図像学の源泉
「食べたり飲んだり」
このタイトルよりはずっと真面目な副題=
伝統とシンボル「図像学の源泉」とされ、
例証画像があげられませんが、有名な作品が多いので鑑賞の手引きになればと思っております。
Boire et Manger traditions et symboles
Silvia Malaguzzi著 Dominique Ferault仏訳
HAZAN社 ISBN 27541 0129 2
NUART:38 6577 1
逸訳:わたやゆうこ
1. 図像学の源泉
*旧約聖書より=原初的な宗教上の罪
「アダムとイヴ」=P.P.ルーベンス 1598年
出展: Genese、III、1−6
所蔵・アントワープ・ルーベンスの家
神は人類創造後エデンの園に住まわせ、「風味のある植物の実を食べて良いが、園中の木の実だけは食べないように、確実に死んでしまう」とのたまうのは有名な話。アダムに似合う女性として創造されたイヴは最も狡賢い蛇にそそのかされ、いちじくの実を食べ腰巻を身に着けたことから神に反抗の罪をとがめられ 失楽する。
「バルタザールの饗宴」=ティントレット 1541−1542
出展: ダニエル書、V、1−30
所蔵:ヴェローネ・Castelvecchio美術館
異教徒たちの存在を明らかにするために描かれた作品は、冒涜に対する神の怒り中断される。
紀元前6世紀、バルタザールはNabuchodonosorの息子でバビロンの王だった。ある日宮廷で大宴会を催し、彼の父がエルサレムのソロモン寺院から奪った金銀製の壷を、神の栄光を称えるために持ち出した。突然宮廷の漆喰壁に神秘的な手が現れ、文字を書きだした。恐怖に駆られた王は祈祷師+占い師+哲人を呼び出したが、誰一人解読できる者はいなかった。王妃は謎を解明できるダニエルを呼び出し、王はもし解読できたなら多大な褒美を約束すると言った。ダニエルは褒美を断り、父王が王座を逆手にいかに尊大で過酷だったかを呼び起こし、ソロモン寺院から奪った壷で招待客をもてなすのがどんなに大きな神への冒涜であるかと詰め寄った。ダニエルは神の言葉として「Mane、Thecel、Phares」と解読し、バルタザール治世は分割されMedesとペルシャに与えられるだろうと言った。その夜バルタザールは暗殺され、ペルシャ王ダリウスの治世となった。
この図像はイタリア+フランダース16−17世紀一般的となり、画家はこの劇的な秘蹟を描出した。
「マナの収穫」=マナの画家 1470年
Exode、XVI、1−32
所蔵:Chartreuse・Douai美術館
図像学的にこの主題は15-18世紀に扱われている。
キリスト教の伝統ではマナの収穫は聖体拝領を意味する。マナとは人生と魂を支える信仰の表明である。
イスラエルの民はモーセに導かれエジプトを出奔してから、食物も無くSin砂漠にたどり着いた。ヘブライ人はモーセとアーロンに不平をならべ、モーセは「今晩天上から肉が、朝にはパンが十分与えられるだろう。」その夜うずらが、翌朝パンがキャンプに置かれていた。神の摂理により日々必要な食料は民に与えられ、7日目の安息日には食料が2倍になった。食料は40年後ヘブライ人がカナンに着くまで供給された。
「アブサロンの饗宴」=Mattia Preti 1657年
II サムエル、XIII
所蔵:ナポリ・Nazionale di Capodimonteギャラリー
図像学的にこの饗宴はアブサロンの復讐を描いている。アブサロンはダヴィド王の息子で、美しい姉妹タマールと兄弟アムノンがある。ある日アムノンはタマールに懸想し、幽閉して強姦を試みたが、ダヴィド王は彼を処罰する勇気が無かった。アブサロンはこの秘密を守ったが、アムノンの処遇を恨んでいるつんぼの女性を養っていた。2年後羊毛の収穫時アブサロンはダヴィド王を招き、王は拒否したがアムノンも招待した。アブサロンは家来にアムノンを見張らせ、酔いが回った時殺害した。長男を亡くしたダヴィド王は3年間の喪に服した。
この主題は17世紀により多く扱われた。
*新約聖書
ヘロデの饗宴
「サロメの踊り」=Filippo Lippi 1460年
マルコ福音書 VI、17-49
所蔵:Prato大聖堂
同題材の三連祭壇画
「聖ジョン−パプティスト」=ロジェ−ヴァン デル ウェイデン
1455-1460年
所蔵:ベルリン、Gemaldegalerie
図像学的にこのテーマは、15・17世紀イタリア美術に非常に多く見られる。人気を博したのは、美しい女性との幻惑的な筋書き、優雅な宮廷描写と血なまぐさい生首の対象効果などからである。
ヘロデ王は王妃の甘言により、王妃と逝去した兄弟を訴追したジョン−パプティストを投獄する。王妃は彼の死を切望し王に死罪を懇願するが、ジョン−パプティストを恐れている王にその勇気は無い。ヘロデ王誕生祝いの饗宴で王妃の娘サロメは魅力的な踊りを披露し、褒美を約束したヘロデにジョン−パプティストの生首を求める。王は深く悲しんだがジョン−パプティストを処刑し、皿に盛った生首をサロメが王妃に手渡している。
王宮の会食者達は不気味な傍観者、豪華な金細工の食器は宮廷の経済繁栄を象徴する。
パリサイ人シモン家に招かれたイエス
「パリサイ人シモン家の食事」=Gabriel Maelsskircher 15世紀
ルカ福音書、VII、36-50
所蔵:ニュルンベルグ、Germanishes国立美術館
同名画=Giovanni da Milano 14世紀後半
所蔵:フィレンツェ、サンタ・クローネ教会・Rinuccini礼拝堂
図像学的に中世イタリアから17+18世紀末の西欧美術に流布した題材、浪費家のパリサイ人の悔悛による大いなる運命が、イエスを食事に招待する事に象徴されている。
パリサイ人シモン家はイエスを食事に招待し、既に人々が着席していた時、突然売春婦の妻が香炉を携えて現れる。彼女はイエスの足元にひざまずき、涙で足を洗い聖油を塗った。その場にいたパリサイ人達は、イエスがまことの預言者であり、売春の罪が贖われたと言った。
卓上のパンとワインは聖体の秘蹟、テーブルクロスは祭壇を覆う布、左端に座るイエスの席は栄光、その右隣がイエスから許しを得る罪人、髪が長くイエスの足を涙で洗い聖油を塗っている女性は伝統的にマリー・マドレーヌ=罪深い女性の象徴として描かれた。
「マルタとマリー家のイエス」=Pieter Aertsen 1553年
ルカ福音書、X、38-42
所蔵:ロッテルダム、ボイマンス美術館
同名画=Alessandro Allori 1605年
所蔵:ウィーン、美術史美術館
図像学的に1550年以降、伝統的イタリア+スカンジナビア絵画に度々登場、豊かな食材の溢れる台所は食欲を象徴、卵は復活、葡萄はワインの原料でありイエスの受難に流される血液と見られる。大量の食料はマルタにより用意されたもの、マルタが運んでいる小瓶は香水・リキュールなどを入れ歓迎の意、イエスの足元にひざまずくマリー・マドレーヌは注意深くイエスの説教を聴く聡明さを象徴している。
「レヴィ家の食事」=Paul Veronese 1573年
マルコ福音書、 II、13-17
所蔵:ヴェニス、ギャラリー・デル・アカデミア
Paul Veroneseは宗教絵画として唯一この題材を用い、食卓画を描く事への批判を避けるために、マルコ福音書から題材を採ったのではないかと思われる。
ワイン・サービスをする召使は、肉を切り分ける召使の不在を強調する。手に持つワイングラスが空なのは、これから犠牲となるイエスの受難を象徴、卓上のパンは聖体の秘蹟、焼いた肉は犠牲となるイエスの肉体、左端に構える人物はこれから切られる肉の一片を掴んでイエスに差し出そうとしており、熱心な信仰を表す、白いテーブルクロスは食事提供者の典雅を象徴している。
「カナの饗宴」=Carlo Bononi 17世紀初頭
ヨハネ福音書、II、1-10
所蔵:フェラーラ、Pinacoteca Nazionale
図像学的に中世から18世紀イタリア絵画−全西欧に広く流布した、イエス初めての奇跡、この題材は各時代・地域の食卓文化・風習を多様に描く可能性を画家に与えた。
同名画=Jerome ボッシュ 1475−1480年
所蔵:ロッテルダム、ボイマンス美術館
キリスト背後の棚中央に置かれている油のフラスコはペリカンの子袋を暗示して、救世主キリストの象徴、葡萄の蔓はこのシーンが水をワインに変えたキリストの奇跡を表す、召使が高々と差し上げている豚の頭は罪のシンボル、その手前の召使も同じ所作で高々と差し上げている白鳥=純潔の白=食べる前に食材を洗う習慣のある鳥=白鳥の歌=死=聖体。キリストの面前でワイングラスを右手に左手を上げている召使は、これから行われる奇跡を暗示している。
「最後の晩餐」=Giambattista Tiepolo 1745−1750年
マルコ福音書、XIV、12−26
マタイ福音書、XXVI、17−29
ルカ福音書、XXII、7−23
ヨハネ福音書、XIII、21−30
所蔵:パリ、ルーブル博物館
キリストは最後の晩餐で弟子達にパンとワインをキリストの血肉として定義、食卓画で最古の、また最重要題材として全西欧に普及した。
同名ビザンチン・モザイク=6世紀
所蔵:ラヴェンナ、サント・アポリネール・Nuovo教会
6世紀ビザンチン・モザイクに現れたのが全西欧美術で最古、左端で傾いたベッドに横座りしているキリストは図像学的にローマ起源、ベッドは正面から四角に見えるが丸体かもしれない。中央机の2体の魚はキリスト、ギリシャ語で全能の神の子・イエス・キリスト=Iesus Christ Theou Uios Soter、この頭文字5文字=Ichthus=魚の意味になる。
同名画=Livre de Maisonの巨匠 1480年頃
所蔵:ベルリン、Gemaldegalerie
このキリストは弟子達に、パンとワインの替わりに生贄の子羊=犠牲となるキリストの肉体を与えようとしている。キリスト正面のユダは、裏切りの象徴として鞘に入ったナイフを所持している。
*神話
「シテ島の饗宴」=Jules Romain 1527−1530年
詩篇など
所蔵:Mantoue、Pallazo del Te, sale d’Amour et Psyche
パンドラとプシケの神話題材は、ルネサンスから18世紀まで広く普及した。栄光の愛を象徴するサトゥルスが提供する、地べたの質素な食事は、プシケの神の食事と対照をなす。2対の食事は愛の二面性を象徴し、サトゥルス=物質的な愛、プシケ=高貴な憧れ。人間と動物の混合した肉体は人間の本能、サトゥルスが女神に差し出している丸いパンは、パン神から由来した名前=神性。右端からメルキューレが、饗宴を高次の調和へと最終的に導くため神の宣託を伝えにやってくる。
「Le festin des Dieux神々の祝宴」=Hendrik Van Balen 17世紀初頭
所蔵:アンジェ、Musee des Beaux-Arts
オウムガイで作った巻上げ型の盃は当時装飾品の典型で、セレモニーを象徴、この盃はジュピターかネプチューンしか持てない。蝋燭が刺さったタルトは、この祝宴が結婚披露宴である事を示す。菓子類は人生で最も幸福な典礼儀式を表す。殻つき生牡蠣は洗練された催淫=婚礼、アーティーチョークはエロティックと催淫を強調、オマール海老は海の二神=婚礼を象徴する。
2 .静物画の寓意
*大食の罪
大食の寓意は悔い改めずに罪を犯す人、15−16世紀イタリア・フラマン美術に普及した。中世から大食は第一大罪とされ、食欲に負けてむさぼり食らう豚や狼と同等とされた。
「大食漢」=ジェローム・ボッシュ 1475−1480年
所蔵:マドリッド、プラド美術館
太った男が食べている豚は大食の罪、左下穴の空いた椅子は底の抜けた貪欲な食欲、中央下の文字は七つの大罪のうち第一大罪=大食の罪を表している。貪欲な食欲は下劣な品位+モラルの堕落の象徴、串刺しのソーセージは古来より伝統的に豚肉を表し、大食漢を揶揄するために書かれている。
「宝の国」=ピーター・ブリューゲル一世 1567年
所蔵:ミュンヘン、Alte Pinakothek
左端、小屋の屋根に干してある数種類のパイは宝の国の放縦な食欲、フラマンの諺「屋根は責めを覆い隠す」=怠惰と行政の乱れを具現している。右皿上の生きたガチョウは罪を繰り返す罪人の頑迷さ、右上ナイフを挟んだ豚は食用を表し、大食漢の象徴。地面にのびている3人の男は3つの社会階層を表し、当時の経済危機状況を象徴している。ひよこが飛び出している卵は、たらふく食べて腹を突き出し地面に転がっている3人の食欲を表す。彼らの貪欲さは、卵の殻に刺しっぱなしになっているナイフに象徴され、ひよこにかえるまで古くなった卵まで、切り裂いて食べた事を表している。宝の国は食料調達が非常に容易である事を、画面全体に散らばっている食物が表し、当時の食糧難、貧困、欠乏、飢饉への恐れを抱いて暮らしていた人々の気持ちと拮抗するように描かれている。
*味覚センス
五感の寓意は曖昧だが生理学的な人間を描出している。しかしまた人の生理を覆い隠し、魅惑されるものを証明する事に役立っている。
「聴覚、触覚、味覚の寓意」=ヤン・ブリューゲル一世
所蔵:マドリッド、プラド美術館
五感の内三感は、貴族の邸宅で行われる豪奢な饗宴に描出されている。リュートを弾く女性は聴覚の象徴だけではなく、古代文明から伝統的に食卓を華やかにする音楽の効用を描いている。食卓中心に孔雀が羽を広げているのは束の間の肉体美、食卓を囲みながら芽生える根拠の無い虚栄心を象徴している。並んでいるご馳走は伝統的に性欲を亢進するメニューで、特に生牡蠣は官能を刺激すると一般的に言われている。左下には果物、野菜、ジビエ、孔雀の羽などが無秩序に積まれており、無節操に耽る享楽、狩猟による豊富な獲物を象徴している。高貴な婦人が盃に飲み物を注いでおり、白布を敷いた机には豪華な金食器が並び、食事を楽しむためには豪華な食器や飾りが必要な事を示している。
*Xenia = Xenium
ローマ芸術には食材の描出画が多く見られるが、単純な装飾、招待主へのみやげ、神への奉納物に過ぎなかった。食材の描出画には花や果物、食器などが描かれたが、招待主の持ち物を描出し、招かれた事への感謝の意を表していた。食材はその家の死者を象徴し、文芸に通じている者がだまし絵の手法を生んだ。
「果物とガラス・カップ」=Boscoreal町より出土、紀元前1世紀
所蔵:ナポリ、考古学美術館
柘榴はProserpine神話によれば、周期的に土にかえる=復活の象徴とされる。
*静物画の黄金時代
当初静物画に描かれる野菜や果物は、各地で珍しい種類、食物として取り入れられた新種が好まれた。16世紀末静物画は独立したジャンルを獲得し、全西欧に流布した。描かれる静物の形、質感、画材、色合い、光の当り方は、画家の奇術のような才能により美学的に配置され、静物の象徴性を具現した。17世紀初め静物画はローマとオランダで栄え、オランダでは静物画のジャンルを食卓、軽食、台所のジビエ、デザート、菓子などに再分割し、スペインでは食材を豊富に扱うジャンルを“bodegon =居酒屋、酒屋、宿屋”と呼び、フィレンツエでは科学的な分析に基づいた静物画法を確立した。17世紀静物画は、贅沢な饗宴の描出+つつましい食材を暗示的に描出する2つのジャンルに分かれた。
「花の静物」=Georg Flegel 1630年
所蔵:シュトゥトガルト、Staatsgalerie
さくらんぼは天国の象徴、高い足台の銀食器に盛られており、足台が天国世界を現し、果実の新鮮さが永遠である事、銀食器優美な形が豊かさ、豊穣な霊的実り、永遠の天国世界を象徴している。その下に、ノアの洪水を象徴する茎のついたオリーブが陶器に盛られてあり、洪水後神と結ばれた平和を表している。
黒い皿に質素・節制を象徴するサラダ菜があり、改悛を表している。隣にローストチキンがやはり黒い皿に盛られ、イエス・キリスト=原罪の犠牲者=人間の贖罪を象徴している。右端の砂時計は時間の象徴、現世のはかなさ、束の間の幸せを現している。
*19世紀の静物画
19世紀の画家達は食材のレトリックではなく、革新的かつ挑発的に、日常的な光景として食材を描き、静物画は急進的な変化を遂げた。
「湯沸しポットの静物」=ポール・セザンヌ
所蔵:パリ、オルセー美術館
果物やその他の物は単純に物として、情緒的レトリック無しに、ありきたりの物にひそむ美を描いている。卵が白布にくるまれ、画家の詩情に溢れている。自然界が作る完璧な卵型は基本的な幾何学デザインであり、卵の質感に現れている。
*風景画
16世紀末西欧は風景画が大変流布し、食物を背景にした新たな家庭的雰囲気のジャンルとなった。オランダのある地域はプロテスタントに改宗し、偶像破壊のあと宗教画や聖人画は不当な扱いを受けた。画家は注文に際し題材に枯渇し、他のジャンルを開発する必要に迫られた。宗教改革後オランダは経済発展を遂げ、ブルジョワが絵画を漁っていた。風景画は社会の急激な変化と共に台頭し、エスプリ、情緒、風習などを依頼主の注文に応じて、家庭画+食卓画が個人の趣向に合わせて大量に描かれた。16世紀後半から17世紀、旧オランダ領=フランダース地方とイタリアでは市場+ブティック+台所などが題材として好まれ、食材と性欲との関連性が描出された。しかしこうした風景画は、束の間の世俗的歓楽を巧みに描いている。
「タルトを食べる少年」=B.E.ムリリョ 1662-1672年
所蔵:ミュンヘン、Alte Pinakothek
少年が食べようとしているタルトは、幼年時代の追憶に繋がっている。路上の子供や貧しい家はムリリョの典型的題材となった。犬の下に果物が詰め込まれている籠があり、玉ねぎやパンは貧しい農村の生活を象徴している。
「家族の肖像画」=Maerten Van Heemskerck 1530年
所蔵:Kassel、Staatliche Kunstsammlungen、Gemaldegalerie
16-17世紀北欧の画家はこぞって家族達の肖像画を描いた。夕食に集う家族の全メンバーは宗教的な聖家族を象徴している。一家の主がワイングラスを片手に、乾杯の音頭を取ろうとしている、果物籠の中に更に小さな籠があり、小さな籠には天国を象徴するさくらんぼうは霊的な歓喜、大きな籠には信仰に基づく現世的歓楽が象徴されている。妻が抱く生まれたばかりの幼子の足元に半分に切ったチーズが卓上に置かれ、母性が象徴されている。
3.食材のある祭事の現場
*市場
「アントワープの魚市場」=Jan Van Boeckhorst と Frans Snyders 1630-1640年
所蔵:アントワープ、ルーベンスの家
スカンディナヴィア半島では市場が経済繁栄の象徴であり、国家への信頼を感じさせるものとして描かれた。身なりの良い婦人は新鮮な魚を選んでおり、市場が食物を供給する社会的重要性を表している。フラマン地方では、特に魚市場が市場経済の中心だった。
「フィレンツェの果物市場」=Johann Zoffany 1775年
所蔵:ロンドン、テイト・ギャラリー
乞食がずた袋に手を突っ込み、揚げ物を売っている女性を安心させて、食物にありつこうとしている。葡萄など果物を売る女性が画面外に向かい目配せしているが、葡萄はワインのもとであるばかりでなく、酔いが人生の歓喜であることを象徴している。手前の籠からトマトがこぼれているが、当時フィレンツェで好まれていた野菜を表し、アーティーチョークはトスカナ地方の目玉商品だった。野菜かごはこの市場がジプシーなどの移動マーケットである事を示している。18世紀の採光法では背景の暗闇とのコントラストで、空腹を満たす光のあたる市場をこの世の闇を救う象徴としている。
「お針子工房」+Pietro Longhi 1752年
所蔵:ヴェニス、Ca’ Rezzonico
お針子工房の旦那とおぼしき男が行商人の老婦から菓子を買っているのは、彼が豊かな商人であることの象徴、菓子を売り歩く行商人はルネサンス時代から消滅した。
*小売店
食料品店の描写は17世紀イタリア+フラマン地方で、風景画のジャンルから独立した。行商人は小売店に取って代わられたが、ローマ時代から食料品店は存在した。ローマ皇帝の衰遇後封建体制の経済活動は自治体制に変わり、食料品流通は相互補助の自立経済となった。13世紀市民経済の要として、産地直送販売がパン屋+焼肉屋+菓子屋+スパイス屋+肉屋に導入された。中世ルネサンス時代は一階に食料品店、上階を家族の住まいとした。低い石垣の商店街が後に、雨よけの屋根をつけたショッピング・アーケードになる。19世紀金張りの豪華装飾の店構えに発展し、フラマン地域の絵画の殆どがこの時代を描写している。
「肉屋」=Annibale Carrache 1582-1583年
所蔵:Fort Worth、Kimbell美術館
肉屋の描写は風景画のジャンルとなり、マニエリストの画家達の美的根拠を覆す主題として動物の遺骸が描出された。観者に厭気や嫌悪感を呼び起こすこのような題材は、排他的な審美眼となった。右側の男性は切り取った肉を見せており、売買の様子がナマナマしく描かれている。
「パン屋」=Job Berckheyde 1681年
所蔵:Worcester、Art Museum
パン屋がパンが焼けたという客寄せのラッパを吹いている、店の前に陳列台、壁にパンが並び、入口は半月型アーチ、15-17世紀の典型的なパン屋が描かれている。陳列の丸パンは日常の基本的食材、籠の多種な形状のパンは人生の試練と困難を象徴している。
*台所
紀元前3世紀ローマ時代だから台所はその家の最もつつましい部分、家族が集まり食事をとる場所だった。ルネサンスから大煙突が家内中心に据えられ、ロースト用に側面に煙突、シチュー用煮込み鍋のついた台所が使われ始めた。台所の描写は個人生活と招待客をもてなす社会生活の交点を描く事であり、豊かな台所用品や有名な芸術家の私生活を描き出して、人々の関心を集めた。19世紀豊かなイタリア+フランス家庭では台所はごく質素になったが、ドイツ+フラマン地方+アングロサクソン家庭では、儀礼的ではない家族の食事サロンとして快適な部屋として設えられた。
「豊かな台所」=David Teniers le Vieux 1644年
所蔵:デンハーグ、マウリッツハウス美術館
16世紀儀礼と気楽な家族の食事とは厳しく区別され、料理の用意をする台所と享受する食堂とに分かれた。台所は料理に便利な施設を整備し、より広いスペースを獲得した。焼肉のかまどはレンガ造り、かまどで焼く肉は伝統的に最もご馳走とされた。机上の白鳥は用意している料理に栄誉を与える象徴、騎士道の寛大の象徴として紋章にも使われた。白鳥は死に対する勇気を与えるとも歌われている。当時台所の食材の豊富さが地域の豊かさ、料理用具の描写などが盛り込まれた。
*食堂
「パリサイ人のシモン家に招かれたキリスト」=Dierick Bouts、1440年
所蔵:ベルリン、Gemalde ギャラリー
この奇妙な食卓は二つの画架を繋いで布をかけている。分解や移動が容易で食事の場所が固定されていない事を表している。二皿の魚は福音+イエス・キリスト、パンは聖体を象徴している。
「Yorkにある我々の食堂」=Mary Ellen Best、1830年
個人所蔵
19世紀ブルジョワの家族団欒の場、彼らは用途に合わせて複数の食堂を持っていた。食卓にはスープ鉢から、メインディッシュの蓋つき皿、野菜の皿など異なるメニューの用意が既にされており、食べながら食卓で皿を変える習慣が見られる。しかし19世紀には一メニューごと皿を出すのが習慣となり、料理ごと食べるのに必要な皿などは別間に用意するようになった。
「牡蠣の昼食」=Jaen-Francois de Troy、1735年
所蔵:シャンティリィー城、コンデ美術館
右側壁の半月アーチ内にヴィーナス像が据えられ、サロン全体を睥睨し、この部屋が現世の快楽を追求する事を象徴している。豪奢な円形サロンは彫刻やフレスコ画で飾られ、大きな丸テーブルを囲んでいるのは全員男性、牡蠣は男性シンボルだけではなく催淫の象徴であり、銀食器に盛られ洗練を表している。
*居酒屋
居酒屋=taverne=聖体のパンを入れておくもの、古代ローマの時代から居酒屋は貧しい人達の旅籠のようなもので、売春と関わりがあった。古代の居酒屋は市民と旅人に暖かい食事を提供する場で、ハムや塩漬け、持ち帰りの出来るワインや水を提供し、奥に貯蔵庫を持つ室内が多く描かれた。教会や司祭は居酒屋の退廃的雰囲気を蔑視したが、その後都会に不可欠の交流の場となり、16-17世紀フラマンの画家によって猥雑な気晴らしが描かれるようになった。
「台所の光景」=Marten Van Cleve、1565年
所蔵:ヴェローナ、Castelveccio
ロザリオ型に結ばれたニンニクは野菜の保存、悪魔から身を守ると信じられた。後景の居酒屋はみだらな庶民的雰囲気で、古代の居酒屋とも見受けられる。
台所は堕落した悪魔的陰謀の象徴。
*カフェ
古代ローマではThermopoliaと呼ばれ、1554年コンスタティノープルに開かれたカフェの模擬店が、17世紀半西欧に誕生した。1650年オクスフォードが第1番目のカフェと考えられるが、1640年ヴェニスとも言われている。その後マルセイユ、パリ、ウィーンと続き、18世紀イギリスでは貴族階級のみ出入りする「Coffee house」が開業、フランス革命前の貴族社会のサロンとなり、若い貴族たちが革命論をぶち上げる場所ともなった。印象主義者たちに愛好され、19世紀末にはパリジャンの芸術家やインテリが集まる場所となった。
「ローマの芸術カフェ・グレコ」Ludwig Passini、1850年
所蔵:ハンブルグ、Kunsthalle
ローマで開業したカフェはカフェ・グレコと呼ばれた。19世紀カフェにはワイン醸造所が作られ、暗色のボトルに貯蔵され店に陳列した。18世紀から芸術家や作家に好まれたカフェは、コーヒー自体が知性を象徴する飲み物となった。
「Café−consert=歌声喫茶」=E.マネ、1877-1878年
所蔵:ロンドン、ナショナルギャラリー
19世紀半ばパリは豪奢な社交界の国際的中心地となり、カフェに歌手を雇い陽気に活気付けた。
*朝食
日に3回の食事は一日の節目となり、質素な朝食は、古代ギリシャではチーズ+果物+ワインに浸したパン、古代ローマではjentaculumと呼ばれ朝8-9時に摂食し、ボールに入った牛乳+ワインか大蒜ソースに浸したビスケット+オリーブ、時々チーズや卵が加えられた。かつてキリスト教徒の家では朝食が廃された時代があったが、18世紀には温かい飲み物+ビスケットが貴族の家庭に普及した。朝食は寝室や隣接するサロンでとり、19-20世紀ブルジョワ家庭で定着した。19世紀絵画は聖家族の象徴としてブルジョワ家庭の朝食風景を描出した。
「結婚の風習、朝食」=William Hogarth 1744年
所蔵:ロンドン、ナショナルギャラリー
6連作のうち一作で、相互に関心を失いこわばってしまった結婚生活を描写している。古代ギリシャ‐ローマ文明以来朝食は一般的に貴族のしきたりでえあり、18世紀半ばには寝室か控えの間でとられていた。左側の計理士は肩をすくめ、主人が払おうとしない請求書を持って退散するところ、卓上の銀製茶器は英国文化を象徴、銀製食器は上流社会、右端の椅子に座る男性は正装しており、前夜の放蕩に倦んでいる事を象徴している。
*昼食
古代文明では家族や友人達と午前中に楽しむ、質素な食事だった。古代ローマ文明では1日最初の食事、魚+卵+野菜+しいたけを摂取した。中世以来昼食時に祝宴を張る事もあった。
「酒を飲む王」=ヤコブ・ジョルダーンス、1640年
所蔵:パリ、ルーブル美術館
錫製容器は17世紀フランダース地方で使われたワイングラス、中央の道化師の装束をまとった男は祝宴、左端王冠を被った男は公現節のソラマメ(1月6日の公現節の菓子に隠し入れる.このソラマメか代わりの陶製の小人形を見つけた者が王様か女王となる)と呼ばれ、東方三賢士の象徴でもある。家族と楽しむ昼食は人生の祝祭を象徴している。
*夕食
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