運指法のサマリー:2000
装飾法のサマリー:2000
チェンバロのタッチについてのサマリー:2000
ハイドンのサマリー:2000
D. スカルラッティのサマリー:2000
●運指法:2000
推薦図書
F.クープラン クラヴサン奏法
CPEバッハ 正しいピアノ奏法
クヴアンツ フルート奏法試論
A.ドルメッチ 17−8世紀の演奏解釈
野村満男 チェンバロ演奏法
戸口幸策訳 フンダメントゥム フォンテガーラ
月岡正暁 寄稿文
オルガン研究 1.2 立教高等学校研究紀要
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野村満男 チェンバロ演奏法 抜粋 64P.
数ある運指法の文献の中でもひときわ簡潔で判り易いので、ご紹介させて頂きました。
運指法
指使いを選択するときは、それに先立って、十分な楽曲アナリーゼをおこなうのが
ふつうです。分析が正しければ、おのずと正しい指使いも決まってくるわけです。し
かし逆に、ダンパー・ペダルの無いチェンバロにおいて、ある指使いを決定すれば、
それによるアーティキュレーションやフレーズイングが決まり、従って演奏解釈も決
まってくるということがいえます。それが、16−18世紀の鍵盤音楽に、ピアノ風な指
使いを用いるわけにはいかない、という理由になるのです。
タッチの問題と同様、チェンバロの運指法について、こうあるべきだという指針を
示す事は、今の所、きわめて困難です。チェンバロの時代を通じて用いられていた指
使いは、現代の、ピアノのための指使いと、あまりにも異なっていました。そしてそ
れなりに、音楽表現の上で重要な意味を持っていましたので、現代の演奏者のあいだ
では、それを採用すべきか否か、意見が対立しているのです。従って、ここでは、古
い運指法が、どのようなものであったのか、内容を紹介するていどにとどめたいと思
います。
1611年にイギリスで出版された曲集、「Parthenia」パーセ二ア の表紙は、長方
形のヴァ-ジナルを奏でる乙女の姿が描かれ、姿勢のデッサンは、よく真実を伝えて
いるように思われます。ところが、演奏中の指の位置は、我々の常識的な位置から、
とてもずれているように見えます。初期フレミッシュ・ヴァ-ジナルを奏する女性の
指にも見られ、親指が鍵盤上からはずれています。
16世紀以来、鍵盤楽曲の作曲が盛んになってきますと、楽曲を構成する各細部のア
ーティキュレーションやフレージングを通して、音楽の流れの抑揚を明確にさせたり
、それによって、性格付けをしたりするための「合理的」な指使いが工夫されてきま
した。しかし、その内容は、長さと能力の異なる各指を、すべて均等化する訓練をう
ける現代のピアニストからみると、きわめて「非合理的」な指使いにみえてしまうの
です。
16世紀以来の運指法について書かれた原典、あるいは、指使いの書き込まれたオリ
ジナルの楽譜は、いくつか残っています。
J.S.バッハ自身の指使いも、記入されたものが3曲あります。BWV994 BWV930 BWV
870 「フリーデマン小クラヴィア曲集」しかし残念ながら、重要な作曲家のうち、
フローベルガー、ヘンデル、D.スカルラッティなどの運指法については詳しいことは
判っていません。古い指使いは、18世紀はじめまで、つまり、F.クープランやJ.S.バ
ッハの時代まで、ひろく用いられていましたので、恐らく彼等もそれによったものと
思われます。
さて、バッハ自身が指使いを指定した資料として有名な「フリーデマン小クラヴィ
ア曲集」の中の運指法、Applicatio BWV994を指定どうり弾いて見ますと、つい
、指定を無視した指使いで弾きたくなりませんか?
この曲集にはもう1曲、当時の習慣で、すみずみまで指番号を記入されたプレアム
ブルムBWV930が収められています。
当時、親指と小指は「6度・オクターヴの音程」、「拡がりのある和音」、「モチ
ーフ、フレーズの始まり・終わり」等の部分で、たまに用いられる程度でした.現代
のピアニストは、当時のように、他の指の下を「親指がくぐる」とか、他の指が「親
指をまたぐ」、あるいは親指で「手の位置を決める」等の親指用法を心得ています。
しかし、これらの用法は、CPEバッハが、その著書の中で、大いに推奨しなければな
らなかったほど、18世紀初頭までは無視された技法だったのです。
それでもCPEバッハは、運指法を論ずる時に、ハ長調上行音階の指使いとして、現
代のピアニストが常識的に用いる指番号とならんで、歴史的指使いも示しています。
ド レ ミ ファ ソ ラ シ ド レ ミ ファ
右 1 2 3 4 3 4 3 4 3 4 3
左 4 3 2 1 2 1 2 1 2 1 2
そして、この右手の4−3、左手の1−2だけで上行する、17世紀ドイツで一般的
だった運指法を、「他の運指法より一般的である」とも述べています。そのことから
、バッハの息子の時代も、まだ、古い歴史的指使いから脱皮する過渡期であったこと
がわかります。
ところで、歴史的指使いの原則は、つぎのようにまとめることが出来ます。
1) それぞれの指について、能力の均等化をめざすことwpしないで、むしろ、
異なる能力を、そのまま音楽の中に生かす。
というものです。また、強い指を「よい指」、弱い指を「悪い指」とし、楽曲の小
節内で区分される強い拍に来る音を「よい音」、弱い拍に来る音を「悪い音」、と名
付けるのです。
2) よい音には、よい指、悪い音には悪い指を配する。
という原則で指使いが決められたのでした。ふつう、右手の「よい指」は、中指の
3であり、左手の「よい指」は、2または3とされました。Dirutaは、2と4を「よ
い指」としましたが、イタリアを代表する一般的な運指法ではなかったようです。
したがって、音階は「よい音」「悪い音」が交互するため、「よい指」と「悪い指
」の2本だけを用い、2から5までの各指を互いに近接させたままの(つまり、くぐ
ったり、乗り越えたりさせない)かたちで
右手・上行 3−4 3−4 又は 2−3 2−3
下行 3−2 3−2
左手・上行 2−3 2−3 又は 2−1 2−1
下行 3−4 3−4 又は 2−3 2−3
のように演奏されるのが、普通でした。
この他の原則としては
3) 同音連打には、原則として2本の指を交代させる。CPEバッハは急速な曲でな
ければ、指を変えなくてもよいとしています。
S.Scheitのオリジナル運指 Ach du fenner Reiter 第5変奏より
北ドイツ・オルガン・アカデミー:月岡氏の資料による
右手・ド ド ド ド ド ド ド ド シ シ シ シ ラ ラ ラ ラ
3 2 3 2 3 2 3 2 3 2 3 2 3 2 3 2
左手・ド ド ド ド ミ ミ ファファ ソ ソ レ レ ファファド ド
2 1 2 1 2 1 2 1 2 1 2 1 2 1 2 1
4) 定旋律のように、ごく長い音符の流れは、支障の無い限り特定の「よい指」
、つまり3で弾く。しかし、それが多声曲の上声に来る時は5だけで弾く(そのため
に生じる、とぎれとぎれのアーティキュレーションによって、次々とアクセント感を
生む、という効果がねらいとなっている)。
5) 音符を延長している間は、指の置き換えをしない(この原則は、ドイツで一
般的だったらしく、CPEバッハは、よほどのときでなければ指を置き換えてはならな
い、F.クープランも、指の置き換えを使いすぎる、と批判しています)。
さて、ピアノの運指法は、クレメンティからショパンに至るあいだに、ほぼ、原則
を決めたといわれます。それは、既に述べた「親指用法」のほかに
6) 派生音キーに親指を用いない(派生音同士のオクターヴなど、やむを得ない
場合を除く)。
7) 同音連打のときは、指を交代させる(和音の反復奏のように、不可能な場合
を除く)
8) 大譜表の上、下段に分けて記譜された曲は、特別な指示がないかぎり、それ
ぞれ右手と左手に分担させる。
などにまとめることができます。勿論、これらは絶対的な規則ではありませんし、
今や、古典的な運指原則として、実際の出版譜ではたびたび修正の対象となっていま
す。また、各調スケールの運指など、ピアノの場合、おのずと決まってくる常識的な
指使いというものがあります。
ところが、歴史的指使いにおいて、スケールを右手が2−3・・・とか、3−4・
・・で上行させたり、3−2で下行させたりしたのですから、その目的として、昔の
人はある特別な演奏効果―――――たとえば、同一音符で均等に記譜されているリズ
ムを、不均等inegaliteに奏する慣習などーーーーーの表現をねらっていたのだと考
えれば、納得できるわけです。
事実、3−4などで、ツブのそろったスケールを弾くと言う事は、不可能なことで
す。
4から3にかけて、当然ノン・レガートになり、長短・・・又は短長・・・の不均
等をつけやすくなります。なにしろ3が4の上を越えないように手の形をそのままに
保たなければならないのですから。
それにピアノでは、残響効果を生み、切れ目をつないでくれるダンパー・ペダルの
(右ペダル)効用があります。しかし、チェンバロやクラヴィコード、オルガンには、それがありません。
アーティキュレーション表示の無
い、17−8世紀以前の曲が、現代のピアノ的な運指法で弾かれると、曲の構造に密
着した「歴史的運指法の表現力」を無視してしまうことになりかねない、ということ
が、これでおわかりでしょう。
歴史的指使いの目的は、弾き易さとか、流暢なひきこなしだけのために考案された
のではありません。曲の細部にわたる作曲家の意図した音型の意味を表現する為には
、「歴史的指使い」は、ごく、「合理的」なものなのです。
しかし、指使いの選択に際して、ともすると、局部的なモチーフ音型の都合だけで
指使いを決めがちですが、フレーズや、曲全体のなかで果たす、その役割も併考され
るべきであることは、勿論です。では、次に、オリジナルな指使いが記入されている
譜例を、お目にかけましょう。別紙参照 譜例12−13
ヘンデルと同時代のイギリスで、生涯を終えたNicolo Pasquali の著書に
「ハープシコード演奏の技法」1798があります。そのなかに譜例14のような
装飾法と運指法の例示があり、当時のイギリスで行われていたと思われる運指法の傾
向を窺い知ることができます。この譜例から、作曲者の記譜したデッサン的な譜面を
チェンバロで実奏するときは、トリル、モルデントを中心とした装飾音が多用されて
いたことがわかります。別紙 譜例14
このほか、フィッツ・ウィリアム・ヴァ-ジナルブックにも、オリジナルの指使い
指定が記入された曲があります。(2,17,23,24,34,35,52,53
,57番他)
また、大英博物館の手稿譜Add MS 31403にも運指の記入が見られ、イタリ
ア、ドイツなどと並んで、イギリスの資料も合わせると、オリジナル運指の記入され
た楽譜資料は、かなり豊富です。
ところが、現代の演奏家にとって「歴史的指使い」を用いる事は困難を伴い、新し
い修練を要求します。そのため、歴史的指使いのねらったものと同じ音楽的効果を、
現代の運指法で表現すればよいのであって、昔の運指法によることはドグマ的であり
、全くナンセンスである、と排斥する奏者から、積極的に支持し、実行する奏者まで
、今の所賛否がわかれているのです。
重音奏法
F.クープランの「クラヴサン奏法」に示された例を、引用してみましょう。
3度の平行による同じフレーズの場合;右手で24だけでひく歴史的指使いについ
ては、
Santa Maria によれば、他に21だけでひく、31だけでひく、という2種類の
指使いもあったよです。
またクープランは、対位法的に処理された重音音型とか、音域の広い音型などでは
、
「同一音上の指の置き換え」を多用しています。
1713 オルドル第2番 幸福な想いなど。
しかし歴史的指使いでは、指の置き換えをしないのが原則でした。
運指法について 綿谷優子
運指法というのは日本語の「書き順」のような物であると、私は思っている。
どんなサイ
ズの手を持っていようと、正しい書き順は書き易く、綺麗に書ける。草書体で順序
が違う
字もあるところが、早く弾くのと遅い時とでは、同じ音型でも指使いを変えるのと
そっく
りで面白い。
漢字とひらかなでは圧倒的に曲線の量が違うのだが、バロック期の運
指は漢
字、古典派以降の運指をひらかなと言ったら、こじつけすぎだろうか。
レガートは
曲線で
あり、ひらかなは単声、漢字はアーティキュレーションのはっきりした、多声音楽
である。
書の筆使いのように指使いも考えたら、日本人には判り易いのではないだろうか?
多くの文献では、親指をくぐらせないことを歴史的運指法の特徴として揚げている
が、20
年程前、故鍋島先生が
「昔の人だって指は5本だったの。親指をくぐらしたら音階がやさしく弾ける事を
知らな
かったわけは無いでしょ?どうして、なんでもかでも親指を使わないで弾かなきゃ
いけな
いかしらね。」
と言われて、やたらと音階の出てくるトムキンスの難曲を現代の指使いで弾くこと
が許さ
れ、ほっとした事をよく覚えている。なかなかと臨機応変な処理の仕方であると思
った。
オルガンとチェンバロでは音響条件が余りにも違うので、同じ作品でもテンポは随
分異な
る。残響の乏しいチェンバロでは、遅い曲は少し早めに、早い曲はより早くという
のが雑
駁な言い方であるが、歴史的指使いはどちらの楽器のフィンガリングであるか指定
してい
ないものが多い。レパートリーの殆ど重なっていた15−6世紀に書かれた文献に
ついて、
チェンバロでもこれらを鵜呑みにしてしまうのは危険である。
シュナイダ―のフィンガリングの項など、山田先生の明確な訳でとてもわかりやす
いが、
特にヴァ―ジナリストから17世紀のイタリ―の作曲家についてのP.33-4は、音楽の
特徴に
かんがみて秀逸である。是非参考にされたい。
書をやる方は良くお判りと思うが、字には意味があり、意味を書家の個性で体現し
ていく
のが書である。
「光」という字が書く人によって違うのは、書き順が違うのではなく、意味に対す
るイメ
ージが違うからである。「ひかり」とひらかなで書くと、全く違うニュアンスにな
る。バロ
ック期の音型は総て言葉であるから、ひらかな言葉か漢字言葉か考えてみるのも面
白いか
もしれない。
相田みつをと言う書家のひらかなは、漢字に近い書法である。はっきりしたアーテ
ィキュ
レーションのひらかなである。とてもバロック的な書であるので、一度ご覧になる
ことを
お勧めする。2000.2.13
●装飾に関するサマリー
*チェンバロのタッチ*
「チェンバロ演奏法 」野村満男著 P.58から抜粋
<打鍵>
ピアノ風にキーを打鍵すると雑音の多い演奏になってしまうので、タッチの基本を学ばなければなりません。その第1歩はソフトタッチのマスターです。
手から指先にかけて、自然な形状でカーブしていることを確認しながら、指の付け根の関節を、よく動かす事です。その関節から指先まで、筋肉の緊張と弛緩が思いのままになるようにコントロールしながら、ひと指づつ、上下のストロークを与えます。ソフトタッチと言っても、曖昧に押鍵していくのではなく、スピードのある軽いタッチです。そして、
プレクトラム先端の撥弦する瞬間のアタックは意識されていなくてはなりません。打鍵に必要な力は、それだけでよいのです。さもないと、キーの下で打撃音を出したり、1つの鍵盤に複数のジャックを奏するレジスターの時に、それぞれのジャックの撥弦の瞬間がそろわなかったりするのです。
しかし,手の位置を変更する為,左右の腕を移動させる時は、胴から肩,腕のバランスの取れた動きが必要です。例えて言えば,習字の時「一」を書く時の運筆の要領で、腕から手を水平移動させます。.腕が弧を描いて落下したり、上下に振動させて重みをくわえることは、チェンバロのタッチとして避けるべきです。
タッチの基本としては、指の上下ストロークに、腕や手首の振動による重みとか、力を加える事をしてはならないのです。しかし、それは、手首を硬直させる、という事ではありません。手首は、ごく柔軟にし、ピアノの場合よりもコントロールされた、タッチへの参加を必要とします。
ピアノで、既に指によるタッチを経験している人なら、ピアノよりは力を減らし、上下のストローク距離も少なくして「撥弦時のアタック感」をつかめば、間もなく雑音の少ないチェンバロのソフトタッチを習得できる事と思います。
指によるタッチといっても、実際には、体全体から肩、腕、手、指と順に関連を持った運動ですから、それらの有機的な、つながりの感覚をつかむことは大切です。しかし、いつも手首を堅くしてピアノを弾いていた人は、コントロールされたソフトタッチを、はじめて経験した時、大変な苦痛を感じるかもしれません。しらずしらず、首から肩にかけて緊張させたり、指先の自由な動きを抑えこむことをしがちです。もしも、その傾向を僅かでも感じたなら、直ちに練習を中断して、肩から先をだらりと脱力して休ませ、最初からやり直してみます。
打鍵時の雑音の程度を調べたり、消去する練習のために、全レジスターを除音し、
無音鍵盤として用いるのも、良い方法です。ただし、撥弦過程を含めたアクション感は身につきませんので、そればかりで練習するわけにはいきません。注意して下さい。
今日、楽器は、コピー、復元のものを用いる傾向が、ほぼ定着しました。また、奏法も古来のものにしようという意見が、演奏家のなかに出てきました.。しかし、歴史的な奏法をとるか、現代奏法をとるかは、現代の学習者が、それぞれ文献を調べ、試みたうえで判断されるとよいでしょう。ここでは、現代の奏法のうち、最も妥当だと思われる「ソフトタッチ」を解説していますが、参考までに、昔の音楽家達の奏法上の注意を、いくつか引用してみましょう。
16世紀のイタリアのG.Dirutaによれば、腕は手を導き、どちらも直線に保たれ、いずれが高くても低くてもいけない、それは手首が適切な高さの時に可能となろう、指はのばさず、僅かに湾曲させてキーの上におき、手は軽がるとリラックスさせる、さもないと指は敏捷・即応の動きをとることができない、ということです。これらの指示は、かなり現代奏者を納得させsるものと思われます。
また、彼は、オルガンを正しく、優雅に奏する為には、キーは優しく押されるべきで、決して叩いてはならないと、と注意していますが、続く説明で、撥弦楽器を用いて舞曲を奏するには、手をジャンプさせ、キーを打つほうが、ジャックとクイルの働きがよくなる、と述べています。
この「ジャンプ」とか「打つ」と言う説明は、ソフトタッチの原則から見ると矛盾するようですが、楽器の響かせ方に対する学習者自身の感覚次第で、役立つ示唆になると思われます。
指や手の「かたち」について、現代奏者は、人により、色々な特徴があるようです。歴史的な奏法も、又、時代によって、著者によって違いが見られます.例えば、16世紀、スペインの
トーマス・デ・サンタ・マリアは、有名なオランダの画家、ヴァン・アイクの祭壇画に描かれたオルガンの奏者の指/手のような「かたち」を要求していたようです。
つまり、手は猫の前足のように湾曲させ、手と指の間は平らにし、指の「爪」ではなく「腹」で打鍵するように手首を下げ、しっかりキーを打つ、というのです。一見、鍵盤上に手をかけて、休んでいるように見えますが、奏者の左手薬指がキーを押しており、演奏中であることがわかります。やがて、バロック時代になりますと、Jan Steen 「チェンバロを弾く女」の写真のようになってきます。
<離鍵>
さて、打鍵して音を伸ばしている間は、キーを押しつけていくのではなくて、コントロールされた筋肉で、おだやかに保持するように心がけます。弱めすぎてもいけません。この、おだやかな保持を解除すれば、離鍵の過程が始まりますが、そのタイミングは特に重要です。そして、ダンパーが消音し、キー表面から指先が離れて、はじめて、次のタッチの準備ができたことになります。
最初は、離鍵したときの指先が、キー表面に、ごく近い位置にくるように心がけます。
サンタ/マリアは、あまり高いところから打鍵しない、指は鍵盤の上に接した位置とし、離鍵時は、ほんの少し挙げてもとの位置に戻す、高く上げすぎると、その動きに時間を浪費し、雑音をたてると、いっています。
次に、指のうごきを、やや大きくして、タッチ感を明瞭にさせておくましょう。初心者は、その段階で、再び無理な力が加わり、硬直しやすいので注意して下さい.離鍵のタイミングが曖昧ですと、ダンパーの消音以前に、弦とプレクトラムが接触して、音色が汚くなる事がありますし、アクションの状態によっては、次に音がでなくなることもあります。
<打鍵>の説明の中でも述べましたが、指によるソフトタッチといっても、演奏メカニズムの有機的な身体運動ですから、離鍵に際しても、指先だけ上昇させる動きだけでなく、ひじの関節から腕、手首にかけて、僅かな補助運動を工夫してみると、良い結果が得られるものです。
ディルータは、キーがあがる時は、指を引く、と述べ、クヴァンツは、「フルート奏法試論 1752」のなかで、チェンバロのタッチについて触れ,速いスケールのようなパッセージでは、突然,指をあげてはならない、指先はキー前端,つまり奏者側へすべりあげられるべきである、といっています。
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E.Hシュナイダ- チェンバロの演奏法 山田貢 訳
シンフォ二ア 昭和51年
<チェンバロのタッチ>P.12-30 抜粋
17世紀から作曲家の残した文献が比較検討できる部分の抜粋ですが、山田先生の書かれている考察は勿論卓越したものです。出版元には在庫もあるそうなので、是非購読されることをお勧めいたします。綿谷
ディルータ「イル・トランシルヴァーノ」ヴェニス1593 1609
「どうしたら、厳かに,上品に演奏することができるかと言う点についての規則は、幾つかの大事な点を基礎にしている:
第1) オルガ二ストは鍵盤の中央に正しく腰掛けなければならない
第2) 身体でしぐさをしたり、身体を動かしたりしてはならない
第3) 腕が手をリードし、手は腕と同じ高さに正しく保ち,それより高くても低くてもいけない
第4) 指は少し曲げても良いが,鍵盤の上に一様に立てる」
ディルータは悪い癖がついてしまった演奏家を批評して次のように言っている。
「彼等の最も悪い誤りは重い腕であり,位置が低いので鍵盤にぶら下がって居るように見え、
〜手は,鍵盤に堅くなって置かれているので、不具者のようである。〜腕が手を導くようにしなさい.これは,他の規則よりもずっと大切な規則である。」
サン.ランベール「クラヴサンの原則」パリ1716
「手は,鍵盤に対して水平に置かなければならない。このことは,手が、いずれか一方に傾いてはならないということである。指は曲げて,親指の長さに従って1線に並んで立っていなければ鳴らない.手首はひじと同じ高さで、その位置は演奏者の椅子の高さを調節する事によって、適切な高さに達していなければならない。」
ラモ-「音楽の演奏法」パリ1760
第1)「柔らかい羽茎をもった楽器を選ぶ事。というのは堅い動きのチェンバロでは、指が弱いと必要な力を手全体から借りようとするからである。しかし、指の動きが自由であればあるほど、力を得る事ができる。そして、力が強くなるのに比例して、堅い羽茎を試み鍵盤の抵抗を少しづつ増やすとよい。」
第2)「完全に自由な動きをすることができるジョイントによって小さい鉄の棒に結合された弾力性のある金属性スプリングのように指が手に結合されていると想像しなさい。このことからわかることは、手は言わば生命の無い(言わば死んでいる)ものでなければならないが,指がそれ自体の衝動で動いて,力と楽な動きと規則性を増すように,手首は力をぬいたままでなければならない。
こういう点を念頭に置いて、5本の指を5つの連続した鍵盤の上に置きなさい.親指は鍵盤の上に置いてそれに触れるようにかなり曲げておく.他の指は、まっすぐに、指の重みだけをかけて、力をぬき、少し曲げて鍵盤の上におとさなければならない。そして、小指は他の指より短いので、曲げないようにする。
手の大小に比例して、指は多かれ少なかれ広げることが必要であるが、指が弾みで動くようにしておくと、どんな幅の跳躍の場合にも手はそれについていく。親指を他の指よりも鍵盤の縁に置いておくと、総てが楽になり親指が鍵盤になじんでくる。手がこういう位置にある間、ひじは完全に力をぬいて、鍵盤と同じ高さになければならない(椅子の正しい高さによる)。ひじは手の動きに従って動き、次に手は指の動くに従って動く。手の平は鍵盤と正しく水平になっていなければならず、そのためには、小指の方の手首はほんの少し持ち上げて、心持ち内側に回さなければならない。
このように心持ち内側に回すには、主に手首を使ってする。しかし、手首は決してしなやかさを失ってはならない.こういう形は、前述の如く内側の方に回す為に、初心者には難しい。しかし、もしこの回転を怠ると、小指は正しい角度で鍵盤に触れる事が出来ない。すなわち、小指は傾斜し、他の指と同じ力でなくなり、楽な動き方をする事が出来なくなる.何日か練習し忍耐し続ければ、自然とこの形に慣れてしまうだろう。色々な状況において、最も大きい跳躍に置いてさえも、手は指の動きに従い、手首は手の動きに従い、ひじは手首の動きに従う.決して方がじゃましてはならない。」
「体のあらゆる部分がしなやかでなくてはならない。硬直して、無様に置かれた足、体の両側にくっついたひじ、前方、後方,側方に押し出されたひじ(力をぬいて自然でなければならない)、しかめ面,一言で言えば不自然な緊張は完全を求める努力の妨げである。」
ラモ-「指の技法」パリ 1724及び1731
「タッチを完全にするためには、正しい指の動きが大切である。いかなる能力も単純で機械的な訓練を賢明に行なえば習得できる。歩いたり走ったりする能力は、きざの関節の柔軟性に依存する。チェンバロ演奏の能力も、指の付け根の柔軟性が大切である。大きな動きは小さな動きでは充分でないときにだけ許される。僅かに指を開いたり伸ばしたりする以外に余計な手の動きをせずに,指が鍵盤に届く限り,必要以上の動きをしてはならない。
各指は,他の指から離れてそれ自身独立した動きを続けなければならない。従って,手が鍵盤の遠い所に移動する時も,打鍵する指は必ず独立した動きで鍵盤の上に落ちなければならない。
指を動かす時は規則正しさを高めるよう努めなさい.何よりも先ず、急ぎすぎたりコントロールを乱すのはよくない.というのは,速度は規則正しくする為の練習によって習得されるからである。トリルの練習をする場合には,交互に打鍵する2本の指をできるだけ高く上げなさい.しかし,練習が進めば進むほど,指の上げかたを少なくする必要がある.奏すれば,最後に楽な速い動きになる。」
フィリップ/エマヌエル・バッハ「正しいクラヴィアの弾き方」ベルリン1753
極端なデタシェ/タッチで、ピアノ(p)の効果を出そうとする人がいる。しかし、こういう方法では演奏は台無しになってしまい、<スタッカート>のしるしのある音符でさえも,そのような余りにも短いはじきを殆ど受け入れることはできない。
「この本の中の大部分は,中間部でレガート/スラーがつけられている.というのは,私は生徒達に一度だけは首尾一貫した演奏スタイルに慣れてもらいたいと思うからである。―――そして,私は,余りにもしばしば現れて吐き気を催させる、あの特別な切り刻みが無いようにさせたいと思う。―――彼は,この文脈では通奏低音のアレンジのことを言っているのである。」
ワンダ・ランドフスカ
「私のスタッカートは、常にレガートである。」
クヴァンツ「フルート奏法試論」
「結局、指は早く上げ過ぎてはならない.指先を鍵盤の縁に向かって柔らかく滑らせ,それから離さなければならない.このようにすると,パッセージは非常に際立ってくる.この点については私は,かく演奏し、かく教えた最も偉大なチェンバロ奏者の例に従う。―――JSバッハのチェンバロ技法に言及して—」
フォルケル「JSバッハのチェンバロのタッチ」ライプツィヒ1802
「バッハのチェンバロにおける両手の置き方によれば、指は指先が随伴する鍵盤上で1線を為すように曲がっている。その指は連続音を弾く為に充分容易されているのであって、その番が来た時に特別の動きによって近くにひきよせられるのではない。正に,指は打とうとしている鍵盤の上につり下がっているからである。
〜バッハは又、その動きを殆ど見ることが出来ないほど、容易な小さな指の動きで演奏したと言われている。ほんの指先だけが動いた。最も難しい個所に於いてさえ、手は丸みをおびており、指は鍵盤から、ほんの少し上がっており(トリルにおける以上に上がっては居ない)、そして、一つの指が動いている時は,次の指は独立して休止位置にあった。」
フランソワ・クープラン「クラヴサン奏法」パリ1716
「チェンバロで何を弾いても,完全なレガートでやりなさい。
2000.3.3
ハイドン
Frederick Neumann
New Essays on Performance Practice 初版:1989
再版:1992
University of Rochester Press
第7章より
ハイドン
No.2
F.ノイマン エッセイ集 第16章 P.229
ペーター・ブラウン 「ハイドンの天地創造の演奏」について
和訳レジュメ
:綿谷
優子
Indiana University Press 1986
Journal of Early Music America 1988 春号
バロック音楽についての研究は、主に「真性なる歴史的演奏」について考察が為さ
れてき
た。何が真性なのかを定義することは不可能であり、多くの優れた音楽家や研究者
は疑問
の余地を残している。
依然としてオリジナルな演奏条件というものは、結果が輝か
しいか
あわれに終わるかは演奏家の能力にかかっており、厳密には練習段階からの指揮者
の導き
方に負うところが大きい。しかし作曲家自身が演奏に加われるような状況の時には
、演奏
条件について無限の可能性を試みる事が可能であろう。だが殆どの場合、我々は作
曲家な
しで、当て推量のように確実性の少ない論議を弄ぶに過ぎない。
18世紀の偉大な研究の中でも、ブラウンの記述はユニークで、ハイドンの演奏に
関して
第1級の解釈を示している。彼の偉大な業績はバロック奏法に基ずく演奏法を、ハ
イドン
に関して我々が、同時代の他の作曲家に対しても抱いてきた考察より明確にしたこ
とであ
る。
彼は、ハイドンが時代の寵児として国際的名声の絶頂にあり、1798年4.
28ウ
ィーンで行われた「天地創造」のコンサートは、国家的行事としてとどろいたと言
う。
この大イヴェントはその後ウィーンだけでも、1810年までに45回も繰り返さ
れ、ブ
ラウンはこの日付け、場所、スポンサー、推測できるプログラム、構成、各公演に
まつわ
る文献を公演記録として挙げている。
我々はハイドンがはじめの14の公演で指揮者として参加し、後にもいくつかはタクトを
振ったとい
う事実を知る事が出切る。サリエリは10公演では鍵盤奏者として出演し、後
にはハイドンに代わって指揮も務めた。
コンサートマスターやソロ歌手の名前も挙
がって
おり、ここにはその時代を風靡した著名な演奏家の名前を見出す事が出来る。ロン
ドンで
の交響楽公演の時は、ハイドンがコンサートマスターのサロモンとともに、よりモ
ダンな
システムを実現すべく、修正や変更を行った。ハイドンは鍵盤楽器の前に座る事も
あった
が、指揮者、コンサートマスター、副指揮者としても登録されている。
最も興味深いのはハイドンが120のオーケストラ作品、60のコーラス作品にア
レンジ
を加えていると言うくだりである。
オケの前に位置していたコーラスも、今日のように後ろへ変
更され
た。我々が強迫観念のように持っている真性古典室内楽サイズというのは、疑わし
い。
モーツァルトが1781年4.11、父親にあてた手紙の中で、
ヴァイオリン40、ビオラ10、チェロ8、ベース10、2管編成、バス―ン6、
というオーケストラ編成に魅了されていると、書き送っている。
大部分のオーケストラは勿論もっと小規模で、編成は指揮者の芸術的選択によって
行われ
たのではなく、状況によって左右された。この状況について多くは判っていない。
1800年アイゼナッハ、エステルハ―ツィの宮殿で行われた、ハイドン指揮の公
演目録
から支払い記録を見ると、歌手8、器楽奏者24となっているが、明らかにハイド
ンがこ
うした編成を選択しているのではないことがわかる。
ウィーンの当時の音楽状況については、充分に明確な資料が挙げられている.
ブラウンの著書P.29,彼の引用によれば、JohanBerwald 1799.4.19に行
われた
演奏会では、すり鉢型の円形劇場で催され、最も下段にピアノフォルテが置かれ、
周りを
ソロ歌手、コーラス隊、チェリスト、バス奏者が取り囲み、その上段にハイドンが
指揮棒を
持って立っていた。更にその上段に第1ヴァイオリンが左側、第2ヴァイオリンが
右側に
位置した。
これは、トスカニーニによっても固守された方法である。
そのまた上段
には木
管楽器が並び、最上段にトランペット、ティンパニー、トロンボーンが占めた。
H.C.Robbins Landonは著書「ハイドン」のVol.3,P.53で、1790sロンドン
のオ
ラトリオ公演でも同じ演奏形態を取ったと述べている。この方法が、「天地創造」
演奏に最
初に試みられた時であったと信じられている。
オリジナルの資料からわかることは、木管楽器とホルンは「Harmonieハーモニー」
と称す
る3つのグループに分けられていた。第1グループは対になって恐らくソログルー
プとし
て演奏し、他の第2第3グループはテゥッティ・グループとして演奏した。ティン
パニーは
何処のグループにも属さず、少なくとも2名で奏された。
ハイドンの自筆譜は残存しないが、3つの写譜が残っている。ブラウンはこれらを
「オー
センティック」と呼んでいるが、それには根拠がある。
なぜならTonkunstler版はハイドンが指揮をした際用いたスコアと、自筆譜の手掛
かりと
なる譜面を含んでいるからであり、このスコアにはソローテゥッティの指示も書き
込まれ
ている。
Estate版はハイドンが自筆で修正したかなりの部分を含んでいる。
3つ目の版は譜面彫師のためのコピーとして、1800年、Tonkunstler版の総譜として
ハイ
ドン自身で出版されているのである。
この3つの版をセットにして、ブラウンは「
オーセ
ンティック」な写譜譜面と呼ぶ。
現代譜の出版は1920年、Mandyczewski版がブライトコップ社から出され、現代演奏
家に
は広く普及した。私はこの版がどの程度「オーセンティック」の版に忠実であるか
は裁定
できないが、例えばブラウンが第1版のTonkunstler版で、記譜上の矛盾を指摘して
いる
個所がきちんと修正されており、リーマンの強拍フレーズィングに基づいている。
これ一
つを取ってみても、現代譜の出版で、如何に多くの改善がハイドン・テクストに為
されて
きたかが判るのである。
興味深いことはハイドンはオリジナル譜面を演奏の際使用しなかったにもかかわら
ず、か
なりの部分にハイドン自身の修正が書き込まれているのである。これらの修正は主
に、オ
ーケストレーションをより洗練する為の修正で、バス・トロンボーンやコントラ・
バス―ン
の追加、(ブラウンP.26)
第13番のレシタティーヴ、有名な日の出のパッセージの楽器部分を再オーケストレ
ーショ
ンしたことなどが挙げられている。
普通の記譜で無い例が
Chaosの4−7小節 譜例16−1 写譜者Elsserによる楽
譜の中
に見られる.<・>という記譜がスラーの着いた音の下についている。
Landonによ
れば
これはオリジナル演奏法の一部であるといい、Brownはスラーの付いた音はメゾ・フォルテ
を現し、記譜の<・>中心の点は「最も解釈の難しい記号」とみなしてい
る。
Landonはこの中心点を、演奏上クレッシェンド・ディミヌエンドの切り替えポイン
トであ
ると解釈している。かれはハイドンが第1版を出版する時には、記譜の意味を誤解
される
事にさほど留意していなかったのではないか、従って第1版にはこの記譜は含まれ
ていな
かったとしている。
BrownnはP.32で、この記譜はディミヌエンドの始まる前のLuftpause(不明:綿谷
)と
して解釈できると述べている。
しかし両者ともあまり説得力のある解釈ではない。
レガートの中にあるLuftpauseというのは、ハイドンの記譜とは似ても似つかない
。
LandonのいうmFを現すというのは、全く根拠を欠いている。
私は異なる解釈を以下に示したい。
<と>は18世紀を通して使用された記譜記号である。バッハからハイドン、モーツ
ァルト
に至るまで、<はアクセントを意味している。>はハイドンまで実用的ではなく、
最後の
10年で初めて実用化された。このことを考えると、<と>の間の短くシャープなア
クセン
トを意味しているのではないかと思われる。
Sforzando記号と意味する所は似てい
るが、
Sforzandoはより暴力的で剥き出しのアクセントを持つので、こちらの記譜にした
のではな
いか。
瞬間的に弓を押しつけ音量を上げ、すぐに離してしまうような短いアクセントを意
味する
には、これ以外に他に手段がなかったのではないか。
装飾についてBrownは、ハイドンが不必要な装飾の書き込み、追加を嫌っていたと
指摘す
る。
Albert Christoph Dies 「Biographische Nachrichten von Josef Haydo
n」
Vienna,1810
は、ハイドンが個人的な報告として残しているFischer嬢の歌唱につ
いて書
いている部分を引用している。
「彼女は一切の不適当な追加をおこなわず、デリケートかつ正確に歌うことに努め
た。」
Therese Saal嬢 はハイドンの指揮のもと、ソプラノを数多く歌った経験をもつ
が、
新聞批評で「シンプル、誠実さ、適切な語り口」を賞賛されている。
更に彼女の賢
明な節
度のある音楽的流れ、往々にして他の演奏者によって改ざんされてしまう装飾につ
いても
同様の要因から賞賛されている。
しかしある種の不可欠な追加というものもある。それはカデンツの時のフェルマー
タ記号
の追加である。2つのセット部分で幾つかの短いフェルマータを意味する記号が、
鉛筆書
きで追加されている。時としてこれらは実に薄く書いてあるが、少なくともTonkun
stler
から2つの実例が写譜されている。
(第30番115−218小節、Brownの著書P.50
-51)
しかしこれらの追加はぎこちなく、ハイドン書法には似つかわしくない。
Browanは用心深く、特定の出版譜は、19世紀を通して演奏に使用されたものである
とし
ているが、つまり改ざんがこの時期誰によっても、いつでも行なわれ得たというこ
とで、
鉛筆書きの追加がハイドン自身の物であるかどうかは疑わしいのである。この2つ
のセッ
トは何時書かれたか、かなり確実な所まで判っているが、資料として模範となる証
拠では
ない。
運弓とアーティキュレーションについて見てみると、目下の所この時期、現代の統
一され
た運弓法というものは知られていないとされている。
実際第2次世界大戦までヨー
ロッパ
のオーケストラは、スカラ座でトスカニーニによって強制された運弓法で演奏して
いたの
である。
之に反旗を翻したのがリヒャルト・シュトラウスで、各調性によって演奏
者が選
ぶ最適の運弓法がより良いと、演奏者の選択に任せたのである。
この精神を知って
いれば
我々は、BrownがP.62「運弓法の細かい指定はハイドンにとって、たいした問題で
はなか
った」と述べるのを見ても、驚きはしない。
Brownは運弓のパターンを第3番から2つの音型を取り出し、7つのソースにまとめ
て一
覧表を作成した。この表から統一された運弓というものがないこと、アーティキュ
レーシ
ョンの確実性は特定の音型にのみ有効であり、応用するということが無益であると
いうこ
とを知る。基本的なレガート奏法は、短調の場合に用いられていた。
我々は「天地創造」から他の作品と同じく、矛盾した記譜法が首尾一貫性を欠いて
いると
いう事を再認するのである。
Brownはこのような矛盾にガイドラインを試みているが、それによって明確になっ
たり首
尾一貫性を与えられることは何も無い。第3番の運弓上の矛盾について、inter ali
a として
説明しているが、何度読んでも私には理解のし難い文章である。
他の原則も定式化されている。
「同音が小節線を越して、4分音符かもっと長い音価があるときは、しばしばタイ
を意味す
る」
これも疑問の点が残るし、危険な定義の仕方である。
一方、作曲家に付いて言えば、ハイドンや同時代の作曲家はスラーの使用について
、精密
さや一貫した用法に殆ど注意を払っていなかった。タイとスラーは一緒くたに使われてい
たのだが、その
どちらかを見分ける為には、旋律線だけではなくリズムの構造的要素を検
討しなければ、一概に定式化はできない。バッハかモーツァルトの作品には、恐ら
くタイ
を意図した個所で、タイを書き込まれていない所がある。
テンポに付いて考えると、Brownは全体的にハイドンの演奏を速いという枠でとら
えてお
り、これは可能なことだが、一般原理を引き出すための充分な実例を引用して、論
拠を明
らかにしているとは言い難い。
これよりはLandonが現代の指揮者を例にあげ、ハイ
ドン
のアレグロを速く演奏しすぎると言っているほうが、実際的である。しかしそれは
演奏家
を悩ませる解釈の難問題であって、単にテンポだけの問題ではない。
天地創造におけるテンポ表示についてBrownは、P.72の例外リストを除いて一貫性
があ
るとしている。かれはRepresentation of the Chaosのテンポについて良い指摘を
してい
る。
Largo 2分の2の表記は特別に遅い足取りを意味する。現代の指揮者は古典期
のLargo,
Adagio,更に2分の2と言う拍子に当惑させられる事が多い。Adagioの表記がしてあ
る多く
の作品―――――例えばモーツァルトのEs dur交響曲など-――――は2拍子として
数える
事が難しい。従って拍子と発想記号は意味合いが一致せず無視されてきた。
しかし
、拍子
は無視されるべきではない。2分の2拍子という記号は2拍に数えると言う意味で
はなく、
Chaosでは4つにかぞえるべきである。しかし、足取りはアンダンテ・コン・モー
トで
軽い3重アルペジオを処理するべきで、alla breve は2分の2拍子というより、
微妙な演
奏解釈を表しているのだ。
(本文P.234この部分の意味が良くわからない 綿谷注)
Brownの論文は往々にして興味をそそる理論が展開される。特に資料間、作品、マ
ヌスク
リプト・スコア、第1版出版譜などの複雑な関係性を、ハイドンが指揮したオラト
リオの演
奏に基づいて、関連付けようとしている点は注目に値する。
ハイドンによる修正、
他の不
確実な資料も含めて、第1版前後の出版譜では確実性を持つが、数種の “真性”
とされ
る資料には疑問の余地が多く、混乱した状況であると言って良いだろう。
我々はど
れが本
物の版であるかということについては、何も言えない。込み入ったそれぞれの版同
士の成
り立ちを分析し、明晰な洞察力をもってレイアウトを行なったのが、この著作の功
績であ
る。
総ての指揮者、音楽学者はこの著作をもとに、各資料に自分で当たってみて、それ
ぞれの
版の資料研究を行なわなくてはならない。2000.2.18
●D.スカルラッティのサマリー
マントヴァ学会1987 エミリア・ファディー二著
「D.スカルラッティ 驚くべき事と未知の事」
D.スカルラッティの作品と生涯を知る事はむずかしい。伝記を調べる人には乏しい
資料し
かないが、貴重な音楽的資料からは、大きな問題やソナタからの豊かな知識が得ら
れるだ
ろう。多数の音楽学者たちは私と異なる意見を持つようだが、作曲年代について意
図され
た楽器の種類(チェンバロ、クラヴィコード、フォルテピアノ、オルガン)から年
代がグ
ループ分け出来ると私は思っている。
-----------------------------------------------------------------
D.スカルラッティ(DS)は1685年ナポリ生まれ。シシリアに生家がある。
1705−9年ヴェニスでF.ガスパー二、恐らくマルチェッロ、A.ヴィヴァルディ
、ロー
ゼングラ-ヴ等とともに勉強した。
1709−19年、ローマでポーランドから来たマリア・カジミーラ女王のお抱え
音楽教
師となり、1714年からヴァチカン教会の音楽監督・指揮者となる。
リスボンへ赴いた時期は定かではない。リスボンで、ポルトガル国王ジョヴァンニ
V世の
娘の家庭教師となる。Rパガーノは1719年にDSがローマから直接リスボンへ
行った
といっているが、これは誤りである。最近1719−1722年、シシリアのパレ
ルモに
彼がいたという証拠が発見されている。
この発見から同時に確かなことは1723年、リスボンで教会つき作曲家兼指揮者
として、
DSと彼の率いる演奏家集団が活躍していたこと、チェンバロ教師としてジョヴァ
ンニV
世の娘、マリア・バルバラ皇女、その弟のドン・アントニオ王子も教えていたこと
がわか
っている。
1728年、マリア・バルバラはフェルディナンド・フィリップV世、スペイン国
王の王
子と結婚した。1729年セビリア、1733年アランフェスとDSは夫婦に同行
し、優
れたチェンバリストであった皇女の、チェンバロ教師に専念する日々が続いた。(
文献が明
らかでないが、マリア・バルバラの婚姻条件の中に、DSをチェンバロ教師として
雇用す
るという一項が有ったともいわれている。綿谷注)
1746年フィリップV世は没し王子がフィリップVI世となった。DSの宮廷儀式参列記
録には、マドリードにDSが一人で住み、
宮廷で優れた音楽家として名高かったという記述
がある。女王とともにマドリードへ赴いたという記述はない。
DSは年1回イタリア国内で休暇を取る事を許可されていて、1728年彼が43歳
の時、
ローマの休日の際、マリア・カテリナ・ジェンティークと結婚し、6人の息子を持
つ。そ
のうちの1人の息子は生後すぐに死に、この妻も1739年死んでしまう。
その後しばらくしてアナスターシャ・マクサルディ・Ximenes,アンダルシア地方生
まれの
スペイン人と再婚する。4人の息子が新たにできる。生涯独身で有ったとするこれ
までの
DSに関するすべての学説は、全くのでたらめである。
1757年、ギャンブルによ
る莫大
な借金を残して、マドリードで没す。
DSの父親が何をしていたか、その人生、性格、個人的な出来事については、今の所
何一つ
確証はない。しかし、DSのフーガが典型的に18世紀のイタリア・パターンを示し
ている
事は、父親の影響であると言えるだろう。スペインではDS独自の作風を打ち出して
いくの
だが。
-----------------------------------------------------------------
DSのチェンバロ作品について;問題点
1) いかにしてバロック期にソナタ形式を初めて試みたのか
2) これまでの学説のように作曲年代が3つの時期に分けられるのか。モーツァ
ルトやベ
ートーヴェンのように作曲年代による作風の変化、推移経過が見られるのか。
3) 全ソナタはどの楽器のために作曲されたのか。3つのソナタのみ確かにオル
ガンの為
に書かれたと言う事が出来る。通奏低音付きのソナタはヴァイオリン付とも考えら
れ
る。他のソナタは時々楽器の指定が不明である。
4) マヌスクリプトでは同調による、2つ、3つ、4つのグルーピングが表示さ
れている
が、DSの楽譜編集者ないしはマリア・バルバラ皇女のメモ書きであったのではない
か
と思われる。
5) 2つのマヌスクリプト、ヴェニス版とパルマ版は、自筆譜面ではない。
では、誰が写譜したのか。DSの生存中に写譜の訂正や修正が行われ得たのか。曲順
は
何を根拠にしたのか。教育用のエッセルツィ-ツィは、18世紀の音楽学者によれ
ばヴ
ェニス、W.C.(不明 綿谷注)スイスで出版され、1738年にはロンドンでも出
版
されているという。
問題の検討
ヴェニス版には他の写本より確実に、オペラ.アリアのベルカント唱法からの影響
が見ら
れる60のソナタがある。ヴァイオリンのイタリア・スタイル装飾も含まれている
。
例:K.77の右手
K.85の左手はチェロの模倣、右手はヴァイオリンの模倣
この例はDSという偉大な音楽家の審美眼、自然発生的に体現しているギャラント・
Xタイ
ルを現していて面白い。
18世紀の初頭10年間は総ての芸術領域に於いて、新たな美的趣味を有し、幸福
を感じ
取る感性の方が理性より重大視され、より感性的な多感様式が台頭してきた。
Gぺステリいわく、ギャラント・スタイルとは、対位法と区別される物であり、普通
2−3
声部で旋律が他声部とはっきり区別され、テーマがそれまでより短く理解され易い
ものと
なっている。他のソナタではペルゴレージの喜歌劇のパターンを模倣している。
演奏者にはシンメトリーの様式が好まれた。聴衆はすでに対位法のフーガよりも、
ガヴォ
ットやメヌエットのような舞曲を好むようになっていた。こうした背景を踏まえて
考える
とDSのソナタでは常にリズムがレギュラーに刻まれている事、ダンスの要素が多く
を占め
ている事が理解できる。
DSのフーガ書法は声楽曲から影響を受けている。JSバッハのフーガより自由な対位
法で
変化に富み、メロディーが内声より重視されている。DSのフーガをギャラント・フ
ーガと
称して区別する学者もいるようだが、勿論真正なフーガではない。K.93はフーガ、
K.22はガヴォットとDS自身で記されている。
DSのシンメトリーは完全ではなく、カデンツァのV=Iは明確に示されるが、終結は
幾つか
のモティーフによって伸ばされたりする自由なシンメトリー様式である。K.75は全
くシン
メトリーではない。
18世紀はブルジョワジー中産階級が社会の最重要階級として台頭してきた時代で
ある。
中産階級はギャラント・スタイルを最も好み、楽譜の収集に励んだ。このため、JS
バッハの
息子達、ガルッピ、Paganelli,その他のおびただしいアマチュア作曲家達が楽譜を
出版した。
出版業界は勿論この傾向を歓迎し、助長に努め、容易に演奏することが出来る作品
が好ん
で出版された。難曲でも婦人や子供のために、より簡単に弾けるような編曲譜面が
多数出
回った。
1738年、DSのエッセルツィ-ツィが序文とともに出版されたとする説が正しい
とすれば、
DSは出版に際して、アマチュアにもプロにもこの本が役に立つよう、他の同時代作
曲家の
安易にして、演奏効果の華やかな作品を見習ったと考えられる。エッセルツィ-ツィのマヌ
スクリプトは全部が同じ作曲日付となってい
るが、作曲年代は全くの謎である。
1曲づつが非常に異なるスタイルを持つ曲集で、ギャラント・スタイルあり、厳格
な対位法
書法あり、シンメトリカルでないテーマ、和声的に奇抜な試み、熱情的表現、フレ
ーズが
終結すると同時に新たなフレーズの始まりとなっていて、メロディーが決して終わ
らず、
K.87、K.208のようにロマン派音楽の音言語のごとく扱われている。
これらの作品は先に問題点として挙げた総ての疑問を有し、音楽の理解が聴衆にと
って容
易でも、奏者にとっては決して技術的にも易しい作品ではない。
-----------------------------------------------------------------
ソナタ形式というグルーピングについて
DSがバロックか古典かと音楽学者は問い続け、古典ソナタの分野に分類する説が有
力であ
った。しかし私はヘルマン・ケラーの言う様に、偉大な作曲家がたまたま自由にソ
ナタ形式
を駆使しているだけであって、DSのソナタが古典ソナタだとは決め付けられないと
思って
いる。
何故ならDSの音楽は、根本的に古典期のものではないからである。CPEバッハや同
時代
すべての作曲家と、基本的には同じ基盤に基づく音楽である。古典期と隔絶する最
重要ポ
言う事
である。各小部分がイタリア・トッカータのように分かれているものを、全体とし
て2部
分にまとめただけのことである。2−3のモティーフが関連性を持ちながら、大き
なコン
トラストを生んでいく。ダンスのリズム型を保ちながら、多種の変化を遂げていく
のであ
る。
例えばK.208では分析してみれば、これがソナタ形式では全く無く、一つのユニッ
トから
展開されている典型的な作品だということがわかるだろう。
K216では一つのテーマからコントラストが生まれている。
K.184のエピソードは,バロック的、K.240のエピソードは古典ソナタ形式を持つ。
K.115第1テーマがエピソードの基となっており、第2テーマの提示が古典ソナタ形
式に
類似している。
総てに於いていえる事は、DSのソナタはバロック・ソナタ又は古典ソナタの第1楽
章の兆
候は示しているが、過渡期なのであり、多くの音楽学者が力説するように、古典ソ
ナタ形
式を形成したとは言い難い。
DSの偉大さはソナタ形式を導入したと言う事にではなく、19世紀のピアノ奏法の先
駆者
として、それまでになかった音楽言語?3度6度の重複、左右のクロス、大胆な和声-------
などを新技術として発見した事にある。
厳格な対位法と歌唱的メロディーとの交替利用、
ダイナミクスの大きな幅、コントラスト、
印象主義を先取りする和声感、
ギャラント・スタイルに基づく使用楽器の指定、
世紀末の情緒、
ナポリやスペインの早いダンスのリズム音型の取り入れ、
ギターからの技術借用、
打楽器音楽、ポピュラーダンスからの編曲、
これら総ての要素が、各々の異なるスタイルとして昇華されているところに、DSの
偉大さ
がある。
カークパトリックがDSの音楽を「フランボワイヤン形式-----火焔様式」と命名し
た事に、
私は全面的に賛同する。
2000.
2.2
1