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音楽対談 : 野澤美香(作曲家)―杵屋吉之亟


          
野澤美香 のざわみか (作曲家)  国立音大卒 東京生まれ
作曲を入野義朗に師事。現代音楽協会新人賞入選、
ICC国際作曲コンクール第2位。
現代音楽の文脈にとらわれないユニークな作品は、国内外で多く上演されている。また映像、ダンスなどとのコラボレーションも注目されている。
1996年より杵屋吉之亟に長唄三味線を師事。
2000年には師匠のために書き下ろした新作で好評を博す。

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― 野澤さんは昨年( 2000年 )、バッハ没後250年記念、「 ICC国際ピアノ2000作曲コンクール 」にて、世界32ヶ国、268名の応募曲の中から、第二位に選出されました。
おめでとうございます。その後の反響はいかがでしたか? ―

野: じつは、日本ではその批評が載りませんでした。海外では、BBC放送はじめ各国のメディアがとりあげたりしたのですが、残念に思います。海外では厳しい批評をして文化を育てますが、日本ではまだ成熟する基盤ができていないのかもしれません。

吉: 日本は才能のある人を見出せず、成長させようという土壌もないです。海外で取り上げられると急に注目しますが ……



野:  2002年学校教育に邦楽器を取り入れることについて、先生はどう思われますか?

吉: 「誰が教えるか?」が問題です

野: そこです!!

吉: 学校の音楽の先生がこれから2〜3年邦楽を習ったとしても、生徒に本物を聴かせることにはなりません。伝統芸能を身につけるには、時間がかかるからです。また今の子供達は親の代から邦楽になじんでいません。無理矢理押し付けても、逆効果になりかねない。ただ、「きっかけ」と「存在」をしめすよい機会だとは思います。

野: では、なぜ邦楽が身近でなくなったかが問題です。昔は庶民のものだったのに、いつのまにか敷居が高くなった。
現代社会に時間的、経済的ゆとりがなくなった事が原因のひとつかもしれません。
昔は日払いで、三日働くと長屋の家賃が稼げたとききま
す。経済的余裕があった。あとの時間は、お芝居を見たり趣味の時間が持てたと言う事です。

吉: ある芝居小屋は舞台が2つあって、見物客はひいきの役者が出ている方を見る、という昔の話を聞いた事があります。朝早くから一日飲んだり食べたりしながらお芝居を見ていたそうです。

野: え〜っ !!「フジロック」みたい!! すごい前衛ですね。(笑)
それと、役に立つことは習っても良いが、趣味だとダメ。わたしも『三味線を習ってる』と言うと、『まぁ〜優雅ですね』、もしそれが簿記ならOKというわけです。
また、三味線が身近にない。子供はトラックが走っているのを見てトラックの運転手になりたいと思うのです。
弟子( 後継者 )を育てる、又は、伝統を伝えて行くことについてはどうお考えですか?

吉: 大衆( 特に若者 )は長唄から離れていってます。「うちの手( 三味線 )」「うちの芸風」を残したいと思いますが。やる人が現われない。

野: 「世襲制」に対する疑問はいろいろありますが、慣れ親しんで育ったという環境を考えると、まんざら否定も出来ませんね。 
小さい時から「なんとなく聴いている」ことが大事だと思うのです。他の遊びをしながらでもいいのです。

吉: 2階でテレビを見てても下で稽古していて耳に入る。感覚的に身についてしまう。

野: 先生も他に好きな事があったのに、結局長唄をやっている。

吉: サラリーマンには向いてないとは、思ってましたので( 笑) ! 

吉: 先日「小林ハル」( 瞽女<ごぜ> = 三味線と唄を唄う盲目の旅芸人 )さんをテレビで見ました。生活感があり素朴な感じがしました。ハルさんは、つらいこと、悲しいことをたんたんと唄っていた。それが聴く人を感動させるのです。
僕は「壬生狂言」( みぶきょうげん = 京都、壬生寺に伝わる鉦<かね>と太鼓を使う狂言 )が好きなのですが、シンプルなところが想像力をかきたてるのです。
つまり聴く側、見る側に想像力を使わせるところが好きです。
子供のときから、シンプルなもの、過度に装飾されていないものが、ベスト!と思ってました。

野: それは賛成!!です。私は若いうちは音を過剰にしておいて、将来それがいらないことがわかり、年を取る程シンプルになりたいと思ってます。つまりピラミッドの裾野がひろければめざす頂上も高くできるということです。

吉: 単純にするのは勇気がいります。例えば、すくうところでない三ツ間( 三拍休み )にスクイ( 糸をばちですくう弾き方 )をいれてしまう人は音を飾らないと心配になるわけです。間のあるところに音をうめてしまう人もいる。
それと、演奏する側が感情を入れ込み過ぎなければ、聴く側から感情移入できるのです。押し付けがましくならない。

野: 感情表現が過剰になってしまっては「悲しさ」の深さ、色合いを限定されてしまう。長唄の場合特に、上手に控える事で聴き手の想像力にまかせる魅力があります。

吉: 日本人は本音と建前があって、人前では感情をあらわにしない、たんたんとしてる体質があるのです。 
ところが、「義太夫」(ぎだゆう = 上方-関西で発展)に関しては面白い!! 感情表現が様式化されているため納得するのです。


吉: 昭和の初めまでは、長唄は豪快でおおまかな節廻しだったようですが、最近になってから節が細かくなって来たようです。テンポも速くなり平坦になってきました。また、最近はいろいろな流派の人が集まり演奏するので、そのやり方の方があわせやすいのでしょうか。しかし、その派の個性はなくなってしまった。
これからも僕はうちの芸風を演奏していきます。頑固ですから( 笑 )。

― 貴重なお話をありがとうございました。野澤さんのますますの御活躍をお祈りします。今後も長唄をいかした作曲を聞かせて下さい。心から楽しみにしています !! ―

[ 2001年2月5日録音 編集 : Kineya Noriko ]

           
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