Aの作曲家



ジョン・アダムス John Adams (1947 - )

アメリカの作曲家,指揮者。1947年2月15日,マサチューセッツ州ウースター生まれ。ハーバード大学へ進学し,レオン・キルヒュナー(Leon Kirchner),デヴィッド・デル・トレディチ(David Del Tredici),ロジャー・セッションズ(Roger Sessions)らに師事。1969年に同学士号,1971年に修士号を得た。卒業の翌年,カリフォルニアへ移住。1972年から1983年まで,サンフランシスコ音楽院で教鞭を執る。ほどなくサンフランシスコ交響楽団の現代音楽顧問に招聘され,1979年から1985年には在住作曲家にも就任。近年は指揮者や音楽顧問としての活動が中心となり,1987年から1990年にはセントポール室内管弦楽団の顧問(creative chair),1993年にはオージェイ音楽祭の音楽監督を務めたほか,1993年と1996年の2度に渡って,アンサンブル・モデルンを率いて欧州への楽遊を行っている。作風は,初期には急進的なミニマリズムへの傾倒が著しく,近年になるほど折衷的な傾向が強まり,色彩的な和声を重度に援用する折衷的・穏健な書法(ポスト・ミニマリズム)へと変化を遂げている。(関連サイト:John Adams Official Web Site ご本人のサイト)


主要作品

舞台作品 ・歌劇【中国のニクソン】 Nixon in China (1985-1987) {3act}
・クリングホーファーの死 the death of Klinghoffer (1990-1991) {2act}
・天井を見上げると,そこに空はあった I was looking at the ceiling and then I saw the sky (1995) {2act}
・オラトリオ【エル=ニーニョ】 el niño (1990-2000)
映画音楽 ・心のできごと matter of heart (1982) ...C.G.Jungを描くドキュメンタリーのために
・アメリカン・タペストリ an American tapestry (-) ...
ケーブルテレビの番組のための音楽
管弦楽曲 ・定常リズムのなかの共通の音高 common tones in simple time (1979)
・ハーモニウム harmonium (1980-1981) {choir, orch}
・ハーモニエレール harmonielehre (1984-1985)
・管弦楽のためのフォックストロット【議長は踊る】 the chairman dances (1985)
・ファンファーレ【トロンバ・ロンターナ】 tromba lontana (1985)
・ファンファーレ【ショート・ライド・イン・ア・ファスト・マシーン】 short ride in a fast machine (1986)
・恐怖のシンメトリー fearful symmetries (1988)
・エル=ドラド el dorado (1991)
・ローラパルーザ lollapalooza (1995)
・スロニムスキーの耳の箱 Slonimsky's earbox (1996)
・繊細で感傷的な音楽 naive and sentimental music (1997-1998)
・奇妙な場所への案内人 guide to strange places (2001)
・父はチャールズ・アイヴスを知っていた my father knew Charles Ives (2003)
協奏曲 ・エロス・ピアノ eros piano (1989) {p, orch}
・ヴァイオリン協奏曲 violin concerto (1993) {vln, orch}
・世紀は変わる century rolls (1996) {p, orch}
・大スールの達磨 dharma at big sur (2003) {e-vln, orch}
器楽曲 ・ピアノ五重奏曲 piano quintet (1970) {2vln, vla, vc, p}
・アメリカ基準 American standard (1973) {chamber} ...
詳細な編成の指定なし
・クリスチャン・ジールと行動 christian zeal and activity (1973) {chamber} ...詳細な編成の指定なし
・グラウンディング grounding (1975) {6vo, 3sax, live-electonics}
・シェーカー・ループス shaker loops (1978/1983) {3vln, vla, 2vc, b /strings}
・グランド・ピアノラ・ミュージック grand pianola music (1982) {2p, 3f-vo, winds, brass, perc}
・室内交響曲 chamber symphony (1992) {chamber, symth, perc}
・ジョンの胡散臭い踊りの本 John's book of alleged dances (1994) {2vln, vla, vc}
・ロード・ムーヴィーズ road movies (1995) {vln, p}
・危ないボタン gnarly buttons (1996) {cl, chamber}
・スクラッチバンド scratchband (1996) {amplified ensemble}...詳細な編成の指定なし。アンプを通して演奏。
ピアノ曲 ・フィジーの門 phrygian gates (1977)
・中国の門 china gates (1977)
・ハレルヤ・ジャンクション hallelujah junction (1996) {2p}
歌曲 ・包帯係 the wound-dresser (1988) {btn, orch}
・組曲【ニクソンのテープ】 the Nixon tapes (1987) {vos, orch} ...
「中国のニクソン」の組曲版。3曲。
合唱曲 ・ターン ktaadn (1974) {choir, osciallator, filter}
・ハーモニウム harmonium (1980-1981) {choir, orch}
・クリングホーファーの死による合唱曲 choruses from the death of Klinghoffer (1991)
・魂の転生 on the transmigration of souls (2002) {choir, child-choir, soundtrack, orch} ...
9/11テロの追悼のために作曲
電子音楽
テープ音楽
・重金属 heavy metal (1970) {2ch-tape}
・スチュードベイカーの愛の歌 Studebaker love music (1976) {2ch-tape}
・オニクス onyx (1976) {4ch-tape}
・水面を渡る光 light over water (1983) {2ch-tape}
・ヴードゥ呪術の微風 hoodoo zephyr (1992-1993)


アダムスを聴く


★★★★★
"Harmonielehre / The Chairman Dances / Two Fanfares / Short Ride in a Fast Machine" (EMI : 7243 5 55051 2 5)
Simon Rattle (cond) City of Birmingham Symphony Orchestra
何げに,『Cジャム・ブルース』は凄い曲だと思うことがあります。まるまる一曲,たった2音なんですから。クラシックの世界で,同じことを考えた連中。俗に彼らをミニマリストと呼びます。感動を生み出すのに持って回った主題は無用。これを突き詰めていくと,和音や主副旋律,しまいには音の高低すら冗長になり,やがて同じ音高のクラスターを並べ,それを少しずつずらしながら反復してリズムを作る,禅問答めいた楽風へ至りました。しかし,バップ・ジャズがやがてハード・バップへこなれたのと同じく,ミニマリズムも,程なくそのあまりに急進的な創作態度への反省が生まれてきます。アダムスは,この世代に属する作曲家。「本人としては才気走ってるんだろうけど,凡人にゃただの裸の王様で,聴いてて笑いしか出んのだろ・・」そんなイメージを持ちつつ,手にした本盤。聴いてみると意外や意外,拍子抜けするほどにまともでした。『ハルモニエレール』を先頭に,どれも調性感が充分に感じられ,和声感芳醇。油断するとジョン・ウィリアムスの映画音楽の乗りで,ほとんど違和感ありません。しかし,確かに注意して聴くと,一音に複数の意味を与えることで,ぎりぎりまで主旋律は削り込んであり,めいめいが異なる周期でモチーフを反復し,やがてそれらが絡み合って生まれるポリリズミックな興奮の中で,密やかに現代を主張する。『ペトルーシュカ』ばりの分厚い和声と,アメリカ人とは思えぬ秀抜なオーケストレーション,『カルミナ・ブラーナ』や『パシフィック231』を思わせる強靱なリズムが主題の急進性を補償し,作品としての体を形作っていきます。演奏はラヴェルでも素晴らしい録音を残したご存じラトルとバーミンガム市立。予想通りここでも整理の行き届いた秀演。細かいパッセージになるとボロが出るも,緩章部の弦部はさすが。ラトルはやっぱり,バーミンガム時代が神だったなあ・・と思わずには聴けない一枚です。

★★★★☆
"Fearful Symmetries / The Wound-Dresser" (Elektra - Nonesuch : 9 79218-2)
John Adams (cond) Orchestra of St. Lukes
奴隷制に反対し,リンカーンを敬愛した詩人ホイットマン「太鼓の響き」が元ネタの『包帯係』は,1989年の2月に同じバリトンに作曲者の指揮で初演。世界初録音の本盤は8月の吹込みでした。独唱歌曲としては,最も古い作品じゃないかと思うんですけど,それだけに内容は興味深いの一語。仏語で「メロディ」と表記される歌曲。旋律と不可分な歌ものに,リズムと色彩を旨とするミニマル音楽出身の彼がどう臨むのか。独唱曲に,1988年の時点で取り組んだことの持つ意味は何か。もはやミニマルの面影が冒頭部分にしか面影を留めておらず,純音楽版スター・ウォーズとして普通に愉しめるこの曲を作った1988年が,彼のキャリアの中で一つの転換点だったのは間違いないでしょう。いっぽう『恐怖のシンメトリー』は,各種打楽器の作るガーシュイン的音場の上で,サックスやハモンド・オルガンがブルージーに絡み合い,吹っ切れたかの如くジャズの国を主張する作品。曲構成そのものは,過去の管弦楽曲を敷延。特に『ハルモニエレール』第一,三楽章や,『2つのファンファーレ』で用いられた動機が,管楽器を使ったポリトーナルな味付けを施され,ジャズ風のリズムへと変形され,随所に使われる。以降,1990年代前半までに『ヴァイオリン協奏曲』や『室内交響曲』など,アメリカ色を意識した曲を多く書いたアダムスだけに,それ以前のミニマル新古典的な管弦楽作品群に対して,ジャズ風味の再訂版を作り,区切りを与えたかったかったのかも知れません。この焼き直しの姿勢をどう捉えるかは評価の分かれるところでしょう。しかし,同じ時期に歌への回帰とジャズへの希求とは。個人的には,彼自身の音楽性の変化と,思想としてのミニマリズムへの拘りが不協和となり巨大な閉塞感を与えている事実を,本盤で自ら認めてしまったように聞こえてなりません。演奏は,独唱者含め統率が行き届き,素晴らしく良いです。

★★★★☆
"Harmonium / Choruses from The Death of Klinghofer*" (Nonesuch : 79549-2)
John Adams, Kent Nagano* (cond) San Francisco Symphony : San Francisco Symphony Chorus : Orchestra of the Opera de Lyon* : The London Opera Chorus*
本盤は,既にワールトの指揮で一度録音したはずの『ハーモニウム』を,1997年に作曲者自身のタクトで再録し,1991年録音の『クリングホーファーの死』と抱き合わせて発表したもの。ちなみに後者はケント・ナガノ指揮ですから,同じ曲を録音したのは前者のみ。しかも,まるで当てつけるように,サンフランシスコ響&同合唱団をそのまま使っている。・・これって,かなり失礼じゃないですか?以前,『ハーモニウム』のECM盤を評して「合唱隊が悪い」と書きましたけれど,これを聴いて確信に変わりました。作曲者自身があのECM盤の出来映えにおかんむりじゃなかったら,ここまでしないでしょう。余程ムカついたんですよ,きっと。そのせいもあってか,彼の指揮はワールトに比べ遙かに神経質。合唱隊の発声を拍ごとに切り揃えては,くどいほどアーティキュレーションを揃えようとする。これは管弦楽も然り。ゆったりと伸びやかな流動感を持つワールトに比べ,拍節構造を際だたせるブレーズ的な解釈で振ってます。当然,ワールト盤に比べ合唱隊の不揃い感は劇的に改善され,その点に関しては彼の目論見通りとなりました。ただなあ。合唱隊に神経を注ぎすぎたため,皮肉にもまるで,管弦楽のほうが合唱隊の都合へ合わせたかのような解釈になってしまった。管弦楽特有の流動感は損なわれ,ワールトを聴いた耳には窮屈に聞こえてしまう。ワールトは全体としての構想を重んじたがため合唱隊が不揃いになり,アダムスはそれを避けようとする余り,守りに入ってしまった。却って逆説的にワールト盤の美点を説明しているとの感が残るのも確かです。編成が大きいだけに,なかなかこの両方をバランスさせるのは難しいんでしょうねえ。もちろん,現象としての音に欠点の少ない本盤のほうが広く薦めやすいでしょうけれど,個人的にはワールト盤の方が,曲の魅力を良く掴んでいる気がしてなりません。併録曲は,1984年に,パレスチナ過激派から乗っ取られたイタリアのクルーズ船に乗り合わせ,不幸にも殺されてしまったユダヤ系米国人の悲劇を題材にした作品。『包帯係』を思わせる不穏な主題が,ミニマル特有のリズムに乗り,哀しみから激情へと負の情念を描きます。

★★★★
"Harmonium" (ECM : 821 465-2)
Edo De Waart (cond) San Francisco Symphony Orchestra and Chorus
アダムスが1980年代初頭に書いたこの合唱曲は,標題が示すとおり,ドビュッシーがかつて残した文言さながら「色彩とリズム」から音楽を生み出そうとした当時の試みが,一つの幸福な帰結を見たもの。直後に書かれた管弦楽作品『ハルモニエレーレ』と標題が似ているのも道理。類同的な構成やモチーフが頻出し,美学的には兄弟作品といいたくなるほど肉薄したものです。アダムス自身はもともと合唱隊をヴォーカリーズにするか,言葉を与えるかで悩んでいたらしく,唱歌はあくまでも,響きに宗教的な荘厳さや神秘性を与えるために付帯されたハーモニーの一翼として機能します。異なる周期で拍動する個々の声部が,やがて渾然と融合して有機的な動作を生み出し,次々と重ねられていく声部の響きは,やがて一体となって歓喜のカタルシスをもたらす。一聴まるで異なった美意識に立脚している,野蛮主義者オルフの『カルミナ・ブラーナ』に通じる興奮を,その強大な推進力のうちに留めながら,野蛮を志向したがゆえに削られてしまったノーブルかつ緻密な和声を与えることで,敬虔な叙情性に富んだ新たな地平へと立ち至る。その試みは劇的な効果をもたらしていると思います。それだけに残念なのは,サンフランシスコ響合唱団の,とくに女声。200人の合唱が完全に呼吸を揃えられるだけのリハーサルができなかったのでしょう。各人の音高に狂いが生じ,細部の入り抜けは乱れて輪郭を壊し,ビブラートも不揃いで濁りを生じる。分厚い和声で旋律を補填するポスト・ミニマリストにとって,その透明感は生命線です。各人の肌理の粗さが全体の濁りへと波及して,作曲者の意図を現前しきれなかったもどかしさが漂う感は否めませんですねえ・・。

★★★★☆
"Shaker Loops / Phrygian Gates / Chamber Symphony" (BMG : 09026-68674-2)
Sian Edwards (cond) Ensemble Modern
アンサンブル・モデルンは1980年に結成されたのち,1985年からフランクフルトへ拠点を置いている,現代音楽専門のアンサンブル。アダムスは1990年代,二度に渡って客演しており,実はこの録音も,2度目の欧州客演の直後に吹き込まれたもの。事実上,楽団側からのお礼代わりといったところでしょう。演奏技量はさすがにかなりの高レベルです。三曲中はじめの二曲は,1978年に書かれた彼の出世作で,初期を特徴づける,急進的なミニマリストの姿を聴くことができます。ごく簡素で,音程の変化しないモチーフを,それぞれの楽器が異なる周期と音高で反復し,それらが重なって拍動を伴った和声となり,そこへ別のパルスが加えられて複合拍子となる。緩急の振幅,旋律の具象性,和声の叙情性が格段に深まる後年の作品に対し,ここで聴けるのは紛れもなく実験的なという意味で模範的なポスト・ミニマリズムで,推進力の鋭さはさすが若手の作です。とはいえ,ピアノ独奏による『フィジーの門』などは,旋律が極端に削り込まれている点を除けば,アンビエント・ミュージックとして聴いても,さほど違和感のない叙情性があり,キースのソロ・パフォーマンスを,もっとバロック的に譜面化したかのよう。そんな中,唯一場違いな変態ぶりをさらけ出すのが,1992年作の『室内交響曲』。ヘンテコに移調しながら人を喰いまくった調子っ外れなポリモード・ワールドが展開されるポンチ絵音楽。ずんちゃかずんちゃかと小人が行進するかのようなパーカッションは,明らかに故国の音楽的遺産であるクラシック・ジャズの咀嚼を目論んでます。思わずミヨーの,それも六人組イデオロギーまっしぐらの初期作品(『室内交響曲』,『アスペン・セレナーデ』など)や,リエティの馬鹿馬鹿しいラテン乗りの協奏曲を思い出してしまい,脂汗を禁じ得ませんでした。こっちのジャズ好きの顔は,『ヴァイオリン協奏曲』が堪らない方にのみ推薦。

★★★★
"Violin Concerto / Shaker Loops" (Nonesuch : 79360-2)
Kent Nagano, John Adams (cond) Gidon Kremer (vln) London Symphony Orchestra : Orchestra of St.Luke's
1993年に書かれたヴァイオリン協奏曲は,ブラームスとヨアヒムをイメージして書いたという,現代版宮廷音楽(そういえば第2楽章冒頭の低奏部は,どう聴いてもパッヘルベルの『カノン』を借用して遊んでるとしか思えません)。間抜けに音を外しながら,酔っぱらった道化師のような旋律をキコキコ弾きまくるヴァイオリンに,毒気を含んだフランセのような戯画風味たっぷりの管弦楽が素っ頓狂に絡み合う,擬古典作品に仕上がってます。バカフレーズを維持しながらリズムの輪郭はきっちり維持。古典音楽の構築美を醸し出したまま最後まで突っ走る。これには作曲者もかなり苦労なさったらしく,この曲を1994年に初演したヨーリャ・フリーザニスには,試行錯誤中に随分激励を受けたんだそうです。本盤の録音はこの初演と同年ですから,事実上世界初録音でしょう。となれば,併録の自作自演『シェーカー・ループス』弦楽合奏版は,クレーメル御大の参加した前半の添え物的な扱いになるんでしょうが,個人的にはこちらも拾いもの。冒頭の急奏部における明晰極まりないリズムのアクセント配置はセンス抜群で,さすがミニマリストと感服しますし,室内楽版で聴いたときは「雅楽風が狙いなのかな・・?」としか思えなかった第2楽章は,繊細極まりない和声の味付けが施され,この上なくデリケートでナイーブな世界を描出している。惜しむらくは,少々オケが行き届かない面を残すところか。それでも,指揮者がその圧倒的なカリスマ性を利して楽団を牽引。団員の通常キャパシティ以上のものを引っ張り出すことに成功したタイプの典型例。細かいアラを除けば,後進に豊かな示唆を与える演奏ではないかと思います。

(2005. 10. 19)