負けるが勝

  相手に勝をゆずって、しいて他人と争おうとしないのが、

結局大きな目でみれば有利な結果となる。

とにかく徹底した論理で争うのを好まないのが日本人の特性。

「理では負けても情で勝つ」 のがよいとは、なんとも日本的な考え方だ。

 


 

馬子にも衣装

  「馬子に温袍(馬子にはどてらがふさわしい)」 という一方で

「馬子にも衣装・髪かたち」。

身なりをととのえれば相当にみられるという、ことわざのバランス感覚。

 


 

身から出た錆

  刃ものの身から出た錆と、自分の身とをかけて、

自分がおかした罪のため、自分が苦しむこと。

「身から出た錆はとぐにとげぬ」。表面だけの錆ではないから、

とりかえしがつかないという苦さもこもっている。

 


 

ミイラ取りがミイラになる

  改宗したバテレンの沢野忠庵が 「ミイラは薬也」 と書いている。

本来はアラビア産の樹液で、防腐剤。

これを用いて乾燥させた屍体をもミイラと言うようになった。

この薬のミイラを取りに行ったものがミイラになってしまう。

はじめの目的と逆の結果になってしまったのは、沢野忠庵が好例。

 


 

目は口ほどにものを言う

  “諸国大名は弓矢で殺す、糸屋の娘は目で殺す”。

日本人は言葉によるコミュニケーションよりも、

こういうノン・バーバル (言語外) の表現を重視する。

「腹芸」 が好まれ、「目は心の鏡」 と言われるゆえんである。

 


 

目病み女に風邪ひき男

  眼病にかかった女が、紅絹の布で片目を隠している姿、

風邪をひいた男のちょっとハスキーな声、

ともにセクシーなものだという江戸時代の審美眼。

 


 

盲蛇におじず

  ものごとをしらないものが、無鉄砲なまねをする。

盲人と蛇の取りあわせが印象的。

Nothing so bold as a blind man (盲ほど大胆なものはない) と

抽象的に表現する西洋の俚諺に比べて、日本の俚諺の特性がよくうかがえる。

 


 

餅は餅屋

  「さてさて餅は餅屋とやら」 (平賀源内 『根南志草』)、

プロのすることにまちがいはない。「商売は道によって賢し」 「餅屋は餅屋」

さすがにちがうと感心する専門家尊重の精神が日本人独特の職人気質を生んだ。

 


 

桃栗三年柿八年

  続けて 「柚は九年でなりかかる」 「梅はすいとて十三年」とも言う。

実際に得た経験を知識として後代に伝えるのも、俚諺のひとつの効用である。

同時に、実がなるまでこうとなえて、生育を楽しみにしたのだろう。

 


 

門前の小僧習わぬ経を読む

  「知者のほとりの童は習わぬ経を読む」 

(狂言 『箕のかつぎ』) というのが古い形。

“知者のほとり” から、“寺の門前” へ、

距離が遠くなったので与える印象も強くなった。

環境の大切さを教える “孟母三遷” の故事の具体例である。