井上陽介 生い立ち




小学校時代
1964年7月16日大阪府豊中市生まれ。小学校時代スイミングスクールに通い6年生の時にはバタフライで大きな大会にて金メダルを取る。この頃はクラシックを聞く繊細なお坊ちゃまだった。ちょっとだけピアノを習っていたがその先生が「駆け落ち」してしまったために中断。                    
 




中学時代
中学に入ってからアリスなどのフォークソングに熱中しギターをはじめる。その頃の友達の影響で次第にロックに目覚めエレキギターがまだイコール不良と言われた時代にエレキギターを買って親に心配をかける。さてバンドを組もう、という段階で集まった仲間が全員ギター志望だったため「うまいもん順」にギター・ギター・ベース・ドラムを担当する事に。かくして3番目にギターがうまかったためベーシスト井上陽介の誕生となったのである。はじめて手にしたベースは友達が貸してくれたポールマッカトニーと同じバイオリンベース!しかも弦が二本しか張っていなかったのだが、どこに行ったらベースの弦が買えるのか当時の中学生にはわかるはずもなく、仕方なく二本弦ベースでしばらく演奏する。これにより現在のポジション移動のすばやさが培われたのかも?この頃「キッス」などの曲をやっていたため、舞台から花火が出たりするのにすごくあこがれた。そこで自分たちもと、ベースの中から花火を打ち上げようとして失敗。一度忍び込んで練習していた学校の音楽室で床を燃やして先生にひどく怒られた。                             
 




高校時代
高校に入りカシオペアなどのフュージョンブームがやってくるのと同時にスラップベースに夢中に。その頃今のT−スクエアのドラマー則竹君と出会い一緒にバンドをやると同時に、大阪有線放送のスタジオミュージシャンとしてプロの道に足を踏み入れる。ウェザーリポートを聞いてジャコパストリアスのベースに衝撃を受ける。次第にジャズに傾倒して行くと共に、音楽の基礎の大切さを痛感。高校2年生の時、音大受験を決意する。                    
 




大学時代&卒業後
みんなの予想を裏切って大阪音楽大学作曲科に合格。ラベル、ストラビンスキー、バルトーク、メシアン、武満徹などにはまる。その頃一学年先輩に、現在東京で活躍する石井彰さんがいて彼の指導のもと、ウッドベースを手にしてジャズの演奏をはじめる。その石井さんと学生時代通いジャムセッションもやらせてもらった、大学の前にあったジャズ喫茶「ブルーノート」の存在は大きい。特に影響を受けたベーシストはロン・カーター、スコット・ラファロ、エディ・ゴメス、ミロスラフ・ビトウス、デイブ・ホランド、レイ・ブラウン等と節操がない。大学在学中より関西のライブハウスで演奏を開始。ロイヤルホースのレギュラーベーシストも勤める。卒業と同時に上京。日野元彦氏との出会いから彼のグループのベーシストになる。また佐藤允彦氏に認められて共演の機会をあたえられ、中川昌三氏の「タッチオブスプリング」のレコーディングにも3曲抜擢される。その他、国府弘子女史のバンドに在籍したり山下洋輔氏などとも共演した。また美空ひばりの最後のステージとなった佐久音楽祭では美空ひばりと共演。91年一月に渡米。現在に至る。 

ちなみに今までやったちょっと変わった仕事は
「あぶない刑事」の麻薬取引シーンのバックで演奏しているバンドマン役。エポがコールポーターを唄ったイベント等。                           

 

 
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