宿ヴァージンは穴場で、マニアックな品揃えで魅せる。対しタワーは売り場こそ
広いものの、それほど充実度が高くない。店員もあまり詳しくない。タイムズスクエア
のHMVのほうが狭いもののどちらかというと買い易い。池袋HMVは独自路線を
歩んでいたが、最近ちょっと低迷か?大御所、秋葉原石丸電気はべらぼうに安かったり
して嬉しいが、品の回転が速すぎて古い盤が残らない。昔は古い盤を探しに石丸へ行く、という
くらい所蔵点数が多かったのだが、今や全く別指向の店になった。他の店にふつうに
売っているちょっと前のCDが、二店とも売り切れていたりするのでびっくりする。
ただ、ここはCD−Rを扱っているので非常に貴重である。あと、店員が親切。
CDに紹介文こそほとんど挙げられてないものの、この店は十二分に存在価値がある。
店のことをつらつら書いてしまったが、
冒頭の横浜タワーに戻って、そこで手に入れたのがこのシンポジウム盤である。
シンポジウムだから音はレコードからそのまま録音した如き悪いものであるが、
音楽の魅力は十分に伝わってくる。若きバーンスタインの覇気溢
れる演奏には後年に比べれば個性的なものは少ないものの、全体的に速めに進む音楽の
耳心地は非常に良く、その力強い推進力に身をまかせるのも一興といったところ。
ただ、この演奏のころ戦争はまだ終わって
いなかったわけで、この曲に託された想いに想像をめぐらせてみるべきでもあろう。
1楽章のどことなく悲痛な叫びには生々しさがあり恐ろしい感じすらするが、
4楽章のあまりに楽天的なフィナーレへと続くところがアメリカ的だ。後年のものにくらべこの演奏のほうを高く評価する人もいる。
(2003/2/12記)

○VPO(sardina records:CD-R/FIRST CLASSICS)1979/5/27ライヴ

精妙で落ち着いた演奏。ドラマティックな盛り上がりも柔らかく透明な音色でまとめられ、
ライヴにしては非常に安定した印象を受ける。技巧的にも完璧といってよく、まるでロンド
ンの有名オーケストラを聞くようだ。緩徐部における「荘重な」表現は没入型指揮者として
とらえられることの多いバーンスタインのイメージを覆し、過去のNYP正規盤のようなエ
キセントリックな面も消滅し、崇高な祈りの感情を感じる。特に3楽章の沈潜する表現は彼
のマーラーとは異なる静謐と威厳に満ちている。全般、爆発的な迫力は望めないが、深味の
ある演奏だ。最上級の賛辞を贈られても、おかしくはない。個人的に 2楽章の表現がマーラ
ーなどにみられる「レントラー舞曲」的に重いところが後年のバーンスタインのスタイルを
象徴していて面白かった。26日盤というものがLIVE CLASSICSなどで出ていたが偽演とのこと。(A.ヤンソンスらしい)

〜三楽章アダージオ

○ロンドン交響楽団(GNP:CD-R)1975/8/13LIVE

ショスタコーヴィチ追悼のために特別に演奏された75年8月のライヴ記録。あたかもこれ一曲で完成された
悲歌シンフォニーであるかのように、深く、広く、哀しくひびく演奏。すすり泣くような冒頭から、ロンドンの
オケとしては精一杯の悲しみの叫びまで、バーンスタインの歌は続く。とはいえ録音のせいか盛り上がりどころ
でいくぶん物足りなさを感じる部分もなきにしもあらずだが、静かな場面の意味深さはこの盤でもよく伝わって
くる。非常に美しい演奏だ。そういえばバーンスタインが亡くなったときメータが演奏したのは、マーラーの
3番終楽章、慈愛に満ちたあたたかい曲だった。そのとき遠くロシアではスヴェトラーノフが同じくマーラー
の9番を追悼演奏したという。追悼演奏をする側もいつしか追悼演奏をされる側になる。しばし無常を想う。

*********************************

(ふたたび全曲)

シルヴェストリ指揮ウィーン・フィル(emi)1962

ライナーには「非常にスマート」とかかれているが、
整然というより雑然といったほうがいいような部分もある演奏。
3楽章は精妙な音楽を聞かせており本盤のききどころと
言ってもよいが、弦のアンサンブルが崩れたように聞こえる
箇所が有る。またヴァイオリンが薄くてまるでウィーン響?
と思わせるようなところさえある。終楽章は割合と恣意的なテンポ
操作が行われており、それまでの「そっけない系」の解釈とは少々
異なってはいるが、わざとらしい。シルヴェストリという指揮者
を知るにはいささか分が悪い盤である。雑味の多さにライヴかと思っ
たらスタジオ録音。・・・なんとまあ。

マキシム・ショスタコーヴィチ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)

比較的オーソドックスな演奏で、とくに没入することもなく、かといって客観的でもなく、いたって平凡な
解釈である。ただ、終楽章だけがちょっと違った。まるで父ショスタコーヴィチがヴォルコフの「証言」で
「なんにもわかっちゃいない」とムラヴィンスキーを批判した、その批判されるような解釈をはっきりと
行っているのである。最初の盛り上がりで急に恣意的にテンポを落としているのがもっともわかりやすいが、
それ以外でも娯楽作品を扱うようなテンポの伸び縮みが見られる。それは自由にルバートしているわけでは
なく、予めはっきり指示されてのことであるようだ。作為的に盛り上がりを作っているところが逆に
萎えさせる。無印。この盤はLPではいろいろと出ているがCDは不明。

*********************************

ストコフスキ指揮

○チェコ・フィル(PRELUDIO)1961LIVE

3楽章が圧倒的に素晴らしい。チェコ・フィルの美しい弦により寂しげな歌が歌われている。心に染み入る
感傷的な歌だ。これだけでも○ひとつを与えるのに躊躇はない。ストコフスキは譜面操作を行う指揮者だが、
終楽章以外は特におかしな解釈は聞かれない。終楽章はテンポがゆっくりめのインテンポであるところが意外
だが、いくつかオケ(とくにブラス)がとちっている箇所が有り、ひょっとしたらそれはとちっているのでは
なくそういう解釈なのかもしれないが、失敗だったとしたらちょっと残念ではある。終楽章のヴァイオリンが
何本かとても艶めかしい音でポルタメントばりばりで弾いているのが聞こえ面白い。モノラル。

ニューヨーク・スタジアム交響楽団(ニューヨーク・フィル)(EVEREST)1959/1初出

「オーケストラの少女」DVD化記念に買ってみた(あっちはチャイ5ですが)。
クリアな録音が仇!ヴァイオリンパートが薄すぎる。ストコフスキのいくぶん緩い指揮がここでは
雑味を呼んでいる。それらの欠点までもクリアにされてしまった!ストコフスキの解釈はそれなりの
見識のもとに施されているし他では聞けないものだが、正直古いモノラル録音のほうが聴き易かった。

*********************************

チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(EISEN)1986/2/6LIVE

音が余りに悪すぎる!あきらかにラジオ放送のエアチェック。このライヴ4枚組みは1600円強で
非常に安いが、非常に状態が悪い。「革命」でいえば、ピッチが高い!海賊盤にありがちなピッチを上げて
収録曲数を増やすというやり方を思い起こさせる。そして、演奏もはっきりいってあまりよくない。
四角四面の音楽、構築性を重視するあまり曲の流れがよどみがち。ハーモニー重視のやりかたは
一理あるが、この盤は状態が悪すぎて肝心の響きの美しさがデッドだ。ショスタコはけっこう単純な
スコアを書く。楽器ひとつにえんえんと旋律を演奏させたりする。だからこういった細かい音が聞き取
れない録音だと、旋律が暗雲の中に消失、なんじゃこりゃ、わけわかめ。無印。

○ケンペ指揮ベルリン放送交響楽団("0""0""0"CLASSICS:CD-R)1974LIVE

引き締まった響きとそつのないスマートな演奏ぶりが印象的。硬いオケだけれどもケンペは柔らかい響きをよく
引き出している。終始ショスタコを聞くというよりは近代クラシック名曲の一つを聞くといった趣が強く、
何物にも意味を見出そうとするショスタコマニアには食い足りないだろうが、非常に聴き易いことは確かで、
何度も聴くに耐えうると思う。この曲の1楽章が苦手でいつも3楽章や4楽章だけ聴いてしまう私も、最初から
最後まで一貫して聞くことができた。ショスタコの「縛り」をことごとく外しているように思える。諧謔も
あまり聞こえないし、音楽の美しさだけをつたえようとするかのようだ。ライヴなだけに「軋み」も少なからず
聞こえるし、録音もかなり悪いのだが1、筋のとおった解釈はそんなことをものともしない。全楽章速いけれども
起伏が絶妙で(自然ではないのだが)一本調子な感じはしない。とくに終楽章、冒頭から遅いテンポで始めた
のが初めのピークを乗り越えたあたりで凡人はテンポを落とすところ逆に急激にアッチェルをかけて雪崩れ込む。
「証言」以後の解釈というべきか、これはどんな人もやっていない。テンポはそのまま速いまま終わる。特徴的な
解釈だ。また、どことなくマーラーを思わせるひびきがあるのはこの人がけっこうマーラーも振っていた証左か。
私はあまりこのひととは縁がないのだが、感心することは多い。録音マイナスで○。

○ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(WEITBLICK)1986/10/7LIVE

いまいち重みが足りない1楽章冒頭のフーガから、あれっと思うようなところが散見される。テンポの極端な
変化(ディジタルな変化)、ピンポイント的なレガート奏法の導入、いろいろと小細工がなされている(小さく
もないか)。オケはけっこうあわあわしているように聞こえる。どうも指示を巧く演奏の中に溶け込ませられ
ず、ぎしぎしと軋み音を鳴らしている。とはいえケーゲルの個性的な解釈の面白さは特筆すべきで、評価すべき
ものだろう。1楽章はやや違和感を感じたが、2楽章以降はまあまあ。○。


交響曲第6番

ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(AKKOPA)

じつは不思議なくらい惹かれなかったのである。非常にクリアな音質で聴き易いし、演奏自体もムラヴィンスキーを
彷彿とさせる鮮やかなアンサンブルにロシア流儀のエッセンスを加えた過不足無いものなのだが、あまりにあっさり
聞けてしまう。マーラーの影響もまったく感じないほどあっけらかんとしている。後半楽章に配されたベートーヴェ
ン的開放の楽章もあまり開放に聞こえない。いや、もともと余り抑圧されていないのだ。うーむ・・・。
聞き方が悪いのかもしれないので、いつかまた聞き直して書きます。余りにも印象が薄かった。

コンドラシン指揮

ACO(PHILIPS)1968/1/19

なかなか集中力の高い演奏だが、ちょっと限界が近付いているか?という感じもしなくはない。
曲自体の包蔵する魅力を引き出す事に成功している。垢抜けた明るい音でロシア時代の演奏と一線を画した
音楽を作りあげており、かなり聴き易い。録音はけっして万全ではないがおおむね支障はない。30分かから
ない短い曲で、5番の切れ端で作りあげたというような説も聞かれるが、1楽章の主題には古典ふうのトリル
が付けられていたりと独特のマニアックな仕掛けも忘れていない。2楽章アレグロ、3楽章プレストと一気に聴きと
おせるのはショスタコーヴィチの交響曲としては異例のことで、水際立った弦楽器の走句がばしっと決まれば
かなりカタルシスを得られるのだが、この盤はちょっと危ないながらもなんとか弾き通している、といった
感じだ。でも私は満足しました。ロッシーニは苦手だが擬ロッシーニの現代作品は好きです。

◎スウェーデン放送交響楽団(BIS)1977/10/13LIVE・LP

このオケの上手さが光る。冷たい熱気がショスタコにはうってつけ。コンドラシンの濃ゆさが綺麗に抜け、合奏の完璧さ、美しさが残った演奏といえようか。録音がよく、迫力もすごい。激しいのにキレイ、全曲聞きたかった。

〜ふたたび全曲

*********************************

ムラヴィンスキー指揮

レニングラード・フィル(ICON)1983/3/12LIVE

○ソヴィエト国立交響楽団(RUSSIAN DISC)1972/1/27

録音は聞きづらい。偏向したモノラル、という様子で音も安定しない。そのためかもしれないが1楽章は
余り強い印象は残らなかった。2楽章アレグロもそれほど集中力の高い演奏とは思わなかったのだが、
3楽章になるとずいぶんとヒートアップしてきて、オケのノリが感じられる。しなやかな黒豹のように俊
敏に動く音楽が弦を中心として紡ぎ込まれており聞きごたえがある。この楽章の旋律や音階状の音列
は若い頃に熱中したというプロコフィエフの楽曲をあからさまに彷彿とさせるが、1楽章と共にこれは新
古典主義に立った楽曲だ、とわざわざ強調しているかのようだ・・・舌を出しながら。この楽章のスピー
ド感はさすがムラヴィンスキー!というシャープな表現が清々しい。最後の「ジャンジャンジャン」とい
うショスタコとしては異例の喜遊的な終止部は、曲の流れを無視したように突如湧き起こる余りにわかりや
すい皮肉な楽天音楽の「これでいいのだ!」だが、カルテット1番の終楽章と親近性を感じる。共にショス
タコがわざとわかりやすく描いた音楽として通じるものがあるのはあたりまえか。総じて○。手元には
まだ少なくとも他に3種はあるが、まだまだあるかも。ムラヴィンスキーはこの曲が好きだったのだろうか。

*********************************

ストコフスキ指揮シカゴ交響楽団(RCA,BMG)1968・CD

安っぽい。音楽そのものがやや浅薄なものも元々孕んでいるのではあるが、それにしても何も残らない演奏だ。
まず録音が人工的で非常にバランスが悪い。これはけっこう致命的で、明晰すぎるがゆえに生身の音楽が感じら
れず最後まで借り物のように聞こえてしまう。また、ストコフスキはいつものわかりやすい音楽を作っていない。
消化不良のまま録音したというか、あまりストコフスキ的な奇矯な面白さがないのが不思議だ。ロマンティックな
局面もないわけではないのに、盛り上がらない。3楽章プレストはプラスチックのおもちゃのようだ。この楽章は
たしかに皮肉っぽい軽さを持っており、そういうパロディ的な音楽なのだが、そこまでの道のりも含めて余りに映
画音楽的というかバレエ音楽的というか、結局全部が起承転結のついた交響曲に聞こえない。シカゴ交響楽団の腕
も何か突き放したような冷たいものに感じてしまう。ふとショルティならどうやったろうか、と思った。古典を小
バカにしたような新古典主義音楽、というのが私のこの曲のイメージだが、これはもはや古典のカリカチュアどこ
ろか不器用な古典のモノマネだ。うーーーーーーん。。。無印。

◎ボールト指揮ロンドン・フィル(EVEREST)

これがびっくりするほどいい演奏なのだ。オケはシャキシャキ決まるしソリストはおしなべてウマイし(木管
最高!)ステレオ録音であるせいもあるのだが充実した演奏ぶりでなかなか聞かせる。長い緩徐部が慣れない
人を飽きさせる曲であるが、この演奏で聞くときちんとドラマが描き出されているから面白い。ショス
タコ馴れしていない指揮者が陥りがちな恣意的解釈は一切無く、浅薄な感じもしない。ボールトという
とニキシュ譲りのドイツ流儀、重々しく濁った音響、ロマン性色濃い解釈みたいなイメージがあるかも
しれないが、水際立った表現ぶりは、モノラル時代の録音でしばしば聞かれる表現主義的な峻厳な音楽
を彷彿とさせるところもある。ただ、個性は薄い。じつに立派にショスタコを演奏しているが
個性的なところはほとんど聞かれない。音響の整えかたに非常に安定感があるのが特徴的といった程度
か。野暮で牧歌的といったイメージを勝手に持っていた私もこの演奏には認識を改めさせられた。6番
という曲は5番の明に対する暗として捉えられるものだ。思索的でスケールの大きな音楽は5番がある程度
限られた枠の中で明快な答えを提示するものであるのに対し、茫洋とした荒野にただ佇んで思索し逡巡
し続ける巡礼者のような音楽だ。そこに答えは無い。新古典的傾向を明瞭に示す曲ではあるがボールトは
殊更に意識せずにロマン派以降の音楽寄りに表現している。それで無理なく収まっているから、これはこ
れでいいのだろう。◎。

*********************************

バーンスタイン指揮

ニューヨーク・フィル(SONY)1963/10/14

ウィーン・フィル(DG)1986/10LIVE


交響曲第7番「レニングラード」(1941)

<ドイツ軍に包囲されたレニングラードで作曲されたことは余りに有名。ナチを示す「戦争の主題」とレニングラード市民(献呈者)を示す「人間の主題」の葛藤をえがき、最後には人間性が回復されるという勝利への希望を託した内容は連合国側でも非常に熱狂をもって受け容れられた。長い作品だが戦争の心象的描写や旋律的な魅力にも溢れ、ショスタコーヴィチの全交響曲中いちばん充実している。>

○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(RCA)1942/7/19live

これは歴史的ドキュメントである。レニングラードからマイクロフィルム
で届けられた総譜を使用してソヴィエト国外初演が行われた、そのものの
記録なのだから。録音状態は悪い。かなり耳につくノイズが入る所もある。
また即物的で情緒的なものが薄い演奏であることも(トスカニーニだから
仕方ないのだが)気になる。しかし、まず手探りであること、当時の現代音楽
であり、演奏に万全の準備もできなかったであろうことを勘案すれば、
その価値を認めないわけにはいかない。純粋に演奏だけを聴くならば
それほど高い評価を与えられないものかもしれないが、歴史的価値を
汲んで○評価をつけておく。終演後はさすがにブラヴォーの嵐。
演奏中トスカニーニの唸り声(鼻歌?)が聞こえる部分があるので傾聴。

○エリヤスベルグ指揮国立レニングラード・フィル交響楽団(great musicians of palmira du nord)1964live・CD

レニングラード初演指揮者による録音。ドイツ軍包囲下にあって生き残りの楽団員を集めて行われた1942年8月
9日の演奏会は伝説となっている。このあたりのことは「ショスタコーヴィチ ある生涯」にちらっと載っていますの
でご興味があれば。これはライヴなので若干の瑕疵はある。たとえば1楽章の時点ではいくぶんアバウトなところも
あり、いまひとつピンとこないかもしれない(録音も悪いし)。だが強奏部の力感は圧倒的だ。1楽章の最高点なら
びに終楽章最後の威厳に満ちた強大な音楽は、もうただただ聞き込むしかない。余りテンポのタメを作らず高速で一直線に
進めていくやり方はちょっとムラヴィンスキーに似たところがあるが、もっと太筆描きの豪放さがある。また、抒情味溢れ
る楽曲の細部までしっかり弾かせており、途切れる事のない歌にはっと気付かされるところもある。とにかく率直な
解釈で純粋に曲のダイナミズムを追い求める態度は共感できる。ただ、率直とはいいながらも、3楽章・・・おそらく
この楽章に関してはこれは最高の演奏記録だ・・・には楽団員から指揮者まで思い入れの限りが尽くされており、
エリヤスベルグの気合いや鼻歌が聞こえ出したらもう背筋がぞくっとするような衝撃の連続である。ここまで峻厳
な3楽章、それは死に対する諦念ではなく、あくまで生きることへの渇望からくる力強い衝動であり、その迫真性
はちょっと現代の指揮者にはなしえないものを感じる。巧い下手ではなく、これは時代のなせるわざであり、その
時代の記憶である。ソヴィエト・ロシアに知られざる指揮者というのは数多いが、この指揮者もナゾといえばナゾ
であるし、もっと音源が発掘されないものか、と思う。

*********************************

スヴェトラーノフ指揮

◎ソヴィエト国立交響楽団(ZYX/SCRIBENDAM/MELODIYA)CD

あー、凄い!!

オンガクは音に楽しいとかいて音楽だ!楽天的で何が悪い!深読みはマニアにまかせとけ!
(某評論家、もしくは一時期流行った無責任盤評本のマネをしてみました)

この超名演・・・明晰、壮大、ダイナミックのイメージそのものの爽演。多分CD化してましょうが(ライヴと
かあったような・・・ホシイヨ)私太古のLP2枚組みしか持ってないゆえ面倒で(すいません)、1楽章以外
中仲聞けません。でもこの1楽章だけでも至高の桂冠を差し上げたい。こんな鳥肌ものの演奏をする指揮者が何
故マーラーを苦手とするのか(本人の好き嫌いは別)?いやショスタコだからマッチするんですね。日本盤LP
ではいつも「重戦車」と評されたスヴェトラーノフのオトですが、私のイメージとは全然違うんです。他にその
名が似つかわしい指揮者は沢山いると思う。

<レニングラード>でいえば、レニングラード&ムラヴィンスキーのモノラルライヴ、「ファシズムのテーマ」
なんて連綿と発射される機関銃、地を泥と荒らす戦車隊、突然狂ったように激しく掛かるアッチェルと松葉の中
に見えてくるのは、「近代戦争の悲惨」そのものです。

他の部分、特に前半は簡素で客観にすぎるくらいなのに、いきなりこの世界が展開される。

以下、妄想をお許し下さい。

汗を流す農民たち。広大な畠。緑の野と黄色い太陽。鳥の声。子供たち。いつもと変わらぬ平和な日。太陽を遮る
小鳥の影にふと目を上げると、遠くの丘に何かが光る。小さく歌が響いてくる。ああ、面白い歌だな。思わず聞き
入りながら、端の石に腰をかけ、小休止する農夫。黒々とした群れが見え始める。遠くの緩やかな丘を、砂煙で覆
いはじめる。キャタピラの音が聞こえる。歌声は瞬く間に大きくなり勇壮さを帯びる。小太鼓の連打がうるさい。
眉をしかめた農夫は思わず立ち上がる。

何かが飛んだ。

農夫はそのまま地に伏す。二度と動かなくなる。掃射が始まる。桶を担いだ太った女も、葉を摘む老婆も、次々と
伏し、又天を仰ぎ、血を吐き、・・・動かなくなる。

「面白い歌」は趣を豹変させ、強大で、ケダカイ、ファシズム国家の軍歌として呪われた雄叫びを挙げる。

勝利の歓声は人間のそれではない。全てが蹂躪され・・・野畠は一面の泥血にまみれ、・・・(妄想終わり)

モスクワ&コンドラシンの、硝煙の中、敵兵の死骸のぐちゃぐちゃの頭蓋を、叫びながら、わらい乍ら、えんえんと
打ち続ける兵士達。

これらに比べれば、スヴェトラーノフのそれは違う表現です。

この2演はイデオロギー的背景が音に解釈に見え透いて来る。聴衆のカタルシスを得られるように、「楽曲として」の
起承転結をしっかり型付ける姿勢は感じられない。ムラヴィンスキーなど上記”盛り上がる”箇所以外は聞きづらい
程の平板さですし。それらも凄い演奏です勿論。でも、ひたすら音楽「だけ」を表現しようとしているのは寧ろスヴ
ェトラーノフのほうではないでしょうか。

音楽、音を楽しむこと。

・・・表層的?音楽における「表層」とは、結局何なのでしょうか?中声部を疎かにし旋律音域を偏重すること?高音
打楽器を強調すること?金管楽器の開放的な発音法?テンポ・ルバートの多用?・・・演奏家の「解釈」は、そんなに
四角四面に制約されなければならないのでしょうか?それでは演奏家は再生機と一緒ではないですか・・・

論が外れました。

ショスタコーヴィチは背景知識イデオロギーといった音楽以外の要素で聞かれることの多い作曲家です。でも本人はそ
れだけで聞かれる事を望んでいたのでしょうか?バーンスタインの「革命」で、感激の余り舞台に駆け上がったショス
タコーヴィチは何を考えていたのでしょうか?人間は単純じゃない。そして時は流れ続ける。真摯に生き続けるひとり
の人間が、長い間ずっと同じ考えであることはありえない。これは伝記作家や評論家+私のような塵芥ディレッタント
のすぐに陥る奈落だけれども、衝動的な言動を余りに大きく取り上げすぎる。それを「何か」と結び付けるために。自
己の考えを補完するために利用する。タトエバ考古学みたいに根本的に対象素材の不足する研究分野や、雲を掴むよう
に実体の無いゲイジュツなるモノの論では、よくあることだ。 ”新シイ見方”を売り込み、人気をとり、高く売る為
に。

・・ううもうこんなこと書くのもイヤだ。また自虐趣味だな。・・・

楽天的演奏のように書き連ねて仕舞いましたが、4楽章をはじめとして、大叙事詩的な世界を完璧な技巧を持つ演奏家
達によって作り上げた素晴らしい演奏です。ロストロポーヴィチ盤と良く似ていますが、オケ(特にブラス、木管)の
力感は圧倒的です。

ハーグ・フィル(CANYON)

スヴェトラーノフのキャニオン盤はシューリヒトとのブルックナー7番で有名なハーグ・フィル(ハーグ・レジデンテ
ィ管)とのタッグ(92〜)で、円熟した棒の繊細さに先ず驚かされる。弱音部の「静謐さ」は独特で、密やかであり、美
麗であり、哀しく、憧れに満ち、過去の録音と全く異なる深い「情趣」を感じる。1楽章冒頭よりひとつひとつの音を
切りつめて、やや急いたような細かい響き(じっさいテンポ設定も相当早い)は旧盤との違いに少し驚く。ライヴのせ
いもあるだろう。柔らかで重みを帯びた音(録音?)は特徴。あきらかにオケの差でもある。破壊的な表現やぶっきら
ぼうなりの魅力というものは失われているが、バーンスタイン以上に「マーラー」を思わせるひたすらなロマンに心震
わされる。いつも明るく透明感のある音作りのスヴェトラーノフが、時に沈痛なほど暗い顔をみせるのが(3楽章から
4楽章へのアタッカ前など)、個人的経験の深さも想像させる。現代希有の独裁的指揮者という印象もあるが、ここま
での統率力は今や中仲聞けないものであろう。聴衆にとってはそのままでいてほしい指揮者だ。ソヴィエト国立の強大
な力はないものの(フォルテッシモの音が常に弱く弛緩したように感じる向きもあるだろう)、円熟味という点では(
当然ではあるが)抜きんでている。最後、比類無き壮大なクライマックスはこの人の演奏でしか聴けない。ロシア・ソ
ヴィエト交響曲におけるクライマックスの、歌味に溢れた実にダイナミックな解釈(最後の音符、最後の楽器の隅々ま
でに「解釈」を行き届かせ、且つ表現し切るのだ!)の素晴らしさにおいては、史上最高と言っても過言では無い指揮
者である。ここでも単に「輝かしい勝利の歓呼」として流した表現にはならない。回想される「人間の主題」は絶後な
ほどに巨大に引き伸ばされ、曲の「尻切れ」状態を補完し、非常に安定した構成感も与える。それまでの比較的地味な
表現に比べ激しくコントラストが付いたルバート表現でもあるが、この大きさは逆に、最後まで低音楽器の奏で続ける、
不穏な不協和音の流れにも気付かせる。物語は「死の上の勝利」で幕を閉じるのだ。ショスタコーヴィチの公式発言と
個人的伝説の両方を兼ね備えた恐ろしい程秀逸な終幕である。スヴェトラーノフの演奏は常に熱狂的なブラヴォウで
終わる。これはライヴである。73分はけして長い演奏ではない。

○ソヴィエト国立交響楽団(SCRIBENDUM)1978/2/28LIVE

10年前のメロディヤ録音は名演だった。この盤はライヴであり、スタジオ録音に比べやりたいほうだいである
ことが望まれるが、それほどヘンな解釈は無い。ここでこうイってくれ、というところでちゃんとイくという芸風
はシロウトには特に解りやすいし熱狂を呼ぶ。それはそれで価値のある娯楽的演奏だと思う。全般にスピードが
早めになっており、ちょっとスケール感が減っている反面、突き刺すようなフレージングや猛烈な音表現(一楽章
の太鼓!)は得体の知れない怖さを感じさせる。終楽章の最後で、スヴェトラーノフらしく最後の音をぐいーーー
っと伸ばしてクレッシェンドさせるデフォルメは刹那に感動を呼ぶが、そのあとの拍手はなぜかおざなりなパチ
パチ。。ソヴィエト国内でショスタコーヴィチは、スヴェトラーノフは果たして正当に評価されていたのだろうか、
そんな余計な心配までしてしまうのであった。音場やや狭くせせこましく聞こえてしまう点を引いて○ひとつ。

○スウェーデン国立放送交響楽団(VANGUARD)1993/10/10,11LIVE

今までで最高のオカネをかけて入手した盤です(泣)目下四種あるスヴェトラーノフの「レニングラード」のうち
最後の録音になる。オケがあまりパワフルでないため、表現にはかなり食い足りないところがあるが、解釈が
隅々まで行き届いており、多少は恣意的であるものの聞かせる。弦がレガート気味の強奏で刻むところ
をしばしば音を切ってマルカート気味に弾かせているのが印象的だった。なかなか勇ましく効果的である。
フィナーレ最後のこの世のものとは思えない物凄い盛り上がりは、過去2録音と違わずすばらしい。
これ以上の演奏というものを私は想像できないのである。ここにきてはじめてテンポを急激に落とし、絶妙の
タイミングで「人間の主題」の旋律を解き放つ。この盤が手に入らないのならぜひ1回目のスタジオ盤で
経験してもらいたい。スヴェトラーノフの「レニングラード」はムラヴィンスキーやコンドラシンすら凌駕する
絶品。とくに終楽章の解釈は間違いなく後世に残るだろう。まあ、パワー不足を割り引いて○ひとつか。
 

◎ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル

この凄絶なライヴは同曲の演奏史に残る歴史的記録といえます。

結構スヴェトラーノフの項に書いてしまったので手短に。アクの強い演奏です。気合がちょっと入りすぎていると感じ
るほど。即物的でもある。ライヴのせいもあるでしょう。モノラルで録音が悪く、音彩が余り見えてこない。静かな不
協和音の響く箇所など、平板な感もありました。色彩的な曲ですからどうしてもそこが欲しい気がします。只解釈的に
は独特だし哲学に満ちている。3楽章に哀しい迄の美しさがあり、諸所ブルックナーなどのように響くのも印象的でし
た。総じてまるでマーラーのそれのように、静麗寂寥の極み。これは出色です。

◎コンドラシン指揮モスクワ・フィル(1975)

とても整って、緊密な演奏です。あらゆる面で同曲のスタンダードといえるでしょう。この人の演奏が一番バランスが
良い。曲の多面性を鋭く捉え、どの角度からもしっかり照射している。弱音部の美麗さは比類無いもので、甘く感傷的
なほどです。 1楽章の「ファシズムのテーマ」すら抒情性を失わない。そのため純粋な音楽としても楽しめます。<レ
ニングラード>は非常にバランスの取れた抒情的交響曲。マーラーら魅力的な抒情作家へのオマージュを、とりわけ分
かりやすい形で散りばめた傑作でもあります。(バルトークのようなヒネた老人にはわかるまい!前衛の空しさを身を
もって体感したろうに、この感動的な曲を何故揶揄したのか?)大衆に分かりやすい形をとることにより、包囲網下の
窮状を打破する勇気を皆に与えるように、作曲家としてできる限りのことをしたということでしょう。一市民として、
消防士の格好をした大作曲家の写真に、連合国の誰しもが感激し、マイクロフィルムで送り届けられたスコアにより、
トスカニーニを初めとする国外の指揮者によっても、早くからさかんに演奏されることになりました。(トスカニーニ
盤の純音楽的空疎には少し異論があるのですが、別項に廻します。) 3楽章を聴くと、この楽章こそショスタコーヴィ
チの書いた最も美しい曲であるという感を強くします。冒頭木管の荘重な挽歌(葬送歌もしくは鎮魂のミサの始まり)、
ブルックナー張りのヴァイオリンの強奏!!下では時折低音金管楽器の2拍3連の上昇音形、いわばワグナー的な対位
フレーズが繰り返される。数々の過去要素の、独創的配合。さらに続くは、1楽章「人間の主題」提示後の牧歌をさらに
純化したような・・・「大地の歌」のような、フルートによる息の長い旋律。暗い夢想に溢れた歌。二度と戻らない人
への想い。静かなレクイエムが続く中ふと浮き上がる冒頭ヴァイオリンの回想。やがてそのまま展開し、勇壮なる闘争
へと向かう。マーラーの残響である(ショスタコーヴィチの癖でもある)付点音符のリズム、ペットの絡み、中音域の
抜けた高+低音だけの独特な響き。癖的には非常に近似した作曲家といえるプロコフィエフに繋がる要素もある。ここ
はもう格好が良いとしか言いようが無い!・・・だがやがて静寂が戻り、スネアのとおく響く中、葬列が通り過ぎる。
そう一闘士の想い出に過ぎない。

静かに、冒頭ヴァイオリンの回想。最早叫ばない。挽歌と一緒になり、同化して、そのまま・・・

そのまま低弦の新たなテーマへ移る。静かで無調的な、ショスタコーヴィチ特有の瞑想的フレーズ。やがて少しずつ挽
歌が蘇り、音を増す。ヴァイオリンが完全に冒頭のような強奏で蘇る。荒れ野の丘に、最後の葬送歌が響き渡る。低弦
はワグナー〜マーラー的対位性を保ち、荘重さを支える。葬送は最後の時を迎えた。白い墓銘碑は吹きすさぶ風の中で、
無言のまま、寂しく立ち尽くす。重い足を引きずりながら、トラックに乗り込む。

無言の喪服の中を、荷台に揺られている。

言い表わせない感情に襲われて、どうにか端より顔を突き出す。両頬が妙に冷たく、丘はもう遠く霧に隠れてしまって、
見えない。そのとき初めて、涙が流れていることに気がついた。・・・

4楽章。増して無調的だが、ヴォーン・ウィリアムズのようなたゆたう幻想、不安感。オーボエと線的に絡むファゴット
の、マーラー的警句に導かれ、ヴァイオリンが走り出す。チェロも対位的に後を追う。ブラスのオスティナート・リズ
ム、3拍子のフレーズから、線的対位的なアンサンブルの緊密さ。この充実ぶりはほんとにマーラーだ。木管からペット
の闘争のテーマ、そのままブラスと弦、そしてシンバルの打撃。どうしようもない闘争。革命交響曲の終楽章前半のテ
ーマがチラリ。もう格好良すぎる。弦の低音リズムに載せた木管アンサンブルの鼓舞するテーマが通り過ぎ、鞭、弦の
くぐもったリズムが枯れはてるさまを描く。これは敗北に向かう姿だ。そのままやつれ、重い鎖を引き擦る様な弦の低
音域合奏。・・・死の気配。

それでも時折立ち上がる気配を見せる。一旦音域は高く昇ってゆく。しかしすぐにやつれる。低く沈んでゆく。静まり
返る・・・まさに、ショスタコ的静寂だ。ヴァイオリンが、死にかけたパンの笛の様に、兵士の転がる荒野に空しく響
く。完全なる死の世界が残る。血の匂いだけが唯一の生の残照だったけれども、消え去る。屍は草木よりも数多く地面
を被い、墓標すらも立てられぬままに捨て置かれる。降り始めた雪。静寂の野に優しいヴェールが舞い降りて、何事も
なかったかのように・・・。

・・・だが、春になると、少しずつ大地の底から生命の息吹が聞こえはじめる。

理不尽さと闘争する心はけして止まない。

半音階的で哀しい音の中にも少しずつ光明が差し、ティンパニと弦の明彩は厚い雲を割り、兵士の死骸を覆う雪は溶け
出し、中から力強く立ち上がる草の芽。死骸のひとつひとつから、無数に芽生え出していく。草ぐさはかつてここに暮
らした人間たちの生まれ変わりだ。新たな生命は人々の死の上に新たな大地を創り出そうとしている。野はやがて緑に
還るだろう。空しさの上にも光明が差し、かすかな希望が遠く雲間に見えたような気がする。雲間は薄く光るだけだけ
れども、決して勝利はしなかったけれども、物語は・・・この時代、フィクションではなかった地獄の記録は(日本だ
ってそうだ)・・・エンディングを迎える。

最後のアプローチについて私は、ショスタコーヴィチの美学が非常にはっきりと反映されている演奏と思います。通常、
最後に、疲弊し伏していた同士たちが力強く立ち上がり(トロンボーンとチューバによる「人間の主題」の再現)、手
に手に勝利の矛を持って壮大な夜明けを迎えるというようにいわれます。そのように明るく壮麗に盛り上げた方が、ど
ん詰まりの「人間の主題大復活」が生きてきて、聴衆も感動するし、正統だとは思います。だけれども、同曲、人間の
主題の復活、余りに遅すぎるのではないでしょうか。2楽章からのち、断片がポリフォニックに挿入あるいは奇怪に変容
した形で俄かに出現することはあっても、明確にわかる形では殆ど再現されていない。それを曲も終わりの最後の最後
にいきなり完全復活させるというのは、構成上唐突ではないか?非常に速筆のショスタコですし、情勢柄もあって勢い
で書いてしまったゆえ構成の弱さが出た、とかいうよりも、これは意図的に思えてならないのです。

これは本来「死滅」で終わる音楽ではないか。

無理矢理ベートーヴェン的勝利の交響曲として「完結させる」為、まるでプロコフィエフの「青春」終楽章末尾のよう
に、あるいは英雄映画のエンディング的に、冒頭主題の再現を挿入しただけなのではないか。…お得意の仮面だ(消防
帽か)。

コンドラシン盤での「人間の主題」再現は、1楽章冒頭のそれとは余り共通性を感じない。それまでの十分な盛り上がり
に吸収されるように組み込まれてしまう。それが凄くはまっている。唐突さのない演奏。瑞逸だ。これらクライマック
スでの異様な迫力、強奏ぶり。暗く悲壮な大音響が最後まで心に何かを蟠りつつ深い諦念を伴って突き刺さってくる。
「人間の再生」などではなく、人類の「エピローグ」。それが本来のこの曲の姿ではないかと思う。

・・・滅んだのは恐らく味方だけではないだろう。敵も全員、そこで生きていた民間人も全員、行きとし生ける、全て
の人間だろう・・・

(以上、主観が過ぎますね・・・ひとつの聞き方として、参考程度に。)

2楽章の途中で混ざるリズムに「大地の歌」の「告別」が聞けます。

○ロストロポーヴィチ指揮ナショナル交響楽団

音の美麗さでは他のロシア系演奏と一線を画しています。どちらかといえば明るくダイナミックですが、ロストロ先生
の解釈はコンドラシンの深く切り込んだアプローチと共通するものを時折感じます。私はこの演奏で同曲の魅力に憑か
れました。これも定番です。

スタインバーグ指揮バッファロー・フィル

スタインバーグの世界初録音盤とされる演奏(1946/12)、旋律性に重点を置いた聴きやすいものだ。ひたすら旋律を強調
し全体の流れを重視したもので、テンポの細かい揺れは少ない。一部木管楽器の弱さと強弱のダイナミズムの薄さ(弱
音が少ない)に少し不満も覚えるが、初録音の手探り感は無く、個性的な演奏に仕上がっている。 1楽章、ファシズム
のテーマ提示は「ボレロ」同様小太鼓の刻む剥き出しのリズムから始まるが、この演奏ではいきなりの大音量に驚かさ
れる。通常慎重に開始されるところだが、録音のせいもあるにしてもいささか違和感がある。そのまま同じくらいの音
量のまま、楽器が重ねられて行く。だから頂点までのクレッシェンド感は薄い。他では聞けないし妥当かどうかは別に
して面白い。 2楽章は今一つ力感が足りないような気もするが、 3楽章はマーラー性を浮き彫りにしなかなか聞かせる。
前記した大地の歌終楽章中間部のリズムの残響というよりも、 7番2楽章夜の歌の中間部に聞かれる奇妙な静謐さとの共
通性を強く感じた。音響などそのものだろう。「夜の歌」は組曲風に並べられた旋律を不思議なハーモニーに載せて聞
かせる交響曲だから、旋律を重視したこの演奏とひときわ共通性を感じたのだろうか。

○マキシム・ショスタコーヴィチ指揮ロンドン交響楽団

発売時はかなりの話題になった子息マキシム氏の演奏は、古典的なほどに端正だ。硬く短く切り上げる音作りは一風変
わっており、まるきり客観的ではあるが、強い印象を与える。各楽器間に風が通るような骨張った響きや、ここぞとい
うときのブラスの咆哮にはロシア的なものも感じるが、イギリスの機能的オケを使ったことで柔味を帯びてまとまった。
終楽章最後の壮大さはスヴェトラーノフに匹敵するが、ガチガチ感は対極。クレンペラー型だ。不協和音を敢えて強調
するような終盤の響きには、感情的な高まりが認められる。そういった無骨なハーモニーは他にもいくつか見い出され
る。そして終止律義な音楽の歩みは独特。終楽章後半などブルックナーを思い浮かべた。当然娯楽的解釈ではない。作
曲家のひとつの意図を深く踏まえた表現ともいえよう。

*********************************

ロジェストヴェンスキー指揮

○ソヴィエト放送大交響楽団(REVELATION)1968/1/8 LIVE

最初に断っておくとこれは名演である。オケの馬力は認めるが技量に疑問があるし(木管ソロは
楽曲に追い付けず外しまくり、ブラスの音は汚く破裂し、弦はあまりに雑味が多い)、ロジェストの
解釈は基本的に旋律廻しに終始してしばしば浅薄な印象も与える。しかも60年代末にきてこの粗末な
モノラル録音である。客席の咳や雑音もしっかり入っている。しかし、これが面白いのだ。生演奏の
醍醐味というか、一期一会の異様な集中力がみなぎり、まるでクーベリック・バイエルンのライヴの
ように、些細な穴をももろともしない強烈な推進力が感じられ、聴いていて胸がすく思い。1楽章など
はもっとスケール感が欲しいが録音のせいもあろう。2楽章はなかなかドライヴ感があり面白い。3楽章
はやや表層的ではあるものの聴いていて気持ちはいい。終楽章は緩徐部でだれてしまいがちなところを
旋律線を強調し、しっかり聞かせている。終盤の盛り上がりも快楽的で私は好きだ。スヴェトラーノフ盤
をほうふつとするのはオケのせいかもしれない。いつもの文化省オケではパワー不足になることは目に
見えている。それにしてもロジェストは異様にレパートリーが広いが外れがない。さすがアノーソフの
息子。この人の演奏はオケ次第。ウィーンの4番は名演だった。スケールが若干小さめではあるが、
とても器用な優れた指揮者といえよう。冒頭に述べた欠点を割り引いて、控えめに○ひとつ。

ソヴィエト文化省交響楽団(GPR/BMG/MELODIYA)1984

ゆったりとした演奏ぶりで所々耳を惹く箇所はあるが、全般に音が軽すぎる感があり
曲の外面性ばかりが際立ってくるように聞こえてしまった。新しい録音ゆえ音は
クリアなのだが、そのクリアさが明るさをひときわ際立たせてしまっている。
悪い演奏ではないし個性的でもあるのだが・・・うーん。

*********************************

アンチェル指揮チェコ・フィル(SUPRAPHON)1957/9/2-20

テンション高い。でもそれがアダ。1楽章は一直線豪速解釈で感情移入の隙がない。常に音を短く切り上げる
方法は独特だが、全般正直まったく面白くなかった。
2楽章もオーソドックスで特徴に欠ける。まあ、テンションは凄く高いのだけれども(とくに弦)。3楽章は
綺麗で感動できる範疇内の演奏といえそうだ。ショスタコの悲歌をアンチェルは自分のことのように慈しんで
いる(まあ、アンチェルにしては、という前提付きだが)。でも全般にこの演奏はかなりトスカニーニ盤に
接近しており、トスカニーニで感動できなかった向きはそれ以上のものは得られないだろう。好き好きだが。
ところで私のCDはゴールドエディションだがやたらと音飛びする。ゴールド仕様はささいな揺れにも耐えられ
ないほど繊細なのかもともと安定しないのか?この音飛びが私の低評価に通じていることは言うまでもない。
だって「テンション芸」なのにぶちぶち中断雑音入ってばっかでは売りであるテンションを聴衆は維持できない
でしょー。

*********************************

チェリビダッケ指揮

ベルリン・フィル(CDO)1946

最初聞いたときには音は大きいがピッチが安定せず、録音状態が余りよろしくない
と感じた。ちょっと聞き込んだら、どんなに細かい声部もはっきり主張していて
聞き心地は悪くない。必要な音が大きくはっきり聞き取れる。
解釈のせいもあろう。録音に補正をかけてバランスを調製した結果かも。
直截な中に面白い解釈も混ざり、意気軒昂な若きチェリの棒には晩年の「重厚長大さ」は無いが、
繊細にして明瞭な表現で一切の甘えを排した緊張感はこの指揮者のものだ。
BPOの巧さには舌を巻く思い。

○ベルリン・フィル(Arlecchino)1947

CDO盤が1946年ということなので表記を信じれば翌年の演奏ということになる。
録音状態が更に悪く(でも聞けないほどではない)、異なる録音だと思う。第一楽章の
「ボレロ」の模倣が始まるところで、音が飛んだり戻ったり、信じられない瑕疵がある。
そこまでがなかなか聞かせたために、そうとうおおきなダメージに感じられた。他には
似たような失敗は殆ど無い。CDO盤よりも興がのっており、いささか骨張っている感もあ
るが、終楽章の造形力はなかなかのものだ。ベルリン・フィルという楽器の力もある。
のちのチェリらしいところはないが、ショスタコの演奏としては十分聞けるものである
ことは間違い無い。中盤弛緩しているところがまったくないとは言えないが、総体として
○ひとつつけておく。

*********************************

クーベリック指揮ACO(audiophile/RCO)1950/2/9live

若い若い!かなり情緒的で自由なテンポ変化、直線的なアッチェランドなど、
クーベリックのライヴに特徴的な
ものは既に現われている。録音が悪いのが残念だが、非常にわかり易い演奏
であり、この曲に馴染んでいないひとでも聞き通す事ができるだろう。
かなり速めな演奏であるぶん変にだれないのがよい。想像力をかきたてるほど
深い演奏ではないが、タノシイ演奏である。

*********************************

バルシャイ指揮

△ユンゲ・ドイチェ・フィル+モスクワ・フィルのメンバー(1991/4/22BIS)

話題盤だったものだが、純粋に演奏だけを聞くとどうも今一つの感が否めない。爆発的な力感など望むべくも無いし、バ
ルシャイだから主観的に盛り上がるようなことも無い。だがバルシャイに望まれる研ぎ澄まされた音の繊細なまでのコ
ントロール、アンサンブルの緊密さというものすら聞かれないのだ。混成オケだから仕方ないのだが、もっと集中力が
ほしいし、激しい場面ではもっともっと鋭い音が聞きたい。柔らかな録音のせいかとも思ったのだが、最大の要因はオ
ケの技術的限界だろう。懸命さは聞こえなくはないが、そもそも、頑張っている、と聴衆に思わせてしまったらプロと
しては失格である。この盤には残念だが良い箇所が見つからなかった。

西ドイツ(ケルン)放送交響楽団(brilliant)1992/10

バルシャイの別録については既に記した。これは全集版の一枚で
ある。ちなみに全集15曲で1980円という超廉価盤だった・・・。最近
ボックスものが次々と廉価で再版されているが、一枚一枚集めて
いたのが馬鹿らしくなる事がある。さて、演奏についてだが、意外と
小さくまとまってしまったな、というのが正直なところだ。71分というのは
速い部類に入るだろう。精度は高いのだが、そのぶん情緒的な部分が
スポイルされているように感じるのは私だけであろうか。余りに「ひっかかり」
がなかったので、もう一度聞いてみようとは思う。。

*********************************

バーンスタイン指揮

○シカゴ交響楽団(DG)

そういえばドイツのオケによるレニングラードを聞いたことがない。得意とするマーラーのような表現も交じり、通例
とは別種の濃厚なロマン的アプローチとして、独特の面白さを持った演奏。バーンスタインはシカゴの鋭い音によって、
独特の解釈を完全表現することに成功している。85分弱という異様な長さだが、さしたる弛緩無く流石シカゴだと唸ら
せる。どのパートをとっても瑕疵がなく、強いて言えばその機能性の高さが「鼻につく」くらいか・・・。しっかりと
歩み続ける音楽は、時にかなり深刻であり、曲自体の単純な素晴らしさを再現するというよりも、心理的に一歩踏み込
んだものを感じる。構成感という点で問題視されることの多い指揮者だが、これはアリだろう。時に曲をいじっている
のではないかと疑わせるほどにロマン的演奏だが、名演は名演である(本編でもこの演奏に触れています)。何といっ
ても緩徐部の表現はこの人の独壇場で、巧く旋律の流れを浮き立たせて聞かせる。1、5も入れているがこの7番が最
高だと思う。バーンスタインは戦後NYPと積極的に海外演奏旅行して回る中、ソヴィエトでの「革命」の公演機会に
恵まれ、臨席した作曲家の絶賛を受けたと聞く。CBSの革命の録音は、完全に娯楽的な演奏のように感じますけれども、…

シカゴ交響楽団(RARE MOTH:CD-R)1988LIVE

名盤のDG盤と同じ組み合わせでほぼ同時期にライヴ録音されたものだが、やはり超遅ゆえ間延び
したように感じる所が至る所にきかれる。DGにくらべ聞きづらいところもある演奏。

○ニューヨーク・フィル(SONY)1965初出

ゆっくりなテンポで始まるが、総演奏時間75分弱と後年のシカゴとの演奏などに比べれば
格段に速い演奏だ。バーンスタインも
手慣れたもので魅力的な楽想を際立たせ晦渋な部分を抑えた非常に聞き易い演奏を作っている。
第一楽章の例のボレロの模倣と呼ばれる部分も「どこがボレロ?」というくらいに真摯に深刻に
演奏されているのが素晴らしい。
ニューヨーク・フィルという底力のあるオケを使っているせいもあろう、技術的瑕疵もなく、
最後まで一気に聞かせる力があり、情緒的な演奏を好む向きには最高であろう。佳演。

*********************************

ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(weitblick)1972/5/16live

純音楽的演奏といったらよいのだろうか。オケからは情熱のひとかけらも
感じられず、棒も四角四面で潤いに欠けている。終楽章の最後など音量だけは
盛り上がるものの、聴く者は盛り上がらない。大体が「空疎」なのだ。
全体的に「音」としては緊密に出来上がっているものの、「音楽」になっていない。
強いて言えば緊張感の保たれた第一楽章がまあまあか。情緒的な曲には向かない
ケーゲル、ここにあり。透明感のある(しかし単調な)音の印象だけが
妙に残った。

○ビシュコフ指揮ケルン放送交響楽団(AVIE/WDR)2003/2

渋谷のタワーに行ったら、ビシュコフがいた。トークショウははっきりいって余り客の入りが
なかったが、マエストロは熱くマーラーを語っていた。話題のマーラーは3番なのであまり魅力を
感じなかったが、「レニングラード」が出ていたので思わず買った。そしてジャケにサインを
もらったが、思ったより小柄な紳士だったのが印象的だった。ロシア系の指揮者には愛着がある
私だが、新しい世代のロシア系指揮者はグローバルな活動を行い、そのせいか「色」が薄まっている
気がして、積極的にきくことはしていない。そんなわけでビシュコフをきくのもこの盤が初めてだ。
さて、つらつらと聴いていて、とくに音色が、なのだが、非常に軽く柔らかな印象を受けた。ケルンは
もともと表現力のある楽団で、機能性も高いが、硬質な音色のイメージがあったからこれは意外だった。
1楽章を聴いているとかなり牧歌的で、あたたかい。激烈なコントラストをつけて派手な音楽を表現
する昔の指揮者とはあきらかに違う。もちろん戦争の主題はきりっと引き締まった響きで人間の主題との
差をつけているし、クライマックスでは戦争の理不尽さをあらわす有無を言わせぬ突進が力強く表現
されているが、それでもどこか色合いが明るく、節度がある。クリアな録音のせいかもしれない。とにかく、
ここでは非常にまとまりのよい音楽に感服させられる。オーソドックスといってもいい(無論いい意味
で、だ)解釈は安心して聞ける。弱音部の音がとても綺麗だ。演奏の完成度は高い。2楽章の挽歌も
ほのかに暗いといった感じで、「夜の音楽」的な感じはしない。3楽章も哀しみの祈りというような風情は
ない。しかしヴァイオリンの澄んだ響きにはどこかしら心の奥底の感情を刺激するところがある。
4楽章は難しい音楽で、冗長と感じさせないようにするのが大変だが、弱音の出だしからかなり憂いの表情を
示しており、悲劇的な色を決定付ける。弦合奏はよく訓練された引き締まった響きが心地よい。熱がこもる
が、ややブラスが弛緩気味か。しかしとても聞きごたえのある音楽だ。技術的には非常に高いものを感じる。
じつにまとまったアンサンブル。テンポはほとんど揺れないが、音楽の面白さで聞かせる。晦渋な中盤は
やはり(この曲の問題なのだが)ちょっと冗長に感じた。終盤はそれほど巨大な盛り上がりは作っていない。
ここに至るまで素直な解釈だ。ちょっと軽い気もしなくもないが、新世代の音楽はこういう感じなのだろう。
映画音楽的な感じもしたが、無論悪い意味ではない(ショスタコはときに非常に映画音楽的だ)。最後は
十分引き伸ばされた音で終結。全般、客観的かもしれないが、聞ける演奏だと思った。○ひとつ。
(2002/5/31記)


交響曲第8番

○ロジンスキ指揮ニューヨーク・フィル(ASdisc/Archipel)1944/10/15LIVE

ロジンスキ節はここでも頻繁に聞こえる。気合い系直情型だけれどもけっしてコンドラシンにはならず、血が通った
匂うような演奏表現を求めるロジンスキは未だ根強いファンを持つ。録音が少ないだけにこの盤などけっこう今でも
中古市場を行き来しているのでぜひ捕まえて聴いてみてほしい。ロジンスキの気合は期待を裏切らない。惜しむらく
は2楽章あとの拍手だけれども(ロジンスキ盤にはよくあること)、7番のモチーフを変容させたような楽想の入り
乱れる長大な1楽章(26分30秒!)の一大ドラマのあと、一転諧謔的なアレグレットがちょっとそれまでの
ショスタコには聞かれなかった類の奇怪に明るい楽想に彩られる。軍隊行進曲のような歩みはロジンスキお得意の
強靭さだ。次のアレグロ・ノン・トロッポの不安な刻みの旋律もやはり新しい。ショスタコ新機軸である。この曲は
旋律性が強く、ただアンサンブル的には極限まで削ぎ落とされた線的なからみが多くて奏者に異様な緊張感を強要する
ものであるが、ロジンスキはそんなのあたりまえだと言わんばかり。こういう焦燥感はロジンスキはお手の物だろう。
あまりにうまくまとめすぎているきらいもあるが、聞きごたえ満点です。アーチ構造の後尾4楽章ラールゴと5楽章
アレグレット、ラールゴは並ならぬ諦めと悲しみがこれまたそれまでのショスタコには見られなかった深みをかもす。
アレグレットでは例のウィリアム・テルの模倣が登場。と言ってもこれはもはやショスタコの音形と言ったほうが
いいかもしれない。奇怪な音形が絡んだり旋律とも経過句ともつかない音線がてろてろ続いたり、やはりショスタコ
としてはちょっと新しい感じだ。テンポは速め、いつものこと。全般聴き易いがこれがショスタコの本質をえぐっているかどうか
はノーコメント。聴いて面白かったが、ショスタコを聞いたという重みはあまり感じなかった。えんえんと続く旋律
はじゅうぶん魅力的な曲だが、やはりムラヴィンスキーやコンドラシンに任せるべきなのか、こういう曲は?○ひとつ。

ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(REVELATION)1959/10/7

静謐な作品である。晩年作品を除けばこれほど不気味な静けさをもった作品はないだろう。ブリッジ構造の中央に
特徴的な行進曲が配されているほかはあまりに動きが無いというか、ハッキリ言えば面白くない。穏やかな気持ちの
ときに聞けばいいのかな?5楽章制だが3、4、5楽章は連続して演奏され、時間的には6分程度の2楽章アレグレ
ットを真ん中として1楽章、3〜5楽章がそれぞれ27分前後となっている。7番で既に完成されていた流麗で充実し
た書法が存分に発揮され、聴き易い曲となっている。モチーフ的にも7番に似たものがある。1楽章は印象的な
悲劇性をはらんだ弦楽による主題提示で始まる。これは5番の1楽章冒頭と似ている。だが5番のように表層的とい
うかお手軽なものではなく、長く苦しい民衆の苦悩を象徴する主題である。以下荘重な雰囲気の中20分あまりもす
ごすと、唐突に酔っ払いのような3楽章が始まる。この演奏はアバウトなガウクらしくパワーはあるがよくこける
ソロ楽器が目立つ。ペットがまるで1番シンフォニーのような歪んだウィリアム・テル主題を速吹きする箇所がある
が、やっぱり途中でろれつがまわらなくなっている。でもまあこの速度なら仕方ないか。非常に焦燥感に満ちた音楽
なのだが、この演奏はどことなくリズムに甘さがありひとつひとつのモチーフが粒立ってこないから、ちょっと食い
足りない感もある。ここでしっかり引き締めてくれれば長大な両端楽章も引き立ってくるのか。どうも中途半端さが
否めない。3楽章アレグロから4楽章ラルゴ、5楽章アレグレットへと退嬰的に静まっていく世界はなかなか聞かせ
てくれる。全般無印。

ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(BBC,IMG)1960/9/23ロイヤル・アルバートホール(英国初演)LIVE・CD

これは話題になった盤であるが、イマイチピンと来ない。録音が遠い、とくに弦楽器のパワーが無さすぎである。
ブラスや打楽器がやたらと轟きまくる終楽章終盤でも、弦だけは一歩引いたような音でちっとも迫力が無い。音量
をいくぶん上げればとりあえず聞けるレベルにはなるが、正直解釈的にも他の演奏とそうそう差は無いし、この盤
でなければ、という決定打に欠ける。英国初演とあって被献呈者によるこの演奏は最初から違う眼で見られていた
わけであり、ブラヴォーの渦も出るべくして出たもの。英国の聴衆はときに変な判断をするから信用してはいけない
(英国人ごめんなさい)。ショスタコの中でも謎めいた曲としてある、マーラーの影響がもっとも強いと言われる
大曲、長大な1楽章の混迷の音楽を乗り切れば、残り4楽章は変化に富んでいるので(というより分裂症的なので)
それなりに楽しめるでしょう。でもまあ、苦悩に満ちた暗い色調の曲ですので、好みを分かつと思う。無印。

〜機ゥ▲澄璽献

クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(BIDDULPH)1945/4/25・CD

公式にはこのCDが初出だと思う。シャープではあるが割合とくぐもった音楽を得意とするクーセヴィツキーの解釈
に、テクスチュアの明快なショスタコの音楽は余り合わない。この演奏も、非常に切迫した時代の影響を受けた深
刻な音楽になってはいるが、どこかショスタコではなく、アメリカ中流アカデミック作曲家の悲劇的傑作、という
感じに聞こえる。クーセヴィツキー自身もとくに他の新曲と変わりなく改変を含む解釈を施しており、44年4月
の全曲放送を聞いた作曲家の不興を買ったと言われている(改変が入っていたのはスケルツォ楽章らしいが)。ち
なみに9番の正規録音でも2楽章に改変が入っているらしいが未確認。さてこの曲。あきらかに5番「革命」冒頭
に類似したフーガから始まり、シニカルで陰うつな音楽がぎくしゃくと動き出す様は、馴染み易い6、7番とは異
なっている(ちなみにライナーには二楽章とあるが一楽章の誤り)。革命1楽章が苦手な私はどうもこの曲の始ま
りも好きになれないので、後半マーラーぽい付点音符のフレーズが繰り返されたり独特の微妙な不協和音がひびく
方に耳が寄ってしまうのだが、クーセヴィツキーの律動はこれはこれで気分を高揚させる何かを持っている。クー
セヴィツキーがマーラーを何故演奏しなかったのか良く知らないが(ライバルのストコフスキが得意としていたせ
いか?)ギチギチに締め上げられる中にも一貫して歌心があるのがよい指揮者だから、マーラーには適性があると
思うのだが。でも、この楽章はそれだけで30分近くかかる長大なもので、忙しい現代人が通勤の合間にショスタ
コをタノシムのに十分な長さの録音であるし、内容的にも完結しているように聞こえるから、便利な録音ではある
(どんな評だ)。誤解の無いように、勿論マーラーとはまっっっっっっっっっっっっったく違うコンセプトの楽曲
である。似ているのは些末な部分にすぎない。くどくど書いたが、結論。そんなに悪くはなかった。45年4月と
いう録音時期を考えると貧弱な音でも許せます。でも無印。

(続き)