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クラヴイコード文献情報

「フランス年代記3」 (国際クラヴィコード学会誌に掲載)
 ジャン・トウルネイ 日本講演テキスト 仏語版出版済み
鈴木雅子訳 綿谷優子補筆  ★転載禁

 私はラザロだ。死の国からよみがえった。あなたがたに、すべてを話すためによ みがえった。さあ、すべてを話そう.  T.S.エリオット

 蝋燭と勉学は、闇を照らす.  中国の諺から

年代記というものは、出来事ばかりを熱心に追いかけているように見える.しかし もし、毎日のノートに記すべき出来事が全くなければ、一体どうなってしまうのだろ う。実際にはノートに記すことがない日など有り得ない.何事も起こらないというの は、往々にして、全てが準備段階にあるからだ。様々な思いを抱き、紆余曲折を経て 暗闇の道を辿った末に、結局自分が、問いかけた時の渾沌の中へと連れ戻され、答え に導かれるという経験は、私にはよくある。最近、チン(qin)という楽器をめぐる 、中国古典文献2つを読んだ時の衝撃程、それまでのわたしに到底、予想し得ないも のはなかった.Georges Goormaghtigh による大量の注釈が加えられ、フランス語版も 出版されている。
私に特別な才能があって、この文献の発見にたどり着けた訳ではない.単純な好奇 心と、趣好をめぐっての不毛な口論が原因で、常に心に抱くことになってしまった哀 しい想いが、私を、ヨーロッパ的な人格否定をも辞さない破壊的討論の場から遠ざけ させ、<場の調和>を重んじる中国人の下へと導いたのである.こうして、音楽家で あれ、画家であれ、文学者であれ、芸術家の人間性や、普遍性を確かめるために、何 を主眼としているのかを探求しに、地球上のどちらかというと東洋へと赴く習慣が、 私の身についたのだ。
こうした歩みを支え、喜びをあたえてくれたパリに住む中国人、フランソワ・チャ ン 「無と充実」「中国の詩的書物」の著者 に、又、中国に住む、イギリス人やフラ ンス人にも私は感謝している。

クラヴイコードの問題には、全く当惑させられる。その長く、めまぐるしい展開を 見せた歴史のおかげで、以来、専門家の手に委ねられ、1450年出現してからの、 時の流れが創り出した時間の隔たりも加わって、実像は、謎めいたヴエールにおおわ れている。今や、この覆いの裏側を見通すことは困難になってしまった。クラヴイコ ードの微妙さは、このヴエールに覆われた不明確さから生まれるのかも知れない.音 の呟きは、現代の私たちを耐え難くさせるかもしれないし、余りにも多義的でつかみ どころがないかもしれない。更に又、教育の場でも、快い音をめざすのか、耐え難い 音をめざすのか、一体何を教えればよいのか持て余し、新しい、独自の美的審美眼を 創りだせずにいる教師の欠陥によって、混乱の状況を呈しているのかもしれない。こ の意味においては、クラヴイコードについて語ることは、恐るべき問題提起にもつな がり得る.

いずれにせよ誰もが、クラヴイコードがそれに携わる者すべてに対し与えづにはお かない啓示的教訓からは、逃れようも無い.控えめな音色でありながら、前代未聞の 大胆な表現力をもちあわせ、厳しい制限をもちながら、享受できる者にとっては享楽 的でさえあり、楽器の出現が必然的でありながら、この必然性の故に次代の楽器群に 押し流され、忘れ去られ、楽器の用途は、オルガンの家庭用練習楽器という平凡なも のでありながら、音楽家にとっての練習という、無限に高尚足り得る創造性に応えて きたという事実は、一体どう解釈すれば良いのだろうか。
クラヴイコードは矛盾をはらみ、矛盾の中から生まれた楽器である。矛盾の嵐に育 まれ、極端な両義性を持ち、この両義性が感覚的には微妙さとして捉えられる。研究してきた人々の拠って立つ理論的根拠や 、感覚、習慣により、用語上、文体上、触覚、聴覚、精神的に、脈略無くばらばらに 用いられ、受け止められてきたために、結果的に大きな混乱を抱える事となってしま った。
現在知り得る打弦鍵盤楽器の中でも、ことさら得たいの知れないこの楽器について 、多くの人が語り、囁いてきたし、尽きることの無い話の種が、研究者の意欲をそそ り続ける以上、今後も饒舌かつ懇切丁寧な注釈が至る所で展開され逆転され、根拠は これだ、否あれだと永遠につづくかとも思われる.しかしながら、クラヴイコードに 最も似合うのは沈黙である。沈黙とは私にとってまず第1の<仕組み>であり、つい で<通路>である。それは、沈黙の研究であり、夢や快楽、驚愕の形をとって現れる 、直截に揺り動かされるために沈黙するしか手立てのない表現形態である。これは結 局のところ、楽器によって承認され望まれた、本来の楽器表現形態でもあろう。それ は又、レンブラントの夜警、古い修道院を覆っている心の静寂、沈黙そのものが多く を語るという、誰でもが1度は体験したであろう沈黙の魔術である。沈黙せざるを得 ない理由から結果へと発展し、しかし分断され、再び統合される経過について、感知 可能、理解可能な、道筋のある、持続的な沈黙という行為である。実証不可能である が確実に存在し、充足感によって感知され、自己完結することで解決される閉ざされ た1個の宇宙。
演奏家は幸福である。なぜなら、「演奏とは、一瞬間、正しいキーの上に、正しい タイミングに合わせて指を置くこと」とJ.S.バッハがいうように、指を動かすこ とで実証を得るからである.この実証を除いて、弾いて見ることがなければ、いかな る歴史的研究も机上の空論にすぎない。
音楽における沈黙とは、実際に発音している音の裏にある、聴こえて来ないが聞こ えてくる、ミューズの苦悩とも言うべき理性と狂気の狭間に生まれる緊張である。対 立する理性と狂気の、和解の場である。解き放たれ、躍動する精神である。音と言葉 が内面で葛藤し、緊張を創り出し、融合性をもって解決へと向かう実体験である。

指を慣らし、弾きなさい.音を出しなさい.焦らずに。そうして初めて、あなたの 叫びが形をまとえるのだ。1度、これまでの全ての音楽体験を打ち捨てて、生まれ直 さなければならない。心を平穏に保ち、ただ、指を動かすことにのみ集中する時に、 何かが生まれてくる.音は罠である。充溢であると同時に完全な無でもあるのだから 。
クラヴイコードは、論議を生む「起爆剤」である。確かに我々の内面を表現出来る が、同時に裏切るのも確かなことだ。我々を高めるにしろ、貶めるにしろ、結局常に 夢想の世界へ、思索の世界へと導き、音楽について説き、賞賛もするのだが、音とは 、音楽とは何かという根源的質問を投げかけてくるのだから、既存の音楽学にとって 脅威ともなり得るのである。
これは広義の教育である。かくも小さく、か弱き楽器が、暗示や省略法に秀でた強 い表現力を持つ者を育てる.試行錯誤を繰り返す練習の過程で、我々を牢獄に押し込 めてきた文化的土壌というものを取り払い、誇張が表現だと思われてきたような愚か さを捨てさせ、真の人間性を取り戻させる.クラヴイコードは、形の極度な単純さと 制約の為に憤死寸前となる楽器製作家のまさにその理由によって、表現の可能性を弾 き手にあたえているのだ。製作家にとって制約が多ければ多いほど、楽器自体の表現 力は、演奏家の思索を編み出し、楽器自体に内在する沈黙することへの警告によって 、害悪を未然に防ぐのである。製作欲求や演奏表現が楽器の制約によって阻まれれば 阻まれるほど、可能性は無限に広がって行き、自己と楽器が遠ければ遠い程、熟考を 余儀なくされ、型にはまることなく思慮をめぐらし、与えられたものでない意味を発 見していく作業が得られるのである。
この意味付け作業は、詩の推敲、瞑想あるいは瞑想への賛辞に近く、忍耐と驚愕を 常に伴うのであるが、何と、驚くべきことに、長年に渡り私が孤独に感得してきたこれ らの考察を、チンという楽器を賞賛した道教信奉者の中国教養人が残した文献の中に 発見したのだ。

7本弦を持つ撥弦楽器のシタールともいえるチンが、楽器学上全くクラヴイコード と比較され得ることが有り得ないだけに、この発見には驚愕させられた。我々の心に 今訴えかけてくるのは、ソクラテス以前の中国知識人による、賢明で正確な解釈なの である。遥か後方にありながら、同時に非常に近くにも感じられる音の現象について 語る、中国人の言葉なのである。
中国人の汎神論的思想は、彼らの物の見方に影響を与え、中国の文献の中では、象 徴的な彼ら独自の表現を形成する、様々な要素に出会うことも珍しくは無い。我々に は馴染みが少ないこうした象徴表現体系は、中国人が表意文字を使ってきたこと、表 意文字により文学大系を築いてきたことによると、マルセル・グラネはのべている。
私 にとっては、中国人の象徴的なものの見方は、クラヴイコードの本質そのものである 、暗示の文法に他ならないのではないかと思われる。
儒学者達にとって自分を高めるために、不条理な情念に音楽形式をまとわせること が、不可欠の手段であった。チンはそのために優れた楽器であった。Goormaghtighの 注釈によれば、「この楽器の極めて単純な造りのために、かえって、非常に複雑な指 使いが必要となる。演奏に磨きをかけるのは、至難の技である。しかし、チンが奏で る音楽は、いわゆる派手な技巧の効果に頼ることが滅多にない。それは、心の友、耳 をもつ者に聞かせる私的な時空を共有させる。」

初めに取り上げる、Ji Kang著 「チンの詩的表現」では、「音楽自体には、喜び も悲しみも存在しないこと、音楽の用途とは、形式の整った美しさや、意匠の存在に よって、<場の調和>を凝縮して映し出し、そこに参加するすべての者をひとつに統 合することである」と指摘する。この作家は社会派で、当時の政治下で社会派運動に 身を投じたために、代償として余命を捧げた.自ら断頭台の露と消えることになって まで、不当投獄された友人を救おうとした人である。瞑想家の彼は、社交界での生活 よりも、鍛冶職人であることの方を好み、優れた錬金術師でもあった。
彼のこの気質は、ソクラテスの、不正に対抗するよりは、不正の犠牲になることを 選んだ性格に通じるものがある。とりわけ、中国古楽器に賛辞を与えようとする時の 考察は、楽器全体を見渡す視野の広さが、こうした気質からも理解できる。
JiKangは、このチンと言う楽器の材料となる樹木を称え、この樹木に覆われ た風光を称える.その山と水について描写し、中国では風景を意味する言葉に、山水 と言う言葉があり、この2つの要素の相互補完性について強調している。彼は又、木 材の引き割り作業から、チンの製造、調律、演奏家の精神的資質について語る.更に 演奏が聴く者に与える効果、楽器の性質、姿形からイメージされる音の響きについて 説く.この文献は、次のような文章で始まる.
「すでに子供の時分から私は音楽が好きになり、以来、音楽に励み続けてきた。」
まるでこれは、中国版<失われた時を求めて>を読んでいるようだ。その探求の姿 勢は、ひた向きで、高貴で、高きを望む気概に満ちている.演奏家の精神的資質につ いてはこう主張している。
「心を開き、超然としていない者は、チンの奏でる音楽に喜びを見出す事は出来な い。深く思考し、穏やかでない者は、この楽器と共に生きることは出来ない.自由で 、規範に囚われない者でなければ、抵抗無くチンの音色に身をゆだねることも出来な い。洞察力が鋭い者でなければ、心の奥に潜む情緒がチンによって揺り動かされてい る事にきずく事も出来ない.」

Xu Shangying著 「チン、その24の味わい」この著者は17世紀の人 物である。この時代の楽器については、比較的上手に複製がされているので、我々に も馴染みがある。彼は富や名声、高級官僚や結婚を嫌う。近代的な感覚の持ち主で、 武道にも通じ、自らの主義主張を守るためには剣を取って戦う事も、辞さなかった. Xuの弟子であるYan Chengによれば、Xuは純真で、繊細で、控えめであ り、冷静な人物であると言っている.伝統を重んじ、チンの演奏は、内的修行の手段 であると考えていた.著書では、全体の調和と、微細な個々という対立する概念、無 味乾燥である事へ賛辞を送りたくなるのは、なぜなのか、その矛盾した概念形成など を扱っている.
チンの多面的本質について彼は、明快、威厳、物静か、流麗な音色、豊饒、冷静で あると述べる。
「凡庸な人々は、指使いの巧みさ、しなやかな音色、音と音との緊密な結びつき、 ャれの良いフレーズなどにしか興味を払わずにいる。強い個性を持った演奏家がチン を演奏する時、各音の響きが奏者の明らかな意図から生まれているのだという最も大 切な事に、全くきずかないのだ.」
この賢者は、それでは一体どんな意図を持っているというのだろう。
「チンの演奏は最終的に、音楽の理解に止まらず、音楽以外の経験を積み思索をめ ぐらさなくては、理解が不可能なのである。」
たゆまぬ研究の対象となる楽器、人を結ぶ媒介としての楽器を演奏するためには、 演奏者の全人生が関わってくると、言いたいのだろう.ただの運指訓練からも、創造 的霊感を得られるようにする事。霊感を得るために、奏者は指を動かすのでなくては ならない。指を動かして世界を開く人を、演奏家と呼ぶのである.音が音であり、音 でないことを、聞き手に認知させなくてはならない。音を媒体として、集中した精神 というものがどのような力を持つものなのか、開示しなくてはならない。彼の中心思 想は、人間の自己啓発能力が技術習得欲求によって、高まって行くというところにある。精神的向上があってこそ初めて、技術的向上 もあり得るという思想は、道教においても別の形で表現されており、段階を追って向 上して行く為には、自然との触れ合いから多くのものを学び、自己変容していく感受 性を冷静に把握することが不可欠であると、指摘されている。
楽器の奏者は、チンに備わっている<徳>を理想的な形で吸収する事が出来る。自 らの演奏によって、独自な形でそれらを育て上げなければならない。いわば、<徳> を我が物とし、自己変容を遂げ、其の過程と結果をほとんど錬金術的な変換をもって 、楽器の音色の内に反映させるのだ。
「ここの文脈では、錬金術用語が使用されている。物質―楽器と、精神―演奏家の 、精妙な関わりあい方は、象徴的であるが明らかに、精神的変化を物質的変化に変換 させる錬金術師の仕事に酷似しており、奇異なかんじを抱くかもしれないが、この用 語の使用は妥当であるとおもわれる。」
楽器と演奏家との間に見られる相互浸透について、Xuは、以下のように題された 24の章で、褒め称えている.
調和、沈黙、透明、隔たり、古さ、慎み、平穏、自由、優雅、美、光、色彩、純粋 、潤滑性、丸み、力強さ、豊饒、繊細さ、流動性、活力、軽やかさ、重み、穏かさ、 俊敏さ。

チンの音量が弱い点は、クラヴイコードに通じるものがある。音が極めて小さく弱 い点を指摘する記述は、当論文の至る所に現れている。
「聞きとれる音は、もしかしたら音響の最も粗悪な一部分でしかないのだ。にもか かわらず、この神秘的な営みを生む楽器との邂逅を称える音楽観は、多数の古典文書 にも見られるのである。」
微小であること、欠落している事、剥奪されていて無いことに効力があるというこ とを理解するためには、詩や絵画を思い起こして見ると良い。霧に覆われた山の絵、 人の声がこだまするほど静かな谷間の静寂を表現する時、それは、暗示の技法に他な らないのである。

 Jean Tourunai   1995 11.4

このテクストは、氏が来日にあたり各活動家の方々に向けて作成したものです。日 本で多方面の方のご協力により、氏はチンー中国古琴の天才奏者 坂田進先生と会う ことが出来、2000年前に作られたという楽器を見せて頂き、演奏も聴かせて頂きまし た。大変な衝撃を受けられた様子で、生涯でこれ程感動したことはないと、仰せでし た。日本人の私でさえ、初めて聴かせて頂いた次第で、私どもがいかに隣国の文化に 無頓着であったか、反省いたしました。
このテクストは、氏の難解な著述の中でも比較的わかりやすく、基本的な氏独特の 音楽観がわかる物だと思います。西欧に希望は無い、西欧は終わったのだ。博物館的 価値しかないよ。今、期待できる文化地域は、日本しかないと思う.その道具の洗練 、日本画の象徴性、菓子をはじめとする和食の芸術的完成度、建築の美しさ、町並み のなんでもない光景のなごみ、僕は来させてもらって良かったと言っておられました 。氏は健康が優れず、恐らく2度と来日される事はないでしょう。このツアーにご協 力頂いた、多くのかたがたに、心より御礼申し上げます.  綿谷優子


クラヴイコードを称えて
 ジャン・トウルネイ 日本講演テキスト 仏語版出版済み
鈴木雅子訳 綿谷優子補筆  ★転載禁


ある日、外国のある都市にクラヴイコードのリサイタルを聞きに行ったのですが、 そこで演奏家があいさつをし、要約すると以下のような事を言っていました。
「皆様、私がこれから演奏しようとしている楽器は、美しい楽器でも優れた楽器で もありません。私はこれを貧しい学生時分に手に入れ、苦労して一人で組み立てまし た。以来、私とこの楽器は愛し合い、離れることが出来なくなってしまいました。」
この挨拶の詳細については不明の点があるものの、クラヴイコードへの賛辞を表明 するのには、これに優るエピソードはないように思われました.実に真実味にあふれ 、ユーモアを交えたこの演奏家の言葉には、この小さな楽器に対する深い思いが表れ ています。我々は詳細を知らずとも、言外に溢れている情熱や慎み深さの内に、事柄 の重要性を示すある種の響きを聴き取れるでしょう。この演奏家が精神的に、楽器を 体の一部分として感じているという事も、率直に明かされています。
この記述では、私はまず初めに、構造、発達の仕方、調音など制作課程におけるこ の楽器の役割を特徴ずけている特殊性に触れながら、機能について図を用いて説明し たいと思います。最後に文献、図版、楽器学的資料に共通して見られる歴史について 、述べたいと思います.

クラヴイコードは一般的には、長さ3−4フィート、幅1フィートと細長く、小さ な平らな箱の形をしています。そこに組み込まれている鍵盤は、多くの場合占有面積 を、全体の3分の2か、クラヴイコード半分を占めています。鍵盤音域のサイズが、楽器のサイズを左右し 、このサイズの変遷が鍵盤楽器史の変遷でもあります。時代要請により、音域は変化 してきました。楽器製作にとって、弦数や共鳴箱部分の重量変化を伴う音域設定の変 遷は、最も大切なことです。
ここで、厄介なことに触れなくてはなりません。それは、クラヴイコードが唯一、 弦を分割し、弦の長さを変化させながら同一の弦上で複数の音を出す、有弦鍵盤楽器 であるという点です。楽器の起源は、リュートやヴイオルなどと酷似しています。こ れはいわゆる、共有弦型クラヴイコードと呼ばれています。最もよく見られる場合で 、2つの隣り合ったキーが、同音に調律された2本1組の弦を鳴らす仕組みになってい ます。4つの隣接するキーの場合もあります。共有する弦を持つキーをレガート奏法 で弾くと、雑音になってしまい発音しないので、分割―アーテイキュレーションやノ ン・レガート奏法が必要です。この奏法が独特の感性を弾き手に与えるのですが、当 然、曲目の選択も重要な鍵となります。これらの点は、リュートと重なる点です。正 しくは、クラヴイコードがリュートの発音形式を借用したと言えます。18世紀にチェ ンバロやピアノフォルテのような、専有弦型クラヴイコードという、各キーがそれぞ れに対応する弦を持つ構造になって来ると、共有弦型は放棄されます。この2つの型 は同じクラヴイコードといっても独立した楽器であり、一緒くたにして論じることは 出来ません.
リュートから継承された遺産を受け継いだのが共有弦型、ピアノの原型となったの が専有弦型であると言えますが、単純な機構を持ちつずけながら、構造的には劇的な 変化を遂げた移り変わりについて、注釈を加えようとすればきりがありません。これ も、其の構造を様々に変えて来た、この楽器の精妙なところです。

ここで再び初めの演奏家の言葉に、戻りましょう。彼のクラヴイコードが美しい楽 器でないー人目を引くほど派手ではない、という意味にも取れますが、―と告白しな がら彼の言いたかったことは、組み立て材料一式を買って自力で組み立てたのだが、 出来栄えについては自分の未熟な技術に負うところがあるので、自信が持てないとい う意味だったように思います。
購入して自分で組み立てなければならない、楽器の部品一切を一式にして売るとい う販売形式は、利点が多く、教育的効果も高いと思われます。

4オクターブの共有弦型クラヴイコードでは、最低音域のオクターブが、しばしば ショートオクターブになることが多く、鍵盤サイズが小さくてすみます。設置時に、 脚部が占める面積からほとんどはみ出すこともなく、チェンバロやピアノのように大 仰なスペースを必要とする事がありません。ありふれた平らな小さい箱、散文的な外 観をしていることが、クラヴイコードの超えることの出来ない限界を示しているとも 、言えるかもしれません。しかし一方では、この問題を明確に提示することで、クラ ヴイコードはその限界を超えられるのだと、私は思います。

クラヴイコードがどんなに慎み深い楽器であろうと、実際其の方が好ましいのです が、楽器に潜む問題は、関わる者すべてを悩ます事になります。その理由は第1に、 クラヴイコードには全く機械の操作による力学は存在しない事が、挙げられるでしょ う。正確に言えば、この楽器の発音機構には時計製造業において理解されているよう な、一般的な機械機能が全く見られないという事です。キーを押すと、キーに連結し た金属製の鉄片が弦に触れるてこになっているだけで、それ以上のことは起こりませ ん.音の強弱、音色の変化は全てキーに触れる前に、用意され周到に計画された操作 によって、可能となります。これがチェンバロのような撥弦楽器と、根本的に違うと ころです。繰り返し、常に、この作業をしつずけなければ発音しないという、機械的 働きの欠如は、しかし一種の教育であります。詩作における省略法にも似ています。
生まれつき反復をつずける事に、忍耐の必要がない人々、むしろ反復が創造の源た り得ることを直感で知っている人々、何度も無限に試みを繰り返して飽く事のない人 々のために、この楽器はあるのです。クラヴイコードの演奏家達は他の楽器以上に、 楽器の発音について責任を共有しなくてはなりません。調律やヴオイスイングの正確 さは、タッチの問題に明らかに結びついていて、指が加える不器用な力によってすぐ に乱されてしまいます。音楽とは、音がなければ捉えられないものです。だからこそ クラヴイコードの演奏家には、楽譜から読み取った、演奏しながら語ろうとする言説 に対して、まず音作りから始めなくてはならない所に、最初の困難があります。猫が 鍵盤の上を歩いても、ピアノはピアノの音がするという訳には、いかないのです。こ れは実際に弾いてみた方でないと、なかなかわかりにくい事です。前述の演奏家も、 慎み深さか、用心深い反語的表現かはわかりませんでしたが、彼によって奏でられた音が、聴 衆の賛同を得られる感情表現であったかどうかについて、責任は楽器を組み立てた自 分にあると同時に、奏者としても完全に楽器を制御していたとは言いがたいという表 明をするために、あのような挨拶をつけ加えたのではないでしょうか。
こうした飽くことのない試みの精神、探究心、そしてわが身の呟きを表明しないで はいられないという精神こそは、クラヴイコードの精神と言えるでしょう。これは、 指による音作りを徹底的に鍛え、耳を育てる影の楽器であり、見かけが単純で幼稚な 構造を持つ楽器ほど演奏は難しいという、世界に共通する古楽器演奏の典型的な見本 です。もともと、聴衆を想定して技量を披瀝するためにではなく、オルガンの家庭用 練習楽器として用いられ、演奏を聞いてもらう前に、内省的に演奏を楽しむといった タイプの楽器ですから、エゴイストやナルシストに好まれる楽器です。暗示という表 現形態を習得することによって、極めて豊かな表情を見せる楽器ですが、表現として はいつも内をめざしており、バロック期の演説口調から遠く離れた、さまよいの夢幻 的な雰囲気がかもし出されるのは、こうした理由に拠るものです。

クラヴイコードは鍵盤楽器であると同時に、弦の倍音分割原理の上に成り立つ打弦 楽器でもあります。16,7世紀には、欧州全域に最も普及した楽器の一つとなり、 実践的練習かつ教育的な要求に応える事ができました。ドイツ語圏諸国では、18世紀 に大変な流行楽器にもなりました。この点について1732年にライプツィヒで出版され た、J.Sバッハのいとこであるヴアルターがその叙述の中で明らかにしています。 彼は「音楽用語集: Musikalisches Lexikon」の著者でもあります。ここでその 著書の169ページから数行を仏訳して、引用したいと思います.
「大変普及したこの楽器が、演奏家達の初期教育に役立つのも、もっともであった 。この楽器をきちんとマスターすると、他の鍵盤楽器の演奏に難なく取り掛かれるの である。」

クラヴイコードの演奏曲目には、チェンバロ、オルガンなどのために作曲された殆 どの作品が、含まれていました。又、クラヴイコードの普及していた時代は、対位法 が全盛期だった時代と重なっていて、17世紀中頃かもっと後の時代にまで、ドイツ語 圏諸国では続いていました。
16世紀末、伴奏を伴ったモノデイー形式がイタリアから到来し、イタリアには対 位法とは違う、新しい美意識が生まれます。響きが弱く確実な伴奏パートが作れず、 低音部を補強させる事が不可能だったクラヴイコードは、もはや時代の趨勢にはそぐ わないものとなっていきます。
フランスとイギリスでは、イタリア趣味の形式が急激に台頭し、より華々しく、管 弦楽的なチェンバロが、クラヴイコードに取って代わって使用されるようになりまし た。しかしドイツでは、変わらぬ支持を得ていました。何故かというと、ドイツ人は 、対位法の概念や内的、婉曲の表現方法に敏感で、クラヴイコードがこうした事に優 れた表現力を発揮するということを、よく知っていたからです。ドイツにおいて18世 紀初めまで、チェンバロは殆ど見られず、イタリアオペラが演じられていいた会場で のみ、その存在が確認されているというのは、興味深いことであり、この原因に拠る ものです。

クラヴイコードの鍵盤の動きは、至極単純なものですが、その制作には綿密な正確 さが要求されます。程よく均衡の取れたキーは、指の力を加えると、鍵盤の載ってい るバランスレール上で、支点を上下するてこのような働きをします。キーは、その上 下運動の支点の軸と、先端に縦に埋め込まれたスライドーdiapasonとも呼ば れている、細長い木片に垂直に刻まれた溝を上下に滑りながら、後部ガイドの役割を 果たす詰め木とによって、同一鉛直面上に保たれます。キーが上がることで、先端に 垂直に打ち込まれた金属片が持ち上がります.この金属片は真鍮でできており、それ が2本の弦を同時に打ちます、この際金属片は、打った弦と響板上の駒との間のセクシ ョンのみを振動させ、反対側のセクションの振動は、弦の間に設置されたラシャやフ エルトの編み紐で、次第によわめられます。チューニングピンは補強された厚いピン 板に刺し込まれ、一本ごとの弦の調音をしています。二本ずつ一組とされ同音に調律 された弦の素材は真鍮で、低音部で銅線の絞ったものを巻きつけています。より広い 音域を持つ場合は、高音部で鉄製の弦が必要になることもあります。これらの素材の 違いは、製作家の好みや彼の所属する流派、流儀に拠る所があり、結果的にはそのタ ッチ効果に変化をあたえています。後期に見られる5オクターブ以上の大型楽器にな ると、サイズの短い真鍮の弦を使用した場合、響板上で振動する駒用のスペースが殆 ど残らないため、高音部では鉄製の弦が必要になって来ます。梃子の着地点には、機械的な雑音を弱めるために、ウールテープが貼ら れています。

発音は金属片が弦を押し続けている限り継続し、振幅の減衰か金属片が弦から離れ る事により、消音します。この場合フェルト紐は直ちに、弦全長に渡り作用します.
弦の振幅は金属片に初めに加えれらた力に左右されますが、後にキー上に加えられ る指による圧力の変化により、弦の張りーテンションー周波数が4分の1音程ほど変 化します。演奏家は発音してから、遅いビブラートと言われるうなりードイツ人が1 8世紀にベーブングbebungと呼んだ奏法を取り入れることができます。音の強弱は、 金属片の弦の押し付け方―キーの押し方を加減することで、自在にクレッシェンド、 ディクレッシェンドが使えます.音の持続時間も僅かながら、鍵盤上で制御出来ます .チェンバロではジャックを介して強弱を変化させる事は、出来ません.音栓―レジ ストレーションでの3−4種類変化しか、物理的に不可能なのです。又も勿論発音後の 鍵盤操作も、出来ません。

クラヴイコードに生彩を与えているこれらの特色は、当然の事ながらタッチに正確 さや極めて微妙な感受性を要求します。それがこの楽器が教育的な役割を担っている 所以でもあります。クラヴイコードの弱点は、音が非常に弱く小さく、音響的にすぐ 減衰してしまうので、和声意的な作品には不利です。弦の振動が弱められたセクショ ンではエネルギーの消耗が著しく、振動セクションでは多数の倍音が形成される事か ら、前述の影響を蒙っています。これは金属片が上駒とハンマーの、両方の機能を兼 ね備えている事に起因しており、その結果音を発しながら音を消しているという、矛 盾した機能を持っているからです。

クラヴイコードにはペダル機構もとりつけられ、オルガン奏者にとってペダル付き の曲目も、自宅で練習する事が可能になり、高価で不確かな送風係りの手助けを必要 としなくなった訳です.
1730年代頃までのクラヴイコードに見られたもう一つの特色は、弦数がキーの数よ り少ないという点にあります。この場合一本の弦が、一つ以上の鍵盤に割り当てられ ています。この種のクラヴイコードは先にも少し触れた、共有弦型クラヴイコードと 呼ばれ、各キーがそれぞれ独占的に割り当てられた弦に働きかける、専有弦型クラヴ イコードと区別されています。もともとは弦の分割理論に基ずいていたこの概念によ り、張力全体が専有弦型クラヴイコードに比べて、半分以下に抑えられた共有弦型ク ラヴイコードは、造りを著しく軽量化する事が出来ました.
この原理は古代より音律測定用に理論家が使っていた、一本弦の楽器―モノコード ー一弦琴に由来しています。
同一質量、太さ、張力、という条件では、振動弦の周波数は、弦長に反比例して増 加することが知られています.例を挙げると、音域が130Hzのドである弦の中央 に駒を置き、二つのセクションの任意のどちらかを弾いた場合、弦長は二分の1にな りますが、周波数は2倍に倍増し、1オクターブ上の260Hzになります。又同じ13 0Hzのドに対し、駒の位置を音域全体の9分の8に設定すると、9分の8の長さのセク ションでは、146.25Hz、もとの周波数の8分の9倍であるレが得られます. 共有弦型クラヴイコードにも同じ原理が適用されています。
さてこの点が最も意味を持ってくるのですが、4つのキーに同一の弦を割り当てた1 6世紀のクラヴイコードなどに見られるこのような構造は、ある調性における短3度 の和音を嫌います。更に、同一弦上で2つの金属片が同時に押し当てられると、すぐ に雑音を産み出してしまうため、隣り合った音符の上昇や下降などの、標準的又は早 いテンポでのレガート演奏を、全く受け入れないのです.そこで演奏家は、16世紀か ら17世紀の音楽理論家達によって指導された指使いーオールドフィンガリングーの習 得が、必要になってきます。この指使いは基本的にはJ.S.バッハの言う「適切な 指を、適切なキーの上に置く事」という教えと矛盾するものではありませんが、その 内容は違います。
リュート奏者が行うようなノン・レガート奏法で弾く、強拍に人差し指、弱拍に中 指をあてて弾く、音高の隔たりによって指使いを決めていく、アーティキュレーショ ンに忠実に特別な指使いを考えていくというようなこです。
が16.7世紀におけるこうした共有弦型クラヴイコードの普及で、隣接する音に はレガート奏法を避ける運指法が背景の一部となって、この時代に付点リズム又はそ れに類似したリズムが、理論家によって高く推奨されたとも言えるでしょう。正に、 ワルターがクラヴイコードの教育的役割について説いていた言葉の意味が、理解され ます。鍵盤楽器用又はそれ以外の作品も含めて、リズムや音形が時代的制限を受けて いると思われるあらゆる作品の背景に、共有弦型クラヴイコードを考えることで明ら かになる事は、ス々あるのです。
レガート奏法は第2オクターブ位の隔たりがないと、実践されません。共有弦型ク ラヴイコードに顕著に見られる音域の狭さ、キーの先端の離し方や扇型配列なども、 なるべくレガート奏法を可能にしたいという工夫であると言えるでしょう。

しばしば信じられていることですが、共有弦型クラヴイコードが単に価格的な安さ から人気を得たという説があります。価格面、又は楽器製造分野における技術的な進 歩という概念から、専有弦型クラヴイコードと比較をする考察は、あまり意味を持た ないでしょう。
共有弦型クラヴイコードが安く作れるのは、楽器のサイズが小さい事、弦の数も少 なくて済むこと、張力がかからないので箱を軽く出来ることなどからです。
1730年頃から一部には、中全音律の実践により次第に決定的となって来た、長短調 体系の要請に応えるため、また、バッハの息子のC.P.エマヌエルにより行われた ギャラント様式に特有な、遠隔転調と反復進行部分でのレガート奏法の多用を導入し た、新しい美意識に応えるために、専有弦型クラヴイコードに取って変わられました 。けれども製作上の技術的観点から見て、専有弦型クラヴイコードは後退したもので あり、作るのも演奏するのも容易です。共有弦型クラヴイコードに要求される高い精 度と精巧さは、より軽く、響きの良い、造りの堅固な楽器を目指したからです。

クラヴイコードがオクターブの分割に関し、中世から継承された幾何学的、数学的 思弁を相変わらず身に付けていた、16・7世紀の音楽家達をどれほど魅了したかが 推し量れます.「モノコード」「マニコード」「モナコード」「クラヴイコード」な ど紛らわしい名称の誤用が、かつて見られた用語上の混乱を招きました。けれどもこ の時代の数学的な思弁を好む音楽家たちが、その反映としてこの様に紛らわしい名称 を、言葉遊びとして発しなかったかと考えてみる事は必要です。このモノコードから クラヴイコードへ至る楽器の歴史は、あらゆる象徴に富み、確かに教育的位置付けに 意義を持つものと思われます。

17世紀末に、数学又は物理学的現象に関係の深い分野でもたらされた考察、Fermat ニュートン Leibnitz Bernouilli などによる発見の数々は、クラヴイコードから 神秘のヴェールを取り除くのに大いに貢献したと言えるでしょう。ケプラー、メルセ ンヌの例にも見られるように、音楽科学論においてこうした神秘的思索は、17世紀前 半には盛んに行われていたのです。同時に微積分学の考案により、中全音でオクター ブを数学的に分割する方式が、確立されます。この新しい分割法は、単にたった一つ の方程式から求められ得るという点によって、経験主義或いは神学に基ずいて成り立 っていた古い倍音比率原則に対して、優位を授けられたのです.それ以降近代的長短 調体系は、ついに旋法を排除する方向へと進み、クラヴイコードはこの全く新しい調 性に適応するべく、新たな法則に従う必要に迫られて行きます.これが専有弦型クラ ヴイコードへの移行であり、クラヴイコードは旋法楽器から長短調性楽器として、適 応していく事になりました.

1404年に著されたドイツの文献に、初めてクラヴイコードについての記述が出現し ます。
Eberhardus Cersne von Minderによる長い詩の中です. クラヴイコードは恐らく1475年頃に生まれたのでしょう。
当時さまざまな文献で「Echiquier」と呼ばれる、複数の弦を持つ鍵盤楽 器について記されていました。クラヴイコードの原型だと思われますが、構造は謎の ままです。西欧各地に残る文献或いは図版から、1450年頃からクラヴイコードが 広く使用されいたことが判ります.其の当時のクラヴイコードは、同じ長さの10組の 弦と、3オクターブの音域を持つなどの特徴があります。其の後すぐ、オルガン奏者 によりペダルが付け加えられ、15組の弦と4オクターブの音域をもつまでに広がりま す.
16世紀の初頭になると同じ長さの弦を持つ初期クラヴィコードに取って代わり、長 さも太さも短くなる弦を持つ、古典的スタイルを持つクラヴイコードが出現します。 人々はこの楽器のことを「クラヴイコード」又は「マニコード」と、区別することな く呼んでいました。ドイツでは「instrument-楽器、道具」と呼ばれていました。ラ テン語の「organum」という語の派生の仕方は、やはり楽器、動具という意味の言葉 の、総体化傾向を表しています.
当初4オクターブの音域は、20組程度の弦上に広がっていましたが、17世紀になる と、4オクターブプラス5度の音域が、32組の弦上に広がるようになります。この頃は 低音の第1オクターブに、ショートオクターブが用いられる事がしばしばありました 。この手法は鍵盤楽器に頻々と利用され、最低音から始まる5度ずつの進行を、半音 キーで上昇する通常の半音階表記ではなく、全音キーで上昇する全音階表記を用いていました。是によりキーを増やす事なく、低音部で楽器の音域を3度ほ ど広げる事が出来たのです.
18世紀になると、音域が5オクターブ又はそれ以上となります。1725年から173 0年頃には、初期専有弦型クラヴイコードが現れます。低音部に通常2本一組のとこ ろ4フィートの第3本目が加わり、音色が明るくなっています。この傾向はドイツ北部 の楽器に、より顕著に表れることになります。
19世紀後半には、様々な理由からクラヴイコードの使用が持続したスカンジナビア 諸国や、東欧の一部の国を除いて、使用は一時中断されます。しかし世紀末になると 、クラヴイコードを初めて修復、復元した人物アーノルド・ドルメッチ出現します。 かれはイギリスのハムプステッド,Aselmelne にあるアトリエで、数々のクラヴイコ ード製作者を育て上げました.其の中にはよく知られているフランク・ハーバードも います。ドルメッチはつまり私たちと、生き続けて来たクラヴイコードの伝統を結び つけた人物であるのです。1920年代、工業国となったドイツで盛んとなる「orgel-be wegung」というオルガン復興運動も、同時代のドルメッチ等のモチベーションと無縁 ではないのです。


 クラヴイコードについての文献
 マニアーノ・クラヴイコード国際学会論文 1993
 1511年「Musica Getddtscht」Virdung
 David Tannenberg
 Sprengel 他


1993年マニアーノで開かれた、クラヴイコードに関する国際討論会の記録として、 最近刊行された論文集の中で、Bernard Brauchli は、130におよぶ図像資料を目 録にしています。これら図像の重要性は、誰の目にも明らかです.殊にわれわれがそ の謎を明らかにしたいと願っている、楽器の原型に最も近い姿を表した図では、楽器 の表現の仕方にぎこちなさや、正確さの欠如などが見られ、時に我々の理解を混乱さ せることもあるのですが、その価値に変わりはありません。
図像資料から其の実物に当たって見るには、所蔵場所、各地の楽器博物館へと赴か なくてはなりません。非常に多くの、恐らく何百という数の世界中から集められたク ラヴイコードが、そこにあります。実物に当たれば、時には其の音が聞けたり、寸法 を測定したり、複製を作って見ることさえ出来るのです.さあ、その幾つかを選んで 、ご紹介しましょう。

                    ・  
多くの文献に記されている内容は、詳細な所で様々に異なっている事があります。 それぞれの筆者が、自らの見地から全体的、包括的な捉え方で、自らの知識をまとめ ようとしている訳ですから、それは無理のないことでしょう。
1511年に「Musica Getddtscht」を著したVirdungの例を 取上げて見ますと、其の著作はただでさえ読み進めるのが困難な上に、判りにくい図 版が複数ついています。その一つ一つを部分から解明し、類似点を見出し特徴をまと め、一貫性や含有している意味を探っていく事が、我々の仕事なのです。この仕事を 経て私たちは、構造、構造から来る強弱法、タッチ、楽器のスタイルと教授法等につ いての情報を得る事ができます。
先にも申し上げたとおり、クラヴイコードの内部構造は、レヴァーひとつに還元さ れるほど極めて単純で、指で直接弦をたたいているといっても良いほどです。其の分 、慎重で適切な演奏技術が要求されまた、不可欠ともなります。要求される演奏技術 とは次のようなものです。
1. 強弱法の熟達
2. 音程の正確さ、音色のコントロール
3. 鍵盤を押さえたあとの音の維持
鍵盤への指のアタックは、「擬似アタック」現象が起きる危険性が絶えずあるので 、細心の注意が必要です。「擬似アタック」とは、アタック時の指の置き方が適切か つ正確でない場合に、金属片が弦に跳ね返って起こる現象で、金属的で不完全な雑音 が発されます。この問題はほとんどの場合、キーバランスと関係があると見られ、指 の位置がシャープキーに近ずくと、その危険性が高まります。乱暴でぎこちない、不 確かな指の動きは避けなければなりません。又この危険性は鍵盤の両端部、つまり低 音部と高音部で特に高まり、指のタッチが不確かな場合に起こります。
4. 鍵盤の浅さ、軽さについての力加減
鍵盤が比較的軽く、沈み方が浅い場合は、演奏時の動作量、速度、高さ、角度、力 加減について、用心深い細心の配慮が必要です。

こうした技術の習得という課題については、Santa Maria 1565と 、 CPE.バッハ 1753−1787の文献から、最も完璧な情報を得る事ができ ます。大抵の場合、この情報は両書で一致しています。又1802年に、J.N.フォル ケルによって著されたJ.S.バッハの演奏法についての記述も、その証言の信憑性 に問題は残るものの、クラヴイコードの鍵盤にどう取り組むべきかについての、優れた論文です。
 この他の資料と しては
Ammerback 1571
Bermudo 1565
Marpurg 1756
Riegier 1799
Turk 1789
Gripenkerl 1819
恐らくは他にも沢山在ると思われますので、それらの資料にあたることをお勧めし ます。

それでは、この習得すべき技術について、基本的な事柄を幾つか挙げてみましょう 。
1. 手を丸く構える事 Santa Maria
「猫の手のように曲げた指を合わせ、神経をゆるめること。この様に指を曲げて構 えると、総ての指の動きが容易になり、難なくキーに指を届かせる事が出来、キーを 叩き損なう事も殆どない。」
2. CPE.バッハ
指の動きは無駄を大幅に省き、最小限に保つこと。指が常に、鍵盤から離れないよ うにすること。「キーを上の方から叩いてはならない。さもないと弦ではなく鍵盤の 木部を鳴らし、間違った擬似アタックの現象を生じさせてしまうだろう。
 フォルケル
「是とは逆に、キーの上に置かれた指には、しっかりと意識して内的な力を楽器か ら引き出すようにしなければならず、更にそれを膨らませて行かねばならない。
 キーを激しく叩くのではなく、優しく、しかししっかりと抑えること。

3. 手の重心の位置をはっきりと捉えること。重心は手のひらの第3指の、太い関 節の下あたりに位置するよう意識の訓練を行うこと。

 4. Santa Maria
 「鍵盤の梃子原理を最大限に利用出来るよう、キーの端の面に指があたるように 演奏すること。」

 5. CPE.バッハ
 指使いに関して
「間違った指使いで失われるものは、想定し得るあらゆる技術や創意工夫を駆使し ても、尚取り戻すことの出来るものではない。演奏の優雅さの総てが、ここにかかっ ているのだ。」

さて今度はクラヴイコードという楽器が求める、聴く能力について、特に内省、精 神集中という素質について、一言触れるべきでしょう。
この素質を持った聴き手だけが、いったん沈黙という地下に潜行した音が、あたか も再び地上に湧出てくる地下水脈のように、少しずつ現れてくるのを、捉えられるの です。静寂を広げるように見えて、実は静寂の内に、劇的な再創造を生み出していく 力を、私は内省、精神の集中力と呼びます。このような能力を持った聴き手との時間 の共有のみが、楽器としてのクラヴイコードと演奏家を育てていくのです。

クラヴイコードには、強弱の増減といった機能の他に、この楽器でしか見られない 、二つの表現機能が備わっています。
一つは18世紀中頃に、CPE.バッハ、Marpurg,Riegler,Tur kなどが語っている、鍵盤奏法で行うヴィヴラート(Bebung)。もう一つは複 数音に対する、ポルタート(Tragen der Tone)の表現機能です。旧式 なモデルの中には、隣接した音の3−4音が1つの弦に連結されていることもあり、 隣り合った音を演奏する事が不可能な場合もあります。この点に関してCorres  de Araxoは、オクターブ離れた音程での調整を示唆しています.Sant a Mariaが挙げている、ややスタッカート気味の演奏法への留意点も、この問 題についての関連でとらえるべきでしょう。
これら特殊な技術の中には、オルガンやチェンバロの正しい演奏法に対する基礎的 な技術が含まれており、後程理解して頂けると思います。つまりここに、クラヴイコ ードの他の鍵盤楽器に対する、教育的性格が見られるのです。
クラヴイコードが教育用の又は練習用の楽器として、様々な理由から高い評価を得 る事がたびたびあります。
Bermardo 1555「かつて、確かな実力のある歌手が実に多かったのは 、彼等がmonachordio モナコルディオを勉強していたからだ。」
同意見として:Conrad de Saveme 1465
Virdung 1511
Cabezon 1566
Praetorius 1619
Nassare 1724
現代の作家である J.コールドウェルは、Lincolnの聖堂聖歌隊にオルガン を教える任務を遂行していたWorwoodが、1477年に著した文献を取り上げ 、 「とりわけ、クラヴイコードを学ぶのにふさわしいと思われる者達に」著者自身教 えられることが多かったという記述に触れています。
Trichet 1640 も忘れる事は出来ません。
「マニコルディオンが、初心者に大変都合の良い楽器であるのは、あまり大きな音 を出さない楽器から始める事が、初心者を喜ばせて」いるという指摘をしています。 彼はこの短絡的な考えを、恐らくメルセンヌと交わした書簡の中で披露したと思われます。
メルセンヌはクラヴイコードを、音の出ないスピネ ットにたとえています。軽蔑的な意味合いはこれよりも薄れますが、ブリュッセルに 残っているイタリア製クラヴイコードの蓋の上には、「天上のスピネット」と記され ており、クラヴイコードとスピネットの同様な用語上の混同が見られます。

他の資料から、ペダル・カプラ、16フィート単独ペダルなどのペダル機構を備え た、クラヴイコードの存在を裏づける資料があります。
15世紀頃から、プラハのPaulus Paulirinus 、 Virdu ng 、 Douwes 、Adlung。
JS.バッハの弟子であるKitel,Gerber,の2人にも同様の記述が見 られます.

演奏曲目に関しては
Sorge, Marpurg, Eckard 1773 ,Wolf 1793
等の文献には、何ページにも渡って曲目のタイトルが載っていますが、演奏目的別 の分類は進んでいないようです。
しかし、クラヴイコードをトラヴェルソの通奏低音と結び付けて考えようとするの には、納得できます。興味のある方は、
Cornelia Annbackの論文:Deutsch Klavichordkunst des xlll Jahrhunderts を参照してください。この論文で、クラヴイコードの千変万化の演奏使用法をうか がわせる、無数の曲目タイトルが見られるでしょう。
モーツァルトが演奏旅行にも持ち歩いたような、4オクターブか4オクターブ+4 度という小さな共有弦型クラヴイコードの製造は、18世紀末まで続きます。クラヴ イコードはロマン主義の幕開け、カンタービレの叙情性を称える時代にも生き残って いたのです。実にこれは多感主義―Strum und Drang の聖なる開放まで、クラヴイ コードが絶えず使われ続けていたことを、物語っています。

・ ・・・・
このクラヴイコードについての概括的説明を終える前に、クラヴイコード製作を扱 っている2つの文献について、皆様にご紹介しましょう。
初めの文献は、David Tannenberg 
独創的で興味深く、やや風変わりなところもありますが、楽器製作家には有益な文 献でしょう。
2番目はSprenngel
当時フランス人によって世間の注目を集めた、百科事典のように項目別に網羅され た文献中の、長い一項目。

Tannenbergは、ボヘミア出身のオルガン製作家です。1750年にはア メリカ大陸に移民し、他のモラビア派キリスト教・開拓宣教師団と合流しました。ア メリカ人アームストロングの著したTannenbergの伝記を読んで見ると、彼 等一行は不幸にして、同じ新教徒派であるジュネ-ヴ人達からは受け入れられなかっ たようです。
Tannenbergのクラヴイコード設計図解説は、楽器製作家の手によるもの としては、歴史上ただ一つ残る資料として知られています。Winston Sal em にあるノースカロライナ大学の資料室に、「Untenicht der Risies zum ・・・・」と題された、図面付の手書き原稿が残っています。手書き原稿は2つ あり、異なる時期に書かれたものです.
Tannenbergは読者を文章から図面へ、又図面から文章へと導きながら、 組み立て方法について説明していきます。これは命題を1つずつ証明して行くように 、証明過程で楽器の構成要素を1つずつ文字を使って表しています。これは誰に向か って書かれた解説なのでしょうか。有能な楽器製作家にも興味を持たれる内容とは思 われますが、彼等を念頭に置いて書かれたものでないことは、明らかでしょう。楽器 の価値を台無しにしてしまうような、間違った記述も見られません.彼が木工職人で あった事を考えると、自分の手持ちの材料や、道具を利用して製作してみようとする こうした職人たちに向かって、書かれたと思うのが適切ではないでしょうか。もしく は楽器の本体を作りたいと望みながら、一人で苦労しているアマチュア、大仕事に取 り掛かってしまったものの、最後までやりとげられない音楽家たちなどのためにも、 書かれているようです。
なぜなら彼の説明は、いかに巧みに鋸を引き、薄板を張り合わせてキーを作るか、 その方法まで示されています。しかし、上駒 ―そのサイズや素材 や弦、ラシャ又 は整音についての記載が全くありません。あたかもそんなことは誰でもが承知済みの ことで、改めて述べる必要もないと言わんばかりです。彼の説明には、目に見えない 細部や構造の中で、奥深くに隠されて外から見えない部分についての記載が、あるだ けなのです。これは楽器研究家のDon Bevos 1766 が記している方法と、全く 違います。胴体の対角線上に張られた、長くて丈夫な力木や、駒の下にあって内部が 刳り貫かれた共鳴棒など、具体的な内部構造上の特徴については、念には念を入れて 驚くべき精密さで記載しています。この様な所から、かれの記述が一部抜け落ちて、全著作の内一部分だけが発見され、不可解にも短く縮められた体裁の文献 として、残ってしまったと見る向きもあるようです。

Tannenbergはこの設計図解説の他に、後部ガイドと金属片の位置決めによって行わ れる、鍵盤の分割法(die Mensur)についてまとめた羊皮紙を、文通相手に送ってい ます。この中で彼は、使用されていた音律あるいは調律の要点を、明らかにしていま す。驚いた事にこれほど後期であるにも拘わらずこの図面には、DO-DO4オクターブ からなる共有弦型のクラヴイコードが示されており、図面のみならず文章でも専有弦 型クラヴイコードについては、一切触れていません。楽器としての基本疑念は両者に 共通しているとは言うものの、当時当然使用が考えられ得る専有弦型クラヴイコード についての記載がないことは、かなり風変わりな印象を与えずにはおきません。
更にこの羊皮紙の記録には、鍵盤分割の完全均等分割法が記されているのです。同 時にクラヴイコード製作で一般に行われる、意図的変形法―diagramme 上の規則的湾 曲度、値の上昇規則についても厳密に記されています。これらの記述が、中全音調律 の理論家Andreas Sorgue などドイツ人オルガン製作家達へ影響を与えたと考えても 、間違いではないでしょう。

社会学的又、宗教学的な観点から見れば、信心深い入植者達の小さな社会を垣間見 ることができるでしょう。アメリカ新大陸に渡り、自分達の開拓、冒険に意味を与え ようと助け合いながら、しかし孤立して行った人々の社会です。こうした観点から見 ると、Tannennbergの著作は、今まで見えていなかったより人間的な奥行きを感じさ せます. 彼の信仰心は、厳しく切迫した状況下で表現形態の出口を求め、新旧入り混じった 多量の知識をぎこちなく継ぎ接ぎにしたこれらの著作の中でしか、表現することがで きなかったかのように、私には思えるのです.(綿谷注:トゥルネイ氏はフランス人 の母親、ユダヤ人の父親に生まれた、フランス系ユダヤ人としてベルギーに居を定め る事にした移民であります。氏自身は祖国を持たないと常日頃言っておられますが、 この一節に、氏の移民に対する独特な感情移入を見る事は、私の読みすぎでしょうか 。)「美」を欠いた信仰を私はここに見出します。
しかしながら、ユーモア、威厳、懐疑的な態度は失われていません。その証拠を抜 粋して見ましょう.
「胴体部はАを4フィートの長さに作ります。お望みとあらばもう何インチか長く しても良いのですが・・・・・低音域の弦は長すぎて困ると言う事も無いので、少しぐ らい長くてもどうという事はありません。」
「しかしまあどうであれ、先ずは図面に書いてあるとうりに従われるのが、無難と いうものでしょう。」
「横板に内部で接着してある底板ですが、・・・・・接着剤だけに頼る訳にも行か ないので、胴部の外側から釘を何本か打ち込んでおきましょう。」
・ ・・・・・・・・・

アメリカ大陸からヨーロッパに視点を変えれば、Sprengelによる全く違った発言を 、耳にすることになるでしょう。
彼はその精神からも、その著作「Handwerke und Kunste in Tabessen 」からも、 啓蒙の世紀と結び合わせて捉えるべきです。クラヴイコードに関しては、とうとうフ ランスの百科全書派を凌駕する勢いでこの項目を扱っています.実際ドイツでは当時 、クラヴイコードが必須の問題として取り上げられていたのです。
Sprengelはいきなり冒頭から、低品質のクラヴイコードと高価なものと、はっきり とした構造上の違いを指摘しています。ありふれた木材から出来ていて、往々にして 塗装されただけの楽器は低品質、高価な薄い単板を張り合わせてあるものは高品質と 、明確に区別を付けています。これを一種の前書き、警告と受け取るでしょうか?い いえ、彼の豊富な知識と、体系的な思考方法が為せるわざと見るべきです。クラヴイ コードの項目について、順序立て、論理的筋道に従ってあらゆる組み立てについての 解説を試みているのです。ここでは殆どの間違いがなく、著者の緻密な探究心、情熱 をうかがわせます。それぞれの組み立て作業に必要な道具の名前が挙げられ、弦に対 しどのように用いるかという図面も複写されています。
高い知的教養をもち合わせたSprengelは、多くの人々の知的啓蒙と高踏的 に過ぎない範囲での理解を得られるよう、百科全書派の啓蒙思想に習っています。時 代の趨勢を踏まえながら知的光明の賜物として、自分が発見した数々の啓示的事実に 関連性を与える事によって、整理し明確化して、普遍的なものにしようと努めたので す.

この2つの文献を同時に発見し比較し、それぞれの著者が何に光を充てようとした のか、各々の心の襞から生まれている思想的明暗とその意図、目ざしている効果の意 味を解明すると言う作業は、私にとって至難の技でした。
TannenbergもAufklarungの運動に参加していたと言えます。彼のような人がいて初めて 、この運動の基礎が出来、形成されて行ったのです。
超然として冷徹なSprengelの精神は、知識の普及と普遍性を獲得するに至 りました.この2人に介在する差異を明らかにすれば、Tannenbergが専有 型クラヴイコードを知らず、Sprengelが共有弦型クラヴイコードの価値を過 少評価していたという点が指標となるでしょう。両者の価値観を伝統と近代化と言い 換え、差異は伝統と近代化の避けられざる隔絶とみなしても良いでしょう。
しかし両者を結んでいる共通点も認められます。それこそが工具中の工具ともいえ る、寸法測定に使われる木製の定規の発見であります。鍵盤、弦、テールピース(緒 どめ)などあらゆるサイズを決定する物差しであるのです。今だに一部の製作者は、 楽器製作の第1段階である作図に、この定規を使用しています。楽器のサイズという ものが、楽器の普遍性を支えているものであると、私はこれらの歴史的考察から思わ ない訳にはいきません。

綿谷注:Aufklarungの運動について、調べられる文献が見出せず、又ド イツ語の文献が読めないので、不明のままにしてしまった事をお詫びいたします。ご 教授いただければ是ほどの幸いはございません。
94年よりトゥルネイ氏の楽器デモンストレイターとして、常に彼の最新の楽器を 用いてコンサート活動を行ってきました。一台ずつの新たな彼の挑戦、創意、意図を 、楽器から又は著作から、対話から、膨大な時間と精力を傾けて理解しようと努めて きました。彼の一台の新作楽器は、彼にとっての一つの新たな人生の局面であったと 思います。総ての日常、感覚が楽器製作に向かい、新たな素材や方法を発見する事で 、製作の困難さはいつも増大しました。鍵盤の重りも、実際に私に弾かして、演奏効 果を検討しながら決めていました。
彼自身、優れた即興演奏のできる人です。コンサートの稽古に疲れるとよく、私は 弾いてくれるように頼みました。自然で衒いのない製作家自身の即興演奏から、彼が 新作楽器にどのような音のイメージを持っているのか、感じとろうと必死でした。音 の色、強弱法に、いつも驚くような変革があって、そのたびに以前の奏法は、全く役 にたたなかったからです。私もまた一台ごとに、新たな奏法を発見して来ました。今 、この記述に補正を加えてみて、以前彼が私に伝えようとしていた事がほんの少し、 明らかになってきたような気がしています。
96年 ベルギー王立楽器博物館は、彼の楽器を買い上げ、永久保存することを決 定しました。21世紀に制作されたクラヴイコードとして、どの楽器を博物館入りさ せるか、氏はまだ決めていないと思います。長かったクラヴイコードへの無関心の時 代を経て、世界的な実践の場へと導かれた氏の功績は、大きいと思います。
2000年 1月4日   東京 綿谷優子


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1年2回、季刊号が出るので、その要旨と、活動、批評、執筆などもごしょうかい します。会員になりたい方は、お知らせください。会報は英語で、送金すれば送って きます。年間費、2000円ぐらいです。その他の活動状況も追加でお知らせします 。

本部責任者のクーン・ヴェルメイユは、オランダ人でクラヴィコード製作家です。 楽器は値段にそこそこです。如才ない人柄で、統率力とビジネス力がある人です。職 人としての気質は、偏屈ではありません。現在、イギリス、スイス、ドイツ、日本、 の学界をまとめて国際的利害関係をはかれる人は、彼位でしょう。彼のクラヴィコー ドは東京にあります。見たいかたは、お申し込み下さい。


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