F.クープランとフランス舞曲
Wilfrid・メラー
「F.Couperin and the French Classical Tradition フランソワ・クープランとフランス古典伝統 1987年新版」
(*1949年版は邦訳あり)
faber and faber社 ロンドン 1987年
献辞「私の元生徒と元先生に捧げる、デヴィット・モロニーとJane Clarkへ」
Wilfrid・メラー
「」内は指定の無い場合はF.クープラン自身の著述から
* 印は訳者注
☀1987年新版への序文☀P.13
第2次世界大戦直後1945−1949年、前著「F.クープラン」は書かれたが、私は曖昧な論拠と分裂した思考の内にそれを書いたと思う。原典は1950年に出版され、その後偉大なドーヴァー社により長期間再版された。この間驚くべき事に、拙著をしのぐ著作は出現しなかった。私の原典を出版した出版社に、前著「F.クープラン」改訂版を出す事が使命であると伝えた。現在私が考え書きたいと思っている事と35年前の著作とを一致させる事は、熟慮検討を重ねても出来なかった。全てでは無いが少なくとも幾つかの見地、死語について、前著「F.クープラン」があるべき姿をこの40年間思い描いてきた。バロック音楽、特に高度な洗練を具現化したフランス芸術表現を、確実に獲得した者はいなかった。演奏へのアプローチは信憑性に裏付けられ、楽器の正しい選択、演奏技術と当時の習慣的様式に精通しなければならない。忌まわしいピアノ、ロマンティック・オルガン、モダン弦楽器を使う事への警鐘、有能なリュート・ヴィオール奏者の欠如を遺憾に思う記述等は、現在ではどこか滑稽でさえある。F.クープランだけではなくBodin、ボワモルティエ等同時代作曲家の録音が欠乏していたが、フランス・アストレ社は、F.クープラン没後250周年記念に全作品集を発売した。
P.14
私が前著を書き直そうとしていたら、恐らく成功していなかったに違いない。1980年代に不適切なテクストのみ僅かな修正を施し、時代遅れな演奏方法等は削除、J.デゥフリに関する誤解に満ちた記述を訂正し、その他は放置する事を決断した。新版譜例は全てデヴィット・モロニーにより編纂し直された。
P.15
Jane.Clarkにより収集された新しい情報は、作品の逸話等に及んでいる。F.クープランのつけたタイトルは、往々にして言外の意が予想外に深い。この章にはタイトルの意味する可能性や推敲された作品カタログを補筆した。
☀補遺C:フィッツウィリアムとフランスのチェンバロ作曲者☀
P.347
F.クープラン「クラブサン奏法」「クラブサン曲集第1.2巻」は、ケンブリッジ、フィッツウィリアム美術館所蔵・原典コピーを参照した。La Land のモテット、リュリ・ラモーのオペラ等フランス古典音楽の相当数は、Fitzwilliamコレクションに収集されている。フランス・クラブサンのコレクションは、F.クープランを始めとして、マルシャン、デュパール、デゥフリ、ガスパール・ル・ルーのアムステルダム版等がある。又フローベルガー死後出版された彼のチェンバロ作品集も所蔵している。Fitzwilliamエクササイズ本には、デゥフリとNiversのマヌスクリプトが所収されている。コレクションの殆どの楽譜には、フィッツウィリアムが1766−1772年西欧大陸を旅行して買い求めた日付が、自署と共に記載されている。
F.クープランの影響について記した章にデゥフリ「クラヴサン曲集 全4巻」について述べてあるが、デゥフリ自署のある運指法の記述が弟子だったフィッツウィリアムにより書かれ、1755年出版されている。F.クープラン「クラヴサン奏法」と比較すると大変面白い。デゥフリは歴史的運指法を推奨しており、親指・小指の使用に懐疑的だった。
P.348
デゥフリ記(仏語)から引用:
完璧な運指法とは、なだらかで軽く規則的な指使いの事である。指は手首の関節からぶら下がっているように自然に丸め、各指は独立して動かなければならない。指は落下するのであって叩いてはならない。更に流れるように次々と繰り出されなければならないので、この為にF.クープランの演奏に不可欠な素早い離鍵が必要となる。指の回転を滑らかに行う為に、親指をくぐらせたり、他指が親指をまたぐ奏法に慣れる事が肝要だ。この方法はフラットやシャープを弾く時、これらの直後に親指を用いると卓抜な技法となる。フラットやシャープに親指・小指を充てる事は、特に早い曲では避けた方が良い。
両手で音型を引き継いで弾く時には交替に左右手を交差させても良いが、繋ぎ目が判らないほどレガートでなくてはならない。
和声音楽やレガートの曲では音をよく伸ばす為に、鍵盤を上げずに押さえたままで指の交換をする方法にも慣れた方が良い。
F.クープランのレガートや鍵盤を上げずに押さえたままで指の交換をする方法は、F.クープラン「クラヴサン奏法」で直接・間接的に示唆している。
フィッツウィリアムはフランス音楽特にF.クープランに熱中し、アマチュア作曲家としての自作にも影響を与えている。最初期自作は1781年の日付で、デゥフリ(La Victoire)、ラモーの舞曲、パーセル、ヘンデル、D.スカルラッティ等の作品集の後ろにかかげられ、彼自身の作曲スタイルはヘンデリアンとして明白であり、フランス音楽の影響はリュリ風フランス序曲やマーチに時折見られる。1760年代に書かれたフィッツウィリアムの作品は、音楽的に線的なF.クープランより和声的なデゥフリに近い。速成栽培されたフィッツウィリアムのヘンデル・ファッションは、英国流儀のヘンデルがフランス風にも通じる事を示唆している。ヘンデリアンの習作としてフィッツウィリアムの作品は優れて心地よい。
☀補遺D:18世紀フランス舞曲のテンポ☀P.350
最もF.クープランに近いテンポ設定を行ったMichel d‘Affilardは、メトロノーム・テンポを1705年出版した。
2分の2 マーチ ♩=120
4分の4 マーチ ♩=72
2拍子 ガヴォット、リゴドン、ブーレー、Air gaye、 二分音符=120
2拍子 パヴァーヌ 二分音符=90
3拍子 ロンド風サラバンド ♩=88
3拍子 パッサカイユ ♩=106
3拍子 シャコンヌ ♩=156
3拍子 メヌエット 付点二分音符=70
2分の3 サラバンド 二分音符=72
2分の3 Air tendre 二分音符=80
2分の3 Air grave 二分音符=48
2分の3 クーラント ♩=90
8分の3 パスピエ 付点四分音符=84
8分の3 ジーグ 付点四分音符=116
8分の3 Air léger 付点四分音符=116
4分の6 サラバンド ♩=133
4分の6 マーチ ♩=150
4分の6 Air grave ♩=120
8分の6 カナリー 付点四分音符=106
8分の6 メヌエット 付点四分音符=75
8分の6 ジーグ 付点四分音符=100
M.Eugène BorrelはMichel d‘Affilard のメトロノーム・テンポを後代の理論家と比較しており、テンポがかなり一定したものだった事が分かる。
スタイル別テンポの比較
ブーレー 2分音符
Affilard 1705年 120
Lachapelle 120
Onzembry 1732年 112−120
シャコンヌ 4分音符
Affilard 1705年 156
Lachapelle 120
Onzembry 1732年 156
ガヴォット 2分音符
Affilard 1705年 120
Lachapelle 152
Onzembry 1732年 96
Choquel 1762年 126
ジーグ 付点4分音符
Affilard 1705年 116−120
Lachapelle 120
Onzembry 1732年 112
Choquel 1762年 120
メヌエット 付点2分音符
Affilard 1705年 72−76
Onzembry 1732年 78
Choquel 1762年 80
パスピエ 付点4分音符
Affilard 1705年 84
Onzembry 1732年 100
Choquel 1762年 92
リゴドン 2分音符
Affilard 1705年 120
Lachapelle 152
Onzembry 1732年 116
Choquel 1762年 126
サラバンド 4分音符又は2分音符
Affilard 1705年 66−72−84
Lachapelle 63
Onzembry 1732年 78
クアンツは「フルート教則本、1752年」で、テンポを脈拍になぞらえて検証した。
アントレ、ルーレー、クーラント:各4分音符でお辞儀をするように重々しく壮大に演奏し、♩=一脈拍。
サラバンド:上記と同じテンポだが、よりスムーズに演奏する。
シャコンヌ:壮大に演奏し、2つの4分音符=一脈拍。
パッサカイユ:シャコンヌより僅かに早め。
ミュゼット:4分の3 ♩=一脈拍、8分の3 ♪=一脈拍、
Furie:2つの4分音符=一脈拍。
ブーレー、リゴドン:1小節=一脈拍。
ガヴォット:リゴドンより僅かに遅め。
ジーグ、カナリー:1小節=一脈拍。
メヌエット:かなり重々しく演奏するが、短いお辞儀でよい。2つの4分音符=一脈拍。
パスピエ:メヌエットより僅かに早め。
タンブーラン:ブーレーより僅かに早め。
マーチ2分の2拍子:1小節=二脈拍。
Scheringによれば、クアンツの一脈拍はメトロノームでは80のテンポを表す。上記フランス理論家と比較する為に、クアンツのテンポをメトロノーム・テンポで表示してみよう。
アントレ、ルーレー、クーラント、サラバンド: ♩=80
シャコンヌ:♩=160
パッサカイユ:♩=180
ミュゼット:♩=80
Furie、ブーレー、リゴドン:♩=160
ガヴォット:♩=120
ジーグ、カナリー:♩=160
メヌエット:♩=160
パスピエ、タンブーラン:♩=180、又は♪=180
:ブーレーより僅かに早め。
マーチ2分の2拍子:2分音符=80
P.352
ゲオルグ・ムファット
「Première sur la manière de jouer les Airs de Balets à la Françoise selon la Mèthode de feu Monsieur de Lully」
には、古典期のテンポについて輝かしい記述がある。それによると、「C(4分の4)」は確実にandanteより遅いラルゴ、アダージオに用いられるゆっくりしたフォービートを表す。もし早い4拍が1小節2拍に数えられる時には異なる表記を行う(*2分の2表記の意味だろう。)
「2(4分の2)」は2つのゆっくりしたビート、時には4つの早いビートも表す。アレグロや早めのアンダンテにも用いるが、慌しいテンポの曲には決して用いない。序曲ではこの拍子が重々しい性格(maestoso character)を指示する。しかし序曲の「2」は2分の2拍子より早い2拍子でなくてはならない。
2分の2表記(Cの真中に縦線が入った記号)は早いツービート、ゲオルグ・ムファットは「2」拍子より早いと言っているが議論の分かれる所であり、定着したルールは無い。作曲家達はガヴォット、ブーレー、リゴドン等には無差別にこれら2つの2拍子表記を使い、各曲のスピードはその曲の性格による。ゲオルグ・ムファットはしばしば序曲の中で2つの2拍子表記を同曲中で使い分けている事から、「2」から2分の2表記への表記変化はスピードの加速を表す事が明白である。
「3:2」はラルゴ、アダージオより更に重々しい(maestoso)テンポを表す。
「3:4」は多種のテンポを表し常に「3:2」より遅いが、サラバンドやエアーでは「un peu grave 少し遅く」、ロンド、クーラント、ミヌエット、序曲のフーガ部分では「plus gaye より快活に」。
ジーグ、カナリーは実際的に最も早い。これはF.クープランにも適用し、後期作品のリュリが「3:2」と記していたサラバンド・グラーヴに「3:4」を記している。
ゲオルグ・ムファットの言説では、「3:2」と「3:4」の関係性を明確に規定する事は出来ないが、「3:4」より「3:2」の方が若干早いのでは無いかとされている。何故なら、伝統的に2分音符単位の拍子の方が4分音符単位より速いとされて来たからである。この点につき多数書かれた音楽学者による記述にも矛盾が多い。
Michel d‘Affilardはシャコンヌをパッサカイユより速いと規定しているが、クアンツは逆の事を言っている。彼らは実際踊られる舞曲と様式化された器楽的舞曲の差異に混乱を起こしている。シャコンヌとパッサカイユの区別について多数の論拠があるが、どれも説得性を持たない。音楽理論が整合性のある解答を与えられない事は、恐らく幸運な事だろう。もし彼等にそれが出来れば、我々は考える前に答えを知らされている。それは音楽家が死ぬという事であり(which is death to a musician)、物事の最終的帰結は事前に分かっているとしても、我々はいかなる音楽的解決も各自の「bon goût よい美的感覚」を頼りにしなければならない。
☀第3部・F.クープランのテオリーと実践☀
第12章: F.クープランの音楽理論学者としての仕事
P.271
F.クープランの理論書は小著「Régles pour l’Accompagnement」、大著「L’Art de toucher le Clavecin」があり、後者では作曲作品から実証をあげ述べられている。
「Régles pour l’Accompagnement」は初期論述で、17世紀最後頃に書かれている。2つのマヌスクリプトが知られており、不協和音について最新で確実な論述である。最も前進的イタリア・テクニックに緊密な関係を持つF.クープランの音楽を知る上で興味深い。ここで喚起したいのは、F.クープランは初期の頃から属11・13和音という難解な不協和音について、理論的に記述していた事である。
クラブサン奏法についての重要な理論書「L’Art de toucher le Clavecin」は「クラヴサン奏法第2巻」の前1716年に出版され、すぐ後再版された。この教訓的理論書は「クラヴサン奏法第2巻」の自筆序文で、「私の作品を演奏するに絶対不可欠である」と紹介されている。組織的プランに基づいた理論書ではないが、F.クープランが即応した考察が書かれている。
A. 教育メソードについてのヒント
彼はクラヴサンを弾くという事は容易い鍵盤技術では無い、いかに共感と審美眼を持って解釈するかが問題であると、自身の「メソード」の記述から始めている。
「ここで私が与えるメソードはユニークである・・・クラヴサンの美しい演奏ついて、原則的に例を示しながら徹底的に論じる・・・賢明な読者達が誤解をする筈は無いと思うが、少なくとも私の作品を演奏するには絶対的に必要な原則をとどこおりなく行なう事を強くお薦めする。」
この後、楽器習得を始めるのに最適な年代について述べる。
「子供は始めるに適している年齢は6-7歳だが、繰り上げても構わない。しかしクラブサンのタッチを手に覚えさせ鍛えるには、より早い方が良いかも知れない。」
奏者は肩が鍵盤の位置に、踵が自然に床につく位に座らなければならない。背丈の小さすぎる子供の場合には、足元に当て物をするのが身体のバランスを保つ為に賢明である。身体は鍵盤から9インチ(*22.86cm)位の所に座る。
演奏する時に身体が少しゆれるのは仕方無いが、頭や踵で拍子を取るのは避けなければならない。「エピネットの譜面台に鏡を立てて、自分の顔がしかめ面をしていないかどうか自分で矯正する。姿勢には注意深くなければならないが、楽な姿勢が良い。F.クープランは「始めたばかりの子供達は、先生や責任ある人が居ない所で弾かしてはならない。さもないと折角苦労して身についた姿勢が瞬時に壊されてしまう。」又、楽譜を学ぶ前に暗譜で幾つかの曲を習っておく事は有益だと、理にかなった提案をしている。こうすれば技術的トラブルの前に、要求されている音楽的表現をいち早く獲得する事が出来る。教師に与える謙った提唱として、典型的タッチについて述べている。
「両親や監督者は短気を起こさず、妥当な指導者であれば信頼して子供を任せるのが良い。有能な教師は生徒を最小限に甘やかす。」
更に子供達にはスピネットや一段鍵盤チェンバロで充分、常に僅かな筋力で鍵盤を押せば発音する「とても軽い羽軸(プレクトラム)」でなければならないと強調している。そうしなければしなやかで独立した指を獲得する事は出来ないし、筋力の増加より指には大事な技法である。「なめらかなタッチ」は、可能な限り鍵盤に近い所に指を保つ事から生まれる。この問題が次章へと続く。
B. 楽器の本質と技術について
「クラヴサンの音色にはとりわけ個人差があり、現在まで殆ど、音色の強弱が加減出来ない楽器に命を吹き込む事は不可能と思われてきた。しかしながら私は説得力を持って、よい美的感覚のタッチを理解していただくように努めよう。
絶対条件として鍵盤は可能な限り俊敏で、良く手入れされた羽軸を持っていなければならない。私はこうした条件に無関心な人々が居る事を知っているが、こういう人々は何の楽器を演奏してもひどい結果となる。」
いかにF.クープランが繊細かつ偉大な感情表現の出来る楽器として、クラヴサンを見なしていたかが分かる。運指法と装飾法はこの実現の為に用いられる技法である。フランス・スタイルとは基本的にクラヴサン・スタイルであり、イタリア・スタイルとはヴァイオリンとソナタ・スタイルである。「小器用に弾く凡人達」はイタリア手法を好む。何故なら意図が見え透いており、フレージングや装飾に緻密な精妙さを必要としないからである。クラブサンは音が膨らまないので同音反復には適さないが、厳密、鮮明、輝き、よく通る音色等の美点がある。」この部分はクラヴサン曲集第1集序文と関連付ける事が出来る。
「可能な限り早くかつ軽く弾けるたくましく有能な手は、必ずしも繊細な曲想や情緒豊かな表現に向いているとは言えない。私は驚かされるより感動する事を好む。」
「楽器自身に備わる音の膨らみと輝きは完璧だが、奏者が音の強弱をつけられない事にいつも不満を感じる。無限の可能性と良い美的感覚により、楽器が表現力を増すようになるだろう。先人達は彼等の美しい作品がより美しく響く為に、こうした技法を個別に開拓してきた。私は彼等が到達したものを改良しようと努めてきた。彼等の美的感覚は現在尚洗練されている。」
F.クープランはこの部分で、彼自身の実践方法を示して結びとしている。
「一般的にクラヴサンのタッチは情緒表現を損なうものではない〜〜 現在の美的感覚により行われる演奏は、旧来よりは断然完璧である。」
最後のセンテンスは、F.クープランの生きた18世紀社会の進歩と完全性についての社会的評価が伺われて面白い。あとの部分は楽器の特質と、「susceptible d’expression 表現可能」な演奏技法について述べている。
C. テンポとリズムについてのコメント
F.クープランのリズムとテンポについてのコメントは、18世紀初期のリズム習慣を知る上で非常に重要である。彼はフランス・スタイルが、他国ことにイタリアから過小評価されていると述べ、その理由としてフランス音楽は書かれている音価どおりの演奏をする事はできず、一方「イタリア人は彼等が考える本当の音価を記譜している。」我々の作品には描写的意図があり、自由なリズムで演奏されるので、tendrement(優しく愛情を込めて)、vivement(素早く激しく)等の言葉を使い、作品の雰囲気を示している。これらの言葉が外国人に理解しやすいようそれぞれの言葉に翻訳されると、作品理解を助けるだろう。更に我々はmesure(拍)とmouvement(リズム)を区別しているが、イタリア・ソナタは「殆どcadence(リズム)についての指示が無い」「mesure(拍)は曲の特性を定め規則的テンポを意味するが、cadence(リズム)とは本来的esprit(エスプリ)と作品に備わっている魂,生命,躍動感を意味する。」「cadence(リズム)とGoût(美的感覚)によりテンポの緩急を決める事が出来る」
ここで使われているcadence(リズム)という語は、抑揚や緻密な運動感を意味しているように見えるが、ルソー音楽辞典と比較してみよう。
引用:ルソー音楽辞典
「CADENCE: リズム
これは演奏している人や、聴いている人に、拍子のいきいきとした感情を与えるようなよい音楽の特質のひとつである。その結果、それについて考えることなくまるで本能のように彼らは拍子を捉え、それが適度なのが感じられる。この特質はとりわけ舞曲に必要である。このメヌエットはリズムがはっきりしている、このシャコンヌはリズムに欠けている等・・・
Cadence はさらに楽器によって示される拍子とダンスの歩調の一致も意味する。彼はリズムから外れている、彼はリズムを取るのがうまい等・・・
しかしいつもCadence は拍子が取られるように示されるわけではないという事に注意しなければならない。」
Cadenceという語は、終止フレーズでアポジャトゥーラにより行われるトリルair de courと混同されてはならない。
しかしフランス音楽が自由なmouvement(リズム)だというのは、行き当たりばったりに演奏する事では全く無い。tendre(優しく愛情を込めて)な作品でさえ遅すぎてはならず、mesure(拍)は常に尊重されなければならない。esprit(エスプリ)はGoût(美的感覚)とcadence(リズム)から獲得されなければならない。これら18世紀初期音楽の不規則mouvement(リズム)は、現在最も難しい問題の一つである。
ドルメッチの貴重な著作の中で、習慣的交互リズムについて述べた部分は最も見劣りがする。何故なら、これらの効果を使用する事を定めた複雑な条件にふれていないからである。しかしながらこれらの条件については、
[E.Borrel、Les notes inégales dans l’ancienne musique française、1931年11月Revue de Musicologie ]
より出版されている。E.Borrelは現代資料に基づいているが、補足としてF.クープラン自身による曖昧な記述が、E.Borrelに引用された17・18世紀権威者の立証と共に記されている。我々はここから、F.クープランのリズムについて正しい解釈を首尾一貫して捉えられる事を期待したい。
16世紀初期から行われていたフランス音楽のnotes inégales(イネガル)は、1696年Louliéの詳細記述が最初期重要文献である。Louliéは特に3拍子において、基本1拍の半分音価2音に3通りの演奏可能性があるとしている。Louliéより引用:
1. 音符は全て均等に弾く。これをDétacher(デタシェ)と呼び、分離したdegrez interrompus音型(*分散和音音型等)に用いられる。順次進行音型でDétacher(デタシェ)を意図する場合は音符上にドットを付けるのが習慣で、これはスタッカート記号ではなく、むしろ柔軟な弾き方に対比する重く弾く意味になる。
2. 2音ペアで、第1音を第2音より多少長めに弾く。これはLourerとして知られており、順次進行音型で用いられる。
3. 付点音符+付点なし音符のペアで、第1音の付点を強調して伸ばす。これはPointer、又はPiquerと呼ばれた。pointer、piquer、marteler、passer、lourer等の語は後代になるとほぼ同義に用いられ、付点音価を強調する意味が含まれていた。
1702年サン・ランベールは、「何故ならこのinégalité(イネガル)はより優美さを与える」とリズム・イネガルを紹介した。全ての権威者は、交互リズム(*イネガル)の目的は巧妙さ(subtlety)とニュアンスを与える事にあり、終局的にle bon goût(良い美的感覚)に委ねられると強調している。サン・ランベールも又、「作品にかなったinégalité(イネガル)の度合いは、美的感覚により規定されなければならない。」
1775年アングラメールは音価の長短は奏者に委ねられると記し、「同音型においてもinégalité(イネガル)の度合いを変える事は、変化に富んで大変良い。最上の方法はégalité(均等)、inégalité(イネガル)どちらにするのか、実際に試してみて獲得できるだろう。表現ジャンルによりinégalité(イネガル)の度合いは著しく変わる。」としている。
Choquel;「inégalité(イネガル)はメロディー・レガートと関連があり、より軽妙な旋律に用いられる。」
Emy de I’Ilette;「inégalité(イネガル)は演奏にエレガントさを寄与する。メロディー・パート(parties chantantes)に用いるべきで、伴奏パート(l’accompagnement)には用いない。」
inégalité(イネガル)の基本原則はモンテクレールにより擁立され、「ある拍子で4半分の音符が続く時、常に2音ごと長短のinégalité(イネガル)を行う。」
Duval;「4分の2拍子=16分音符と32分音符のみがinégalité(イネガル)
2分の3拍子=4分音符、8分音符、16分音符のみがinégalité(イネガル)
4分の3拍子、4分の6拍子、4分の9拍子、4分の12拍子=8分音符、16分音符のみがinégalité(イネガル))
8分の3拍子、8分の6拍子、8分の9拍子、8分の12拍子=16分音符と32分音符のみがinégalité(イネガル)。」
理論家達は「ある音価音符がinégalité(イネガル)である場合、その下位音符(*例えば4分音符に対しては8分音符)もinégalité(イネガル)になる。」という理論を保持している。
Corrette;「3拍子の8分音符はinégalité(イネガル)で弾くが、リュリ・Armideのパッサカイユ、ラモー・優雅なインド人のシャコンヌ等に書かれている16分音符がある場合には、égalité(均等)に弾く事も出来る。」
これらの考察は全て音符を4−6音グルーピングにしている。8分音符、16分音符、時には4分音符が2音グルーピングで、スラーが2音グルーピングを示し、第2番目の音符上にドットが付いている時は、異なる種類のinégalité(イネガル)が意図されている。この場合は第2音を多少第1音より長めに弾く。現代記譜法の解釈では恐らく反対の意味を表すだろう。これはF.クープランがcoulerと呼び、「うなだれる(drooping)」8分音符、ペアを含む音型に頻出する。第2音8分音符の後には僅かな間が必要。」に相当する。
Borrelの結論を要約しよう。
1. 当時フランス音楽には2種類のnote inégalité(イネガル記譜)があった。最も一般的だったのは、4-6音グルーピングで2音ペアの第1音が長めに伸ばされる。スラーのかかった8分音符で第2音が長めに伸ばされる方法も散見する。
2. どの音価音符にinégalité(イネガル)を適応するか:
1分の3拍子:最小音価
2分の3拍子:白音符の8分音符
3分の2拍子、4分の3拍子、4分の6拍子、4分の9拍子、4分の12拍子、
2分の2拍子:8分音符、もし遅い8分音符の2分の2拍子ならinégalité(イネガル)が適応される。もし4拍の早い2分の2拍子なら、8分音符はégalité(均等)、16分音符にinégalité(イネガル)が適応される。
4分の2拍子、8分の3拍子、8分の4拍子、8分の6拍子、8分の9拍子、8分の12拍子、4分の4拍子:16分音符、何人かの理論家達は、アルマンドでは8分音符ではなく16分音符にinégalité(イネガル)が適応されると言っている。F.クープランはこの方法が気に入っていたとみえ、アルマンドではpointé(付点音符+付点なし音符のペアで、第1音の付点を強調して伸ばす)を用いるようたびたび奏者に忠告している。この指示が無いアルマンドはégalité(均等)が良いだろう。
16分の3拍子、16分の4拍子、16分の6拍子、16分の9拍子、16分の12拍子:32分音符
3.通常inégalité(イネガル)が適応されるケースでも、égalité(均等)が良いルールについて;
a) より短い音価が点在している時、我々が既に見てきたように何人かの理 論家達はより小さい音価はinégalité(イネガル)が適応されると言ってい るが、この例外については誰も述べていない。
b) 跳躍音型、特にアルペジオ音型。
c) Notes égales、Détachez、Martelées、
又はテンポ表示にMouvement décidé、marqué等という指定が書かれている時。
d) 通常inégalité(イネガル)が適応される音符上に付点か短線がついている場合。
e) 通常inégalité(イネガル)が適応される音符がおびただしい休符で遮られている時。
f) シンコペーションを含む時。
g) 同音反復音型を含む時。
h) 伴奏音型を伴う時。
i) フランス・サラバンドならinégalité(イネガル)が適応される8分音符でも、4分の3拍子イタリア・サラバンド等外国様式の曲ではégalité(均等)が良い。
j) 早い曲で16分音符が4音グルーピングになっており、第1音に軽いアクセントが必要な時。
k) 4-6-8音グルーピングの音符上にスラーがかかっている時。
j)、k)はフランス人音楽家ではなく、クヴァンツにより述べられている。これらから明確な事は、lourerは非常に早い音型では用いる事は出来ない。
4. 付点音符は常に音価一杯伸ばさなければならない、後続音は出来る限り短く。早い音型の付点音符は符尾の音価通り、音価より長くするか短くするかは拍節感による。16分休符+3連続32分音符音型では、3連続32分音符音型は素早く輝かしく、決して繋がってはいけない。
5. 三連音符は常にégalité(均等)が良い。
6. 2-3拍子のレシタティーボでは8分音符は通常inégalité(イネガル)が適応されるが、往々にしてégalité(均等)でも歌われる。一方4拍子のレシタティーボではégalité(均等)が適応されるが、往々にしてinégalité(イネガル)でも歌われる。レシタティーボには不均等リズムのルールは無く、語り(la parole)と歌心(le goût du Chant)の美的感覚に委ねられる。
7. inégalité(イネガル)グルーピングの音価の長短は、音楽的キャラクターによる。1757年D’Alemberet「Encyclopédie(百科事典)」に規定されたle bon goût(良い美的感覚)とは、「芸術作品では感じやすい魂(âmes)を喜ばせるか傷つけるかは、才能がこれを解決する」ものであり、inégalité(イネガル)の正しい演奏法はle bon goût(良い美的感覚)をもってしか獲得する事は出来ない。
彼の著作が出版された当時、不均等リズムについて多大な研究が為され修正されたにも拘わらず、私の論述の根拠となるBorrelの結論は取って代わられた事が無い。
8. 1960年出版されたJacques Chailley(*ソルボンヌ大学音楽学)の著作では、不均等の度合いに関するあらゆる数量体系化の試論は、巧みに回避されている。(*基本的に彼は不均等の度合いを数量化する事に反対だった)不均等の比率は1:2、2:3、3:4、3:5、5:7等と続き、作品のキャラクターによる。付点8分音符+16分音符は大体3:1。Jacques Chailleyは「notes inégales(イネガル)奏法は恐らく仏語の演説法と関連性があり、殆どの現代理論家が器楽奏者に歌手を見習うようにと薦めている。」不規則リズムとは装飾法に劣らず、話し言葉の表現能力と歌言葉(sung language)から求められたのである。面白い事にラモーは器楽パートに付点リズムを書き込んでいながら、同じ旋律の歌パートには付点表記を必要としていない。(*当然歌パートも付点リズムになる)F.クープランはnotes inégales(イネガル)奏法のle bon goût(良い美的感覚)について、「不均等リズムとは拍をどのぐらいに割れば良いかという知識的問いではなく、雄弁術の好ましい表現として用いられる。(Chailley )」
9. 18世紀フランス音楽の不均等リズムと、恐らく全く関連の無さそうなアイルランド(又は他地域の)農村地帯の俗謡、都市部のジャズにみられる即興演奏、黒人ロックリズム、突飛な旋律抑揚とピッチ等、記譜されていないが記譜する事の不可能な音楽領域との共通点を見出す事は有益である。(*従って当然、日本の民謡・演歌等のこぶし回しも検討範疇に入る)最高度に洗練されたフランス18世紀文明に対し、本能的な直感による低い文化レベルのアイルランド農村地帯、ニューオリンズやシカゴのニグロ達を併置して比較する事は不可能だと思われるかも知れない。しかし少しも奇異な比較で無いのは、アイルランド農村地帯の俗謡やジャズの起源はフランス古典音楽の声楽朗唱法に連なり、偉大なTommy Pottsアイリッシュ古謡における不規則性、又はルイ・アームストロングの英雄的トランペットのフレーズ置換を彼の耳障りな声と一緒に聴くと、不規則性の共通点が認識出来るだろう。Tommy Pottsやルイ・アームストロング等が行っている数的鼓動=拍(pulse)やピッチのヴァラエティーに富んだ表現術は、同じ原則がF.クープランにも自然発生的に適応できる。もし今私が以下の3作品について述べるとしたら、不規則な拍節とは知識として定義できるものではなく、実践的に行われている前述例にならう事が出来るだろう。
F.クープラン、Concert Royal 1722年 E moll
プレリュード 4分の4拍子、Gravement
このテンポでは慣習的に8分音符がégalité(均等)、16分音符がinégales(イネガル)となるが、厳かな作品なので優美な旋律線を壊さないように僅かな比率7:5位(*6:6を均等としているので、僅かな不均等という比率)が適当だろう。同様に付点8分音符+16分音符も数学的に正しい音価というよりは、話をするように柔軟な表現力を旋律線に与えられるよう配慮するべきだろう。
アルマンド 4分の4拍子、légérementの表記があるので前曲よりは早い
8分音符がégalité(均等)、16分音符がinégales(イネガル)となるが、活気のある優雅さを創出するために3:2、2:1位が可能だろう。
フランス風クーラント 2分の3拍子、galament(優雅に)
オトテールは1719年「2分の3拍子で4分音符が最小音価の場合inégales(イネガル)となるが、8分音符が優勢な場合のみこれがinégales(イネガル)となる」と書いており、このクーラントは8分音符が主要音符で、非常に早くはないがテンポはgalament(優雅に)の指定がある。主題・副主題共に活躍する8分音符は、従ってしなやかなinégales(イネガル)にするべきだろう。優雅に拍節の複雑に入れ替わるフランス風クーラントには柔軟性が重要で、数量的音価の厳密さに拘ると命取りになる。一方イタリア風クーラントでは、フランス・エアーや舞曲のように4分の3拍子より僅かに早い単純な3拍子で書かれている。16分音符は滅多に現れず、8分音符は通常inégales(イネガル)にする。F.クープランはこのようなケースで、Pointé(長短)-coulé(短長)という語でinégales(イネガル)奏法を規定している。gayement(gaiement)「陽気に」と書かれた音階音型は、inégales(イネガル)のPointé(長短)の要素内で、鋭い-滑らかの差異が不可欠。coulé(短長)は殆どがアポジャトゥーラに用いられ、コントラストと浮き彫りの強調をもたらす。F.クープランがスラーを書き入れているトリル・ターン等装飾音は、égalité(均等)に弾く。
サラバンド、長調、tendrement、3拍子
8分音符は通常inégales(イネガル)にするが、この曲では付点8分音符+16分音符のリズムが頻発し、数量的音価の厳密さに拘らず、ラヴソングの歌詞のようにしなやかに愛情を込めて弾かなくてはならない。精巧な装飾音は又独自のinégales(イネガル)リズムを創出する。contre-partieの2音グルーピング8分音符は長短より短長のinégales(イネガル)にするべきだろうが、慎重を期さなくてはならない。
リゴードン 4分の2拍子、オトテールによれば通常の2拍子より早い、
legèrement et marqué(軽くはっきりと)
オトテール「空気をより取り入れ軽く、管楽器ではタンギングがふさわしい」。非常に早いテンポで無い限り8分音符がégalité(均等)、16分音符がinégales(イネガル)となる。この曲のキャラクターはlegèrement et marqué(軽くはっきりと)で、16分音符はF.クープランがスラーを書き入れていない限り、le goût burlesque(滑稽)でグロテスクなinégales(イネガル)が求められる。しかしここには流れるような16分音符は無いので事実上は記譜どおり演奏し、牧歌的性格を強調する為に付点が僅か長めに伸ばされても良いだろう。短調第4クープレにはF.クープランが「Notes égales et coulées」と記し、分散和音音型は全てégalité(均等)に、音階音型は全てスラーがかかっている事に留意する事が重要。恐らくF.クープランは威勢の良いロンドと対照的に、クープレは非常に滑らかに柔和な演奏を推奨している。
Concert Royauxは演奏会用作品で、1−2本の旋律楽器、「conversations galantes et amusantes(優雅で愉快な掛け合い)」の役割を持つチェンバリスト、ガンビスト等が、各楽器の個性を活かして演奏するように書かれている。F.クープランのチェンバロ・ソロ作品は、室内楽作品より更にソリスト自身で掛け合いを創出する柔軟性のある表現力が備わっている。
私はここで最も独自な奥行きのある(the most intimate and personal)第3巻第13オルドルを例証として挙げたい。
注記:私はこのinégales(イネガル)・リズム論文で、演奏法について「〜〜〜すべきである、〜〜〜すべきでない」という表現を多用している。これは習慣、ルール、作品本来に備わる特徴を認識した上で、解釈するべきだという意味に他ならない。〜〜〜すべきであると言っても、それが唯一の解釈だと言っている訳では無く、不均等の度合いを数量的に表す事は不可能である。不必要な長さを音価に加えるべきでないというアプローチをする人は、演奏行為が同時に、呼吸、語り、嘆息、ほほえみ等を現出する事に留意して貰いたい。確実な韻をふんだ音楽への、頑迷な固執から解放されて欲しい。勿論私は、フランス古典音楽から備わる特別なinégales(イネガル)・リズム表現(*言い回し)について語ったのであり、付点8分音符+16分音符の付点を複付点にするというような、後期バロック特有の記譜上習慣的な演奏法について語ったのでは無い。
D. 装飾法
最重要装飾はport de voix、又はアポジャトゥーラである。F.クープランのport de voixについての説明は、リューティストやair de cour作曲家達の用語を取り入れ非常に不明確である。
a) シ8分音符−ド4分音符モルデント付き・・port de voix simple
シ−ドシ・ド−
b) シ8分音符−ド4分音符・・・・・・・・・port de voix coulé
シ−ド−
c) シ8分音符−ド2分音符モルデント付き・・port de voix double
d) シ−ドシドシ・ド−
この3例で純粋な意味でのport de voixはb)のみ、F.クープランの言うport de voix simpleは本来port de voix pincéに相当する。port de voix doubleはアポジャトゥーラでは無く、ダブル・モルデントに相当する。F.クープランで重要な点は、全てのport de voixの装飾音は和声音を打つという指摘。装飾音の音価は主音に比例するが、ドルメッチのようにどう比例するかは述べていない。C.P.E.バッハによれば「port de voix装飾音は和声解決音(*主音)に対して、2拍子では2の1、3拍子では3分の2の音価。常に2音はスラーで繋がり、装飾音は僅かに主音より強い。port de voix装飾音は非和声音の効果が(*掛留)殺されるので絶対拍前に出せない、通常のアポジャトゥーラ奏法と似ている。」F.クープランはこの論法に触れていないが、ドルメッチ・同時代識者に論じられている。
(補稿E P.356 挿入)
II. ムファトの装飾リスト
1. Pincés、simples et doublesはF.クープランと同じ
2. Tremblements、simples et doublesは、大体F.クープランと同じ
3. Port de voix、Préoccupations(前打音)。ムファトはport de voixについて、不協音の16分音符に生じ付点8分音符で解決すると述べている。F.クープランの論説は曖昧だが、シャンボニエール、ダングルベール等17世紀作曲家から18世紀C.P.E.バッハまで、不協音に生じ等価の音符で解決すると述べている。Boyvinはムファトに明確なサポートを与えている唯一の作曲家だが、ムファトがリュリの装飾法を踏襲したかどうかは疑わしい。
4. Coulements
A) Coulement simpleはF.クープランのcouléと同義、舞曲では順次進行の2音がスラーで繋がっている。
B) Le TournoyantはCoulement simpleより音度差のある音型で、スラーで繋がっている。
C) L’ExclamationはCoulementの3度上行音型で、exclamation accessiveはスラーで繋がった装飾音で拍前、exclamation superlativeは拍後に弾く。
D) L’InvolutionはF.クープランのdouble又はターンと同義
E) Le Pétillementはtournoyantと同義だが、特に装飾音を際立たせたい時に用いる。
F) La TiradeはCoulementのオクターブ跳躍音で、最もvive(溌剌)なCoulement。
5. Le DétachementはF.クープランのdétachéと同効果
6. Les Diminutionsは17世紀理論と一致する、長い音価の装飾分割。
リュリ(*ムファトの師)は装飾音にcross(十字印)のみ用いて装飾個所を示しているが、装飾種類に関しては述べていない。従って以下に続くムファトの記述は重要な資料となる。
1. Pincésは中庸な速度で、連続する2音の内アクセントを要する音に生じる
2. Tremblementsは稀に開始音や開始フレーズに用いられるが、長3度、又は短三度が半音上がった長3度には用いない。
3. 上行音階のport de voixはsimple、mordentと同じく拍頭、ゆっくりなテンポではpréoccupationとtremblementが組み合わされる。Trills(tremblement)は3度音程、導音、短三度が半音上がった長3度を除いて、予備無く強拍に用いてはならない。
4. 下行音階のtremblementsは、特に付点リズムの場合多用な適応が可能
5. 上行跳躍のport de voix、coulementsは、単独又はtremblementsと組み合わせて用いられる。La Tiradeは熱情的な表現に用いられるが稀である。exclamationは演奏を滑らかにする為に、上行3度に用いると効果的。Tremblementsは長短3度を除いて殆ど跳躍には用いない。
6. 下行跳躍のtremblementsは、長短3度、三全音を除いて決して用いてはならない。下行音程はpréoccupations(前打音)、coulements、pétillement(跳躍)、La Tirade等により装飾されるが、下行最終音はtremblementsにすると効果的。
7. 最終音がミ−レ−ドという3度下行なら最終音にtremblements、préoccupations(前打音)と組み合わせれば4度音からの解決音となる。
ムファトは終止形を挙げ、détachementを活き活きしたリズムに活用する事を示唆して記述を終えている。F.クープランはリュリより、遥かに精密に装飾記号を用いた。F.クープランはリュリの装飾法に基づいて、ムファトが述べているような方法で適用した。F.クープランはヴァイオリン・ソナタ、教会音楽には、装飾記号に十字印を用いているが、リュリのように曖昧ではなくpincésとtremblementsに区別されている。F.クープランは小音符アポジャトゥーラ(port de voix)と、各種coulementsとdiminutionを書き出している。F.クープランはムファトのような用語は使わなかったが、作品にはムファトの装飾記号の大部分が用いられている。F.クープラン後期のクラヴサン、コンセール、ソナタ等ではアポジャトゥーラとcoulementsを書き出し、pincés、tremblements、doublesに特殊な記号を開発している。〜中略〜
ムファトの記述は、F.クープランの最も困難な装飾の問題に優れた解決を与えるものではない。F.クープランが細心に記した楽譜銅板のアポジャトゥーラは、正確にどの位の音価だったのか?Les Langueurs Tendres(優しいけだるさ)に多出するスラー付きアポジャトゥーラは、主音の半分音価、又は主音の半分以下の音価???Les Roseaux(葦)のpincésを伴うport de voixは、ムファトを除くC.P.E.バッハや他のオーソリティによれば、主音の3分の1音価と言われている。同じくL’âme-en-peine(心の痛み)のアポジャトゥーラは4分音符であるべきで、バッハの方法に準じる。しかしムファトの理論から類推すると8分音符になり、表現は一層痛烈になる。
各者に一致する理論が見出せないという事は、装飾法において理論より実践が優先されていたからである。明るい音色を獲得すればそれで良いという訳ではなく、装飾音は各コンテクストを例証として検討する以外には無い。
(挿入終わり)
F.クープランのmordent又はpincésは、1713年クラヴサン曲集I巻、1716年クラヴサン奏法に明確に記されている。長い音についているmordentは、当然倍の音価(doublé)の装飾になる。pincé continuは主音+下接音、pincésは常に主音で終わらなければならない。
1713年クラヴサン曲集I巻には、tremblementsのcadences(終止形)が装飾表に書かれている。ここには用語上の混乱が見られ、Tremblement ouvertとTremblement ferméは、後続音が上か下かの違いのみで、実質的な装飾音自体の内容は同じ。スラーのかかったTremblement appuyé(もたれたTremblement)et lié(くくられたTremblement)と、スラーのかかったTremblement lié sans tre appuyéは、実質的な装飾音自体の内容は同じ。1716年クラヴサン奏法では、上接音・下接音・主音から始まる3種類の奏法を述べている。F.クープランのターン記号は2種類を挙げているにとどまるが、主音の後にこの記号が書き込まれている例もあり、主音の後行われるターンを表している。通常2拍子では主音の半分音価、3拍子では主音の3分の1音価で行われる。
3度のcouléeは上行・下行2例を挙げているが、ここでも装飾音が拍頭から始まる事を明確に指示している。F.クープランはバッハのアクセントとAccentを明確に区別しており、Accentはアポジャトゥーラの意である。F.クープランの装飾は、補助音を鳴らさずに補助音上で終止するリュート奏法に由来し、現代ピアノの共鳴弦と効果は似ている。これはルソーの用語「aspiration」に適応する奏法で、F.クープランは同語に全く違う奏法を適用している。
(*しかし、ルソー音楽辞典1977年版にaspirationの項目は無い。挿入として以下をあげておく。
Jean Saint-Arroman著
L’interprtation de la musique franaise 1661−1789
第I巻
パリ、1988版より同項目参照
P.49 Aspiration
音価を短縮する意味で、4分音符は付点8分音符に短縮され、16分音符分休符となる。1713年F.クープラン「クラヴサン奏法」より引用。F.クープランは活気のある作品で、aspirationをデタシェに近い奏法として挙げている。)
挿入終わり
3拍子で4分音符+2分音符にスラーの掛かった8分音符Accentがついている場合、2分音符を短縮して4分音符複付点+16分音符のリズムで弾く奏法は、バッハのアポジャトゥーラ奏法と一致する。バッハの装飾法は多くをF.クープラン、ダングルベールから負っている。バッハのトリルはF.クープランのtremblement détaché、モルデントはF.クープランのpincé simple、カダンスはF.クープランのdouble、アクセントはF.クープランのport de voix、Accent und MordantはF.クープランのport de voix simpleと同義である。バッハがF.クープラン「クラブサン奏法」に精通していたという確証は無いが、F.クープラン「Les Bergeries」を「アンナ・マグダレ−ナ曲集」にコピーしている事からも、バッハはF.クープランの音楽を熟知していた。バッハは1700年頃CellでF.クープランを知り、Nicolas de Grigney「オルガン曲集」、デュパールのチェンバロ組曲2曲を装飾表付きでコピーしている。Pirroによれば、バッハの弟子だったクレブスのノートにはガスパール・ル・ルーの鍵盤曲が入っており、バッハはガスパール・ル・ルーも良く知っていた。
F.クープラン「クラブサン奏法」から2つのアルペジオ実施例、上下のアルペジオ。アルペジオ開始音は拍頭、リュート奏法に大きく負っている。音符上にダッシュがある時はデタシェの奏法で強調する。
F.クープランがaspiration、suspension、と呼んだ奏法は、美しいルバートを創出する。これらの用語はルソーの同語や和声的繋留と混同されてはならない。F.クープランは「クラヴサン奏法」で、「アスピラシオンの表現効果について言えば、その記号が上についている音符は、おだやかでゆっくりした曲では、軽くて速い曲におけるように、スタッカートを強調してはならない。シュスパンシオンについては、おだやかでゆっくりした曲以外にこれを用いてはならない。この装飾記号のついた音符の前にある休止の長さは、演奏者の好みに従う。」
(*山田貢氏邦訳より引用)
と書き、演奏者の裁量にゆだねる装飾法は、音楽的表現力を多大に促進させる奏法だった。しかし重要な事は装飾音が旋律線を損なわないように留意する事で、本来的目的は音楽的構成を壊さないでニュアンスやセンスをより表現する事にある。F.クープランはおだやかでゆっくりした曲でtremblementと組み合わせて使う装飾の一種として、aspiration、suspensionという用語を開発した最初の鍵盤楽器作曲家だが、流布していたリュート音楽から影響を受けた奏法でもある。
F.クープランの装飾は組み合わせて使う奏法が特徴的で、D.スカルラッティが衝撃的に用いたアチャカトゥーラについては言及していない。「クラヴサン曲集第3巻序文」でF.クープランは、演奏者が正しい装飾音を充分に活用しない事に抗議している:「私が自分の作品に適するようにと書いておいた装飾音を、奏者が正しく適応しない事に、いつも私は驚く。これは作曲意図への許しがたい冒涜で、同様に恣意的にアグレマン等を加えたりする。私が指示したように私の作品を演奏して欲しいとはっきり述べる必要があり、個々の演奏者の美的感覚や情緒により、私の書いた音が省かれたり加えられたりするべきでは無い。」
ここで我々は再度、装飾法と音楽的センスとの強い関連性を確認する。装飾の最終判断は時代背景に即した「le goút vrai(本当の美的感覚、*goút を美的感覚と訳すよりは美的感覚とした方が多少わかりやすいのではないかと思われる)」に基づかなくてはならない。
E. 運指法とフレージング
F.クープランは「クラヴサン奏法」で運指法の豊富な例証を挙げ、新たなシステムを開発している。我々にとり新たな運指法では無いが、現代的運指法より16−17世紀メソードにより近い。しかし中指から鍵盤を押さえたままスライドさせてレガートを作る「指の置換」は、F.クープラン独自の運指法である。歴史的運指法はドルメッチの言うように、運指法とフレージングの緊密な相関関係がある事を忘れてはならない。F.クープランの指定している運指法は現代運指法より難しいだろう。しかし確信して言える事は、奏者が正しくF.クープランの運指法を理解すれば、F.クープランのフレージングもおのずから実現できる。バッハの運指法の殆どはF.クープランの運指法に基づいている。両作曲家の運指法は鍵盤奏法を安易にする為に考案されたものでは無く、音楽的可能性と作曲意図をより明確に表現する技術として開発された。
「クラヴサン奏法」より運指法例証:Les Silvains、L’Amazone
一般的にF.クープランのフレージングはスラーだけでは無く、拍節感等含めて精密かつ雄弁に記譜されている。二音間のダッシュはより拍節感が強調される。そしてコンマ、又これら全ての組み合わせは、音型グルーピングに誤解を与えないよう明瞭に記譜されている。F.クープランの挙げている例証は絶え間ないレガートが続く19世紀音楽やウィーン・古典派には特殊な傾向だが、彼の音楽がJ.S.バッハと連結している事が明らかである。運弓法から来ている短いフレージングの明確なアーティキュレーションは、殆ど拍ごとに行われる。最も巧みなアフェクト表現は、部分ごとのフレージング・コンビネーションから生まれる。
フレージング・コンビネーションは運指法から最もアイディアを豊富に得られ、仮にたいした音型でなくても運指法が書き込まれた音型は、類推して他に応用する事が出来る。Le Moucheronの運指法は見事にフレージング・コンビネーションを表している。パッサカイユの3度音程運指法は、2音グルーピングが拍をまたいで実施される事を意図している。フレージングによる(*アーティキュレーションの意味でもある)瞬間ごとの光を生み出すために、現代の鍵盤楽器奏者は必ずF.クープランの運指法を学ばなければならない。
F. クープラン後期に開発されたコンマは伝統的記譜法ではないが、リズム的に
はaspiration、suspensionから類推する事が出来る。「アスピラシオンの表現効果について言えば、その記号が上についている音符は、おだやかでゆっくりした曲では、軽くて速い曲におけるようにスタッカートを強調してはならない。シュスパンシオンについては、おだやかでゆっくりした曲以外にこれを用いてはならない。この装飾記号のついた音符の前にある休止の長さは、演奏者の好みに従う。(*山田貢氏邦訳より引用)
G. F.クープランの意図
「クラヴサン曲集第1集」有名な序文から引用:
「私は一曲ごとに豊富で異なる目的を盛り込んだ。タイトルから私のアイディアが汲み取れるようにもなっている。しかしながら肖像タイトル等には描かれた人への尊敬や愛想使い(titres avantageux)も含まれている事に留意して欲しい。」
titres avantageuxとは勿論「La Majestueuse」「L’Auguste」等のタイトルを指す。F.クープランがかくも古典的かつ客観主義に基づく作曲家でありながら、表現欲求を露にしている事は驚異である。更に肖像タイトル作品は、必ずしも音で人物を描く事に成功したとは言えないと指摘している。通常タイトルに軽蔑の意味は含まれていないが、F.クープランが認識したその人物の無能さが、フランス古典様式の手法にのっとり暗示されている場合もある。F.クープランの様式化とは、彼が生活し働いた現実空間から直接音に反映させて行く現実主義手法だった。F.クープランは現実に願いを込めたり緩和させたりする事を望まない。しかし彼の様式化には、情緒経験を巧みなヴァラエティーを持ってエッセンス(*特質)に昇華させる特質がある。ヴァラエティーとは心理的・音楽的両方の意味を含み、肖像タイトル作品から聴き取れる。しかし肖像を描かれた人々に面識が無ければ、F.クープランの人物洞察を概察する事は不可能であるが、彼の同時代人を知る事が助けになるだろう。ルソーの言葉を思い出そう:
「演奏芸術は絵を描くように人物描写をする事は出来ないが、現存するモデルとなった人や物がたちどころに現出する。」音楽肖像作品の作曲アイディアは、当時の心理学・キャラクターに関連付けられている。
F.クープランの実践法は特異で、古典期の理論家達は彼の表現目的について議論を戦わせた。Lecerf de la Viévilleでさえ「教会音楽は世俗音楽に比べて、本当の感動を得られる場である。」と述べ、次世代の情緒模倣理論は百科全書主義の基礎となった。
「全ての音楽は雑音を表現する事は無い」:ダングルベール
「音楽は無味乾燥である事は決して無い」:マルモンテル
「人間的情緒は表現(expression)や音楽的アクセントより強調されなければならない。」:Perrin
「思索の表現、情緒、パッションは、音楽の真の目的である。」:ラモー
純粋器楽音楽に深く浸透していた絵画的暗喩や表現習慣は、(*言葉を持たないだけに)作曲家ごとに多くの矛盾を含んでいた。
「純粋器楽音楽には、デッサン、オブジェ、Fontenelleに人が期待するような語り、エスプリ、魂、精神的価値等は何も存在しない。君はソナタがご所望なの?白状するけど、音楽は語りやダンスを想起させなければ、表現芸術では無い。」:ダングルベール
ダングルベールの異論に対し、F.クープランのソナタが「デッサン、オブジェ等は何も存在しない」かどうか人は不審に思うだろう。しかしながら実に健全なダングルベールの天与の才が獲得したナイーブな信念は、音楽とは直接社会的作用に連結しているという確信だった。
当時オペラが好まれたのも、音楽が外的要因を模倣・依存するという意識の表れであり、ルソーにより絶頂期に達した。18世紀理論家Chevalier de Castallux、Gui de Chabanon等だけが、音楽は外界の模倣では無く創造(creative)だと主張した。これがオペラ音楽と同等に純粋器楽音楽を重要視させた原因ともなった。音楽は自然現象の生々しい模倣ではあり得ないが、人間のエモーションの深い洞察に基づいた心理的模倣だった。両理論家はコミニケーション理論を力説した。
英国でも同じ傾向が、1752年Charles Avison著「Essay on Musical Expression」に見出される。彼は美的表現の枯渇した埒もない模倣に献身する作曲家は、非難するべきだと主張した。引用:
「不協和音やショック音は音楽的表現とは呼ばない。同様に一般的によくあるような単なる外界からの模倣音楽も、音楽的表現という言葉を授けてはならない。聴き手に分かりやすくという意味から、音の上・下行が気分を表し、笑い声を模倣した音型等を挿入する事は、魂のパッションを揺り動かす表現というより聴き手におもねっているだけである。最も卓越した器楽音楽は、声の模倣である。」Diderotだけは「情緒(affections)」に対抗する技術の真価を認めており、これがその後の音楽史に重要な貢献を果たした。
F.クープランは文学と関連付けられた同時代音楽の優位性について、さほど注目する事は無かった。声楽曲でさえフランス語歌詞よりラテン語歌詞の作品の方が、聴き手に歌詞の意味が分からなくとも音楽的に面白い。一方多数の心理的・音楽肖像作品では、タイトルのフランス語が重要な要素として使われている。当時F.クープランが最重要音楽家だった事は明白だが、理論家達は器楽音楽分野にそれほど真剣に取り組んでいた訳では無い。
F.クープランの音楽肖像作品は人物に限らず、Les Moissonneurs(刈り入れをする人)、Les Vergers Fleüris(果樹園の栽培人)等状況描写も含まれており、場の雰囲気を喚起させる。明らかに架空で奇抜を狙ったタイトル、故意に謎めいたタイトル等もあるが、実体の無い空想的タイトルより現実的意図を表す場合が多い。もしタイトルがわざとらしい不自然な印象を与える場合は、F.クープランが模倣しようとした芸術的日常世界が、彼を取り巻く社会、エモーション、秩序の中に欠落していたからだ。
私はバロック音楽表現の重要性が、往々にして誤解されてきたと思う。シュヴァイツアー、Pirroにより書かれたバッハの宗教的命題に合致する象徴的表現と、F.クープランの音楽的象徴性による性格付け(*例えば、4拍子・g mollが荘重性を表す等)とは基本的に同一のものである。勿論これらの象徴性をグラフに図表化したり、絶対器楽音楽に内在する表現自体を叙景的に書き表す事は出来ない。知的理解の過程として、類推する習慣より本来の理論的分析が象徴性を解明する。バッハは十字架上のキリストを画家が視覚的シンボルとして描くように、音色に具現化した。F.クープランは同じ意味において、音楽的プリゼンテーションにハーレキン(イタリアでアルレッキー、フランスでアルルカン、まだら模様のタイツをはいた中世無言劇等の道化役)のパトス(芸術作品の感情的・主観的要素)を具現化した。バッハとF.クープランは共にバロック伝統の最終期、まさにこの単純な象徴性により高い評価を得た。それまでの音楽は、音楽以外の分野、例えば文学に依存し筋を模倣する事が通例だった。既に我々は、F.クープランの音楽が文学他芸術分野から完全に自立した事を確認した。
全てのバロック音楽の表現エレメントは文学・絵画的にでは無く、真の音楽的様式化(stylization)に帰属されなければならない。ところが19世紀作曲家達は彼等こそが自己表現に成功し、バロック期作曲家達にはパッションはあるが客観主義的だと考えた。バロック期作曲家達の自我は彼自身以外のもので表現され、象徴の習慣は17世紀を通して非常な重要性をもっていた。ロ短調ミサのキリスト磔刑は最も心を打つ場面だが、バッハはキリストの苦悩を我が身に照らして表現し、聴き手はバッハの苦悩を聴く事になる。同様にF.クープランはハーレキンの悲哀を描いたがそれは彼自身の悲哀であり、当時彼を取り巻く社会のメランコリーと深く結びついている。バッハとF.クープランは共に、神話を実際生きている人々の精神的光明により音楽的神話とした。(*神話的な創造力というのは、なにかを生み出すだけでなく、同時に、それまであった古い自分自身を破壊する作用も持っているというのが、西欧一般の神話に対する考え方)彼らは19世紀作曲家達のようにエゴイズムではない。もしバッハが「神の栄光と私の隣人」という作品を書いたとしたら、F.クープランも同様の事を多々行っているが、「les honnêtes gens(誠実な人々)」のエンターテイメントの為に書いたと彼は言うだろう。更に彼の音楽は共同の社会事業であり、絶対者への賞賛でもある。何故ならバッハは、誠実な超越者とはどういう者であるかを知っていたからだ。
デカルトは偉大な世紀(grand siécle)の社会的意識を総括しているが、音楽は本質的に知的創造物であるとみなした。それ故彼は、複雑より単純な「ipso facto =by that very fact(事実それ自体、そのものによって)」の音楽を好む傾向にあった。何故彼はポリフォニーよりホモフォニーを好み、Lebrunが厳密に図表化した異なるパッションにおける合理的和声システムを開発しようと試みたのか。リュリはデカルト音楽理論、Boileauの美学理論の実践者だったが、教科書風では無く非常に創造的で実践家だった。リュリは共同生活をしている人間同士に問題が起こった時、どのような態度が秩序立てられるかについて調査し、発表した。F.クープランの緻密な音楽は、同様の調査が明瞭さと秩序立てのために行なわれた事を示し、リュリ・デカルトのような単純化の傾向は持っていなかった。F.クープランの明瞭さは優る事が困難だったが、より豊かな満足を与える。彼の「音楽の哲学(philosophy of music)」は音楽そのものと切り離す事は出来ない。