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[SINCE 2001.3.16.]

2008年5月3日、高松・逸(すぐる)珈琲店での、神戸のヴィオラのジャック君との自作室内楽の演奏タイトル2007年10月14日(日)高松市栗林公園庭園コンサートに、母の追悼のピアノ組曲の自作自演にて出演時の写真・演奏曲目;ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園 OP.111(全18曲)」、ほか
Katsuhiko Okada (Composer) Official Web Site
楽器演奏仲間達との恍惚、不安、熱き心を忘れずに

きっといつか会えると信じ生きてゆく

出る杭は打たれる、出ない杭は腐る!




「K.OKADAワールド」へようこそ!





「K.OKADAワールド」は、四国・高松在住の、私、岡田克彦の、ライフワークの、作曲・アレジ・ピアノ演奏をテーマにしたホームページです。

私は、早稲田大学時代から、祖母と母の介護のためにUターンした17年前まで、東京に在住して住友信託銀行で働いていましたので、出身地の、瀬戸内海に面した、うどんの故郷の高松に帰って きて、本当にゆったりとした豊かな生活を享受しています。
トップページには、2006年9月19日に他界した、介護していた母の追悼のために作曲し、一周忌が過ぎた2007年10月14日に、母の大好きだった、香川県立公園のミシュラン三ツ星の『栗林公園』の 庭園コンサートで初演した、自作ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園」OP.111(全18曲)の中心をなす2曲を添付しました。
また、ページをめくる度に、私の自作自演が聞けるようにしましたので、ごゆっくりお楽しみください。



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BGM;岡田克彦50歳当時作曲:
組曲「記憶の底の栗林公園」OP.111より、
第14番.梅林橋の梅 〜 第15番.桜の馬場のトッカータ

2010年2月7日.高松市「studio SUMUS」で、『アミュフィー』プロモートにて収録
〔ピアノ;岡田克彦 語り;西谷智英美〕





この作品は、私の近作のピアノ組曲「記憶の底の栗林公園」OP.111(全18曲)の中心をなす2曲です。

この組曲全体は、香川県庁の依頼で、母の一周忌に書きましたので、栗林公園の大好きだった母への追悼の作品なので、悲しい作品なのです。

しかし、ミシュラン三ツ星の栗林公園には、たくさんの名所があり、私自身も幼少の頃から、母に何回も連れて来てもらったので、そのそれぞれの場所に母と一緒に来た時の思い出 があるので、人間の喜怒哀楽全てが18のピアノ小品に込められています。

15番は、ショパンエチュードやプレリュードの中のアップテンポな作品同様、静かな作品ではないので、いろんなサロンコンサートやホームコンサートで静かな音楽作品を聴いて 落ち着きたい人が多い時には、全く同じように、静かな音楽作品を引き立たせる目的で演奏しています。

ピアノ演奏はスポーツではないので、スピードの速い作品を続けて何時間も弾いて持久力を試す必要は全くないのです。ピアノ演奏にあたって必要な指の肉体的なメカニックは、瞬発力だけ、 なのですから。

耳の悪い音楽評論家さんは、アップテンポな作品でミスタッチが少ないかどうかならば、耳で聴くのではなく目で見て判断出来るようなので、安心して聴いているようですけど、 音楽を楽しんではいない、とても気の毒な方のようですが、こういう人が聴衆に混じっていると、他の人達の迷惑になりますので、ショパンやリストのように知っている作品ではない私の自作で やっちゃえば、次からはいらっしゃらないこと確実ですので、客席で、私の演奏する曲の楽譜を持ってきて、楽譜を見ながら聴いているような輩がいる時には、私は急遽曲目変更して、 予定していた、例えば、リストのハンガリアンラプソディーや超絶技巧練習曲などは、すぐに、この種の『桜の馬場のトッカータ』のような自作小品に変更するのですよ(笑)。

ふたを開けてみないとどうなるかわからないことこそが、ライブの楽しさで、ライブは音大の卒業演奏会じゃないのです(笑)。

ただし、いつも、ホームコンサートをやらせていただいている、高松市国分寺町のKさん宅に集まって下さる皆様等は、私の母が2006年に逝去したことから、この組曲が生まれ、 香川県庁の依頼で、栗林公園で初演したことを、全員が知っているので、いつも、全曲通しで演奏しています。

全組曲中、母が亡くなる半年前に、栗林公園へ手を引いて連れて行った時、母がいつもお抹茶を飲みたい、お茶室の掬月亭に到着する前に、腰が痛くなって動けなくなったので、 通過地点にある、梅林橋のたもとの茶店で一服して、来年こそは、掬月亭まで行きたい、と言っていた母を励まそうと思って、周囲の梅が満開だったのでそちらに目を向けさせて 話していた時、梅の香りが漂ってきて、「もう春が来るんだなあ。」と思った時、感じた梅の香りを作品にした、第14番の『梅林橋の梅』を聴かれた聴衆の気分を一転楽しい気分にするために、 第15番に入れたのです。

第15番『桜の馬場のトッカータ』の方は、お花見に行った『桜の馬場』で、ぶら下がってはいけない、松の木にぶら下がっていたぼくを、「コラァー」と叱って追いかけて来た、 管理人のおじさんから走って逃げた時の思い出が、このトッカータになったものです。

イ音や変ホ音を導音や根音にして、長短入り混ぜた複々調の、アレグロの無窮動になっているのは、何のめぼしもなく逃げまくっていた状況を思い浮かべたためなのです。

従って、この小品は、喜怒哀楽の、『楽』に所属するもので、第14番『梅林橋の梅』の『哀』と、相対的な好対照を形成して、この18曲の小品集の山場になっているのです。

このように音楽作品の構成的な効果は、全て相対的な関係で形成される印象で決まります。

クラシックならば、ソナタ形式の第一主題と第二主題、複合三部形式でのトリオとそれ以外の部分、の対照性、ポップスなら、AメロとBメロの対照性、が全てを決定しています。

また、和声的にも、複調の組み合わせにおける組み合わせや、導音との関係性、対位法的にも、第一声と第二声、通奏低音との対照性など、全てが対照的なものとの相対関係が一番重要なのです。

そして、最も大切なことは、全ての作曲家は、五線紙から曲を思いつくのではなく、無から生まれることです。

作曲作品の背景には、音符やフレージングで表現しきれない作曲家の感性、人がらや美意識が厳然と存在し、音符もフレージングもそれを示す道具に過ぎないのですし、楽譜なども 曲の伝達手段に過ぎないのです。








「K.OKADAワールド」は、四国・高松在住の、私、岡田克彦の、ライフワークの、作曲・アレジ・ピアノ演奏をテーマにしたホームページです。

昨年は、東日本大震災をはじめ、いろいろと悲しいことが起こり、引き続き放射線の脅威に全国民がさらされています。さらに原子力発電所の危険性や異常気象のために、計画停電など、自然の脅威をまざまざと見せ付けられただけでなく、のろまな政府の対応、東京電力トップのお金への執着、人命よりもお金が大好きな財界人の育ちの悪さが露呈するという、実に実に、ひどい一年でした。

大阪市長が橋本氏になって、全ての政党が大阪府民から見放されたことが、唯一、明るい出来事でしたが、このような政界の状況は、実は、大変にひどいことなのです。

東北地方の被災者にとって、六本木ヒルズの土地代が高いこと以外、何も自慢できない、徳川家康以来400年程度の歴史しかないうえに、拝金主義に陥った東京は、既に、日本の文化的、歴史的な中枢機能は失っているようですので、大阪都の完成と共に、本来、京都にいらっしゃるべき天皇陛下は、環境の悪い東京から京都にお引越しなさるべきです。

大体、首都圏には、犯罪予備軍の拝金主義者、麻薬密売人、一攫千金しかおつむにない、麻薬常習者や、東日本大震災のせいでフェンスが壊れたら、そこから、本来有料な潮干狩りの場所に無料で 入れるということで、親子そろって貝類を盗みに行ってお腹の足しにするような(これは、本来の潮干狩りではなく窃盗です。)ご家族も多々生息なさっているようですので、モラルの希薄な お金儲けと保身にのみ恐々として、100年前後、人類が生きているだけの、殺伐とした状況ですので、この先、このような状況がエスカレートするならば、大阪も含めた、日本の全地方都市は、 東京を日本国外と定めて、鎖国をすればよいのかもしれませんね(笑)。

そうすれば、霞ヶ関や永田町在住の皆様は、2〜3年で餓死することでしょうから、どれだけひどい政治や経済活動をしてきたか、思い知ることだろうと思います。

「バカは死ななきゃ直らない」のです(爆)。



まあ、永田町や霞ヶ関の皆様は、どじょう総理、管や鳩山を筆頭に、誰一人、絶対音感はないのですから、私の作曲作品は「豚に真珠」ですから、何も聴こえないと思いますので、 私は自分の作曲作品に守られていますし、当分の間、新幹線は四国に来ないので実に快適です(笑)。



日本国内在住の皆様は、昨年の震災に対する、霞ヶ関や永田町の、とんまな対応に呆れるという無駄なエネルギーを使ったことを、一日も早く忘れられるよう、願っております。



そして、この大震災の被災者の皆様のことを絶対に忘れずに、応援しなくてはなりませんので、下記の、私が、ミクシィに作った、『風評被害を吹き飛ばそう!』というコミュニティーに、下記を クリックしてどうぞ!

私のこの世での残された時間は、30年程度でしょうから、最後まで、ゆったりと、讃岐うどん以外は、福島県等東北地方産の農産物や海産物だけを、取り寄せていただくことにしていますが、 日本の各地方都市在住の皆様は、ゆったりと、東北地方産の農産物や海産物を、取り寄せて食べて生きれば、必ず、東北地方の復興の役に立ちます。



『風評被害を吹き飛ばそう!』コミュニティー









さて、クラシック音楽は、ピアノ曲も室内楽曲も、その作曲と自作自演を、55歳になった今日まで続けていると、あらかたやりたい曲はやってしまいましたので、ホームページ内のエッセイや試聴コーナーに添付していますので、そちらでご覧ください。



私が生まれたのは、香川県高松市番町4丁目にあった自宅でした。

そして、瓦町の、現在、アイゼンパチンコ店のある広い敷地にあった、美空ひばり、力道山、山下清、淡屋のり子、舟木和夫、から、慶応大学付属中学校の生徒が修学旅行で宿泊した、板前だった、祖父、岡田照馬と、女将だった母、岡田直子が協力して経営していた「丸天旅館」の儲けで、何不自由なく育ちました。

昭和35年当時、高松市には、ホテル、ビジネスホテル、カプセルホテルなど、一軒もなかったので、芸能人から修学旅行生まで、全て、旅館に宿泊していたのです。旅館に宿泊しないと野宿しないといけなかったのですからね(笑)。



もちろん、トップアーティストの宿泊するお部屋と、修学旅行生の宿泊するお部屋は変えていましたけど、ともかく、当時は、旅館の全盛期だったのです。

そして、旅館は、板前さんと女将さんで、成り立つ商売なのです。この二人がしっかりしていればよいのですから、父の立場は全くありませんでしたので、毎日、ゴルフ、お酒におぼれる生活をしていたようです。



一方、母方の祖母、榊英子は、大阪で筑前琵琶のプロでしたので、高松に嫁いできてから、4人の女児を出産し(母は次女でした。)その子育てのために筑前琵琶を離れて子育てに没頭しましたが、女児が4人とも嫁いだ後、臥風流詩吟の創設者の栗山先生に入門しましたが、もともと、筑前琵琶のプロでしたから、すぐに、大師範・芸名・榊奏風、になり、弟子を100名ほど教えていました。



私の作曲の才能は、この音楽に縁が深く、筑前琵琶だけじゃなくヴァイオリンも趣味で弾いていた祖母と、板前だった職人気質の祖父から引き継いだものだということは、私が一番自覚していることです。



明治生まれの二人は、気骨のある、素晴らしい人達でした。が、不幸なことに、両親が戦中派だったため、祖父の残した莫大な遺産も父が使い果たしてしまいましたし、母も芸術には全く無理解でした。



が、母の実家のあった、高松市西宝町の実家に、祖母は、ビクターのステレオを持っていて、J.S.バッハ、モーツァルトとチャイコフスキーの全集のSP盤を持っていたのです。

そして、私が母に連れられて母の実家に遊びに行った3歳の時、祖母は、バッハ-グノーのアヴェマリアと、チャイコフスキーのくるみ割り人形の、足笛の踊りのSP盤に針を落としたのだそうです。

それまで、母の姉の子供(つまり私の従兄弟)とお庭で遊んでいた私は、スピーカーの前にやってきて、その前を動かなくなったのだそうです。



この瞬間、母方の祖母は、自分の音楽の才能を引き継いでいるのは、私だと確信したそうで、すぐに、私にピアノを買って習わせるよう母に言ったそうですが、母が、「そんな高いもの」と嫌がっていたので、祖父と一緒に、浜松のヤマハ本社まで行って、マホガニーのアップライトピアノを買って帰り、私に、神戸女子学院を卒業して、結婚のために高松に帰省していた石井ルリ子先生の個人レッスンを受けれるように手配してくれました。

これが、私の、ライフワークの音楽活動の原点になりました。



この一例を見ても、戦争がいかに悲惨なものか、ご理解いただけると思います。

明治生まれの、板前の祖父と、筑前琵琶のプロだった祖母は、私のピアノ習得を応援してくれました。



私が京都大学を滑ったので仕方なく、滑り止めで受かっていた早稲田大学の政経学部経済学科に進学した頃も、帰省するたびに、私は祖母の詩吟教室のレッスンを聴いていました。そして、祖母の独特の節回しを、全て、五線紙に書き取って渡すと、本当に喜んでくれましたし、ピアノのレッスンで疲れた時、板前の祖父は、「わしは会席料理しか作れんけんごめんの。」と言いながら、私の肩をマッサージしてくれたのです。



が、戦中派だった父は、還暦の時に働きすぎで脳溢血で急死した祖父の残した莫大な遺産を、会社を作ってはつぶしながら、全て使い果たしましたし、母は母で、石井先生のピアノの発表会での私の演奏ではなく、ステージに出るときの衣装を三越で買うことにばかり興味がありました。



親しい音楽の友人に、私は、自分の個人情報を全てディスクローズしていますが、その度に、

「岡田君の家庭は複雑だったんだね。大変だったでしょう。」と言われます。



でも、私は、ちっとも複雑だとは思っていません。



むしろ、板前の祖父と、筑前琵琶のプロだった、明治生まれの、祖父と祖母の間の孫として生まれた自分は、作曲家・兼・ピアニスト・アレンジャーとして幸せだったと確信しています。





岡田克彦・プロフィール

岡田克彦・作曲作品(含、アレンジ作品)一覧






自分の作曲や演奏といった音楽面では、祖母の力添えがなかったら、今日の自分の作曲活動やそれを通して出来た、たくさんの友人との文化的なつながりや、作曲の恩師との出会いは皆無だったのです。



また、高松市周辺を中心にした、ブログに書いている、讃岐うどんを中心にした和食店に関する記事が好評なことは、板前だった祖父が、自分の跡取りだと思って、私を味覚的に鍛えてくれたからなのです。今でも、私は、讃岐うどん店のかけだしを一口飲むと、鰹節、昆布、イリコの割合は、大体感知できるのです。



父は、祖父の遺産を使い果たしましたので、長男の私も、いろいろと贅沢な食生活を堪能できましたし、母が石井先生のピアノの発表会の度に作ってくれた高価な衣装を着ることが出来ました。しかし、音楽文化や食文化を身につけて自分のものにすることは、残念ながら、お金のような物体では絶対に出来ないのです。



詩吟という、邦楽の世界にあるものを、五線紙に書いて残すようなことをやってみようという気概、フランス料理店で、フォアグラやトリュフをいただいても、私は、そのベースのだしに意識が行きますし、チーズやクリームがいっぱい載ったスウィーツをいただいても、私はそのベースの生地に含まれる、ミルク、卵黄、バターの割合の方が、全体としては重要だと感じていることは、極めて、文化的な事象の捉え方なのですが、これは、お金では絶対に習得出来ないのです。



「いやいや、贅沢な衣食住を体験することが一番セレブな生き方だ。」と信じて絶対に譲らない方は、価値観は、人それぞれでしょうから、そのように生きればよいと思います。



でも、1兆円程度のお金の価値は、J.S.バッハの平均律のような傑作のように、300年以上にわたって全く価値を変えずに残るでしょうか。また、1200年前に弘法大師が唐の国から日本に持ち帰って発展させた、讃岐うどんの製麺技術や、豆腐を作る技術のように、全く色あせることなく残るでしょうか。



文化が最強であることは、歴史的に明確になっていることなのです。



母が肝硬変の末期症状で、母が介護していた祖母が狭心症の発作で同時に倒れた1994年当時、住友信託銀行で15年間働き、調査役補になっていた37歳独身の私の年収は1000万円少しありました。



でも、お金でけりをつける問題ではなかったので、年収が3分の1になることを覚悟して、高松にUターンしました。。



後悔したくなかったからです。恩を仇で返したくなかったからです。



祖母は私のUターン後2年して他界し、母は、2006年に他界しました。。



特に、高松の実家で、母に私が付き添って暮らせた期間はわずか12年でした。



が、この12年間のことを私は一生忘れずに、寂しくても、後悔せずに、生きて行く事が出来るようになりました。。






ピアノに向かって、祖母と母が好きだったショパンの幻想即興曲、等、を演奏するたびに感じること・・・それは、いつも、祖母と母が、私の指が押さえるピアノの鍵盤の下にいる、 ということです。

下記写真は、在りし日の、江戸千家不白流の茶道が趣味だった母と私の写真です。

順に、高松市公渕森林公園でのお花見、栗林公園の日暮亭でお茶をいただいた時、香川県民ホールで開催された、オペラ「カルメン」を見に行った時、玉藻公園で開催されたお茶会に行った時、 東京六本木サントリーホールのあるアークヒルズで撮ったもの、坂出市の瀬戸大橋公園のゴンドラに一緒に乗った時、です。

私のカラオケの十八番の「涙そうそう」の中で歌われている、亡き祖母と母の「晴れ渡る日も雨の日も、浮かぶあの笑顔」を、生涯、忘れずに、私は穏やかに生きております。



いつか私自身も祖母と母のいる所へゆくまで・・・・・。




     

     






ところで、「K.OKADAワールド」は、
現在、四国高松に住む、作曲家・兼・ピアニストの、私、岡田克彦のオフィシャルホームページです。

あたり前のことですが、はかない人間の一生の無常観を受け止めるデリカシーのない人に、
私の作曲作品も室内楽やピアノ演奏も執筆エッセイも、讃岐うどんご紹介ブログも、全く、『豚に真珠』ですが、

豚のご入室は、一切禁止しております。






〒760-0004 香川県高松市西宝町2-9-10.B-1-102


香川県地域活性委員会顧問
元.日本アマチュア演奏家協会(APA・エイパ)理事
ラヴィーヌ楽派(フランス近代室内楽の会)代表・ラヴィーヌ将軍
ピアノと遊ぶ会会長
元、ピアノと遊ぶ会・外務省後援チャリティコンサート総合プロデューサー
2010年JA香川県食育朗読ミュージカル「自然とふれあう仲間」音楽総合プロデューサー
(作曲、ピアノ)岡田克彦








私のホームページは、

感受性豊かな人間のためにあります。

後天的な勉強や努力による知識量は無縁です。





私は、アンチオタク作曲家ですので、

クラシック音楽の知識皆無の方でも、

興味や好奇心のある方は大歓迎です。


感受性は全ての人間が生まれ持っていますが、

生きている間の環境で、過度のコンプレックス、

競争原理、お金などの非芸術的な俗物にさらされると、

自己顕示欲が増大、謙虚さと感受性が摩滅し、

知識偏重の教養主義に陥ってしまいます。





私の作曲作品は、

人の作品や演奏に感心しても感動出来ない

教養の香り高い瓦礫とは無縁の存在です。


私は、私の作曲作品や室内楽などの演奏に

感心するような聴き方を禁止しております。






従って、感動する感受性のない劣等感
を払拭する目的で音楽活動をスタートし、

嫉妬、妬み、付和雷同な迎合のみ得意な、

素直な感受性 を二度と取り戻せなくなった

いじめ、陰口、自分が生存中手にする利益獲得のためのお金儲け、にのみ

興味があり、 若い芽を摘むハサミと、出る杭を打つ金槌

いつも抱えていないと安心出来ないような、


音楽を学習するものだと思っている音楽愛好家、

偽者アーティスト、汚れた音楽業界人の類の

2ちゃんねるのような匿名掲示板にタムロしている

下界の凡庸な瓦礫は、J.S.バッハ、ショパン、

フォーレ、や、私等の作曲家、及び、

これらの作曲家の作曲作品を愛好している

常連の皆様の邪魔ですので、直ちに退出下さい!


ご来客数が1億人を超えてしまいましたので、

「枯れ木も山の賑わい」にならないよう(笑)、

よろしくご協力下さい。






私は、尊敬するアーティストの一人、

チャーリー・チャップリンの言う、次の言葉に基づいて、

ライフワークの作曲をやってゆきたいと思っています。


「人生に必要なものは、勇気と想像力と
ほんの少しのお金だ!」

・・・・・チャーリー・チャップリン・・・・・




つまり、お育ちの悪い拝金主義者は、
お友達になってあげないということです(笑)!




また、下記掲載の、高知県室戸にある、19歳当時の悟りを開いた時の弘法大師像の目は、遠い空を見ています。





出身地の香川県で1200年前に讃岐うどんを始めて下さった、弘法大師の目は、1200年後の私達を見ていたのかもしれないですね。

カメラ目線でないことだけは、明白なことです(爆)!

弘法大師は、私たち香川県民の誇る偉人です。1200年という長い歴史の観点に立って物事を見ると、昨今の、拝金主義やM&Aの流行、不景気やデフレ基調への変換等の、 下界の出来事は、大した出来事でもなさそうです。

その証拠に、いくつかの高松市の地場企業が倒産してなくなっても、私の住む香川県高松市内の讃岐うどん店(「はなまる」と「はすい亭」は含みませんよ〔笑〕。)は、 素晴らしいかけうどんが、大体、150円〜200円 で、客足が途絶えないのです。




さて、昨年秋には、弘法大師が、遣唐使で訪中して帰国して、豆腐の製造技術と共に、小麦の栽培とうどんの製麺法を、日本に持ち帰って以来、 1200年の歴史のある、香川県の名物ではなく、文化の、讃岐うどんについて、香川県庁が、本格的にPRを始めました。

すなわち、香川県観光振興課や観光協会が、俳優の要潤氏などを、香川県から改名した、うどん県の副知事に任命するという、一連の活動を展開しています。

案の定、他県の皆様には、観光推進によるお金目当ての活動だろう、と映ったようですが、讃岐うどんは、観光資源ではなく、文化なのです。

讃岐うどんが始まった1200年前の平安時代は、まだ、資本主義時代になるはるか以前でしたし、電気もなかったので、今日でも、香川県内の製麺所は、日の出が開店ですので、 毎朝、5時半から6時には、香川県の主な製麺所は開店しています。開店している、というよりも、その時間になると、香川県民の大半は、朝うどんを食べに製麺所に ゆくので、開くのです(笑)。こんなことが、1200年間も続いているのですから、お金儲けを先に考えた、経営学は、香川県内の讃岐うどん店においては、絶対にあてはまりません。

現状、高松市内の、製麺所、セルフ店の、適正価格は、かけうどん150円〜200円、野菜、アナゴなどの瀬戸内の魚の天麩羅90円、おでん一本90円、おにぎり2コ100円、アフターコーヒー100円、 が適正価格なので、他の飲食店や宿泊施設もそれがベースになっていて、日本全国でも、エンゲル係数は、香川県が一番低いのです。

トッピングの天麩羅においても、香川県ならではのものは、甘く炊いた高野豆腐の天麩羅、甘い金時豆のかき揚げ、半熟ゆで卵の天麩羅、などは、ご飯に添えても美味しくないのですけど、 伊吹島のイリコだしのかけうどんに載せると、素晴らしいので、人気があります。忘年会の寄せ鍋などにおいても、しめに入れる、うどんの製麺所の好みで、香川県民に好かれている 製麺所のうどんを使っているお店から、予約が埋まるのです。ご飯は、うどんに添えて食べるものですし、ラーメンは、高松市内の製麺所においては、一人前の麺類という地位はなく、 ラーメンはうどんと材料が一緒なので製麺所で作っていますが、伊吹島のイリコだしに入れてコショウをかけるとラーメンになってしまいますし、天麩羅と同様、香川県の製麺所においては、 うどんのトッピングの一つになっています。つまり、かけうどんに、ラーメンを載せていただく、ハーフアンドハーフ、という食べ方が、昔から定着しているのです。

あたり前のことですが、讃岐うどんの嫌いな方は、香川県知事や高松市長などの、県庁、市町村のトップや、国会議員などには、絶対に当選しないことは、私が生まれるはるか前から、 決まっていることです。どの政党に属しているかなどよりも、どの製麺所のうどんが好きか、ということの方が、香川県では重要なことなのです。

池上のルミばあちゃんが共産党のファンであっても、山越のご主人が創価学会の会員であっても、そんなことは香川県民にとっては、全く無意味で、美味しいうどんを提供しているかどうかが、 全ての判断基準の一番重要な点なのです。なぜなら、日本共産党や創価学会は、讃岐うどんほど歴史がないからです。

高松市には、その東端に、屋島、壇ノ浦、という、那須与一が平家の扇を射落とした、源平合戦の古戦場などの歴史的名所旧跡などもたくさんありますし、高松市の東隣の志度町に、平賀源内の生家等 もあるのですが、唐の国から香川県善通寺市出身の弘法大師が、小麦の栽培、讃岐うどんの製造技術、豆腐の作り方、豆類からの植物性蛋白質の摂取を伝えたのが、1200年前の平安時代ですし、 弘法大師ゆかりの四国霊場八十八ヶ寺もありますので、江戸時代や源平合戦程度の最近の出来事は、全て霞んでしまうのです。

このように、讃岐うどんは、名物、という商品ではなく、瀬戸内海の波の音、美味しい空気、四国霊場八十八ヶ寺、などと同格の、文化なのです。

入口の背景に設置している、毎年お正月にいただく、高松名物の、白味噌仕立てのあん餅雑煮も、貴重な食文化ですし、最近、その希少性から評判になっていますが、讃岐うどんに比べると、 江戸時代からの短い歴史しかないものにすぎません。

が、ここは私のオフィシャルホームページですので、私が個人的に、白味噌仕立てのあん餅雑煮が大好きなので、背景に掲載しています(笑)。

音楽に例えるなら、弘法大師が広めた讃岐うどんは、平均率やフーガの技法を完成した、J.S.バッハ、白味噌仕立てのあん餅雑煮は、その突拍子もない発想から、「映像」を作曲した、 クロード・ドビュッシー、あたりに相当すると思っています。

その他の讃岐の郷土料理の中で、『醤油豆』は地味で穏やかだけど栄養満点なので、「ピアノ四重奏No.2」を作曲した、フォーレ、『てっぱい』はちょっと派手だし、てっぽう(フナ)を 使っているので、「魔笛」を作曲したモーツァルトかな、『骨付き鶏』は、明治維新後の短い歴史しかないけど、これも、私は大好きで、しょっちゅういただくので、「バルカローレ」を作曲した、 ショパン、ですね。

そして、小豆島の『オリーブ』は、とてもお洒落なので、「ダフニスとクロエ」を作曲した、ラヴェル、でしょう。






最後に、「ごあいさつ」、「インプロヴィジョンとアドリブ・・・・・無限大の音楽宇宙」、「私のネットいじめについての考え方」、「K.OKADA・ライブドアブログ」等をクリックしてご一読された後、私が生まれ育ち、現在住んでいる、四国高松の、高松全日空ホテルでの写真をクリックして、ご入室下さい。





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