新旧情報、お気に入りの商品・サービスなどを紹介するコラムです

  • アジアカップ決勝 中国 1−3 日本
    今回はサッカーで日本が中国に勝った。それ以上でもなく、それ以下でもない。しかし、日本代表はほんとうに「アジア・ナンバーワン」に相応しいゲームをしたと思う。

    決勝戦では、日本がすべての面で中国を上回っていたと言えるだろう。もうすこし難しい試合になるかとも思っていたが、前半を見て、「とりあえず日本ペースだな」と安心した。まあ、勝負事だから勝ち負けはどうなるかはわからないとしても、ゲームをコントロールしているのが日本であることは明白だった。

    中国選手は大観衆の過大な期待にプレッシャーを受けて硬くなっていた? そうだとしても、あまり強いチームではなかったように思える。後半途中からは、あきらめモードに入ってしまったように見えた。

    日本の2点目は、スロー映像でみると確かに、中田浩か、中国の12番の選手の手に当たってゴールしたように見える。実際のところは分かりませんが、ゴールが無効にされてもおかしくない場面ではある。「この点で勝負が決まってしまったら、中国側はかならず文句を言うだろうなあ」と思っていたら、ロスタイム(?)に玉田がもう1点決めてくれたので、その心配はなくなった!(それでも文句は言われているようだが……)

    たしかに2点目はラッキーなゴールなのかもしれない。でも、冷静に試合を見返してみると、あのレフェリーはかなり“きていた”。まあ、そのあたりは日本選手もいくらかあきらめていたようで、マイボールが相手ボールになってしまったような時も、キレることはまったくない。

    もちろん、危ないシーンはいくつかあったし、運を味方につけたときもあっただろうが(川口のスーパープレーも!)、今大会を通して、リスクをかけて前に出るプレーと、リスクをとらずに引くプレーの使い分け(?)が良かったと思う。
    準々決勝と準決勝は危ない試合やったけど、決勝は全体的に危なげない試合運びだった。

    今回は中田英、稲本、小野、久保、柳沢、坪井、高原、大久保と少なくとも8人(?)のレギュラークラスが抜けた代表。対外的には、「日本はBチームでも優勝した」と自慢できるかもしれない。

    でも、今回の代表は、気候条件や日程などを含めた多くの悪条件を突きつけられのにかかわらず、最高の結果を出してくれた。ワタシは、最大限の賛辞を贈りたい。表彰式が終わり、地元観客のほとんど(?)が帰って静かになったスタジアムで、日本サポーターの「アイーダ」が聞こえてきた時は涙が出そうになった。試合中はずっとかき消されて聞こえなかったんだから……。サポーターも「勝ち組」である。

    中国は結果的に準優勝した。それなのに、授賞式の時に観客の大半が帰っていないというのは、やはり選手が気の毒に思えてしまう……。まあ、あれは日本的に言えば、サポーターとはいえない。

    やっぱり、こんなに心を動かされる日本代表の試合は、ワールドカップとアジアカップだけだと実感。まあ、サッカー以外のところでも話題になってしまた大会だったが、それで注目度が上がったし、かえって良かった部分もある。
    今回の優勝はボクにとっても「財産」になりました。今日はちょっと言わせてください。

    日本代表 最高!!! と。はっきりいって、昨夜は勝利の飲み会をしました(笑)。「アイーダ」歌ってました(笑)。

    さあ、アジアカップは終わったので、次はワールドカップ予選だ。あ、その前にオリンピックがあったんだった。

    2004年8月8日 テレビ観戦にて


  • かくれ菊川さんファン

    菊川怜さんのことを知ったのは昨年のことだから、熱心なファンの皆さんには「今ごろ何言ってんの」と思いっきり笑われてしまうでしょう。

    今から数カ月前、NHKプレミアム(海外向け放送)で放映されていた「夢みる葡萄〜本を読む女」という連続ドラマを何となく見ていて、「あ、きれいな人だ。声も美しいなあ〜」と思ったのが最初。それからつい最近、同じくNHK放送のクイズ番組に出演していた彼女を見ていて「菊川怜」という名前を知った。

    ほかのゲスト回答者が問題の答えに戸惑っている中で、素早くパッと答えている怜さん。「すごいな、この人は。頭もいいだんろうなー」……。その時は、東大を卒業しているとか、菊川さんの経歴なんてまったく知らなかったのだ。まあ、海外在住ということで許してください(インターネットで検索してみればすぐに分かることだろうけどね)。

    それからというもの、周りにいる日本人男たちに「菊川怜いいねー、菊川怜いいよー」としつこく同意を求めていたら、知人の1人が「きれいだけど、東南アジア風の顔だね」と言った。その男は純日本風の(?)しょう油顔の女性が好きなのだそうだ。

    たしかに菊川さんは堀の深い顔立ちではあるのだが、ボク自身は、最初に見たドラマの影響かもしれないけど、日本女性が伝統的に(潜在的に?)持ち合わせている淑やかなところも菊川さんにはあるように感じていたのです。まあ、ここ数年は東南アジアに住んでいるから、濃い顔の女性を見慣れているということもあるかもしれない。

    先々週にマレーシアから日本へ帰ったその日、久しぶりに見た「哲子の部屋」に菊川さんがちょうど出演していた。納豆が好きだそうだ。すばらしい。ボクも納豆を好きになろう(おいおい)。

    番組の中でのトークの中で、菊川さんが数年前にハリウッド映画(?)に出演したことなども初めて知った。で、現在は、その前の週から始まったドラマ(霊感バスガイド事件簿)に主演しているということなので、第2回の放映からは毎週観ていますよ。菊川さんのさまざまな表情が見れる楽しい番組です。見れば見るほどきれいな人だ。で、やはり声もきれい。会ったことはないけど、きっと性格も抜群にいい人なのだろう(こらこら)。

    まあ、ボクは昔から芸能人のグッズを集めたりしたこともないし(もう、そんな年齢でもないしね……)、スターに本気で恋をしても淋しいだけ(汗)ということも分かっているし、実際に怜さんにお会いできる機会なんて永遠にないだろうから(笑)、これからそんなにハマりまくることはないでしょう。でも、菊川さんの出演している映画やドラマはビデオなどでこれから観てみようと思います。

    とりあえず、日本の芸能界で最も美しい女性でしょう、菊川怜さん。

    余談ですが、菊川怜さんの写真集『REI'S DAYS』のサブタイトルは“HARI LAHIR”というらしい。これはマレー語(インドネシア語)で“生まれた日”という意味ですが、インドネシア(バリ島?)で撮影ロケをやっているみたいですね。

    2004年5月10日 日本にて

  • 観に行きました、レアル。
    国際親善試合 タイ代表−レアル・マドリード
    2003年8月10日 ラジャマンガラ・スタジアム(バンコク)

    “レアル・マドリードがマレーシアに来る”と耳にしたのは、7月の上旬。それ以来、当地の新聞やテレビなどを毎日チェックしていたのだが、いつまでたっても試合のことが発表されない。
    レアルの公式ウェブサイトには確かに「8月10日にマレーシア代表と親善試合を行う」と書かれていたのだが……。

    これは怪しいぞと思っていたら案の定、新聞に「レアルのマレーシア遠征 中止」という記事が載った。報道によれば、レアル側が260万ユーロという破格な報酬を要求したことで、マレーシアサッカー協会との交渉がもつれ、実現不可能となったらしい。まあ、筆者はレアル・マドリードのサポーターというわけでもないし、「どうせイベントのような試合だから」と、取り立ててがっかりすることはなかった。

    数日後、日本のスポーツ新聞のサイトを見ていると、「レアル、アジア遠征最終戦はタイと」との記事が目に入った。8月12日のシリキット女王誕生日に合わせた特別親善試合。後で聞いた話では、タイ政府がかなりのお金を出してレアル誘致を成功させたという。

    これは好都合だった。もともと8月中にバンコクへ行く用事があったので、予定を早めて、ついでに(?)レアルを観に行くことにした。バンコク在住の知り合いに連絡して、レアル戦のチケットの手配を頼んだ。朝の9時から3人がかりで交代で並んで、チケットを手に出来たのは午後2時ごろだったらしい。彼らにはだいぶお手数をかけてしまったので、後で高級料理(?)をおごることにして許してもらった。

    バンコクのラジャマンガラ・スタジアムには1998年のアジア大会・サッカー男子の試合観戦で1度だけ行ったことがある。あの時は日本−クウェート戦という地元の人たちにとっては第三国同士のカードということで、客席はガラガラ。街の中心部からスタジアムへの移動も20分ほどしかかからなかった。
    今回はレアル・マドリードというだけでなく、やはりベッカム人気が凄かった。キックオフ(18時)の2時間前に街を出たが、スタジアムまで1時間半もかかってしまった。

    チケットは2番目に高い1500バーツのものだったが、シートではなくベンチ式の自由席。会場に着いたのが遅かったので、いい場所を確保するのは到底ムリと覚悟はしていたものの、スタンドに入てみると、客席はもうビッシリ埋まっていて立ち見しかないという状況になっている。

    反対側のメインスタンドに目をやると、観客は7割程度しか入っていない。多分あちらは指定席で、無料招待券をもらっても来ない人などがいっぱいいるのだろう。そう思うと、1500バーツ払って立ち見というのは納得できない。

    そこで、なんとかスペースを空けてもらおうと周りに座っている人に頼んでみると、文句も言わずに親切にスペースを空けて通路をつくってくれた。やはり、タイの人たちはやさしい。しかも礼儀正しい。しかし、後ろを振り返ると、われわれに続いて席を取ろうとする人の行列が背後からどんどんと押し寄せていたのだった(笑)。

    そんなこんなでキックオフ……(おいおい)。スタンドはもう1人も入り込めないほどのぎゅうぎゅう詰めになっている。が、われわれの想像を絶する兵(つわもの)がまだいた。
    「はい、ごめんなさいよ」とペットボトルの水を売るおばさん。人と人との間にわずかなスペースを見つけ出して、自由自在に動き回っている。これには圧倒、というか感心させられた。まるで、ガチガチに引いたディフェンスの裏にわずかなスペースを見つけ出し、走りこんでゴールを決めるストライカー(?)。そして、何事もなかったように水を買うお客さんたち。こんなほのぼのとした光景に、おもわずワタシの口元も緩むのだった……(こらこら)。

    さて、試合の方は、アジア遠征最後の試合ということで、さすがにレアルの選手に疲れは見えるものの、ジダンやラウル、マケレレ、ロベルト・カルロス、ミチェル・サルガド、ベッカム、モリエンテス――といった選手たちのプレーを目の前で見れるというのは格別(ロナウド、フィーゴは欠場)だった。

    タイ代表も健闘し、ダイレクトパスをつないでの見事なゴールを決める。場内がいちばん盛り上がったのはやはり、このときだった。地元応援団の「自分たちの代表を応援しながらも、レアルの一流選手のプレーを楽しむ」という姿勢も素晴らしかった。

    やはり、東南アジア最強というタイだけのことはある(?)。

  • フランの神髄?
    フランシスカ・ピーター + マイケル・ヴィーラパン
    2003年6月30日 ノー・ブラック・タイ(クアラルンプール)

    “フラン”ことフランシスカ・ピーター(Francissca Peter)といえば、80年代後半から90年代初めにかけて数々のヒット曲を歌ったマレー語ポップスのシンガーとして一般に知られている。1986年の第1回ジュアラ・ラグ(歌謡大賞)で最優秀楽曲に選ばれた「スカダル・ディ・ピンギラン」(Sekadar di Pinggiran)という曲は特に有名で、いまを時めくスター歌手のシティ・ヌルハリザが2001年の“メガ・コンサート”のメドレーの中で、この曲を80年代を代表するヒットソングとして歌ったのも記憶に新しいところだ。

    97年のソロアルバム『スティンギ・アンカサ』(SETINGGI ANGKASA)を最後にマレーポップス界からいったん離れたフランは、ロンドンのジャズクラブで歌ったり、アメリカのサックス奏者カル・ベネットのアルバムに参加するなど、近年はジャズ・フュージョンシーンでも活躍していたそうだ。これは、筆者も最近まで知らなかった彼女の経歴。ちまたでは、おととしに久しぶりにテレビに出演、過去のヒット曲を歌うコンサートなどを開催するなど「カムバック」が話題になったフランだったが、別に音楽活動をやめていたわけではなかったわけだ。

    さて今回は、クアラルンプール中心部の外れにポツリとある小さなジャズクラブでピアニストのマイケル・ヴィーラパン(Michael Veerapen)とジョイントライブをやるというので、足を運んでみた。

    共演者のヴィーラパンはバークリー音楽大学卒のジャズマン。規模が小さいマレーシア・ジャズ界においては第一人者であり、国内での数々のセッションのほか、モントリオール・ジャズ・フェスティバルなど海外のジャズ祭にも参加したことがある。筆者は、何年か前にシーラ・マジッドと共演したのを一度見たことがあるが、テクニックのしっかりとしたピアニストという印象を持っていた(ほとんどピアノを弾けないワタシが言うのもなんだが……)。

    “開演時間”とされる10時を少し回ってから急ぎ足で店内に入ると、常連客やフランの友人たちも含め、すでにテーブルがすべて客で埋まるほどの満員御礼。飲み物を注文すると、ほどなくしてヴィーラパンのピアノ・ソロによるイントロが始まった。
    曲目はアンソフィスティケーテッド・レディー、マイ・ファニー・バレンタイン、サマータイム、ルート66――といったスタンダードのジャズ・ナンバーが続く。英語のポップスを歌うフランはこれまでにも聞いたことがあったが、スキャットを交えたジャズっぽい歌唱も悪くない。

    女性ジャズ歌手というと筆者はサラ・ヴォーン、ビリー・ホリデイ、カーメン・マクレエ、エラ・フィッツジェラルド、ヘレン・ミリルくらいしか名が浮かばないので偉そうなことは言えないのだが、フランもさすが、レギュラーとしてジャズクラブで歌っていただけのことはある。ピッチはいいし、ビブラートもきれい。ジャズはそれほど歌っていないのに何故か「ラトゥ・ジャズ」(ジャズの女王)としばしば形容されるシーラ・マジッドよりもずっとスウィングしているではないか。

    休憩を入れて1時間半ほどのライブがいったん終了し、さらにアンコールでもう1曲を熱演。それでも、客席からは「もう1曲やってよ!」との声が止まない。
    フランは「しょうがないわね。じゃあ、“チャリ・マカン・ソング”を歌っちゃうわよ」てな感じで、特別サービスとしてカラオケでホイットニー・ヒューストン風の英語バラードを歌い、この日のショーを締めくくった。

    ちなみに“チャリ・マカン”というのはマレー語で「生活費を稼ぐために仕事をする」というような意味があり、“チャリ・マカン・ソング”とは、さしずめ「営業用ソング」といったところか。もしかしたら、フランはもうポップスはあまり歌いたくないのかもしれない。個人的には、マレー語ポップスを歌うフランがいまだに一番好きではあるのだけど……。

  • 直撃インタビューのこぼれ話 熱い視線の主は? 無礼なオバさんとチャック全開男にもやさしいシティ!
    6月6日、今年最大の話題作『E.M.A.S』を発表したシティ・ヌルハリザとのインタビューが実現した。インタビューは、NHK−FM局の『アジア・ポップス・ウィンド』用のもの。昨年の『Sanggar Mustika』リリース時に引き続き、深井信&アサ・ネギシのコンビが行った。
    インタビュー本編の内容は、放送を聴いてもらうとして、シティ・ファンには特別にいち早くこぼれ話を披露したい。

    ――インタビューは、チェラス地区にある彼女の所属レーベル、スリアレコードの事務所で行われた。チェラスは、KL市内から20分ほど離れた郊外の住宅地。スリアレコードのある場所も住人の生活の臭いがプンプンするショップロットにあり、色あせた所属アーティストのポスターが貼ってあるのが唯一の目印。何度となくスリアレコードを訪れた深井とアサ両氏は、毎回「なんでこんなところに…」と思うことしきり。

    ――深井とアサは、近くのベーカリーでゼリーのケーキを買って手土産にし、約束の11時3分前ぐらいに到着。勧められた事務所の椅子が暖まる間もなく、グレーと黒のシャツにジーンズと普段着でシティが定刻に到着。この時ちょっとシティの表情が硬く、深井とアサは不安に…。

    ――事務所内の一室に録音機材をセットし、マネージャー氏の立会いでインタビューを開始。「始める前に携帯電話をオフに…」という前に、シティは、「もうサイレント・モードにしているわ」と場慣れしていところをみせる。さらにマネージャー氏の「暑いよ」という声もさえぎってシティ自らエアコンの電源もオフに。電波メディアの経験では素人の深井とアサよりも、シティの方がプロフェショナル。

    ――はじめは硬かったシティも録音が始まるにつれ、舌も滑らかに。途中、深井とアサを驚かせるような発言(番組でチェック!!)まで飛び出すほど、快活になっていく。

    ――予定した質問も無事終わると、地声で番組名をアナウンスしてくれるサービスも(地元では普通のことらしい)。なにか簡単な日本語をいれた方がいい、というマネージャー氏のアイディアで、シティは「みなさん、こんばんわ」を何回か練習。深井は、「こんばんわ」に何回か手入れをする。

    ――番組名のアナウンスをいろいろ試しているうちに、なんとシティが2曲のアカペラ(どの曲かは番組で!!)で歌うバージョンも披露。至宝の声を独占した深井とアサは、感激の至り。

    ――録音が終わった後も、シティはマネージャー氏を交えて深井とアサと雑談。話題は主に日本のことなど。1年前のインタビューでは、途中で仕切りが入ったので、不完全燃焼感があった深井とアサは、初めてシティのプライベートな一面も感じさせる機会に。

    ――シティは、この日の朝食は「ナシ・ゴレン」。なんでもお母さんが上京(上KLかな?)しているとか。家族のことを話すときは、普通の女の子に。

    ――雑談に興じていると、妹シティ・ヌルサエラさんが部屋のドアを開けて覗きこみ、黒目がちの視線が遠慮無く降り注いだ。「なんだか妹さんから熱い視線を送っていましたよ」というアサを、深井は「我々が珍しいのでしょ」とクールにかわす。「でも彼女、インタビュー中もブラインド越しに見てましたよ…」と引き下がるアサ。

    ――そのヌルサエラさんがデビューするという噂についてシティに尋ねると、「もし、勤勉ならばいいけど、頑固だったらダメ」とのこと。やはり、苦労して今の地位を築いたシティは、姉として妹を甘やかす気はない様子。"偉大な姉"の姿にも感心。

    ――シティは、深井とアサが持参した手土産を受けとって、「チーズケーキ!?」と尋ねる。その天真爛漫な笑顔に深井とアサは、一瞬年の差を忘れて目じりを下げてしまう。アサは、「あらー、ご免ね。今度はHPにお土産はチーズケーキにしてと書いておくから」と必死にフォロー。

    ――次に写真撮影に。事務所の入り口で撮影場所を物色していると、中国系のオバさんが声をかけてきて、なんと一番近くにいたシティが対応。オバさんは、自分のクルマの後ろに駐車してあったクルマがスリアレコードの誰かの物ではないかを尋ねたらしい。それにしても、話し掛けているのがテレビをひねればいつでも目にする大スターと知らずに…。オバさんは強し!

    ――撮影といってもスリアレコードは、恐ろしいほど殺風景なので、入り口の「SRC」の金文字ロゴの前ぐらいしか背景がない。撮影中に靴下を売っている路上セールスマンがシティを見留めて「あんたシティでしょ」と声をかける。シティは、いたずらっぽく「違うわよ、あたしはシティのお姉さんよ」とかわす。それでもセールスマンは「サバにも来てくれ。みんな待ちわびているよ」と続けるので、シティは優しく「いいわよ」とうけがっていた。そのやりとりを見ていたアサはが「あの人、ズボンのチャック開いていたよ」というと、シティは大爆笑。

    ――すべてが終わった後、マネージャー氏は「(インタビュー時間がアレンジできなくて)本当にご免」と謝ってきた。実はインタビューを申し込んだのが3月の下旬で、半分以上諦めていたのも事実。マネージャー氏は、「すぐ近くにある地元雑誌のインタビュー申し込みも3カ月待ちで、文句いわれていたんだ」と苦しい事情を打ち明けてくれた。

    ――シティがインタビューに応じてくれたこの日は、珍しくオフだったことを知り、深井とアサは恐縮。実際に3月3日のアルバムリリース後は、本当に多忙でスポンサーやテレビ局がらみのイベントで各地を飛び回っているらしい。「あのスポンサーがらみで忙しいんでしょ」と尋ねると、シティは無言の頷きに意味を込めていた。

    深井とアサは、シティが商業主義の犠牲にならないことを切に願って、スリアレコードを後にした。

    2003年6月6日

    (文:アサ・ネギシさん)

  • ザ・チーフタンズ クアラルンプール公演 〜おめでとうアイルランド〜
    2002年6月11日 ペトロナス・フィルハーモニック・ホール(クアラルンプール)

    アイリッシュトラッドの名匠ザ・チーフタンズ(The Chieftains)が待望の来日公演――ではなくて、来マレーシア公演をやってくれた。
    彼らは過去に何度か来日公演をやっているが、筆者はそれをずっと見逃していたので、クアラルンプールへ来てくれることはとてもうれしい。今回の公演はアジアツアーの一環で、マレーシアの前には香港公演をやっている。この後はシンガポールでライブをやるそうだ。

    ところで、公演の3日ほど前になり、あることに気づいた。コンサートが行われる夜は偶然にも、ワールドカップのアイルランド−サウジアラビア戦が横浜でちょうど行われる時間なのだ。アイルランドにとっては、2大会ぶりの決勝トーナメント進出が決まるかどうかという極めて重要な試合。チーフタンズのメンバーだってきっと自国のサッカー代表チームに興味ないわけはないだろう。これは演奏どころではなくなってしまうのでは……と若干の不安がよぎった。

    しかし、公演の当日は、何もかもが絶妙のタイミングに収まった。
    アイルランドは前半7分にロビー・キーンが先制ゴールを挙げる。そのままいい雰囲気でハーフタイムに入ったところで、コンサートは始まった。
    時計を見ると、予定されていた開演時間を15分ほど過ぎている。おそらくチーフタンズのメンバーは、試合の経過を楽屋のテレビで見たか、誰かに聞くなりしてから、まずは一安心してステージに上がったのだろう。

    いきなり、リーダーのパディー・モロニーによる早いパッセージのパイプが鳴り響く。そして、すぐにフィドル(マーティン・フェイ)、フルート(マット・モロイ)、太鼓(ケヴィン・コネフ)、ハープ(デレク・ベル)を加えた5人の大合奏に突入だ。

    おそらく、この日来ていた地元マレーシアの観客たちは、初めてチーフタンズの演奏を聞く人がほとんどだろう。冒頭では静観していたものの、2曲目でカナダ人のダンサー2人が登場し、軽快なタップダンスを披露すると、手拍子をする観客も増えてきて、にわかに盛り上がってきた。

    1995年の大ヒットアルバム『ロング・ブラック・ヴェイル』(LONG BLACK VEIL)でスティングと共演した<Mo Ghile Mear - "Our Hero">でケヴィン・コネフが美しい歌を聞かせた後は、同アルバムでローリング・ストーンズとジャムった<The Rocky Road To Dublin>のインストバージョン。曲の途中で「サティスファクション」のリフが入るところでは、近くにいた白人の客が大うけしていた。

    およそ40分後、コンサートの方もハーフタイム、いや休憩に入ると、メンバーはそそくさと小走りで楽屋へ……。そう、そろそろ試合が終わる時間なのだ。
    試合の結果がどうしても気になる筆者も、コンサートホールのロビーに出て友人のケータイに電話して確認した。3―0でアイルランドの完勝だ! 

    コンサート後半の幕が開き、チーフタンズのメンバーたちはうれしさをこらえるように(?)ステージへ戻ってきた。
    リーダーのパディ・モロニーはしばらく、何か涼しい顔をして楽器をセットしていたが、こらえきれずに(?)、"Ye... We won the match......"とつぶやくと、客席から暖かい拍手が起こった。やはり、ワールドカップの試合のことはみんな分かっていたようだ。

    後半さらに調子にのったチーフタンズの演奏は、まさに脂がのりきっていた。ゲスト出演した古謝美佐子の歌もなかなか良かった。
    ラストは、チーフタンズのコンサートでは恒例になっているという各メンバーの「ソロ対決」だ。
    マット・モロイがフルートで早いパッセージを息継ぎもなしに(?)吹き続けていると、モロニーがのぞき込んで笑わせようとする。デレク・ベルがラグタイム風のピアノをいつまでも弾き続けていると、やはりモロニーが寄っていって「おい、早く終われよ…」みたいな顔をして笑わせる。古謝美佐子はなにをやるのかと思ったら、クロンチョンの名曲「ブンガワン・ソロ」を歌い出し、これも観衆に大ウケだった。

    話には聞いていたが、分かっていても笑ってしまう。そして、幸せに気分になってしまう。やはり、チーフタンズのコンサートを見に来て本当に良かったと思ってしまうのである。

    さて、アイルランド・サッカーは、ファンタジーには欠けるが堅実で力強い代表チーム、そして陽気でフレンドリーなサポーターで日本人の心を掴んだようだ。

    おめでとう、アイルランド! この日の夜のBGMはやはり、チーフタンズの『ロング・ブラック・ヴェイル』にした。

  • 【2002 FIFAワールドカップ】 イタリア−メキシコ戦のブーイング
    先ほどのイタリア−メキシコ戦(1次リーグ・グループG=6月13日・大分)は、十分楽しめる試合だった。

    メキシコは攻守ともに安定していて、わくわくさせるようなプレーを多く見せてくれた。前半35分のポルゲッティのヘディングで先制したメキシコに対し、イタリアは後半、1点ビハインドの苦しい展開の中で、後半40分、途中交替で入ったデルピエロが一発ヘッドで救った。まさに救世主だった。

    さて、試合終了の3分ほど前、同じ時間に行われていた同グループのクロアチア−エクアドル戦でエクアドルの勝利がほぼ確定的になったことが分かり、このまま行けばメキシコもイタリアも決勝進出が決まるというところで、両チームは戦いをやめてしまった。そして、ロスタイムの4分間はメキシコが自陣でボール回し、イタリアはただ見ているだけという状態に……。

    ここで、筆者が観ていたテレビ中継のコメンテーターは怒った。
    「これはひどい! ひどい! ああ、ひどい!」「これはフットボールなんかではない! 拷問だ!」――と、ものすごい非難の嵐。スタンドからも、いらつくファンのブーイングが巻き起こる。
    そして、ブラジル人の主審は、本当は4分ほどあるはずのロスタイムを3分強で切り上げてしまい、「なんてことだ……」というような厳しい表情で終了の笛を吹き、胸の前で十字を切った。

    このコメンテーターに言わせれば、この両チームがやったことは「スポーツマン精神に反する」ということなのだろうが、果たしてそうだろうか。

    この試合は「結果がすべて」であり、内容はともかく決勝トーナメントへの進出が決まればいいという試合だったはず。あの時点では両チームとも、その最重要目的を既に達成していたわけで、あそこで非難やブーイングを浴びせるとは、ピッチの上で戦った選手らに失礼ではないのか。
    試合を見ている側にとっては最後の4分間が無駄な時間になったことは分かるが、これがもし自分の国のチームだったら、「リスクを避けてボールを回してほしい」と思うのが当然ではないかと思うのだが……。

    見どころの多かった素晴らしいゲームも、後味の悪さが少し残った。

  • アヌーシュカ・シャンカール クアラルンプール公演
    2002年1月21、22日 ペトロナス・フィルハーモニック・ホール(クアラルンプール)

    ラヴィ・シャンカールの愛娘、そして若干20歳の美形シタール奏者ということで前から興味は持っていたが、アルバムはまだ聞いてない。唯一アヌーシュカを見た(聞いた)のは、去年11月のディパバリ(ヒンドゥー教の祭の一つ)の時にマレーシアのテレビで放送された父親ラヴィ先生との共演ライブ。日本では最近来日公演があったせいか、セカンドアルバムの『アヌラグ』やライブ盤の『カーネギー・ホール・ライブ』が結構話題になっているらしい。

    その時テレビで見た彼女の演奏は、「巨匠」が横にいるためか、やや控えめな印象があった。しかし、今回のようなソロ公演では、やはりバリバリ弾きまくる。特に2人の強力なタブラ奏者(ビクラム・ゴーシュとタンモイ・ボーズ)との掛け合いには圧倒された。

    シタールの演奏技術について筆者は全くの素人なので、あまりコメントすることはできないが、素人にも十分楽しめる演奏だった。それに、弾いているときのアヌーシュカの笑顔はとってもいい。
    コンサートは、20分程度の短いラーガ(インドの音楽理論=旋法・音階)演奏が8曲という構成。途中、前の席にいた客が手でターラ(拍節的リズム周期)を数えながら演奏に聞き入っている。彼は時折、「そうそう、それだ」という感じに満足げにうなずいたりしながら、次なるインプロビゼーションを予想して、楽しんでいるようだ。

    アヌーシュカは曲を始める前、「次の曲は10ビートのターラで、2−3−2−3に分割されます」――という具合に簡単な説明を入れてくれる。それを基に、コンサートの後半からは筆者もターラを数えながら聞いてみることにした。途中、拍子が変わるようなフレーズがしばしば入るので惑わされそうになるが、自分の数えていた拍子がちゃんと合っていることが後で分かると、これが結構うれしい。ラーガのことをちゃんと勉強してから聞けば、もっともっとライブ演奏を楽しむことができるに違いない。

    ところで、クラシック音楽専用のホールでインド古典音楽の演奏会をやるというのは別に珍いことではない。でも、ここはマレーシアのクアラルンプール。こういう場所でやるインド音楽のコンサートにはどんな客層が来るのか、少し興味があった。

    会場のロビーで一番目立ったのは、北インド系と思われる上流階級風の人々。彼らはマレーシア人ではなくインド本国出身の人たちかもしれない。後から聞いた話だが、公演初日には、インドの駐マレーシア大使も来ていたらしい。馴染みのあるタミル語は聞こえてこず、英語、そして普段は映画ぐらいでしか聞けないヒンディー語(多分…)の会話が耳に入ってくるロビーは、インド亜大陸に足を踏み入れたことのない筆者にとって異国情緒たっぶりの空間となっていた。

    ほかには欧米人、それに招待客だろうか、中国系らしき人たちの姿が意外と多い。マレー人はといえば、ごくごく少数。日本人に至っては筆者だけかもしれない、と思っていたら、ステージの上でオオノさんという方がタンブーラを弾いていた。

    インド人音楽家のちゃんとしたコンサートを見た(聞いた)のは、ラヴィ・シャンカールの東京公演以来、10年ぶりぐらいか。思えば、先ごろ亡くなったジョージ・ハリスンをきっかけとして、ラヴィ・シャンカール → 民族音楽 → 古典 → フィルムソング という風に、過去の自分もインド音楽の世界に一応首は突っ込んでいた。アヌーシュカのおかげで、またインド熱が沸騰してしまうかもしれない……。
2002年02月01日 18時36分43秒


  • 知られざる(?)スーフィー・シンガー マンプリート・アクタール
    国際的な大ヒットを飛ばしたヒンディー映画’Kuch Kuch Hota Hai’の中盤……ヒロインであるアンジャリ役のカジョル(Kajol)が失恋し泣き崩れるシーンからバックに流れる挿入歌のことが、ずっと気になっていた。

    どことなくガザル風で、いかにも北インドやパキスタン的な雰囲気のする美しい曲なのだが、この中で女性歌手がイントロから1番にかけて、「号泣モノ」の素晴らしい歌声を聞かせている。普段からよく耳にするラター・マンゲーシュカル(Lata Mangeshkar)やウディット・ナラヤン(Udit Narayan)ら、典型的なプレイバック(吹き替え)シンガーとはずいぶん違うタイプのスーパーヴォイスだ。

    ネット上でちょっと調べたところ、この曲は’Tujhe Yaad Na Meri Aaye’というタイトルで、問題の歌声の主はManpreet Akhtar(ここでは仮に”マンプリート・アクタール”と表記しておく)という名前であることがわかった。

    ネット上で見つけたある記事では、「マンプリート・アクタールはパンジャブ人でスーフィー(イスラム神秘主義)の歌手」と紹介されている。ということは、ヌスラット・ファテ・アリー・ハーンのような宗教歌謡カッワーリーの歌手なのだろうか。きっと、関係筋の間では名の知れたシンガーなのだろう。

    略歴を記しておくと、マンプリートは、有名なスーフィー詩人Baba Bulley Shahの熱烈なファンで、小さいころからNoorjahan, Reshma, Runa Lailaらパキスタンやインドのベテラン女性歌手の歌をよく聞いており、強い影響を受けているらしい。デビュー後にはパンジャビ映画の挿入歌を歌っていたが、マンプリートの歌声を耳にした作曲家ジャティン=ラリト(Jatin-Lalit)が彼女を気に入って、’Kuch Kuch Hota Hai’に起用したという。

    マンプリートはスーフィー歌手になった理由について、「父と兄もスーフィー・シンガー。スーフィーの曲を歌うことで、神と直接結合することができる」と話している。

    マンプリートは’Kuch Kuch Hota Hai’以降、映画の都ムンバイ(旧称ボンベイ)に移り住み、プレイバックの仕事を多くこなしているらしい。この素敵なシンガーのこと、もうちょっと詳しく知りたい。地元レーベルからはソロ・アルバムも出ているようだし……。

    マンプリート・アクタールのことを知っている方がいましたら、ぜひ情報ください!

  • タミル語のテキスト
    'SIMPLE TAMIL’ EUROPHONE LANGUAGE INSTITUTE (LONDON)/ISBN 981-3019-88-3/35〜40リンギット(マレーシア国内価格)

    ちゃんと勉強しているわけではないが、タミル語とヒンディ語のテキストを持っている。しかし後者は、ヒンディ語圏にでも定住しない限りは使い道がないので勉強するのはやめた。タミル語も必需性はないけど、親近感があるので、とりあえずは遊び程度に覚えたいと思っている。

    わたしの知る限り、日本ではタミル語のテキストは市販されていないもよう。そこで、イギリスの語学研究所「ユーロフォン」から出ている『シンプル・タミル(=やさしいタミル語)』という本を手に入れた。練習用テープ付属で、初心者用テキストとしては充分使える。ただ、載っている例文はいかにも学習用という感じの実に丁寧な表現ばかりで、実際の日常会話で使われるタミル語とはかなり違いがあるようだ。

    実用的な例文が少ないのもちょっと残念。「わたしは足で歩く」「わたしは荷物を持つのに手を使う」「各足には指が5本ずつある」――。こういった表現は多分、一生使うチャンスがないだろうなあ。

    ちなみに、わたしはテキスト購入後の2年間で、レッスン2を修了したところです……(苦笑)。

  • インド映画はマレー語字幕で
    インド映画は、たいていVCD(ビデオ・コンパクトディスク)で見ている。マレーシアで市販されているヒンディ映画のソフトは、ほとんどがマレー語サブタイトル付き。これが見ていると結構疲れるのだ。

    英語のようにシンプルなテキストじゃないので、映像に気を取られていると、字幕を読み逃してしまうことも多い。

    memperkukuhkan(強くする)とかmemperbesarkan(大きくする)なんて長い単語は、0.2秒くらいじゃ読めません。

    インド映画はまた、3時間くらいの長い作品が多いので、体調が悪かったりすると、見終わったらぐったりすることも……。インド女性と結婚するなら精力絶倫でなければいけない、とはよく言われることだが、映画を観る時もそうありたいものだ。<終>

  • 危険な(?)マレー語表記
    マレー語(マレーシア語)の日本語表記というのは、実に厄介な問題である。新聞や雑誌、旅行本などを見ても、人名や地名の表記はバラバラ。これはおそらく、マレーシア語を理解し、なおかつ「日本語化」することができる人材が不足していることが原因だろう。

    ちなみに、筆者がマレーシア語を日本語で表記するときは、Bahasa Baku(標準マレー語)の発音を一応基本としている。つまり、インドネシア語を日本語で表記する場合と同じように、スペリング通りの音になるべく忠実に記すという方法だ。

    ※「標準」という名前がついているものの、Bahasa Bakuの発音はマレーシア、特に西マレーシア(マレー半島)では決して標準的とはいえない。マレーシアで本来「標準的」なアクセントとされるのは、前述のBahasa Bakuではなく、首都圏やジョホール、マラッカなど、マレー半島の西海岸で顕著な、かなり訛った発音。これを日本語で表すのは不可能。

    クアラルンプール(Kuala Lumpur)、ジョホールバル(Johor Baru)、ペラ(Perak)――など、主要都市や州の名前のように日本語表記がすでに定着している言葉はそのままでいい。しかし、日本でまだ知られていない人名や地名を初めて日本語に直す時は、いろいろと気をつけたい。

    一番危険なのは、マレー語を本格的に学習していない人が、聞こえたままに表記してしまうこと。これだと、たまたまその人に聞こえなかった音はすべて消えてしまうし、たまたま伸びたふうに聞こえたところは、長音になってしまうことになる。

    個人的に使用する文書でなら、どんなふうに表記してもいいと思うが、出版界でこれをやられると、その後に書く人もこれに合わせなくてはならなくなるので困る。

    例えば、”bukit”(丘の意)という単語。私自身は通常「ブキット」としているが、日本語表記としては短めに「ブキ」でもいいと思う。ただ、「ブキッ」だけは避けたい。日本語の表記としても「ッ」で終わるのは変だし、たとえ「ブキッ」と発音しても、語尾の”t”が抜けてしまっていたら、マレーシアやインドネシアの人には全く通じない。原音に似せたつもりが、ネーティブスピーカーに通じない発音では意味が無い。

    「ブキ」より「ブキット」の方がいいと思うのは、語尾の子音(t, d, p, k, b, g等)を安易に省略したくないからだ。確かに、日本人には聞こえない音もしれないが、例えば英語や韓国・朝鮮語などを母語とする人にはちゃんと聞こえる(感じる、と言ったほうがいいかもしれない)。英語の”start”を「スタート」、”star”を「スター」と区別しているように、なるべくなら語尾の音も表しておいたほうが、後になって混乱が少なくて済むのだ。

    もうひとつの例は、3年ほど前から日本の新聞にもしばしば登場している前副首相の名前”Anwar”のように、最後が”r”で終わる単語。大手新聞では「アンワル」(1)が普通だが、書籍や雑誌などでは「アンワール」(2)、「アヌワール」(3)、「アヌワー」(4)、「アンワー」(5)などの表記も見られる。ちなみに、Anwar氏がもしインドネシア人だったら、間違いなく(1)もしくは(2)になる。何故かといえば、インドネシア語ではRの音を巻き舌ではっきり発音するのが普通だから。(3)、(4)、(5)のような表記は、マレー語的なアクセントを意識したものだろう。

    この中で一番よくないと思うのは(4)と(5)。マレー人の多くは”r”の音を巻き舌にしないので、伸びているように聞こえるが、マレー語には本来、音を伸ばすという概念は存在しないことも考慮して、「ル」とする方を私は選んでいる。

    例外として、筆者は子音の”h”をほとんど省略してしまっている。teh(茶)=「テー」でなく「テ」、putih(白い)=「プティー」でなく「プティ」――という具合に。

    旅行本などを見ると、上記のように「ー」を使って長音にする表記もよくあるが、マレー語の”h”は伸ばす音ではなく、あくまでも子音。ただこの音も、マレー・アクセントだと非常に聞こえにくいために、伸びているように聞こえてしまうことも確かではある。

    外国語を日本語で表記する時の基本は、「日本人、もしくは日本語のネーティブスピーカーにとって読みやすい」ことだと思う。外国の言葉を日本語で読む必要があるのは、やはり日本人だからだ。私自身は「外国語をカタカナに直した時点で、それはもう日本語」くらいに考えているので、表記が実際の発音とかけ離れてしまっていても、それはそれで構わないと思う。

    だから、「ブキッ」のような中途半端な表記をするぐらいなら、いっそのこと「丘(おか)」とでも訳してしまった方がいい。‘Hotel California’を「加州大飯店」と堂々と表記する中華思想(?)を少しは見習おう!

    最後にもうひとつ。「マレー語は基本的にカタカナ読みでOK」、「英語などと違い、語尾の子音ははっきりと発音しなくていい」などと書かれた本をよく目にするが、本当だろうか? 筆者は逆に、「マレー語は英語の要領で発音せよ!」と言いたい。カタカナ発音のマレー語より、イギリス人やアメリカ人らが話す英語訛りのマレー語のほうがよく通じる。これだけは確かだ。

    長々と書いてしまったが、「表記は日本語風に、発音は英語風に」――というのが筆者としての結論。

  • バンコクのタクシー
    「お気に入り」とは少し違う気がするが、バンコクは世界一住みよい街である。少なくとも現在(いま)の筆者にとっては……。

    自家用車を持ってないと、クアラルンプールのような車社会はとっても不便。路線バスはまあまあ整ってるけど、一番困るのは、タクシーが少ないこと。通勤ラッシュ時や金曜・土曜の夕方から夜にかけては、30分〜1時間待つのが普通だ。

    その点、バンコクは素晴らしい。大通りに出れば、5秒間に1台はタクシーが来る。街外れの路地などにいたとしても、5分間に1台は通る。絶対に通る。

    実を言うと、バンコクのタクシーは「多すぎる」というのが本当のところで、これが「世界一の渋滞」を引き起こす有力な一因でもあるのだが、筆者が住んでいたときに渋滞で困ることはほとんどなかった。なぜかというと、急がなければいけないような用事があまりなかったからである。どうしても急ぐときは、バイクタクシーのお兄ちゃんにお世話になればいい。

    バンコクには最近、「BTS」と呼ばれるスカイトレインが開通。工事が大幅に遅れているものの、地下鉄もそのうち(今世紀中には?)できる。

    ところで、バンコクに対し「危ない街」というイメージを持っている日本人が結構多いらしいが、少なくとも治安は非常に良い。一昔前の東京のように、会社帰りの酔っ払ったお父さんが夜中に道端で寝てても大丈夫――というような雰囲気が、あの街にはある。この点では、いまの渋谷辺りよりはよっぽど安全だろう。

    ただ、こういう快適なところに2年ぐらいいると、適度に(?)規律正しいクアラルンプールが恋しくなってくることも確か。どうやら私も、日本人の魂をまだ失ってないようだ。よかった!
2001年03月18日 04時44分04秒

  • デュトワのラベル管弦楽集
    『ラベル管弦楽集』シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団――LONDON:FOOL 29046〜8

    一番好きな作曲家+一番好きな指揮者・楽団の組み合わせとくれば、これはもう一生モノ! あのアンセルメに続く「フランス音楽のエスプリ」シャルル・デュトワ氏とモントリオール交響楽団は大好きで、ロンドン・レーベルの作品はほとんど持ってます。さらに自慢すると、カナダと日本で計3回のコンサートに行きました。デュトワ氏はその後、あのN響の専属指揮者になり、NHKテレビの音楽番組にも出演してましたね。

    で、このラベル3枚組みは、演奏も音質も素晴らしい。ゲストのバイオリン奏者チョン・キョンファ、ピアニストのパスカル・ロジェらの演奏も冴えまくってますなぁ。

    そう、実はこういうのも聴きます(笑)。東南アジアに住むようになってからは、クラシック音楽はちょっとご無沙汰になってますが。

    もしかしたら「マレーぽっぷす一本槍のヘンタイ男」とか思われているかもしれないので、それを一掃する意味でも、わざわざこれを紹介したわけです。よけいヘンタイと思われるかもしれんけど……。
2001年01月25日 03時29分41秒

  • インドネシア語のオンライン辞書
    インドネシア人の友人に教えてもらった有能辞書。URLは
    http://nlp.aia.bppt.go.id/kebi/content.html

    普通マレー・インドネシア語の単語は原型を参照しなくてはならないが、これは派生語からでも引ける。

    ただし、マレーシア語学習者が使うには、スペリングなどの違いがちょっと問題。単語が見つからないときはoをu、aをeに変えたり、その逆にしたり――など、ちょっとした応用が必要になる。もちろん、元からインドネシアに存在しない単語も多い。

    このオンライン辞書はいま語彙を拡大中らしく、口語やスラングにはまだ対応していないが、機能的には十分。自宅でも会社でも、どこでも使いましょ。

    マレーシア語のオンライン辞書では、
    http://www.malaysia.net/cybercom/dictionary/
    があるが、こちらは派生語で単語を引き出すことはできない。
2001年01月16日 00時50分16秒

  • MAMA
    タイで本場のトムヤムを味わったことのある者にとって、マレーシア製トムヤムを食べるということは「拷問」に近いかもしれない――。とはもちろん言い過ぎだが、少なくとも、当地で食べれる平均的トムヤムは、タイ人の口には合わないだろう。

    トムヤム味のインスタントめんではマギー・ミー(Maggie Mie)がマレーシアで人気だが、これはコショウが効き過ぎでイマイチ。

    そこで、輸入品のMAMA! タイ語で「マーマー」という感じに聞こえるこの商品名は、インスタントラーメン全般を指す代名詞にもなっている。タイにいた当時はあまり食べたことなかったが、「異国」に来ると(?)、こういうインスタント食品でもけっこう慰めになるもんだ。
2001年01月11日 18時49分17秒

  • マレーシアは……
    インドネシアをやったので、マレーシアも。2000年実施の国勢調査・速報〜!

    総人口は約2,220万人。前回調査が行われた1991年に比べると、464万人の増加。

    男女比は102対100。1991―2000年の人口増加率は2.60%で、1981―1990年の2.64%とほぼ同じだ。
    地域別では、首都圏スランゴール州が394万7,527人で最多。逆に一番人口が少ないのは連邦直轄区のラブアンで、7万517人。

    家族の構成人数は全国平均で1世帯当たり4.52人で、4.92人だった1991年の数字を下回っている。ちなみにクアラルンプールは4.18人、スランゴール州は4.25人と、首都圏はやはり少なめ。一番多いのは東マレーシアのサバ州で、5.13人。
2001年01月07日 02時30分34秒

  • インドネシアの人口
    インドネシアの人口は2億345万6,005人――。これは、最近行われた国勢調査で判明した数字。このうち60%はジャワ島の住民だそう。

    ここ10年の年間人口伸び率は1.35%で、1980―1990年の1.97%から低下したらしい。ちょっと気になるのは、州別の人口増加率で、ムラユ文化の中心地でもあるリアウ州が3.79%と最も高い伸びを示したこと。

    ちなみに人口密度(面積1平方キロ当たり)は、全国で106人。ジャワ島だけだと946人、首都ジャカルタは1万2,628人とのこと。

    そういえば、ダンドゥット王ロマ・イラマ(Rhoma Irama)の曲で、”Seratus ?-puluh juta orang, penduduk Indonesia〜♪”(インドネシア住民は1億?千万人〜♪ 歌詞は裏覚え……)というのがあった。あれは1970年代だったかな?
2001年01月06日 20時52分56秒

  • P・ラムリーの伝記
    ’P.Ramlee - Erti Yang Sakti’ Ahmad Sarji著――Pelanduk Publications

    昨年発売されたP.Ramlee伝。出演映画と挿入歌のリストあり。マレーシア語。

    共演した俳優のことなどにも詳しく記述しているほか、貴重な写真もふんだんに盛り込んでいる。マハティール首相著の『マレー・ジレンマ』のように、英語・日本語の翻訳版も出していただきたいところ。

    http://www.pelanduk.com
2001年01月03日 03時34分18秒

  • タイ語スラング辞典
    『タイ語スラング辞典』ポパン・レプナグ著――TLS出版社。

    これも日本で買った。スラングとかは日常生活の中で覚えられればいいのだけど、こういうのがあると便利。語彙は少なめだけど、十分役に立つ。CD付属。

    同じシリーズに、『男と女のタイ語会話術』や手紙の書き方、旅行会話集などがある。以前、『タイ語 大人の会話集』という本が売れていたけど、『男と女の〜』も内容的にはこれと似ている。CD付き。別にこれを必要とする予定はないんけども……。
2001年01月01日 16時21分39秒

  • SRI SAUJANA GHAZAL
    『スリ・サウジャーナ・ガザル』(SRI SAUJANA GHAZAL)――JVC VICG−60253。

    この前、日本に帰国した時に買ったCD。ガザルのカセットテープはジョホールやマラッカで結構入手したけど、こんなに音が良くて迫力あるのは初めてかも。解説は田中勝則氏。歌詞・対訳つき。

    ガザルの日本盤が出てたなんて知らなかった。やっぱり、ミュージック・マガジンくらいは購読しとかないと……。
2001年01月01日 15時51分15秒

  • エイミー・マストゥラのインドネシア語
    テレビでハリラヤ特番をいくつか見たけど、今年結婚したエイミー・マストゥラ(Amy Mastura)の姿がやけに目立っている。

    昨夜やってたバラエティでは、コント・コーナーでインドネシア人の役をやってた。

    しかし、それが余りにも完璧なインドネジアン・アクセント。すごい才能だ……。見直した!(笑)
2000年12月31日 00時39分30秒

HOME